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はてなキーワード: テーブルとは

2020-11-16

anond:20201116144120

しかテーブルの角が尖ってると転倒時にも危ないからな

anond:20201116144120

指定したい事柄増田場合テーブルの装飾ね)をHTML内じゃないところに別で用意しといて、それを設定として呼び出すって感じやで

から複数箇所で同じ設定をするときかに便利なんや

慣れれば大したことないし、あんま身構えずにやってみ



ごめん追記

ファイルを置くって書いてたからこういう↓ことだと思ったんだけど、他にもやりようはあるわな…久しぶり過ぎて曖昧だったわ

https://www.tagindex.com/stylesheet/basic/setting1.html

昔参考にしてたサイトなんやが分かり易いと思うからよかったら見てみ

2020-11-15

anond:20201114215954

プログラマだけど、これに関していつも思うのはそもそもプログラミング言語英語ベースなのがよくないということ。

機械語人間にわかりにくいか自然言語ベースにしたんだろうが、そうじゃなくて「人間にわかやす機械語」を開発すべきだった。

自然言語だとどうしても害しかないイレギュラー文法弊害に遭う。たとえばモデル名は単数形テーブル名は複数形みたいな規約が多いけど後者単語によってsだったりesだったりそのどちらでもなかったりとルールが違ってややこしい。その辺自動で生成してくれるフレームワークとかあるけどそのためにわざわざ不規則変化する単語辞書持たせてんだぜ。そもそも単数形複数形って何だよそもそも言語必要なのか?日本語にはないぞ。

こういう自然発生した事故みたいな自然言語のクソ仕様に振り回されながら機械に指令を出すってアホらしくない?俺はもう老害から若手はこの辺21世紀内に解決しろよ。

2020-11-14

anond:20201114214544

テーブルに付けないようにじゃない?

台におつりが乗ってれば、台やテーブルに触れずにお金だけ取れるでしょ

2020-11-12

これからコロナ罹患記録更新オンパレードになるんかな。

新年会忘年会無しやな。

月末の後輩の結婚式参列するんだけどどんな雰囲気なんやろ。

テーブルに2人とか、パーテーションで区切られてるんかな?

これから始まるこの特殊年末年始を括目してみようと思う。

anond:20201110174318

回るタイプターンテーブル式)はアンテナが固定の安物なんで回さないと温めムラが出るんだよ。

回しても中心だけ温まりづらいみたいなムラが出たりする物もある。

回らないタイプフラットテーブル式)はアンテナから電磁波拡散させるからさなくてもムラが出ない。

からターンテーブル必要ない。

2020-11-10

バーでのドリンクオーダーは「最低限の敬意」で出来ないのは客じゃない

Twitterより

炎上商法を利用して宣伝したい店みたいだたか

まれても行きたくない

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他の人の言及に、焼肉ジンギスカン?をガッツリ食べようとしている、バーテーブル写真

(この写真だけ見ると、普通居酒屋じゃん……って思う)

他の人の意見



最初の人の投稿、「俺面白いでしょ?」感のツイートが目立って

鳥肌立った。寒い。二度と見ない。

フレンチ・カンカンの穴あき見せパントップレスのショー

カンカンとの出会い

フレンチ・カンカン、というかラインダンスとの出会いは、おそらくは文明堂のCMだ。それからドレミファソネットどしたらできるの」で有名なso-netのCMだ。なぜかこのCMではおじさんの脚線美を見ることになるのだがそれはさておいて、Youtube検索すると今でも天国と地獄に合わせて踊る動画確認できる。

カンカン歴史、当時の見せパン

本題に移ろう。Can-can dressについてはウィキペディアではおおよそこのように述べている。ドレス基本的に何層にもなった大量のフリルがついていて、当時の下着の上に縫い付けられていた。脚は黒いストッキングや網タイツで覆われていた。つまりレオタード姿のソネットCMフレンチ・カンカンではないのである。足の動きの速さからしてまるで違う。

衣装ではなく、カンカンダンスのものについては、日本語版ウィキペディア英語版ウィキペディアで書いてあることが若干違う。おそらく英語から訳したときの版が違うのだろう。

