はてなキーワード: お姫様とは
若者殺しの時代 http://d.hatena.ne.jp/jotun82/20100821/1282391101
君は20代女性かな、BLをカジュアルに受け入れ、男性側のエロコンテンツにも理解がある世代というと(違ったらおおざっぱでいいので年齢を教えてくれるとありがたい)
昔話になってしまうのだけれど、80年代、90年台をかけて、多くの女性がお姫様になりたがる事象が発生した(団塊Jr女性ね)
君の観点からすると「んなアホな」「お姫様ってなんやねん」って感じではあるかもしれないが、
不動産バブルで世の中的にふわふわした空気になったり、トレンディドラマが流行ったりで、空虚なファンタジーが受ける時代があったのよ。
団塊Jrはかなり大きな人口ボリュームがある。それをターゲットにした商売もはやった。
若い女性には価値がある。そして団塊Jr女性も当時は若かった。男性が女性に金を使う時代があったのよ。 で、それらを軸にビジネスが回り始める。
わかりやすい例として、90年代はまだ女性の社会進出も進んでいなかった。寿退社もあったし、腰掛けなんて言葉も残っていた。
給与は圧倒的に男性の方が高かった。 が、なぜか女性向け商品が売れていた(F1層がターゲットなんて言葉があったり)
女性は男性への期待値(年収)を上げていった。 一方で女性の性的自由も広がっていた。それまでは「貞操って重要」みたいな概念もあったんだけど、
やっぱり女性だってSexしたいし、男に縛られたくないみたいな意見もあって自由恋愛がもてはやされた。
「若い女性には価値がある」そして「若い女性が沢山いた」。(ちなみに若い男性の価値は低い。年収が低いからね)
そのうちヘアヌード写真集が出るようになった。 女性の性的自由。 女性観点では「なんだ別に脱いでも良いのね」となった。
「若い綺麗な時の私を残したい」みたいな理由でAVに出る女性がでた。 そういう理由があると出やすいのだと思う。スカウトの人はうまいな。ごちそうさまです。
女性が男性への期待する年収が上がる一方で、AVに出る女性が増えた。
男性観点では性的コンテンツが手軽に手に入るようになった。 それまでリアルな女性についていた価値が急速に下がっていく。 君が言うように「女性をモノ」として見るレベルまで下がったのだろう。
それだけ『貴重なもの』ではなくなってしまったんだよ、性的なものが。
だからね、もし「ポルノを見てモノ扱いされるのが嫌」というのであれば、
ポルノに出演する女優のレベルが下がるように働くのが良いと思うよ。 そうすればリアル女性の価値が相対的に上がる。
あと君も気づいているだろうが、男性の性欲自体を減退させる政策はあまり上手くない。
結果的に女性を求めなくなり、女性に金をかけなくなってしまう。
しかしそういう人を父親にしてはいけない…と、強く思ってしまう。
それは間違いなんだろうか。
いやまぁ、普通の感覚じゃない? 女性観点だと当然そうなるでしょ。間違いではないですよ。
でね、男性観点だと「AVに出るような女性」と「恋人にしたい女性」は分けて考えてる。
もう少しいうと「誠実さがない」「貞節がない」「処女じゃない」「複数の異性と付き合う」「乱交」といった要素がありそうな女性の価値は低い。
アメリカでの調査だけど Buss and Schmitt 1993 がある。
AVに出てるような女性がまさにこれで、つまり君のいっているように「モノ扱いされる女性」なんだよね。
逆に「誠実で貞節があり、処女で一途な女性」は非常に大切にされる。 まぁアメリカのBussさんとSchmittさんの調査なんだけどね。
でも日本人の私も同感だよ。
収集つかないってことはないでしょ
ある程度キャラの立ってるお姫様が出てくる昔話ってそんなに多くない
有名どころをざっと並べると
フェミに嫌われていると言う事は男にとっては都合のいい女の筈
しかし男に惚れ相手に気がつかれないまま泡になって死んで行く人魚姫は、まどマギのさやかがモチーフにしたキャラだ、そしてさやかは男に圧倒的不人気
それに下半身が魚or言葉が話せないのではエロ妄想しにくかろう、一方的に惚れられ勝手に命をかけられ口もきけないのに近づかれ、思い人とくっつかない場合は男を殺さないと死んでしまうのは男には重すぎるのかもしれん、人魚姫は多分不人気属性だろう
眠り姫
考えてみたら主に眠っていてキャラがあまり立ってない、却下かな
狩人に森に連れて行かれたり、勝手に小人の食事を食ってベッドで眠った後に7人の小人と暮らしたり、死んでる姿に惚れた王子にキスされたり、いつでもエロシチュに持ち込めそうな隙だらけだ
苛められ耐える姿はそそるかも?
何したか知らんけど月の世界の罪人が罰として地上に落とされ、自分に惚れた男に無理難題を吹っ掛け命がけで貢がせ、結局一番身分の高い天皇とラブるが捨てて故郷に帰る。
小悪魔系行動と相反する日本美人な外見&清純派な性格はギャップ萌えあるか?
