はてなキーワード: 一部の人とは
転職についての本を読んだら余計に眠れなくなった
社内業務は行き場のない人で埋まり、もはや便宜を図ってもらえそうもない
便宜を図ってもらえるのはコネのある一部の人間という印象がある
復帰後は在宅を希望しているが、この会社で受けている仕事に在宅業務があるとも限らない
通勤の現場・プロジェクトにアサインされたら生活が回らなくなる
そうなったらやめざるを得ない
あのは頃まだ一部の人がやっている感があり、そこはかとないアングラというかアウトロー感というか
当時中二病を引きずっていた高校生の自分には、とてもワクワクする場所だった。
その時のサービスというか、そんなものがどうなったのかちょっと考えた。
当時の2chユーザを主とした中年層と業者と幾ばくかの他の年齢層が5chに
少し趣を変えてtwitterの一部クラスタが昔に居た2chの層としている感じ
匿名の若気のバカ遊びみたいなノリが機能する場所はなくなった気がする。
個人ニュースサイト⇒はてブ、スマートニュース等キュレーションサイト:
はてブに関してはリンク中心の前者から、コメント中心の後者になった感がある。
キュレーションサイトは個人の色がないというか、あまり面白みがない。
まだ更新してくれている個人ニュースサイトさんをたまに見るのが、月1の楽しみ。
後は更新の止まったサイトをさっさと丸ごと保存しないと、多分いつか消えるからしないとなぁ。
mixi⇒数多のSNS(Facebook、Instagram、tiktok,Clubhouse等):
mixiの対抗にGreeとか居たけどあの時代のSNSとしてはほぼmixiで、
進化できず改悪を繰り返すことで他のSNSに散らばった形なのかな。
mixiは止まった時を保存しつつ現存するSNSとして今も生き続けており、
たまに見ると楽しい。引き続き歴史文化の保存として社名を背負って頑張ってほしい。がんばれモンスト。
何気にmixiが現存しているのもあり、mixiの代替となるSNSはないように思える。
基本匿名のテキストベースの趣味と任意の人とのつながりみたいな、なんというかうまく言えないけど、アレは好きだったんだ。
テキストサイトと並行してブログもいたけど、、GeoCities的なアレからブログとかnoteとかに移ったのかな?
ただ、日記とネタみたいなはテキストサイト的なノリは少なくなったのか、少なくとも盛り上がらなくなった。
今もテキストサイト的なノリでたまに更新しているけどやはり当時のような熱はない。
それは、大量の読者があってのあの熱だったのかもしれない。
十数年後には今の状況を懐かしく思い出せるものなのかな。
何か他にあるかな。
酔いに任せて書いた適当なつぶやきがホッテトリってる。せっかくなのでコメントを拾って補完してみる。
デイリーポータル、テキストサイト⇒デイリーポータル、オモコロ:
テキストサイト成分とデイリーポータルを足していくつかで割った感じがオモコロの感
OKWave、教えてgoo、人力検索はてな、⇒Yahoo!知恵袋:
はてなについては、ポイントを質問者が配るという構図で、質問者優位の構図が新しかった。
上記とカテゴリは一緒なんだけど、「女性の悩み相談」というジャンルに特化した先見の明と生存戦略の妙が見える。
質問系はYahoo!知恵袋以外は駆逐されたけど、発言小町は発言小町として生きている。凄い。
存在を横目で見ていただけなので、よくは知らないけど趣味ベースのSNSということでmixiのコミュニティつながりを特化させた感じかな。
しかしこれもサービス終了ということでこの手のつながりに、今はビジネスとしてペイするほど需要がないのかもしれない。
結局Web2.0とかdocomo2.0とか何だったんだという感。
どっちかというと2000年後半な気もするけど、本人のHPも2008年が最終更新、Wikipediaも2012年が経歴の最終。
と、まぁアメリカで活動している人なんで、日本に飽きたんでしょう。
なんでもないつぶやきや独り言にゆるく☆を付けあう優しい世界。