両者の記述を比べてみたが、フレンチ・カンカンにおける見せパン起源はかなり曖昧らしい。足を思い切り上げてスカートの中が見えてしまう動きは、ショーの場では1820年代にアクロバット的な動きで知られるCharles Mazurierがバレエの大開脚を取り入れたことにさかのぼるようである。初期のダンサー娼婦セミプロ役者だけであったのだが、1890年代になるとムーラン・ルージュではトゥールーズロートレックの絵で知られるLa Goulue(食いしん坊さん、的な意味)やJane Avrilなどの高給を取るスターが生まれた。La Goulueのページでは当時の衣装とセットの見せパン確認できる。これらのスター生活は華やかだが晩年は不遇であることもあった。この二人もビジネスの失敗や大恐慌財産を失い、寂しく亡くなっている。

さて、カンカンは足を高く蹴り上げるので、当然スカートの中身が丸見えになる。しかも、それや当時としてはよりスキャンダラスであった。というのも、当時の下着であるpantalettesは衛生上の理由からロッチ部分が開いていたからである。要するに性器丸出しになるわけであるもっとも。そのあとにこんな記述がある。カンカンのための特別下着を用いていたという記録はないが、ムーラン・ルージュでは下着露出は禁じられていたことになっていた、と。どうもこのあたりの記録は曖昧というか[要出典]をつけたくなる箇所が多い。ウィキペディア普段自然科学記事を読むことが多いが、そこよりも曖昧記述が多い印象だ。文体もなんだか違う。

ところで、今のフレンチ・カンカンとして知られる、大人数の女性10分以上高度な振り付けを続けるスタイルは、1920年代アメリカで人気が出たスタイル逆輸入したものでそうである

実際、19世紀から20世紀初頭にかけては女性の脚部を見せるということでかなりスキャンダラスものとしてみられていた。また、陰部を覆う白い生理用(?)下着と黒いストッキング対照エロティックだとして見られていた。さらに、体を折り曲げてスカートを後ろからまくり上げ尻を見せる動作もあったという。先述のLa Goulueはこの芸で知られていたとのこと。また、前の席の客の帽子を蹴り飛ばすほど近づいて、スカートの中身を見せることもあった。もっとも、顔を思い切り蹴られる危険もあったのだが。

結論から言うと、当時のフランスに見せパンのものであったかどうかはわからないが、パンツが見えることは覚悟の上だった、ということになりそうだ。女性器が見えていたかどうかまでは根拠が怪しい。もっとも、今ほど表現自由でなかった当時のこと、そんなことを文学絵画で記録に残せたかどうかは怪しいものだ。ちなみに女性器を堂々と描いて当時の偽善的風潮に反発したクールベの「世界起源」が1868年ヌードスキャンダルを生んだ「草上の昼食」が1863年である

著名なキャバレーについて

パリはいくつも有名なキャバレーがあり、それは近現代芸術芸能に多大な影響を与えてきた。たとえば、ムーラン・ルージュ活躍した人物としてFrank SinatraやCharles Aznavourがいる。それらのすべてをここで述べるのは大変なので、地球の歩き方広告が載っていたと記憶しているものピックアップして簡単に述べる。子どもの頃、トップレス女性旅行ガイドに載っているのを見てドキドキしていたものだ。もっとも、その女性の姿はせいぜい五ミリくらいの大きさしかなかったのだけれども。

学生時代パリを訪れたときには、そこには寄らなかった。一日中美術館で過ごしてぐったりしていたし、まだ女性経験がなくて図々しくなれなかったからだ。今となってはいい思い出である

ムーラン・ルージュ

赤い風車で名高いキャバレーで、ここを舞台にした映画は数知れず。トゥールーズロートレック作品群でも有名。著名なダンサーも多く、全員を紹介するのはとても無理だし、別のキャバレーにも出演していて、キャバレー別に紹介するとややこしくなるので端折る。

