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はてなキーワード: いじめられる方とは

2017-06-19

アイドルの話は結局、騙す方が悪いか、騙される方が悪いかってだけの問題だろ

いじめる方が悪いのか、いじめられる方が悪いのかってのと同じ

どっちが正しいか議論してる時点で間違いなんだよ

正解を求めるのではなく、どの答えを選ぶかによってそいつ人間性が出るから、それを見てまた判断する

ただそれだけのことじゃん

2015-08-27

「悪くない」はいじめられっ子を救わない

いじめはいじめる方が100%悪い」

いじめられることは恥ずかしいことじゃない」

いじめられていた頃、この言葉ほど自分を追い詰める言葉はなかった。

「だからいじめられていたら相談してほしい」

教師はそう僕たちに訴える。僕と僕をいじめていた人たちはその言葉を聞き、今やられていること、やっていることはいじめじゃないと思い込む。

何故なら僕が悪かったからだ。最初友達だったクラスメイトを育ちが悪いと馬鹿にして笑ったのは僕だったからだ。

から何をしても良いとクラスメイトの一部はエスカレートしていき他のクラスメイト自業自得だと看做す。僕自身自分が悪いから仕方ないと諦め自分が最低な人間であることを大切な両親にだけは露呈しないよう必死で隠す。

地獄だった。

だが、今は思う。いくら僕が悪くてもいじめられていいわけはないんだ。だって彼らは罰を与えたくていじめていた訳じゃなく、僕という人間いじめても正義側でいられる人間であることを利用して徹底的に甚振ることを楽しんでいたんだから

僕ほど分かりやすくなくてもいじめの大半はいじめ側に正義がある。空気を読まない、性格が悪いなど下らない理由でもそれを盾にいじめる。だからコミュニティ内では教師も含めていじめられても仕方ないという空気形成される。

最初に悪かったのは僕だ。いじめる方が悪い、いじめられる方は悪くない、は悪いからいじめられた子を救わない。

2015-07-09

いじめられる方責任はない、は本当か。

いじめはたしかに悪い事だけど、存在するだけで、周りの調和を乱す人っている。

そういう人に、どのように対処したらいいのだろうか。

 

例えば、昔、転校生がやってきた。小学4年生くらいだったと思う。

  

見た目はごく普通女の子だったが、たったひとつちょっと変なことをする女の子だった。

 

ものすごく鼻くそをほじくるのだ。それも、すごい勢いで。

そして、それを食べるのだ。

 

衝撃的だった。あまりにも悪びれないでそれをやるので、みんなどうしていいかわからなかった。

 

彼女にとってはそれは別に普通のことのようだった。

 

 

この場合、たしかに大人の対応としては「人前で鼻くそをほじってはいけません」と本人に注意することが必要になるんだと思う。

 

でも、小学4年生。そんな社会的技術をもっていない。

 

とりあえず、陰で「あの転校生鼻くそ食ってるwww」って話題になる。

 

で、当然、みんな気持ち悪いから距離をとる。

 

調子のいい男子が本人に聞こえるような声量で「鼻くそ」とか言い出す。笑いが起きる。教室に張り詰めた緊張がほぐれる。

 

ここでその女子生徒が、ようやく違和感を感じ始める。

 

先生相談する。

 

先生帰りの会で「いじめはよくありません」「いじめ犯罪です」という。

 

 

しかし、その女子ものすごい勢いで鼻をほじっているとき教室に張り詰めたあの緊張感。

 

そして、その緊張した雰囲気を破ってくれた、調子のいい男子の「鼻くそ」の一言

   

 

こういう場合どうしたらいいの。誰が悪いの。

2015-04-16

感情吐露する文章上から目線で諭すやつ

主「学校いじめられました。つらいです。死にたいです」

コメ1「いじめられているのに逃げない意味がわからない。なんでさっさと逃げないの?」

コメ2「死にたいって言ってるやつほど本当に死なない。どうせかまって欲しいだけだろ」

コメ3「生理的イラつくのはしょうがない。いじめられる方にもちょっとは原因があるはず」

コメ4「いじめている人もつらいんだよ。わかってあげなさい」

個人的コメ4みたいなこと言うやつが一番人の心を持ってないと思う。

2014-10-13

美人はいじめられない こっちん 2014年5月13日 17:59

悲しい現実ですが、条件が同じなら、いじめられる方ブサイクさんやおデブさんです。

「美」に嫉妬していじめる人もいるでしょうが、そんなのは少数で、

なぜか人は自分より劣っている人を虐げて、自分より上だと感じる人には媚びる傾向があるようです。

子供世界もそうですし、大人の世界もそうです。(あからさまではないですが)

一番いじめられるタイプは、美人じゃないのに「また上司に誘われちゃったぁ」などと美人を装う人ですね。

男性なら、スポーツイマイチなのに、「俺の走り注目されたぜ」と得意げに振る舞ってるヤツや、

勉強ほどほどなのに「先生にまた推薦のハナシされちまったよ」などと賢いふりをするヤツなどですかね。

これらの人はイジメられると思います結構な頻度で皆さんの周囲にいると思いますよ。

2013-10-18

40年も前の、ほんの軽い いじめの事。

小学2年の時 軽いいじめに遭ってた。

CMソング替え歌で、休みの度にはやし立てられ泣かされ

学校が嫌だったが、親は休ませてはくれなかった。

図工で絵の具を使うようになった時、今みたいに筆洗バケツは売ってなかったか

空き缶で作って用意するように言われた。

工作が得意な父が、250ml缶6本を針金で繋いで 取っ手も作ってくれた。

みんなそんな風に作ってもらっていたから、自慢とかしてない

なのに帰り道、いじめっ子に取り上げられ どぶ川に捨てられた

小2が入って取りに行くには 少々川幅が広めで、泣きながら追いかけたが

人通りもなく 缶の筆洗(水入れと言っていた)は流れていった。

40年もたったのに、笑いながら見ていた その2人の名前も覚えている。

一人は数年後病気で亡くなったが、もう1人は知らない。

中学の時、イケメンで何かスポーツやっていて モテていたのだけ覚えている。

当時は今程、あき缶が手にはいるような食生活ではなかった

泣きながら父に「水入れをいじめっ子に取られて、どぶに流された」と言うと

父は果物の缶詰の空き缶が2つ用意し、新しい水入れを作ってくれた。

あのいじめっ子2人が、あの件以来私にちょっかい出す事はなかったのだが

今は黄色い筆洗バケツが主流となって、見かけると思い出してしまう。

クラス男子達のいじめ自体は、3年に上がってクラス替えになるまで続いた

もちろん率先していじめてくれた男子名前は覚えている。

担任は?何もしてくれませんでした。

いじめられる方が悪い」みたいな風潮があった時代から

言った所でムダだった。だからだって知らない。

今良く聞こえてくるいじめに比べれば、かわいいものだと思う。

だけど そんな暴力のない、軽微ないじめでも 受けた方は加害者の事を忘れはしません

ちなみに当時の担任高校位の時、高齢で亡くなられたとか聞いた。

2013-07-01

ブラック企業本質は「いじめ」という名の暴力にあると思う

ブラック企業本質は「いじめ」という名の暴力にあると思う

ブラック企業」の定義曖昧すぎる!!

