はてなキーワード: レジャーとは
自分が「なんでこの世って全知全能の神が作った世界のくせに、人間同士で争ったり、強いものが弱いものをとんでもない残虐な方法で虐げたり、人間の間に明らかな価値の優劣があったり、災害や事故や人災で沢山の人が不幸になったりしてんの? おかしくね?」
みたいなことを思っていたら、その天使っぽい人(見た目は覚えてないが、そういう役回りの人ってことはわかった)が出て来て、「だって人間も含めてお前ら全員、所詮俺らの下に位置する虫けらの役割みたいなもんなんだもん、人間の強い方弱い方もその他の生き物も俺らには大差ないし(意訳)」みたいな事を言った。
「神の僕のくせにその言い草酷くね?」と自分が思うと、「お前らだって平気で食べるために動物や植物殺すし虫とかも普通に殺すし、別にそのことなんとも思わないでしょ? そういうもんだから仕方ないって思ってるでしょ?(意訳)」みたいなことを言った。
ああなるほど確かにそうだわと変に納得して、「こんな奴らが上に立ってる、こんな奴らのボスが作った世の中が人間含めてクソなのなんか当たり前だな、救いなんか無いんだな」と思ったあたりまでは覚えている。
(自分が女神転生の主人公だったらそんな天使は仲魔と一緒に斬り殺して、そいつの上にいるヤルダバオートとついでに魔界にいるルシファーも斬り殺して、さあこれからどうしようと更地になった世界で呆然とするところなのだろうが、ただの人間なのでそういう事は無かった)
よもや神や天使が実在して本当にこんな事考えてるとは思わないけど、やっぱ所詮弱者なんて強者にとっては虫ケラ同然なんだよな、弱者救済なんて余裕ある強者のレジャーだよな、と考えざるを得ない夢だった。
中東やアフリカで貧しい者や女子供が虫ケラより酷い扱いを受けている事に遠くから憤れはしても、「あなたがウンと言えば、日本国民が明日からインターネッツ全部未来永劫使えなくなるかわりにアフリカの貧困問題が全部解決します」って言われても、きっと自分はウンと頷けないのだ。
各種メディアが発する北朝鮮情勢を「また言ってるよ(荒唐無稽)」と(心の中で)おちょくっている自分がいる。
この既視感って地下鉄サリン事件を起こす前のオウム真理教に対する見方。
"政界進出、出来る訳ないじゃん"、"ああ言えばjyoyou"
実際に事件が起こって驚愕。
旧式爆撃機ww http://sankei.jp.msn.com/world/news/130412/kor13041219330005-n1.htm
へ?それレジャー用のままじゃんww http://sankei.jp.msn.com/world/photos/130412/kor13041219330005-p3.htm
無慈悲ww http://www.j-cast.com/2013/04/12173049.html
15日は確実なのでしょうか?
iPhoneにした。
いまさらアンドロイドフォンからiPhoneに乗り換えた話は耳にタコが出来るくらい聞いたし、同じことをいっても意味がないのだが、正直言って非常に快適。
もちろん、一年以上使い続けた旧型機からの乗換ということもあるが、それを差し引いて、純粋な操作性というだけでもiPhoneに軍配があがる。
調べたいことがススっと調べる、予定をチェックできる、メモを取れる、そういった操作が直感的にストレスなしで行える。
しかしだ、なんでだかわからないが、アンドロイドでネットサーフィンしているときのほうが楽しいのだ。
ストレスフルなのに。
ただグーグルニュースとホッテントリを巡るだけで、なんだか楽しかったのだ。
辞書を引くように、息を吸うように。
実は、ウインドウズからMacに乗り換えた時も同じような感じを受けた。
ぶっちゃけ、マイクロソフトオフィスを使わなければならない理由がなければ、Macの方が勝手がいい。
静かだし、綺麗だし、操作が楽だし。
でも、Macでエロサイトみてオナニーしても盛り上がんないんだよね。
なんでかな。
先日、引越しをした。引越し先の駅前にはバス乗り場があり、そこからシャトルバスに乗ることができる。ヨーカドー行きの無料バスだ。
ヨーカドーは駅前から15分の少し離れた場所にあるが、かえって住宅地に近いといえる好立地だ。ここには衣類、食料品、生活雑貨はもちろんのこと、薬、化粧品、書籍、CDやDVD、美容院、歯科、眼科、クリーニング、靴の修理、マッサージ、旅券の購入など、生活するうえで必要なありとあらゆるものが集積されている。 若者はヨーカドーの中のゲームセンターでプリクラを撮り、ヨーカドーの中のボウリング場でデートを楽しんでいる。家族連れはヨーカドーの中のマクドナルドでハッピーセットを注文している。爺さんはヨーカドーの中の保険屋で50歳から入れる保険の説明を熱心に聞いている。ヨーカドーには生活の全てがある。
昔は個人商店や中堅の商店も近所にあったと聞くが、ヨーカドーの出現が全てを変えてしまったようだ。ヨーカドーの裏手にまわると、かつてスーパーマーケットであった廃墟や、かつて薬局だった跡地が残されている。
駅前から少し歩くと中堅のスーパーマーケットもある。実際、仕事帰りの買い物はこちらの方が便利だ。しかし、スーパーで買い物をすると、買い忘れをすることがままある。帰り道にはセブンイレブンがある。少し割高だが、スーパーに買い直しにいくよりはるかに便利だ。スーパーから自宅までの経路はいくつかあるが、その経路上には必ずセブンイレブンが出現する。どうも周到に出店計画が練られている気配がある。駅前徒歩0分の位置にもセブンイレブンがある。駅から帰ると、セブンイレブンの前を必ず1回は通過する。