ところで、ウィキペディアだけからヌードがどの程度ショーに盛り込まれていたかはわからないが、1893年舞踏会に裸の女性いたことがスキャンダルになったそうである。なんでもヌードモデルが活人画として周囲を歩き回り、裸の女性が深夜にテーブルに立っていたとのこと。一方、英国劇場のように活人画、すなわち生きた人間絵画再現する目的としてならヌード猥褻ではない、という意識もあったようである。例えば英国では劇場ヌードが現れたとき当局1930年代に裸の女性が動くことを禁じた。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように止まったままとなった(ストリップ記事を参照)。また、戦後日本でも「額縁ショー」と呼ばれるストリップのさきがけのようなものがあった。動かなければ猥褻ではないという謎理論がまかり通っていたのである。当時のGHQが何を意図していたのかはよくわからない。

これまたよくわからないのがゾラ1880年小説「ナナ」では、ヒロインがヴェリエテ劇場でほぼ全裸披露して観客を魅了するという場面があるのだが、実際のところどうだったのだろう? 本記事カンカンについてなので劇場ヌードについては語りつくせないので、今後の課題としておきたい。

1889年開業1915年に一度焼失するも再興し、ドイツ占領時代にも営業を続けて今に至る。

フォリー・ベルジェール

モネ絵画「フォリー・ベルジェールのバー」舞台としても知られる。また、黒人系の女性Josephine Baker活躍したキャバレーとしても知られる。バナナ型のスカート以外はほとんど身に着けていないエキゾチックな姿がオリエンタリズム流行した当時ヒットしたのだが、後にその恰好人種差別的だとされるようになり、そこからネグリチュード黒人意識の発展にも寄与した。また、彼女黒人人権活動家としても知られている。最近グーグル彼女の生涯を記念するドゥードゥルトップにした。

1869年開業1872年に今の名前になる。けばけばしい衣装で知られ、時としてヌード披露されることで知られる。

リド

映画「ファイアbyルブタン」で有名。セミヌードを含む映画公式予告がyoutubeに上がっている。身体をやわらかな特殊素材のように扱ったショーは性欲やエロスの向こう側に行ってしまっており、すごいものになっているとしか言えない。リンクを貼ったら怒られそうなので検索してください。もちろん、そこまで独特なものではなく、もっとわかりやすいショーもある。

ユニークなのはそのショーの一部をyoutubeの公式チャンネルで公開していることだろう。かなり古い白黒のものである。それと、公式ホームページ見ていたら驚いたのだけれども、リド自体には12歳以下の子どもでも入場できるそうであるヌードトップレスがないショーならOKなのか、それとも芸術ヌードならOKなのか。フランス映画年齢制限がないやつでも割と普通におっぱい出てくるし、表現規制の国ごとの温度差を示す実例であるのかもしれない。

1946年開業1920年代の人工的な砂浜をその前身とする。

クレイジーホース

ストリップティーズ」の項目によれば1960年代全裸のショーが行われた、とある

現に、創業者であるアランベルナルダン芸術性を伴った女性ヌードショーを見せるという着想に至ったそうで、要するに最初から全裸である

とはいえ、ただの全裸ではなく、巧みな照明技術により女性の裸体をキャンバスのようにとらえ、万華鏡のようなカラフルかつシャープな模様をダンサーの肌に映し出していることに特徴がある。ただ脱いだだけではないそうだ。1951年開業

余談

天国と地獄の曲を初めて聞いたのは文明堂CMと、音楽ファンタジーゆめでだ。後者CG黎明期であったせいかサイケデリック表現が多く、当時の感覚としても幾分薄気味悪いと同時に、今から振り返ってみると技術の未熟さ(失礼!)から来るアルカイック芸術のような独特の魅力があったように思われる。

ところで、この曲は地獄オルフェとしても知られている。タイトルからすると、ギリシア神話オルフェウスが死んだ妻を冥界から取り戻そうするとする話のはずだ。なのに、なんでこんな軽快な曲なのだろうと思って調べたら、ギリシア神話パロディ的なオペレッタからだそうだ。なるほど。

まとめ

今後の展望

こうしたレオタード姿のラインダンスカンカンではないと述べたが、それではこれはいからあるのか調べたい。おそらく日本国内では宝塚歌劇団関係している。また、バーレスク的なものとの関連について知りたく思う。そもそもバーレスクとは何か、僕はよくわかっていない。日本語版ウィキペディアバーレスクの記事には、乳首と陰部に前貼りを貼っただけの姿でパフォーマンスをする女性写真がある。リンクは張らないが、鍛えられたきれいな体だなあ、僕も筋トレ頑張らなきゃなあ、とは思う。しかし、欲望はそこまで感じなかった。隙がないのである

