はてなキーワード: 精神医学とは
たいへん残念ながら境界性パーソナリティ障害の人の中には軽度知的障害の人も一定程度いるし、あなたのケースがそうだとは言わないがクソブスもいる。
恋愛の幸福物質(セロトニン)は、最長で4年しかもたず、それ以降は惰性の生活になってしまうことが多いようだ。
なんだ……これは……。どこからツッコミを入れたらいいんだ……。
どうやら各パーソナリティ障害の特徴云々の前に、まず「パーソナリティ障害とは何か」が分かっていないようだ。
どうして精神医学の分野って、基本すら勉強していない人が、一丁前に識者として語りたがってしまうんだろう。
今日の参院厚生労働委員会。福島瑞穂議員は、たぶん速記録が出た時点でブログで公開してくれるので、書き起こす気力がわかないわけですが、福島さんはやさしいなぁと思った次第。これが森ゆう子議員なら、「差し替え依頼のメールなり手紙なりを見せろ」というところだと思うよ。てかこんなん許しちゃダメでしょ。日精協のほうがまちがえていたということだけども、向こうの口封じなり、つじつまあわせなりはちゃんとできているのかな?
「重度かつ慢性に関する診断基準、これは資料と新聞を付けておりますが、厚労省は、第五期障害者福祉計画、二〇一八年から二〇二〇年度において重度かつ慢性に該当しない長期入院精神障害者の地域移行を目指すという方針を出しています。また、これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会、あり方検討会によると、一年以上の長期入院精神障害者、約十九万人、認知症を除くの六割以上、約十一万人が重度かつ慢性に該当するとされています。 障害者の地域移行は世界のスタンダードです。であるにもかかわらず、十一万人もの人々が地域移行から排除されるのは問題ではないでしょうか。」
「精神病棟に入院後、適切な入院医療を継続して受けたにもかかわらず一年を超えて引き続き在院した患者のうち、精神症状、行動障害、生活症状、身体合併症などの基準から重度かつ慢性の基準に満たすとされる方についての御質問でございますけれども、当該基準を満たすことを理由に地域移行へ向けた取組の対象から外れるようなことがあってはならないと、それから当該症状を有する障害者にはより手厚い入院医療を提供することで、できる限り地域移行に結び付けていくことが方向性として確認されているものでございます。
また、第五期障害福祉計画では、平成三十二年度末の長期入院精神障害者の地域生活への移行に伴う地域の精神保健医療福祉体制の基盤整備量を明記することといたしてございます。この第五期というのは平成三十年度からのものでございます。 基盤整備量を算出するに当たりましては、御指摘の重度かつ慢性の基準に該当する患者以外の地域移行だけでなく、治療抵抗性統合失調症治療薬の普及等によって御指摘の重度かつ慢性の基準に該当する患者の地域移行が進むことも想定しているもので
ございます。」
「ただ、十一万人が重度かつ慢性というのはどうでしょうか。この基準作成は厚労省の補助研究事業研究班が作成しておりますが、この研究班やあり方検討会に精神科病院の業界団体である日本精神科病院協会幹部がメンバーとして入っております。十一万人が地域移行をするのか、それとも引き続き入院したままなのかは極めて重要な経営問題でもあります。利益相反ではないでしょうか。」
「御指摘の重度かつ慢性の基準は、精神症状、行動障害、生活障害、身体合併症について重症度を評価するものであることから、精神医学の専門的な知見を有する医師等が中心となって作成したものと認識してございます。 また、これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会では、当該基準を満たすことを理由に地域移行へ向けた取組の対象から外れることはあってはならないこと、当該症状を有する精神障害者にはより手厚い入院医療を提供することでできる限り地域移行に結び付けていくことが方向性として確認されてございます。
