はてなキーワード: テロリズムとは
明らかに今回のことが原因だろうね
国民に恨まれているのを知ってれば誰でもふるえあがるだろうけど、宗教がらみなのこの人も?
2022-07-19
次は自分がやられるかもと思ったんだろう。
どれだけ批判しても竹中平蔵を追い詰めることはできなかったのに、
テロ一つであっさり退任させることができた。
怖いよ。
良くないって。
次は自分がやられるかもと思ったんだろう。
どれだけ批判しても竹中平蔵を追い詰めることはできなかったのに、
テロ一つであっさり退任させることができた。
怖いよ。
良くないって。
他国籍、他民族に対する暴力がもしも正当化されるのであれば、どうして他宗派に対する暴力が正当化できないだろうか?
ここらへんの基本的前提が全部すっ飛んでるよね
戦争がOKってことはムカつく奴をボコってもOKってことだし、結局そうなって困るのは当局だと思ってたんだけどなあ
戦争という名の暴力は交渉だというなら、テロリズムも交渉術の一つと言えてしまう
ここらへんの論理の整理が甘い連中が新興宗教にハマりやすいのは事実だろうな
既存宗教の神学者たちが整理してきた哲学を勉強してこなかったわけだから
結局愛国保守論壇の仮定は、「自分達は一方的に都合が悪い人間をボコれる」というイジメ容認の姿勢なんだよね
暗殺(あんさつ、英語: Assassination)とは、おもに政治的・思想的動機に基づき要人を非合法に殺害することであり、テロリズム行為の一形態に分類される。
テロなのか?って話はもう2001年の9.11ひいてはイラク戦争の時に終わっていて。
テロライズ・テロリズム、っていうのは本来は、「恐怖によって政治する」、つまり脅しによって政治的主張を通そうとすることだった。
例えば、小学校に爆弾をしかけた、爆破させてほしくなければ○○を釈放しろみたいな。
テロリストっていうのはそれをする人。
怨恨や愉快犯的動機から爆弾をしかけるやつとは区別されてたわけだ。
だからお前の言う通り、安倍殺害犯みたいな奴は本来「テロリスト」ではなかったよ。
ところが2001年の時には、ブッシュが「テロとの戦争」を始めたんだよね。
ここでブッシュが言ったテロとは、「国家秩序と民主主義に弓引く、軍隊ではないやつら」のことだったよ。
それは、ブッシュのレッテル張りだったし、従来の定義とは確かに違ったんだけどさ。
現実問題として、その意味でもう世間に受け入れられているんだよ。
だから今は、昔の意味じゃなくて、ブッシュ以降の意味で「テロリスト」という用語を使っているよ。他に相応しい単語もないしね。
2001年に、こいつらテロリストじゃないよね? と言ったら、まあそうだねだったけど。2022年に同じこと言っても、テロリストって単語の意味のほうがもう変わってしまっているから、元増田が時代の流れを理解してないだけってことになると思うよ。
動機は怨恨。山上のターゲットは統一教会の創始者の一族すべての殺害だったが、それが無理だったので第2ターゲットとして広告塔になっていた安倍元首相を狙ったといっている。
よって政治的動機はない(つまりテロリズムではない)。ただし統一教会へダメージを与える意図は当然あった。宗教団体をターゲットにしたテロとはいえるかもしれない。
事件で統一教会と、そこに癒着していた自民党、政府を批判するときに一番もにょるのがこのポイント。気持ちはよくわかる。
ただの怨恨事件としてみれば、こういう事件が起きることを防ぐ社会にしようという活動をするのはなんの問題もなさそう。
山上は統一教会を潰すという意図を明らかに持っていたが、その方向に社会が動いていったら社会不安は増大する?どうだろうか。
ただ例えば「国家権力や与党と反社会的なカルト宗教は距離を取るべき」だというテーゼはあまりにも当たり前ではないか? これはだいたいみんな賛同できることなのにこれを進めていったら社会不安がふえる?
ここでの社会不安の増大とは、個人が暴力に訴えることで問題を解決していこうという人が増えること、ということにする。
でも個人の暴力で問題が解決できることがわかっても、みんな暴力を振るうわけじゃない。だいたい2つ理由がある。
暴走自動車に子供を殺された人が相手を殺したいと思ってもみんなが復讐殺人するわけではない。死刑にはならなくても執行機関が妥当といえる制裁をあたえてくれる。そういう信頼があるからだ。
これだ。ここで大切なのは「信頼」ではないか。社会不安を減らすのは社会は公正であるという信頼と、国家暴力とその執行機関が公正であるという信頼といえる。
なぜか?
社会や執行機関がなにもしてくれないなら個人が暴力に頼らざるを得なくなるから。
もちろん個人の望みが反社会的である場合もこれに当てはまる。反社会的行為を支援してくれる執行機関はいないはずだから。なので正確には、「公正か公正でないか」ではなく「個人の望みと執行機関の規範が一致しているか」が問題で一致していない場合個人は暴力的な手段にたよるしかない。
山上が犯行に及びざるをえなかったのは国や裁判所、警察公安などと執行機関が信頼できなかったからではないか。
「カルトを規制してほしい」とか「カルトの活動を野放しにしないでほしい」などの当たり前ののぞみも叶えてくれるという信頼がなかったからでは?
