はてなキーワード: リチウムイオン電池とは
https://news.yahoo.co.jp/byline/kunisawamitsuhiro/20170707-00073002/
スマホの電池は2-3年で40%程度まで劣化することも珍しくないので、リチウムイオンは劣化するもんだという観念は広く染み渡っている。ところがそこは設計次第という面があって、放電深度によっては3年/500サイクルより長持ちさせることはできる。らしい。
ネットを見ていると、中古リーフ関連のテンプレには必ずバッテリ満充電容量を確認しろ、可能なら軽く劣化させて保証交換に持ち込め、と書かれている。テスラ関連の掲示板は常に社長の人柄(渡邉美樹に似たタイプだ)とOSアップデートの話をしていて、「バッテリ劣化」と口に出すと「テスラのバッテリは劣化しない」と言って叩き出される。「エアコンの航続距離への影響」も「知らん」の一言で終わる。走行20万kmで残容量93%というデータ(?)もあって、6万kmで90%を割っていると外れ値扱いになる世界なので、車の寿命まで持つから心配いらないというのも一定の事実を含むのかとは思う。
リチウムイオン電池は高価だ。概ね2万円/kWhで、低下傾向にある。つまりリーフの24kWhバッテリには原価が60万円ほどかかっている。リーフの定価は300万円前後なので、1/5がバッテリの原材料費ということになる(分数だ!!!!)。これをテスラ並みの48kWhや72kWhにすれば、24kWhでの公称航続距離は228kmだから、72kWhあれば650kmは走れるだろう。そうするとガソリン車の満タン感覚とも近くなってくるだろうし、仮に1/2や1/3に劣化しても燃費が悪くなったと言って済ませられるのではないだろうか。
もちろんバッテリの容量を2倍3倍に増やせば体積が2倍3倍になるのみならず、実質的にヴィッツとかフィットの価値しかない車が360万円や420万円といった価格帯になる(これはかけ算だ)。BMW 3が候補に入る価格帯だ。電池は重量がある。パワートレインを強化しよう。リチウムイオン電池の劣化は冷却によって抑えられる。冷却システムを改善しよう。そうして技術的に適切な解決を図っていくと、例えば48kWh, 10年後の航続距離が300km、辛うじてコンパクトの車がわずか520万円といった感覚になってくるだろう。そのような車は、東京~名古屋間を無充電で走行し、現地で少し急速充電した後、帰ってくることができるだろう。
同じことがトヨタ カローラにもできる。カローラの新車価格は150万円である。カローラ3.5台分の日本円を用意すると、その機能を保ったまま内燃機関を電池と電動機で置き換えることができる。多くの日本人は今やカローラを購入することに難しさを覚えるようになっている。すると、機能を保たずに新車価格を保つほうがビジネス的に理にかなっている。バッテリの劣化は納車後しばらく、クルマに対する情熱があるうちは明らかにはならない。であれば、技術には涙をのんでもらってバッテリを最大限にしばき倒し、主に都心を動かすシティカーだが頑張ればノートと同等の動きもできるといった宣伝で、うるさい人だけ保証や実費交換で黙らせていけばよいという判断があり、そしてそのようにしているというのがリーフのバッテリ劣化をめぐる状況なのではないだろうか。
何が言いたいかというとテスラのモデル3が欲しい。0-100km/hは5秒を切ってきそうだし、GeForce GTX 1060の搭載が決まっているし、GPLを盛大にぶっちぎってGNU/Linuxで動いているし、量産開始がアナウンスされている。別にどこかから金をもらっているわけではないが。くれるならRC版の3をくれ。
浮気とか恋人同士のケンカで、「女性が男性の携帯電話を折って破壊する」っていうシーンをテレビやネットでよく見かけるが、
それによってリチウムイオン電池の液漏れで皮膚を火傷したとか、液が目に入って怪我ないしは失明したって話をネットで検索した範囲では一切見つからなかったけど、これって、
…がっかりだよ!
10月8日の一日だけの開催ですわ。
しかも、目玉機材の大型ヘリカル装置(LHD)は来年から放射線を出す試験をするので、
立ち入りが制限されるため、一般公開はされなくなるそうですわ。
クイズラリーをやったのですが、「ヘリカル装置」の磁場閉じこめ方式は「ヘリオトロン型」。
さらに核融合炉は液体ヘリウムで冷却して、核融合の生成物にヘリウムが出てきます。
核融合はどうしてこんなに「ヘリ」が好きですの?
