はてなキーワード: ウイスキーとは
以下の記事とツイートを読んで、次の問いに答えよ。(各20点)
https://toyokeizai.net/articles/-/625601
https://twitter.com/sanfoods_aikawa/status/1581621713976320000
問1. 『会長』を「ジャパニーズウイスキー」と呼んでいるのは誰か。(複数回答可)
問2. 『会長』と称されるウイスキーはいくつ紹介されているか。
問3. ジャーナリスト池滝和秀が電話取材をした相手は誰か。また、その際に何を訊ねているか。(複数回答可)
大体仕事をして22時か23時に帰ってくる。仕事は忙しいが、時間ほどきつくはない。労働時間を管理されないから適当に休みながらやっているから遅くなっているだけだ。
帰ったら風呂に入り、妻のつまらない話を少し聞いてからヘッドホンをしてウイスキーを飲む。大した量じゃない。ロックでチマチマと飲み、氷を足してまたもう少し飲む。一時間か二時間で足した氷も溶け切るが酔えず、同じグラスにウイスキーを注いでそのままあおる。酔うためだけの意味のないアルコールだ。
それでも俺は歯を磨き一杯の水とサプリメントを飲んでから眠り、翌日はまた9時から仕事をしてウイスキー代を稼ぐ。中途半端でつまらない人間だ。何もできないしする勇気もない。このまま死ぬまで。
日本のビールの歴史年表 昭和24年〜昭和45年(1949〜1970)
https://museum.kirinholdings.com/history/nenpyo/bn_06.html
> 1963年(昭和38年) 日本麦酒、「サッポロ生特大びん」(通称「サッポロジャイアンツ」)発売。[4月1日]
> 1965年(昭和40年) ビール各社、プルトップ缶ビールを発売。缶を開けるのに缶切りを使う必要がなくなった。[3月]
> サッポロビール、「サッポロストライク」発売。びんの王冠を手で開けられる「栓抜きのいらないびんビール」。[3月]
> 1967年(昭和42年) サントリー、フィルターで濾過した生ビール「サントリービール〈純生〉」発売。[4月20日]
> 「(「父の日」)帰りがけに近くでウイスキーやカン入りビールを買ってもらうパパが結構多かったようですよ(新宿の伊勢丹従業員の談話)」(『読売新聞』6月19日)。
> ビアガーデンやビアホールは夕方ともなると若い男女、中年のサラリーマンであふれる。ビールはすっかり生活にとけこんだ(『朝日新聞』7月13日)。
君たちは何歳なんだ?
アル中諸氏こんばんわ
ミニ水筒なんてゆるふわOLがそんなちっちゃいの持ち歩いてなんなんだよ、すぐに飲みきっちゃって水筒の役割果たせねえだろ、可愛いって思われたいだけか!って思ってましたが非常に便利でしたのでご報告いたします。
160mlのいわゆるミニ水筒。軽く小さく持ち運びに便利であるが路上でも電車内でも軽く水分補給をしている感じで飲酒ができる。カモフラージュ性が抜群である。原宿の明治通りを歩きながら素敵な顔をしてブラックニッカをグビグビイッてても不審に思われない。カジュアルだ。
入れるのはもちろんハードリカー。ウイスキー、ラム、ジン、テキーラ、ウォッカ、ブランデー。半日くらい入れっぱなしにして退勤直後にガシっと飲むような感じでそれなりに時間が経つ用途を考えると、蒸留酒をストレートで入れるのが雑菌とか余計な事を考えずに済むので良い。
氷止めのストレーナーが付いているので、1,2個小さい氷を入れてもいいが保温性はないのでロックというよりも濃いめの水割りと割り切るのがいいだろう。
ホットワインはおすすめできません。ストレーナーがプラスチックで色がつくし保温性が無いからシケた味になります
160mlや350mlのミニ水筒はストレーナーが付いているのでちょっとしたカクテルをシェイクする事もできる。
ちゃんとしたシェイカーを使ったほうがいいのはわかるが、映画なんかを見て急にマルガリータ飲みてえなってなったときにいい。
洗うのも簡単だし。シェイカーって、カクテル作る以外の使いみち無いから飽きたら邪魔なんだよね。
カクテルを家で飲みたくなるなんて1年に数回あるか無いかだし。でもその時にはむちゃくちゃ飲みたくなるので