このため、精神科病院の医師等が作成しているということで利益相反にはならないというふうに考えてございます。」
「ただ、この十一万人がまさに重度かつ慢性というこの診断基準はおかしいと思います。資料として、配付資料八、九に付けております重度かつ慢性を診断する際の基準となっているBPRS、簡易精神症状評価尺度は、その第一項目、精神症状の評価基準として十八項目における点数、なしの一点から最重度の七点までの七段階評価の合計を四十五点以上としています。十八項目の総得点が四十五点以上ということは、一科目平均二・五点以上で重度かつ慢性とみなされるという意味になります。
しかし、BPRSの点数表においては、二点はごく軽度であり、三点は軽度となっています。四点が中等度、五点がやや重度、六点が重度なんですね。ということは、二・五点平均点で取っていると、でも三点が軽度で二・五点はごく軽度なんですよね。ですから、各項目における評価基準と総点数の評価基準とが著しく乖離していて、評価尺度として適用するのは不適切ではないでしょうか。」
「精神疾患の重症度を評価する重度かつ慢性の基準を構成するBPRS、簡易精神症状評価尺度の評価基準につきましても、研究班に参加している有識者の合意形成に基づき作成されてございます。研究代表者によりますと、BPRSの評価基準につきましては、総得点四十五点以上は治療抵抗性の精神症状を評価する際の目安として学術的にも用いられている、いずれかの項目で六点以上となれば重度な症状を有していると言えるといった考え方の下、有識者の合意形成に基づき設定したとのことであり、一定の合理性があるものと考えてございます。
いずれにいたしましても、これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会報告書においては、御指摘の重度かつ慢性の基準によってより配慮された名称並びにより適切な基準となるよう、学会など様々な場において引き続きの検討が必要であるとされてございまして、今後これを踏まえて適切に対応してまいりたいと考えてございます。」
「でも、重度かつ慢性が十一万人、六割以上がそうだとなると、地域移行の歯止めになっちゃうじゃないですか。イタリアとかは御存じ、入院をしないようにするとか、大臣はいろんなことに明るい方ですから、もっと精神障害者の問題を地域へというのはよく御存じだと思います。その意味で、これの重度かつ慢性の評価基準はおかしいと思います。」
この利益相反指摘に対する資料の話。かいつまんで言うと、日本は他国に比べて、身体拘束をする、重度・慢性とされる患者の割合が非常に高いわけで、その基準が精神科病院を経営している、日本精神病院協会によって決められているっていうのがやっぱりまずいんじゃないですかっていうのが前の福島議員の指摘。それで資料請求したら、5月11日に届いたんだけれども、その内容が5月15日に届いた河合孝典議員らに配られたものと、利益相反の有無についての回答がしれっと書き換えられていた、というのが今日の冒頭の指摘。
この後採決に向けて、理事会開催のためと思われる休憩で、散会しないとアーカイブが見れないので覚えてる範囲の概要だけ。詳細は福島さんのブログに明日、あさってぐらいにはアップされると思いますよ。
・福島議員が、たまたま河合孝典議員らと、示された資料を一緒に見ていたら、福島議員のものだけ、川崎市の病院で行われた研究班の26年度報告書に関して、利益相反はない、と書いていて、他の2議員のものは利益相反の可能性があると書いてあった
・これはいったいどういうことですか、ときくと、日本精神病院協会から提出された資料について、本年5月8日に、日精協のほうから、資料に間違いがあったので、差し替えて欲しいという依頼があったので差し替えた。
・福島議員に古いものを渡してしまったのは単なるミスといいはる堀江部長。
・福島議員は、これは国会で取り上げられたから、利益相反ではないと考えている旨を書いてあったらまずいと思ったから、厚労省から頼んだのか、日精協が頼んだのかしらないけど、あとから言ってみれば捏造したんじゃないのかと指摘。
