はてなキーワード: きっことは
人間関係が最悪で、隣の部署で私の次年度に中途採用された女性が半年も経たずに病んで辞めた。お局的存在のパワハラが原因だった。
仕事を教えてくれないのに、「仕事ができない」って怒られ続けたらそうなるだろう。
私も同部署に同じようなお局がおり、あからさまに嫌われていた。中途採用の人よりはいじめられたりはしなかったが、周りは助けてくれない。
直属の上司もパワハラ気質で若い私には優しかったが、勤務歴が長い職員にはデスクへ呼びつけて公開説教をする。私もいつか標的になるに違いないと内心怯えていた。
職場は常にギスギスしており、若い人はどんどん脱落していった。
いつか辞めてやると思い続けて、今年度3月いっぱいで退職した。
30人規模の中小企業の営業事務だ。人間関係は良好。みんな優しくて、和気あいあいとしている。
仕事も教えてくれるし、ミスしても怒られることはない。のんびり覚えていけばいいんだよ、フォローするからね、と言ってくれる。
社長が京セラの信者で朝礼で毎回社訓を叫ぶ(土日祝休み、有給も採用時に10日くれるのでブラック企業ではない)、朝の清掃のために早く出勤しなければならない、残業代が出ない(ほとんど定時上がりだが⋯⋯)、上司へのお茶出しがある 以外はまぁ良い。むしろ前職よりもよほどぬるま湯である。
しかし、私は今すごくつらい。
ご飯を噛んでもゴムみたいに味がしない、お腹が減っているのに食べたくない、頭痛がする、眠れない、疲労感がずっととれない、毎朝下痢になる⋯⋯ とうとう今日は熱が出た。
単なる夏バテ、ニートから急に8時間も働くことになったから、疲れているだけだ、と思っていたけれど、たぶん違うんだろうな。
前職は辛いこともあったけど、仕事へのやりがいはすごく感じていた。変化に富んでいて、楽しいと思ったこともあったのだ。福利厚生だってすごくよかった。
それを今になって思い出すなんて、本当に馬鹿だなぁと思う。
出戻りなんてできっこないし、入ってまだ1週間も経っていないのに辞めるなんて、親や祖父母が何て言うか。
あんなことできるこんなことできる、確かに事実なのだろうが、そんなことが出来ているのは結局のところエリート採用された上澄か、所謂大都市の拠点支店に初任で配属された一部の人間ばかりだ。自分をはじめとした圧倒的大多数は地方の、さらに片田舎の支店に配属され、一生同じような仕事を繰り返すことになる。まさに歯車と言っていい。尊敬していたかなり年上の先輩は「手をあげ続けてきたけどチャレンジすらさせてもらえなかった。」とかなんとか言って他所に移って行った。研修に行けばいつ辞めようかあいつはもう辞めたと言った話ばかり。
とは言え楽しそうに仕事している人がいるのも事実。10年目ともなると担当先も案件のある先が増え、仕事もある程度自分で回せるようになり、それなりのやりがいを覚えるようだ。若手で楽しそうに仕事している人は稀だろう。大概は支店の、誰も持ちたがらないような先を持たされて疲弊している。若手で楽しそうに仕事している人間は、本当に案件と同僚に恵まれたか、よほどの営業の才能があるか、あるいはただの馬鹿だ。「これまで誰も掘れなかった先を持ってるんだぞ。やりがいしかないだろう。」本気でこう言ってきているのなら余程の呑気であるし、闘魂注入のためであればこれも余程の呑気だろう。
外回りしろ、じゃないんだ。準備してから訪問しろ、じゃないんだ。どこに何が書いてあるのかわからないような手続き書と睨めっこしながら通常の事務をまわしつつ、好き勝手頼まれる雑用をこなしつつ、誰もやりたがらない支店のお荷物先の対応をしてるんだ。いつ潰れるかもわからない会社でご奉公なんて時代じゃ今はもうないんだ。
銀行の採用は実に卑怯である。上の人間が仕事に集中できるように若者を使い捨てている。雑用を、前の世代の尻拭いを、無駄に抱え込んだ不採算先を全て若手に押し付けるために、キラキラした「バンカー」を喧伝し、これまで大量採用を続けてきたに違いない。徐々に減ってきているとはいえ今もそうだ。離職率を見ればわかる。そして生き残った人々が自覚か無自覚か知らないが同じことを続けていくのだ。僕は事務屋さんではない。20代をこんななんのスキルも身につかないような場所で終えたくない。3年で身についたのは「おっしゃる通りです。」「申し訳ございません。」のスピードだけだ。財務もエクセルも英語も、何もわからないまま。仕事は書類を擦り出して一枚一枚丁寧に付箋を貼って、上司の印鑑をもらうだけ。親が泣いているぞ。