親指姫
不細工に気に入られたりエロシチュにも困らない、南君の恋人みたいなエロ妄想もできそうだし、普通に受けそうだ
関係ないけど知名度のわりにはディズニープリンセスに入ってないのが不思議。
と言う事で親指姫かなと結論が出たけど、実際のところどうなのだろう。
ドラマの影響もなくはない、かな。。。
日本の少子化の原因は非婚化ってのは良いよね? で、非婚化の原因としてはハイパーガミー(女子上昇婚)がある。
基本的に女性は男性に経済的なものを求める。これは世界的に見られる傾向で文化を問わない。
ただ日本人女性は男性への依存度が他国に比べて非常に強い。Buss & Schmitt 1993
女性の賃金が上がるにつれて、通常は上昇婚傾向は弱まるんだけど、日本では弱まっている傾向は見られない。
最近、男性への期待年収は年々下がっているんだけど、それは最近の方が男女共に年収が下がっているからだと思う。
あと女性の上昇婚志向はあくまで「自分と比較して年収が上」って所がポイントで、基本的に若い女性の方が低い傾向があるので、若い女性の方が期待する年収は低いことに注意。
で、ドラマの影響なんだど、↓この本が面白かったよ。ネット上にいくつか書評があるが書籍の方が面白い。
堀井憲一郎著「若者殺しの時代」 http://blog.livedoor.jp/atlanta/archives/50513213.html http://blog2.p2s2rb.com/?eid=32
90年代にトレンディドラマが全盛になりホームドラマが消えた、 というのも納得です。 そしてそれは「女性の家事・家庭からの解放」という意味で、 先の「お姫様化」と同一文脈で理解できると思います。
この辺の家事・家庭からの解放ってところはポイントかなと思う。そういった『開放された女性』が女性から支持されまくってた。
あと宮沢りえがヌードになったあたりからAVに出る女性が急速に増えた。あと女性が恋愛のレート(費用)を上げ始めた、という指摘もユニークだなと思う。
『東京ラブストーリー』のウケた理由 -90年代初頭(1) http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20070303/1195498049
ただ男性は軽い女性を結婚相手に選ばない傾向がある。そういった軽い女性は一夜だけ共にして分かれる(もちろん軽い女なのに、男には甲斐性を求める女性は嫌われる) Buss & Schmitt 1993、Buss 1988a
90年代の女性は家事・家庭から解放され、性的自由を獲得した。 そういった女性は男性からみると「一夜限りのつきあい」であるなら大変よろしいのだが、結婚相手にはしない。
結果的に非婚化が進んだ面もあるかもしれない。
ただ要因としては、大前提として女性の賃金上昇が必要なので、(他コメントにもあるように)社会情勢の影響の方が強いかなーとは思うよ。
657 : スペインオオヤマネコ(やわらか銀行) : 2012/08/20(月) 08:08:13.92 ID:83xIw6vw0
でもほんとスッキリするよなー
日本だと女ってだけでただでさえ神扱いされて
自分はお姫様か特別な存在か何かと自意識過剰になっていい気になるんだけど
それをたった一日して見事に粉砕してくれたからね
まるで
「え?お前お姫様?何言ってんの?お前ただのクソ製造機兼オナホだろ?」
と言わんばかりにな。
662 : 白(鹿児島県) : 2012/08/20(月) 08:09:59.27 ID:svdl1u+B0
まったくその通りだね
はげしく同意だよ
667 : ノルウェージャンフォレストキャット (愛媛県) : 2012/08/20(月) 08:12:12.19 ID:M6p1CM050
ここまで清々しい書き込みは久々に見たわww
672 : サバトラ(北海道) : 2012/08/20(月) 08:14:49.26 ID:Rz5Az5g90
ここまで「その通り」と同意したくなる書き込みも珍しいw
712 : ヒョウ(新潟・東北) : 2012/08/20(月) 08:30:15.97 ID:mdymzouKO
ほんとそうだろうな。
事件が起きた後の今でさえ、聖心ってだけでお嬢様みたいに言われてるくらいだし。
外国に行っても日本みたいに優遇されてちやほやされると思ってたんじゃねーの?