ワインや日本酒を冷やして飲みたいときボトルをそのまま置いておくと温くなるし、かといってなんども冷蔵庫と行き来をするのも面倒。
350mlか500mlの水筒は食事中くらいならまあまあの保温性があるのでグラスを飲みきって注ぐを何杯か繰り返すには丁度いい量だ。
そのままではお燗には使えないが別でアルミのタンポを持っていれば燗にした酒を入れればいい銚子になる。これは160mlでもいい。
父親は医師だった。母親は元栄養士の専業主婦。小学生の時に両親が離婚。僕は父と離れたくなかったが母の地元のクソ田舎に拉致された。
田舎での生活は苦痛だった。お下がりのボロキレを着た同級生の男たちからは当初標準語を揶揄われた。女の子には小さな頃からモテたが、下品な方言を話す日焼けした女の子たちから好かれても何も嬉しくなかった。何より苦痛だったのは家族。祖母、母、同じ敷地に家がある母の妹と婿、その子供の3姉妹(つまり従姉妹)と一緒に暮らした。家での遊びはおままごとやピアノ。祖母、母、叔母、従姉妹たち、と女に囲まれ、義理叔父である婿はいつもペコペコしていて気持ち悪かった。酒も飲まずタバコも吸わない稼ぎも悪い地方公務員。叔父が夕方には帰宅して洗濯を取り込む姿を見るのは苦痛だった。そして母は「〇〇くん(義理叔父)はあなたのお父さんと違って優しいね」と、まるで僕にそうなれと言わんばかりに呟いた。実父が僕に優しくなかったことなんて一度もない。お前と一緒にするな。
実父はいつも夜中に帰ってきたので実父の帰宅姿を見たことはない。たまに僕が起きてる時間に帰ってくるのを見るのが楽しみだった。タクシーで帰ってきた父は「お土産買ってきたぞ」とお寿司を食べさせてくれた。タバコ、焼酎、ウイスキーの匂いのする父の膝の上で食べる寿司が好きだった。母は不機嫌な顔で「歯を磨いたのに」「なんでこんなに遅いの」と文句を言っていてそれが嫌だった。休みの日でも洗濯物や料理はしない。「おい飯早くしろ」が口癖で、そんな父が好きだった。
離婚後の家では女の意見が優先だった。叔母や従姉妹が興味ないのでキャンプにも釣りにも行けなかった。野球は嫌いという叔母と母の意見で従姉妹と同じテニスをやらされた。野球は実父の好きなスポーツだったのに。
僕は中学、高校になると母や叔母、従姉妹たちに「父性」「男性」を取り除かれ、「不完全な男になってしまった」という妄想に取り憑かれた。
高校時代に同級生たちと起こした強姦事件、大学進学の予備校代、大学の学費と一人暮らしのアパートの用意。それらを元夫である実父に頼っている母の姿を見て「結局女は男がいなけりゃ何もできない。所詮お前らは男の所有物だ」という思いを確信に変えた。
2022.8/30 皆さまへ
前パートでは時間をぼったくってしまいました。申し訳ありません。
https://anond.hatelabo.jp/20220829202648
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気が付いたらめっちゃ書いてるな。気が晴れてきた。
それから、地元ではイマイチ目立たない感じの、偏差値40半ばの私立高校(今年甲子園に出場している)に入った俺は、ますます薄汚い根性を身に着けていった。アニメとかドラマとかで、三下がやるような行動があるだろう。まさに、それをやっていた。
例えば、土曜日なんかの地元のセブンイレブンで、可愛い子と大学生くらいの男が仲睦まじい様子で店から出てきたとするだろう。モテない俺達としては、大いにイラッとするわけだ。
人がいない辺りに出たのを確認して、3人で近づいて取り囲んだことが何度もある。
「こんにちはー」「かわいいっすね」「夕方までお話しませんかー?」「怖くないんで」みたいな具合で話しかけにいく。彼氏と思われる方は、ほとんど全員委縮する。当然だ、喧嘩なんてしたことはないんだろう。それで、女の子と会話を続けて、腕とか肩に触っていって、コンビニに停めてあるバイクの方まで連れて行く。男の方は、怖い顔の先輩がガードして止めておく。
半分以上はうまくいった。女の子が声をあげたら大人しく退散するし、近所の人が携帯電話を取り出していたらダッシュで逃げるし、男の方が暴力に訴えたら、3人がかりで服を掴むなどしてブンブン振り回して、道路に沿って流れている小川に叩き落して終わりだ。