給料。世間的に見れば〜という話もあるだろうが、自分の周りを見れば圧倒的に低いと言えるだろう。聞いた話では若手の給料は庶務さんと同じ程度だそうだ。ことによれば事務のお姉さまよりも断然低い。「私たちには責任は取れないので、そちらで判断してから持ってきてください。」だったら判断の分だけでも俺の給料を上げてくれ。もちろん堅確な事務は車の両輪の如く大切であるのは間違いない。ただ、どこまで行っても若手は事務処理要員の一つとしか見做されないのだなあと思うとやりきれない。
銀行は業界も内部の人間ももうめちゃくちゃだ。銀行に限った話じゃないのだろうけれど。
業界はお互いにお互いの首を真綿で締めあっていると言える。採算度外視の金利競争。地方は地方でズブズブの企業・人間関係。じゃあ今度は金利じゃ儲からないから手数料だ。収益を上げろ。そうして投信を売る。かつてはゴルフ会員権を売った銀行もあったそうだ。流動性が桁違いなので全く同じとは言わないが、似たものを感じる。顧客第一主義とは何か。本部から還元される資料には必ず「切り返し話法」が載っている。洗脳と変わらないじゃないか。
内部も内部だ。本部の言うことは一貫していないし、表彰のルールだってややこしい。あれしてこれしてこうして下さい、分厚いルールブックを配られて、それでもよくわからないことだらけ。皆が上席に忖度して媚び諂っている。風通しが良いふうを装っているあるいは本気で信じている上席はいるが、結局のところは自分の意見が正しいのだ。誰も自分の意見は言わず、本人のいないところで愚痴を言うだけ。
「やめられない」のは一番悪いところかもしれない。今やどこの支店もセコムやらアルソックやらを導入しているのに、いまだに金庫内のキャビネットの鍵すら丁寧に施錠している。セコムが破られて、分厚い金庫まで破る相手にキャビネットの鍵がなんだと言うのだ。そう言う決まりだから。これで終わりなのだ。鍵の開け閉めに一日30分はかかっているのに。朝礼も無限に長くなっていく。と言うかそもそも毎日朝礼する必要があるのか?あれもこれもとコンテンツを追加していって、結局始業の時間ギリギリになっている。知っていると思うんだけど、時間は有限だぞ。
仕事の仕組みも散々だ。手続き書に全てが書いてあるはずの銀行業務は、確かに全て書いてあるのだが、各所に分散していて、そこを参照すればいいのかは経験に強く依存している。ある業務を行うにはこの手続き書と、別の手続き書と、あの通達と、どこにも書いていないあの様式の書類を添付する必要がある、なんてのはザラだ。掲示板もいくつもいくつもいくつもあってまるでキメラのようだ。
この原因はおそらくデジタル化の勘違いからきていると僕は考えている。要はかつて銀行業務にパソコンを導入した人たちは「紙でやる業務にワープロを導入した」世代で、上にならえの我が業界人たちは長いことこれを踏襲してきているから不便なのだ。
定型的な業務であれば全て一つのシステムで、一気通貫に、指示通りの動作を行っていけば約定・実行まで終わるようにできて然るべきだろう。いくつもいくつもシステムがあって、それに対応するようにいくつもいくつもパスワードがあって、結局皆覚えきれずに手帳なりノートなりに一覧を作って管理している。何もかも無駄である。銀行にはこれを改革することはできない。お客さんには新しいシステム!を案内しておきながら内部でやる事務はなんら変わっていないどころか手間が増えていたりする。これじゃできの悪いハリボテである。採用もそうだが外面だけ立派で中は人を消耗するボロボロのシステムが銀行である。偉い人々はもう使うことがないから忘れているのだろうが、次世代金融どころの話ではない。そういった妄言はまず中身を整えてから、せめてそういった姿勢を見せてからだろう。若手はもう限界だ。文句を言うくらいなら手続きを覚えろと言うのは全くその通りであるが、人材の流動性が高まろうといった現在、手続きと言うある意味本質的でないところで時間を取らせる現在のシステムのままでは人材の受入はできないだろう。