ちやほやされ過ぎて基本的に人というものをなめてたんだろうな。
暇を持て余している神々のような方が読んでくださればうれしいです。
http://wired.jp/2012/08/16/disney-vs-miyazaki/
こちらの記事を読んで個人的に感じたことを。
結婚について今更ながら考えるところのある33歳独身の女です。
うちの父にちょっと似てるな、と思い、なんとなく懐かしく思いながら読みました。
本人に育児方針など直接聞いたわけではないんだけれども。
父はとにかく宮崎アニメの大ファンで、わたしが小さいころから、新作が公開されるたびに家族で鑑賞するのが恒例でした。
わたしが初めて風の谷のナウシカの映画を見たのは4歳のときでした。
子どもに聞かせるつもりで話していたのかどうかわかりませんが、父が、クラリスやシータの受動性と対比させつつ、ナウシカの勇猛果敢でありながら豊かな母性に溢れる高潔な精神を繰り返し賛美していたのをよく覚えています。
「ナウシカ=父の理想の女性像=わたしがナウシカみたいになればお父さんは喜ぶに違いない=わたしはナウシカのようにならなければならない」
という式をわたしは自分の中で早い時期から確立させていたように思います。
もともとの性格に加え、夫の転勤について行く専業主婦、という立ち位置が余計に母をそうさせていた面もあるのかもしれません。
「これからの時代は、女性も社会に出て男性と対等に働いていかなければならない。そのためには小さいころから努力しなさい」
「お母さんのように専業主婦になってはいけない、これほどむなしい生活はない」
と母から繰り返し聞かされて育ちました。
ですからわたしは、周囲に比べるとよく勉強していたほうの子どもだったと思います。
ローラ姫を助けたときに抱いた嫌悪感を、今でもわたしはよく覚えています。
「なんて依頼心の強い女なんだろう!こんな女にだけはなりたくない!」
努力が実り、わたしはまずまずの大学を出て、同世代の他の女性に比べるとわりとお金をたくさん稼げて、しかも長く続けやすい仕事に就くことができました。
今の仕事に就くまでにはずいぶんと紆余曲折があり、決して順風満帆ではありませんでしたが、まあとにかく、わたしは母が願っていたとおり、社会的に自立した女性になりました。
このポジションを得てから、わたしの自己肯定感は急激に強く満たされました。
いろいろ考えてみると、そのひとつに
「これで父の期待にも応えられたはずだ」
という達成感があることに気づきました。
この仕事は、女という性の特質、具体的には「母性」を発揮するのに非常に適した仕事でもあったからです。
自分の中で、ナウシカという強く優しい理想の女性への父のあこがれと、母から期待される「女としての自立」という目標とが混ざり合い、そのすべてを叶えることができた自分が、何かすばらしい存在に思えたのだと思います。
念のために書き添えておきたいのですが、多くの若者がそうであるように、親の期待や願望の言いなりではなく、わたしもあくまで、ときに両親に反発もしながら「自分の意志」で道を選び続けてきました。
今から自分の落ち度というか、重大な取りこぼしを書くのですが、それを両親の育て方のせいにしたくて書いているわけではありません。
この文章を書いているのは、幼少期からの親との関係性がどのように「自分の意志」の形成に影響してきたのかを自分なりに分析してみることが、これからの自分の人生にとって、なにかしらの糧になるだろうと思ったからです。
わたしの取りこぼしとは簡潔に言うと「努力が報われるのは、正しい方向に努力したときのみである」ことを失念していたことです。
仕事で成功したいのであれば仕事を頑張ればよい。スキルを上げることはもちろんのこと、上司や部下との円滑な人間関係の構築、根回しのやり方なども含めて、的確な努力を続けていればだいたい結果はついてきます。
当たり前ですが、仕事を頑張ってついてくるのは通常、仕事の成果のみです。
という話は、わりとあるように思えるかもしれませんが、そのふたつは直結はしていないと思います。
仕事を頑張る姿に惹かれて、というのはあくまできっかけでしかありません。
過程には必ず、純粋に「結婚を成功させるための努力」があるはずです。
ここを穿き違えていたことがわたしの失敗でした。
「彼女たちは、男性との関係以外にも、自分というものを持っている。たとえば『千と千尋の神隠し』では、10歳の千尋が両親を助けるために自分の身を危険に晒す。ストーリー構成に含まれるロマンスは、本題から外れており、千尋の生活の中心ではなく、両親を助けるという使命のサイドストーリーにとどまる。こうした特徴は、『ハウルの動く城』など宮崎作品の多くに共通する。
わたしはロマンスに反対しているわけではない。わたしの大のお気に入りである宮崎作品は、『ハウルの動く城』と『耳をすませば』の2作品だ(後者は宮崎氏は脚本を書いたが監督はしていない)。いずれも完全に公式に従った古典的ロマンスだが、この2作品のヒロインであるソフィーと雫はいずれも、異性との関係のほかに、関心事や自分の生活、個性を持っている。」
他ならぬ『風の谷のナウシカ』も、まさにそうです。
多くの宮崎アニメにおいて、ロマンスはサイドストーリーなのです。
わたしは自分の人生において、これをそのままなぞってしまったのです。
その結果、33歳独身、あんまりさびしいから猫でも飼うか、などと考えているマンション暮らしの独身女性がここにひとり、できあがりました。
ナウシカとアスベルは最後まで結ばれません。千尋とハクだって。
ハウルとソフィー、雫と聖司は結ばれますが、後者が前者と違うのは、やはり作中で「恋」「愛」そのものに向かい合った努力をしているところです(耳すまでは、その努力をしているのは主に聖司のほうですが)。
ナウシカや千尋は、恋い慕う相手と結ばれることを努力目標にはしていません。
心が通じ合う喜びを知りこそすれ、そこまでです(ナウシカは原作を読むとその辺の距離感がよりわかりやすいのですが)。
そもそも、風の谷のガンシップとアスベルの赤いガンシップが「おい待てよ~」「つかまえてごらんなさいよ~」なんて楽しく追いかけっこをしているようなナウシカなんて誰も見たくありません。
ナウシカは、みんなの姫様であると同時に誰も同じ境地を理解しえない孤高の存在でいるからこそナウシカなのです。
千尋も「ハクと離れるくらいなら千のままでいい!」なんて言ってしまったらすべてが台無しです。
ともすればストイックなまでの、あの潔さが宮崎アニメのヒロインたちの魅力を何倍にも引き立てているのです。
そしてくどいようですが、わたしは自分の人生において、これをそのままなぞってしまったのです。
そりゃストイックにならざるを得ない人生が待ち受けているに決まっています。