ブラック企業とは、一般的には、低賃金長時間労働など社員過酷負担を強いる企業総称をいいます

WikiPediaによると、

とか、

など、その定義は広く曖昧です。

解釈によっては、どんな企業ブラック企業に当てはめる事ができてしまうかもしれません。

また、「ブラック企業ブラック消費者が作り出した」という、いかにも企業側に責任が無いような意見もあります

 しかし、英語圏では、スウェットショップ(Sweatshop)と呼ばれている他、中国語圏では血汗向上とも呼ばれており、ブラック企業問題を抱えているのは日本だけではありません。

社会問題にもかかわらず、なかなか問題の本質が見えてこないのは、この「定義曖昧さ」にあるのではないでしょうか?

最近では、企業側が「ブラック企業」の記事を書いた記者を訴えるなど、本当に混沌とした状況です。

過去に実際に行われた、企業が行った悪徳の数々
バブル崩壊の時

バブル崩壊の時期には、「リストラ」の名の元に、数々の非人道的な人員整理が行われ、社会問題になりました。

山一證券倒産の際には、高額所得者への色々な形の「いじめ」が行われたそうです。(幹部を配置換えと称して新入社員の下に配するなど)

住専住宅金融専門会社)の倒産の際には、営業成績の高かったある個人をスケープゴートとして、社員全員で「ゴキブリ」などと言わせて、いじめぬいていたそうです。

また、人員整理に留まらず、企業同士のいじめとして、「拓殖銀行倒産」のきっかけとなった、コール市場での「総スカン」なんていうのもありました。

リーマンズショックの時

金融機関中小企業に対して行われた「貸しはがし」が社会問題になりました

最近

最近の長く続いているデフレでは、裁判も頻繁に行われたサービス残業問題。

また、昔から定番の、短時間労働高収入がうたい文句の求人(これは分かりやすいので、気を付ければ引っかからずにすみます

規制緩和」の名のもと、非正規雇用形態が広がり、社員企業同士の「悪徳」が日常化していると考える事ができそうです。

悪徳行為とは、いわば「いじめ

日本法治国家です。国民は「法」に守られていますので、企業側は安易に「不正行為をはたらくことはできません。

そこで、「法」に触れないギリギリの線で、個人なり相手企業を攻めてくるわけです。

これが、いうなれば企業悪徳行為は「いじめ」と言えるのではないでしょうか?

いじめからイメージされるのは子供ケンカ

ただ、「いじめ」と聞くと、「いじめられる方にも責任がある」と感じてしまます

これは、「いじめから子供イジメ想像してしまうからだと思います

子供イジメには明確な理由も戦略もありません。

企業の行うイジメは全く異なります。背景には利害が絡んでおり、明確な目的があるのです。

戦略も伴います場合によっては興信所暴力団を使うなど、お金が動きます

イジメ」は暴力

暴力団が絡むところからも、イジメ暴力なんです。

暴力」と聞くと相手を、叩いたり蹴ったりなど、物理的に力を加える事を想像しがちですが、精神的に相手を追い詰める事だって立派な暴力です。

暴力」という言葉をもう一度考え直してみました。

そもそも暴力というのは、自分だけの都合により、相手を排除したり、相手の力を奪う時に、「相手に加える力」だと思います。殴ったり蹴っ飛ばしたり、暴言を吐いたりなど様々あると思います

その「力」のうち、直接相手に加える力が、一般的に「暴力」とされていると思いますが、間接的に相手に加える力も「暴力」のはずです。

 例えばリストラを考えた場合、相手が働きにくい環境を作り出して、自ら辞職に追い込む事は「暴力」です。

 仕事に無関係な作文を何枚も書かせたり、ブライドを傷つけて社内での立場を奪ったり、或いは精神的にうつ状態になるまで追い込む行為、これ等全ては「暴力」なんです。

 ※相手を精神疾患に追い詰める行為は厳密には「傷害」(刑事罰)になりますが、立件が困難な為この手を使う企業も少なくないハズです。

暴力」の乱用で業績が伸びるのは当たり前

 「暴力」というのは、自分だけの都合で相手を排除したり、力を奪うわけですから企業が「暴力」を乱用すれば、収益を上げる事が出来るのは、当然の事でしょう。

 「暴力」というくくりで考えてみますと、直接的暴力、例えば、コンビニ強盗では、お金を払わずに商品を手に入れる事が出来ます。短期的に見れば、一番効率の良い物資の調達方法です。

 間接的な暴力は多少効率が落ちますが、やっている事は同じなのです。

暴力」を多用する際の落とし穴

その企業に「暴力」があるという事は、逆に言えば、「安全安心」が無いという事です。

安全安心」がトレードオフになっているのです。その結果、以下の現象が生じるハズです。

人材」が育たない

 「暴力」の元では人は常に緊張状態に置かれ、落ち着くことが出来ません。

 こんな環境では人は育ちません。

 暴力をふるう両親の元で、ちゃんとした子供が育たないのと同じです。

社員同士の絆が生まれない

 当たり前ですね。

 ただし、「どの人の下に付けば自分安全なのか?」を絶えず気にして行動しますので、人の上下関係はきっちりします。

 ヤクザと同じです。

やがて仕事が回らなくなる

 「暴力」とは、他人から財産を奪う為の力です。

 社内で、地味かもしれませんが「暴力」が行われている事を目の当たりにするわけです。

 そんな中では、誰も、一生懸命仕事をしようとか、難しい事を習得しようとかという発想にはなりません。

 社内で出来る人がいなければ、派遣を安く使って、やらせればよいわけです。

 社内では色々なノウハウも蓄積されません。

 やがて仕事が回らなくなります

 そうなると、経営陣は社員たちを追い出して社名を変えてまた会社をやり直すわけです。

安全安心」が日本らしさをつくっていた

技術大国と言われるほど、ものづくりが上手だったり、皆勤勉(識字率がほぼ100%)だったり、「絆」を大切にしたりなどの前提には、「安全安心」が有ったからだと思います

