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2023-09-12

今日の事はどこかに書き記して、そして忘れたかたから、この日記帳に記して捨てるつもりだ。

 

昨日、初めて限界を超えて酒を飲んでいた。

自分は酒を好む性格ではなく、ましてや日常的に飲むことはない。

アルコール分の苦さがどうにも好きになれないからだ。

3%の酒くらいが関の山で、それでも2,3本飲めば終わりしておく。

その先に何があるかもわからないし、知りたくもなかったから。

しかし、昨日は家で1本、それも5%のアルコール摂取した。

理由は単純でむしゃくしゃしていたから。

その原因はもっと単純で、計画中の旅行の代金をもっと安くできたはずなのに、それを選ばなかった事を後悔したこと

そして、その後悔を覆すためのキャンセルができないと知ったことだった。

 

休学中の私は、時間があるのでバイトをしている。

そこでの月の収入10万程度。

しようと思えばもっとできるのかもしれないが、そうしたならば折角の休学中の身分を活かしきれないと思っている。

それに何より、休学後、つまり来年度の内定先の月収を超えてしまうのは、何となく来年から仕事に身が入らなさそうで嫌だったのだ。

そんな我が儘による月10万程度の稼ぎ。

それを優に超える出費というのは、慎重に選ばなければいけなかった。

それなのに、キャンセル不可。ついでに変更不可。

もっと安くする手段があったはずなのに、慣れていないという理由から友人に全てを任せてしまって、いろいろと決められた時には手遅れだった。

 

数万単位の金は戻ってこない。やり場のない感情だったから、愚痴を言うほかは無かった。

私は母に対し、愚痴を言った。

母がよくそうするように。

私はもう解決しないことを愚痴って、気持ちの整理を付けようとしたのかもしれない。

から解決なぞ、ないことは端から知っているのである

もっと働いて金稼げとか、過ぎた事なんだからしょうがない、とか、そんなありきたりの回答は欲しくなかった。

ただ、同情が欲しかっただけなのである

しかし、愚痴を聞いた母の回答は私の予想以上のものではなかった。

もっと働いて金稼げとか、過ぎた事なんだからしょうがない、とか、そんなありきたりの回答をくれた。

私はその回答を予想していた。母はその通りに答えた。だから最初から、濃いめの酒を私は準備していたのだろう。

それでは足りなかった。

 

いつもは母が愚痴を言う方で、それが逆転した希少な状況。

そして、私の愚痴の原因は、数万円程度の失敗。取り返そうと思えば、いつでも取り返せる額だ。

から、私を面白おかしくいじろうとする意図が見て取れた。例えそうでなくとも、私はそう感じた。

私はすぐに酒を飲み干し、買い物に行くと言って外に飛び出した。

そして、コンビニで濃いめの酒を数本買った。

 

外は幸いにも涼しく、天気が良かった。

日はすっかり沈んでいて辺りは暗く、住宅街を抜けた先の河川敷に移動してしまえば、辺りの暗さは一層に増している。

私は住宅街の街頭から零れ落ちる光を背に、酒をあおった。

まらなかった。

すぐに酔いは回らない。酔いが回っても楽しくもない。自分を責める声だけが自分の口から漏れ出していく。

から見ればきっとこれは、小さな失敗だろう。

だけれど、その大小を決めるのは私である

フラフラと立ち上がっては、千鳥足で足を進める。

途中で何人もの人々とすれ違ったはずだ。

自転車ヘッドライトペットの光る首輪ランニングする人々。

誰も私を気に留めない。

私は道を外れ、多分、草野球場であろう場所に寝っ転がった。

発狂した。

 

私は人に気を遣うタイプ人間である

ゆえに、他人の顔色を窺いやすく、主張の弱いタイプである

から、いろいろ上手くいったこともあるし、だからこそ、上手くいかなったこともある。

休学の理由もそうだ。

研究室という閉鎖空間において、パワハラ気質教授という最悪な人間にあたってしまったが、それでも魅力的な研究をしていると思っていたから、ついていこうと頑張ってきた。

だが、そんなもので人を見るべきではなかった。

研究という科学的なプロセスにおいても、科学事実よりも人格という感情論を優先して上に立つ者を選ぶべきだったのである

幸いにも私は、その環境を脱し、色々な苦労を経て、就職先とバイト先を見つけることができた。

ただ、私の性格というものは、どうにも変わり切れていなかった。

 

私は家族にさえも気を遣ってしまっていたのだ。

今は実家に戻っていて、いわば、居候のような状況で、居心地が良いとは言い難い。

から度々、客観的には帰りの遅くなる母を思いやって、主観的には居心地の悪さを緩和するために、そして、小言を言われないように、家事を手伝った。

そして、度々、私は母の愚痴を聞いてやるのだった。

それが私なりの気遣いであるはずだった。

 

さて、発狂した私の話に戻そう。

私は発狂のあと、酷くなる頭痛を治めるために水を買いにコンビニに行った。

水のペットボトル、酒の缶。

それを買って、再び、河川敷に戻る。

はずだったが、途中の神社で座り込んでしまった。

空を仰ぎ、水を飲む。頭痛はずっと続き、私を苦しめる。

だが、この頭痛もまた、私のせいなのだった。

旅行計画に失敗し、多額の金を払うのは自分のせい。

酒を飲みすぎて、頭痛が酷いのは自分のせい。

自分が何もかもの原因で、自分のせいであり、自分が悪いんだと、私は自覚した。

 

