はてなキーワード: 被差別部落とは
全人類が善良で正しくふるまえるなら何も問題ないんだけど、現実は頭おかしい人も自分勝手な人も犯罪者もいるよね
なので、自分が被害を受けないための自衛って当然必要になってくる
それは何も間違ってないし必要なことなんだけど、大っぴらにそれを公言して正しく自衛すると、それは差別との境界が分からなかったりポリコレ的に間違ってたりすることが起きる
そのギャップは、今の社会は解決していないと思うんだけど、どう解釈したらいいんだ?
例えば被差別部落
元々差別による不利益を受けていたため、教育レベルや所得レベルが高くない住人が多く、地価が下がり、それがさらに低レベルな住民を招き、結果的に犯罪発生件数なども多い、という場所があったとする
それを見て、あの場所は犯罪が多いから近づいてはいけないよ、と地域住民が噂する
これは当然、完全アウトな差別なのだが、現実として犯罪発生件数が高いなら、差別と認識なく吹聴する人は案外多い
他にも、例えば女が犯罪者の男女比率を理由に男を警戒するのも、上記と同じ理由で差別になるわけなんだけど、ポリコレを掲げて正しくふるまっても褒められもせず一部の犯罪者にレイプされるだけで、いいことは何もない
それでやっぱり男はやばい、と話すのは当然駄目なんだけど、女からすると犯罪する男と犯罪しない男を所見で見かけだけで判断することはできない
今はまだ、ポリコレが完全に上位の概念になっていない時代だから、なんだかんだ差別を正当化して自衛をやることは認められている
ディズニーのリトルマーメイドの実写映画版アリエル役を日本人ファンが批判する事に対して
「アジア人なのに」って言い方で揶揄する擁護派の発想って、それこそ名誉白人の発想だと思うんだよね
だって人種差別の構造的に、白人が黒人に対して持つような優位性を、アジア人は一切持っていないんだよ
白人が黒人俳優に対して過度に肯定的になるのって、自らの人種的な優位性を自覚した上での、言ってみれば罪悪感だと思うんだよね
でもアジア人である日本人には、その理屈は当てはまらないんだよ
アジア人なのに黒人に対して妙な罪悪感めいたものを持って、批判を封じようしている人達こそ
自分自身を白人と同一視して、黒人に対する優位性があると思い込んでるんじゃない?
でも実際にはアジア人にはそんなもんないんだよ
でも少なくともアメリカにあったような黒人奴隷制度やその遺物としての制度的差別は存在しないし
日本において「黒人」の立場に当たるのは、在日コリアンとか被差別部落出身者だろう
全然違うんだよね
今、思い出しても腹がたつので記録として残しておく。
当該の高認予備校はいじめ疑惑で一時期炎上した社会活動家の出身校でもある。
俺はいじめが原因で不登校になった。それで知人の紹介で不登校も受け入れいてる塾に行った。
そこの塾長は高認予備校の講師でもある。かなりの有名所だ。で、こいつはスゲー左翼でテレビで放送される美談が大好き。口癖は「生きる力」、んでもって「生きる力は言葉では説明が付かない」。一言でいうと自己啓発系講師だな。ただ、こいつの親はすごい金持ちで、こいつの経営する個人塾は親に金を出してもらって、事務所代の初期経費を賄った。曰く「親が返さなくて良いっていったから、返さなかったそうだ」
まず、いじめで学校に行かなくなった俺に言い放ったこいつの一言。
俺は???となった。
「俺の息子は定時制高校で同級生をパシリに使って退学に追い込んだけど、俺は普通のことだと思っている」
「いじめごときでぐちゃぐちゃ言ってるやつを見ると、イライラする」
お気に入りの左翼女子生徒の横で何の関係もなく勉強する俺に行ったなんら脈略無い言葉。
「いじめごときでぐちゃぐちゃ言っていると、被差別部落の人たちに笑われるぞw」
そんで後々、このことに抗議する俺に言い放った一言。
「何のことだかわからない。そんなこと俺は言うわけ無いだろ」
この一言で俺は絶縁した。
そもそもこいつは昔から都合の悪いことは無かったことにする奴で、最近のリベサヨの信用のできなさってのは、昔からなんだなと思ってる。