この「安全安心」が失われてしまうと、日本が、日本ではなくなってしまうかもしれません。

この新たな「暴力」については、本当に真剣に考える必要があると思います

2013-03-06

本当に危ないのはいじめっ子の方だと思う。

いやいや、心の歪みとか将来の犯罪者率とかそういうんじゃなくて。

しろ病んじゃうのは圧倒的に被害者いじめられっことかいじめっことかなんかソフトな言い方はたくさんありますけど加害者被害者ですよ。

加害者別に歪んでないんですよ。世間的に肯定されるのは、なんだかんだ言ってあっち側の人たちじゃないかな。

だってね、偶然なの全部。いじめ蔓延るのは悲しいか必然としても、加害者被害者の境目ってほんと曖昧

男子事情ちょっとからないけど、女子なんて立場逆転は一日あれば済みます

容姿が整ってて目立つ子と仲が良かったとか、からかわれる原因を持っていたとか、全部たまたま

誰が決めたわけでもないの。自分で選んだわけでもないの。

偶然自分がその歳でそういう人間になっていて、偶然そのクラス職場に入って、色々な要因が重なって発症した暴力被害者になっただけ。

悪いとか悪くないとかの話じゃないんですよ最早。

いじめられる方にも原因はある」とかドヤ顔して言ってる場合じゃないって。原因と責任は違うって。

で、集団にしこたま迫害された人間がどうなるかっていうと、人間が怖くなります自分自身も含めて。

克服して通常生活送ってる人とか奇跡だよ奇跡超人だよ。

心因的な病気になったり引き篭もる反応のが正常だと思う。健全かどうかはさておきね。

自殺もね。見えないし、将来。自分以外の人間は全部自分を笑ってる貶めてる蔑んでるとか思うし。

身体ばっか大きくなって、親は信頼できないけど大事から負担はかけたくないし、てゆーかもう起きるの無理、みたいな。

夜になって目を閉じるたびこのまま目覚めなかったらいーのになって。

自殺は後処理があるから嫌だな、存在のもの消してくれないかな、とか。

考えるよね。お前なんか必要ねぇよコール毎日送られたね。

そこで屋上とか昇っちゃったらもうね。首吊り縄とかふざけて作ったはずなのに、あれって。

一瞬じゃね?痛いのは。今までの方がよっぽど痛かったよなって。思っちゃったらたぶんもうだめ。

周りに相談があったら、とか学校側の対応は、とかそんな話じゃないんだよ。

「そうなるしかなかった」の。死んでみようかな、って考えちゃった瞬間から

自殺だの自死だのこれまたソフト名称出ちゃってますけど、いってみれば殺人ですからねアレ。

殺人者だよ殺人者。憎しみだけで呼吸するの。もう酸素なんて届いてないから。

今回の本題は、この憎しみが自分ではなく加害者に向けられた場合

ようやっと話題になってきましたけど、報道番組観るたびいつも不思議だったのね。

加害者被害者になる可能性もあるんですよって教えないのかなって。

憎しみとか恨みがあるわけですよ、人を殺すほどの。被害者ターゲットを偶然自分に選んだだけの話。

考えないの?

例えば小学校で熾烈な虐めにあったとする。どんどんエスカレートしていって、中学に上がるころには不登校

高校通信行ってみたはいいけどモチベーション全然上がらないか勉強できないしそもそもコミュニケーションってなに?

就職なんて夢のまた夢、フリーターすらも続けられるか微妙

親の定年なんてあっという間で、もしかしたら揃って事故死とか病気あって多額の医療費、も可能性はある。

で、なんやかんや一人ぼっち。食費なんてとっくに尽きたし光熱費もろくに払えないか寒い暗闇で包まる。

なんでこんなことに。どうしてだ。いつからだ。原因はどこだ。誰だ。

失うものは何も無いって気付かれたらそこで終わり。個人情報の溢れかえった現代加害者のお勤め先なんて簡単に調べられちゃう

しかしたら自宅も分かっちゃうかも。加害者になる人は想像力が欠如してるので、そのまま成長してたら付近写真とかバンバン掲載。

見渡せば母の遺した包丁が。指を切ってみる。血は流れる。

相手の血を見てからでも死ぬのは遅くない。汚い靴を履いて何ヶ月かぶりに外に出る。

極端な例ですけど、こういう話があっても何もおかしくはない。

子供自殺した親が狂気に走って、とかね。

成功するかはさておき、なんらかのダメージはありますよね。

悲しい事件はなくしたいよね、ひとつでも多くね。

2012-11-30

いじめられる方にも原因がある

タイトルは半分釣りなので、いじめ被害経験者も冷静に最後まで読んで欲しい。

いじめられる方にも原因がある」と言われることがある。これは正しい。

私は中学いじめを受け、そのトラウマを高校以降も引きずって、人間不信コミュ障に苦しんだ。

社会人になるまでに表向き目立たない程度には克服したものの、今でも人知れず鬱々とした精神的発作のようなものを抱えている者だ。

それでも、この言葉は正しいと思う。

なぜなら、この言葉と「誰でもいじめられる可能性がある」という言葉は背反する、つまり片方がウソで片方が本当だからだ。

自分は、後者ウソだと思うので、前者は本当ということになる。

人は性格によって、どんな集団に居てもいじめられない奴、条件が悪いと一時的にいじめにあうことがある奴、継続的ないじめの対象になりやすい奴に分かれる。(学生時代自分は一番最後カテゴリ

いじめられる可能」というやつは、誰にでも均等ではない。これが現実だ。

可能性0.0001%と95%を一緒くたにして、「誰でも可能性がある」なんてのは、極めて悪質な詭弁だ。

なのに、そんな詭弁を恥ずかしげもなく撒き散らし、現に苦しんでる被害者や周囲を惑わして、問題の解決を遠のかせておきながら、「自分は弱いものの味方です」のような顔でいる奴には、腹の底から反吐が出る。

お前が綺麗なセリフに陶酔するためだけに、現実を糊塗隠蔽するんじゃねえよ、どクズ

話が逸れたが、さて、人によっていじめられやすさが違うのなら、いじめられやすい奴は、いじめを引き起こす性格上の要因を何か他の奴より多く持っているということになる。

その何かこそが、「いじめられる方の原因」と呼ばれるものだ。

「何か」の中身は、ここでは趣旨が違うので踏み込まないが。

一方いじめる方の性格上の要因も、当然ある。偶然運悪くいじめ加害者になるなんてことはない。

いじめる方の原因と、いじめられる方の原因が、同時に成立したとき、言い換えると、いじめる側の性格の歪み(凸とする)と、いじめられる側性格の歪み(あえて歪みと表現する。凹とする)の凹凸が噛み合わさったときに、いじめという現象は発生する。

この理屈に従えば、性格に凹な歪みがない奴はいじめられない、凹な部分を直せば、いじめはなくなるとも言える。

それは自分経験上、確かに正しい。

自分はこれまで、そういう性格の歪みを矯正するために、何度も恥にまみれて死にたくなるような思いをして、なんとかギリギリ社会適応してきたのだ。

いじめられる側自分から何とか状況を改善し、自己防衛をしようとする場合には、それなりに拠り所となる考え方だ。

しかしだからと言って、加害者傍観者さらには教育者(救いがたいことに実際に存在した)が、ドヤ顔で振りかざしていい理屈ではない。

凹があるだけでは成立しない。凹があり、凸があり、凸が凹に、その突起を刺し込もうとし、なおかつそれを抑止する力が存在しないときに初めて、いじめが起こるのだ。

さらに、凸を放置すれば、もともとは凹ではない奴の心を抉り、凹な性格に仕立て上げることさえある。

から、凸の突起を折り、刺し込んだり抉ったりしないようにすることの方が、凹の歪みを直すより、よほど効率よくいじめ抑制できるに決まっている。

そもそも教育者の中に、凹の歪みの改善指導ができるプロ技術の持ち主なんて、ほとんど居ないだろうが。

凹を黙らせて、状況を放置する無能なら腐るほどいるが。

いじめの原因は、確かに双方にある。

それはつまり、一方の原因だけ潰せば、現象としてのいじめは潜在化するということだ。

ならば、潰すべき一方は、いじめる側であるべきだ。

それが社会の矜持というものだと思う。

2012-08-11

諸悪の根源

顧みるに、かつての所謂いじめっ子の面々に対しては、今はそれほどの憎悪怨念は残っていない。単純に憎み続ける気力や時間が無くなったというのもあるし、正直、小山田圭吾インタビューからも窺えるように、彼ら、彼女らはもともとバックグラウンドからして隔絶した別種の生き物、生来から人として基本的な何かが欠落したクリーチャーなのだな、ということで、もはや腹の立てようがない。目を付けられたのが不運だったのだ。