その時、自転車が通り過ぎた。

座り込んでいる私に一瞥もくれずに。

 

私は買って来た酒の缶を地面に叩きつけた。

噴水みたいに酒があふれ出す。

私の心の中のように。

 

気が付けば時刻は夜11時を回っていた。

既に4時間程度、経っていたことになる。

私のスマートフォンは、何の通知も受け取っていなかった。

 

それからどうしたか

膨大な数のラインを母に送った覚えはある。それを受けてから、掛かってきた母の電話に出る気は無かった。

私は、私がどこにも存在しないことを、知ってしまった。

これからの私も、これまでの私も、今の私も、他人の事を思いやるくらいはできると思っていた。

他人もそうであると信じていた。

傲慢だったらしい。

 

結局、今の私には実家しか帰る場所が無いので、帰った。

帰ってみれば、母は寝る準備を済ませていた。

私は一言だけ、たぶん「ただいま」とかいう当たり障りのない言葉を取りあえず投げつけて、ベットの上で、床で、風呂で、眠れない時間を過ごした。

一度だけ、母が目を覚ましていたような気がするが、あれは気のせいだったということにしておく。

 

そして、朝日が昇った。

私はまだ痛む頭を抱えながら、外に出た。

 

清々しい朝だった。

私の気分も晴れ晴れとしていた。

 

心の枷が外れたような気がした。

自分他人の事を見すぎていた。

どうせ、他人自分のことを見ていない。

そのことに気づいただけでも、十分だった。

 

他人他人しかなく、私には誰も興味はない。

私だけが私であり、これは私の人生だ。

思いやりは、最小限で十分だと気が付けた。

anond:20230911100839

「僕は神を信じてるねん」

新卒就職が決まった会社の同期内定者が、宗教団体就職するからって内定辞退したとき言葉

けっこう衝撃的だった。

2023-09-07

本当に俺はただの凡人なのか

初めてここに文章を残してみる。

こういう場所文章を書くのは初めてのことだから

改行がどうだとか、段落の後は1マス空けるとか、そういう文章上のルールは一旦無視する。

ダイアリーとあるからには自分語りも許されるだろう。

俺はもう30になる。

23歳で結婚して、26歳で1人目、

28歳で2人目の子に恵まれた。

27歳のとき田舎ではあるものの、

人並みの一軒家を購入した。

理想的人生だと思う。

クセのない、みんなが頭の中で思い描くような。

仕事についてもなんだかんだで

IT系会社で勤務していて、

それなりに出世できそうなポジションにいる。

要は「無難」と言える様な人生を歩んでいる。

しかし、俺は満たされているのかと問われれば

素直にYESと言えなかった。

これは安いプライドなのだと思う。


少し生い立ちを振り返る。

自分で言うのも憚られるが、

俺はきっと優秀な子だったはずだ。

小学生の頃に関してはあまり記憶が明確じゃない。

さな体でサッカーをして、

友達ケイドロをして、

ロックマンエグゼポケモンをしていた気がする。

中学生になったとき、俺は地元公立中に

進学して部活を始めた。

小学生のころからやっていたサッカーではなく、

バレーボール部に入部した。

バレー部に入ったのは、

サッカーJリーグジュニアユースチームで

やることになったからだ。

当時、俺の中学強制的

部活に入らなくてはいけない決まりで、

サッカークラブチームに入っている子は

サッカー部には入らない子が多かった。

理由は単純で、大会において

籍がクラブチームにある子は

中学のチームで試合に出れないからだ。

結論から言うと、俺はジュニアユース

全国ベスト8まで行ったし

u15日本代表合宿にも呼ばれた。

それと同時に、片手間のバレー部では

ジュニアオリンピックの県選抜に選ばれた。

俺は自分のことを天才だと思った。

それは当然驕りであり、

もっと自分を戒めるべきだとったはずだ。

でも、そんなことが15歳の中学3年生に

出来るわけがなかった。

ユースチームからの昇格内定も出ていたし、

バレーボールでも県内、県外の強豪から

スカウトが来ていた。

俺は将来、サッカープロになるだろうなと

当時は漠然と思っていた。

そうはならなかった。

怪我でも何でもなく、

俺は自分より年下の子にあっさりと負けた。

チームとしてではなく、個人として。

挫折を知らない自称天才は、

このとき簡単に折れてしまった。

俺はサッカーを辞めて、バレーも辞めた。

地元偏差値60程度の高校に進学して、

アニメオタクとして3年間を過ごした。

大学も同じようなものだ。


器用貧乏だった。

器用貧乏というには、少し器用すぎた。

俺のサッカー万年1回戦負けの学校でも

レギュラーになれないレベルだったら?

俺のバレーボールサーブカット

まともにできないレベルだったら?

俺の偏差値が40で地元工業高校に進学していたら?