同じく収益の問題があるはてブよりも全然世界平和に貢献していたと思うんだけど、
悲しいけどこれ、ビジネスなのよね。なんで、代替もないでしょうね。
HP(ホムペ)にぶら下がる掲示板、という感じでそこでの会話があり、HP主のみの発言の悲しい掲示板や
メジャーなSNS無き時代のネットコミュニティとして機能していた活発な板など様々。
基本的にHNでの発言で、コミュニティでは独自のルール「お礼3行以上」とかがあったりなかったり。
この掲示板を抜き出して集約して匿名化した、あめぞうからの2ch、まちBBSとかの系譜は既に2000年を待たずに出来ていた。
で、今もあるところはあるけど大体閑古鳥。5chとか、SNSに行っちゃったね。
これはツールが変わっただけでコミュニティの働きとしては同じく機能し続けているようにも思う。
チャット、ICQ、MSN Messenger⇒LINE、Slackなどのチャットツール:
ここにおけるチャットは上記のBBSと同列で個人HPにぶら下がっているものを指す。
ここでの状況はBBSと同じ。ただそのレスポンスが基本リアルタイムというのが新しかった。
MSN Messengerというより敷居の低い神サービスがあったので、これを主に使っていた。
そこから、特にMSN Messengerから現在のチャットツールでは基幹は変わっていないので
99年にできたMSN Messengerは凄かったな、とコメントにもあったね。
GeoCities的なアレからBlogという新しい概念!発明!とか騒がれていた気もする。
全盛期は使いやすさのLivedoorBlogと賞金と芸能人のAmeblo、アングラfc2、独自のはてなダイアリーみたいな感じだった。
そのなかでTrackbackという「情報で繋がれる!」なんて画期的っぽい仕組みも持ち上げられたけど、スパム横行で衰退。
※今も見ている個人ニュースサイト
いくつかあるけど、ugNews.netさんとか無駄な領域リサイクルさんとか面白いです。
ポストペット⇒ メッセージングアプリ「PostPet GO」:
当時は素敵そうだったけど、そんなにメールでやりとしなかったし。。。
メールのサービスは終わったみたいだけど、メッセージングアプリで復活する予定みたい。
Flash系⇒派生としてのニコニコ動画とYoutubeとか:
常時接続環境が出来上がりつつあるとはいえ、動画コンテンツに飢えていたネットユーザーの救世主だったのがFlash。
個人的にはNightmareCityが好き。
Flash自身がその死に向かう今、これらに近いのはニコニコとかYutubeとかあるけど、ちょっと違うんだよな。
言語化が難しいけど。
何か長くなってつかれたので、いったんここで中断しまっす。
clubhouseは…今後セカンドライフ化するのか、化けるのか。
少なくとも今時点では前者っぽい空気がするけど。
flickrは写真共有SNSとしてはこの時期の始祖だけど、PC前提っぽくて。
あまり詳しくないけど、flickrはflickrでよいところはありそうなので、
大枠としてはInstagramに流れつつも、flickrはflickrとして残るって感じかな。
買い手はなるべく安く落札する、ゲーム的要素の強い個人売買の走りだった。
高値更新を見据えたスナイプ合戦だったり、いかんせん敷居が高いし、めんどくさかった。
その辺りの敷居の高さを、おおよそ取っ払ったのがメルカリをはじめとしたフリマアプリでうまいことやったなと。
今は相場が決まっているものやライト層はメルカリ、相場が分かりづらいものはヤフオクみたいな住み分けか。
pya! そのものが宝島のVOWのネット版という感じで、画像はまさにそんな感じだった。
そこにFlashが乗っかったりで、”「ありがとう」って言いそびれたヤツいる?”は泣けた。
pya! はネタ色が強かったけどtumblrはネタ含めwebのスクラップって感じでそこに包含された感じ。
デリシャス?はて?と思ったら、Delicious、あの格子状のアレか。