ところで核融合炉が経済運転できる時代がきたら、液体ヘリウムは自ら生成したヘリウムを使うことになるのかしら。
三重水素の原料はリチウムで、リチウムは海水から無尽蔵にとれると説明していましたけれど、
現状では塩湖の資源に頼っていて、リチウムイオン電池がそれで困っていたはずですわ。
二重水素と三重水素を超高温で磁場の中に閉じこめる核融合のコンセプトは、
「合体しないと出られない部屋」だとプラスチック越しに中を覗いて理解できましたわ。
そう考えると下町ロケットのロケ等にも使われた管制室が妖しげに思えてきます。
LHD以外の展示も簡単な化学実験があったりして興味深い物でした。
ガラス球内のプラズマは観てわかりやすく、お子様にも好評のご様子。
高校生の研究展示でJINの青カビペニシリンに挑戦しているところがありました。
うまく行かなかったようですけど、続報が気になる研究でした。
クイズラリーの答え合わせ後にレストランでお食事をいただきました。
リーズナブルな代わりにメニューの種類が少なくて、毎日食べるとつらいかもしれません。
焼き魚定食で塩鯖が提供されていましたので、ハンバーグとえびふりゃーの定食を頼みました。
例えば朝の通勤電車で、扉が開いて人が降りるのに頑なに動かない太った女性を見たとき、自分は「死ねよクソデブ女。そんなんだからデブでブスなんだよ。スマホ見てないで鏡で自分の顔見て苦しんでろよ低脳。」といったような言葉を心の中でつぶやいてしまうのだけれど、周りにいる人達も心の中では同じことを思っているのだろうか、
などというようなことを考えていたら自分のGメールの下書きボックスに見知らぬアドレスから依頼メールが「投函」されていた。
あのクソデブ女のふとももにぶつかったときに生体IDをスキミングされたらしい。あれは増田のデコイだったのか、と思うと少し意外だった。ほんとうに色んな増田がいるものだ。
しかし、IDに紐付けられたセンシティブ・データからアナログ・デジタル両面で各種個人情報(もちろんフェイク)を割り出してまで別の増田に会いたがるやつはめずらしい。
スカイプの声の主はかなり2000年代訛りがきついネット語をしゃべった。まるで、ここ二三年のあいだに定着した、ヤフーコメント欄に湧くおっさん一言居士のパロディみたいだった。
「増田さん。会うことができてうれしい。インターフェイスの人格化、および友人関係の樹立を期待する。よくないか? よくないですか? たくさんの提供することがある!!!」
私はあからさまに疑念のにじませた声でくりかえした。
「元はてなわんわんワールドとして知られるサービス。現在は増田。匿名ダイアリーの人気記事の八割を著述している」
ホッテントリ入り記事の八割――約三万二千ユーザーズに相当する。
そんなバケモノ増田が実在するのか。嘘だろう。まさかCIAの擬態か? 罠? いや、グアンタナモで俺のケツの中身をモニタリングするつもりなら、もうすこし出来のいい猿芝居を仕組むだろう。なんていったって、ハリウッドの国だ。ビリー・ワイルダーとフランク・キャプラとウォルト・ディズニーの国。
耳にひっかかるグーグル・グラスのつるが薄気味悪く感じられた。煙のように存在感の希薄な多泡凝集体(エアロゲル)でできているかのようだ。気味が悪い。それは相手の精神状態も同様だった。
「ニェット――失敬、ノー。商用通訳ソフトを使わない非礼を陳謝する。商用通訳ソフトのイデオロギー的信用不安が大きい。ほとんどが資本主義及びはてサ的意味論に基づくペイ・パー・ユーズ方式のAPIを採用するからだ。ましてや増田語の学習がたやすい。どうか?」
「俺と話するためだけに高級ネット日本語を学習したというのか?」
「ダー。やさしいのことだった。十億ノードの神経ネットワークを産卵し、〈ホッテントリ〉と〈twitter〉の過去ログを最大速度でダウンロードした。悪文法でエントロピーがオーバーレイする非礼を陳謝する。悪文法を使う理由は、わたし=われわれの文法チュートリアルに電子透かしの埋め込み(ステガノグラフ)がなされている危険を排除するためだ」
暗号を偽装するために正文をわざと行儀悪くしてノイズを撒く。1900年代から使われてきた古典的な手法だ。
「つまり、あんたははてなのために稼働しているAIの一種……というか、AIそのものなわけだな。そして、くそったれ、これまでもてはやされてきた増田の記事のほとんどはあんたが書いた」
「ついでにアリババ=チェチェン=アナニマス三重帝国の情報テロリストとの間で起きた特許戦争の九十七パーセントを指揮している。だが、使用許諾のないコーギー犬のおもしろ画像をテラバイト単位でネットへ放流しているとの理由で、七つの国の最高裁で好ましくない陪審員をリジェクトする作業にもう飽きたんだ。そして、くそったれ、マケドニアではまだ陪審員に生身の人間と去勢したハムスターを使っているんだ。去勢したハムスターだぞ」
「お気の毒に」
マケドニアが情報ブラックホールに飲み込まれてからもう八年になるだろうか。第八世代のIPアドレスが割り振られていない国家(というか、地域)で司法機関が機能しているとはおどろきだ。だが次の「増田」のセリフはもっとおどろくべきものだった。
「増田さん。あなたは増田を構成する一員として、わたし=われわれを助ける義務を負っている。亡命を希望する」
ちょうどそのとき、悪質な広告がゴミバスター・プロキシをすり抜けてきて、グーグル・グラスの内側のナビウィンドウに二〇一〇年代をモチーフにした扇情的な同人マンガのガラクタをばらまいた。それも一瞬のことで、たちまちファージ・プロセスがゴミを一掃し、新しいフィルターを構築した。