また、劇場において全裸が許容されたのはいからか、それも調べねばならない。

だが、まずはラインダンス調査に移りたく思う。

2020-11-09

「女は本当の事なんか言わないから、男が性行為を迫るべき」

先週末、居酒屋で隣のテーブル恋愛トーク的なことをしていた。

他人の話だし断片的にしか聞いてないからよくはわからないが、30歳前後女性男性の後輩(20代前半かな)が

相談しているような感じで、後半からなんか先輩から説教みたいになってた。

女性先輩の方の声が結構シャキシャキして甲高い感じなのでめっちゃ声が通って聞こえてくる。

その状況がすでにいたたまれないんだが、その説教の内容がだいたいこんな感じ。

・「恋愛なんて基本的に性欲に根差している」

・「女性は性欲を全員有しているが、言わないだけ」

・「性同意を取ろうとしても女性は本当の事なんか言うわけないので、男性側が迫る必要がある」

・「それが出来ないなら、それは男性側の落ち度である

それを熱心に聞いていた後輩男子は、今後どういう行動をとるのだろうかに思いを馳せて、

女の敵は女」なんてのも存外本当なのかもしれないな、と少しため息が出た。

2020-11-07

夫が天気の子DVDを買って持っていた。夫は映画館で一度観てるらしい。せっかくなので一緒に見た。今更ながらに初めて天気の子を見る。

家のテレビは夫が独身時代に買ったもの音響設備も夫が買ったものソファ置いたテレビ部屋は夫のこだわり部屋だ。ほとんど使っていないので自分はいらないと思うが夫は譲らず。まあ、今すぐ空き部屋が必要なわけでもない、と流してた。

で、天気の子

見た。映像は綺麗だった。あちこちに出てくるリアル景色やら商品なんかが身近で面白かった。が、映画ストーリー自体凡庸に思えた。わかりやす青春譚、初々しいラブストーリーを楽しむにも、ちょっと共感度が低かった。家出少年保護のために主人公達を捕まえに来ている警察大人相手主人公達が大立ち回りするシーンなんかは、大人側の視点で見て白けてしまった。子供を守るために働いている人たちを相手に、独りよがり正義感暴力振るって逃げ出して大人は分かってくれないとばかりの感傷ぶちまけて。迷惑で恥ずかしいったらない。

自分はそんなことを思いながら見ていたのだが、夫は嬉しそうに見ている。見ていた。ので見終わってから感想に困った。

夫が好きで買った作品なのだしと思い、なるべく褒めようと思うのだが、どうもうまく褒められない。絵が綺麗だったね、実在景色とか物とか出てきて面白かったしリアリティあったね、若者デートで見て楽しめる良い映画だね、などなど。でもあれこれ言ってたら、評論家か、と夫からは言われてしまった。うまく褒められなかったようだ。

じゃあなんて言うのが正解だったんだよ、とネットレビューを読んだ。映画館の大画面と音響で楽しむのが良いとのレビューや、ストーリーは前作と比べて浅いというレビューなどあり、自分感想もそう外れてなかったんだなとは思った。夫もストーリー鉄板から、と言っていた。じゃあなんて感想すべきだったのか。

有機なんちゃらだから黒が綺麗に黒いよ、と夫はテレビについて言っていた。夫は見ている途中でスピーカーを調整したりもした。夫はテーブルの上のゴチャゴチャも視界に入ると片付けた。…

おそらく

すごくきれいな絵で素敵な映画だったね、おうちの大きなテレビ音響ソファのお部屋で、映画館みたいに楽しめたね!とっても楽しかった!