確かに、この頃はDeliciousの方がよく見た気がする。何で衰退したんだろう。
自分は個人ニュースサイトをしつつ、いつかはこれに置き換わるんだよなぁ、なんて見ていたけど。
主に2ch界隈で色々な板でされていたオフ会に参加していたりしていた。
キャバクラに初めて行くより前にキャバクラ嬢と深夜ボウリングでハイタッチしたのは今でもいい思い出。
今はそういう匿名な闇鍋オフ会、あるんだろうけど自分はめっきり出てないな。
で、SNSでのオフ会とかはある程度ペルソナの知れた人の集まりなので、これは面白みがなさそう出てない。
いくつか出版とかされてて、それが映画ドラマになった電車男とか鬼嫁日記とかネットがリアルに来た、なんて見てたな。
ネットのメディア化という点ではむしろ加速していて、出版はもとよりTVの街の声とかもTwitterだしなぁ。
360SNS:
存在すら知らなかったけど、この時期、MIXIの派生版みたいなSNSはいっぱいあった気がする。
その中でこの360SNS みたいに意味ある形で定着できたものは少なかった様だけど。
あれはしゃーない。
と、キリがないので飛ばして。
それな。あの頃の探偵ファイルは軽快なノリと探偵ならではの情報ですげー面白かった。
大住氏とかえりす氏とかだっけ。あの人たちのバカなノリがとても好きだった。
オモコロもノリとしての継承はそれなんだけど、なんというか当時の探偵ファイル的な熱量と面白さはないなぁ。。。
全網羅無理っぽいのでいったんここで〆
(2/24 5時)
封建主義というか「ここは政府がきっちりと抑えないとならない」という峻別だろうな。
封建主義も良い王様と理想的な法律で動けば理想的だという一つの考えだから。問題は良い王様、理想的な法律に実際なるかは限らないからな。
まさにケインズ主義として、政府が財政出動をしたり、税で行動を誘導しないとならないというのは政府の関与そのものだな。
だが、組織はほっといたら肥大化しやすくなる。政府の一部の人間さえ騙せれば儲かるからレントシーカーも蠢きやすくなる。
何より、産業弱体化や、何らかの資源不足などでの供給由来インフレの懸念はケインズ主義にもあり、いざ起きてからでは何もできないということだ。
政府が関与するべきところは明らかにあるってことだ。どこが関与すべきで、どこが関与すべきではないかの峻別は人類永久の課題だと思う。
ダーウィンの進化論とは結果論であって、人の価値観はあまり関係ないことに注意が必要に思う
例えば、今回のようなウィルスのパンデミックが起こり、血液型がA型の人だけが生き残ったとして、
それはA型の人が新しい環境に適応していたから生き残ったのであり、
A型以外の血液型の人が「人間の価値観で考えて」能力が劣っていた、貧乏だった、怠慢だった、というわけではない
ダーウィンの進化論で、変化したものだけが生き残る、という誤った考えが広まっているが、
パンデミックの例を続けるならば、A型以外の人もこれからの世界で生き残りたければ努力してA型になれ、
と言っているようなもので、これはダーウィンの進化論を誤って解釈した経済学者が言ったことらしい
ただ、人は自ら社会を形成し、それがコンクリートジャングルのような意味合いがあって、
人為的に社会問題などのトラブルが引き起こされ、それを乗り越えることを義務付けられたりする
そして、それを乗り越えられない者を劣った者と解釈する
これはつまり、人が勝手に社会という名の自然環境を作り、人が勝手に一部の人を淘汰させる障害を作っているのである
例えば、これからの時代はプログラマーでなくてもプログラミングができなければ生き抜けない、
英語ができなければ、データ解析ができなければ、漢字が、ペン字が、学歴が、職歴が、云々、
それを乗り越えられない者は環境に適応できない愚か者だと人が勝手に決めているのである
しかし、自然が、宗教的には神がウィルスのパンデミックを引き起こせば、そんな人の価値観は関係なく、
ダーウィンはそこに突然変異や進化のメカニズムを見出しただけであり、
突然変異だってランダムのようなところがある、今のコロナの変異株のようなものである