・あくまで間違いであって、これを差し替えさせてもらったと言い張る堀江部長。
・福島議員は、この2年間、間違った自己申告に従って。拘束の基準となるような重大な会議の資料が作られていたというのならば、こんなにサラッと修正しましたーで済ましていいわけがない、ミスならミスとして、誠意を持って対応するのならば古いものと新しいものを2枚くっつけて、こちらは間違っていて、いついつまではこちらが使われていたとするべきじゃないか、と指摘。もし私に間違えて古いのを送ってこなかったら、こっそり差し替えて、何事もなかったかのようにしてたんじゃないのか。厚労省ぐだぐだだけど大丈夫ですか、と塩崎大臣に振る。
みたいな流れ。これはまぁ、4月25日質疑で、利益相反じゃないかっていう話題になって、それを当事者が自覚してないみたいな報告書になってるのはまずいから、こっそり差し替えたはずが、間違って古いのを渡してしまったって話で、いってみりゃあいつもの証拠隠滅をするつもりが、失敗しちゃっただけだと思うんだけど、福島さんはやさしいからなぁ。
助言ありがとうございます。
双極性うつ病に抗うつ薬を使ってもよいのかどうかは、専門家のあいだでも議論が続いていて、決着がついていない問題のようです。私の主治医は最初抗うつ薬を出すのをかなり渋っていましたが、1ヶ月近くお風呂に入れない、歯も磨けない、外出もできない状態が続いたとき、「本当は出したくないけど…」と言いつつ、ごく少量の抗うつ薬を出してくださいました。そのおかげで少なくとも1年くらいはまともに動けていました。
私が知っている限りでは、抗うつ薬を最も避けるべきなのは双極I型障害の方で(私は双極II型障害です)、三環系抗うつ薬は特に避けるべきであり、抗うつ薬単剤での使用は勧められない、抗うつ薬を用いる場合は必ず抗精神病薬か気分安定薬と併用する、というものです(「臨床精神医学」46巻3号より)。
また、SSRIの躁転リスクは非常に低いというデータもあります(日本うつ病学会「双極性障害治療ガイドライン」より)。
私は現在エビリファイをベースにSSRIをごく少量服用している状態で、SSRI服用開始後に特に軽躁とうつの波が大きくなったということはないと感じています。
精神疾患のほかに内科疾患を抱えているので、どうしても総合病院精神科にかかる必要があり、セカンドオピニオンも難しい状況です。
そういった事情もあり、なんとか今の病院に再度受診できるように頑張りたいと思います。
ブックマークでコメントをくださった方もありがとうございます。
すばらしい記事でした。
ただ、この中で
「Twitter、FacebookなどのSNSで様々なツッコミがあったと思います。反論をしている方々は子育て世代ではないという肌感を、どこで感じたのでしょうか」
「実は、TwitterやFacebookに意見をくれたユーザーがどんな方なのかを、全部チェックしました。プロフィールから過去の発言も全部追いかけて」
「マジですか」
「マジです。この問題は、真面目に研究しなくてはならないと思いまして。で、調べていくと、“ジェンダーフリー”の生き方を持った方々で、例えば女性の権利を守るために活動している方が非常にこだわっていらっしゃることも分かりました。もちろん、保育園に預けていた経験のある方で反対意見を出していた人もいましたけれども、それは本当にレアなケースで。例えばその人たちの中には、“旦那が自分の娘のオムツを替えているだけでも嫌”みたいな意見を言っている人もいました。でもそれはもう、ポリシーの話ですからね。生き方の」
「はい」
「そして、反対している人の多くは、女性なんです。母親ではなくて、“女性”です。それはもう、ご自身の女性としての“お考え”なんですよね。男性に対する哲学的な全体評価も含めて。なぜ反対されるのかっていうのを色々見てみると、そこには男性全体に対する根深き不信っていうのがあったので、これは保育士云々の話ではないっていう感じがしました。もちろんそういった方々が人生で色んな経験をされて、その上で男性不信があったとしたらそれは否定するつもりはありませんが、この保育士の話とは分けて考えて欲しいんです」