事務所経費云々の話はこいつから話したことだが、後で指摘したらこれもなかったこと。煙草のポイ捨ては清掃員さんのためにやってるって堂々と言い放ってたこともなかったこと。
最近、件の活動家の履歴を調べたらこいつが、出身校がこいつが講師を努めてた高認予備校だったんで笑ったわ。
こいつは塾生を努めている予備校に誘っていたんだが、俺は誘われなかった。
北海道(道東)に住んで、全道を走り回ったことで気づいたこと。
松前辺りを除くと街が明治以降に出来上がったものばかりなので、よく言えば合理的、悪く言えばつまらない。
近畿地方に見られるような、入ることがためらわれるようなエリア(被差別部落、新興宗教の町、ドヤ街など)がほとんどない。
街はどこに行っても似たような風景なので記憶がごっちゃになる。
北海道の地名はほとんどアイヌ語に漢字を当てはめたものなのだが(「札幌」、「帯広」、「稚内」等々)、旭川だけ和名が多い気がする。
帯広周辺の寿司は高いしうまくない。他方、札幌は安くてうまい店がゴロゴロある。
根室や釧路から札幌に魚を運ぶ過程で落としていけば良さそうなものだが、札幌に持って行った方が高く売れるのか。
内陸でどうしても魚を食いたいなら、帯広地方卸売市場2階の海鮮丼の店がベスト。
個性あるラーメン屋がほんとうに無い。東京や大阪からの観光客に「ラーメン屋でおすすめは?」と聞かれたときにいつも困る。
ちなみに「信玄」や「すみれ」に並んでいると、お水の姉ちゃんに「並ぶほどうまくねぇよ!」と煽られる。
あとは旭川の「蜂屋」や函館の「あじさい」辺りが有名だが・・・。
印象に残っているところだと、サロベツ原野、知床、積丹半島、礼文島、襟裳ぐらい。
あとは本州でも見られる景色のような気がする。登山でもすればまた違うんだろうが。
北海道はそのど真ん中に日高山脈が聳え立っており、そこを境に人・物・カネの流れがぶった切られている。
「北海道大好きなんです~」と言ってくる人がいると「どうせ日高山脈”以西”が好きなだけだろう」と斜に構えてしまう。
北海道のエリア分けとして札幌周辺を「道央」と呼ぶのだが、そのせいで道南が函館を指し、本来「北海道の中央」である富良野や「北海道の南」である襟裳が「道東」でひとくくりにされてしまうことに違和感がある。
今からでも「道央」は富良野とし、札幌・函館は「道西」、襟裳が「道南」、帯広・釧路・根室を「道東」とすべきと思う。
また思いついたら書く。
例えば特定のペーパーテストの結果で選ぶべき場面なのにそれに関係ない性別を反映させたりだとか。
交際相手を選ぶのは個人的な好みで選んで何ら問題ない場面なので、その如何なる基準で選ぼうが全て「差別」とは言わない。
外国人とは結婚したくない、異性とは結婚したくない、障害者とは結婚したくない、低身長の人とは結婚したくない、被差別部落出身者とは結婚したくない……全て差別ではないのでどうぞご自由に。
差別になるのは当人達は合意で結婚したがっているものを、周囲が部落だったり障害だったりを理由に反対して引き離そうとするとかそういう場面。
誰かに話したくなってきた。
まだ二十歳ほどの頃、地元の広島で特に定職に就くこともなくアパート暮らしをしていた俺は、昔からの繋がりの先輩に誘われて、客から高い金を踏んだくる店で働いていた。
福山駅の付近にある繁華街だった。福山といったら知名度はほとんどないが、桃太郎電鉄の青マスとして出てくる程度には良いまちのようだ。当時の俺は、そのへんのアパートで暮らしながら、昼はコンビニアルバイトで、夜はそのバーで働いて、それで明け方に自宅に帰って昼過ぎまで寝る。そんな毎日だった。
地元が懐かしい。もう6年は帰っていない。来年には帰ってみようか。増田民で、もしお勧めのスーパー銭湯とかラーメン屋とか焼肉屋とかあったら教えてくれよ。
すまないが推敲はほぼしていない。変な字があったらごめんよ。
ちょっと自分語りをさせてほしい。滅多にない機会なんだ。いいだろ?