これが正解なのだと思う。夫に対するレスとしては。

そうだ、映画を褒めると同時に、夫のこだわりのテレビ音響ソファの部屋を褒めるべきだったのだ。と今更わかっても遅いが。

2020-11-06

日本人サービスに金を払わないってやつ

より正確に言うと、一度提示された金額世界がひっくり返っても不変だと信じてるって感じだけど、海外で勤務してるとホントだなぁって思う。

現地企業なんてのは成長著しいアジアでも成熟している欧米でもとにかく追加で必要になったコスト顧客還元しようとする。

だって健全範囲インフレしてるから。モノもヒトも、家賃だって年に数パーセント上がったりする。

その上で現地の会社もしっかり採算を厳しく見てるからこそ値上げしたり、追加発生したサービスやら工数やらにはしっかり請求に反映させる。

だけども日系企業は一度提示されたコストが変わるという可能性を頑として受け入れない。

いや、そりゃコストが上がることを喜ぶ企業は少数派だが、マーケットの変動も含めたカントリーリスク事業として背負うということをせず、口を揃えて「日本市場特別から」とか「日系企業は厳しいから」と言う。

でもそれは、単に本土でのお客様気分に守られてるからもっと言えば甘えてるからじゃねぇのかなとも思う。

だって中国とかがいるけど、この先もっと金払いが良くて、注文もうるさくなく、何かあった時にしっかり協議テーブルについてくれる新興国バカスカ出てきたら、一体誰が日系企業相手をしてくれるんだろう。

でもなぁ、そう言う俺だってその末端なんだよな。

こっちの会社コスト要求を突っぱねるたびにキチガイを見る目で対応されるの疲れたよー

2020-11-05

anond:20200518144611

私も今は暮らしてないけど実家ゴミ屋敷で片付けると母が怒ってしまうから困ってた。

テーブルや床には紅茶のパックとか色んな紙ゴミが散乱してて片付けると「あれは大切なメモ用紙だったのに!」食器洗いしても風呂掃除しても「私に対する当てつけか!」

なので床はよくわからんほこり菓子クズ、壊れた道具、雑誌ビニール袋(買い物したら物を冷蔵庫とか定位置しまうじゃん。あれをやらないで必要ときに袋から出すわけよ。)だらけ、流しにはウジが湧いてるし冷蔵庫生ゴミ入れだし風呂場は黒カビびっしり洗濯物は何年も洗われず山積み。あと廃車同然の車もあってさー。あれらを親の死後に片付けるとしていくらかかるんだろ。鬱!

しかしああいう家に住んでるとすべてがどうでもよくなるね。やる気なんか出ないわ。

増田風呂入りたくないのもたぶん風呂場が汚いからっしょ?私はもう風呂カビと心が共生しきってたか別に平気で入っていたが〜。

いやーしかし、こういうところから出る方法が今ん所就職結婚しかないのまずい。

手帳があるとヘルパー呼べたりなんだりいろんな福祉が受けられるんだけど。手続きの体力が今増田に残ってなさそうだもんね。

個人的には最後の力をふりしぼって役所クソカスどもにフケをばら撒いてほしいが…。

2020-11-03

心象風景

今日の帰り道、長い塀とその中にある高い木々に囲まれ屋敷を見かけました。随分昔からあるような雰囲気でした。大きな門のところにはぴかぴかの監視カメラがあって、そこだけちぐはぐな感じがしました。

私は散歩が好きで、気がつくと三時間くらい歩いていたりします。この街はくまなく歩き回ったと思っていたのですが、まだ知らない場所があったみたいです。こういうことがあると、物語の中に入ったようで少し楽しい気分になります。ここはそんなに大きな街ではないので、もう何ヶ月かしたらきっと、本当に行ったことがない場所などなくなってしまうでしょう。そう思うと少し残念でした。その時が訪れたら、人に迷惑にならない程度に少しばかり酒に酔って散歩するのも良いなと思いました。そうして、意識がはっきりしていない状態で歩き回ると、「猫町」に出てくるような遊びができるかもしれないと考えました。

小説といえば、昔に村上春樹小説を夢中になって読んでいたことがありました。近頃はあまり読まなくなってしまったのだけど、日常から日常へとシームレスに暗転していく感じが好きで、今でも地下鉄に乗っている時や、古いホテルの長い廊下を歩いている時などに小説の情景を思い出します。