もっと早くに諦めがついて、新しい道を探せていたんじゃないのか。

先にも述べた通り、俺は今それなりの生活を送っている。

それでも、後悔や過去への想いが絶えない。

俺は特別な誰かになれたはずじゃないか?と。

ここまで読んでくれた人たちが言いたいことはわかる。

俺もうっすらと、しか確信めいている。

きっと俺は何者にもなれない凡人だ。

何回繰り返してもそれは同じなんだ。

俺と同じような思いをしてる人もいるだろう。

これから俺と同じような思いをする人もいるだろう。

俺が自分人生を通して、言いたいことがある。

それは、「お前たちは凡人だ。早めに見切りをつけて、優れた凡人になれ。」ということじゃない。


お前たちが仮に凡人だったとしても、

お前たちが凡人である証明を時の成り行きに任せるな。

やれるところまで突き詰めて、

本気で何者かを目指してくれ。

そうじゃないと過去に思いを馳せるだけの凡人になる。

何者にもなれない。

ということだ。


俺は幸せな凡人を目指していく。

2023-09-05

[]Uー18所属GK鈴木翔、DF田曽野、金沢MF後藤FW星野来季昇格が内定

 オレオレFCは4日、同Uー18に所属するGK鈴木翔、DF田曽野、金沢MF後藤FW星野来季加入内定を発表した。来季加入内定GK有馬(トラ大)、DF赤堀(ナゴ大)、MF宮崎(チバ大)、FW植田(ナゴ大)に続く10人目となった。

 静岡県浜松市出身鈴木翔は183cmとGKとしては小柄ながら、鋭いセービングロングフィード、強肩を生かしたスローイングが持ち味。神奈川県横浜市出身の田曽野は186cm80kgの恵まれた体格を生かしたヘディングスピード、足元の技術に優れたセンターバック金沢愛知県稲沢市出身で鋭いドリブル武器に両サイドバックをこなす静岡県磐田市出身後藤ボール奪取に優れ、今季主将を務めるなど、キャプテンシーあるボランチ愛知県岡崎市出身星野は50m5.8秒の俊足を生かし、両サイドを主戦場とする快速ドリブラーと紹介した。

 いずれも今季は二種登録選手としてルヴァンカップに帯同。後藤星野3月31日柏レイソル戦でJデビューしていた。

 5選手クラブを通じて以下のコメントを残している。

 鈴木翔「来シーズンからトップチームに昇格する事になりました。ここまで支えて頂いた両親やコーチ、仲間には感謝の思いでいっぱいです。ここからスタートなので、感謝気持ちを今度はピッチ体現出来るように頑張っていきたいと思います

 田曽野「トップチームに昇格する事になりました田曽野です。自分の特長を最大限生かして、今まで支えて頂いたコーチや両親、仲間に感謝気持ちを持ち、将来はこのクラブを背負う選手になれるように、今まで以上に努力して参りたいと思います

 金沢来シーズンからトップチームに昇格する事になりました金沢です。自分武器スピード積極的攻撃参加です。これまで自分を支えて頂いた両親やコーチ、仲間に感謝気持ちを持ち、日々、成長していきたいと思います

 後藤来シーズンからトップチームに昇格する事になりました後藤です。今シーズン主将の大役を任され、トップチームとしても早い段階でデビューするなど、濃い1年を過ごしています自分を支えて頂いた両親やコーチ、そして仲間がいたからこそ成長できたと思います来シーズンからプロとして1試合でも多く出られるように精一杯努力して参りますので、応援宜しくお願い致します」

 星野来シーズンからトップチームへ昇格する事になりました星野です。自分の特長であるスピードドリブル突破、チャンスメイクを磨き、プロとしての自覚を持って、成長していきたいと思いますロイブルファミリアの皆さん、応援宜しくお願い致します」。

2023-09-04

超最高な無職期間過ごしてる

前職は退職済み、実家暮らし来年からかなりデカ自治体公務員内定済み、半年遊び回れる貯金持ち

最高すぎて草

2023-09-03

元彼のことが忘れられない。

別れてから半年が経とうとしています。けれど、忘れられないのです。

大学生の頃に出会って、付き合って。

私は就職し、彼は院に進学して。

2年後には彼も就職して同棲できるかななんてワクワクして。

卒業する頃になったら突然「博士に行くから2年待ってくれ」と言い始め。

話におかしなところがあるなと思って問い詰めたら実は1年前から留年が決定してて。

その1年後には実習先でやらかして実習を止められ、単位が取れずまた留年し。

そんな大変な状況だったけど、彼は毎週末、うちに来て泊まってくれました。

電車で1時間半かかる距離だったので、彼の負担が軽くなるようにと、電車で15分の距離引っ越しました

彼はとにかく忙しくてバイトができず、収入がないので旅行に行ったり出かけたりができず、ほぼ毎週おうちデートだったけど、それでも彼は電車賃をかけ時間を作って会いに来てくれました。頑張ってくれている彼を支えたくて、夕飯を作って待ったり、たまに外食をご馳走したりしました。

お金がないか誕生日のお祝いが何もない年が何度かありましたが、それでも会うたびに何度も「可愛い」「愛してる」と言ってくれました。幸せでした。

彼は私を両親や妹、祖父母に紹介し、たまに会わせるようになりました。

実家にも何度も泊まり、親公認の付き合い、もはやこのまま結婚するのだろうと思っていました。

彼の就活が始まるとさらに忙しくなったらしく、週末は家にも来ず、1ヶ月間LINEも来なくなりました。不安になって「最近就活どんな感じ?」と聞くと、「2週間前に1社内定もらって、待っててもらってるんだよね。来週、もう1社の最終面接行って、その結果で決める。」と返ってきました。