もちろん統一教会の創始者一族の皆殺は無理だとしても、取りうるオルタナティブとして「カルトの規制強化」とか「統一教会の国外追放」とかのまともな望みを国や裁判所がかなえてくれるという「信頼」が残っていれば、彼だってそちらに勢力を傾けたのではないか?
反社会的カルト規制強化はあたりまえのことだし、政権とカルトの癒着を断ち切るのも当たり前のことすぎる。
当たり前のことをやらないのであれば、国家には国民の命と権利を守るという約束(憲法)があるが、それが守れていない。約束が守られないと信頼は失われる。さっきも書いたように信頼が失われると社会不安が増大する。
つまり「個人の暴力による社会変革は他の個人のテロを誘発するのでは」という疑問については今のところ因果が逆なのではないか。
「国家権力への信頼が失われたから個人の暴力に頼る人が出てきた」
であれば国家権力への信頼を取り戻すように社会が動くのは正しい行動だろう。
それを「暴力に訴えれば社会は動く」ととらえて行動する個人が出てくる可能性はあるかもしれず、それについても社会が他の選択肢を示せるようにしないといけない。
(もちろんそれが反社会的な望みだったら無理なわけだが)
選挙期間で元首相の国会議員が演説中に銃撃によって殺されているのにテロじゃないわけないだろ…。こんなくだらない言葉遊びには付き合いたくもないんだが、某掲示板やSNSで一般ピープルが言ってるならまだしも一部ジャーナリストやインフルエンサーまで言ってる人がいる事にびっくりして増田に書くことを決めた。
明らかに犯人は安倍晋三を殺すことによって社会にメッセージを送ることを目的とした犯罪で、国内外のメディアもはっきりとテロといっており世界のどこで起きてもテロ以外何者でもないんだが。
逆に選挙期間で元首相の国会議員が演説中に銃撃によって殺されているのにテロではないとした事件があるのなら募集してますので教えてくださいねー。ま、ないだろうけど(笑)
「動機に政治的意図が窺えない」という点ではジョン・レノン殺害事件に近いと思われますが、あれを「テロ」に含めるというなら、増田の言い分にも一理あるとは思います。言い方はともかく
このコメントについては2つ間違いがあって
犯人の動機に政治的意図が窺えないとは思えない、まだ裁判も始まっていないので動機の全容は明らかではないが、犯人が犯行前に書き残した手紙には安倍晋三についてこう書かれている
苦々しくは思っていましたが、本来の敵ではない
とあるように犯人自身も安倍晋三本人が本来の敵ではない事を認めている。書かれている内容からして安倍晋三を殺害することで反統一教会のメッセージを送り、社会を変えようとしたのは明らか。政治的な動機としては十分。
まずジョンレノンは元首相の国会議員ではないし演説中に銃撃されたわけでもない、全く根本的に異なる事件で比較にならない。被害者と加害者の属性や関係性によって事件の呼ばれ方が変わるのは当然。
例えジョンレノン殺害事件がテロだと言われるにしても、安倍暗殺事件がテロかどうかには全く関係ない。
えーっと結局は僕が最初に求めた「選挙期間で元首相の国会議員が演説中に銃撃によって殺されているのにテロではないとした事件」でもないんでね…皆さん懲りずに探してきてくださいね^ ^
ブクマが少し伸びてたのでいくつかコメントにお答え致しまーす。
日本国政府は「テロ」を定義してません。おそらく今後もしないでしょう。今回の事件も公式にテロとは言ってないですよね。何故定義しないかはその方が都合がいいからです。
これはデマ、安倍政権時代に国会で政府側はテロの定義について過去に答弁してますね。
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a193125.htm
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b193125.htm
また、ここで問うてるのは一般的な意義としてのテロに当てはまるかであって法令的な意義や日本政府の認定は関係ないとは言い過ぎかもしれないですが、主題ではありません。何故なら影響力のあるメディアやジャーナリストがテロではないと言ってる事を問題視しているからです。どちらにせよ、どの政党も民主主義への挑戦と発表しているのでほぼテロと同義だと僕は考えてますが。
テロルだとしたらそれは「元議員を殺した」からじゃなくて、統一教会と社会の結びつきに意義を申し立てるという、「政治的な意味」でだな。安倍を殺したからってだけではテロではない。
今回の事件は"統一教会と社会の結びつきに意義を申し立てる"のは同意ですが、事件は相手の立場や関係性で変わってきます。
例えば家族に暴力を振るえばDVですし、上司が部下に暴力を振るえばパワハラ、政治活動中の政治家に暴力を振るえばそれはテロです。
実際に福山哲郎議員が今年の5月、政治活動中に暴行された際にも所属している立憲民主党が「暴力によって政治的表現の自由を踏みにじるあらゆる行為に対し断固抗議する」と強く非難を発表していました。この際に犯人の動機の種類は特に問題視されてませんでしたね。
https://www.fnn.jp/articles/-/355079?display=full
それを含めると安倍晋三暗殺事件は政治活動中の元総理の国家議員が政治活動中に殺されたこと、犯人が強く社会にメッセージを送るのが目的だったこと、2つの理由でテロ以外何者でもないです。
ケネディ暗殺事件はテロです。Google検索すれば幾らでも同事件をテロだとしている記事はありますし、政治活動中の大統領を殺すのはテロリズムになります。
もうだいたい論破できたかなw、テロではないって事を改革の免罪符にしたかったんだろうけど、もうこれテロ以外何者でもないだろ(笑)。
僕はそういう人達は現状日本社会がテロで変わってしまう・テロでしか変わらないのかという問題点・本当に改革しなければならない事も考えてほしいですねー。それでも反論あるならお待ちしてますー。(^^)v
最初に記事を書いて2.3日経ってるからもう伸びんだろと油断していたら少しブコメが伸びてたのでいくつか返信します。ここまで記事が長くなると読んでくれる人はいなくなし、スターもついてないあんまり支持されてないコメントに返信してもな…とも思いましたが、せっかく書いてくれたんでね。
ググったらテロって書いてるからテロって言われてもなあ。もちろん日常語のレベルでは何と言おうと別にいいんだけど、政治学的な定義の話をしたいんじゃないの?