というのは微妙に話がずれている気も。また、千葉市長のズレ方はまだマイルドだが、特にブコメにあったようにこういう女性の方が「男性差別主義」だというのは多分大きくずれている気がしてならない。
「人生で色んな経験をされて、その上で男性不信があった」というのが、不安気質のあるような女性になんらかの男性不信につながるトラウマ的エピソードが起こった結果として、防衛的機制として男性について過度に攻撃的になっているのだとしたらそれは精神医学的な範疇の問題だと思う。
例えば自閉症児は騒音が苦手だ。自閉症児が騒音が苦手だからといって、この世から騒音をなくすべきだとはならないだろう。しかしながら、その自閉症児が騒音が苦手だと、親が主張し公的教育機関などでの対処を要求した時、その要求は完全に的外れなものだと言えるものだろうか。全ての学校がそうすべきだと言われたらそれはおかしいと思うが、そういった自閉症児も快適に過ごすことができるような空間や施設も、予算的に可能であるならば提供すべきだとするならば考慮すべきだと思う。
これと同様に、何らかの精神医学的反応として過度に男性保育士を攻撃するような女性(という私の捉え方が正しかったとして)がある時、それを考慮して全てのシステムを設計するとしたらそれは間違いである一方、そういった女性が安心できるような選択肢の提供もまた考慮すべきことであるように思われるのである。ただしそれは、少なくとも保育所というものがある程度充足してからのちのことではあろう。
彼は一度だって私に「会いたい」と言ってきたことはない。
いつも、いつもいつもいつも、私の方から「会いたい」と言って、
だいたいいつも仕事が忙しい彼が、数ヶ月に1日程度予定を空けてくれて、
私と会ってくれる、そんな交際だった。
お互い30代後半なので、私は彼と結婚したいと思っていた。
でも、相手は絶対私なんかとは結婚したいとは思っていないだろうと思っていた。
しかし、この前、なんとなく私の方から「一緒に暮らすなら〜」みたいな話をしたら、
相手も同じような事を思っていたらしく、
結婚に前向きな話をするようになった。
その「結婚」の話が出た夜、
私はなんとか強引にでも肉体関係を結ぼうとしたが、
二度とそういう強引な事をしないって約束してくれない限り、私とはもう会う気が無いと言ってきた。
なんということなんだろう。
結婚の話をしておきながら、何故性行為をしない約束をしなければならないのか。
彼氏との連絡が途絶えた後、
私はセックスレスについて精神医学的な立場から書かれた一冊の本を読んだ。
性的な行為ができない(したくない、怖い、できない)カップルの実例が書かれていた。
さらに診療に来た多くのカップルは、治療の過程で離婚してしまうと書かれていた。
このままでは、もし私が彼と結婚できたとしても、
やっていける可能性は低い。
でもその本で取り上げたカップルの中には、
奥さんの方から「セックスがなくてもいいから、旦那さんと一緒にいたい」
この一文を読んだ時、私は号泣した。
人間なんだから、男と女なんだから、セックスも含めての男女関係なのではと思ってきた。
でも、一度もセックスしていなくても、
私は彼のことが大好きだ。
彼の事を好きという思いだけで付き合っていた頃は、
楽しい思い出がたくさんあった。
どんどん険悪な雰囲気になっていったような気がする。
楽しそうな彼の写真がたくさん入っている。
楽しそうにしている記録だけが手元にある。
でも、その裏でずっと、私はずっとずっと、
そう思うと、そういういやらしくて不潔な事を相手にずっと抱いていた、
相手の性を雑に扱い、
でも、ただ、ただ、ただ、
普通に好きな人と抱き合ったり繋がったりしたかっただけなのに。
そうして、
それとも他の女性に対してもそうなのか、
何かトラウマがあるのか、
したくないのか、したくてもできないのか、嫌悪感があるのか、恐怖症なのか、