ヨーカドーとセブンイレブンにライフラインを握られている。生活をしていると、たいていこのうちのどちらかに世話になる。どちらもセブン&アイHDの子会社だ。
とても厄介なことになっているのではないか、と思う。
店舗にはカメラがある。防犯カメラだ。防犯カメラの映像は普通、ハードディスクに記録されている。要するに、コンピュータに接続されたカメラが店舗の至る所に配置されている。俺らは犯罪者ではないが、否応なしに記録される。それが安全を担保していると俺らは知っている。だから受け入れている。
今、映像をチェックしているのは警備員。コンピュータではなく、人が見ている。
ところで、あらゆる経費の中で最も高いのはなんだろう。人件費だ。
だから、映像を監視するのはまもなく人ではなくコンピュータになるだろう。そんなことが可能だろうか? と思うだろうか。可能だ。
迷惑メールの検出に使われている、ベイジアンフィルタというアルゴリズムがある。ベイジアンフィルタはメールに何が書かれているのか、ということを理解することはできない。日本語は理解しないし、英語も理解しない。だが日本語や英語で書かれたスパムを検出することができる。ベイジアンフィルタがやっていることは単純だ。単語にスコアを割り当て、スコアが一定の値を超えると「どうやらスパムっぽい」と判定しているに過ぎない。とても単純だが、効果は抜群だ。
同じことを映像にも適用できる。犯罪者はたいてい現場を下見する。滞在時間、店内での移動距離、買った物の種類、など、精緻に見れば必ず異なるパターンが現れるはずだ。今時、コンパクトデジカメですらリアルタイムに顔認識するくらいの芸当はできる。SONYのは笑顔すら判定できる。企業で持っているサーバではもっと精密な分析ができてもちっともおかしくない。今ある技術の組み合わせだけで、「犯罪予見システム」を作ることはそう難しくはないはずだ。
もちろんアルゴリズムはミスをする。スパムフィルタも俺の母ちゃんからのメールを迷惑フォルダにぶち込む。だが、ほとんどの場合、誤検知は問題にならないはずだ。少しばかり余計にセコムさんを呼び出してしまっても、ほんとうの強盗が現れたときにセコムさんがいてくれたほうがいいはずだ。案外、おにぎりやお弁当を買ってくれてチャラになるかもしれない。
「万引きGメン」も不要なコストだ。そのための人を雇うくらいなら、カメラを増やして不法行為の現場を撮影し、アルゴリズムでアラートを上げたほうがよい。絶対に人件費より安くつくはずだ。証拠の写真さえ押さえることができれば、たとえとり逃しても、犯罪者は二度とセブン&アイHD傘下の店の敷居を跨げない。入店した途端に、犯罪者データベースと顔認識の結果のマッチングを行えばよいだけだからだ。
このように、俺たちの生活をコンピュータに接続されたカメラが取り囲む世の中が出現するのは規程路線だ。俺は10年ほど前に「エネミー・オブ・アメリカ」って映画を見て、「アメリカやばいはww」って笑ってた。今この映画を見ると、もはや単なる現実に過ぎないから、「何がすごいの?」ってなるだけだと思う。でも、この映画ですら、生活のシーンの大半を撮影するカメラを私企業が握るとは予見していない。
俺たちは、ヨーカドーとセブンイレブン、セブン&アイHDにライフラインを依存している。セブン&アイHDはカメラを持っている。サーバも持っている。
おそらく、短期的には、とても便利なサービスが次々と出現するのではないかと思う。
さきほど、顔認識について触れた。カメラは映像から人間の特徴を識別できる。これは今では簡単なことだ。もう少しソフトウェアが進歩すれば、「この人は何を見ているか」、「この人は誰を見ているか」くらいは判定できるだろう。ひょっとすると、とっくの昔にできているかもしれない。人が誰を見ているか、何を見ているか。それがわかる。
セブン&アイHDはそれをリアルタイムに握る。人間関係をそれとなく掌握できるということだ。「何を見ているか」もわかるはずだから、趣味の傾向などもわかるだろう。
ところで、「犯罪予見システム」の可能性について触れたが、ソーシャルグラフを使ってこの技術を適用するとどうなるだろう。
「過去のソーシャルグラフの傾向と照らし合わせると、そろそろこのカップルは結婚しそうだ」
「この人たちは住んでいる場所も違うし、今まで出会ったことは一度もないが、食べ物の趣向や映画など趣味の傾向が近いから、結婚すると70%の確率でよい家庭になりそうだ」
未だかつてない高精度で相性のマッチングを行うことができる。ほかにも、それこそTwitterやFacebookなどと連携してもっとデータを預ければ、もっと素晴らしいサービスが実現できるだろう。
とても便利。だからきっと俺らはこれを受け入れるだろう。防犯カメラを受け入れたように。
もう少し、掘り下げてこのシステムの応用を考えるとどうなるだろうか。「過去の事例」が蓄積していくと、アルゴリズムもどんどん賢くなり、予見できる物事の対象が広がっていくはずだ。ヨーカドーがもっと儲かれば、就職、レジャー、冠婚葬祭、ありとあらゆる局面で「予見」や「マッチング」が可能になるだろう。それがもたらすサービスが便利なら、俺たちは最終的にはそれを受け入れてしまうだろう。
俺にはそれのもたらす行く末がどうなるのか、見当がつかない。
これって健全?