特に政治学的な定義の話ではなく一般的な言葉の認識をしています。ケネディ暗殺事件をググれカスで処理したのはもう何度もテロの定義について話してきたのでさすがに読む方もわかるだろと省略しましたが、これは僕の怠惰でしたね。
そもそもの記事を書いた理由として一部ジャーナリストやインフルエンサーが言ってる安倍晋三暗殺事件をテロではないと言うのに違和感を感じたからです。明らかにテロであるものをテロではないと言うのは、鹿を指して馬というような、戦争ではなくて軍事作戦と言い換えるようなことと、同種の欺瞞でしかないです。
改めて書きますが、ケネディ暗殺事件政治家が政治活動中に暗殺されてますし、明らかにテロになります。
さらに犯人の動機については全容は明らかになっていませんが、少なからず残っている供述から社会から隔絶していた自らの生活の不満をケネディに暗殺する事に向けたと推察されます、これらは最近欧米でも言われている社会的に孤立し窮乏している人間によるローンウルフ型テロの典型です。
また、ケネディ暗殺事件はAssassinationと呼称され、Assassinationはテロの一文類になります。
「暗殺(あんさつ、英語: Assassination)とは、おもに政治的・思想的動機に基づき要人を非合法に殺害することであり[1]、テロリズム行為の一形態に分類される[2]」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/暗殺
明らかに安倍晋三暗殺事件はテロで、この議論の空虚さを感じてますが、この事件をテロではないとしようとし、その考えがこの社会を覆う事に危機感を抱き、草の根レベルの運動にはなるがこの記事を書きました。
どう都合がいいのでしょうか?政治家が銃で殺されてるのに、テロではないとした方が、体制側の奈良県警の責任逃れを強く感じます。
この事件をテロとすることで、統一教会に対する批判をテロの追認とおき批判を封じたいという思惑が当初ウヨ側にあったんだよね。今は誰もそんなの気にせずガンガン叩いてるから、もはやどっちでも良い。
どっちでもいいなら、何故これだけ反論が寄せらられたのでしょうか?貴方の物言いは正直、"効いてて草"としか感じないです。
論点が見えない。「政治家が演説中に殺されたら即テロと断定」との命題であれば、私の回答は偽。もし愛人との痴情のもつれで銃撃されたらテロではなかろう。山上容疑者の銃撃がテロなのか怨恨なのかはまだ不明
論点は安倍暗殺事件がテロかテロでないかです。ここまで書いてきてそこがわからない人がいる事に脱力してます…
山上徹也は安倍晋三の愛人ではありませんし、山上-安倍間には痴情のもつれはありません。
何度でも書きますが、事件は相手の立場や関係性で変わってきます。
例えば家族に暴力を振るえばDVですし、上司が部下に暴力を振るえばパワハラ、政治活動中の政治家に暴力を振るえばそれはテロです。
テロだと思いたい本当の理由は「テロの被害者が無垢」という考え方にありそうだな。たとえテロであっても自民と統一教会の結びつきは糾弾されるべき性質のもの。
テロかテロでないかのに被害者が無垢であるかそうでないかは全く関係ありません。
改革するなとは言いませんが、テロによって変わってしまう日本社会に問題意識は持ってほしい。
政治と宗教の癒着を改善する事はこの問題の表層的な事でしかなく、今語られていることは本質的な議論にはなってません。
氷河期世代等々の失職し生活が窮乏している人達への就労や学業支援の在り方やセーフティネット、孤立している人達への受け皿になるコミュニティ等々、他にも議論されるべき課題はあり、本質的な改革や整備がされないままだと、山上徹也のような頭のイカレたテロリストはこの社会に内在し続けます。
もう、反論さすがにないでしょ。記事作成から2ー3日経ってるし、ここまで長くなれば読む人はいないだろうし。ここまで書いてまだ反論あるなら私は一向に構わん!ですがね、ご意見お待ちしてますー。
暴力や詐欺紛いを行うカルト団体が政党に入り込むことは、それ自体が民主主義の危機だよね。
さらに、暴力により自身の目的を遂げるようなテロリズムもまた民主主義に対する挑戦である、という二点が確認できればいいと思うの。
それでこれ思い出したわ。
でも,あれは本当のところ一種の哲学の貧民窟だね.ラッセル・ウィトゲンシュタイン・フレーゲの時代にあんなゆるゆるな論理構成の本が書かれるなんて,耐えられないよ.あれでやってけるのは,相手にしてる読者が専門分野で有能な哲学者じゃないからじゃないかな.彼らは文学理論みたいな他分野の人たちに向けて話してることが多いよね.それに,哲学にはいつもこんなふうに考える一派がいるんだ,「いや,ぼくらは自分たちの専門だけを狭くやるばかりじゃいけない.こういう他のアイディアにも開かれてなきゃね」って.新しいアイディアに開かれている方がいいってのは全面的に賛成だけど,まともで高度な哲学の著作と,知的に許容できない著作との区別はしないとね.