しかし、当時も、それ以降も、「それぐらいのことでギャーギャー騒ぐほうが悪い」「そんな性格からいじめられるんだよ」「いじめられる方にも問題有るよね」とかとなんとか、上から目線どや顔で言い放った連中のことは今でも、そしてこれからも心底憎む。目の前にいたら顔の形が変わるほど殴りつけてやりたいし、地獄に堕ちろと本気で願う。

2012-07-31

いじめが発覚してもコミュニティから排除されるのはいじめる方ではなくいじめられる方

・脱退

・転校のススメ

不登校のススメ

そういうことです これをおかしいとは言わない人が多いんです

いじめられている人がコミュから排除されればそれで「世は事も無し」

適当アドバイスして後は知らんぷり

親に金が無くて転校できない子ども

長期ひきこもりなんぞになったらレールから弾かれる

逃げたくても逃げられない人の居場所は無い

2012-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20120726165432

元増田です。

アンサーって言葉微妙に伝えたい意味とはちがうんです。

うまい言葉がみつからなかった。警鐘とも違うし、明言でもない…

自分の語彙が少ないのが原因です。すいません。

話は戻しますが欧米にもいじめがあるのは知ってます

これは米国だけかもしれませんが、スクールカーストなんてそのまんまいじめ社会だし、自殺がおきないだけで日本とやってることは変わんないです。

ハリーポッターでも少なからず他人を叩くという行為はありました。(あれはキャラクターとして描かれているので例としては適切ではありませんけれども…)

伝えたかったのは日本欧米文化の違いです。

日本での村八分など排他的コミュニケ―ションは、液体の社会からこそ生み出されたものだと思います

ぐちゃぐちゃに混ざり合い、どうしようもなくなったものを無理矢理外に出そうとする。

切腹という責任の取り方も強く根付いています。でも現代武士のように責任をとるのではなく逃げ出すための自殺

借金が返せないか自殺仕事ミスをしたか自殺人間関係に行き詰ったか自殺。すぐ思考停止し、自殺しようとする。

そして今、子供までもが自らの命を絶ちはじめています

大人は『いじめられる方が悪い』『いじめを隠そうとした奴らが悪い』などと不毛な議論をしている場合でしょうか。

今一度、大人たちはこのドロドロとした日本コミュニケーションの仕組みを見直してみるべきではないでしょうか?

まったく個体液体関係の無い話になりましたが、言いたいことすべて書きました。こんなの吐き出せるの増田ぐらいなものなので…

2012-07-23

いじめ論考に思うこと

数日前にホッテントリに入ってた増田記事にレスしようとしてたら消えてったっぽいので改めて記事を書く。ついでに今議論になっている幾つかの考え方についても、僕が思うことを言う。

よく言われること

誰が悪いのか

大きないじめ報道があるとこの話題が必ず大きくフィーチャーされる。今もTVをつければその話題で持ちきりで、くだらん話ばかりを延々と・・・TVにかぎらずSNS増田もだいたいそんなもんだ。で、いじめ問題で誰が悪いのか、だいたい4つくらいの類型で語られるように思う。(1)被害者、(2)加害者、(3)傍観者、(4)大人 とこんな感じ。

いじめられる方が悪い」

さすがにコレを主張する人は今日TVでは見かけられないし、ネットでも相手にされてないことが多いんだけど。

ただ1つ述べておきたいことがある。事実として、いじめられっ子が転校して別の学校に行って解決する場合もあるが、引き続きいじめられる例というのは実際にある。しかも、「いじめがない」と思われていた学校に転校して、いじめが起こらないように大人たちが配慮した上で生活していて、再びいじめられることがある。

このとき、確かに「いじめられる原因」はこの子にあるかもしれない。全部の原因がその子にあるとは言わないが、ちょっとくらい、その子に原因があることも考えられるかもしれない。

しかし、「原因」があると認めたからといって、果たしての子が「悪い」と言えるのか。

もしその原因があることで、いじめられることが正当化されるなら、同じ原因を持っていたら同じいじめを受けなければならなくなる。しかしながら、同じ原因、同じ人でも環境によっていじめられないこともある。

であるとするならば、「いじめられる原因」をその子が100%持っていたとしても、その子のせいとして「いじめ正当化」はできない。

ここら辺まで書いたら疲れたので省略されました。結論まで一気に飛ぶ。内容は気合で察してください。

自分の子どもにできること

これまで、いじめ自体が発生するのは自然であること、「いじめ過程」自体は悪ではないこと、しかいじめ自体は止めなければならないことを述べた。また、いじめ議論の主眼が、教育者から加害者側に、親や世論から被害者に置かれやすくなることを指摘した。

総合して、僕達は自分の子どもたちが加害者である視点をもつことが大切だと言いたい。多くの場合自分の子どもがいじめに関わるとすれば残念ながら加害者の側だ。当然被害者となった我が子を救ってあげることは大切なのだが、加害者となっているときに親に言い出せず陰湿いじめが悪化するケースも多い。

「愛しい我が子がいじめなどするわけない」という感情を我慢して、ひょっとしたら自分の子どもが加害者になっていないか、そういった視点子供を見てあげて欲しい。

「今回のいじめ犯罪(キリッ」について

「今回のいじめ犯罪(キリッ」という主張の反論について省略したが、言いたいので言いたいことだけ言っておこう。

  • いじめ」を犯罪と呼び直したとところで何がかわるのか。
  • 仮に呼び直したとして、では、犯罪でない「いじめ」は許されるのか。

「今回のような『いじめ』は犯罪」という主張は、より軽度ないじめは許されるという点が内在していることを指摘しておきたい。

2012-07-10

いじめについて

いじめられた経歴を話すのは恐怖を伴う。

いじめられた履歴は不思議いじめを誘いやすいように思う。

いじめられていたことが、なぜかレッテルのように見える。

まるで原因がこちらにでもあるかのように。

ぼくは精神的ないじめはあまりうけてこなかったので、いじめ全体のなかから見ると比較的軽度な部類にはいると思うけど、肉体的な苦痛もそれなりに辛かった。ごくごく親しいひとにしか話せないので、記録としてここに書いておく。

記憶にある限りでは最初いじめ小学生の頃。通っていたスイミングスクールでのこと。

親に連れていかれて入ったスイミングスクール

いじめられるようになったのは小学校の高学年になったころだと思う。

の子たちが来ているときは、ぼくはいつも沈められた。

プールに沈められるのはとても苦しい。あたりまえだが息ができない。

自分限界まで息をとめるのとは苦しさの質が全然違う。

「これ以上もう無理だ。って思ったときにプハァーってできない」って思う恐怖がもの凄い。

行けば沈められるんだけど、プールのもの、泳ぐことそのものは好きだったから、誰にも言いだせなくて通い続けた。

いま思えば死と隣あわせの状況だったとも思える。

スイミングスクールでのいじめは、いじめられている子が訴えない限り、スクール先生が気づけることは少ないと思う。これを読んでいる保護者の方がいらっしゃいましたら、そのところは注意しておいたほうがいいと思う。泳いでいる子のフォームの指導をしている間に、待っている列で沈められている子がいても、まず気づかない。