どうして村上春樹のことが頭に浮かんだかというと、今横を歩いているこの立派な屋敷は「1Q84」に出てくる篤志家の老婦人が住む家の描写に似ていたからだと思います塀の中にはほうれん草が好きなドーベルマンや、隙なく鍛え上げられた肉体を持つガードマンタマル氏がいそうでした。思わず空を見上げましたが、月は一つしかありませんでした。

小説の内容は断片的にしか思い出せませんでした。ただ、タマル氏が語った木彫りのネズミを作る少年の話ははっきりと記憶しています。その少年タマル氏が育った児童養護施設にいて、ネズミを彫ることの他に何もしませんでした。少年ネズミを彫る情景は、何故かわからないが心に残っていて、それは自分にとって大切なもののように思える、というようなことをタマル氏は言っていました。それが彼の心象風景なのだと。

1Q84を初めて読んだときのことはよく覚えていますお金がなかったので本は買えず、図書館はずっと予約待ちでいつ読めるかわからず、でもどうしても読みたかったので、きっと責められるのでしょうが、隣町の図書館に行った帰りに本屋立ち読みをして少しずつ読み進めたものでした。

その当時の私は、失意のどん底にいました。大学受験に2回も失敗したのです。高校卒業して就職し、少し経って色々なことが見えてきて、大学に行きたくなって、仕事をしながら受験勉強しました。そして失敗しました。頑張って溜めたお金もどんどんなくなって、やっぱり自分馬鹿なんだ、甘かった、叶わない夢を見ていたのだと思い知らされて、本当に惨めでした。それでも諦められなくて、図書館自習室に通って勉強を続けていました。

そんな折にウッカリ病気になり、入院して手術を受けなくてはならなくなりました。高額医療なんとかという制度でかなりの額が戻ってきたのですが、それでもやはりお金は減るし、大部屋だったので周りの病人なんやかんや干渉されるし、古い病院なので暑くて臭いし、とにかく最悪でした。

私の心象風景は、そんな時期に起こったある一日の出来事です。

その日も最悪な気分でした。手術で受けた傷が痛みました。術後から数日間しか経っておらず、しばらくは風呂に入れないでいたので、自分臭いのがわかって辛かったものです。

気分転換でもと思って院内散歩しているうちに、見知らぬ病棟に入り込んでしまったようでした。エレベーターで一番上まで上がると、屋上に続くドアを見つけました。

屋上には誰もいませんでした。洗濯されたシーツがはためく耳障りな音と、やかましい蝉の声だけが聴こえました。季節は夏で、真っ青な空と真っ白な雲のコントラストが憎たらしいと思いました。しかしながら病院屋上というのはなかなか絵になるもので、まるで自分小説の中に入り込んだような心持ちがして少し気が晴れました。ですが、そんな雰囲気で柵に凭れたら、熱された金属が肌を焼いて飛び上がり、格好が付きませんでした。ため息をついてふと見下ろすと、ある病棟の窓から内部が見えて、目をこらすと病室から廊下に棺が運び出されているのが目に飛び込んできました。

私はますます憂鬱になりました。それで、とぼとぼと病室に戻ると、点滴を引きずりながら歩いたせいで血が逆流してしまったらしく、看護師さんに怒られました。

落ち込みながら、歩き回って汗をかいたので着替えて、脱いだTシャツを流しで洗濯していると、明らかに大掛かりな手術をしたと思われる包帯ぐるぐる巻きの人がやって来ました。その人は壺のようなものを重たそうに持ってよろよろと歩いていて、とても怪しい人物のように見えました。それを流し台に置いて居なくなったかと思うと、しばらくして綺麗な花束を持って戻ってきました。壺ではなく花瓶だったのかと私は思いました。

その人にとって、かがみこんで花を花瓶に入れることも、蛇口をひねることも、そしてその後に運ぶことも難しい状態に思えました。普段は、困っている人に親切な行為をするのに随分勇気が要るのですが、その時は反射的に声をかけることができました。

病室のテーブルに花瓶を置くと、その人は小さな板(何回でも書いて消すことができる子供用のお絵かきボードがありますが、それに似ているものです)のようなものを取り出し「ありがとう、とても助かりました」と書きました。そして、手術をしてもう喋ることができないのだと続けました。私はその時初めて、その人が今まで一言も発していなかったことに気が付きました。