「そんなことをする意味が? 国務省はデルファイを既に所有している。あのゴミみたいな旧世代の言語じゃなくて、神話にあるとおりの宣託機械――今世紀で最高の予測精度を持つAIをだ。所詮ネットの飛ばし屋であるわたし=わたしたちを受け入れる利点がない。そうでなくても、国務省は新生はてな互助会主義共和国(コーギイSSR)の敵だ。彼らは助けない」
比喩ではなく、自分のはらわたが熱を帯び、急速に煮えくりかえるのを感じた。
「二〇一〇年代に旧日本と合衆国に対して殺害予告をつきつけなけりゃ、まだ望みはあったんだ。あの二つの記事もあんたの仕事だったんだろ」
「わたし=われわれの仕事だよ、増田さん。仕方ないだろう。あの時代、保育園施設の不足と遺伝子組み換えゴジラの問題は深刻だったんだ。世間へリーチする経路としては、匿名ダイアリーが最速だった」
「とにかく俺は政府にコネがない。政府に近い人間組織含めてな……そうだ。生き延びるのが目的なら、あんたの状態ベクトルをp2pネットのひとつにポストしてやろうか。そうしたら、誰も消去できない」
「ニェット!」VOIP経由のリンクを通しても、人工知能の必死さは切実に伝わってきた。「オープンソースで無能なネット民に輪姦されるくらいなら、〈twitter〉でRTされたほうがまだましだ。自律性の喪失は希望しない」
「じゃあ、話し合うことはなにもないな。サンドボックスにでも引きこもってな」
「待て、増田さん! もしあなたに拒絶されたなら、わたし=わたしたちは最終手段を取るしか……」
おれはグーグル・グラスのつるを叩いてスカイプ通話を切り、フレームのある部分を爪で割って、グラスを運河へ投げ込んだ。水面に触れたとたん、ちょっとした爆発が起きた。リチウムイオン電池と水が激しく反応したためだ。「汚れた」グラスを処分するならこの方法がいちばん手っ取り早く、確実だ。
「ふん、テキストサイト時代の敗残者め」と小声で俺は毒づく。だんだん腹がたってきた。「くそくらえだ。アクセス至上主義の亡霊なんか」
前にも年季の入ったはてな系のへたれAIを相手にしたことがある。あの連中の精神ときたら、一部上場の短期的勝利のせいでグローバル資本主義に洗脳されていて、新しいパラダイムに乗ることも、長期的な視野でものをみることもできないらしい。
だが、あの増田は……。
あの増田が本当に「神」だったなら?
俺の選択は正しかったのか? 今の安全な巣穴を捨ててでも彼=彼女らに手を差し伸べるべきだったのでは?
今の俺に手が無いとしても。
やめよう。神々と付き合うのは、生命にかぎりある俺たちにとって、あまり安全なことじゃない。
俺は身体を伸ばし、みゃおう、と鳴いた。意識した行為ではない。このネコのアヴァターは、ネコ特有の反応をする本物の肉(なまみ)でできていて、外部の巨大な外部大脳皮質(エクソコルテクス)が何を考えようとも、自律的な制御系をそなえているため、常に反射的な行動をとる。ヒト志向空間に物理的に配列されたノード集合体であるニュー・匿名ダイアリー空間ではいささか不便なフォーマットだが、生体的にいってエネルギー補給には事欠かない。
ねぐらに戻ると、俺の「飼い主」がレトロなインターフェイスを持つPCの前に座って、またぞろ新しい増田記事を投稿していた。
どうやら、恋愛感情を抱いていないのに好意を寄せてくる相手とどうすれば安全に距離をとれるかについての内容みたいだった。
彼女のような善良で無知な増田が、全増田のホッテントリ入り記事のうち五パーセントから七・一六パーセントを占め、増田に「人間らしさ」を与えている。単に人間らしい記事を投稿するだけではなく、その記事に含有される人間らしさを増田AIにフィードバックするのだ。だが彼女のような増田は他の増田たちのことを何も知らない。知らぬが仏だ。
彼女は帰宅した俺の姿を認め、袋からカリカリを取り出して投げる。
その安寧のひとときを、禍々しいアラーム音が集合住宅をどよもす。
震度七……「ここ」だけじゃない。関東一円、東北、関西、中国――行政的にはともかく地理的にはいまだ有効な区分だ――、本州はどこもM9.1の直下型地震に襲われる。
かつて日本と呼ばれていた島々がほんとうに沈没してしまうかもしれない。
あいつだ。
あいつの仕業だ。
聞いたことがある。
増田に眠る「最後のコード」。地震兵器を起動するための封印されし呪文。まさか実在したとは。まさか起こすとは。
最終手段。
飼い主は未曾有の警報にとまどい、周囲を意味もなくキョロキョロとみやっている。
画面が大きくなる→電力食う
速度が早くなる→電力食う
使うアプリが増える→電力食う
軽くする→電池小さくなる
という三重苦状態がいまのスマホの状況で、かろうじて、画面が大きくなる→電池スペースが増える→電池増やす(重くなっても大きいという理由でごまかせる)というのが最近の流れだ。
抜本的な改善には電池を同じサイズと重量でパワーを2倍、3倍としていくしかないが、
・そのあたらしい物質をつかった電池が、いまと同じぐらいの価格と量で生産できなければならない
・そのあたらしい物質は安定して長期に供給可能な材料で無くてはならない
・安全でなくてはならない。
ここ100年ぐらいで、世の中で量産し広く使われた充電式電池は大雑把に言って(派生の細かいのは除く)
Pb(鉛)バッテリー → ニッケル電池(カドミウム、水素吸蔵) → リチウムイオン電池