翌週の夜、私が彼の声を聞きたくて電話したとき、彼は「そういえば、内定くれてたところ、待ってくれなくなっちゃって。もうひとつのところ面接終わってから決めるでもいいって言ってくれてたのに。」と言い出しました。最終面接の数日前でした。

その後のある日曜日、また彼に誘われて、彼の祖父母の家に行きました。彼の妹の3歳と0歳の子供と、その家の犬も一緒でした。

祖父母宅に向かう車の中で、彼の妹が「そういえば面接どうなったの?」と彼に聞きました。

「あー、ダメだったんだよね。」彼は深い息をつきながら言いました。

「え?落ちたってこと?」と彼に聞きました。いつも話し方の柔らかさには気を遣っていたけれど、その時だけは気を遣えませんでした。鋭い言い方だったと思います

「そうだよ、本当は今日朝来た時に話すつもりだったんだけど。」私はそれに何も言えませんでした。

そこからは、涙を堪えるのに必死でした。いつも明るく振る舞うのに、笑顔なんて作れませんでした。ずっと窓の外を見ていました。犬の鳴き声が雑音に聞こえました。0歳の子の泣き声を聞いて、私も泣きそうになっていました。

途中で寄り道したスーパーで、私は彼と一緒に車に残りました。彼は0歳の子ミルクを与え、私は犬の面倒を見ていました。彼はずっと言い訳のような何かを言っていたけど、何を言っているのか全然わかりませんでした。

祖父母宅に着くと、0歳の子沐浴が始まりました。「増田ちゃんバスタオル持ってきて!」と妹に叫ばれ、彼女母親バスタオルを手渡され、風呂場に駆け込みました。

バスタオルを両手にかけて広げて待ってて」と言う妹と、お湯をかけられる肌色の塊を黙って見下ろして待っていました。

沐浴が終わると、3歳の子が剣のおもちゃを持って「増田ちゃんあそぼ!」と走り寄ってきました。

私はその時、私の電源を落としました。そして、社会向けの、明るく愛想よく振る舞う私を起動させました。「よーし、勝負だ!」と言いながら、3歳の子が振り回す剣を捕まえたり、当たって「うわーっ!負けた〜」と言ったりしました。

その後の食事中も、祖父母はずっと妹と孫に夢中でした。私はニコニコした顔のまま、祖母母親と妹の女同士の会話を眺めていました。まるで、知らない家庭のとある日常を描いたドラマを観ていたようでした。

食事が終わると、彼の母親が私に「食器片付けるの手伝ってくれる?」と言いました。彼はそれを見て「増田ちゃんお客様なんだからやらせないでよ」と言いましたが、母親は何も返しませんでした。私は言われるまま食器シンクに運び、彼の食器洗いを手伝いました。

彼は私に布巾を渡し、濡れた食器を渡してきました。私は無言でそれの水分を拭き取り、きれいに重ねていきました。

気がついたら、彼の家の最寄駅の改札前に彼と立っていました。祖父母からどう帰ったのか思い出せません。改札機を見た瞬間、社会向けの私のバッテリーが切れ、わっと涙が溢れ出しました。

彼はそれを見て、「今からちゃんと話そう。」と、改札前のベンチを指さして言いました。私はとにかく何もしたくなくて、「また今度ね。今日はもう無理。」と言って改札を通りました。時計は22時を回っていました。

気がつけば、彼と付き合ってから6年が経っていました。インスタは子供写真で溢れかえっていました。

私は転職し、新卒の頃の2倍の年収になっていました。

家にある彼の荷物を全部持って、彼に会いに行きました。彼は院を卒業し、実家就活を続けていました。

もう限界だと伝えると、彼は「俺は忙しいのに毎週末会いに行ったよ。増田ちゃんは俺に何してくれたの?それに明日、俺面接なんだけど。タイミングもうちょっと考えてよ」と言いました。