結局何も確認することはできなかった。
怖くて聞けない。
そして、この質問をすることで、
耐えられない。
私たちは別れた方が良いはずだ。
でも、好きなのに何故私の方から振らなければならないのだろうとも思う。
でも相手は何故か振ってはこない。
普通の連絡も無い。
会いたいと言ってくることも無い。
彼は一体私に何を望んでいるのだろう。
私の心を苦しめる。
何故、こんなに苦しまないとならないのだろう。
我々はこの先一体どうしたら良いのだろう。
あんまりトラバに返信するのもアレかな、と思ったんだけれどこれ(http://anond.hatelabo.jp/20161106132341)は偏見を助長させかねないと思ったので言及することにした。
多分詳しく説明したところで、増田は納得しないだろうし話を聞いたところで「ふーん」というぐらいだと思う。
もしちゃんと理解しようと思ってくれてるなら、先のエントリも含めてちゃんと読んでほしいし、理解する気がないなら別にそれでも構わない。
文章から察するにASDの検査は問診だけで決まる、と思ってるのかもしれないけれど、先のエントリに上げたように脳血流検査、IQ検査のほかに生育歴やMRIの画像、問診が必要になってくる。
そういった検査を受けた上でASDと診断されているので、私は素人だし診断された通りだと思ってる。
高機能自閉症だと思う、と書いたのはお察しの通り幼児期に言語発達の遅れがあったからそう書いているということ。
書いてないからと言って無い行間を読まないでほしい。(今回に限らずよく思うことだけど)
ASDは治療が必要ないわゆる「病気」ではなく特性なので、通院せず社会生活を普通に送っている人もたくさんいる。
困っている人は病院へ行け、というのも併発しているうつ病などのメンタル面を整える目的で行ってほしい、ということ。
メンタル面での治療が終わったら、ASDは通院で何をするのか?というと日常生活を普通に送れるように生活指導を受けたりする。
例えば私の場合睡眠がちゃんと取れていないので、認知療法で睡眠時間の記録をつけていた。
また仕事やゲームなどを始めてしまうと10時以上も同じ場所に座ってまさに寝食を忘れるということがあった(そして何日間も電池が切れたように動けなくなる)ので、時間割を決めたり1日の行動記録を事細かにつけたりして、普通の生活習慣を身に付けられるように指導を受けた。
睡眠も十分取れるようになったし、身体的にも精神的にも無理しなくなったので今は通院していない。
「困ってない」というのは主観的なことなので説明は難しいけれど、このように「日常生活を送る上では」困っていると言えるかもしれない。
それは観測する側が「ああ、大変そうだな」と思うのであって、私はそういう特性だと思っているので起きて寝て、栄養失調にもならず生きていけてるなら問題ないな、と思ってる。
「ウワアア!!困ったーーーー!!!」っていう状態ではないということ。
失感情なので自分が本当に困ってるかどうかは体調崩さないと分からないので何とも言えないけど、とりあえず平和に暮らしてる。
そういうことなので私もまた「困ってる」ことにぶち当たったら病院に相談に行くかもしれない。
先のエントリにも書いてあるけれど、12年間うつ病の治療を受けていて「うつ病ではなくオーティズム(自閉症)のような気がしますね。1度検査を受けられては?確実に言えることはうつ病ではないということです。」と言われたので受けることに。
それまでは原因不明の頭痛や吐き気、慢性の肩こり、胃潰瘍、突然卒倒する、などといったことがあって精密検査を何度も受けていた。
それでも分からず、うつ病の治療でも緩和せず、ASDの診断を受けたあと結局それらは失体感によるところが大きく「寒いのに暖かい格好をしていなかった」だとか「同じ姿勢のまま微動だにせず、5時間以上も座ったままトイレにも行かずに仕事を黙々と続けていた」とか「偏食で栄養が偏っていた」、「失体感により食べ過ぎに気付かず食べ続けていた」というだけのことだった。
(他の人に言われるまでまったく気づかなかったし、普通だと思ってた)