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2013/02/post-eadd.html
なお、別に間違ってはいないけど不思議に思う解説が宮上徳重さんの手によってつけられています。宮上さんは過去にも良い記事をたくさん書いているし、自分が同意しないからといって宮上さんを否定するつもりはありません。が、音楽業界のコンサート収入の伸びというのはライブシーン全体で市場が盛り上がっているわけではなく、特定のジャンルの特定のアーティストが占める割合が大きいです。おそらくですが、日本人全体のレジャー消費において、音楽関連支出は減少しており、CD市場を取り除いた金額のその一定割合は着メロ・着うたとカラオケで、さらにそれ以外がライブ・コンサートおよび関連グッズ等とすると二桁%の伸びなんて結論はなかなか出てこないように思います。
ただ、これらライブ・コンサートなど興行・イベント業務も私らから見ますとコロモ業界なんですけどね。
あと、マスの衰退とかCDコピーによる被害とか、状況の変化はあるけど、結論から言えばあんまり関係ねえんじゃないかなあ。コロモ業界が「俺たちは無能じゃない。悪いのは海賊だ」と言いたい気持ちは分かるんだけどさ。ただ、そういうコロモ業界の右往左往を見て「だからコロモ業界のトップは旧態依然としていてクソだ」と言っちゃう外野もゴミです。あるいは金髪津田野郎。まあそんな感じ。
「この国はいったいどうなってしまうのか未婚率と離婚率が急上昇 2030年みーんな一人暮らし日本から家族が消えてなくなる」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34297
結婚も、子供を持つことも、「贅沢」なんだよね。必需品じゃなくて、贅沢品。
社会全体がどんどん豊かになっているときは、ほとんどの人がそれを持てたから、当たり前に見えたけど、それが当たり前だった時代のほうが実は少ないのかもしれない。子供に関しては、労働力として期待され得たころは、どちらかというと必需品だったこともあるかもしれない。でも、現代の先進国では子供は労働力になりえないし、そうすると子供は純粋に「贅沢品」になる。
「若者の車離れ」「レジャー離れ」etcと構造は同じなんじゃないかと思う。明日、今日より豊かになるんなら、贅沢品だって買うけどさ、明日きっと今日より貧しくなるんだから、そんなものに手は出せない。自分の暮らしが危うくなる。
いわゆるDQN層が車やバイクが好きで、遊び好きで、そして早婚で子沢山なのは、彼らが贅沢が好きだから。明日の自分の資産状況を考えずに生きているから、家庭と子供をもてる、あるいは持ちたいと考える。ヤンキーってブランド品好きだよね。ヴィトンの財布を持つ思考回路と早婚子沢山の思考回路はどこかでつながっている。今を楽しんで明日のことを考えない、ということ。そう考えられればいいけど、そうじゃない人のほうが多分多い。
じゃあ、どうすれば、って言われてもそんなの知らない。べつにいいんじゃないのって思う。家族を持たずに、自分一人の幸せだけ支えていく生き方があってもいい。身の程を知って、その中で満足すること、それってそんなに悪いことかな?
車を持たず、ブランド品を持たず、余計な買い物やレジャーをせず、家族を持たず、一人で生きていく。その幸せのあり方を考えなきゃいけないんじゃないか。物があれば、幸せだろうし、家族がいれば幸せになれるかもしれない。だけど、家族がいない幸せだってあるでしょ。ずっと昔から人間は一人で生まれて、一人で死んできたんだから。孤独と向き合う方法が知りたければ、本を読めばいい。哲学でも、文学でも。
家族のいる幸せ、それはその幸せに手が届く人たちが享受すればいいと思うんだ。みーんな一人暮らしでも、別に問題ないんじゃない?
あーあー なんでこんな国にしちゃったの?