もともと、結婚願望はそれほど強くありませんでした。
でも、したくないわけではありませんでした。
結婚はまさに「サイドストーリー」として、おまけのようについてくるものだと思っていました。
自分の今やるべきこと(=仕事)を頑張っていればそのうち結婚もできる、と、両者を直結させて同一視していたように思います。
ディズニープリンセスも最近ではいろいろで、リンク先にあるように宮崎アニメとはっきり対極をなしているヒロインばかりではないようです。
「伝統的スタイルのディズニー作品は、古くからある「囚われの姫君」モデルに頼っている。『眠れる森の美女』や『白雪姫』、『シンデレラ』といった物語のヒロインは、状況を打開するための行動を、ほとんど何もしない。ヒロインは自分自身のドラマのなかで主体になっていないことも多い。ただ料理や洗濯、掃除をして、美貌で王子を夢中にさせるだけだ。そしてヒロインに夢中になった王子が、ヒロインが受動的に身を委ねている苦境から彼女を救い出す。
ただし、新しいスタイルのディズニー作品では、少なくとも、物語に登場する女性たちも主体になり、しばしばヒロインは王子を救うために行動する。だがプリンセスの行動は、もっぱら王子との関係のために行われるものだ。」
あくまで王子との関係性において力を発揮する、という意味で、ソフィーは極めてディズニープリンセスに近いヒロインだと思います。
そして「ハウルの動く城」のラストは、ソフィーとハウルのキスシーンで締めくくられます。大団円です。
「恋」「愛」に正面から向かい合ってひたむきに(そして的確に)努力し、苦難を乗り越えたからこそ、彼女たちは王子様と結ばれたのです。
彼女たちにとっては、それはサイドストーリーではなく、達成すべき目標そのものだったのです。
ソフィーのモチベーションが「ハウルを助けること」ではなくて「世界平和」だったら、きっとハウルとは結ばれなかったでしょう。
「昔ながらのディズニー・プリンセスも、新しいスタイルのディズニー・プリンセスも、男性を虜にして、ぜひ自分の妻にしたいと男性に思わせるだけの美貌と魅力を備えている。プリンセスが登場するどのディズニー映画でも、ロマンスは「引力の法則」、もっと率直にいえば性的関心に基づいている。
父親であるわたしがさらに不満なのは、ディズニー・プリンセスの性的魅力が、周囲の男性を変えていくほどの強い影響力を持つことだ。『美女と野獣』や『アラジン』、『塔の上のラプンツェル』といった映画について考えてほしい。ディズニーのおとぎの国では、性欲に駆られた結果として、男性が「いい人」になるのだ。
わたしは個人的に、自分の性的な魅力によって彼らを変えられると信じて、感じの悪い男性と性的な関係に陥る多くの女性たちを知っており、娘たちにそのような女性になってほしくない。これはディズニー映画の問題ではなく文化的問題ではあるのだが(われわれが購入しなければディズニーも販売しないはずだ)。 」
しかし実際、意中の男性を虜にするには、十分な性的魅力がなくては話にならないのです。
「感じの悪い男性」と関係を持つのは確かによくありませんが、だからといって性的魅力がないと王子様とのロマンスも生まれません。
性的魅力を磨くことと、「感じの悪い男性」に引っかかることは直結しません。
ディズニーの王子様達は女性にとっても魅力的な男性ばかりで、このような男性と結ばれるには女性にもそれ相応の魅力が必須である、というメッセージはなんら間違っていないと思います。
このように十分な性的魅力を持ったプリンセスたちがまさに王子様との愛のために奮闘する物語、この要素が、わたしには決定的に抜け落ちていたのです。
リンク先にもあるように、古典的なディズニープリンセスのモチーフである「囚われの姫君」は、極めて非力で弱々しく、受動的な存在として描かれます。
この弱々しいお姫様が王子様によって助けられ、めでたしめでたし。
なんて女性にとって都合のよい展開なのでしょう。
なぜ彼女たちは、助けてもらえるのでしょうか?
プリンセスの性的魅力は、王子様を意のままに操る絶大なパワーを秘めているのです。
そのことに気付いたのは、大人になってからでした。
思春期のわたしが彼女に嫌悪感を抱いたのは、美しいお姫様だから、というだけで周囲に何もかもお膳立てしてもらえるのが気に食わなかったからですが、ではなぜ気に食わなかったのか。
本当は、そういう存在にもあこがれていたからなのだと思います。
自分の中の奥深いところには、ナウシカが理想像として根付いてしまっています。
しかし、小学生女子が当たり前に生活していて、いわゆる典型的な「お姫様」的概念に触れないでいることはまず不可能でしょう。
自分の家にはなくとも、たいていの友達の家には少女漫画がありますし、ディズニーのビデオ(当時はビデオ)だって。
思春期、わたしはまさに、ディズニープリンセスになるべきか、ナウシカになるべきか、で葛藤をし続けていました。
今思えば両立も決して不可能ではありませんでした。
わたしはナウシカを選びました。
そのまま中学生になり、高校生活を過ごし、大学生になり、社会に出ました。
そして、ディズニープリンセス達の力がいかに強大なものかを知ったのです。
彼女たちは、同期ばかりでなく上司や先輩の男性に対しても、強大な力を見せつけてくれたのです。
そして彼女たちはいつでも「恋」と「愛」については全力投球でした。
努力は彼女たちをますます美しく魅力的な女性へと成長させ、そうして十分に性的魅力を獲得した彼女たちは、王子様のもとへと嫁いでいきました。
プリンセスにも、いろいろいました。
賢くて仕事がとてもできる人、そこそこ普通に仕事をこなしてる人、どっちかっていうとあんまり仕事ができない人。
でも、彼女たちの結婚に、仕事で頑張っていたかどうか、は関係しませんでした。
あくまで女性として魅力的かどうか、でした。
当たり前すぎる話です。
もちろん、プリンセス達にも悩んでいる人はいるかもしれませんけど。
かつてのわたしの母のように。
わたしも今の人生を後悔しているわけではありませんし、今からでもご縁がないわけではないのかもしれません。
けれども自分にもし女の子が生まれたら「美しく魅力的な女性になってほしい」というメッセージは発し続けたいと思っています。
仕事を「サイドストーリー」にするかどうかは本人次第だけれども、性的魅力を高めておくことの大切さを知ることは、非常に重要だと考えます。
長すぎました。
申し訳ありません。
18禁レーベルは喪女を弾き出すんですか弾き出さないんですか。
だからいきあたりばったりで喋るのはやめてください。
だから、レーベル側としては明らかにはじき出す効果狙ってるでしょ。ゾーニングって言葉知ってます?