このことは前にミシェル・フーコーに言ったことがある.デリダに対する彼 の敵対心ときたらぼくすら上回るくらいだけど,その彼が言うには,デリダは obscurantisme terroriste(テロリズム的蒙昧主義)って手法を実践してるんだって.ぼくらはフランス語で会話してたんだ.で,ぼくはこう言った,「いったい そりゃなんのこと?」 で,フーコーが言うには,「デリダはすごくあやふやな 書き方をして,何を言ってるんだかわからなくするんだ.これが「蒙昧主義」の部分.で,人がじぶんを批判すると,『あなたは私を理解していないよ.あた まがわるいね』とくる――これがテロリズムの部分だよ.」 これが気に入ってね.脱構築について文章を書いたときに,ミシェルにその発言を引用してもいいかなって訊いたら,「いいよ」って言ってくれたよ. フーコーはしょっちゅうデリダと一括りにされてた.でも,それはフーコー に対してすごくアンフェアだよ.彼は思想家としてデリダとはまるで器がちがう.
https://blueeyedson.hatenablog.com/entry/20111201/1322730931
以下が背景ね。
ジャック・デリダによるサールへの最初の攻撃は1971年行われた。サールはタイプ原稿9枚の感想を書いた。その後サールは発話行為の自然な発展的研究主題として志向性の研究に専念し、1983年『志向性』を公刊する。この書評はその直後である。デリダは、アメリカ・ディコンストラクション派の無名の雑誌「ジラフ」に、サールの感想文を引用して解体したかのような長大な文章を掲載し、1993年サールに無視され続けたデリダは「討議倫理」に関するさらなる文章をつけて『有限責任会社』を1990年公刊する。日本ではこの版のみが知られ「サール=デリダ論争」というものがあったという神話が法政大学出版局によって広められた(邦訳2003年刊、『ジョン・サールとの会話』にて詳述)。同年サールはNew York Review of Booksに”The Storm Over the University
” 1990を掲載(未邦訳 http://www.ditext.com/searle/searle1.html )。ここで『社会的現実の構成』に一部含まれるポストモダニスト批判を展開した。1990年代、社会生物学論争と「マーガレット・ミードとサモア」による文化相対主義批判の勝利、さらに1994年アラン・ソーカルによる疑似論文投稿に始まるソーカル事件が起こり、以降フランス哲学者らの理論がアメリカでフレンチ・セオリーと別称されるようになる。
う~んこれ本当に山上か?