「マイカーを所有する必要もないし、家を購入する人も減る。家族のためにプレゼントを買ったり、レジャーに行ったりすることもなくなるので、サービス産業も打撃を受ける。
日本人は子供にかける教育費が大きいが、単身者が増えるとこれも大きく削られる。塾産業は多くが消えてなくなるだろう」(経営コンサルタント)
大学卒業してもHello worldも書けない。
課長まで昇進しても Linuxのマウントすらできない程度の知識しかない。と経営職が怒ってる(大手SIer)
コミュニケーション能力だけアレば知識が無くても出世できる。
個人的には、プログラマーは知的産業だし、ゆえに50歳からが本番だし、中学生でもHello worldぐらいかけろよという話だし35歳で勉強を辞めるのはおかしいし・・・
いろいろおかしいことだらけだと思うんだが、でも、世界は上に書いた通り。いろいろおかしくなると思うんだが、それでも、何十年もかけてこういうIT戦略を続けてきた。
どうして、こういう未来が良かったの?と20年前30年前の人に聞きたい。
そういえば強姦って昨今は物凄く件数増えてる(ように見える)けど
いやそこは(ように見える)とか寝言こいてないで「増えてる」って断言してくださいよ。
断言するのに不安を感じたならば数字ぐらい自分で調べてみてくださいよ。
アレって再犯率も物凄く高いでしょ?
同じく。
まず、何に比べて高いんですか?
本当に?それは何を根拠にして言ってるんですか?
エビデンスゼロの前提から論理性皆無の華麗なジャンプお見事です。
「俺は思う」のはご勝手です。
その後法律は改正されてないですか?
性犯罪者から首かチンチンをもぐと社会から男女間差別がなくなるんですか。
それなんか根拠を持って言ってるんですよね?
再犯率も大いに減るだろうし、でも何でやらないの?
あなたの素晴らしいアイデアの拡張可能性を指摘させてもらえば、
性犯罪以外でも、あらゆる犯罪者の眼球を二つ以上もげばあらゆる犯罪の再犯率が劇的に下がると思います。
そうなんですか、すごいネタ握ってるんですね。
それメディアや敵対政党にバラ売りしていけば一生遊んで暮らせるんじゃないですか。
どうしろっていうんだよ全く。
素人の俺が悩んでも仕方ないってのに本当は国のお偉方が最優先事項として考えないと駄目な事なのに放置されっ放しでどうすんのよ
仕事とかレジャーは女性優遇で男性差別だって思ってるけど、じゃあ強姦罪はどうなの?て話になるとよく詰まる。
そういえば強姦って昨今は物凄く件数増えてる(ように見える)けどアレって再犯率も物凄く高いでしょ?
アレに対する刑罰が甘いから性犯罪が止まらないし、再犯率も高い=どこかで男性優遇女性差別が働いてるんだと俺は思う。
強姦罪に対する司法の認識の甘さは異常で、昔その量刑に関して自民、民主の女性議員が糾弾した事があったけど、結局無視されたままだよね。
性犯罪は有無を言わさず死刑ないし宮刑にすれば男女間の差別とかも無くなるし、再犯率も大いに減るだろうし、でも何でやらないの?
そりゃ政治家が性犯罪経験者で固められてるからじゃないの?男性優遇社会を守ろうとしてるからじゃないの?と最近思えてならないわけで。
どうしろっていうんだよ全く。素人の俺が悩んでも仕方ないってのに本当は国のお偉方が最優先事項として考えないと駄目な事なのに放置されっ放しでどうすんのよ
http://anond.hatelabo.jp/20120806205751
スポーツフィッシング、スポーツハンティングは、「食べるために動物や魚を狩猟する過程を楽しむ娯楽」だと思ってたけど、
「食べることを目的としない狩猟・漁」だから「スポーツ」と称するようですね。
食べるためでもないのに命を奪うのはたとえ対象が魚であっても嫌なので、「スポーツフィッシングは抵抗ない」と書いたのは取り消します。
最終的に釣った魚を食べるならば、あるいは鳥を撃ち落すのでも最終的に食べるならば、狩る過程をレジャーとして楽しんでいても問題ありません。
ただ、ウサギや鹿や熊やアザラシは、食べるために狩猟していたとしても、その殺す過程を楽しんでいたとしたら嫌だし、
楽しんでいなくても「素手で直接」殺していたら、その人とは付き合えない。
銃で撃ち殺す分には、その「手」が動物の血肉で汚れていないから、付き合える。
逆に、たとえ自分自身では動物を殺害してなくても、殺された直後の動物の皮を剥ぎ取るとか解体するとか内臓を引きずり出すとかしてたら、
触れられたくないと思う。結果別れるんだと思う。
食べるためでなく毛皮を採るためにウサギや狐や狸を殺すのは論外だし、たとえ自分で殺していなくても動物の毛皮を剝ぎ取る仕事をしている人とは付き合えない。
蛇やワニを食べるわけでもなく皮を採るために殺す仕事だったら、殺す過程を娯楽にしていなければ大丈夫かなあ?嫌は嫌だけど。
自分では蛇やワニを殺さず、殺された彼らの皮を剥ぐだけの仕事だったら、手を洗ってくれれば触れられても嫌じゃないから、付き合えると思う。
魚は鳥は虫は?動物実験する人は?漁師や猟師は?害虫駆除業者や害獣駆除業者は?兵士や軍人は?