「迷い込んで不快な思いをするのは可哀想だから看板出します、知ってて来るなら止めません」っていうのがレーベル分けの効果として明らかに期待されてるでしょ。
知ってて見たい喪女は見るし、「え18禁とかやだ」って喪女は見ない。
同じことでしょ。「喪女が主人公の作品」がイヤな喪女は見ない半面、興味をひかれた喪女は見る。
しかし中身は喪女の皮をかぶった…あといいよねループするしね。
少女マンガに出て来る男子高校生は女子の感情の機微に素晴らしくよく気付きます。
少女マンガに出てくる男子高校生は女心がわからなくて他人に相談して主人公の女子高生に接し直して上手く行ったり行かなかったりしてるでしょ。共感というより理解の過程。
それに「共感」と言ってますが、主人公の女子高生を理解してくれる男子高校生が登場するとき、読者が共感するのは大体において男子高校生じゃなくて主人公の方ですからね?
「理解を受けて幸福な主人公」に読者は感情移入(=共感)するのであって、王子様は理解を通じてお姫様を肯定する事が物語上の役割です。
「私モテ」において読者はそもそも理解しません。一方的に共感を与える側ですね。「あるあるww」って言う側。
でもそのあるあるは喪男のあるあるなので喪女にやらせるのは無理があるし実際喪女は共感できないわけです。
そこに対して、「何があるあるだ、ねーよきめえな、自己肯定するなら自分で勝手にやってろ」というツッコミが入っているのです。
BLにおける「あるあるww」はその点構造が近いっちゃ近いかも。で、BLはジャンルとして確立しておりレーベル分けされてるわけです。
あの種の男性と喪女クラスタのニーズを両立させて売上を更に上げるアイデアがあるなら
具体的なところをご開帳ください
妄想の喪女を描きたきゃ木を森に隠すように喪の群の中に一人入れときゃ良かったんじゃね?
すぐ浮いてバレるだろうけど。自分がもてないのを他人のせいにするなんてリアル喪女でもキモイ自己中扱いされておしまいだし。ま、萌えりゃいいんなら放り込んでみればいいんじゃないですか。
喪女がお客じゃないんなら喪女が買わないように売るべきでしょ。
新しい言葉をもって新ジャンルを確立するってあれでなかなか難しいんですよね。創造行為だし。
サボりたいのもわからないではないですが、それで金取ってたら批判されます。
じゃあ具体的にあなたの基準を書いてください
→蓋を開けたらロボフィギュアだった(ただし超精巧)。美少女はロボの肩に乗る程度にちんまり。
これはマーケティング的にアウトですが作品の質は保たれてます。売り方は全然ダメですがモノは良い。
→蓋を開けたら女の子っぽい塗装がしてあるが明らかにルサンチマンためてそうなオタクのフィギュア。
これはマーケティング的にもアウトだし質もうんこです。ゴミです。
パチモンでもいいと思ってる人はそれでいいかもしれないけど一般的に言ってパチモンで喜んでるのってかなりみっともないですよ?それだけでも恥ずべきなのにパチモン他人に押し付けるとか広めるとかしてもう死ねばいいんじゃないかな。的な。
そもそも人間をタイプで分類してブランディングするのだって下手すりゃレッテル貼りにすぎないんだからもっと丁寧にやってもいいくらいなのに「ボクの考えたモテないおんなのこ」を既に出回ってるスラングのシール貼って売るなよと。
評価してる人はコンプレックス故に愛さずにいられないんだろうなー、でもそれは喪女じゃなくてみっともないあなた自身の可能性が高いナニカなので喪女って呼称して語るのやめろよなオイみたいな。
逆にあなたの成功失敗の基準って何なんですか。ゼノグラシアがどっちだったかについても結局明言を避けてるし意味不明ですよね。
「喜んでくれる人がほとんどいなかったから」? 現実の数字(笑)とやらを見せて下さいよ。
じゃあ何でむかついてる喪女は客としてどうこうとか言いだしたんすかww
詭弁で関係ないじゃあないですか。行きあたりばったりで書かないでください。
・作品としても商品としても失敗作とは言い難い
・あなたがこの作品にむかついてるならその怒りを正しく分析して表明すべきであって憎しみ任せに「失敗作だ」「失敗作だ」と言い張るのは不毛
元増田が大体全部網羅してるので特につけ加えることはありません。
横だけど
元々は美女だったという設定がどうしてついてるかと言えば
デブスにベタ惚れで尽くしまくってるのを見せられて、その理由がデブスの心が美しいだけだと
男性読者の反感というか不快感というかを買いやすいからじゃないのか?