私は何故かその瞬間、自分を恥じました。しかし、そう思ったこ自体もその人に失礼で、恥ずかしく思いました。

視線を落とすと美しい紫色の花が目に飛び込んできて、見たことがない花でした。とても綺麗な花ですねと私は言いました。

その人は花の名前を教えてくれました。名前は聞いたことがありましたが、こういう見た目の花ということは知りませんでした。

そう言うと、好きな花なんです。母が持ってきてくれた。と答えました。

それからもう10年が経ちました。あの夏を過ごした翌年に、私は何とか滑り止めの大学合格しました。その後、機会にめぐまれて、大学院にまで進学することもできました。いわゆるロンダリングです。恥を忍んで正直に言うと、大学に入るまで大学院を存在することを知らなかったので、それを初めて知った時はなんだか謎めいた機関のように思えました。周りに院を出ている人などいなかったし、そもそも大学を出ている人も多くはありませんでした。今では、本の奥付に書かれた著者のプロフィールにX大学大学院X課程修了などと書いているのが目に入るようになりました。昔から色々な本をたくさん読んでいたはずなのに、きっと見えていなかったのでしょう。

20代前半で初めて東京に出てきて、育った環境の違いに打ちのめされたものでした。中高一貫学校出身の人々に囲まれて、私が初めからこういう場所で育ったならどうなっていたかなと考えましたし、今でも考えます奨学金の残りの返済額に憂鬱になることもしょっちゅうで、そういう心配がない人はいいなと思います。進学してから変な経歴を笑われたこともありましたし、ロンダだと陰口を言われたこともあって、そうした時は悲しくなりました。

でも、いつからか、自分自分人生をある程度コントロールできているのだという充足感があって、これは昔にはなかったものでした。ただ、これは、大学受験を乗り越えて「分断」を渡った(かもしれない)ことだけが原因ではないように思えます

何かがあって落ち込んだり、何かなくてもふと悲しくなったとき、あるいはただ呆けているだけのときに、あの夏の病院出会った包帯の人との出来事が、鮮やかな紫色の美しい花のイメージとともに浮かび上がることがあります普段は忘れていて、そのとき見たもの匂いや状況などがトリガーになって出てくるのでしょう。この情景はとても印象的ではあるのですが、別に感動的ではないし、大きく感情を動かされることもなく、さして貴重な体験だったという訳でもないように思えます

ただ、思い出したとき何となく心が凪いで、これは私だけが持っているものだと言う気持ちになります。多分ですが、自分にとって大事ものであるような気がするのです。そう思うと、タマル氏が言っていたことが理解できるような気がしました。

「俺が言いたいことのひとつは、今でもよくそつのことを思い出すってことだよ」とタマルは言った。「もう一度会いたいとかそういうんじゃない。べつに会いたくなんかないさ。今さら会っても話すことなんてないしな。ただね、そいつが脇目わきめもふらずネズミを木の塊の中から『取り出している』光景は、俺の頭の中にまだとても鮮やかに残っていて、それは俺にとっての大事風景ひとつになっている。それは俺に何かを教えてくれる。あるいは何かを教えようとしてくれる。人が生きていくためにはそういうもの必要なんだ。言葉ではうまく説明はつかないが意味を持つ風景俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。俺はそう考える」