統一教会への恨みは見て取れるけど、安倍個人への恨み、統一教会への関係性についてほとんど語られてない
関係ありそうなのといえばハーバービジネスオンラインの引用(https://twitter.com/333_hill/status/1325739081024724993)だけど、
これを引用するからにはこそから「安倍が統一教会を広めたんだ」、と続くのかと思いきやそんなこともない
って言ってるのもあるし
これが本当に山上本人だとしたら、やっぱり安倍に恨みはないけど一番効果的な方法を考えたうえでの”テロ”だったんだな、って感じがする
【追記】
「テロリズム」とは、一般には、特定の主義主張に基づき、国家等にその受入れ等を強要し、又は社会に恐怖等を与える目的で行われる人の殺傷行為等をいうと承知している。
三浦瑠璃氏の発言について、ずーっと思っていたことが言語化できそうなので、書き留める。
タイトルの通り、三浦瑠璃氏の発言は、小泉進次郎氏の発言に語彙力を足して、橋下徹の高圧的な姿勢を少々足すとしっくりくるように感じる。
以下に、彼女のツイッターを引用して、ざっくり読解ができればと思う。
→文意の解釈・受け止め、←この文章を書いている人の個人的な意見
三浦氏 2022年7月15日
「ロシア=ウクライナ戦争でコロナ禍が消えるかというとそんなことはありません。
今後戦争と制裁による経済被害が広がります。供給体制に多大な制約が生じ、需要側もエネルギー価格の高騰や物価の上昇で家計が苦しくなる。
結果として政治不安が高まるかもしれません。そこへ行動制限が加わるのです。」
さらにリプ
「第7波はくる。その想定のもとで考えてみてください。いまのようなやり方で、どれだけ経済や社会が持つのか。
ほんとうに大不況に突入したいのか。中国のように国際的交流を遮断して閉じこもる国になりたいのか。
年金や医療を支えているのは現役世代が回している経済です。未来を創るのは子供たちです。」
一つ目のツイート
→そうだね。そうだね。そうだね。
2つ目のツイート
→そうだね。そうだね。そうだね。
→小泉流に言い換え
今、こういった状況にある。このままでいいのか。今の日本は現役世代に支えられ、未来を創るのは子供たちである。
←具体的な提言をしているわけではなく、状況を描写しているという感じ。
三浦氏 2022年7月14日
「おそらく、そろそろ民間各社はほんとうに濃厚接触者の自宅待機をやめないと、何も機能しなくなると思います。
コロナに感染してもごく軽い症状ならば、5日間待機のグローバル基準でよいのではないでしょうか。
政府が方針変更しないのなら、企業が方針変更して自衛しないと回らなくなりますね。」
→1行目、そうだね。
←2行目、コロナ感染者が5日後にウイルスを排出しているか否かが懸念。
→3行目、そうだね。
→小泉流に言い換え
このままでは何も機能しなくなる。コロナ感染者が軽症なら活動を禁ずるべきではないのか。このままでは回らなくなる。
←参照
オミクロン株感染症例におけるウイルスの排出は、時間の経過とともに減少する。
有症状者では、発症日から10日目以降において、排出する可能性が低くなることが示された。
なお、無症状者では、診断日から8日目以降において排出していないことが示された。(掲載日:2022年7月14日)
https://www.niid.go.jp/niid/ja/2019-ncov/11309-covid19-ab90th.html
三浦氏 2022年7月13日
“楊井人文
【Yahoo!にコメントしました】にわかに統一教会の問題に注目が集まっているが、犯人の術中にハマってはいないか。
この教団への復讐を狙って、その手段として「安倍元首相殺害」を計画したのなら、まさに狙撃犯のもくろみ通りの「社会的反応」を招来していることになる”
「まさに同感する視点。この供述は自分の主張のために殺人をするテロたるゆえんを示していますね。」
→そうだね。
テロリズム(英語: terrorism)とは、政治的な目的を達成するために暴力および暴力による脅迫を用いることを言う。 「テロ」と略される。(ウィキペディア)
さらにリプ
「最近報道がそっちへ傾いているように、被害者に帰責性をもとめ、殺人犯になんのかたちにせよ共感を寄せることはいつだって危険なのです。
人を殺す必要もないのに殺すのは、こうやって注目を集め、社会を揺さぶり、自分の考える「正義」の主張に耳を傾けさせ、動かすことが目的としか思えませんからね。」
→「そっち」…統一教会によって山上氏の家庭が崩壊し、統一教会の悪徳商法の詳細が明らかになっていくさま?
洗練された洗脳のメソッドにより入信・献金が避けられないほどだった。
さらに突っ込んだ報道では、統一教会が自民党および安倍氏と深く結びついているとのこと。
「帰責性」:帰責…ある物のせいにすること。この文脈では安倍氏に責任があるのではないかという考え。
「殺人犯に共感を寄せることはいつだって危険」…おおむねそう。
←ただし、一部の殺人犯は幼少期に虐待された経験があるなど理不尽な境遇にあることも多く、その問題解決に行き届かない公共・行政への問題意識も重要である。
←「人を殺す必要もないのに殺すのは」…人を殺す以外での問題提起の方法が困難だった、知らなかったのでは…
→「こうやって注目を集め、社会を揺さぶり、自分の考える「正義」の主張に耳を傾けさせ、動かすことが目的」…それがテロリズム。
→小泉流に言い換え
引用元:教団への復讐であるなら、(大衆の注目を集めるための)テロとして、今の状況は犯人の思うつぼである。
引用三浦氏:同感。犯人の供述を見るに、自分の主張のために殺人をするのはテロです。
リプ三浦氏:現在の報道によって、安倍氏に責任を求め、殺人犯に共感することは危険。注目を集め、自分の主張によって社会を動かすことが目的(=テロ)としか思えない。
←おそらく論点としては、山上氏が“世間の目”を気にせず、安倍氏・統一教会に対してまっすぐ殺意を抱いたのか、
“世間の目”に対してなんらかの主張を訴えるために殺人に及んだのか(テロにあたる)、なのかと思う。
「テロは許されない」が、今回の事件が「テロなのか、テロではないのか」は今のところ不明瞭なのではないかと思う。テロとの見方が多いようだけど。
テロであるなら、私は犯人の術中にはまっていることになるのだろうけれど、テロか否か問わず、あらゆる事件は再発防止に向けて十分に検証されるべきだと思う。
ーfeat.橋下徹ーについて
テキストのみでは、橋下徹氏らしさはないけど、朝まで生テレビや参院選の開票特番など、出演番組での話し方はfeat.橋下徹氏が強い。
見てみてね!なーんか嫌な感じだから。建設的な議論というより、ありきの結論に向かうためのスキル・テクニックに自信ありますって感じで、生産性を感じない\(^o^)/
※蛇足
←ニコ動の開票特番で、福島瑞穂氏が、「あらゆる暴力に反対」し、別途、犯人の供述・動機を見るに「安倍氏と統一教会との関係は検証が必要」と発言したところに、
東氏「自民党が統一教会と関係しているからこのようなテロを招いたってこと??」
←言ってなくない??