銀行人材を斡旋すると言うニュースがある。世間がどの程度銀行人材を誤解しているのか知らないが、その太宗は大したスキルのないおじさんたちである。排出は考えるが受入は考えない、いつまで殿様のつもりなのだろう。銀行は働き方改革などと言う訳のわからない施策を講じる前に仕事の仕組みを改めて整えるべきだろう。
サービスが大事だと偉い人は言う。寄り添った提案が大事だと。僕はそうは思わない。これは特にリテール分野の話ではあるが、真に投信等に関心があれば手前でやるのだ。それも手数料の安いネット銀行で。ソニー銀行は口座開設から何から便利だし、楽天銀行はUIは流石楽天あまり良くないが結局便利だ。僕自身のメインバンクもネット銀行だ。寄り添った提案なぞ今働く世代にはできっこない。どうせ同じ時間帯で働いているのだ。寄り添った提案、結局のところ金持ちや年寄りに媚びて情に絆すだけのサービスに過ぎない。フローチャートを細かくすればそれこそネットで出来ることだ。
日本は多くの人が銀行口座を持つ珍しい国だと聞く。この傾向は続くだろうがそれはネット銀行に偏るだろう。店舗型の銀行は今のままでは本当にただコストだけ抱える過去の遺物に成り下がるだろう。いっそ法人と個人を全く別の銀行にしてしまえとさえ思う。そっちの方が余程効率がいいだろう。
偉い人曰くサービスが大事なのは銀行が同じような商品を取り扱っているからだと言う。確かにそうだ。特に法人分野はその傾向が強い。担当者の能力に依るものは大きい。一方で個人分野では少し違うんじゃないか、見落としがあるんじゃないかと思う。
我々商業銀行は商業銀行であるが故に、もっとブランドを意識するべきだろう。それは金持ちや年寄りに対する温い媚びのサービスであってはならず、どちらかと言うとアップルカードに連想されるような、スマートな商品開発だ。キャッシュカードやらスマホアプリやら、実は銀行には他行差別化の図れる商品がいくつかある。保有して人に自慢したくなるような商品の開発こそ、何も捨てられない銀行がいつまでも大衆の銀行であるために必要なことだろう。
なんだってやるべきだ。いつまでもジャケットを着てるのではなく、ポロシャツを着て街に出るべきだ。銀行がタイアップしたカフェやらコーワーキングスペースやらをもっと作るべきだ。せっかく無駄な資産をたくさん持っているのだから。無形の価値を、ブランドを、高めて向こうからやってきてくれる銀行になるべきだ。〇〇BANKがお洒落でスマートの代名詞になる日がくればいい。BANKの語源の確かなところは知らないが、いずれにせよ皆が腰掛けることのできる公器たるべきだ。因みにポロシャツはエスカレーションラダーを増やすといった意味でも是非とも推進するべきだ。普段がカジュアルであるからこそスーツがより際立つのだ。振り切りが大事だ。年寄りと金持ちには徹底的に媚びよう。大理石造りの基幹店を作ってもいい。マホガニーかなにか高級な素材を使った店内で、徹底的に厚遇すれば良い。そしてブランドで大衆を惹きつけよう。認知なくしては居ないものと同じなのだ。
思うがままに書き連ねて、推敲すらできていないが、日々感じるストレスの中、間も無く来るであろう異動を思い、こんなことを書いてしまった。
普段の業務ではこんなことできない。つまらないオトナ達が上の顔を見ながらクソみたいな施策を出してくるのを見守るだけだ。
仮にこう言う仕事ができるような年次になった時、おそらく僕もそういったクソみたいな大人になっていることだろう。
人事へ。探さないでください。なんだかんだ言って僕はまだクビにはなりたくありませんので。辞めるまで待ってくれよな。
何もできない若手の、根拠もない取り止めのない妄想である。これを根性のない若手と切り捨てるのは容易だ。僕でもそうする。ただ、そうして肥大してきた結果が「必要とされない銀行」であると言うことは偉い人は強く認識するべきだろう。だから、少しでもいいから真の改革の姿勢を、我々が充実して働けるような未来を見せて欲しい。何を言ってるのか自分でもわからなくなってきたな。いつかもっとまとめて書くこととする。
自分のやりたいことってなんだろう?