そう、コロナも変異し、環境に適応できたものだけが生き残るレースを今も続けている
能力が低い勉強ができない怠け者の変異株は淘汰される、なんてことはないのである
つまり、ナチスの優生学みたいなのもちゃんちゃらおかしいどころか、
人間社会について考えるときにダーウィンの進化論を持ち出すのはそもそも大体は適切ではないのである
天才的な人がコロナで死んだとして、その人は劣っていたと言えるだろうか
「バイデンが井戸に毒を入れた」という冗談が、一部の人には「朝鮮人に対する」差別煽動投稿に見えるらしい。驚いた。
これが「朝鮮人に対する」差別だと主張する模範的文書を、藤崎剛人がコラムとして公開している。(差別煽動投稿だと最初に断じた津田大介が、これが「朝鮮人に対する」差別煽動と述べているかどうかは確認していない。)
https://www.newsweekjapan.jp/fujisaki/2021/02/post-3_1.php]
「井戸に毒」というのは藤崎も指摘するとおり「1923年関東大震災での流言飛語を連想させる」フレーズとして選択されている。つまり、ここで連想されるのは、井戸に毒を入れる行為ではなく、「流言飛語」つまりデマという評価である。
「井戸に毒」から朝鮮人を連想できる人は、必ず、それがデマであることをセットで連想する。藤崎がそうであるように。
もし関東大震災時のデマを知らずに「井戸に毒を入れた」を真に受ける人間がいたならば、彼は毒を入れたのはバイデンだと考える他なく、「井戸に毒」が朝鮮人と結びつくことはない。(そして、バイデンは日本に居らずテロリストでも無いのだから、殆どは「井戸に毒」が嘘であることに気付くだろう。加えて、バイデン大統領なら、「バイデンが井戸に毒を入れた」と信じる狂人が居たとしても危険は及ばない。)
朝鮮人の連想は、デマによる虐殺というエピソードを前提にして初めてもたらされる。
もし朝鮮人を差別する意図があるならば、デマに踊らされたという愚かな過去を引き合いに出すことはあり得ない。
したがって、「バイデンが井戸に毒を入れた」という文字列は、流言飛語が朝鮮人虐殺を招いた歴史を想起させ悪質なデマに惑わされないための注意喚起を諧謔とともに表現したものと読むほか無い。朝鮮人に対する差別煽動と読む余地は無い。
ところが藤崎はなぜか、「バイデンが井戸に毒を入れた」という文字列から、流言飛語が朝鮮人虐殺を招いた歴史を想起し、悪質なデマに惑わされないための注意喚起をしようと考えたようだ。
藤崎は、「バイデンが井戸に毒を入れた」が「井戸に毒」をネタ化したものであるとした上で、次のように述べる。
我々は、我々の社会がかつて行ってしまった民族ジェノサイドに対してどのように向き合うのかについて改めて問われている。こうした状況のもとで、「井戸に毒」をネタとして消費してしまうことは、ジェノサイドという事象の軽視であり、それは論理必然的に差別扇動となるのだ。
しかし、ここでネタ化されているのは「井戸に毒」ではなく「「井戸に毒」というデマ」である。
ここで揶揄されているのは、荒唐無稽なデマに惑わされて愚かな行動に出たかつての日本人に他ならない。
ちょっと前の話なんだけど、
自分を猫だと思い込んで、可愛いって思われたいの? ないわ。』
みたいなことを言ってる増田がいて、(´゚д゚`)ン?ってなった。
というのも、キャラや猫とか自分以外の生き物をアイコンにする人は、
なんとなく思っていた。
私はSNSのアイコンを、自分の顔のイラストにしているんだけど、
という願望があって、あげてるんじゃないかと思っている。
『アイコンで承認欲求得ようとしてるやつ(笑)』みたいな批判にヒットする。
単純にその生き物への純粋な愛みたいな、そういう気持ちが強くて選んでるので、
増田の『アイコンで承認欲求得ようとしてるやつ(笑)』批判はヒットしない人多いのかなと思っていた。
自分=キャラのかっこよさ・かわいさを受け手側にアピールしたいんじゃないか、
(コスプレイヤーの人たちと同じような感じ?)