~中略~
東氏「自民党は統一教会と関係しているからこのようなテロを招いたということを言った?」
石戸「それに近い」
三浦「ほぼそれに近い」
←言ってなくない??(もっというと福島氏はテロだとも言ってない…)
参照元:https://twitter.com/070vv4/status/1546658500683898880?s=20&t=YeVxyNSG-eSsKn7F11M8sA
←犯人の動機を調べると同時に、この一件で注目の集まった自民党と統一教会の関係性は詳細に調べられるべきでは…
←嫌なシナリオ
政府が増税連発、公共サービスの縮小→生活に困窮する人が増える→統一教会の積極的な勧誘→統一教会および自民党のもとにお金が集まる。
←カルト2世の方が情報発信をしてくれているけど、彼らの親が困窮していたり社会的に追い詰められている中で入信していく様子を見るに、
行政や福祉の行き届かないところで宗教やカルトはいきいきと活動しているようで…非正規雇用、手取り13万円、長時間労働、ワンオペ育児などのキーワードでいろいろ思いやられる。
もっと蛇足になるけど、個人的にはニコ動の開票特番に出演してる人が過半数、
自民党支持・擁護要員だったことのほうがショック…メディアの人選がレベルを表すよね…諸々の番組での橋本氏の起用はまじでやめてほしい…
人の話し方とか態度を見ると、その人がかつて、そんな風に他人に接せられてきたのかなとか、大変だったのかな、生きるすべなんだよね、と思う。
あとは見えないものを見ようとして、擁護できないものを擁護しようとして、頭にないものをあるように見せようとして、みたいな…虚無を感じるこの頃…
安倍氏の虚偽答弁118回は有名だけど、嘘をつくことにあそこまでためらいがないのはすごかったよね、総理大臣には適してなかったと思う。
安倍昭恵氏に心を寄せる人が多いようだけど、ここ数日は赤木さんの奥さんのことを考えていたよ…自民党議員一斉辞職しないかな…
うまく改行できなくてごめん
テロを許さないことと、それと同時に背景にある社会問題に対して解決する意思があること。これを政府から強くアピールする必要があったはずだ。
二つのミッションを両立させることが今回の事件が日本に対して突きつけた問題だ。これをはっきりさせられる立場に最も近かったのは日本政府だが、会見を見る限りその意思を感じることはできなかった。
とてつもない難問ではあるが、それでもこれらは同時に成し遂げられなければならない。
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すでに日本は、銃がないから甘く見られているだけで実際はテロ天国みたいなものなのかもしれない。サリン、ガソリン、ダブリン、シベリア、密造銃と工夫ばかりしやがって。だがそれでも、テロリズムで問題を解決させる、テロに成功体験をもたらすというのは社会的にはマイナスの要素が大きい。リベラル界隈(自分の観測範囲は主にはてな内だけど)はすでに取り込まれていて、犯人を持ち上げるようなコメントが珍しくない。面白半分なのかもしれないがそれは面白半分で済む問題ではないのだ。
一方の保守界隈は見たくないものを見ない権利を最大限に行使していて、試しに虎ノ門なんとかを見てみても統一教会の欠片も出てこなかった。彼らの日本にはカルトによる被害など無いのだろう。やったね。
現実にそこにあるカルトを否認するのもまたカルトに与することだ。もちろんもっと様々な反応はあるが、全体像に正しく対処できてるとは思えない。
一番苦しんでいるのはこれまでカルト問題に地道に取り組んできた(主に弁護士やジャーナリストの)先達たちだろう。
何十年も地道に一歩一歩活動してきたものが、いきなり吹き飛ばされそうな猛烈な追い風が吹き、かつ、追い風に乗って下手にオーバーランすればテロリズムの成功例としてカルマを積むことになる。
本来、周りの環境が激変したところで彼らの歩みは何一つ文句を言われる筋合いはないはずなので、ペースを崩さずに歩み続けてくれることを祈るしかない。
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テロに成功体験を与えないことと、カルト問題を解決することが、今回の事件でまるで対立事項のように見えてしまっている人が多いと思う。
いや実際対立しちゃってるので全く余計なことしやがってという気分であるのだが、現実問題としてどちらかを選んで他方を捨てるというのは受け入れるわけにはいかない。
色々考えたが、結局必要なのはアナウンスなのだろう。暴力には屈しないが問題は解決する。浮かび上がった問題は解決するが、それでも暴力は許さない。そういったことを地道に叫び続けるしかない。
そのようなときに重要なのは政府からのメッセージだ。政府には危機事態に対してメッセージを発する義務がある。
なんとなく自分が思い描く理想の反応というのは、以下のようなものだ。よく覚えてないけどインデペンデンスデイのようなイメージで書いてる。
「民主主義の営みに対する直接的な攻撃によって人命が失われた。背景にどのような社会問題があったとしても、これを日本政府は絶対に許容しない。