ちなみに、女の子はバイクの後ろに載せて、付近の国道沿いエリアまで連れて行って、適当に飯食ってカラオケに行ってそれで終わりだった。犯罪的なことをしようとした連れもいたが、俺が怒鳴って止めていた。『警察に捕まるのだけは割りに合わない!退学になるだろ!危機管理が大事だって父も言ってたろ!』と、まさにゴブリンレベルのこざかしい思考を巡らせていた。
情けないほどの三下だった。これって、ある意味弱者男性じゃないか。精神的な意味での。自分がモテないからって、モテる奴を踏んづけて勝者になった気分になってたんだよな。普通に最低だと思う。ちゃんとした教育を受けてない人間って、リアルゴブリンなんだよな。
読者の方の溜飲を下げるために言わせてもらうと、その後ひどい目に遭うことになる。ああいう感じで無理やりに引っ張っていった子が、マジモンの反社(暴力団。名前は当然伏せる)と関係があった。ある日の夕方だった。俺達3人は、例のセブンイレブンにバイクで立ち寄ったところで、黒くてデカい車からいきなり出てきた連中、今でいう半グレだな。そいつら4人に取り囲まれて、本人確認されて、その後は最短コースでボッコボコにされた。
時間的には数分だったが、バイクはキズモノにされたし、俺は駐車場の車止めに向かって蹴りを食らわされて激突したし、その後も殴られて、額からも鼻からも血が出て、あいつらが帰ろうとした時には痛すぎて立つこともできなかった。
コンビニから一番偉いと思われる、まさにヤクザな風体の人が出てきた。今思えば、店舗責任者と話をつけていたのだろう。その人は「次やったら海に捨てんぞ」とだけ吐き捨てて、黒いデカい車の後部座席に乗った。
その日、思い知った。力というのはより強い力に潰される運命にあると。自分達は社会のゴミのひとつに過ぎないと直感した、そういう日だった。
厳密にいうと、「力というのはより強い力に潰される」のを本当の意味で知ったのは、それと同じ月のことだった。家に帰った俺を見ると、じいちゃんがとんでもない目つきでやってきて、肩をさすった。
「誰にやられたんな! 言え!!」と。親父も訝しい目線でこっちを睨んでいた。椅子から立ち上って、電話の方を見ていた。眉間にシワを寄せてた。
じいちゃんにも親父にもいろいろ聞かれたけど、要約すると「大丈夫だったか?」と、それだけになる。で、あっという間だった。一週間も経ってないんじゃないか。その半グレの連中+ヤクザな風体の人が逮捕されたのは。
じいちゃんと、後は親父も一緒に警察に行ってくれた。それで、やられた俺の仲間二人と、対応したコンビニ店員にも警察官が話を聞き取って、黒い車のナンバーもわかって、それでやつらは一斉逮捕となった――と、父親から聞いた。
肩書の力もあったように思う。祖父も父親も、自分の名刺を警察官に渡していた。じいちゃんは、当時天下りで地元のJAの役員になっていて、親父は食料品関係の会社の代表だった。その二人が、取調室の中で、説得力ある風に警察官に詰め寄って、いろいろ言っていたのを覚えている。
今では、「力というのはより強い力に潰される」→「権力はより強い権力に従う」という風に脳裏に刻んでいる。あの当時、もしかして俺ってすごくツイてたんじゃないか。マジでそう思う。
(追記)
今現在、じいちゃんは亡くなっているし、あの時すごい剣幕で警察官に寄っていった親父も、寄る年波には勝てててない。食料品会社を俺の弟に継いでもらってからは、生まれ育った実家でのんびりと過ごしている。介護が必要になっているため、毎日のように福祉事業所からやってくるヘルバーサーカーに囲まれて、ゆっくりとして落ち着いた感じの生活を送っている。
今は、広島とは遠く離れたところで自動車を作る仕事をしている。もちろん肉体労働の方だ。自分で言うのもなんだが、まあそれなりの評価だ。正社員登用にはほど遠いが。いざという時のために有給は取っておく方だ。いろいろ出かけたいところもある。
日々の暮らしはテキトーだ。毎日、半額になったスーパーの刺身や惣菜を買って、夜になったら勝てもしない仮想通貨の取引画面とにらめっこをして、ビットコイン掲示板を眺めては阿鼻叫喚の叫びを楽しく聞いて、残った少ないお金でスナックやバーへ行き、当然のように自転車で飲酒運転をして寮に帰る。たまにデリヘルを呼んだりする。クソみたいな生活だ。