つまるところ、リアル顔をupしている人同様、
(もちろん、そうじゃない人たちもいっぱいると思うけど)
結局周りにそういうタイプの人がいないので
よくわからないから質問してみたいんだけど、どうなんでしょう?
キャラとか猫のアイコンにしてると、『きしょっ』みたいに思う?
感想聞きたい。
https://anond.hatelabo.jp/20210210225201 (便乗したいだけである)
令和にもなってるのに、いの一番にバブリーズやスチャラカ勧めている人は絶対読み返していないだろと。今読むと結構キツイんだよね。
リプレイの歴史を語ろうと思うと必須になるかもしれんが、そんなことは一部の人に任せて、楽しそうと思える作品を読みましょう。
「水の都の夢みる勇者」川端ジュン一<ソード・ワールド2.5>
https://www.amazon.co.jp/dp/B07FFN5Y1K/
とにかくストーリーを楽しみたいなら、
「ダブルクロス・リプレイ・デザイア」加納正顕<ダブルクロス The 3rd Edition>
https://www.amazon.co.jp/dp/B01NCOK4Z9/
キャンペーン構築の参考にしたいなら、
https://www.amazon.co.jp/dp/B01EKR2PQA/
どうしてもクトゥルフがいいなら、
「セラエノ・コレクション」内山靖二郎<クトゥルフ神話TRPG(第6版)>
https://www.amazon.co.jp/dp/B072JBZ1P9/
(るるいえシリーズ個人的には好きなんですが、冊数多い上に単価が……)
とにかくゆるいのがいいなら、
「くいっくすたーと」安達洋介
考えてもみなよ。
インターネットでは相手の顔が見えない。つまり相手の属性がわかんねえんだよな。
例えば人間がAとBの2種に大別されて、Aの人間の一部がBを差別することもあれば、Bの人間の一部がAを差別することもあるとしよう。そしてあなたはAに属している。
Bへの差別発言を繰り返す個人A'がいたとき、あなたはそれをたしなめようとする。平和で公正な世界への第一歩だ。
「おやおやA'さん、私はあなたと同じAだけどね、その発言はいけないよ」
「は?お前AのふりしてるBだろ、死ね」
こうなるんだよな。AもBも一部の人間が差別しあってるんだから。ひとりひとりたしなめていくにしても素性を明かさないんじゃ対立陣営のポジショントークにしか見えないんだよ。
「職業訓練所」に関して、中国政府の許可を受けた取材に基づいた、ウイグル政府当局者への正式なインタビューです。
一部の人は、殺人を犯す前に、殺人をすることができるという兆候を示します。私たちは、犯罪を犯すまで待つべきでしょうか。未然に防ぐべきでしょうか。(ウイグル外交部)
犯罪を犯しそうになったり、軽犯罪を犯した人たちを、法に従う市民として通常の社会に戻すのが私たちの目的です(ウイグル宣伝部)
だいたい08:03くらいから。
https://www.youtube.com/watch?v=WmId2ZP3h0c
あとこういうのも
インタビュアー:八時に学生が家に帰るとのことでしたが、帰宅の様子はないですね。そもそも帰る準備をしている学生もいないようですが。
訓練所所長:一部の学生は今日です。えー、どう言ったらいいんでしょうか。学生が帰る日もあるし、帰らない日もあります。