次はサッカー合宿でのことかな。宿舎でも試合中でも無視され続けた。これはそのときは、自分が下手だからと言い聞かせてやり過ごした。

それから中学校にあがって。一部のメンバーからありとあらゆる雑務を押しつけられた。彼らの機嫌が悪いときには羽交いじめにされたり、花瓶から水を飲まされたりした。3人がかりで、1人が鼻をつまみ、もう1人が顔の正面から両方の頬をつかむように握力を込めると、口をあけずにはいられない。そこに最後のひとりが花瓶からの水を注ぎ込む。これは苦しい。ムせる。あと、なぜか恥かしい。別に悪いことしてないのに、教室の真ん中でこういう儀式をされて、それをクラスの子に見られているというのが、とにかく恥かしかった。

高校に入ってからは多少の仲間はずれなどはあったものの、明確にいじめと呼ばれるようなものを受けることはなかった。ただ、いじめられていたことを知られるのは怖かった。新しい環境でもいじめが再発しそうで。

それから大学に入り楽しい学生生活を送るようになり、いじめ過去のものと思えるようになった。

からサークルの先輩マネージャーから松田くん(仮名)、高校のときいじめられてたんだってw?」と聞かれたときは飛びあがるほど驚いたし、黒い幕がおりてくるような感覚に襲われた。

いまでも、いじめられていたことを話すのはとても怖い。

どんな環境であっても、まったく身に覚えがなくても、突如ふってわいたかのようにいじめは発生する。

自分のもとにいじめが発生しないためなら、できる限りのことはしたいと、大人になったいまでも常におもう。

からいじめ過去を話すことはない。

社会人にもなり家を出た後に、母親いじめられていたことを話したら号泣していた。

あたりまえなんだけど、やっぱり知らなかったんだなあと思った。

僕は自分いじめられていたのを、自分にも責任があるとずっと思っていた。だからどうすればいじめられなくなるか、もしくはどうしたら新しい環境いじめられないまま過ごせるか、ずっと考えていた。大人になってから知人(僕がいじめられていたことは知らない)から、「いじめはいじめられる方は悪くない。理由もなくコトがおこる。いじめられる方にまったく非がなくてもおこるから怖いんだ」と聞かされて、なんだかスッと気持ちが軽くなった。

あれだけ環境が変わっても、そのたびにいじめられてきたので、自分にもいじめられた原因があるといまでも思っている。けれども、その知人が言ったように世の中にあるいじめでは「いじめられる側も悪い」という発想は絶対にしないようにしている。

社会に出て気づいたことがある。

会社でもなんでも大人の世界でも小さないじめが多い。

いじめる側もそれがいじめだと思っていないかもしれないし、もしかしたらいじめられる側もそうとは認識していない可能性がある。いじめ経験や、いじめられた経験がないと、感度が高くないのかもしれない。けれど僕の目から見ると、超軽度なだけで、構造は完全にいじめだよなと思える現象がたくさんある。

ちなみにいじめ正義感の強い誰かが止めてくれたりすることは、まずないと思ったほうがいい。誰もいじめられたくないわけで、いじめを止めるのはハイリスクローリターンの行為しか思えないからだ。

いじめられたくないという強い気持ちがいじめ助長していることも忘れてはいけない。

2012-07-06

普通人生普通に生きる権利」すらお前たちは奪うのか。

先に断っておくが、このエントリでは当事件の事実関係や市や学校対応ネット上の意見などに一切関与せず、「いじめ」と「自殺」について個人的な意見を述べるものである

滋賀県大津市で起きた男子中学生自殺を巡って世間に様々な声が上がっている。

Twitterを眺めていても、数は少ないながらも多種多様な人たちが共存する僕のTL上ではこの件を巡って、「いじめ」あるいは「いじめ自殺」を巡って活発な意見交換が行われており、日々感服するばかりであるインターネット上において「いじめ事件」が大々的に取り上げられるのは何も昨今に限った話ではない。何年も前から日本の各地で痛ましい「いじめ」についての事件が起こるたびにインターネットではそれについて激しいレスポンスが生まれてきた。それらは基本的に「いじめ」について批判的な意見なのだが、時にそれらは過剰すぎるといっていい反応に発展し、自称「正義の味方」たちが暴走したりすることはあるいみネット界隈においては日常茶飯事であった。僕自身は事件の経緯や事実関係などとはまったく別に、それらの激しい反応が巻き起こるたびに辟易したことを覚えているが、ここ数年でその状況は大きく、とは言わずともかなり変化したと考える。一昔前なら、こういった痛ましい事件が起きた場合インターネット上での反応はほぼほぼ一種類だった。すなわち、「いじめた奴をぶっ殺せ」である。もちろん、言葉表現、論調や論点の違えど、その大体は「いじめた奴をぶっ殺せ」だった。もちろん、感情論で言えば、そうだ。だが、はっきり言ってしまうが、今回のような「自殺」というキーワード俎上に上がるほど苛烈で、悲惨な「いじめ」の事例に関して言えば、そんな短絡的な方法では問題の根は解決しない。

それはなぜか?

答えは単純である

たとえ「その子」をいじめた連中が全員死のうが、少年院送りになろうが、ネット晒し者になろうが、

いじめられた「その子」はもう大概「普通人生普通に生きる権利」を奪われているからだ。

Twitterで流れてきたとある記事を紹介しよう。

何年か前に話題になった「いじめられているキミへ」の寄稿文らしいのだが、思うところあるので引用させていただく。

死なないで、逃げて逃げて

劇作家鴻上尚史さん

 あなたが今、いじめられているのなら、今日学校に行かなくていいのです。

 あなたに、まず、してほしいのは、学校から逃げることです。逃げて、逃げて、とことん逃げ続けることです。学校に行かない自分をせめる必要はありません。大人だって会社がいやになったら、会社から逃げているのです。

 次にあなたにしてほしいのは、絶対に死なないことです。

 そのために、自分がどんなにひどくいじめられているか、周りにアピールしましょう。思い切って、「遺書」を書き、台所のテーブルにおいて、外出しましょう。学校に行かず、1日ブラブラして、大人に心配をかけましょう。そして、死にきれなかったと家にもどるのです。  それでも、あなたの親があなた無視するのなら、学校あてに送りましょう。あなたいじめている人の名前と、あなた名前を書いて送るのです。

 はずかしがることはありません。その学校から、ちゃんと逃げるために、「遺書」を送るのです。

 死んでも、安らぎはありません。死んでも、いじめたやつらは、絶対に反省しません。

 あなたは、「遺書」を書くことで、死なないで逃げるのです。

 だいじょうぶ。この世の中は、あなたが思うより、ずっと広いのです。

 あなた安心して生活できる場所が、ぜったいにあります。それは、小さな村か南の島かもしれませんが、きっとあります

 僕は、南の島でなんとか生きのびた小学生を何人も見てきました。

 どうか、勇気を持って逃げてください。

http://www.asahi.com/edu/ijime/kougami.html

いじめられる方に問題がある」

最早時代錯誤過ぎて目が泳いでしまうようなおサムい台詞だが、これはわりと最近まで(ここ重要いじめられっ子に対する教師や親の言葉として一定説得力を持っていたことは悲しいことながら事実である

んなワケねーだろボケ!!