本来は美女なんだという方が説得力があるし、男にとって心地よさがある。
実際、デブスの容姿に不快を覚えても、実は以前は物凄い美人だったと聞くと、
全く違う存在として感じられるように。
それに、本来は美女設定があれば
真性デブスじゃなくて天然美女を手に入れた成功した男の一種なんだというステータスにもなる。
しかも、豚に姿を変えられたお姫様の美しさを見抜けた男は、勇者であり智者でもある。
無論、そこでお姫様の本来の姿も豚と変わりないブサイクでしたではお話にならないので
ということで、バキのその話が
「容姿に惑わされず心の美しさを讃えた素晴らしい話」という体裁を取りながら
スタートアップ系男子とは、要するに起業とかそういうのをしたがるタイプの男子であり、ライフハックとか自己啓発とか好きな男子のこと。最近はTwitterやFacebook、ブログなどで、こういう男子をちらほら見かけるようになりました。オタクを落としている場合じゃないです。彼らは下の意味で買い時です。
前にも誰かが言っていたんだけど、「かわいい子がたくさんいる世界」よりも、「男だけの世界」のほうが競争率が少ない。例えば、大学でも工学部など、男子の比率が凄く偏っているところは、女性というだけでちやほやされるという事例が多い。なんだかんだいって、IT業界というのは、男子のほうが多いし、ホモソーシャルで精液臭い世界であるので、おっぱいを触らせるくらい抵抗がないというビッチに関しては、競争率も少なく、ちやほやしてもらえ、なおかつ女の子というだけで「カワイソー」という同上を一定層から引き出すことができます。
どんなに綺麗事を言っていても、あの子たちはチンコを持った動物であり、一皮向けば中小企業のおっさんと変わりません。
彼らの言うことはいい事が多いですよね。
詐欺師の話として、「自分は絶対騙されない」と考えている人ほど、騙されたときにドツボに入りやすいと聞きます。要するに、自分がいい人だと思っている人ほど、自分がチンコによって振り回されていることを知らずに、それが善意であるとか、そういうことを信じやすいということは言えるでしょう。なので、ちょっと性欲を刺激してあげればドツボに入ります。
まあ、ドツボに入りすぎてストーカー化するという男子もいるとは思いますし、割と自己愛気質だったりするので、自分の思い通りにならないと、すぐDVっぽいことをするかもしれません。そこは自分の見る目で補いましょう。あと、割と人の話を聞かなかったりするので、ただ相談したかっただけなのに、なんかよくわからない精神論を説教されるということもあるかもしれませんが、「この人バカだなー」と思ってニヤニヤしましょう。
あと、割と自分の綺麗事と折り合いをつけるために、綺麗事をやりたがる傾向にもあります。それを自分に向けられたら占めたものです。彼らは「新しいことをしていたら応援したがる」という単純な考えの持ち主ですので、あなたがやりたいことを勝手にやれば、すぐにそれを応援してくれるでしょう。
なぜポジティブに考えるのか。
それはネガティヴに考えると、そのドツボにハマるから。むしろその男子は不安が多いタイプの人間です。不安が多いからこそ、いいことを言ったり、何も考えないでガムシャラに働くということで、自制心を保っています。だから、そういう不安につけこむといいでしょう。新興宗教も、病院の待合室で勧誘するという話があるくらいじゃないですか。女子力というよりかは、お母さん力です。
とくに、Twitterでやたらナイーヴなことを呟きはじめたら占めたものです。「あなたみたいな人でも、不安なことがあるんですね」とアッピールすればいいわけです。そうするとコロっといってしまいます。必要なのは「あなたの事は私だけがわかっているわ」というオーラを出すことです。別に本心は「キンモー☆」と思っていても、それはそれです。
えげつなくいきましょう。別にあなたのことで、チームが険悪な気分になったり、いいサービスがおじゃんになったりしても気にしないで参りましょう。ただ、あんまり変なことをすると、同業エンジニアから嫌なことを言われたりすることがあるので(あの人たちは女性より一次元のコードのほうが好きなので)、そこは自分は悪くない!と開き直りましょう。もしかしたら、開き直ることすら必要ないかもしれません。ほっときゃ周りの人が勝手にフォローしてくれます。
いまスタートアップ系男子は買い時です。お姫様としてチヤホヤされるなら、これほどいい場所はありません。とはいえ、美人であるとか、ちょっとビッチであるとか、そういう条件は必要ですけど、そういうのに抵抗がないならば、おすすめです。
昨日金曜ロードショーにてSEX AND THE CITY2が放送されていた。
この映画はドラマ放送の時代からリッチで独立した女性の生き方を主軸として作成されている。
そのエッセンスとして、ブランドの服や靴と、彼らを取り巻く男性とのキワドイシーンが登場する。
女性は「おしとやかであること」や「純粋無垢であること」が求められていた既存メディアに新しい風を吹かせたのが10年前。
その風は全世界にブームを巻き起こし、映画第2作製作へと至った。