服屋の強すぎる照明で気分が悪くなったり、晴天時に耐えがたい頭痛に襲われるのは視覚過敏だからだった。
動作IQと言語IQの違いでアスペルガーか高機能自閉症かが判断されるというのは、まだ知的に遅れのないASDにその両者の分類があった際、それが判断基準であったということから。
今はアスペルガーも高機能自閉症もカナータイプも全てASDという括りの中なのですでに判断基準は失われているし、旧判断基準でいうと高機能自閉症だろう、という話。
判断基準の話はまだそれがあった頃の当事者の親御さんたちの話からなので、本当のところは私も分からない。
ちなみに増田が言う通り、アスペルガーは言語発達に遅れがない。(よって言語IQが高い)
先のエントリにも書いてあるし、引用している文章そのままだけれど一般的にアスペルガーは「自閉症スペクトラムの中でもコミュニケーションに問題がない」と言われている。
知的に遅れのあるカナータイプは言語発達に障害があるし、高機能自閉症も幼児期に言語発達に障害があると言われているためだと思う。
ASDの中でもアスペルガーは言語ポテンシャルが高いので、コミュニケーション障害が起こりにくいのかもしれない。
高機能自閉症よりもアスペルガーの方がまなざしから人の気持ちをくみ取る力が強い、という実験結果もある。
以下にURLを貼っておく。
Do Adults with High Functioning Autism or Asperger Syndrome Differ in Empathy and Emotion Recognition?
もしかするとアスペルガーにコミュニケーション障害が全くない、と読み間違えたのかもしれないなと思った。
読み返してほしいけれどそんなことは書いてない。
もし誤解させるような書き方だったとしたら、それがコミュニケーション障害なので「ごめんなさい」したいと思う。
これについては私が知人に対して口頭で話をする際にどちらも説明したけれど、精神医学に何の興味もない人に突然「失体感・失感情」もしくは「アレキシソミア・アレキシサイミア」だという話をしても誰も理解できなかった。
なので併記をしたからと言って精神医学に興味のない人に理解が深まるとは思えないし、これは主観だけど「失体感・失感情」の方が字面的にどういう症状なのか分かりやすい(誤解もあるけれど)と思ったので、こちらを採用した。
けれど聞きかじった知識や思い込みで書かず、ちゃんと当事者に意見を聞くなどして書いてほしいと思った。
これを機にASDは治療ができる病気などではなく、生まれつきの特性であるということを理解してほしい。
あとやれアスペルガーだ、やれ高機能自閉症だとは書いてきたけど旧分類であって今は死語である、というのも強調しておきたいかも。
最近やたらとネット上で「私は双極性障害です。」というカミングアウトが目立つ。医師がそう診断したというのが根拠だ。
ネット上でメンタルヘルス界隈を見続けて18年超の私から申し上げると、「一昔前までは、双極性障害を自認するメンヘラーはまずいなかった」という事実がある。病名が、躁うつ病 → 双極性障害 に変わったから当たり前なのだが、じゃぁ以前に「躁うつ病」とカミングアウトしたメンヘラーがいたかといえば、とても少なかった。(うつ病の自称者はウジャウジャいた)
精神医学商売にもトレンドがある。世紀をまたぐ頃から長らく「うつ病の診断とSSRI(抗うつ薬)の処方」という流行があった。それがここ数年で「双極性障害の診断とラミクタールの処方」に変わった。かなり露骨に・・・
SSRI(抗うつ薬)に反応しない患者に双極性障害の治療をしたら治癒するシチュエーションは確かにある。双極性障害なのにうつ病診断されていた患者に、適切な病名が告げられるようになったともいえるかもしれない。
しかし、そんな医学の進歩的な理由が主因だとは思えない。今、メンタルヘルスで医者が儲けようとしたら、薬価の高いラミクタールとエビリファイという、うつ病治療とはベクトルの違う処方をした方が単純に儲かる。加えて、うつ病だと寛解したら治療が終わってしまうが、双極性障害の診断をすれば長期的な通院が期待できる。この二つが真の理由だ(あえて断言したい)