あれから半年が経とうとしています。けれど、忘れられないのです。

彼が誘って予約してくれた鳥貴族で、「金銭感覚違いすぎて無理って言うけど、いくら稼いだらいいわけ?」と言う彼のことが。

増田ちゃんと行こうって言ってたところ、どこでも良いかひとつは行っておきたいな」と言う彼のことが。

「仮の話だけど、もしもだよ、いくら積んだら復縁してくれる?」と言う彼のことが。

増田ちゃんエッチコスプレもっとしてもらえばよかったな」と言う彼のことが。

最近入社したところの上司パワハラがひどくてさあ」と言う彼のことが。

俺の妹増田ちゃんと付き合い始めた時、増田ちゃん写真見てブスだって言ってたんだよ。あいつも嫉妬してて可愛いよな。」と言う彼のことが。

「本当にあとちょっと同棲できるって思ったのに。割り切ったつもりだけど、やっぱ会うと可愛いなあ。好きだなあ」と言う彼のことが。

「じゃあ、体に気をつけて、元気でな」と言う彼のことが。

本当に、腹立たしくて、忘れられないのです。

私はずっと馬鹿にされていたんだと思います。嘘をついたり、何をしても私が笑って許してくれると考えていたんだと思います。本当に腹立たしい。

私の時間を、私自身をそうやって軽く扱われたことがとてもショックで、私はその程度の人間なんだと悲しくもなります

風呂に入っている時、化粧をしている時、ふとした時に彼と彼の家族言動が蘇って頭を支配され、それに怒ったり悲しんだりします。

私は来月、3LDKの家に引っ越します

一緒に住む彼は私のことを尊敬できる人だと言って、突然生花を買ってプレゼントしてくれます

急にトラウマフラッシュバックして泣き出す私を心配して寄り添ってくれます

先日、友達から増田ちゃん元彼マッチングアプリにいたよ」と教えてくれました。

プロフィールを見ると、29歳社会人1年目、年収200〜400万、身長171cm、実家住み、という、なかなか難しそうな条件が並んでいて、ざまあみろと思いました。

別れてよかった、今とっても幸せ!そう思うのに、やっぱり、元彼のことがふと頭に蘇って、忘れられないのです。

2023-09-01

[]野河田監督勝負の残り10試合”へ「ガムシャラにやるだけ」2日、アウェイ新潟

 オレオレFCの野河田彰信監督勝負の残り10試合へ意気込みを口にした。2日のアルビレックス新潟戦(デンカ)に向け、福井県内で非公開調整をしたロイブル軍団練習後、指揮官は「もうこっからは内容やないから。ガムシャラにやるだけなんで、ウチは。1試合、1試合全力で戦うだけ」と強調した。

 【写真練習後、取材に応じる野河田監督

 天皇杯準々決勝から中2日、新潟も同じ条件だが、本拠地というアドバンテージがある。野河田監督は「相手残留争い、ウチは上を目指す戦いで一つも落とせないからな」。メンバーについては「(天皇杯は出場出来なかった)植村や藤崎あたりは。あとは怪我人も復帰してきてるんでね。出てないメンバーとか、ウチは色々なキャラが多いから、そういう選手を起用、ベンチ入りするとは思いますね」と、調子のいい選手を見極めながら、日替わりで起用する方針だ。

 

 前節は首位横浜FMに4ー1で勝利し、現在リーグ戦3位。30日の天皇杯準々決勝では2位ヴィッセル神戸PK戦の末に下し、クラブ最高の4強入りを果たした。首位との勝ち点差は7。開幕前は降格間違いなしと評されたチームは台風の目となった。「ここまで勝つと思ってなかった。やっぱり選手に力があると思うし、みんな自信つけてという感じよ」。まだまだ伸びしろを感じる若きロイブル軍団運命を左右する残り10試合を戦い抜く。

○…ナゴ大FW植田来季加入が内定

 オレオレFCは1日、ナゴ大FW植田の2024シーズン加入を発表した。今季JFAJリーグ特別指定選手として登録され、公式戦に出場できる。背番号は49。

 愛知県名古屋市出身植田は189cm84キロクの大型ストライカーポストプレーと俊足を武器今季名古屋リーグで22得点と量産。オレオレFCには大学2年時から練習参加していた。

 植田は「この度、来シーズンから加入することになりました、植田です。まず自分に関わってくださった全ての人には感謝気持ちしかありません。そして、大学2年時から練習参加させて頂き、このクラブプロキャリアスタートできることを大変嬉しく思いますロイブルファミリアの皆さまに多くのゴールをお見せできるように熱く、泥臭く闘います応援よろしくお願いします」と、クラブを通じてコメントした。

○…日本サッカー協会(JFA)は1日、10月8日に行われる天皇杯準決勝の会場を発表し、ロアッソ熊本と対戦するオレオレFCロイスタに決まった。

2023-08-28

anond:20230620104704

私は1966年まれ還暦近い老人ですが、この年は「丙午(ひのえうま)」と言われる年で、この年に生まれるとあまりよろしくないという迷信があり、前年の1965年には出生が185万人あったのが、この年は四分の三以下の135万人しかなかったという年でした。当時の人はまだ迷信とか気にしていたんですね。

こんな年に生まれるとどうなるかですが、まず大学受験がだいぶ楽でした。当時はの大学定員は40万人ほどで現在の60万人ほどと比べるとかなり少なく、進学希望率は今ほど高くないとはいえ人口が多いので大学新入生の半分は浪人しており、受験地獄と言われていた時代です。当時私大ブームなる不思議現象が起きていて代ゼミが我が世の春を謳歌していました。

しかし、前年に比べ25%人が少ない1966年まれだけは楽でした。浪人が多い時代だったので受験者数も25%減とはいきませんでしたがそれでも前年や翌年に比べ競争はゆるかったとは思います。このおかげで怠惰な私も大学に入ることができました。

ちなみに当時は医学部がとても簡単で、琉球医学部ボーダー偏差値55位、聖マリアンナ大だと偏差値45位だったと記憶しています。今では考えられないですね。

そして1989年就職となるわけですが、当時は「バブル景気」というやつでとにかく無駄に景気が良いため企業採用意欲が異常に高い時代でした。前年もそうでしたが更に人口の少ない私の年代だとどうなったかというと大学生の奪い合いです。各企業がろくに選考もせずどんどん内定を出し、すると内定者にどんどん蹴られていくので更に内定を出しなんとか内定接待をして囲い込み採用予定人数を確保することが人事の仕事。という時代でしたからさすがに人気業界トップティ企業はそれなりの厳しさはありましたが、日経225クラスで良ければ怠惰学生でも大抵はどこかに入れたような感触でした。

入社後も新人時代飲み会タクシーが捕まらないのでハイヤーで帰ったり、新入社員ビジネスクラス出張したりという狼藉を働いていました。世の中にも会社にも金が余ってたんですよね。とはいえ初任給は今より低かったですが。そしてバブル崩壊します...