いじめられる方に問題がある」

→まず、これは最も頭が悪い意見だ。が、実際のところ「なぜいじめが起きるのか?」という答えに対して、ほとんどの人間がこの馬鹿みたいな空虚言葉を目を伏しがちに言うのである。いいか、それは断じて違う。なぜかといえば、この論理は、「いじめられる」と「問題がある」というふたつの出来事が、あたか因果関係があるかのように触れられているという点だ。「あの子には問題がある」→「だからいじめられる」という理屈だ。だが、こんな馬鹿理屈があってたまるだろうか。確かに、人間だれしも社会的人間関係を営むに際して「問題」を抱えているものだ。「空気が読めない」とか「性格が悪い」だとか「ええかっこしぃ」だの、はっきり言って枚挙に暇なんかない。そして、その「問題」を抱えていない人間も、この世界には一人もいない。誰だってできる限息がしやす場所、陽の光があたりやす場所にいたいと思うし、少なから利己的になることだってある。もしくは、そもそも人間関係を営むことについて不得手だったり、嫌いな人間だっている。それは「社会的(笑)観点から言えば問題なのかもしれない。気に入らない人間だっているかもしれない。はっきり言えばムカつくかもしれない。だが、それだって仕方のないことだ。どうやっても自分には受け入れられない性格人間というのは存在するし、そういう人間とどうしてか同じ空間で過ごさなくてはいけない場合だってある。そういう場合はもう、仕方のないことだから、適度な距離をとって「うまくやる」しかない。それはもう、どうしようもないことだ。だが。だが、である

「(自分にとって)その人に何らかの問題があったから」といって、その人をいじめていい理屈なんかこの世界のどこにもないんだよ。

仮に、ものすごく性格がよろしくなくて、みんなに鼻つまみ者にされている人がいたしても、それははっきり言ってしまえばその人の「問題」だ。

社会的な営みをする以上、共同体において「邪魔」な存在というのはどうしても出てくる。それも仕方のないことだ。

もっと具体的に言えば、共同体において「ぼっち」の存在が生まれてしまうのはごく自然なことであり、それ自体は何の問題もない。

何のことはない、単にその人がその共同体に「合わなかった」だけの話だ。その「問題」ということについてだって現実世界側のインターフェース引き起こしバグのようなものだと考えればたいしたことはない。コミュ障? キモメン? んなことは別に「問題」じゃない。もしそれで自分コンプレックスルサンチマンを抱えている人たちがいるのならば、もう素直に意識別に向けるべきだ。今はインターネットという素晴らしい道具があり、その他にも数えきれないほどの環境世界がある。はっきりいって現実世界なんかあまたある世界の表層のひとつにすぎず、僕達が保持している肉体はたんなるいちインターフェースに過ぎないわけである。だから、「あ、ここ自分には合わないな」と思ったらさっさと身を引いて別のコミュニティなり世界なりを探すことが自分にとっても相手にとっても健全だ。

から、もし「いじめ」られている子がいるのであれば、その場から黙って去ることが最善の索なわけである

僕は、「いじめられる方に問題がある」とも、「いじめる方に問題がある」とも思っていないので、「いじめ」が起こりそうな状況になったらデウス・エクス・マキナよろしく「席替えたーいむっ!」とする方がいいと思っている。

ならばこそ、すべての「いじめ」は上記の引用文のように「逃げて逃げて生きる」ことをすればある意味解決するのではないかと思われる方もいるだろう。

だが、そうは問屋が卸さない。というか、そんなにこの問題が単純であればこんなに酒によった勢いでエントリを書いていないわけで、ここからが本題である

問題は、「逃げて逃げて生きた」として、その子が「普通人生普通に生きる権利」は依然として不当に奪われたままであるという点にある。

確かに、いじめられて、その結果自ら命を絶ってしまう事例があったとしたら、そんな悲しい話はない。

だが、それにもまして「逃げて逃げて生き抜いた」としても、そんなものは「死ぬ」のちょっと手前くらいの選択肢であり、最後の手段なわけである

一口に「逃げる」と言っても実に様々な手段がある。

不登校になる、引きこもる、グレる、転校する、引っ越す、留学する……いろいろだ。

だが、どれにも共通しているのは「確実に人生が狂った」という厳然たる事実だ。

もし「いじめ」なんかがなければ、「その子」の人生が外的要因によって狂うことはほとんど無かったはずだ。

自分の命に対する自衛手段として、上記のどの手段をとったとしても、その子人生はその時点を以てルナティック・モードにとつぜんモードチェンジする。

不登校にしろ引きこもりにしろ、その延長線上にあるのは学校中退であり、すなわち人生の落伍である。「学校を辞めたくらいで『人生\(^o^)/オワタ』だなんてとんでもない!」とおっしゃるかたもいるだろう。じゃあ逆に言ってやる。あなたも、今の仕事なり学校なりを今すぐ辞めてみろ。転職のあても、転校のあてもなく、たったひとり殺伐とした世界に取り残されたとして、「よーし! 人生これからだぜ!」と思えるというのか。ただでさえどん詰まり袋小路に迷い込んだこの現代日本で、大卒就職率が5割だとか6割だとか言われている時代に、無職の高校(中学中退者が「普通人生普通に生きる」ことができるというのか? 立場を変えて発言しよう。僕が中小企業採用担当だったのなら、昼食無職職歴なしの人間なんか、なにがどうあっても採用したくない。感情論なんかじゃない、ごく合理的な数理的な判断だ。

転校だって引越しだって、かなりハードルの高い「逃走手段」である。というのも、なによりもまず、家族の協力が必要不可欠だから

親御さんだって、もしかしたら仕事を辞めざるを得ないかもしれないし、お金の問題だってある。少なくとも「普通人生普通に生きていたら」かかる必要のなかった負担を負わなくてはならない。要するに、この時点で「いじめ」というのは「いじめっ子」と「いじめられっ子」の問題ではなくなるのであるちょっとした「ムカつき」や「面白半分」が、一人、ないし数人、いや、ともすればもっと大規模な人間の「普通人生」を狂わせるのだ。これが「いじめ」が「普通犯罪」なんかよりも数段質の悪い点だ。「窃盗」であれば、早い話盗まれたお金が戻ってきて、犯人警察検挙されればひとまずは解決する。「器物損壊」だって家裁か何かで妥当損害賠償が請求されればそれ以上の発展はない。被害者にとってはたまったものではないが、少なくともそれ以降は「普通人生」を送ることは可能だ。だが、「いじめ」に関しては――はっきり言ってしまうが――いかなる手段をもってしても、すでに起こってしまった「いじめ」を、それが発生するより前の状態に復元するのは不可能だ。いや、これについては語弊がある。「いかなる外部からの干渉をもってしても」いじめ根本的な問題は解決などしないのである。教師がいじめっ子に謝罪をさせたり、クラス替えをしたり、退学や停学処分をしたとしても、「いじめっ子」が「いじめ」たという事実は消えやしないし、「いじめられた子」が「いじめられた」という事実だけは覆しのしようがないし、取り返しも、補填も、まったくできやしないのだ。