多分私の許せる許せないの基準は、
「殺生の目的(食べるため・自分の命を守るためか、それ以外の非自衛的なものか)」と、
「殺害対象の種族・属性」と、
同じ殺生でも、直接対象を触って殺すよりも、触らず殺す方が許せる。
対象を確認できる殺し方よりも確認できない殺し方の方が許せる。
屠殺業者も動物実験をする医療関係者も動物を素手で殺していることには変わりないが、
後者はその「手」で殺した動物以上の生命を物理的に救う作業をしている。
屠殺業者も猟師も食べるために動物を殺していることには変わりないが、
後者は直接対象を触っていないし、対象との間に距離があるし、銃弾は刃物よりも殺傷した手ごたえが弱い。
素手で殺すより刃物で殺す方が、刃物で殺すより銃や薬物で殺す方が、銃や薬物で殺すよりミサイルや爆弾で殺す方が、自他共に殺生をしているという実感がなくなる。
実際奪った命の重さに変わりないから、実感がなくなる方が問題なのかもしれない。
対象の苦痛が軽減されるから殺生の罪が軽くなるという理屈からそう感じているのかもしれないが、逆に対象の命の重みを軽減することでもある。
阪神淡路大震災から震災遺児支援のボランティア活動に細々関わっていて、昨年の福島にも休日を利用して出張っていたりした。
夏になり、仕事が繁忙期に入ったのと、現行の活動内容に一定のめどが立ったのもあって、しばらく活動から距離を置いていた。
そして少し前、福島での活動を通じて知り合った人から、よければ手伝って欲しい事があるとメールが来た。
諸事情あって今は福島へ通う余裕が無いと返答したら、いや福島へ行く必要は無い。あなたのお住まい(相手は俺の住所を知っている)からそれほど時間がかからない場所だと。
それならば話だけでも伺いますと返事したら、紹介したい人がいると返事があり、会うことに。
とりあえずA氏としておく。彼とは喫茶店で合流し、そして俺に説明した。
端的に言えば、震災で保護者を失った子供達をこの近く(この近辺では一番大きな市)に呼び、レジャーランドに招待したり一緒に食事会を開いたりして親睦を深めようというもので、A氏が主催をつとめるボランティア団体がそれを取り仕切る、というものである。「会員制のあしながおじさんみたいなもの」とAは言った。
当然だが子供達の交通費、食費などは会員が払う会費から捻出される。食事代は顔なじみの店に話がついており、まとまった人数が見込めるのでリーズナブルでそれなりに贅沢な内容に出来る、と。
ボランティア歴がそこそこ長いので、こういった寄生虫のような連中は嫌と言うほど見てきた。ワードかエクセルで作られたようなパンフレットの最初の1、2ページを見た時点で断る気満々で居たら、Aはその空気をかぎ取ったのか、俺に別の紙切れを見せてきた。
『第一回親睦会』の参加予定者の名簿なのだが、全て小学生~中学生とおぼしき女児で、顔写真とセットで名前と年齢が記載されており、備考欄に「千円くらい」とか「1万円」などと書いてあった。
そしてAは声を細めてこう言った。
「最近の子供というものは色々と入り用なようで、『お小遣い』などを欲しがっている子もいますし…」
「一応、『食事会』は20時までという事になっていますが、迎えのマイクロバスは翌日にもう一度来ますので…」
『名簿』の中には俺が見知っている子もいた。当時小学五年生で、震災で父親と弟(妹だったかも)を自宅もろとも失った子だった。ただ、名簿の名前は別名だった。
『会費』の額が額なのでちょっと考えさせてくださいとだけ答え、見せられたパンフレットを受け取り、Aとは喫茶店でそのまま別れた
『名簿』も要求したが「今はこれ一部しかありませんので」と渋られたため、入手は出来なかった。
以上を洗いざらいぶちまけたつもりだったが、生活安全課の職員の反応は淡々としていた。
「情報提供ありがとうございます」「調査いたします」とだけ。
この顛末を冒頭のメールを送ってきた人に伝えると、涙ながらに謝ってきた。
「そんな事をする人だとは知らなかった」「子供達をとんでもない事に巻き込んでしまった」と。
知っている限りの人にこのことを伝えてくれと言い、そのまま電話を切った。
近隣の高卒男子達は軒並み結婚して子持ちになっていた。そのうちの半分くらいは無職だったり職歴無しで、もっと言えば、小さい頃から学校ヒエラルキーの下層に居たのが、就職できなかったり、就職しても低能力で上手く行かず実家に帰省したくちだ。当然、田舎に就職口は少ないので無職のまま家でプラプラ。でも、田舎にいれば、素朴で頭の弱い若い女の子と付き合ってるうちに、デキ婚。狭い範囲で生きている田舎の高卒アルバイト女子などにとっては、女子力だの年収何百万以上だのテレビの中の世界でしかない。「彼氏という存在」が出来れば喜んで夢中になり、うっかり子供ができてしまえば実家に反対されようが産むし結婚する。子供二人に、アルバイトの妻、おそらくあと十年は家事手伝いの夫、そんな田舎の若い家族たちは、家族のサポートを受けながらもレジャーや子育てを楽しみ、日々幸せに暮らしている。都会の味も、高等教育の味も、高所得の味も知らない。だから無理して求めない。手近な幸せが最大の幸せである幸せ。
902 ソーゾー君 [] 2012/04/01(日) 19:45:19 ID:00jU5gMEO Be:
地方分権で地方は地方で財政をやれなんかやったら農業なんか切り捨てられる…
例えば自然が豊かな事を売りにしている地方なんか即破壊される…
客を呼ぶためにレジャー施設を建てる…ゴルフなんか作ったら復活不可能になる…
資産家がやりたい放題になるだけだ…
有るところからガッツリ取って無いところに再分配しなきゃなりたたんのだよ?