こんな感じで甘やかされた学生生活を送ってきた1966組ですが、氷河期の皆さんの話を聞くと申し訳ない気がしています。そして自身幸運迷信を気にせず産んでくれた親にひたすら感謝します。

と同時に、おそらく今の出生年80万人世代受験就職はずいぶん楽になるのではないかという気がします。景気は分かりませんが産んで子供感謝される確率は他の世代よりきっと高いですよ。

2023-08-21

地方から努力しても東京では中の下くらいの人生

親は物心つく前に片方死んで、家父長制の権化のような毒祖父に叱られ続けた学生時代。毒祖父のせいで家庭は崩壊してた気がする。

物理的に包丁向け合ってた家なので子供が得るべき基本的安心感みたいなのはまれてないと思う。何をするにも劣等感にまみれてたし、運動音痴だし、友達は少ない。インターネットに救いを求めてた。当然ブスでオタク承認欲求けが育ち、当たり前だがスクールカーストで地を這う。田舎でむくむくと恨みを育て続けた。自分を取り囲む環境の全てに復讐たかった。

で、まずは大学受験をしたけれども経済力偏差値が足りず県内進学。私は頭の出来も普通に悪かったようだ。死にたい。ただし、国立だったので地元では「頭の良い学生」になれた。ギリギリ自尊心が壊れずに済んだ。ついでに目の上に線を足す整形もした。

だがカスみたいな地元で上位層になっても仕方ないので「地元結婚して子供を産みなさい」という大人たちを振り切って上京企業就職した。

希望業界だった。まあまあの大きな企業。唯一、業界内で貰えた内定

希望職種ではなかったが、こんな自分なんぞが業界に入れただけで誇らしかった。あとゴミみたいな地元からも足を洗えて最高だった。このままコネ作れば希望職種に就けたりして、と妄想してた。第二の人生始まると思ってた。

が、同業界希望職種に就いてる人間を見ていると圧倒的すぎる。

東大卒です」

センター利用でMARCHは受かってたのでそこから大学選んだよ」

実家23区内にあるだけだし?」

「(品が悪いのに生まれ持った顔面で許されてる奴)」

仕事なんか適当でいいからね〜」

実家家賃として毎月3万円納めないといけなくて大変なんだよ」

「同業界の最大手に受かってたけど、弊社の方が雰囲気良さそうだったから選んだんだ!」

ふざけんな。

こんなに恵まれてる奴らと同じ職種を目指してたのがバカすぎる。同じ土俵で戦える訳あるか。家柄、経済学歴容姿、すべて最初から持ってる奴らに勝てる訳ねえ。初期条件が違いすぎる。

ところで、こうしてやいのやいの言ってる自分職種だが、先輩には高卒の方がいる。仕事ができる人というのは分かるし尊敬もしてる。ただ、なんか色々頑張ったけど東京に住む高卒=地方Fラン国立大卒は同じレベル仕事をやらされるんだなと思いやりきれなくなった。そもそも最終学歴出身地にこだわってる自分ゴミすぎるしな。あーマジで何だこれ。

自分がそんな愚かなクソボケだと認めたくなくて足掻いている。頑張ってることしか取り柄がないので、この頑張りを諦めてしまったら○ぬしかない。

自分が首を括るか、希望職種転職できるか、幼少期の環境全てが爆発するか、そのどれかでしか報われない気がする。助けてくれ。

いじめっ子部活を頑張りました。勉強眠い目をこすりながら合格点を取りました。」いじめられっ子学校へ行けませんでした。親が言うから応募しました。」

人事「いじめっ子くんが良いです。」

人事部長「いじめっ子くんには他社から複数内定が出ているようだから親御さんに挨拶。頭下げてお迎えに行きなさい。」

2023-08-19

自分たちの厚意がクソ習慣になってしまった話

結婚することになった後輩Aがいたので祝杯を挙げようということになり、部署LINEグループ参加者を募ったらAの人徳もあって結構な人数が集まったので一人五百円でお祝いの品を贈った。