※デリヘルって書いたけど、たまに投稿してる人で最後にデリヘルを呼ぶ人がいるけど、俺は一切関係ない。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。俺の兄は地方公務員で、弟は東証一部上場企業に入社していて、親戚もそのほとんどが公務員か経営者だ。
どこで間違えたんだろうか。いや、たぶん生まれた時から間違えているのだ。俺という人間は。生まれた瞬間に詰んでいた。
いよいよ、ぼったくりバーの話をしよう。自称進学校とはいえ、皆が大学に行く中、高校をギリギリで卒業した俺は、進学も就職もすることなくフリーターとしての道を選んだ。理由は単純で、そっちの方が人生面白そうな気がしたからだ。ほかの人が歩んでない道を歩いていこうと当時は考えていた。愚かしさの極みだ。真の個性は見た目ではなく人間性に出るというのに。
人間の核は、なにがしかの努力によって磨かれて強くなっていくのだと――肩書とか見た目とか家柄とかで差別化できるものじゃないんだということを、当時の俺は知らなかった。
後悔は置いといて、フリーターになった俺は家族からの冷たい眼差しなど受け付けもせず、半年後にはアルバイトで貯めたお金と、祖父からの餞別10万円をババッと使って一人暮らしを始めた。
実家から遠く離れて、憧れの都会暮らしだ。といっても、福山市街からちょっと外れたところにあるこじんまりとしたアパートだったが。
当然お金はなくて、コンビニアルバイトだと稼ぐにも限界があって、高校時代が懐かしいなぁと思っていたら、繁華街で中学時代の先輩に出会った。当時からやんちゃをしていた先輩だったけど、この時にはもう、完全なる……そんな感じの見た目だった。
飲み屋で何杯かおごってもらった時に、「仕事紹介してくださいよ」と持ち掛けた。「オレは○○やぞ、お前わかっとんじゃろうな」と念を押されたが、金がほしくて仕方がなかった。金があればパチンコもスロットも打ち放題だし、飲み屋で好きなだけ注文することができる。行ったことはなかったが、いつか風俗にだって行きたかった。
絶対にすぐ辞めるなよ、という条件付きで紹介されたのは、とある料金が高めのバーだった。お店に面接に行ったところ、看板がなかったので驚いた。小さい黒板みたいなタイプの看板が店の前に置いてあった。
内装も、お世辞にも綺麗とは言えない。お客に見えそうな位置に雑巾とか置いてあって、素人にもわかる清潔感のなさだった。一応メニューらしきものはあったが、カウンターの一番端にさりげなく置いてあるくらいだった。
従業員の数は事務方まで含めて6人ほどか。自分を入れて7人。いるのかいないのか、よくわからない人もいた。バーに行った経験はないが、どんなところなのかはわかっていた。
面接で店長(代表者)に言われた言葉として、「あの人の紹介だから仮採用にはするけど~ここがどんな店なのか知ってるよね~まあ、ここは実力主義だから。頑張って稼ごうね」といったのが記憶に残っている。
そこまで長くは働かなかったので、思い入れがあるわけでもない。思えば、よく警察に捕まらないで済んだものだ。
当時すでに、県条例的に違法な店(以下I店と呼ぶ)ではあった。19才で若かったとはいえ、悪に手を染めていたのは間違いない。今はちょっとだけ後悔している。
で、まずは典型的なパターンを挙げて、お店の基本方針を説明する。しまいに、ぼったくりについての所感と、せめてもの罪滅ぼしとして、ぼったくりに遭った場合の対策などを述べる。
断っておくが、具体的な行為の場面は一切挙げない。時効だから大丈夫とかじゃなく、そのあたりの礼節は弁えているつもりだ。俺はあの業界にお世話になった。
この業界の基本は、酔っているお客さんを捕まえる(キャッチ)ことにある。一応はマニュアルがあって、人それぞれの口伝によるところが大きいけれども、それでもI店のみんなは言っていた。シラフではなく、酔っている客に声をかけるようにと。玄人連中は口を酸っぱくして説いてくれた。
個人的にもそのとおりだと思う。酔っぱらうなどして認識が弱っている人間じゃないとダメだ。まあ、そうではないシラフの状態でも、多くの人はどうみても○○○風の男連中に囲まれて脅されると、ぼったくりだとわかっていてもお金を払う。