無いんだから…
金持ちに金が集まる構造を作って地方は地方でって…出来るわけないだろ?
「金は出すけど口は出さない」
↑これが出来て初めて地方分権なんだよ…
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1329613996/
「ピースウィンズ」の大西さんが、前テレビで「災害ボランティアは長期的には有償ボランティアが上に立って、
無償ボランティアを取りまとめるようにするのが一番うまく回る」って言っていたよ。
http://anond.hatelabo.jp/20110420092551
あ、なーんだそれでわかった。
昨日も
何がプロだ お前は金もらって働いてもらうスタッフを使ったプロかもしれんが、ボランティアコーディネートはこっちがプロなんだよ
http://anond.hatelabo.jp/20110419222209
っていう人がいて気になってたんだけどさ(そして、質問したものの答えてもらえなかったんだけどさ)。
匿名ダイアリーの一部に激しく元増田を罵るリーダー経験者がいること、
その仕組みがもっとわかりやすくなる。
固定リーダー・有償リーダーのインセンティブは考えるまでもない。
彼等はボランティアに助けてもらう側ではなく、ボランティア参加者の側を向く。
タラタラした作業になっても参加者がレジャー気分で楽しめることを第一にするさ。
仕事じゃないから作業の成果をチェックする人間はどこにもおらず、
自身のリーダーとしてのパワーや報酬は動員人数によって担保されるから。
そして、ボランティアによって何かが解決されてボランティアが解散することより
同じボランティアが末永く「回り続ける」ことを目指すようになる。
そのリーダーとしての立場か報酬、もしくはその両方への執着が大になるほど
彼等が嫌がることは、
・自分や仲間以外の人間がイニシアチブに接近する(危険な潜在的ライバルである)
・ボランティア参加者の人数が減る(リーダーのパワー&報酬の原資が減る)
・作業内容をプロや専門家に見られる(自分より詳しい人間は要らないし、タラタラやってるのを見抜かれるのも困る)
っていうかぶっちゃけ
「善意に満ち溢れてる代わりに、シビアな経験はあまり無く、目と頭がボンヤリした、子供のような善人」ということになる。
「社会経験がそれなりにあり、作業効率や団体の構造をチェックする目がある、うるさめの大人」はウザくてたまらん。
原発が日本の発電量の3割を占めている現状では、不要な照明を消すくらいの節電では到底原発はなくせない。
抜本的に、社会全体で電力を削減しなければならない。
夏場のピーク電力を抑えるため、一般家庭では扇風機しか使わないことにする。
コンビニの消費電力の半分以上は冷蔵・冷凍だから、深夜営業禁止だけでは意味が無い。
通勤電車がピーク時電力を増大させているので、通勤が不要な就労形態に変える。
大規模工場は全て海外に移転。海外で生産できるものは極力海外から輸入する。
パチンコ、ゲームセンターは閉店。野球場・サッカー場はナイター禁止。遊園地は全て閉鎖。
2年以上前に考えていて、まぁ自分なりには納得して終わったことになっていことなのだが、
はてな匿名ダイアリーの書き方をやっとわかったので、もしかしたら有用な考えかもしれないと思うので公開するだけ公開してみる。
以下には私が考える「ゲーム」と言うものに関して、面白さの分析をするための枠組みを整理した。
ただ、これらを満たしていないからダメだと言うものではなく、期待したものとその「ゲーム」が提供するものが
どの程度フィットしているか?と言う視点で分析すべきだと考える。
現在、様々な形式のゲームが存在し、多種多様な楽しみを提供するに至っている。
近年のゲームは洗練され、プレイヤーの参加意欲(モチベーション)を維持するために様々な工夫が施されている。本塙ではゲームの面白さについて議論する枠組みを提供するため、「ゲーム」および「ゲームにおける楽しみの分類」を以下のように設定する。
ひとり以上のプレイヤーが明示的もしくは暗黙的に定められたルールのもとで主体的に活動を行い、各々にとっての最適解に至るプロセスを専ら楽しむ枠組み
使いやすいようにゲームが提供する楽しみの分類6つについて名前を付けておく。なお、これらの用語はすべて私の造語である。
ゲームが提供する楽しみは以下の分類のどれかに大別できると考える。
ゲームにおいて、より最適な解を導くことに直結するゲームのルールのより深い理解や法則の発見や学習による自己成長などの楽しみ