結婚相手はまだ遠方にいるということで気兼ねなく最後独身生活を楽しんでいたし、後輩のほしかった物は後輩の同期が把握していて、後輩本人も喜んでくれた。

数ヶ月後、次にそのひとつ上の後輩Bが結婚する運びになった時もみんな同じようなテンションだったので大人数が合う店で食事会をして一人五百円でお祝いを贈った。

こうして数回の食事会と贈り物が続いたが、ある時送られてきたCのLINEグループ結婚報告の末尾に『食事会、贈答品は不要です』との文言があった。

Cが再婚だったことや部署外に出るのが内定していたということも重なり、食事会と贈答品は無しでCを祝った。

更に同時期にBに子どもが産まれることになりAの要望で一人千円をもらい少し値の張るベビーグッズを贈ったのがいけなかった。

Cは千円を徴収され(自発的会計係に持っていってはいるが)贈答品さえも無かったことが腑に落ちずそれを同期の他部署のDに愚痴った。

Dに伝わった段階で多少CのバイアスがかかっていたにしろDから伝え聞いた人は好印象を持たなかった。

忘年会という名のやんわりとした飲み会が行なわれたようだが自分は出席できなかったのでその空気は知らない。

これが2019年冬までの話。

コロナウイルスが発生しマンボウによってリモートワークでZOOM会議で防音段ボール飲み会など人非人所業となった。

Cはなんとなく変な感じのまま転職してしまったがお祝いの食事会と贈り物はなくなった。

肩の荷が下りた気がした。

コロナウイルス、これだけはありがとう

内定きてもここはないなと思ったとこから内定たから辞退した

面接面接官(多分社長)が名乗らない

5分もない雑談面接終わり

5分もないのにパワハラモラハラの気配がものすごい伝わってくる

雑談の内容は面接官の自慢話で終始ヨイショ愛想笑いさせられる

愛想笑いしながら秒でここで働くのはないな〜と思う



ブラックというか底辺みちゃったなって感じ。

面接練習にすらならなかった。

2023-08-15

anond:20230814213625

「良い感じなんだけど、今までの経験が活かせそうなポジション募集はしてないし、そうなると内定を出しても本人が満足せずにすぐに辞めてしま可能性があるな」

みたいな理由で落とすこともよくあるから気にしないのが良いぞ。

anond:20230814145839

オファー面談」は内定が出た後に条件面をすり合わせるための面談

リクルーター」は主に新卒採用受験者をサポートする役割社員

という認識なので、言葉定義おかしい。

とても転職活動をしている社会人投稿とは思えず、創作っぽい。

コメントにもあるように2chまとめサイトと連動させた創作かな。

2023-08-14

anond:20230813200011

地方国立工学部男だけどさ

女の子ってやっぱり内定でるの早いよな

女性にこの会社は優しくて怒られなくていいなー

これはマジで思ってる

実際リケジョ優遇しますと日本社会が明言してるし、就活してた身としてもなんであの女があん評価されてるんだと思うことがあった。

社会人になってからリケジョはやっぱり別レールが敷かれてるよね、これも俺の会社だと明言されてる。

元増田は間違いなく努力家だし男扱いされてたとしてもいい地位を勝ち取ってたと思う。

でも女が優遇されてるのは紛れもなく事実

飲み会ポロッと言っちゃうのも理解できる。

元増田努力否定してるわけではないと思う。

https://anond.hatelabo.jp/20230813200011

東大理系って頑張ってて偉い・・・増田みたいな人がいるの誇らしいよ!

二個程質問なんだけど、

医学部狙わなかったのは都内出身だけどお金が無い家庭のパターンは厳しいと思ったからかな?

東大狙える女子かつ就職けが目的の人なら早慶より医学部狙うと思ったので。

余計なお世話だけど、医学部なら返済不要の高額奨学金とかあるから却って家計は楽になったのかもしれない。

でも頭いい人が皆医学部目指してしまう世の中だから東大理系を選んだ増田は有難い存在だよ。

②↓の酷い言葉をかけてきた友人達ってのは女性なの?

全てが自分のおかげではないけど、「環境/性別のおかげ」と言ってくる人間に腹が立って仕方ない。

大学進学した時には、「教育熱心な家庭だったんだね!」

内定が決まった時には、「東大女の子ってやっぱり内定でるの早いよな。」

仕事では「女性にこの会社は優しくて怒られなくていいなー」

結婚したら「女性収入とか関係ないし、若いうちに結婚できるのいいよね!」

以上、お盆でたくさん友人と会う機会がありモヤモヤしたことを吐き出したい日記でした。

こんな事を女性女性の友人に言ってくる場面・必要性が思い浮かばなくて。

仮に男性だとすると、増田結婚してるのに、異性の友人(男性)とばかり沢山会う機会があったってことかな?

なんで夫を混ぜなかったの?それとも夫もフォローしてくれなかったの?

その場の女性の友人はいなかったの?女性の友人がフォローしてくれなかったの?

それとも異性の友達しかいないの・・・

なんか友人との関係性がいまいち想像出来なくて気になった。

anond:20230814112741

いや男子はともかく東大理系女子内定取れないのはかなりのレアケースだよ

院試落ちてからでも女なら余裕で採用される

anond:20230813200011

例示されている発言努力否定以前に、思い込み系が強すぎん?