※…I店でお客さんを「カモ」などと呼ぶ習慣はなかった。みんなプロ意識をもって仕事をしていた。
※…初めは店内の飲食スタッフを二ヶ月やった後、キャッチ役をするようになった。
が、それではいつかハズレに当たる。
お客さんの中には、策略の罠を知り尽くしたキツネのようであり、またオオカミを威嚇するライオンでもあるような人がいる。そういう人は、どれだけ強面に囲まれても、ちゃんと脱出して警察への相談までもっていってしまう。最悪、スタッフ全員の 乳首手首(ブコメ指摘感謝)に手錠がかかる未来だってある。
企業経営でいうところの『危機管理』だ。知性や勇気に溢れた人間でも、酔わせておけばどうにかなるかもしれない。ダメな時は失敗するけど、それでも傷を浅くできるかもしれない。当時の俺はツイていたと思う。飲食の仕事を通じて、危機管理と臨機応変さを肌で学ぶことができたからだ。
さて、路上で飲み歩き客を見つけて、かつ酔っているとしよう。その場合はI店に入ったが最後、多くの人が餌食となる。成功率は八割以上だ。入店までもっていくのが大変なのだが。
多くの人はキャッチを無視するし、会話になっても成り立たないことが多い。酔っ払いだけを狙ってるから仕方ないのだが。
入店後の大まかな手順としては、以下の感じか。
①.~来店時
女の子がふたり付く。それで最初に飲み物を聞いて出す。I店は内装がスナックに寄っていた。メニュー表を見せて、と言うお客はほぼいなかった。
当然だが、接客サービスはまともに行う(詐欺容疑を回避するため)。そこらのスナックにも負けてない。ペペロンチーノ風焼きそばだって、フライパンでサッと作ってみせる。まともでないのは料金だけだ。
②.~接客中
お客さんにはもっと酔ってもらう。焼酎やウイスキーだと、相場の濃さの2倍~3倍が基本だ。ビールにも隙を見て細工する。烏龍茶を頼まれても関係ない(ウーロンハイにする)。とにかく酔ってもらう。
店内には一般客はいない。サクラ客は常に1人以上用意していた。
③.~お会計
最短のセットで1時間だ。多くのお客さんは目が飛び上がるほどの金額に衝撃を受け、幾度も会計伝票を見直す。そこに、強面のスタッフ数名が「どうされました?」と囲むように接近していき、逃げられないようにする。加えて圧を掛ける。反論されても個別に返し方が用意してある。
なお、請求額を相場の何倍にするかだが、ここが店長の腕の見せどころだ。そう、ぼったくりバーの請求額はなんと、時と場合によって異なるのだ。具体的には、相手の懐具合を推察して決める。お客が会社員だった場合、居酒屋に相当する料金が4,000円だとしたら、30~40万円程度を上限にしていた。相手がフリーターでお金持ってない風だったら、4~10万円未満など相当おまけをする。
リスキーな請求額というのがある。相手の生活が成り立たなるほどの金額を請求するのは通報リスクを伴う……と店長が言っていた。その辺りを考慮して請求額を決める。
この時、お客さんが完全に酔い潰れていた場合は、どうにか起こして財布を出させる。目が覚めないようであれば、こちらで勝手に出す。クレジットカードが狙いだ。というか、どんな時でもクレジット払いがいい。ATMまで連れて行くと逃亡リスクや通報リスクが高まる。
なお、この時代(参考:東京卍リベンジャーズ)だとクレジットカードはサイン形式が一般的だった。当時、店長はサイン偽造職人と皆に言われていた。暗証番号はわからなくてもいいし、別に入れなくても決済できる。
④.~お客さんがゴネた場合
最後に。お客さんが支払いを断った場合も、店長や社員が臨機応変に対応する。脅したり脅したりして、透かすことはあまりしない(回転率のために短期決戦が基本)。相手の体力と精神力の低下を狙うのが基本だ。これも定まったマニュアルはない。あくまで経験に応じて、その場に適した対応を決める。まさに臨機応変だ。ルールに基づいたり、あえて外したり。腕の見せどころだ。
あえてそれっぽい言葉を使うとしたら……解決すべき問題とは、今目の前で起こっている問題であって、過去に脳裏に蓄えられたパターンそのものじゃない。頭の中に蓄えてある問題は、昨日までの問題であって今日の問題じゃない。だから、その都度適宜調整して、その時々の状況にあった最善の解を求める必要があるのだ(90%本の受け売り)。