ゲームにおいて、最適解を求めるに当たり、より有利な状況を得る楽しみ
ゲームにおいて、他のプレイヤもしくはその代替との間における駆け引きや協力、また単純な情報のやりとりなど、様々な形での対話による楽しみ
ゲームにおいて、ゲーム内での活動によって発生する反応の刺激によって感じられる楽しみ
ゲームにおいて、物質的もしくはデータとしての報酬によって得られる楽しみ
なお、上記の楽しみを阻害する要因を極力排除されていることが望ましいが、難易度とのバランスは適切に設定されるべきである。
また、これらはプレイヤーが何を最適解と捉えるかにより、多少の判断の違いは許容されるべきであると考える。
(一般的には「インタレスト」を「ゲーム性」ととらえていることが多いと思うが、そこにこだわらない等)
もし論議をする場合、最適解をどう捉えるかの前提を確認することを強く推奨する。
自分がゲームを選ぶ時にもこの分析を適用し、自分がどのような要素を期待しているのか、どのような要素は受け入れる準備があるのかを把握し、
選択しようとしているゲームはどのような要素が期待できるか考えて判断の基準に使うとよいだろう。
もし、批判する場合、当初の想定した要素と実際にはどのような要素が強かったかを整理すれば、より建設的な批判になると考える。
あまりにも投げっぱなしな気がしたので、適用の仕方について、ちょっと追記。
たとえば、「将棋」のようなゲームでは「インタレスト」が支配的で補足的に「サクセス」があるイメージ。
一般的な「ギャルゲー」は「エンタテインメント」や「コミュニケート」が支配的だが、メタ視点のプレイヤがシナリオを深く理解することにより、
行動を変化させ、それが最適解につながるような構造を持っている場合「インタレスト」性があると考えても良いだろう。
「ひぐらしのなく頃に」と言った特殊なものは、本編をプレイ後、ネット等を通じて他者と意見交換すると言う現実世界での枠組みまで拡張して
ゲームととらえることにより「エンタテインメント」だけでなく「コミュニケート」を持ったゲームとして解釈できる。
でも、自然と触れ合うのは危険性も高い。たとえば登山で遭難。川遊びで流される。火遊びで火事。
旅行というのは、人間にとって都合の良い範囲内での行動だけをするから一見問題ないように見えるけど、自然の脅威は依然立ちはだかる。
突然の大雪で電車がストップ。大雨で土砂崩れ。人身事故(人間は何をするか分からないという意味で自然存在)。あいにくの天気でレジャーが台無しとか。
人間が作り出したきわめてリアルなフィクションの世界にはそのようなものは一切ない。全て人間に都合の良いものだらけだ。
観光旅行を求める人間にとって、フィクションというか娯楽の世界はまだまだ不十分なことは確か。
そもそも画面の中にしかないし触れることも出来ない。目と耳でしか楽しめない世界なのだから、自然と触れ合う体験をした人にとってはまだ不十分だと感じてもしょうがない。
これからどんどん技術が進歩すれば間違いなく自然と対等なリアルさと、都合の悪いことは一切起きない良心的な世界が手に入るようになる。
その時、人はむきだしの自然には耐えられない。むきだしの自然には、嫌なことがたくさんある。そこを我慢しろと自然回帰志向の老人たちは言う。だが、結局彼らも我慢などできない。
単に我慢できない人を見て俺は我慢できるぞと虚勢を張ってるに過ぎない。あるいは我慢の経験を積んでいるので多少長く我慢できるだけだ。
頭でっかちになった現代人は、何よりもまず「都合のいい世界」を求める。自然のように、何が起こるか分からない不確定な存在は不気味すぎて耐えられない。
ある程度マニュアル化してみても(ガイドブックなど)、結局不確実な要素は発生する。「何が起こるか分からないのが自然だよな」と得意げに語ってみたところで、実はうんざりしているかもしれない。
そもそも自然派な人間は都市のあまりの「不確実性のなさ」には耐えられない。時間はきっちりと決められているし、少しでも遅れればもう電車には乗れない。両方をとることは出来ない。
いやそもそも、旅行に行くときガイドブックを参照する人間というのは、自然の世界を制御できる人間の世界と同一視している。
あそこには何があり、こんな時はこうすればいい、あんなときはどうすればいい、こういったことをあらかじめ知っておきたがるのは、自然の持つ不確実さを解消したいからに他ならない。
結局彼らの求めている「都市にはない自然」というのも、実はむきだしの自然ではなく「捏造された自然」なのではないか?