「ナントカ女子」とか「女子ナントカ」とか女性向けプロモーションによく使われるけど、これ万人受けする表現じゃないんだよね
「興味ない」レベルじゃなくて毛嫌いする人が一定数いる 少なくない数
一部の人にリーチすれば良いような商品プロモーションなら良いんだろうけど、行政の啓発活動には不向きじゃないかなあという印象
自分は「女子ナントカ部」みたいなのが嫌いなんだけど、なぜかというと単純に恥ずかしいんだよね
芋くさい中年女性だし… 「女子プログラミング部です!」とか「カメラ女子です!」とか名乗ってたらハァ?て感じじゃん オメーじゃねえよっていう
「女子ナントカ」みたいなコンテンツの本とかグッズとかもピンクとかキラキラとかで持ち歩くのが恥ずかしい この上なくnot for me
あれが似合うのってごく一部の人だけでしょ……
蛇足その2
結構前だけど、自分の趣味のプロレス界隈でも団体とかプロレスメディアがこぞって「プロレス女子」を推し始めたときがあって、実際に女性プロレスファンからはかなりの反発を受けたんだよね
自ら「プ女子です♡」て名乗ってた人もいたにはいたけど… OK派とNG派でかなり別れたというか、NG派の嫌がり方がハンパなかったというか
あれはメディア側も「プロレス女子はイケメン選手が大好き」「逞しい肉体にメロメロ♡」みたいな変なイメージ付けをしてきたってのと、「プロレス女子向け初心者講座」みたいな女性ファンは知識がないみたいな扱いをするのが多かったからってのもあるけど
ゲーム作品を実況やプレイ動画を見てストーリーを把握する、というのが自分の中での定義だ。実況、プレイ動画というのはすっかり当たり前のコンテンツとして動画投稿サイトにある。
私はゲームジャンルに腰を据えて絵を描いたり同人誌を出したりしているオタクだ。上記の動画についてもやもやしているとは言ったが、私自身実況もプレイ動画も見たりはする。動画について文句がある訳ではなく、それを見た一部の人間についてあれこれ言いたいわけである。
ただこれは私自身の意見なので、他の人がどう思っているのかは知らないし、異論があると思っている。前置きはこの辺りにして。
私はゲーム作品の動画を見てストーリーを把握し、好きになり、動画履修です!ゲーム作品をプレイせず堂々と発言して二次創作をするオタクが苦手だ。
ゲーム作品は買ってプレイしてなんぼだ。動画を見て、自分もやりたい!と自らプレイするのは良い事だと思う。実際、数多のゲーム会社が実況に許可を出したりしているのは、一部のそういった人に届いて遊んでくれる広告の為、と私は勝手に解釈している。
でも、自分で遊びたいと考える前に満足してしまう人々は絶対存在する。そして、遊ばないまま満足した上で二次創作に手を出す人を何人も見てきた。同人誌を出す人も買う人も何人も見てきた。
えっ?
自分の手で遊ばずに、自分の体でストーリーを追体験せずに、隠し要素や細かいテキストを探さずに二次創作するの?
そう思うのは、まずお金の面での話。
ゲーム作品を買ってもないのに同人誌を出すの?売るの?買うの?同人グッズも作って売るの?買うの?
そのジャンルを実際に自分の手で遊ぶことは苦手だけどストーリーが好き、キャラが好き、世界観が好きという理由で書いたり描いたりするのはあると思う。人には得手不得手がある。
でも、それでも、ゲームのパッケージを買うとか公式のグッズを買うとか、資料を買うとか、そういうことで好きになったお礼として、作品にお金を出すことは大事ではないのか?