正直、あまりいい門地の生まれじゃない。大きい河川沿いで生まれた。加茂、という地域だ。歴史のある地域に付けられる名前らしい。
幼稚園の頃は、今頃の時期になると数日に一度は木造の家が床下浸水していた思い出がある。江戸時代はいわゆる部落というやつだったらしい。小学校の頃から家の近くにある集会所に近所の子どもらと一緒に夜集まっていた。学校の先生が来て普通に勉強を教えてもらうこともあれば、平和活動やら差別糾弾やら総括やら、物騒な単語が飛び交う学びを体験することもあった。
官公庁の前に100名くらいで出かけていって、平和活動(という名のデモ)をしたこともあったっけ。市役所や県の事業所の前で大きい横断幕を持って、大声でシュプレヒコールをやっていた。
それで、くだんの集会所には、たまに偉い雰囲気の人が来て「昔は食べる物にも遊ぶ場所にもトイレにも困る環境でしたが……君たちは我々を含んだ先人のおかげで……君たちも皆のために必要あらば社会と戦って、これからもいい時代を作りましょう」みたいな話をしていた。
なんでも、その先人が高校生の頃、県立府中高等学校の先生が授業中に被差別部落のある辺りを指さして、「あそこにのう、四つが住んどる!」と大きい声で生徒に注意を促したことがあったらしい。それで、キレたその先人は、その先生に何度も何度も何度も挑んで、巧緻を尽くして作戦を練り、仕舞いには証拠を突き付けて皆で糾弾して転勤させてやった、というのがその偉い人(当時国会議員。故人だけど一応伏せる)の話だった。
当時の自分は目ヤニを擦って話を聞いていた。自分達が隣保館に通っていた最後の世代だ。中学生になる頃には学習活動はすっかり無くなっていた。今ではただの地域集会所になっている。
親は、あんまりよくなかったかもしれない。言うことを聞かなかったら暴力や暴言は当たり前だった。内容的には、農業の手伝いや畑の草刈りや洗濯物を畳むなどのまっとうな義務もあれば、親の張りぼての見栄を張るためのアイテムになることも多かった。要するに、母親の親戚や友達の前では『優等生』でなくてはならなかった。
ちょっとでも問題発言をすると、家に帰ってからボコボコに殴られ蹴られする。あれは今でも覚えている。小学校5年の時、叔母にからかわれてキレてしまった時、母が木刀で俺の後頭部を強打したのだ。今でも頭を触ると分かる。あの時殴られた箇所が凹んでいる。あれは痛かった。
というわけで、そんな環境で育った人間がまともになるはずもなく。中学校に入る頃には、すっかりと暴力癖のあるキッズへと成長していた。
当時の地元中学校は、荒れに荒れていた。原動機付自転車で通学する者や、青い髪で授業を受ける者や、卒業式で特攻服を着る者や……。学校のトイレは○○の場になっていた。月一くらいの頻度で、女子中学生が体を売っているか、無理やり犯られているかのどっちかだ。オリジナル制服としてセーターを作って着用する女子生徒もいた。けっこう可愛かった記憶がある。
先日、母校のホームページを見てみたが、当時とはまったく違った様子で驚いた。無邪気に笑って学校活動をする中学生達が映っていた。平成10年代の当時は、あんな中学生は少なかった。ヤクザみたいな見た目の男子だとか、娼婦みたいな目つきの女や、死んだ魚の目をしたような(≒いじめを受けている)雑魚どもや、無敵の人の予備軍みたいに無気力になってる奴とか、そんなのばっかりだった。
それで、ついにある時、新築に近い状態の体育館がタバコの不始末が原因で全焼してしまう。いやあ、あれには参ったね。体育館での授業や部活動、好きだったんだが。
中学生がごく普通に喫煙していた。あの日、俺が4時間目に体育の授業でバレーをしていた(※だらしない恰好をして髪も染めていたけど、授業はちゃんと受ける方だった)ところ、3年連中がステージ上の柔道場でタバコにしけ込んでいた。先生に止める様子はない。当時の中学校では、校内でタバコを吸うのは暗黙に認められていた。