これから捏造された自然はますます人間の生活、娯楽に組み込まれていくだろう。
鳥のさえずりが聞こえる雄大な森。しかしそこには気味の悪い虫は排除されている。突然雨が降ったりはしない。夜になって道に迷うと困るので、ライトもある。
こういった捏造された自然を体験するバーチャルツアーが次世代の観光となっていくだろう。
なにせ家から出ないことが一番の節約なのだから。電車に乗る、車に乗る、飛行機に乗る。全て物理的距離を移動するときに費用がかかる。かといって歩くわけにはいかない。時間がかかりすぎる。
多分、物理的現実に依存する物事というのは、料金を下げられる限界というのがある。もしその限界に達したとしても、人間が感じる疲労や、時間の消費といったものがついて回る。
ただ、今よりもさらに旅行が手軽になれば、自然回帰志向とその逆の都市生活志向の人間とがはっきりと色分けされるようになるかもしれない。
もちろん、自然回帰といってもそれは多かれ少なかれ捏造されているのだけどね。その程度の差が問題になるだろう。
未来を題材にした小説では、なぜか未来の生活は賛美されない。それは、書き手が自然回帰志向だからであり、バーチャルなもので満足する未来の人々を嫌悪しているからだ。
しかし結局脳にとって夢も現実も同じだ。どちらがよりリアルに感じられるかだけでなく、より「都合の良い」現実のほうを脳は選択するだろう。でなければ、なぜ今世紀に入ってからも都市の人口は増え続けているのか説明がつかない。本当に人間は自然に帰るべきなら、都市の人口は増えない。というか減るはずだ。
人間は自然の模倣以外には何一つ生み出せない生き物だし、都市が抱える問題を解決するために必要なのは自然の叡智だ。
重要なのは自然を情報化し自由に使えるようにすること。その時はじめて、都市は自然に勝利し、バーチャルな世界が自然を超えることになるだろう。
それを考えるとまだまだ人間には自然由来の知が少なすぎる。完全にバーチャルな自然で育つ「都市人間」が誕生するのはまだ先のことか。
http://anond.hatelabo.jp/20110120202412
うちの会社にも尋常じゃなくモテるマドンナがいるので、実態報告してみる。
会社規模は数百人。支社合わせると確か数千人。マドンナと私の部署は全国各支社の営業が顔を出すような所。
20代後半。
中の上くらいの可愛さ。10人いたら2~3番目くらい。
化粧は普通。マスカラだけちょっと多めだけどヒジキ睫毛ではない。
くちびるは薄め。デスクにリップを常備してこまめに塗りなおす。
髪型はセミロングのストレート(くせ毛なので縮毛矯正してるらしい)、暗めのブラウン。
基本はOLファッション、めざましTVのキャスターみたいな服装。あまり高めの服は着ない。
姿勢が良い。デスクワーク中も椅子にどっしり座らず、背もたれに寄りかかったりしない。
トークを自力で盛り上げる力がある。
集団で話している場合、話し手が行き詰ってるときにさりげなくフォローを入れて笑いに転換したりする。
話すときは相手の目をじっと見つめながら。
話相手から「○○なの?」と聞かれたとき、見つめながらゆっくりコクンと頷いたりする。
許される範囲で毒を吐くのが上手い。
自分の好きなもの、好きなことに対して聞かれたとき、濁して答えたりしない。
解らない言葉があったら、素直にその場で「○○ってなに?」と聞ける。しったかぶりはしない。
細かいうっかり行動をよくやり、それを報告してくる。
ex. ブーツで雪道歩いてたらハデに転んで膝を擦り剥いちゃったと、擦り剥いた膝を見せてくる。
1000円床屋に前髪を切りに行き、きっちり失敗して帰ってくる。
苦手な相手でもそつなく対応。だけど、見えない線を引いているのを感じる。
モテるので業務を手伝ってくれる人は沢山いるが、メイン業務は自力でやる。手伝って貰うのはサブ的業務か業務に関係ないもの。
どうでもいい事にはモテパワーを最大限利用する。
ex. 山崎春のパン祭りのシールを集めはじめると、3日ではがき30枚分くらい集まってくる。各支社の営業が春パンはがきを持参して来る。
同部署で既に3人が彼女に告白して振られているが、一切悟らせない。
飲み会等で好きな男のタイプを聞かれると、ウソとも本気ともつかない微妙なラインでお茶を濁す。
ex. 今年こそ次男か三男の彼氏を見つけて結婚します! とか言ってみたりする。
ごくたまに虫の居所が悪いときがあり、冷たい態度をとったりする。
が、しばらくして「さっき変な対応しちゃいましたよね?ごめんなさい。」と謝ってくる率高し。
たまに変な行動をする。
ex. 花粉症の時期に鼻水が止まらなくなり、鼻の穴にティッシュを詰めたままお仕事。
とにかく彼女は老若男女問わずモテているのだが、あんまり人に恨まれたりしないのは多分業務の手は絶対抜かない所にあるんじゃないかと。