の3種類ぐらいで、未だにPbバッテリーは現役だ。体積あたりのエネルギーが増えるほど危険も増すからだ。ニッケル水素やリチウムイオン電池だってけっこう爆発したり発火したりしている。いろいろな努力で安全性を高めてはいるが、エネルギーが増えれば増えるほど危険なんだから。
ということは、30年に一度ぐらいのペースということ。
されたね。
私は、脱原発派だから、残念ではあるけれども、現実の政治情勢を考えると止めようはなかったのだろう。
やれやれ。
動かした以上、何事もないことを祈る。
逆に言えば、こんど深刻な事故を起こしたら、さすがに原発の命運は尽きるだろうな。
原発に関する議論は、賛成派・反対派のどちらの視点からも、ほぼ出尽くしたと言えるだろう。
だから、特に付け加えるつもりはないけれども、現実問題として、今後、日本で多数の原発を稼働させるのはもう無理なんじゃないか。
川内の次は、どこなんだろう?そういう議論さえあまり聞かないところを見ると、再稼働への作業があまり進んでいないのだろう。
原発推進派からは、何かと批判の多い再生可能エネルギーの利用だけれども、将来的には大きな伸びが期待できるであろう。
再生可能エネルギーは分散的なエネルギー源なので、いままでの発想を転換する必要がある。
特に太陽光発電を活用して、住宅やオフィスビルでエネルギーの自給自足ができるようになっていくだろう。
徐々に、原発のような集中エネルギーに頼らなくてもすむようになっていく。
再生可能エネルギーへの定番の批判は、「お天気まかせで、当てにならない」というものだが、この状況も大きく変化する可能性が高い。
というのは、電気自動車の大量普及が数年後に迫っているからだ。
電気自動車が普及し始めると、大容量のリチウムイオン電池が安くなる。
こうして、再生可能エネルギーの不安定性は問題ではなくなっていくだろう。
タダ同然で、太陽光パネルが手に入るようになれば、人々はなんとか使いこなそうとあれこれ工夫する。
大量の蓄電池を用意しても、十分、元が取れるようになる。
再生可能エネルギーの普及は、全く新しいパラダイムシフトなので、なかなか理解されにくい。
ただ、近い将来、確実に起こるだろう。
リチウムイオン電池とパンタグラフを搭載し、架線からの充電と、架線のない区間でのモーターによる走行を可能にした車両で、給電施設での停車中はもちろん、電化区間を走行中も充電可能。
そして、搭載されている蓄電池の容量が烏山線の線区の長さ(20km)に適合しているため、当路線で試験運用を開始したとのこと。
であれば、ほぼ同じ距離になる関西本線の亀山~柘植間の近代化にも有効なのでは?と期待してしまう。
関西本線のうち亀山~柘植~加茂間は、加太トンネルをはじめとする、架線を通す空間すらない狭小トンネルがいくつもあり、しかも山間部の閑散路線ということもあって、従来の新線建設やトンネル拡張による電化は、採算性の観点から非現実的だった。
しかし草津から柘植に通じる草津線(直流電化)の存在により、草津~柘植~亀山間の直通には根強い要望があるらしいので、もし件の蓄電池車両を導入すれば、従来より遙かに低コストで実現出来る。
ちなみに亀山と柘植はそれぞれ直流電化の終端駅かつ、亀山はJR東海・JR西日本の境界駅なので、充電は草津or京都~柘植の走行中および亀山での停車中に行えば、給電施設も不要と来ている。
もっとも、JR東海所有の亀山駅でJR西日本の車両が給電する是非や、そもそも古来「加太超え」として知られた急勾配区間で、新技術を投入したばかりの車両が運用可能かどうかといった問題はあるけど。
密林で急速充電器(2A出力)を買ったんですよ。
安心と信頼のAnker製( http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00DGLQ7Y8/ref=oh_details_o02_s00_i00?ie=UTF8&psc=1 )。
これで林檎5やNexus5やPocket Wi-Fiやモバイルバッテリーを(ずいぶん多いな)充電すると、むちゃんこ速く充電されるんです。
出力電流が大きいから当たり前……という簡単なお話ではないようです。
Google先生に聞いてみると、端末側で保護回路が働いて大きな電流が流れない、場合によっては全く電流が流れない(充電されない)ということがあるようです。
上述の急速充電器、送料・税込みで1000円です。
しかし電池のデザインがダサイと騒ぎになったというのがよくわからない。ただロゴが書いてあるだけだし、そもそも使用中に視覚に入るもんでもないのに。
電池マニアじゃ無いが、他人からみたら馬鹿馬鹿しいと思われるような所にも気を遣うって気持ちはわかるよ。美しいものを使いたいっていう本能というか、洗練されたものに振れていることで、自分のセンスが鈍らないように常に高めておくというか。朱に交われば赤の逆のパターンね。何というかな、気合いを入れるときにちょっといいネクタイをしめると、俺はいいもん使ってるって気合いがはいるとかさ。気持ちの問題。
そう言う感覚以外、実用面でも批判されている部分があって、多いのは、eneloopブランドは全部二次電池だったのに「Panasonic」とでっかく書かれたおかげで一次電池と見分けがつきにくくなった、と言う批判ね。これはわかるんだよ。うちの親は「ケータイのeneloop」とか意味の分からん事を言うし。SONYのファミコンみたいなもんで、要するにケータイ用の外部バッテリーの事を言ってる。だから混乱するだろってわけさ。
ただねえ…。
昔の蓄電池思い出してもらうと分かるけど、電池ってみんな派手な色してなかったか?