実際には、お客さんが手ごわくて「これはいかん」となったら、通常のバーの料金に毛が生えた程度の額(×1.2~1.3)で妥協することもあった。この程度の金額だったら、支払わないと無銭飲食になるからな。これもまた適応のひとつだ。
コメントを読ませてもらった。
ブコメの人が言ってたけどそのとおりで、何度か死にたいと思うことがあった。
少し元気が出たよ。ありがとうな。
昨日二時間ちかく拘束された。シクシク。本当につらかった。その後、作業できると思っていたのに、諸般の事情で延期_| ̄|○。昨晩も普通にアルコール摂取したし・・考えてみればハーフリットルの濃い目ウイスキーハイボール(約九パーセント)って、普通のアルコール度数40のウイスキーに換算すると、125CCくらい入ってんだよな。昨日は百ミリリットルのミニボトルに移し替えてから飲んだけど空にはならなかった。ってことは濃い目ハイボール350ミリリットルくらい?こっちだと八十五ミリリットルくらい。だとすると昨日飲んだウイスキーは大した量じゃない?まあでもそのあと日本酒も飲んだよな。昨日の日本酒は昔ながらのアルコール添加酒って感じだったので、おちょこ一杯でやめればよかった。こういう時おいしいミネラルウォーターとかにスイッチすればいいんだよな。おいしい水を冷蔵庫に常備する必要あるけど( ^ω^)・・・
いろんなビールが詰め合わせになってるが、どれも不味い。口に合わない。
置いてても邪魔なので仕方なく消費している。60本、一日一本が限界。先は長い。
そういえば先日新潟空港で搭乗前に購入した地ビールもすこぶる不味かった。
俺は最近はアサヒスーパードライですら避ける、積極的に飲む気にはならない、不味い。
東南アジア出身の妻と年中出張でアジア全域を行ったり来たりしている影響でハイネケン系のライトビールに氷入れて
考えるに、ラガービールってのは下面発酵、エールビールは上面発酵で酵母の種類が違うのね。
んで日本、てか世界は圧倒的に醸造が容易な下面発酵が主流で、特に製造時に温度管理が難しかったアジアでは酵母の取り扱いが楽な下面発酵が主流になった、ハイネケンが発明した下面発酵がアジアで流行った。
高温多湿のアジアでスッキリ喉越しのラガービールが流行ったのも合理的で。
ところが日本人は素のラガービールに物足りなさを感じる。気候的、文化的には仕方がない。
コクや味をつけるのがメーカーの持ち味になった。高級感と認識され流行る。
ラガービールだけど上面発酵のエール感をいかに出すか。まぁそのような進化をしたのだろう。たぶん
70年代80年代は欧州帰りどもが日本のビールを飲んで得意げに「こんなの本場のビールではない」的な言説を垂れ流した影響もある。
苦くて濃いのが格好いい、本格的、みたいな。
ところがアジア全域は本来のすっきりラガービールが生き残った。
水の影響もあるだろう。
しかし昨今は日本でもビールの苦味が好まれなくなりつつある、クラフト系は甘さや香りを全面に出すようになった。
そういう頑張ったビールの詰め合わせなわけで、不味い。
そんな俺が普段なにを飲んでるかつーと、たどり着いたのがイオンPBのバーリアル。赤いやつ。発泡酒なわけだが。
まさにこういうのでいいんだよ的な。
氷浮かべてチビチビ飲んでいる。
少し不味くなるが致し方ない。一本あたりの価格は三倍なのにね、可愛そ。
サクッと酔っ払いたければウイスキーを飲めば良いのだ、焼酎でも日本酒でも良い。
ちなみに最近同じくイオンで見つけた国産ウイスキー「明石」がコスパ良くて気に入ってる。
二種類あるが高いヤツの方がコスパ良い。
ともかくビール(発泡酒)は食事のお供、喉の乾きを癒やすにはヘタな味付けは雑味にしかならない。
ローソンPBもいい線いってるんだけど、まだヘタに頑張ろう感が出てる。
During my lifetime I've probably drank enough whisky to fill an Olympic size swimming pool, but whisky flavoured foods of any description should be avoided like the plague.