いじめ」が本質的に解決する手段はたったひとつしかない。

いじめた側が、本気で反省して、その後の人生のすべてをかけていじめた子が『普通人生普通に生きられる』ように全力で奉仕する」

ことしかない。つまるところ和解である

より陰湿化が進む現代いじめにおいてこんな奇跡みたいなことが果たして起こるのかどうか、僕は知らん。多分、99%の確率で起こらないだろう。

世の中の90%のいじめは、「なんとなく」「特に理由なく」「おざなりに」して、審判ホイッスルなくして「終わったっぽい」感じで終わる。

理由は分からない。とりあえず、台風温帯低気圧になって北海道の上の方に消えて行くように、いつの間にかなくなってたりする。

残りの9%は「いじめられた子」の自殺なり「逃走」によって終わる。なんとも救いのない話である

最後から言いたいことをこれでもかと言って終わろうと思う。

いま、いじめられているあなたへ

もしあなたいじめられていることに対して何か負い目を感じているのであれば、とりあえずそれは忘れてください。

自分いじめられることに対して、「仕方ない」だとか決して思わないでください。

あなたも生きている人間ですから人間関係について至らない点、至らなかった点だっていくつかあるでしょう。

ですが、はっきり言いますが、そんなことで、地球上の誰一人だってあなたいじめていい理由なんかにはならない。

あなたが、あなた人格過去の行動、家庭環境趣味嗜好、思想信条によって、いじめれていい理由など、これっぽっちも、ありません。

そして何より、あなたは、「普通人生普通に生きる」権利を持っています

そりゃあ、誰もがオリンピックに出たり、アイドルになったり、東大に入ったりはできないのも事実です。

ですが、本当はそんなことはどうだっていいんですよ。

あなたは、学校帰りに友達マックに行ってダベっていいし、家に集まってモンハンをみんなでやっていい。

絵を描いて褒められていいし、ご飯が美味しいと感じていい。かわいい女の子を、かっこいい男の子を好きになっていいし、告白して振られて泣いたっていい。

好きなアニメを見て、好きな本を読んで、好きな場所へ行って、眠くなったら寝て、眠くなくなったら起きて、生きて、生きていいんです。

普通に勉強して、普通に進学して、普通に就職して、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に子供ができて、普通に生きて、普通に生きて、普通に死んでいいんです。

もし普通が嫌なら、人一倍頑張って、自分が特別だと思える人生を手にいいれればいい。

ですが、それ以前に、あなたは、およそこの国の人間が「普通だ」と感じているあらゆることを手にする権利を持っています

からあなた自分を責める必要などまったくない。あなたは何も悪くない。もっと言えば、あなたいじめ人間すら、悪くないのかもしれない。

僕には起こってしまった「いじめ」を解決する魔法のような手段はしらないし、これから起こるであろう「いじめ」を未然に防ぐ奇跡のような手段も知らない。

だけど、あなたが、「いじめられて損なわれた」からといってあなたが「普通に幸せと感じられるような人生」を生きる権利を失ってしまったわけではありません。

から自分勝手なことを言えば、本当はあなたは「逃げて、逃げる」必要なんてないんだ。表面上は「戦略的撤退」をする必要があるかもしれないとしても、

あなた人生が「嵐のような不運」によって損なわれ、汚され、失われる必要などない。

それどころか、あなたは、その「普通人生普通に生きる権利」を人一倍、もっともっと今まで以上に傲慢に、尊大に主張していいんですよ。

いじめられた」ことを理由に、あなたが自ら自分の可能性を閉じてしま必要なありません。

もっと自分勝手に、生きればいい。でも、引きこもってもいいことは「何も」ないので、何かしらのキッカケで外にでるといいと思うよ。

そんでいまいじめてるお前。

まー今のお前なんかには分からないだろうけど、お前のやってることはおよそ人間がなす行動のうち、もっとも悪辣で、非道で、無意味なことだからな。しか人間ってのは残酷だよな。自分利益にならないことでも、何かのキッカケさえあれば、人を嬉々として苦しめることができるんだからな。俺はお前のことなんか知らないし、お前の生い立ちや人生観なんか知らない。お前が何かお前の中で正当な理由をもって「それ(とあえて言う)」をやってるとしても、それも知らん。だが、結果としてお前はお前と同じ、一人の人間の「普通人生普通に生きる権利」を「奪いかけて」いるということを考えろ。今日お前が美味しいと感じた夕食、今日お前が面白いと感じたテレビ番組今日お前が楽しいと感じた帰り道。その子のそれら全部を、他ならぬお前が奪おうとしているっていうことを考えてみろ。俺はお前なんかに同情しない。お前の中にどんな理由があるにせよ、それはお前が「それ」をやる理由にはなりえない。なんの妥当性もないし、なんの解決手段にもならない。だからといって、お前が考えてること、感じていることがまったくの間違いであるとも言えない。だが、「それ」と「これ」とは別問題だ。お前の中でいかなる繋がりを持っていたとしても、それは、本質的なところで無関係だ。だから、やめとけ。お前がそいつのことを嫌いならそれはそれでいい。だったら関わるな。何もするな。意識を別のところに集中させろ。暇だったら黙ってオナニーでもして寝ろ。そんで、もしお前がかつていじめられっ子だったのなら、なおさら、やめろ。お前にも色々な事情があるのか知らないが、それはもう忘れろ。許さなくて良い。ただ、忘れろ。それ以外は何もするな。そんで、自分の好きなことだけ考えてろ。好きな本だけ読め。好きな音楽だけ聞け。好きな場所にだけ行け。好きなやつとだけ絡め。だから、決して「それ」を生きるモチベーションなんかにするな。そんな人生、悲しすぎる。

最後に、いまいじめられている人の友達や、親御さんへ。

どうか気負わないでください。それを自分のせいだと思わないでください。

自分を無力だと嘆かないでください。自分を卑怯者だと罵らないでください。

何か特別なことをする必要なんかないんです。ただ、黙って、普通に普通に接してあげてください。

いじめられている子が何より苛まれているのが、「ひとりぼっち」という孤独感です。

どんな暴力や陵辱よりも、「ひとりぼっち」というのは辛いです

誰も味方がいない、誰も自分のことを助けてくれない、そういう状況こそ、危険です。

過剰なことなど何も必要ありません。ただ、声をかけてあげてください。

人の目が気になるのであれば、メールでも、なんでもいいです。

とにかく、その子孤独にさせないでください。その子が、そこにいていいことを、示してあげてください。

最後になりますが、十代という非常に若い年齢で命を絶ってしまった子供たちのご冥福をお祈りします

すべての「普通の子」が「普通人生普通に生きる」ことを、僕は願ってやまない。

2011-07-16

モラハラコピペ

人を助ける心理を研究した「援助(えんじょ)研究」では、

人は、困っている人に責任があると考えれば、嫌悪感情を

いだいて援助しようとせず、責任がないと考えれば同情し

て援助する傾向があるといいます


自己愛的な人は、日頃から自分を他人に感心させたいと

ねがっているため、アピールのしかたがずばぬけて上手です

無視、うわさの流布(るふ)、友人関係の妨害など、被害者に社

会的被害を与える「対人関係いじめ」を行うとき加害者は協

力者や賛成者を組織するために3段階の集団操作活動を行います


[孤立化]