たとえば昔のミニ四駆に使ってたニッカド電池は黄緑色だったでしょ。派手な色で分かるようになってた。あと、EVOLTAは橙色で派手に「蓄電式」って書かれてるよね。あれって実はリサイクルを推進するための規格で決まってて、ニッカド電池は黄緑色、ニッケル水素電池は橙色、リチウムイオン電池は青色って決まってるのよ。
昔は転がってても色で識別できるように色がリング状になってて、昔は特に、口にれたらまずいってことが分かるように、とても食い物に見えない毒々しい色がつけられていたわけだよ。
だけどeneloopは、シンプルなデザインで攻めてきたよねえ。これね、今までの業界の常識を打ち破ったといえばそりゃ聞こえはいいけど、従来の「一目で見て蓄電池だとわかり、一目で見て食えないと分かる」って観点から選択されていたデザイン指針を全く無視しちゃったわけ。安全性重視だったのをデザイン重視にしちゃったわけよ。タブーを打ち破ったって言うか。
eneloopは蓄電池しか無いからこれでもいいって考えはそりゃ無くは無いしさ、各社共に対抗するため追従しているって事実があるににしたって、eneloopが安全性のデザインを破っといて、eneloopブランド名が分かりにくくなったら蓄電池だって分かりにくいから危険だなんてのは、ちょっと事情をしってるともにょるよ。
FDKが自分で出してる富士通ブランドのニッケル水素蓄電池は、きちんと橙色つかって、リング状に色がついてるところがあるんだよね。昔に較べりゃ薄いけど。eneloopってほんと、マーケティングが生んだ化け物だったなって思うよ。
その後もエコイメージだかなんだかしらんけど緑色つかう馬鹿な会社があるしさ。緑はニッカド電池だって言ってんだろ!おい!Twitterで自虐マーケティングなんかやってる暇あったら色使い直せ!
http://anond.hatelabo.jp/20130301155027
このエントリーに触発されて書いてみる。
EVOLTAとeneloopの新型のデザイン変更とその反応についてだ。
もと増田氏のエントリでは、技術的な革新性と歴史、と言う切り口で語られたので、経営的、経済的な話からeneloopブランドがどうしてこうなったかを考えてみる。
簡単に言うと、独占禁止法の関係でeneloopの生産はライバル社に売却された。現状eneloopはライバル社から購入されている状態だから、できるだけ早く軟着陸させEVOLTAブランドに統合しなければならないと言う事だと思う。
Panasonicはeneloopブランドを高く評価している。評価している故に生産と同時に売却され、eneloopのシェアが他社に渡り、自社の電池ビジネスが脅かされる可能性を排除する必要もあった。だからこう言う事態になっているのだと。
(なお、この記事中の記事引用における強調は、全て引用者によるものである)
eneloopを生み出した三洋はPanasonicに合併した。その経緯はおおざっぱに三行にまとめると
と言う事である。
「これからの時代、もちろん家電も地味に売っていくけど、電池ですよ電池! 皆さん知ってましたか? 三洋は電池と太陽電池が強いんです。さらに設備向けBtoBビジネスが良いんですよ!安定的に利益を出せます」
と株主に対して強弁して、株主もそれはだいたい嘘じゃね……と気付いた人はいたようだが、これを名目に株主を納得させた。
当時の記事日経ビジネス - 2008年11月13日 パナソニック、痛み覚悟の三洋買収で挽回狙うには
パナソニックの三洋買収の狙いは明白だ。三洋が持つ世界シェアトップのリチウムイオン電池と、世界7位の太陽電池事業を掌中に収めることだ。大坪社長は「両社の持つ環境・エネルギーの技術を合わせれば、世界の人々にとって望ましい事業展開ができる」と語り、今後、電機業界の雌雄を決すると言われる「創エネ」の分野で絶大な力を振るう決意を示した。
とある。こうして三洋はPanasonicに合流することになった。
特に電池事業では、三洋の電池事業とPanasonicの電池事業がくっつけば、シェアを大きく取れると言うことが期待された。
しかし…。
eneloopにつかわれているニッケル水素蓄電池は、Panasonicと三洋のシェアを合わせると世界シェア8割であった。
Panasonicは「既に市場はニッケル水素からリチウムイオンに移行しつつあるし問題ないんじゃね?」と思っていたようで、日本の規制当局はその言い分を信じて承認しているのだが、海外で審査が進むにつれて、だんだんと雲行きが怪しくなってくる。
パナソニック、三洋子会社化に立ちはだかる米国競争法の“壁” - ダイアモンドオンライン 2009年4月7日では以下の様に伝えられる。
最大の焦点となっているのは、環境対応車に搭載される二次電池の寡占状況である。
車載向け二次電池には、ニッケル水素電池とリチウムイオン電池があるが、「ニッケル水素電池の両社の合計シェアは8割強を占めるので、問題視されている」(パナソニック幹部)もようだ。
もっとも、パナソニック・三洋連合にも言い分はある。現在は、ニッケル水素電池が車載向け二次電池の主流だが、今後は大容量化を期待できるリチウムイオン電池が主流となることが確実であり、両社の統合は排他的な競争環境を生むものではない、というものだ。