昼休みのチャイムが鳴った後、俺も先輩方にタバコに誘われた。生意気な1年坊主だったと思うが、可愛がってくれる先輩がいた。が、当時は鬼のように厳しい暴力教師(しかも部活の顧問)がいて、そいつが苦手だったので、見つかるような嫌な直感がして断った。あの時の俺はツイていた。
荒れ放題の中学校だったけど、それでも何とかなっていたから、教師も生徒も油断してたんだろうな。その3年連中の吸ってたタバコのうち、柔道場の畳に押し付けて消し忘れたやつが段々と燃え広がって、昼休憩になると「ジリリリリ……」と自動火災報知器が反応した。
しかし、それでも誰も何もしなかった。なぜなら、週に一度は誰かが校内にある自火報をイタズラで鳴らしていたからだ。感覚がマヒしていた。
昼休憩の中頃、体育館のステージ後ろの屋根から煙が出始めてようやく、教師連中が消火器を持って体育館に突入したが遅かった。昼休憩が終わる頃には生徒は全員校庭に避難していた。体育館を見ると、2階部分の廊下に何十枚と並んだガラスが熱で一斉に割れていく光景があった。なんかもう、凄かった。同じく窓ガラス沿いのカーテンも50m分は並んでいたと思うが、最初のカーテンが燃えたと思ったら、僅か3,4秒ほどで全てのカーテンに火が付いた。
担任の先生が、「いつかは起こると思っとったわ。馬鹿じゃのう」なんて呟いていた。それで、消防車が到着したのを確認すると、校舎への延焼の危険がないとのことか、またみんな教室に戻って、何十分か待たされて、先生が来て、その日は非常階段を通って裏口から下校となった。マスコミが押しかけていたのを覚えている。下駄箱まで進入していた朝日新聞の記者を、先生らが怒号とともに追い払っていた。
なんか、ここまで書いただけで精神力のほとんどを使ってしまった。拙い文章力で恥ずかしい。ほかの長文増田は、明らかにもっといい文を書いてる。
火事があった次の日には、あの3年連中は全員しょっぴかれていた。家庭裁判所で審判を受けて、ほぼ全員が少年院にぶち込まれた。ほかに、彼らと交流があったり、間接要因になったと思われる生徒は裁判所に出向いて証人として発言することになった。俺もその一人だ。最低でも二回はいったか。
その次の年度は確か、校長ほか数名が異動になって、最強に厳しい先生方が教委から強権を委任されて当中学校に赴任し、不良どもを善悪あらゆる手段で抑え込んで、俺が高校生になる頃には不良は全くいなくなっていた。
俺の下の代には、強面の奴とか異常体格の奴がいなかったという事情もある。教師に暴力を働くような狂犬タイプもいなかった。東京卍リベンジャーズの1巻で喩えると、当時はキヨマサ君みたいな中学生が最低5,6人はいた。一方で、俺の下の代のヤンキー(予備軍を含む)は、タケミチみたいな標準体型の子が多かった。
当時の俺ですら、何となくわかってたんだ。背伸びしてタバコを吸ったり、チャンスがあったら酒とか飲んだり、女子にモテたくて喧嘩をしたり、セブンイレブンの前で駄弁ってたりしたけど、本当はわかっていた。勉強するのが一番いいんだって。最善なんだって。
俺の父親は会社の経営者だった。祖父は地元市役所の偉い人で、曾祖父は町長だった。親戚だって、職業はそれぞれ違ったけど、みんな金持ちだった。親戚同士の集まりには、うちの家の駐車場に高そうな黒塗りや真っ白の乗用車が並んでいた。
彼らに共通していたのは、社会が認めるであろう分野で相当な努力を積み重ねていることだ。俺みたいに、学校の先生にとりあえず反抗してるだけじゃなくて。信念があって、そのために動いてる。
法律も慣習も、常識も非常識も、論理的な思考も人間関係の機微も、曲がったこともまっすぐなことも、とにかく何でもかんでも現実をまっすぐに見て、あの人達が何が正しいかをいつも考え抜いていたって、今ではちゃんとわかる。
あの当時の俺も、今の俺も、これらのことができていない。だからこんなに落ちぶれた。血筋はいいのに。俺はくずになってしまった。
学校になじめないとか昔っからその気はあったし、別の病院では簡単な問診だけでADHDだと診断が下りていたが、
ちゃんとテストを受けて実際に診断が下りるとなると緊張するもんだな。