自分のなりたい姿ってなんだろう
思考を文章にする、言語にするってなんかスッキリするよな なんでか知らないけどさ
自分の中で渦巻いてぐちゃぐちゃだったものが整理されるっつーかさ
人に見られるかもしれないって思って書いた方がいいような気がして
ちっちゃい頃から夢がなかった
進学して就職して なんかの仕事をして生活できればいいやって それしかなかった
まぁそれもある意味夢か?まぁいいや
普通で、当たり前で、それが一番いいって思ってた
いや今でも思ってるか それができるならそれが良いと思う
でもさぁ出来なかった
このまま死ぬのかって 自分のしたいことって本当にこれだったのかなって
このまま死んで後悔しないのかって そう思った
仕事してても趣味でちょこっとやってたけど、なんか仕事に追われちゃって
満足できるほどはできてなかった
多分 それで普通は満足するんだろうな
限られた時間と体力の中でやりたいことをやるんだろうな
それが上手くできなかったんだよ やりたいことばっかり増えていって
じゃあこれからどうすんのかって話で
絵とか音楽で食ってけるように頑張るのか?
正直さぁ そんな熱意はないんだよ そこまで出来る自信がない
才能がないからとか言い訳がましいのじゃなくて とにかく自信がない
何がなんでもやってやる!出来る!とか思えないわけ
あー腹立たしい また涙出てきた
絵描くの好きなんだ
かわいい女の子でも 素敵な風景でも かっこいい怪物でも 何でも
音楽も好きでさ
聴くのも 歌うのも 演奏するのも ちょっと作ってみるのも好き
この曲はこう歌って 演奏して…って形にするんだよ
そう 形にするのが好きなんだ
あわよくば誰かに見てもらって
すげー!って言われたいなーって
喜んでもらえないかなーってさ
認められたいなって
それだけなんかな結局 誰かに認めて欲しいだけ
ほめてもらいたいっつーか 子どもっぽいよなぁ
そんなのできっこないだろ それで成功してる人もいるだろうけど
だから思うんだよ 全部諦められたらどれだけ良いだろうって
だから諦めるべきなんだきっと もう何もしないで
生きて
そんなの嫌だ そんなの 自分じゃなくなるのと一緒だろ
諦めたくない なにかつくりたい 誰かに喜んでもらいたい
そんなひとになって
できるわけないってわかってるのに
なぜ都民が10万円給付をぶち上げた山本太郎を支持しないのか謎である
どう考えても、今の緊縮でぎちぎちに締め上げて貧乏人からゆっくりと殺していく
10万円が無理なら、5万円、それも無理なら3万円というラインで争うならまだわかるが、
お金を配るとはなんと無責任な!と怒る庶民がいっぱいいるのである。
まあ一部のお金持ちが、貧乏人に成り上がりの機会など作ってたまるかと、
しかし別に金持ってるわけでもない庶民まで、したり顔で無責任だよ。
どうせできっこないよ。あんなの支持する奴は馬鹿だね。とわかったツラしてるのは、脳味噌が腐ってるとしか思えない。
山本太郎個人が気に食わないならまだいい、しかし庶民はもっと反緊縮の、拡張的財政政策を訴える政治家をもっと本気で支持した方がいいと思う
コメントをすれば多くのスターを集めるはてな有識者の皆様においてすら、タイトル通りのコメントをする人々がいるわけだが、全く頭どうかしてるんじゃないかと思う。
例えば、青識亜論とかいう人がポスター改竄したことに対して「こんなことしてるから規制されて当然」とかいうブコメが星を集めているけど、青識と規制にどういう関係があるのか本気で教えてほしい。
俺はロリコンだからはっきり言わせてもらうけど、所謂表現の自由戦士は表現の自由を標榜して政治ごっこしている連中ばかりで実際に表現の自由を守ろうとしている人なんてほとんどいないわけ。あんな奴らオタク代表でもロリコン代表でもドールフェチ代表でもなんでもないわけだよ。
ロリコンの俺からすればもう放っておいてくれと思ってるし、SNSで性癖垂れ流す馬鹿はくたばれとしか思わんし、馬鹿な言説垂れ流して火種を増やして回ってる表現の自由戦士はもはや敵でしかないから消えてほしい。山田太郎やら赤松健やらいう詐欺師に懐柔されてからあの界隈は終わった。
で、そんな無関係の屑共の言動で規制に賛成するとか正気の沙汰とは思えないね。
こういうこというと界隈で自浄作用を示せとかいうんだろうけど、じゃあ例えば左派ならきっこに代表面させてもいいんですか?