医療の世界でもメンタルヘルス界隈ほど製薬会社の戦略に安易に乗っかる分野はない。SSRIを売りたいトレンドでは「心の風邪」なる言葉と共に不必要な人にまで抗うつ薬が胃薬のように安易に処方された。それが今、双極性障害の診断の名の下に高価な薬がやたらと処方されている。それだけなのだ。
厄介なのが双極性障害にはⅠ型とⅡ型があって、後者は抑うつがメインで躁状態は軽微というパターンで、これはうつ病との診断の見極めが難しい。ちょっと前までは「新型うつ病」の新しい概念を使って患者を量産してきた、それに疑義を唱える雰囲気が濃厚になった昨今、精神科医が胡散臭くなくて、薬を選びやすい双極性障害Ⅱ型に診断名を変えてきただけだ。こんな恣意的診断にも医療費は健康保険料から支払われる。長谷川豊的嘆かわしさだ。
私の個人的経験から帰納すれば心療内科・メンタルヘルスクリニックの大半は他の医療分野と比較してあからさまにレベルが低い。安易になされた双極性障害診断に納得してはいけない。((参考:気分障害の当事者活動と「双極性Ⅱ型」について))
まずDSM-5、カプラン臨床精神医学テキストくらいは最低限読みましょう。
発達期に発症する(明らかになる)一群の疾患を指した、ただのカテゴリー名にすぎない(DSM-5でいう「神経発達障害群」)。
また、「自閉スペクトラム症」というのは、あくまで自閉症および言語発達に遅れのなかったアスペルガー症候群までを含む、自閉的な特徴を持つ障害をスペクトラムと表現したものであり、
「正常範囲から重度の自閉スペクトラム症までのグラデーション(スペクトラム)」という主張は精神医学界でコンセンサスを得られた意見ではない(※)。
※「正常範囲から重度の自閉スペクトラム症までのグラデーション(スペクトラム)」という主張をしているのは、アスペルガー症候群を世に広めたローナ・ウィングである。
治療を続けている私の今の具体的な費用は、診療費 1570 円/月、薬 1020 円/月。
薬は抗うつ剤と睡眠導入剤で、新薬を使ってないし、薬の一部はジェネリック。
発症したのは 15 年くらい前。
けれど、私は精神医学を若干聞きかじっていたので、
どんどん不眠がひどくなり、朝に起きれなくなり、
希死観念が出てきたくらいの時点で、精神科を受診しなければと思った。
精神科を受診しようと思ってまず困ったのは、どこに精神科の病院があるのか分からなかったこと。
今ならググればすぐ分かるんだろうけど、当時ネットでそういう情報を得にくかった。
見つけたクリニックに飛び込みで行ってみたら、そのクリニックは予約制でその日に受診できなかった。
その後にいろいろ段階を踏んで受診できた。
今は、まだ完全には治ってないけど、無理しなければ普通な生活を送れている。
仕事で長期に無理せざるを得ない状況になってうつの身体症状が出る時期もあるけど。
過去に数年間働けなくて、貯金も尽きかけて、生活していけなくなった時期があるので、
そういう状況に身を置きたくないと思って今も働きながら受診してる。
暴力団を抜けろとか、覚醒剤を辞めろとか、むしろそういうことですれ違いになるならわかる。
金銭的利益やしがらみや中毒症状なら、おいそれと辞めようと思って辞められるものではないのは、気持ちはともかく頭では理解してやれる。
でもたかだか、日常会話で「チョン」だの「ニダ」だのいちいち言うな、反日だ在日だなんてくだらない敵対意識を持つのはやめろと言うだけのことが、ここまで伝わりもしないとは思わなかった。
もしかしたら精神医学的には、それこそ覚醒剤並の中毒症状のある、一種の病理なのかもしれない。でも、これはどうしても理解してやる気にはならない。
どこまで行っても根は同じ人間同士であるという、人と人とが上っ面だけでも諍いを起こさず共生していける最低限の同意を、覆す行為だ。
人間のいのちに対する敬意を持てない奴に、どうしてこちらから敬意が持てる?