社会問題、あるいは個人的な苦境であれ、それは暴力ではなく社会福祉によって救済されなくてはならないし、日本政府にはその意思がある。
(オプション)国では適切な窓口を用意している。連絡してくれれば、あなたの問題を国がサポートすることを約束する。ぜひ利用してほしい。
(理想的なオプション)完全に匿名で相談できる窓口も用意されています。個人で抱えきれない問題に対して、法的に安全に相談できる環境なので、一度でいいから連絡してほしい。
とにかく苦しいときは連絡してほしい。政府は皆さんをサポートすることで暴力や自殺やテロリズムを防ぐ強い意思を持っています。
あなたがどのような問題を抱えていたとしても、それを暴力で解決しようと決断しないでほしい。お願いします。」
自分で書いててもピンとこないけど、多分そういうメッセージをひたすら政府が発信することがいま求められていることだと思う。テロの再生産をしないという目的と社会問題を解決するという目的を同時に達成するために。
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(心の声)
政府がメッセージを発するという機能も、この10年なんとなく失われ、総理大臣が会見をする風景がとても珍しくなった。
完全匿名の相談窓口を政府が開いたとアナウンスしたとして、その匿名性を、政府のフェアネスを信じる下地もなんとなく失われたように思える。
正直言って詰んでる気がしないでもない。
それでも、綺麗事を政府が叫び続けることは民主主義国家にとって必要なことだと、今はまだ思っている。
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テロを許さないことと、それと同時に背景にある社会問題に対して解決する意思があること。これを政府から強くアピールする必要があったはずだ。
二つのミッションを両立させることが今回の事件が日本に対して突きつけた問題だ。これをはっきりさせる立場に最も近かったのは日本政府だが、会見を見る限りその意思を感じることはできなかった。
とてつもない難問ではあるが、それでもこれらは同時に成し遂げられなければならない。
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すでに日本は、銃がないから甘く見られているだけで実際はテロ天国みたいなものなのかもしれない。サリン、ガソリン、密造銃と工夫ばかりしやがって。だがそれでも、テロリズムで問題を解決させる、テロに成功体験をもたらすというのは社会的にはマイナスの要素が大きい。リベラル界隈(自分の観測範囲は主にはてな内だけど)はすでに取り込まれていて、犯人を持ち上げるようなコメントが珍しくない。面白半分なのかもしれないがそれは面白半分で済む問題ではないのだ。
一方の保守界隈は見たくないものを見ない権利を最大限に行使していて、試しに虎ノ門なんとかを見てみても統一教会の欠片も出てこなかった。彼らの日本にはカルトによる被害など無いのだろう。やったね。
現実にそこにあるカルトを否認するのもまたカルトに与することだ。もちろんもっと様々な反応はあるが、全体像に正しく対処できてるとは思えない。
一番苦しんでいるのはこれまでカルト問題に取り組んできた(主に弁護士やジャーナリストの)先達たちだろう。
何十年も地道に一歩一歩活動してきたものが、いきなり吹き飛ばされそうな猛烈な追い風が吹き、かつ、追い風に乗って下手にオーバーランすればテロリズムの成功例としてカルマを積むことになる。
本来、周りの環境が激変したところで彼らの歩みは何一つ文句を言われる筋合いはないはずなので、ペースを崩さずに歩み続けてくれることを祈るしかない。
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テロに成功体験を与えないことと、カルト問題を解決することが、今回の事件でまるで対立事項のように見えてしまっている人が多いと思う。
いや実際対立しちゃってるので全く余計なことしやがってという気分であるのだが、現実問題としてどちらかを選んで他方を捨てるというのは受け入れるわけにはいかない。
そのようなときに重要なのはメッセージであるはずだ。政府にはメッセージを発する義務がある。
なんとなく自分が思い描く理想の反応というのは、以下のようなものだ。よく覚えてないけどインデペンデンスデイのようなイメージで書いてる。
「民主主義の営みに対する直接的な攻撃によって人命が失われた。背景にどのような社会問題があったとしても、これを日本政府は絶対に許容しない。
社会問題、あるいは個人的な苦境であれ、それは暴力ではなく社会福祉によって救済されなくてはならないし、日本政府にはその意思がある。
(オプション)国では適切な窓口を用意している。連絡してくれれば、あなたの問題を国がサポートすることを約束する。ぜひ利用してほしい。
(理想的なオプション)完全に匿名で相談できる窓口も用意されています。個人で抱えきれない問題に対して、法的に安全に相談できる環境なので、一度でいいから連絡してほしい。
とにかく苦しいときは連絡してほしい。政府は皆さんをサポートすることで暴力や自殺やテロリズムを防ぐ強い意思を持っています。」