私は一生の間に、おそらくオリンピックサイズのプールを満たすのに十分な量のウィスキーを飲みましたが、どのような種類のウィスキー風味の食べ物もペストのように避けるべきです.
An Olympic-size swimming pool is used as a colloquial unit of volume, to make approximate comparisons to similarly sized objects or volumes. It is not a specific definition, as there is no official limit on the depth of an Olympic pool. The value has an order of magnitude of 1 megaliter (ML).[1]
オリンピック サイズのスイミング プールは、口語的な体積の単位として使用され、同様のサイズのオブジェクトまたは体積とのおおよその比較を行います。 オリンピックプールの深さには公式の制限がないため、これは特定の定義ではありません。 値は 1 メガリットル (ML) の大きさのオーダーを持っています。 [1]
エタノールの比重を約0.8g/cm3とすると、一日の許容量は40度のウィスキー約62.5mL
毎日ウィスキーだけ飲み続けたとして、1MLに達するのは、1,000,000,000(mL)÷62.5(mL/日)=16,000,000(日)。うるう年を考慮せず365で割った結果は、43,835年と225日
期間を50年以上、20,000日と仮定する。1,000,000,000(mL)÷20,000(日)=50,000(mL)。Lに直すと、一日あたり50リットル以上
ウィスキーのダブルは約60mLになる。これを一日3杯ずつ20,000日間飲んだとすると、180(mL/日)×20,000(日)=3,600,000(mL)=3,600(L)
この程度の量を計るのに適切な単位はバレルだろう
バレル - Wikipedia
アメリカでは、用途によらない標準の液量バレル (standard barrel for liquids) は31.5米液量ガロン(正確に119.240 471 196リットル)である。
ただし、税法上、ビール用のバレル (standard beer barrel) は31米液量ガロン(正確に117.347 765 304リットル)となっている。
一方、穀物や野菜などに用いられる標準乾量バレル (standard dry barrel) は、105乾量クォート(約115.6リットル)と定義されている。
イギリスでは、標準のビールバレルは36英ガロン(正確に163.659 24リットル)である。石油用のバレルを英ガロンで表すと約35ガロンとなる。
さらに、用途によっては質量によるバレルの定義が行われている(例:小麦粉=196ポンド、セメント=376ポンド)。
ワインやウイスキーなどの酒類の貯蔵に用いられる樽の種類でバレルと呼ばれるものは、容量42 - 55米ガロン(約208.2リットル)くらいまでのものが用いられる。
「私は一生の間に、おそらく樽2ダースを満たすのに十分な量のウィスキーを飲みました」と言い換えれば大ボラをつかずに済むということになる
徳川家康が三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れたのに、狩野探幽に自身を(しかめ面)憔悴したような表情に描かれていることから、『顰像』(しかみぞう)とも呼ばれている、この像を。端的に話せば、私はパチンコに友人と行きタコ負けした。その額おおよそ2万円。私は三方ヶ原戦図を脳裏に思い浮かべて、ただ反省する。損切りを知っているわたしにも、厚切りジェイソンが頭に浮かんできてわ、fireしろと訴えて来る。そのたびにオレはドナルド・トランプを宿して、こう唱えるのだ。youfired!!!!と。