被害者のささいな欠点や失敗をあげつらって、いじめの原因が被

害者にあることを印象づけ、被害者加害者に仕立てて孤立化させます


[無力化]

被害者が行う反撃を、徹底的に懲罰的方法で粉砕し、被害者を無

力化させます


[透明化]

いじめ固定化させることによって、被害者への内面的な支配を

強め、被害者いじめを甘受させるよう仕向けて、いじめを透明化します。


いじめ事実が判明し、糾弾(きゅうだん)される立場になった加害

者は自己正当化のためにアピールをします。「あいつが悪いからだ」

「嫌がっていなかったから、いいのかと思った」「他の人もしていたから」

など。加害者認知工作活動自己正当化により、周囲の人間

いじめられる方にも原因がある」「自業自得」と考え、被害者を助け

ようとしなくなります

ごうまんで、自己特別視が強く、情よりも利で動くタイプ自己愛性

性格と呼びます。恥ずかしがり屋の人は、ペラペラと平気で嘘をつく

自己愛性性格性格の人とかかわれば間違いなく餌食(えじき)になります


暴力きっかけは、ささいなすれちがいです自己愛性性格の人は、相手に

少しでも思いどおりにならない態度をとられたり、批判的なまなざしを感じ

ると、裏切られたように感じ、激しい怒りをおぼえるのです

このタイプは、幼いうちはちやほやされたり、過度に甘やかされたりしてい

ますが、とちゅうから愛情承認をうばわれる体験をして育っています(弟

妹が生まれたり、親の勝手な期待ほどの能力がないことから、親から十分に

関心を持ってもらえなかったなど)。そのため成長してからも幼い顕示的欲求

(けんじてきよっきゅう・目立ちたい欲求)を持ち続けています


とにかくでしゃばりで、どこにでも出ていきたがり、なんでも威張りた

い人です自分が中心でないと気がすみません。その自分の立場を脅か

す者には猛烈な憎しみを持ちますヒステリー性格の人は、人を傷つけ

ることに快感を持ち、スキャンダルをつくりあげて、人を失脚させよう

します。


自分利益だけを考えるので陰口が多いし、人の間に入ってそれぞれに

違うことを言って人々を攪乱(かくらん)します。しかし表面的には親切で

、社交的です。冷酷なエゴイストなのに、演技がうまいから、いい人と間

違えられます

「私は恥ずかしがり屋の人間である」と思ったら、生きていくうえで

もっとも注意することは、自己愛性性格の人と深くかかわらないことです

参考 『境界性パーソナリティ障害』 岡田尊司 幻冬舎

『言いたいことが言えない人 「恥ずかしがり屋」の深層心理』 加藤諦三 PHP研究

2011-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20110224221135

いじめをばらしても

告発者をまた吊るし上げれば済む話だしな

いじめられる方が悪い


ばれるといじめた方って怒りを顕にするのってどうしてなんだろうな

やられたらやりかえされるって頭にないのかね

2010-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20100829012406

いじめられる方が悪い」っていういじめっ子の主張なんだけど

あんなにいじめられっ子に対してひどい目にあわせているのに

どうしてそういうことが言えるのかというと

「お前さえいなければ自分いじめっ子にならずにすんだのに」といういじめられっ子に対して理不尽感情があるからじゃないだろうか。

いじめっ子にしてみたらいじめられっ子存在そのものが自分いじめへという悪事に誘おうとしていると思ってるんじゃね。

まあそんないじめられっ子いじめられっ子

「そういうお前さえいなければ自分いじめられっ子にならずにすんだのに」と思っているだろうけどね。

因果善悪を混同するな

http://anond.hatelabo.jp/20100829032631

http://anond.hatelabo.jp/20100829053257

いじめをおこなう人間が、「どのような人間を対象とするか」については一定の傾向がある。その事実を持って「いじめられる方に原因がある」「いじめられる方が悪い」という論をはる人間がいる。だがこれは根本的な間違いだ。

事故歩行者自動車にひかれたケースで、「道を歩いた人間だけはねられていて、家にいる人間電車にのっているいる人間ははねられていない。はねられた方に原因がある」と言っているようなものだ。

目の前に弱い人間がいても、いじめてはいけない。それがルールだ。

2010-08-23

女子だったけど、女子日常的にレイプされてた

年齢一桁の時の話。

最初普通に遊ぶ友達どうしだった。

ある日目を瞑れ、って言われたので従ったら、2人がかりでアスファルトに押し倒されて指を突っ込まれた。

当時は何もわかってなかったので(何で裸の男女が抱き合うだけで子供ができるの? レベル)、「AVの真似がしてみたかったんだ(笑)」とか言われても、AVが「えっち」なものだとすら言われないとわからず、「逆らったら写真をばらまく」と言われてやっと、自分にとって不利益なことなのかと察した。

疑う方法を知らなかった。

なぜ脅迫が成り立っていたのか、今考えるとわからない。相手が早熟で、こちらが無知だったから?

それから2年ぐらい、無い胸をつねられたり、マジックやら刃を出してないカッター(いつ刃を出されるかひやひや)やらを突っ込まれたりしていた。

他人の性器をまじまじと見たことがないからわからないけど、自分の性器はたぶん汚い。皮膚が伸びて変形してるし。

逆らわなかったのかと、聞かれると痛い。もちろん逆らった。エロ以外のいわゆる「いじめ」と呼ばれそうな行動には反発したし、告発もした。でも当時の担任は、2学年ともに「いじめられる方が悪い」の典型みたいな言説を持つ教師だった。それ以外の告発先なんて知らなかったし、友達もいなかった(加害者以外の級友と「遊ぶ」と、「逆らった」とみなされた。あの年代で、一度も「遊んで」くれないやつを友達と誰が呼んでくれようか。まあそれ以前から浅い人間関係しかなかったんだろうけど)。

親には、「よく物を失くす」ことが、他人に取られることがある、と言っても信じてもらえず、叱られるばかりだった。

目立つ傷も作られなかったし。日記をつける習慣も無かった。

スクールカウンセラーなんていなかったし、匿名相談できる電話なんてのも知らなかった。方法があると思わなかった。もちろん調べれば分かっただろうけど。

視野狭窄だった、なんてのはよくあること、だろう。

良いのは成績ぐらいだった。放課後も支配されていたので、唯一の楽しみともいえた授業には身が入る入る(授業中も色々やらされたけど)。

それから十年経って。

ただ理由が知りたくて、加害者の一人(もう一人は連絡先がわからない)に電話をかけた。

私のことを覚えているか、と。

覚えられていなかった。相手の言葉鵜呑みにすれば、だけれども。

今となっては“それ”が私の妄想でなく、本当にあったことなのかすらわかる人がいない。自分以外には。

なんだかもうわからなくなってきたよ。

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