日本でも現在このドラマを模した民放のドラマが放送されていたが、いまいちハマらない。
セレブ感を出そうとしている努力は認めるが、結果がともなわない。まるで小さな子供がお姫様ごっこを見ているような滑稽さである。
日本でいわゆる「セレブリティ」ドラマがはやらない理由が二つある。
ひとつはアメリカに比べ、そのような「煌びやか」で「豪華絢爛」で「はちゃめちゃ」な生活を送っている人口が絶対的に少なく、
それはハリウッド映画の中で生け花や禅を行う外国人俳優の演技と似たようなものがある。
日本の裕福層の生活を模したドラマや裕福層の人のドキュメンタリーを制作するならまだしも、
完全にアメリカの生活のイミテイトであれば、違和感が生じるのは当たり前である。
日本では邦画「幸せのパン」や「うどん」のように日本独特の雰囲気をしっかりと掴んだ作品が一番受け入れられやすいと思う。
二つ目の理由は、日本とアメリカの人口年齢の分布の違いである。
アメリカでは現在でも若い人口が増え続けており(2030年以降は生産年齢人口は減ると想定されているが)
若い人に受け入れられること=ヒットという方程式がいまだ確立されている。
もうすでにそれがヒット作(金)を生み出さないことに気づいていない。
Twitterに流そうと思ったけど、長すぎてうまくまとめられなかったからここに流す。
始めてこういうの書くから駄文になるのは確実だけど、やらせてください。かねてからの夢だったんです。妄想が核融合で爆進する!
「永遠の巫女」という曲について考察してみる。第一作目「東方靈異伝」の第1面から5面、ゲームをプレイすればテーマソングを除いてまず最初に聴くことになる曲だ。それはつまり、まさに東方project最初の曲ということになる。
ではなぜ、最初の曲なのに「永遠の巫女」なのだろう。私は、ZUNはこの曲に大きな思いを込めていると思う。(実際にそんなことを述べていたこともあったりする)
ちなみに、この曲はいくつかアレンジがあるが、新しくなるにつれて暗くなる印象を持つ。
かなり初期の作品だが、この曲を聴かずに東方は語れないと思う。是非聴いて欲しい。
曲名の「永遠の巫女」を霊夢のこととする。ヤメテヨ。ここを「博麗の巫女」と捉えたら完全に別の意図になっちゃうヨ。その解釈もありかもしれないけど、ここでは一応霊夢一人ということにする。
ここで考えたいのが、幻想郷の寿命のこと。二次創作で最も多いネタといっても過言ではないだろう。「霊夢のいる幻想郷」は他の妖怪や幻想郷にとってほんの一瞬。すぐに寿命が来る生き物としてZUNは人を表現する。
けど、ZUNは「霊夢のいる幻想郷」という、まさに「一瞬」をずっと映し続けている。どう考えても俺らの感覚では10年は経ったのに、向こうはサザエさん時空間が流出しているかのごとく少女は少女のままだ。 時に小町、貴方はこんな経験がないだろうか?
私はペットを飼っている。私はここ数年間ずっとこいつと散歩している。毎日毎日、こいつはよく飽きないものだ。俺は飽きた。
そこからは「永遠」を感じることができる。こいつとずっと毎日散歩をし続けるんだろうと確信する。
だが現実はそう甘くない。こいつも、今年でシニアの仲間入りだ。最近腸に異常をきたして入院した。 私は、こいつが生きている時間は見る側によっては一瞬にすぎない。永遠は一瞬で終わるものだ、と感じた。そんなときに永遠と一瞬の境界はなくなる。
「一瞬」と「永遠」は両立できるものだ。私は、神主はそのことを表現するために今までずっと「霊夢のいる一瞬の幻想郷」を表現してきたのではないだろうかと思う。そして、これからもずっと彼は表現し続けると思う。酒と共に。
それに、幻想郷は常識的な概念が通用しないという点も深く考える所がある。幻想郷には、一瞬を永遠に変える力もあるのかもしれない。そういえば、似たような名前の程度の能力を持ったお姫様もいたような気がする。
そこでこの曲。妖怪は人間より遥かに長生きという設定は、靈異伝の時点であったのだろう。更にこの作品は1作目。いくら神主といえど、人気が出るか多少は不安だったと思われる。ゲーム自体にも瞬間の儚さを感じられるこの作品の最初の曲から、ZUNの「永遠」という言葉の解釈を伺うことができる。須臾は永遠の始まりであり、須臾こそが永遠なのだ。東方projectの主人公は儚く舞い続ける。
ここ数年、恋人に恵まれない人間やそういう人間ばかりのコミュニティを目にする機会が何度かあった。
彼(彼女)らは口々に出会いがないと言い、結婚の見通しを聞けば数年の内には、とかお見合いでもいい、と言う。
率直に言ってその「出会いがない」という言い訳はあまりにもナンセンス。「出会い」という、白馬の王子様がある日突然現れたり、お姫様が空から降ってきたりするようなイベントを期待するのが間違い。
そういう出会いから恋愛に発展し、幸せをつかむ人がいないわけではない。しかし、20年30年と生きてきた人間は人生の節々で何十人何百人という異性と出会ってきているのだから、その機会をこれまで見過ごしてきた人間が、今更次の出会いからチャンスをものにしようなどと考えない方がいい。次も必ず見過ごす。