あぁ馬鹿馬鹿しい、ここは浜松でも三方ヶ原でもない、長岡天神、長岡天神ってどこだよ。山崎のウイスキーしか勝たないわ。とにかく長岡天神なんだけど、ここが天下分け目の天王山。察するわたくしは明智昌秀。1300回は回転のちに、ハイエナを行った知らない彼は豊臣秀吉。鎌倉殿殿の13人はしらないけども、私は生き残りの2人のため死んでいった、、いわば生贄のような存在。損切りの、がいねんが、いくら正しくても、佐賀に答えた。流石に応えた。そゆな私なら下田は徳川家康。ペリー来航しちゃってるね。誤字をなす押す気力は逆噴射壮一郎のメキシコスピリット柄それを許さない。あーぁ本当に頂像、頂像。
自分がパチンコ打ってる姿を脳にいる狩野探幽に描かせて大反省。ここは慢心の名所。わたしは慢心の権化。トーテムポールでも、こんなに図々しい顔してないね。アフリカ人は口を揃えて、アンビリーバボと叫ぶよ。ビートたけしの霊を宿してね。死んでないけど。さておき、とにかく狩野探幽が降臨するほど負けたのさ。あーぁ頂像、頂像。おどろくほど、まぬけづらでげんなりするよ。カルト宗教の信者の顔よりも酷いや。一心不乱ってやつ。腐ってるから私は、一心有乱か。あばれてもおかしくないね。これにはヒポポタマスもビックリ。しらんけど。大敗した後は、自分の頂像を思い浮かべるに限るね。直樹に論破された、大和田暁も思ってることだと思う。半沢に土下座させられた、自分を思い浮かべて、一生の慢心の権化と捕らえているに違いない。
あーぁ2万円溶けちゃったよ。脳溶けちゃうよー。これにはオズワルドもびっくり。もうダメだ。心は三方ヶ原。ここは浜松城。三河平定しないと同じ土俵には立たないね。河村たかしは許せないけど、あいつは徳川家康に一番近かったわ、
徳川家康が三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れたのに、狩野探幽に自身を(しかめ面)憔悴したような表情に描かれていることから、『顰像』(しかみぞう)とも呼ばれている、この像を。端的に話せば、私はパチンコに友人と行きタコ負けした。その額おおよそ2万円。私は三方ヶ原戦図を脳裏に思い浮かべて、ただ反省する。損切りを知っているわたしにも、厚切りジェイソンが頭に浮かんできてわ、fireしろと訴えて来る。そのたびにオレはドナルド・トランプを宿して、こう唱えるのだ。youfired!!!!と。
あぁ馬鹿馬鹿しい、ここは浜松でも三方ヶ原でもない、長岡天神、長岡天神ってどこだよ。山崎のウイスキーしか勝たないわ。とにかく長岡天神なんだけど、ここが天下分け目の天王山。察するわたくしは明智昌秀。1300回は回転のちに、ハイエナを行った知らない彼は豊臣秀吉。鎌倉殿殿の13人はしらないけども、私は生き残りの2人のため死んでいった、、いわば生贄のような存在。損切りの、がいねんが、いくら正しくても、佐賀に答えた。流石に応えた。そゆな私なら下田は徳川家康。ペリー来航しちゃってるね。誤字をなす押す気力は逆噴射壮一郎のメキシコスピリット柄それを許さない。あーぁ本当に頂像、頂像。
自分がパチンコ打ってる姿を脳にいる狩野探幽に描かせて大反省。ここは慢心の名所。わたしは慢心の権化。トーテムポールでも、こんなに図々しい顔してないね。アフリカ人は口を揃えて、アンビリーバボと叫ぶよ。ビートたけしの霊を宿してね。死んでないけど。さておき、とにかく狩野探幽が降臨するほど負けたのさ。あーぁ頂像、頂像。おどろくほど、まぬけづらでげんなりするよ。カルト宗教の信者の顔よりも酷いや。一心不乱ってやつ。腐ってるから私は、一心有乱か。あばれてもおかしくないね。これにはヒポポタマスもビックリ。しらんけど。大敗した後は、自分の頂像を思い浮かべるに限るね。直樹に論破された、大和田暁も思ってることだと思う。半沢に土下座させられた、自分を思い浮かべて、一生の慢心の権化と捕らえているに違いない。
あーぁ2万円溶けちゃったよ。脳溶けちゃうよー。これにはオズワルドもびっくり。もうダメだ。心は三方ヶ原。ここは浜松城。三河平定しないと同じ土俵には立たないね。河村たかしは許せないけど、あいつは徳川家康に一番近かったわ、