東大女子」かつ理系選択だったけど希望したメーカー全然内定出なかった立場としては、

東大女の子ってやっぱり内定でるの早いよな。」については笑いたくなるわ。

anond:20230813200011

大学進学した時には、「教育熱心な家庭だったんだね!」

内定が決まった時には、「東大女の子ってやっぱり内定でるの早いよな。」

仕事では「女性にこの会社は優しくて怒られなくていいなー」

結婚したら「女性収入とか関係ないし、若いうちに結婚できるのいいよね!」

これ書きぶりを見るに増田と初対面の人が言ってるわけではなく、友達とか同僚とかに言われてるだろ。

まり増田の状況をそれなりに見てる友達とか同僚の視点から見て、増田自身努力よりも環境のおかげだな、って判断されてるってことだ。

そんだけみんながみんな揃って環境のおかげだと言ってるということは、本当に増田自身努力よりも環境のおかげの方が大きいということだろ。

まったくの他人が数人言うだけならともかく、それなりの知り合い複数人から頻繁に言われてるなら、謙虚になるべきなのは増田だぞ。

2023-08-13

anond:20230813200011

外資ならともかく、ここ20年のJTCは幹部の男女比是正のために東大女子ならほぼ誰でも内定出してる

まあ増田なりに努力はしたんだろうけど、そこは別に必要ない

時代環境に恵まれたんだなーと思いました

私の努力否定されたくない

自分結構頑張ってきた方だと思う。

数学化学物理も得意じゃなくて文系に行きたかったけど、お金になる分野に行く方が良いと思って根性勉強して理系選択した。

早慶に行く金銭的な余裕がないから、必死勉強して東大に受かった。

本当はゆるいサークルに入りたかったけど、就活を見据えて体育会に入ってかなり大変な4年間を過ごした。

修士に進むと決めた後は、研究と並行して早くから就活して希望していたJTCに内定した。

就活が終わったら奨学金返済のために研究の合間を縫ってバイトしまくった。

就職した後はずっと付き合っていた人と結婚して、今は子供を産める環境を作るべく必死に働いて貯金している。

やりたいことを我慢して必死必死に頑張ってきた。

全てが自分のおかげではないけど、「環境/性別のおかげ」と言ってくる人間に腹が立って仕方ない。

大学進学した時には、「教育熱心な家庭だったんだね!」

内定が決まった時には、「東大女の子ってやっぱり内定でるの早いよな。」

仕事では「女性にこの会社は優しくて怒られなくていいなー」

結婚したら「女性収入とか関係ないし、若いうちに結婚できるのいいよね!」

とてもムカムカする。

大学進学も就職ももちろん環境によるものはあったと思う。けど、根性理系科目をできるようにしたこと体育会必死活動したこと就活を早くからやったことは女も環境関係なく私が努力したこと

結婚だって旦那より私の年収の方が高いから、女かどうかなんて関係ない。

飲み会の時で泥酔してる時にポロっと出る言葉から本気じゃない、何も考えてないのはわかる。

から表立って責めるつもりはないけど、私の努力否定されてる気がして悲しくなる。

以上、お盆でたくさん友人と会う機会がありモヤモヤしたことを吐き出したい日記でした。

追記

やっぱり見事に叩くコメントがついてる!

研究の合間のバイトガチだよ。奨学金を6年間借りていたからエグい額になってたんで少しでも貯金のある状態卒業して、焦りがない状態社会人1年目10月から始まる返済を迎えたかったんだよな。

女の子東大に行くには環境必要都内サラリーマン家庭、公立小中高、高3で初めての塾。という感じだったので、ある程度には恵まれているけど、東大に行くための環境バチバチに揃っていた訳でもなかったかな…。それと、良いところに就職となると、高学歴の中で競い合うことになるので努力必須だよ。

追記

優しい言葉くれた方ありがとうございます

追記

東大女子就活への誤解があるな…まぁ世間はそんなもんか。

男性女性わず東大生あれば就活苦労しないと思われがちですが、それは企業を選ばなかった場合だな…。

人気企業東大生でもそれなりに就活しないと一部の人を除き内定でないです…。高学歴の中での勝負なので…。

私は企業をきちんと選びたくて就活ガチっただけ。容姿とかコミュ力が特段優れているわけでもないので、体育会理系という武器を手に入れるため頑張っただけの話。

・全部が自分努力!って言いたいわけではない。もちろんある程度環境に恵まれてると思うよ。

ただ背景も詳しく知らん人に、環境が良かったからだねと言われるのがうざいなーということね…

追記

わわわ、昨日の夜から全く確認してなくて仕事終わって見てみたらめっちゃ反応きててビビった。

昨晩は否定的なコメントばかりだったのに、優しい言葉かけてくれてる人多くて嬉しいです。(ブコメでね!ここでのコメント否定ばかりで草。まぁそんなもんよね)

仕事から逃げたくて落ち込んでいる時に過去の嫌なことを思い出して殴り書きしたので、一瞬でも優しくされて少し救われました。

ちなみに、友人から言われた言葉はこのお盆で一気に言われたわけでない…。

ある一言きっかけに過去の会話を思い出しただけね。

2023-08-12

anond:20230810063511

せっかく足りない部分を明確に教えてもらってるんだから

心機一転、知り合いの中で一番陽キャの友人と飲みに行ってみようとか(おごりでもギャンブル散財よりは安いだろう)

就職決まるまでを〆切にして自分のケツ叩いてアプリもつくってみようとかあるだろ

っていうか面接というたかが15分の演技くらい頑張れよ

新卒だって内定までだけは常に薬きめたようなテンションの高さと大声でちょっと引くレベルだったけど

中に入ったらもうめちゃくちゃ普通におとなしい子たちだったぞ

2023-08-11

anond:20230811224053

まあゴミかもしれないけど、先進国グローバル企業から内定もらって移住したんやで。

ちゃん就労ビザも手に入れてな。

anond:20230807134943

最初の勤務地を通知したうえで内定出すのじゃだめなのだろうか?

内定から半年以上あったら心の準備も身辺整理もできるし

2023-08-07

anond:20230807022940

こんなでも風俗ちゃんとやれてれば人並み以上の生活ができちゃうんだよなぁ

それで30までに適当理解ある彼君を引っ掛けて結婚すれば勝ち組主婦内定

男のアスペ低能ギリ健は悲惨だよ

自殺する、自死に追い込まれる、反社の下っ端になって使い潰される、引きこもりニートになり廃人になる、とかだからね末路は

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