ではどういう努力をすればいいのか?それは簡単、「1対1で気を許して会話できる友人を、性別問わず作る」ことだ。
これ自体は恋人を作ることとは全く関係がない。要するに恋愛とは関係なく仲の良い知り合いを増やせということだが、中でも仲の良い異性の友人を作ることが必要である。
恋人がほしいと願っているが、気付けば仲の良い異性の友達すらいない、という人はいないだろうか。次のような点に注意する。
①サシでの交流をする
必ず1対1で関係を作る。最初は大勢のグループで遊んだり食事をしたりする仲でもいいが、必ずその中から1人、2人とピックアップして特に交際しておく。
グループの人間関係は一見しっかりしているようで、そのうち1人欠けてもどうってことはないようになっている(それがあなたでも)し、ちょっとした不和が崩壊を招く。
そうではなく、自分がいなければ成り立たない人間関係を作る必要があり、よほどの人徳でもなければ、それはサシの関係が最も簡単。
②「新しい」人脈を作りすぎない
よくあるミスが、人との出会いを求めて新しい人間関係を作ろうと躍起になってしまうこと。これは恋愛だけでなくビジネスの世界で最もよく見られる。これまで知らない人々と出会い、輪を広げるのは確かに心地が良く、出会いの場を増やしているように見えるが、実際はそういう新しい人脈は意外と発展性がなく、簡単に消滅することがほとんど。それよりは、これまでのコミュニティ、例えば中高、大学のサークル、ゼミ、昔の職場、隣の部署、取引先など、既にある程度交流がある人々との関係を見直していく方がよほど自然で、維持しやすい。眠っているコミュニティの人脈を掘り返してみる。
③「サシ飲みに行ける」距離感
これ以上でもこれ以下でもない。毎日言葉を交わす必要も、メールやSNSで交流する必要もない。飲みに行こう、と言えば都合の良い日を教えてくれる、という距離感を作る。異性の場合、無目的にサシ飲みというのはハードルが高いので、最初はプロジェクトの打ち合わせと称してもいいし、週末のミニお疲れ会としてもいい。何かしらの理由をつけて前例を作っておく。そして大切なのは、定期的に繰り返すということ。習慣は身につくもので、最初は理由がなければできないことも繰り返しているうちに違和感がなくなる。その距離を保っておく。
④恋愛対象でない異性こそ大切に
「出会いがない」という人ほど、身の回りの恋愛対象でない異性をないがしろにする傾向がある。それは大きな間違いである。恋愛対象でない異性ほど大切な友人として扱わなければならない。たとえ相手に恋人がいようとも意識的に距離を置いてはならない。恋人がいる人間は逆に余裕を持って異性に接することができるので、関係を深めるのは難しくないし、無用な警戒をされずにすむ(ことが多い)。そして、いったん恋愛対象でないと決めた友人に変な気を起こしてはならない。「この人は男女関係なく人と仲良くできる」という印象を持たせなければならない。
その友人に恋人がいるなら特に、その話を聞くように心がける。相手にとってあなたは自分の恋人と同性であり、その視点からのアドバイスはいつでも説得力とありがたみがある。これは互いに恋愛対象とみなしていない場合にしかできないので、そのような男女関係を目指すべきである。これは自分の恋愛観を形成し見直すのにも役立つし、ますます信頼を得ることができる。
⑥複数、できれば3人以上作る
そのような「異性の友人」を1人に絞ってはいけない。それは相手にとって負担が大きすぎるし、警戒されてしまう。あくまでもドライな関係を維持するためには、3人以上そのような友人を持つことが望ましい。そして、それらの友人はできるだけコミュニティを分散させる。
このように、仲の良い異性の友人、しかもサシ飲みをして恋愛の話に踏み込める友人を作ることがなぜ恋人を作るのに役立つのだろうか。それは以下のような効果による。
(1) 異性に触れられる
要するに「異性慣れ」
(2) 距離をコントロールできるようになる
異性の友人と適切な距離感を保つことができるなら、さらに踏み込むこともいずれできるようになる
異性の友人は自分たちの輪の中であなたの話をし、広告塔として働くことになるだろう。つまり、多数の異性と交流することなく自分の存在をアピールし、友人をパイプにしてさらなる交流を生み出すことが可能になる。これこそが、恋愛に発展しうる最も起こりやすい効果である。
「出会いがない」という人は自分の人脈をフル活用して異性の友人を作りましょう。
なお、筆者は男性であるが、高校、大学、大学院、勤務先、取引先のコミュニティにそれぞれ1、2人ずつの異性の友人がいる。恋愛をしたことがない女性から既婚者まで様々で、筆者が恋愛の仲立ちをしたこともある。facebook、mixiやメールを使っていつでも酒に誘うことができるが、上に挙げたとおり彼女らと恋愛に陥ってはいない(大学時代、上記のような関係だと思っていた女性から交際を申し込まれたことはあるが、断っている)。
大学〜現在の勤務先の間に交際した女性は5人だが、全て上のような心がけをしてからのお付き合い。高校時代は振られてばかりだった。