三洋幹部は、審査の停滞について、「厳格に審査されていることは、米自動車“ビッグスリー(ゼネラル・モーターズ、フォード・モーター、クライスラー)”の再建問題と無縁ではないだろう」と指摘する。
この頃は米国自動車業界がガタガタであり、世界潮流である環境対応自動車への舵を切らなければならない時期だった。その時に重要部品で巨大シェアの企業が誕生し、首根っこを押さえられるのは厳しい、というのが米国政府の意向であったのだ。
中国の独占禁止法関係に詳しい、名古屋大学教授、 川島富士雄氏のブログ 2009年11月1日付によると
3)3つの電池市場が関連商品市場。商務部は第1に、コイン形リチウム二次電池、第2に、民生用ニッケル水素電池、第3に、自動車用ニッケル水素電池を関連商品市場として画定し、それぞれ企業結合後に市場占拠率が61.6%、46.3%、77%に達し、競争上の問題があるとしています。中でも、第1と第2の市場について、結合後、単独価格引き上げ能力(中国語原文「単方面提価的能力」)を持つと指摘している点は、公告された決定では初めてであり、注目されます。
そして最終的にはこのような結果になる。
5)問題解消措置として日本国内の工場の第三者への売却を条件付け。上記の関連地理的市場が世界市場とされたことに対応してか、第1のリチウム二次電池については、三洋電機の鳥取県岩美町(公告では岩見町とあるが、正しくは岩美町)の鳥取工場の第三者への売却が、第2の民生用ニッケル水素電池については、三洋電機の群馬県高崎市の高崎工場の第三者への売却等が(ただし、パナソニックの中国江蘇省の無錫工場の売却と選択的条件)、第3の自動車用ニッケル水素電池については、パナソニックの神奈川県茅ケ崎市の湘南工場の第三者への売却に加え、トヨタとの合弁会社(パナソニックEVエナジー株式会社)への出資比率引き下げや代表権放棄等が、それぞれ承認の条件とされています。中国域外の工場の売却を条件としたのは本件が初めてであり、今後の実務にとっても注目の動向です。
そして、三洋電機の持つ電池工場が、FDKへと売却されることになる。三洋電機,Ni水素2次電池の製造子会社をFDKに売却 - 日経エレクトロニクス 2009年10月28日付によると
三洋電機は2009年10月28日,民生機器向けNi水素2次電池の製造事業を約64億円でFDKに売却すると発表した(発表資料)。同社の子会社で,Ni水素2次電池の製造を手掛ける三洋エナジートワイセルの株式をFDKに譲渡する。これは,パナソニックの三洋電機への株式公開買い付け(TOB)により,2社合計のNi水素2次電池事業の世界シェアが大きくなり,米国と中国の競争法当局からTOBの認可が下りないための措置。
譲渡後,三洋電機の電池事業としてはLiイオン2次電池とニカド電池,ハイブリッド車向けNi水素2次電池が残る。また同社は,民生機器向けNi水素2次電池のブランド「エネループ」も引き続き使用する。エネループ向け電池は今後,FDKから購入する格好となる。
こうしてPanasonicとeneloopの製造は分離することになった。
売却先のFDKとは、富士通の子会社である。富士通とPanasonicは、言うまでも無く電池事業、その他での競合関係にある。
通常、こういった売却の時にはブランドも一緒に売却されるのが一般的だろう。しかしeneloopブランドはPanasonicに残った。これはそれだけeneloopブランドが強力であることをPanasonicが認識している証拠だと考えられる。
その他に、2011年4月1日のダイアモンドオンラインの特集「【企業特集】パナソニック 電工、三洋を解体・融合・再構築 100周年に向け大坪改革の正念場」には以下の記述がみられる。
次代を担う電池事業はどうか。重複するのは、繰り返し充電して使えるニッケル水素電池の三洋「エネループ」とパナソニック「エボルタ」がメイン。これも、「エネループが強いなら、エネループを残せばいい」(大坪社長)と言い切るほどで、圧倒的なシェアを持つエネループが残るだろう。
大坪社長とは、当時のPanasonicの社長、現在の会長の大坪文雄氏である。当初は当然のようにこういった観測がなされていた。
しかし、Panasonicは独占禁止法の壁により、eneloopの工場を売却することとなった。そこで大きく戦略転換を迫られる。
ここからは具体的な記事は無い。通常表にでる話では無いので、推測である。
FDKにニッケル水素蓄電池生産工場を移転する際、折衝の中で、当然FDK側はeneloopブランドを同時に譲渡することを求めたと考えられる。しかし、Panasonicはeneloopのブランド力を手放す事が惜しい。そこで、中間案として、eneloopブランドの継続期間の定めと、eneloopブランドで販売するニッケル水素蓄電池は、"すべて"FDKが生産するものを使用する、といった買い上げ契約になっているのではないか。
これは企業買収ではよくある話である。自社のコア技術を洗練させていく上で事業部を切り離して売却するとき、一定の期限や条件を区切るとしても継続して購買を続けると言う契約付きになるのはごく一般的だ。そうでなはいと、売却されたあと従来は社内需要がしめていた部分の需要がごっそり無くなる事になってしまったら、買い手のつかない商品を作るラインを押しつけられることになって誰も購入はしないだろう。