金持ちの街で暴れんのよ
金持ちムカつくし、あきらかに貧乏人を舐めてるじゃない イヤじゃない?バカにされて搾取され続けて、「人生」「世界」は苦しいと思い込んで死んでいくのってさ
人生は本来もっと輝かしいものだし、世界だって捨てたもんじゃないわけ
別に子供の頃から毎日自己研鑽してスキルアップして常に時代を見て柔軟に生きたりしなくたって、みんなコンビニとかスーパーで値段を気にせずに買い物することくらいはできるべきなんだよ
やつらがスーパーカーを年に二台も買う金を庶民に回せって話だよ
でもな、そんな再分配はいまのシステムでありつづける限りは起きっこない 貧乏人はバカで雑魚で、唯唯諾諾と働いてくれる都合の良い駒でしかないんだ このままだとね
だから暴動だよ アメリカを見ろ あんな風に生きたくはないか?
俺はやらないけど
https://anond.hatelabo.jp/20200521211842
当初政府はその問題を、不況と同じレベルで考えていたらしい。時代に適応できない事業が淘汰され、自殺者が増えても、全体としてはやがてバランスが取れていくだろうと。
「エコシステムってやつね。何かが壊れたり死んだりしても、時代に沿った形で自然に復元し、バランスが保たれるはず、そう考えたのよ、政府は」
ところがそうはいかなかった。専門家の試算によると、復元が不可能なほど、人も事業も経済的な理由で死ぬことがわかった。あるいは海外に身売りする企業が増えるだろうと。実際、その兆しが見え始め、政府の支持率も落ち始めた。
焦った政府は、そこで本格的に救済措置を検討し始めた。それまでも単発的な給付金や貸付などは行っていたが、それでは間に合わなかった。
「結局いろいろあった後に、有望な事業は国が保護することになったの。うーん、半分国営化みたいな感じ?」
その経緯についてもっと詳しく聞きたかったのだけど、サタさんは「カショウに聞いて」と言って、説明を端折った。
一方、個人に対しては、継続的な給付金、つまりベーシックインカムが検討され始めた。
「その話が出たとき、もうみんな大盛り上がりだったわよ。そんなのできっこないって言いながら、本心ではみんなワクワクしてた。でもやっぱりね」
そうはいかなかった。財源が足りないのは明白だった。
「ベーシックインカムの話が出るずいぶん前に、政府はマスクと一時給付金を配ろうとしたの。でも、IT化の遅れのせいで、あちこちでトラブルが起きたの」
IT化の遅れ。これはカショウも言っていた。簡単にいうと、それまで政府は、既存の産業やエコシステムに気を使いすぎて、新しい技術を取り入れることができなかったらしい。あと、かたちを伴わない情報やデータを軽く見ていたのも、IT化が遅れた理由のひとつだったと。
「そんなときおとなりの国がね、ITの専門家――専門家って言っても学者というよりガチでコード書くプログラマのほうね――を招き入れて、マスクをみんなに、均等に行きわたらせることに成功したの!」
その様子を見た役人か誰かが、本格的なIT化と、配給制を検討することを政府に進言したらしい。そこではじめて、その技術的価値に見合う予算が組まれ、実務的なプランや技術の選定が行われた。どういったリーダーやエンジニアが必要かも、“おとなりの国”を参考にして割り出し、その発案者は政府を説得した。
「そんな案、コロナ以前は絶対通らなかったわ。政府は、それまでの社会の基盤となっている業界を優先せざるを得なかったから。でもそのつながりを断ち切ったのがコロナだったの。コロナが新しい可能性のリミッターを外したの」
古い社会的基盤を維持するために、新しい可能性は活躍の場を奪われていた。そのことをサタさんはリミッターと表現したらしい。サタさんは、配給制のバックグラウンドに、労働力不足があったことにも触れた。