差別主義者(racistの訳。本来の意味は「主義」の有無など関係ない、人種で差別する人、という意味)は人殺しと変わらない。かれを差別するものはわれも差別する。そういう、人間と言う種そのものに対する敵対者だ。
相手がどんな奴であれ、人を「殺そう」と思って殺す奴には本能が警戒する。俺のことだっていつ「殺そう」と思うかわかったものではない。少なくとも彼の選択肢には、彼に取って邪魔なやつ、いやな奴を、場合によっては殺す、という項目が存在するのだ。
俺にはもう、彼の「友人」に対する好意すら信じることができない。
彼は「友人」じゃなければここまで全てを否定する攻撃性を持つ事ができるのだ。「友人」じゃなくなれば、俺も何を言われるか、されるかわからないのだ。
そんな「好意」を、どうして素直に受け取れる?
彼とは明確に絶交したわけではないが、もう俺は彼を友達と思う事ができない。
彼に「友達」と思ってもらえるという自信もない。
言うことは分かるけど、じゃあどうしろと?
詰んでようが詰んでまいが、死にたくないならどうにかして生きるしかないだろう。
人生詰んでるとかいう与太話は、単純に言って、そのままだと死にたいほど恥をかくとか、
っていう程度のことであって、それがそのまま死を招くわけじゃない。
叩かれようが、嫌われようが、落ちぶれようが、まだ生きている。
ただ死にたいくらい思い悩むだけだ。ああ、死にはしない。
恥をかこうが、バカにされようが、悔しい思いをしようが
年齢に応じた経験を積まないと人生が詰むなら、そうであればいい。
逃れられない詰み筋からでも、逆転の望みが皆無でも、最後の最期までしっかりと駒を指し切るまでだ。
俺が何とか障害だろうが、何とか症候群だろうが、どうだっていい。
生き方を間違っていようが、経験不足だろうが、能力不足だろうが、どうだっていい。
俺に配られたカードが最悪の組み合わせだったとしても、ただ粛々とゲームを続けるだけだ。
俺はただ生きたいから生きる。それだけだ。
俺はただ死にたくないんだ。生きたいんだ。それで生きるのには十分な理由になる。
幸福や快楽、恋愛や友情や人間としての喜びから排除されても、俺は決して、決して死を選ばない。
さあ、世の中の「標準的」な連中ども、俺を罵れ。侮辱しろ。上から目線で批判してみろ。
心理学やら精神医学の小難しい言葉を使って、勝手に俺の人生を論評してろ。
お前らがどんなに口汚く俺を非難してきても、俺は目障りなほど生きてやる。
お前らが心の底から軽蔑するほど無様な生き様を晒したって、俺は生きることを諦めない。
必ず生き残ってやる。
本場米国の精神医学界では、自信とか自己肯定感は遺伝の影響がほとんどで、自助努力がどうにもならないし、
そもそも自信を持っていても(以前言われていたほどには)大して人生のクオリティを上げないと、言われている。
よく「○○でなければ××(否定的な評価)だ」みたいな言い方で、
じゃあどうやって自己肯定感つけたら良いのかって調べると、
自己肯定感を得られるような経験や実績を若いときに積んでいること、
みたいなことが書かれていて、ようするに「お前はもう手遅れだ」
手遅れだなんてことは十分わかってるから、
手遅れなりに何とかする方法はないのかって藁にもすがる思いでさ。
ハッキリ言って若いウチに文句のつけようのない人生送ってきた奴が
その後の人生でも成功するなんて研究するまでもなく当然じゃんw
心理学なり精神医学って何がしたいの? ダメな人間を更に叩き落としたいの?
心理学者とか精神科の先生って学者面したイジメっ子ばっかなの?
ああいう人たちが聴衆のやる気を失わせる方向ばっか語るのって何なんだろう。