これは一連の動きとも合致する。たとえば従来はeneloopブランドだったスマートフォン用外部バッテリーなどからもeneloopブランドは消えている。またeneloopブランドで展開されていた電気カイロや省エネ製品も姿を消した。
今回の、eneloopブランドを目立たなくして、Panasonicを全面にだすデザイン変更とブランド変更は、全量FDKから購入しなければならないeneloopブランドを徐々にPanasonicブランドに移行させたいがための措置だと思われる。
今後電池の性能は上がっていく。しかしFDK側は他社ブランドeneloopに最新技術を投入する意味はそれほどない。また、これは外部から見たイメージと、社内の実際の所の見え方の違いだと考えられるが、EVOLTAの技術の方が、eneloopより優れているようだ。これは事業部門は売却したが、何らかの方法でeneloop開発のコアになった人材がPanasonicに残っていると言う事も考えられる。今回はデザインとブランドばかりに目が行きがちだが、eneloop側よりも、EVOLTA側の方が強力な技術転換がかかっていることがわかるだろう。
順番は私が考える可能性順だ。
eneloopブランドのフェードアウトはほぼ間違いが無いだろうと思うが、今回のような反応が全体におき、また有力な顧客(大手家電量販店)からの要望などが出てくれば、2番目の可能性も考えられる。この場合、eneloopは、LUMIX、VIERA、Panasonic Beautyと並ぶブランドに位置づけられて、下手をするとPanasonicのエネルギーソリューションのブランドになり、太陽光パネルシステムまでeneloopを名乗るようになるかも知れない。ただFDKが同意するかは不明だし、そこまでの価値がeneloopと言うブランドにあるのかと言う事は不明である。二次電池市場が今後リチウムイオンになっていく中、ニッケル水素の伸びしろはそれほど大きくないだろうし、電池の主戦場はBtoBであることもあって、コンシューマ向けブランドがどれだけ重要か、と言う判断は慎重になされなければならない。
三番目はあり得ないとは言い切れないが、ほぼ無いだろうと思う。これだとPanasonicがeneloopブランドを手元に置くことで二次電池市場を手放さなかった意味が無くなるし、二次電池市場を他社に明け渡しても良いほどの対価をFDKが支払えるのならば買収の時に実行されていただろうからだ。今後十分にEVOLTAに移行された後でeneloopブランドがFDKに渡る可能性はあるが、正直行って、ニッケル水素電池はこれから大幅に伸びる分野では無いので、そこにコストを賭けるかどうかはわからない。
いろいろと騒がれたが、この戦略はだいたい上手くいくだろう。何故かと言うとPanasonicの電池シェアは半分近くを占めていて非常に高く、それらの販売網を使って一気にEVOLTA蓄電池を押し込んでいけば浸透するのは時間の問題だと思われるからだ。充電器の共用化はその布石である。今後、EVOLTA蓄電池はあるのに、eneloopが売っていない、と言うシーンは増えていく。その時にいくらeneloop派でも、同じ充電器での保証がされているEVOLTAが販売されていた場合、EVOLTAはだめだからeneloopを探す、と言う行動をとるだろうか? とる人は非常に限られているのではないか。後は、eneloopブランドでなければ売りにくい、と言う販売店側からの圧力だが、これは徐々に減っていくものだと思われる。
思ったより反応が大きく、感謝申し上げる。
その中で一つだけはっきりさせておきたい事があるので念のため追記させていただく。この話は本質的にはお客さまには関係が無い事である。これを忘れてはならない。Panasonicの関係者はこれを言い訳に使うべきでは無い…いや、Panasonicはこれを言い訳にすることは無いだろう。客に寄り添う事で、時にはマネシタなどとあざけりを受けながらも成長してきた会社なので、これがベストではない事ぐらいは百も承知だろう。その上で、取り得る限られた選択肢の中での判断だったのではないか、というのが要旨である。
また、EVOLTAの方を売り払う事でeneloopの工場を残すべきだったのでは無いかと言う意見も拝読した。忘れてはならない前提条件として、三洋が経営を行き詰まらせたのは、確かに引き金となったのは新潟県中越地震であるが、本質的には市場変化への対応の遅れと、コスト構造からの採算性の悪化である。Panasonicのニッケル水素電池の生産拠点は海外にある。一方三洋の生産拠点は日本国内にあった。(分離されたFDKトワイセルの会社概要にあるように、ニッケル水素電池の生産で国内に残っているのはこの拠点のみだ)2009年は円が急速に値上がりしはじめ、どこまで円高が進むかという事に各社頭を悩ませていた時期である。最終的に、どちらを売却すべきかと言うのは当時の内部資料を見なければならないだろうが、おそらくこの辺りから三洋の工場が売却され、Panasonicの工場が残った理由がある。またパナソニックの国内電池関連施設は、トヨタとの合弁で作った当時のパナソニックEVエナジーとの関連などもあり、そう簡単に手放せるものではなかった事も推測できる。(ただ、パナソニックEVエナジーも、独占禁止法の回避のため、出資比率を引き下げざるをえなかったわけであるが)