自分で書いててもピンとこないけど、多分そういうメッセージをひたすら政府が発信することがいま求められていることだと思う。テロの再生産をしないという目的と社会問題を解決するという目的を同時に達成するために。
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(心の声)
政府がメッセージを発するという機能も、この10年なんとなく失われ、総理大臣が会見をする風景がとても珍しくなった。
完全匿名の相談窓口を政府が開いたとアナウンスしたとして、その匿名性を、政府のフェアネスを信じる下地もなんとなく失われたように思える。
正直言って詰んでる気がしないでもない。
それでも、綺麗事を政府が叫び続けることは民主主義国家にとって必要なことだと、今はまだ思っている。
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自民党の安倍晋三元首相(67)が8日、奈良市での参院選の演説中に銃撃されて死亡した事件で、殺人容疑で送検された無職、山上徹也容疑者(41)が、母親が入信していた世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に関連し、「自分が安倍氏を襲えば、家庭連合に非難が集まると思った」という趣旨の供述をしていることが13日、捜査関係者への取材で分かった。
https://www.sankei.com/article/20220713-EMM5FZACBNJYDLL3KT42A7N7QA/
とまあこのような思想に対して、何ができるだろう。抑え込めば文字通り自爆するだろう。周囲の人々の肉は飛び散るだろう。
弱肉強食、金持ちだけが投資でますます金持ちになる世界を強固にしようとすればするほど、これからテロリズムとの戦いは苛烈になるだろう。パンドラの箱は開かれた。どれほど抑圧された人間でも、最後の手段を持っていることを私たちは皆わかってしまったのだから。
テロリストを社会に包摂するということは何を意味しているのだろう。カネのないものにカネを、職のないものに職を与えることだろうか。絶望しているものに寄り添うことだろうか。無限に寛容になることだろうか。わからない。少なくとも、そういうことが完全にうまくいっていれば、今回のようなことは起こらなかっただろう。
力で現状を変更したいという誘惑に私は駆られる。私にも許せない人間がいるから。だが、テロリズムを礼賛する人間は、明日の満員電車で隣の人間が爆発する事態を想定していないことを思い出す。誰もが加害者にも被害者にもなりうることを。
民主主義を信頼することだろうか。心を強く持って、今こそ共同体の維持に向けて行動することだろうか。私はどちらかといえば、そういう立派なお説教は苦手だ。そういうお説教をする人間は概してテロリスト予備軍の本当の苦しみなど分かりもしない人間だと思うから。
人間であること。苦しみを苦しみとして分かち合うこと。宗教なしにそういうことができるものかどうか、わからない。わからないが、自らの呪いに耳を澄まし、自らの憎しみに、怯えに目を凝らし、自分が本当に恐れていること、どうしても守らねばならないと感じることを自覚し、外に目を転じた時、苦しんでいるもの、ナイフを取り出そうとしているものがどこにいるのか、今よりも見ようとすることしかできないように思う。
日本全国のテロリストに朗報。誰でも周到に準備して練習を繰り返せば人を殺せるし、一発で日本国をひっくり返せるとわかってしまった。テロはやればできるのだ。
過去の経歴や収入は一才不問。必要なのはやる気だけ。やる気あるいは強い怨み、あるいは強い怒りさえあれば、一念岩をも通す。現状を変えられる。いくら助けを求めても誰も助けてくれなかった。誰も話を聞いてくれなかった。それでも大丈夫。ナイフや弾丸で一発逆転するチャンスがまだ残っている。結局のところ、頼れるのは自分だけということだ。
民主主義などなんの役にも立たないお遊びだ。そんなものは、喋って他人に言うことを聞いてもらえる能力のある人間、そんな暇のある人間、カネのある人間の贅沢品だ。じつにくだらないたわごとだ。誰にも助けてもらえなかった人間、貧乏人が最後に頼れるのは力だけだ。不正な豚どもの肉を切り裂く弾丸だけだ。
いま、日本全国が、やればできるという希望で溢れかえっている。自分を馬鹿にしていた奴ら、テレビの向こうで偉そうにふんぞり返っていた奴らがすっかり怯えきっている。いまこそやるときだ。やればうまくいくことが証明されたのだから、やらない理由はない。自分はもはや無力な存在ではない。
ご立派で清潔で金持ちの世界に住む人間にはまったく歯が立たないと思ってきた。自分はあいつらから一生やられ続けるだけの人間だと思ってきた。でもいまは違う。いまこそ、力のない者が現状を変えることのできる、本当の民主主義の時代がやってきた。不正に対する実力の行使こそが正義だ。行動を起こせば奴らは動揺する、怯む、譲歩する。信念さえ持ち続けていれば、世界は実力で変えることができる。いまこそ、心に隠し持ってきたナイフを取り出すときだ。