「外出や人との接触も制限されるじゃない?そしたら、必然的に労働力も減るのよ。労働力が減ればつまり……、モノが減るの。外国との行き来もできないから、輸入も難しくなって……」
つまり、資源は限られている。その資源を過不足なく、国民に行きわたらせるには、現金よりも物資のほうが有効との考えで、配給制が有力となった。
「もうみんなガッカリよ。SNSは荒れまくって。配給制って、戦争の貧しいイメージしかないじゃない?あと、社会主義っぽい感じ?完全に私たち、管理されてるような?」
しかし政府へのネガティブなイメージは、数年後にはまったく真逆のものに上書きされることになった。
「着いたわ、ここよ」
サタさんは大きな建物を指さした。その配給所は、この一帯の集積所も兼ねていて、ここからさらに小さな配給所にも送られるらしい。サタさんたちは、たまたまこの大きな配給所の近くに住んでいた。
「よくここで買い物したのよ昔は。いろんな服屋さんとかレストランが入ってて。懐かしいわ」
今は、積み上げられた荷物以外は人も物も少なく、がらんとしている。
サタさんは並んだ端末のひとつに、自分の小型タブレットをかざした。
「指輪型とか時計型とかあるけど、私、指輪も時計も苦手なの。だからずっとスマホ型のを使ってるの」
サタさんのタブレットに、荷物の格納場所が示される。その案内に沿って、僕たちは移動する。
「よう!サタちゃん」
初老の男がこちらに笑顔を見せる。作業着らしい服装に身を包んでいる。サタさんも満面の笑顔とあいさつを返す。
「前言ってたやつ。届いてたよ」
彼はそう言って、僕たちをその場所まで案内した。
配給所では、必ずこういったおじさんを見かける。彼らはたいてい、荷物を下ろすのを手伝ったり整理したりしている。
すでに紹介したとおり、この世界では、生活のための労働というのはほとんどない。たいていはロボットによって自動化されている。
じゃあなぜ、彼らはここにいるのか。
それは、ちょっと説明がむずかしいのだけど、彼らのパッションとしか言いようがない。
つまり彼らは、ここで作業を手伝うことを喜びとしているのだ。誰かと立ち話をすることを楽しむものもいる。黙々と作業するものもいる。
いずれにせよ、誰かからの感謝の言葉や、あるいは作業そのものを、自分の喜びとしている。
カショウと行った盛り場なども同じで、過去にそういった経験のある年配の男女が、食事や飲み物の提供を手伝っている。配給所や盛り場に限らず、こういった自主的な労働は、あらゆる場所で見られる。
「昔はみんな、生活のためとか、それが普通だからって理由でしかたなく働いてる人が多かった。労働は苦痛だと思ってる人がほとんどだった。だけど今は、楽しみや自己表現でさえありえるのよね、働くことが。自由だから」
おじさんが笑顔でそう言った。
おじさんのような有志の労働には、ポイントが付加される仕組みになっている。ポイントは、この世界の通貨のようなもので、モノやサービスなど、何とでも交換できる。僕たちは基本的に政府の配給とサービスだけで生活ができるので、ポイントはまさに、趣味や嗜好品のためのおこづかいと言える。
「昔のポイントカードのなごりね。もうちょっと気の利いた名前なかったのかしら」
ポイントが使われるシーンとしては、誰かのハンドメイド家具やアート作品と交換したり、何か作業を頼んだ時に、その謝礼として送ったり。たいていは個人間取引で利用される。
おじさんは振り返って棚のひとつを指さした。
「これだ。降ろしてやる」
配給物資だけでなく、個人間取引の荷物もここに届く。サタさんはうれしそうに小包を受け取った。
