2011-03-09

ゲーム自身の面白さに関する分析の枠組み提供

 2年以上前に考えていて、まぁ自分なりには納得して終わったことになっていことなだが

はてな匿名ダイアリーの書き方をやっとわかったので、もしかしたら有用な考えかもしれないと思うので公開するだけ公開してみる。

 以下には私が考える「ゲーム」と言うものに関して、面白さの分析をするための枠組みを整理した

ただ、これらを満たしていないかダメだと言うものではなく、期待したものとその「ゲーム」提供するものが

どの程度フィットしているか?と言う視点で分析すべきだと考える。

ゲーム自身の面白さに関する分析の枠組み提供

序文

 現在、様々な形式のゲーム存在し、多種多様な楽しみを提供するに至っている。

 近年のゲームは洗練され、プレイヤーの参加意欲(モチベーション)を維持するために様々な工夫が施されている。本塙ではゲーム面白さについて議論する枠組みを提供するため、「ゲーム」および「ゲームにおける楽しみの分類」を以下のように設定する。

この文章におけるゲーム定義

 ひとり以上のプレイヤーが明示的もしくは暗黙的に定められたルールのもとで主体的に活動を行い、各々にとっての最適解に至るプロセスを専ら楽しむ枠組み

ゲームにおける楽しみの分類

 使いやすいようにゲーム提供する楽しみの分類6つについて名前を付けておく。なお、これらの用語はすべて私の造語である

ゲーム提供する楽しみは以下の分類のどれかに大別できると考える。

インタレスト

  ゲームにおいて、より最適な解を導くことに直結するゲームルールのより深い理解や法則発見学習による自己成長などの楽しみ

サクセス

  ゲームにおいて、最適解を求めるに当たり、より有利な状況を得る楽しみ

コミュニケート

  ゲームにおいて、他のプレイヤもしくはその代替との間における駆け引きや協力、また単純な情報のやりとりなど、様々な形での対話による楽しみ

レジャー

  ゲームにおいて、ゲーム内での活動によって発生する反応の刺激によって感じられる楽しみ

エンタテインメント

  ゲームにおいて、物語感情移入、演出などによる楽しみ

プライズ

  ゲームにおいて、物質的もしくはデータとしての報酬によって得られる楽しみ 


補足

 なお、上記の楽しみを阻害する要因を極力排除されていることが望ましいが、難易度とのバランスは適切に設定されるべきである

 また、これらはプレイヤーが何を最適解と捉えるかにより、多少の判断の違いは許容されるべきであると考える。

 (一般的には「インタレスト」を「ゲーム性」ととらえていることが多いと思うが、そこにこだわらない等)

 もし論議をする場合、最適解をどう捉えるかの前提を確認することを強く推奨する。

 自分ゲームを選ぶ時にもこの分析を適用し、自分がどのような要素を期待しているのか、どのような要素は受け入れる準備があるのかを把握し、

選択しようとしているゲームはどのような要素が期待できるか考えて判断の基準に使うとよいだろう。

 もし、批判する場合、当初の想定した要素と実際にはどのような要素が強かったかを整理すれば、より建設的な批判になると考える。

追記

 あまりにも投げっぱなしな気がしたので、適用の仕方について、ちょっと追記。

 たとえば、「将棋」のようなゲームでは「インタレスト」が支配的で補足的に「サクセス」があるイメージ

 一般的な「ギャルゲー」は「エンタテインメント」や「コミュニケート」が支配的だがメタ視点のプレイヤがシナリオを深く理解することにより、

行動を変化させ、それが最適解につながるような構造を持っている場合「インタレスト」性があると考えても良いだろう。

 「ひぐらしのなく頃に」と言った特殊なものは、本編をプレイ後、ネット等を通じて他者と意見交換すると言う現実世界での枠組みまで拡張して

ゲームととらえることにより「エンタテインメント」だけでなく「コミュニケート」を持ったゲームとして解釈できる。

 「パチンコ」等は「プライズ」と「プレジャー」が支配的なものと言えるだろう。

 おそらくこの枠組みによる解釈は一般的なスポーツに対しても適用できると思われる。

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