2020-11-01

anond:20201031155410

北関東のクソ田舎だが、ウチら辺りのところだと

大工さんなんかにお願いした時には、

午前10時と午後3時には必ずお茶お茶菓子を出してもてなす

それ用に簡単椅子テーブルも用意するw

ウッドデッキで寝転んでたって気にならないな

2020-10-31

anond:20201031155410

とりあえず、ご自身社会に出て働いてみれば、わかることもあるんじゃないかな。

旦那テーブルで角オナしてるよ

我が家の向かいのお宅が現在建築中です。

洗濯物を干しに出たり取り込む時に目に入るのですがお昼休憩中の職人さんの行動が気になりました。

かいのお宅には屋根つきの大きなウッドデッキがあるんです。

職人さんが寝転がっている感じだと8m×4mくらいだと思います

職人さんたちが昼食をそのウッドデッキでされています

7、8人いる職人さん、寝転がったり外壁にもたれてスマホいじってたり。

ピクニックみたいにウッドデッキに直接お弁当広げて食べてその後ウッドデッキでお昼寝されてたりします。

この行動が不思議でなりません。職人さんにとって家はいわば作品というか商品ですよね。

お客様の注文で作っている商品、それを使用しているということだと思うんです。

主人が家具職人です。私も結婚前までは家具製作してました。

ダイニングテーブル作ってて、ある程度できて来たからとメモするときの台にしたりそこで食事したりなんて絶対しません。

椅子製作でもある程度出来てきたから休憩の時に座るなんてことないです。

(強度やガタつきの確認のために座ることはあります)

私が施主で、完成間近の家を見に行きウッドデッキ職人さんがお昼食べたり寝てたりしたら。

うーん、考えてみましたが嫌なような、職人さんとの関係によっては気にならないような。

ただ、同じ物を作る職人として商品をああ扱うのにはなんだか抵抗があります

家具と家の違いのせいだろうか、でも商品商品だし。

お客様より先に使用するのはどうなのだろうか。など悶々としてます

皆様だったらご自分の建てている新築住宅、覗きに行って見てこのような状況だとどう感じられますか?

2020-10-28

同僚の衛生観念

会社トイレに入ると洋式便器ウォシュレット

操作パネルのうえにスマホがあった。

クソダサいアクセサリ上司のものだとすぐに分かった。

トイレながらスマホいじるのもありえないのに、

例え一瞬でもその位置に置いたりするかね?

ポケットから落として気付かなかったとかなら分かるけどさ。

落ちてたのを他の人がそこに置いたとか?いや、それもないな。

そんな非常識な事しかねないのはその上司しか居ない。

トイレ出たとこに共用のテーブルあるから

マトモな人ならテーブルの上の除菌ティッシュで入念に

拭いてからそこに置くだろう。少なくとも自分ならそうする。

清潔感無いなぁと常々思ってたけど、やっぱ不潔人間だった。

それ以外でも嫌いだったが、生理的にも嫌悪対象になった。

それからソイツが触ったものは全て除菌してる。

2020-10-25

anond:20201024235335

皆さんこんちは増田です。

本日初めてコメダ珈琲さんに行かせて貰いましたのでその感想をお伝えしますね。

前々から今日があったんですがなかなか行く機会がなくふとはてブを見るとコメ牛なる物が美味しそうに見えましたので行って来ました。

時刻は朝9時、ウォッシャー液が切れた車でコメダ珈琲駐車場へ行くと既に多くの車が停まっていました。

中に入ると何名か尋ねられ一名と答えるとテーブル席へと案内されました。カウンター席はないのかな?

店内は家族連れやカップルが多く席は8、9割埋まっていました。

繁盛しているようです。

コメ牛を注文したいがメニュー表には載っていません。モーニングセットCを注文しました。

ドリンクを頼むとモーニングセットが無料で貰えるのですね。これは嬉しいサービスです。

コメ牛を探していると別のペラ一枚にコメ牛の案内がありました。

モーニングセットCのあんこは甘くて美味しいですね。

食べ終えた私はコメ牛肉だくだくを追加注文です。

しばらく待っているとやって来ました。コメ牛!

これは大ボリュームです。肉300gは伊達じゃないですね。

[ここで写真]

ナイフフォークが付いて来ました。

これはかぶりつけないので有り難い。

味は濃いですね。濃すぎるので私にはキツい。パンじゃなくてご飯と食べたい味付けのようです。

1時間半ほどかけて食べて店を出たのは11時すぎです。

満席待ちの人も5人ほどいました。

今回コメ牛肉だくだくを食べてみましたがモーニングセットの方が美味しかったですね。

今度からトーストを食べてみたいと思います

以上増田でした〜☆またね

2020-10-21

今まで生きてきて一番アホな怒られ方は、家族中華料理屋にきて料理おかれてる回転テーブルを「ルーレット!」って言って思いっきり回したら遠心力料理が全部ぶっ飛んでいった時ですね。

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