だいたいの数値の高さが分かる棒グラフと結果が書かれた紙をもらったのと
口頭でふわっとした情報を教えてくれたので自分の傾向はわかったので不足はしていないが、少し残念だった。
ただ一番低い作動記憶ですら「ちょうど平均」だったらしく全体のIQそのものは高めにでたらしい。
高めといっても傑出して高いわけではなくてあくまで平均的な高さと説明をしてくれた。いわゆるメンサには入れない程度の高さなんだろうなとは思う。
もしかしたら自分は知的障害があるのかも……なんて思っていたのでその点は安心した。
ただIQの高さが年収や幸福度などと相関しないことを自分自身で証明してしまったので複雑な思いだ。
やる前からわかっていたことだが高めだからといってもなんの慰めにもならないな、本当に。
ちなみに一番高いのは知覚統合。ほか二つはそのあいだくらいと思ってくれていい。
そのあとコンサータの説明を受けて登録のための用紙を書いてその日は終わり。
いまはコンサータの登録カードが届くのを待っている。このあとは自立支援と障がい者手帳を申請して少しでも人生が上向くように準備をしていく予定だ。
発達障害を診断された話は数年前から擦られまくっているのでいまさらではあるが
生きづらくてまだ未診断の人がいれば頼れるものは頼ってもいいんだ、と伝わると嬉しい。
ちなみに今回、再度診断を受けてまでコンサータ服用をしてみようと思い立ったのはこの記事を読んだから
http://hattatu-matome.ldblog.jp/archives/59287875.html
俺以外にもいろんな人が投薬に前向きになったんじゃないかな。
ブログ運営って大変だとは思うが凹凸ちゃんねるさんには引き続き更新を頑張ってほしい。無理のない範囲でかまわないので。
前の病院で診断が下りたあと、母にADHDであることを告白した。
学生時代に離婚をして女手一つで育ててくれた母だ。大人になったとはいえ当時は同居していたし報告することが筋だろうと思い言ってみた。
「その血は父親の血だ」
母は目をかっぴらいて俺に即答した。ショックのあまり言葉が出なかった。数年経ったいまでもはっきりと思い出せるくらいに鮮明に覚えている。
たしかに父は母に聞かされてきた愚痴によると友人の挙式日をマジで忘れたり、万札がいきかうような麻雀をしていたらしいし、
俺が幼い時から父と母が口論の末、父が切れてよく母に手をあげてはそのたびに壁に穴が開いた。
ありえない物忘れや高額レートのギャンブルに感情のコントロールが効かない……そういうところはたしかにADHDっぽいところはある。
俺は別に療育をしなかったことを責めたわけでもない。ただ「ADHDだ」と伝えただけなのにな。
幼少期から俺に愚痴をこぼし、「あんな人間になるな」と言い聞かせるほど父を嫌っていた母からでたその言葉は、俺には重かった。
ADHDであることを父のせいにした母には失望したし、もう縁を切ってもいいかと思ってしまった。
当時の地方に生まれて育った田舎者なので療育の知識はもちあわせていなかったし
先日亡くなったH占い師の”ありがたいお言葉”を信じている程度には頭はよくなかった。※でも家族全員金星人で一家離散したな。占い通りだね、よかったね。
やりたいこともやらせてもらえないし、口論になったら個人の尊厳を平気で傷つけるような人で、大嫌いだった。
だが女手一つでFラン大学とはいえ卒業まで支援をしてくれたなんだかんだ母との縁は切ることはできないだろうと思っていた。
でも今は違う。
俺はどうやら嫌いで憎らしい父の分身なんだってわかってしまって、心の底から失望してしまい、もういいかなって思っている。
で、一度失望してしまうと過去の抑えつけてきた思いがどっとあふれ出した。
・付け焼刃で勉強した児童心理学(?)を真に受けて俺の描いた絵を「暗い。笑顔がない」と破り捨てなかったら?
・「塾に通わせてちゃんと勉強させてあげてください。この子は秀才です」と先生に言われたのを無視しなければ?
・「父じゃなくて〇通の人と結婚すればよかった」なんて話を聞かされなければ?