他人のコントローラーと画面で遊んだ気になる、という感覚が私には分からない。自分の手でコントローラーを握って、ボタンを押して、スティックを倒してキャラクターを動かし、自分の手で攻略し、感動のエンディングを迎えた方がその作品に対しての思い入れも強くなるんじゃないだろうか。
動画を見て終わり、はもったいない。私もいくつか動画でストーリーを見きってしまった作品はあるが、見た後に自分で買ってあそび、既に知っているストーリーなのに感動で涙を流したことは何度もあった。
そういう理由で、ゲーム作品を遊ばずに熱く語ったり好きという気持ちを文や絵に投影したり、本を作って頒布したりする人をあまり好きになれない。だって、自分でゲーム作品を体験してないから。
動画で済ませた程度の愛の熱量なんてそんなもんなんだ、どうせすぐ飽きるんだろうな。
と、ゲーム大好きな私はそう思うわけだ。
まそんなことここ吐き出したところで、動画履修済みです!と堂々と発言する人は居なくならないけれど。発言してる人をよく思わない面倒なオタクもいるよってことで。爪痕を残しておく。おわり。
チャクシェスクが1960年代後半に、国力増強のために政令770というのを出した。
知ってる人も多い、中絶と避妊を超厳格に制限することで人口増を図るやつ。
その結果、国営孤児院で育つチャクシェスク・チルドレンが爆増した。
で、「未婚者による妊娠」を防止する、つまり胎児に必ず法的な両親が
存在する状態にするために、1986年から独身税が導入された。
ちなみに独身税と扶養控除や児童手当は実質的に同じこと(再分配)で、
全体の住民税率を上げつつ、出産・育児・教育に関わる社会保障制度を充実させていけば、
動物にも人にも感染するし、そもそも飛沫感染だから人がいなくても動物がいなくても感染するんだが
接触でも感染すると接触でしか感染しないを勘違いした末の出来事だと思う
でもおそらく
一部の人にとって見れば
これでいいのだろう
あーあ
個人的にはそんぐらいなっても仕方ないよなーと眺めていたんだけど、その大使館へイカれたリプが複数されていた。
何個かピックアップするとこんな感じ。
なのにそういうパフォーマンスをするのは、あなた達が元首相の発言でも全文を参照せずに報道を鵜呑みにしているからで、その対応からは「どうせ東洋人には人権意識が無いはず」という差別意識が透けて見えます。
Please study "the Shintou" which is a Japanese tradition.
"The Shintou" is a gender equality (paean of the woman).
It is lacking in study and thinks this exercise to be rude about Japan.
貴方がたの事を
一部の人は「森元首相の発言の全文をみれば、差別発言ではないということに気づくはず」という考えをもっているようなんだけど、自分にはどういうことなのか理解できない。
誰かわかるように教えてくれよ。
誰もが頭の良い人間は限られていると知っている。
なのにどうして誰もが「自分は間違っていない、他の誰かや社会が悪い」と思ってしまうのか。
「社会学者の中に一部おかしい人が居るからと言って社会学全体をおかしいと批判するのは間違っている」という擁護が有る訳だが・・・・・
正しい!非常に正しい、論理的に正しい
ただ、本当にそれで良いの?と思う
つまり、ある集団の中におかしい人が居たとしてもその集団をおかしいと言えなくなるわけだが・・・・
本当に良いの?
これまでずっとやってきたじゃん、オタクとかネトウヨとか地方とか公立中高とか、N=1の体験とかミクロの話をマクロに拡大して語ってきたじゃん、一部の人間を元に集団を語ってきたじゃん
どうしちゃったんだよ急に
良いの?出来なくなるんだよ?本当に良いの?今までやって来たそういう事、全部出来なくなるんだよ?
大丈夫?耐えられる?
本人は「できる!」って張り切るかもしれないけど、本当に?って心配になるよ、すぐに我慢できなくなって決め付け始めるんじゃないかって
はじめてのおつかい見てる気分だよ、ドレミファソラシドドシラソファミレドだよ
つまり俺は、君達は多分一部の例を以って全体を決め付ける欲に勝てないし、絶対またやっちゃうと舐めてる訳だけど、
実際そうじゃない?それ以外無くない?その未来しか見えないんだけど
勿論そうじゃ無い人も居るよ?慎重に論理的に言える事しか言わない人、でも極一部じゃん、大部分はそんな事出来てないじゃん
今まで出来て無かった事急に出来る様に成るとかあり得る?無くない?
無理だよぉ、止めときなよぉ