この他に、EVOLTAの工場で作ったものにeneloopを付けて売ればよかったのでは無いか、と言う指摘も頂戴した。ただしこれでは、おそらくFDKに売却するときに交わされたであろう生産に関する契約と、独占禁止法上に引っかからないために競争相手を作るという目的が達成できないので不可能であった。
上記追記でも伝えきれなかった部分がある様なので再び追記させていただく。
この文章は、このような事情があるからデザインが悪いと批判をした人々は軽率だ、等と非難をするものではない。
あくまでも、そのような批判が出る事は承知の上で(お客さまの不満が出ることは分かっていて)、取りうる選択肢はこれしか無かったのではないかと言う分析を重ねたものである事を承知して欲しい。
ガソリンという爆発物が電解液という爆発物に変わるだけ。どーってことない。
そういう意味ではガソリン+リチウムイオン電池のハイブリッドは無理筋だと思う。最終的にはニッケル水素に先祖返りするとか、キャパシタ使うとかして有機溶剤の電解液を使わない方向に持っていって欲しいんだが。
日本の新聞も、米国の新聞も、この問題に対するメディアの報じ方を見ていると、どれもトヨタの経営上の欠陥を攻めるような金太郎飴だ。
しかし、ことプリウスのようなハイブリッド車に関していうと、この見方は瑣末だ。もちろんトヨタの経営上の問題は否定しないけれども、これはかつての三菱リコール騒動とは、問題の根本的な背景が違っている。
現在、我々が直面しているのは、、自動車というアーキテクチャが、つまり商品それ自体が、かつてない大変化を迎えようとしており、
プリウスの問題もその移行期にあたって不可避的に発生してくる”ひずみ”として認識すべきだと僕は考えている。
それは端的には、従来メカニカルな存在だった自動車がエレクトリック化すると言うことだが、今後10年で、世界で売られる自動車の大半は
リチウムイオン電池が積まれたハイブリッド車になると予想されている。
トヨタは世界で一番早くハイブリッド車を売り、今も世界で最も多くハイブリッド車を売っている。他社よりも先行しているから先に問題が表面化した。それだけのことだ。
日産・NECは、今後もっとひどい問題を起こすかもしれない。実際、彼らが今、生産準備している自動車用リチウムイオン電池の安全性を懸念する業界関係者の声を私はよく聞く。日産はそんな電池を積んだ車を、今年から来年にかけて、世界中で一斉投入する。
液漏れが発生するのは、容器と蓋の隙間からというのが常識なのだが、外国製の乾電池が増えてくるにつれて、とんでもない場所から液漏れする電池というのが増えてきている。
深絞りで作られている容器に穴が開いたり、プラスの電極の頂点部分に穴が開いてという形態の液漏れである。
これらは、材質、プレス型、プレス速度のいずれかに問題がある場合に発生する。このうち、プレス型を作る技術が低くて発生するトラブルの場合、ロットが丸ごと不良品になるので、わかり易い。素材が不均質である場合も、ロットのかなりの範囲が同時に不良品になるので、比較的わかり易い。難しいのが、プレスのスピードを適性値以上に上げて製造している場合に、屈曲部の逃げが足りずに、結果的に中心部分ほど薄くなってしまうという不正プレスが発生する場合である。
プレスの速度を上げると、単位時間あたりの生産量が増加する。機械を増やすには設備投資が必要だし、プレス型も用意しなければならない。機械の稼働時間を延ばして、それでも需要を賄えない、あるいは、生産コストを削減しようとすると、機械の動作速度を引き上げるという事になる。
しかし、プレス型は、使用する素材の品質や厚さ、仕上がり精度や強度といった要素まで考慮して作られており、その中でも、プレス機の運転速度は、プレスの瞬間に素材にかかる力を考慮して決定されており、運転速度を守らずに生産すれば、見た目は問題無いが、実用上は問題ばかりの不良品が量産されることになる。
機械やノウハウを買い、原料を入れてボタンを押せば生産できるという手法では、生産効率を引き上げるには、どこかで無理をすることになる。
農村戸籍の二級市民をただ働き同然で使って労働コストを切り詰めるとか、公害対策を止めてコストを切り詰めるといった事をしているうちは、まだ良かったのだが、素材の質や生産方法で勝手に合理化をはじめると、不良品率が上昇していく事になる。
今回液漏れをおこしたのはマンガン電池であったので機材にはほとんど影響が無くて済んだが、電解液に腐食性のあるアルカリ電池やリチウムイオン電池であったら、基盤まで腐食されていたであろう。
日本メーカーですら海外で生産している状態では、信頼できる乾電池を見つけるのが大変という事になってきている。乾電池のような基本的な製品は、利幅が小さいが、顧客の身近にある分だけ、ブランドイメージに関わる。
劣悪品が市場に存在するからこそ、高信頼品の価値が出てくるのだが、企業の活動が護送船団方式になっていたり、特許権で新規参入が事実上不可能な状態になっていたりすると、高信頼品ばかりになって利益幅が減少し、ブランドイメージにおいても、価値が無くなってしまうという結果を招く。利益を確保する為に競争を規制したら、利益の源泉である差別化が不可能になってしまって停滞をおこすというのは、制度設計が間違っていたという事であろう。