あぁあ、なんかいろいろ思い出してきたら頭が回らなくなってきたわ。つか酒を飲みながら日記なんて書くもんじゃないわ。
俺って何だったんだろうな。いろいろなあったかもしれない可能性を考えては勝手に傷ついていく。馬鹿な自傷行為だ。
この酒を飲んだらもう寝ることにする。つらつらと駄文に付き合ってくれてありがとうございました。
親が口論してる中、爆泣きしてる妹の面倒を見てた。
自分がパチスロしたいからって夏休みに入った妹の世話を押し付け。
俺には塾に通わせず片落ち実業高校、妹は通わせて県内トップの進学校。
県外とはいえ実業高校からも進学できる可能性のある公立を探してきたから受けさせてくれという嘆願も拒否。
口を開けば公務員バッシングなのに俺には「公務員になれ」。お前の挙式に当時の県知事か副知事が出席したんだろ?バッシングする筋合いねぇだろボケ。
「父と結婚せず電〇の人と結婚すればよかった」ってよく言っていたが、幼少の子どもでもその言葉の重みはわかるからなボケが。
俺がその言葉がもとでずっと不信感あったの気付けボケナス。つかアッシー君メッシー君がいたってそんな女の話を未就学の子供にするなカス。きもいんじゃ
発達障害のこともそもそも鬱などのいろんな精神疾患のことも全部大学~社会人になってはじめて正しい知識を知ったし、
統合失調症だってお前の言う”普通の人”にだって患うことはあるんだよ。なにがあの子の親はキ〇ガイだ。
当時付き合っていた彼女が「被差別部落出身かもしれないからでていけ」って言ったのは一生覚えてるからな。
日本人は滅びるべき
ワイも現代中国の、具体的な「行動」「思想」を批判しているが、
清朝以前の中国人を尊重・尊敬しているし、滅べばいいなんてとても書けない
その意味で「ウクライナは降伏すべき」と書くことのヤバさは理解していただけると思う
冗談にもならんぞ
2022-07-01
1.エアコンは大量の電力を消費し、その発電のために大量の化石燃料が燃やされて地球温暖化が促進されるから、地球温暖化阻止のためにエアコンを使うのを止めるべき。
2.「そうしたら熱中症で死んでしまう」という人もいるかもしれないが、そもそも人はいつか死ぬものであり、熱中症で死ぬのも老衰で死ぬのも戦争で死ぬのも貧しさから飢えて死ぬのもコロナで死ぬのも通り魔に殺されて死ぬのも平等に扱われるべき。
3.そもそも日本人という存在は、は騎馬民族による征服者のトップであった天皇に従う者が被征服者の被差別部落民、サンカ、隼人、蝦夷、アイヌ、琉球民族などを近代以前から搾取し、近代以降は朝鮮人や中国人などのアジア人も搾取してその上に成り立ってきた世界で一番罪深い民族であるから、民族意識・国民意識を捨て去り反日闘争を闘った同志(世界革命浪人)以外の日本人は滅びるべきanond:20220701124826
1.エアコンは大量の電力を消費し、その発電のために大量の化石燃料が燃やされて地球温暖化が促進されるから、地球温暖化阻止のためにエアコンを使うのを止めるべき。
2.「そうしたら熱中症で死んでしまう」という人もいるかもしれないが、そもそも人はいつか死ぬものであり、熱中症で死ぬのも老衰で死ぬのも戦争で死ぬのも貧しさから飢えて死ぬのもコロナで死ぬのも通り魔に殺されて死ぬのも平等に扱われるべき。
3.そもそも日本人という存在は、は騎馬民族による征服者のトップであった天皇に従う者が被征服者の被差別部落民、サンカ、隼人、蝦夷、アイヌ、琉球民族などを近代以前から搾取し、近代以降は朝鮮人や中国人などのアジア人も搾取してその上に成り立ってきた世界で一番罪深い民族であるから、民族意識・国民意識を捨て去り反日闘争を闘った同志(世界革命浪人)以外の日本人は滅びるべき
結婚するにあたって本籍地を決めることになった。いま一緒に住んでいる場所は、夫が独身の時から住んでいた賃貸マンションで、通勤の利便性だけで選んだ立地だ。
夫は知らないが、ここは昔、被差別部落だった。
順当に行けばここを本籍地として届け出ることになるのだが、どうもこれで良いのかと迷ってしまう。
自分の中に差別意識など無いと思っていて、住むこと自体に抵抗はなかったし、現在は周りも開発されてマンションだらけなので昔ながらの住民と最近住み始めた住民はもう半々くらいにはなっているだろう。でもここをあえて本籍として登録することに何か不安感があることにどう折り合いをつければ良いのかわからない。
そして自分の差別意識を披露するようで嫌なので夫には決して言いたくない。たぶんこのままだとこの気持ちは心にしまってこの地を届け出るのだろう。
嫌だと言っても言わなくても後悔する。お互い実家は遠いので実家で届け出るのは不便だし、本籍はディズニーランドにしようとか言い出すしかないかな