おじさんは自走式のカートにすべての配給物資を積んでくれた。3、4日分の食料や生活雑貨なので、そこそこの量がある。
「前回は雑穀を頼みすぎたから、今回は減らしたのよ。その代り、今回はペーパー類がかさむわね」
「配給制も、最初の頃はめちゃくちゃだったが、こんなに細かく調整が利くようになるとはな。便利なもんだ」
「最初はね、あれが足りないとか、システムのトラブルとか、大混乱だったわよね」
「機械化が追いつくまでは本当にモノがなかったしな。でもあっという間に、人間の労働力の不足を機械が埋めてくれた。それに今は……、ストレスが少ないから、ストレス解消のために無駄に消費することもなくなった。そんな気がするんだよな」
「リミッターもはずれたしね」
「ん?リミッターって?」
サタさんはフフフと笑ってごまかした。
「ほんと!何もかもストレスなくてラクになったわ。昔ほら、オンラインショップのサービスで定期購入ってあったじゃない?あれを政府が一括でやってくれてるような感じね、今の配給制って」
そう。配給制と言っても、一律で配給されるわけではなく、その家庭の消費傾向が反映されているので、不満を感じることはほとんどない。
各家庭ごとに一定の枠があり、その枠の中でならどんな組み合わせで発注してもかまわない。そしてその消費傾向はコンピュータに記憶され、次回からの配給プランに反映されるので、放っておいてもある程度その家庭の生活傾向に合った物資が届く。
「ただ、昔ほどバリエーションがないのは寂しいわね。昔はね、石鹸ひとつとっても、いろんな企業が、いろんな色や香りのものを売ってたのよ」
「今は需要の大きいものしか作らないからな、政府の一元管理だから」
「技術や品質、コスト的に洗練されたものしか作らないとも聞きました」
僕も勇気を出して、会話に参加してみた。
「昔あった企業の、すべてのノウハウや技術を結集させて作ってるからな。どの製品も、最高のところでコストと品質のバランスが取れてる。まあ、どれも無難で個性がないと言えばそうなんだが……」
サタさんはさっきの小包を開けて、中から半透明のなにかを取り出した。鼻元に近づけ、においをかぐ。中に鮮やかな花が埋め込まれているのが見えた。明らかに量産された配給品とは違う、“誰かの作品”だった。
そう言って、それをひとつおじさんに手渡した。かすかに清々しい香りが漂う。
「いやぁオレはこういうのは……」
「じゃあ奥さんに。ふふふ」
おじさんにお礼を言って、僕たちは配給所を後にした。自走式カートの後を、僕たちはゆっくり歩いた。
「ああいいにおい」
サタさんはその間ずっと、“誰かの作品”を鼻に押し当てていた。
毎年の課税作業と、今回の突発的なコロナ対応の給付金の作業は難易度が全く違う。
世帯情報と申請情報を突合して、銀行の数だけ振り込み依頼データを作成するといえば大したこと無さそうに見えるだろう?
それを連休返上で審査してデータ化して窓口対応して補正の連絡をして・・・。
銀行とのデータのやり取りは紙だったりオンラインだったり今どきフロッピーだったりする。
振り込みデータの送信後も、振り込みに成功したかどうかのデータを銀行から貰って振り込み失敗データの検証をする。
これら一連の作業を大勢の職員が一斉に行って、整合性のある処理をするにはシステム化での対応が必要だが
むろん業者側もこんな短期間で開発なんてできっこない。というか出勤困難だし。
今までの日常業務でも人員ギリギリの状態でこういうタスクが発生したら遅れるのは仕方ないと考えてほしい。
そもそもを言えば、マイナンバーカードに補助金情報も紐づけして、ATMに突っ込めば全国どこでも出金できるようなシステムにするとか、そういう仕組みにしなかった国が悪い。