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はてなキーワード: 立場とは

2024-08-18

anond:20240818124106

フェミニスト左派叩きにトランスを持ち出す

トランス権利擁護当事者立場をとってトランス女性は手術せずともお風呂を使う権利があるとか言ったり女叩きをしたり迷惑行為をして燃料を作る

アテンションエコノミーなんて大したことない

要するに、財やサービスには強い魅力があり、それに依存するリスク存在する。

かに、さまざまな手法で人々を引き寄せる。

知的コミュニティから承認を得る」「推し支援する」「友人を作る」といった誘引があるが、大多数の人々はSNS登録することで、消費者としての立場から無意識に影響を受けることになる。

SNSは、アルコールと同様に、摂取することで依存状態に陥り、そこから抜け出すことが困難となる。

依存の結果、精神健康に悪影響を及ぼすことが一つの問題として挙げられる。

また、他者の注意を引くために過激発言や極端な意見を表明することで、社会治安悪化する恐れもある。

このような問題は、自制心を持つことで多くの場合解決可能である

SNSユーザー広告主に売り渡す商品として機能しているため、登録することにはほとんどの場合デメリットしか存在しない。

この事実認識すれば、SNSを利用しない選択賢明であることは明白である

結局、魚のように釣られて食べられることを避けたいのであれば、SNSから距離を置くべきである

2024-08-17

anond:20240817231412

カス女ばかりにモテちゃう優しい奴っているよな。

男同士の友達立場からなら、そいつ地雷から止めとけって言うけど、だいたいはその地雷が引きずり込んでっちまう。

メンヘラ女に自己中女とか、かわいそすぎ。

出版社漫画賞応募者を見下している

漫画を描いて生活している者です。

出版社主催する“漫画賞”のスタンスに大きな違和感を抱いているので問題提起させてください。

まず前提として、出版社にとって漫画とは“商品”であり、漫画賞は“儲かる商品の作り手を探す手段”です。

なので極端に言えば「私どもの会社が儲かるための商品を作ってほしいのです、どうかお願いします」というのが正しい姿勢ではないでしょうか。

少なくとも主催者と応募者は対等な関係であるべきです。

しかし多くの漫画賞では、応募者を見下す空気が当たり前になっています(具体例は後述します)。

個人でも電子書籍漫画を売れる時代にわざわざ賞に応募してくれる作家は、それだけで有難い存在と言えるでしょう。

それなのに、私はどうしても作家作品を軽んじるような、漫画業界価値観アップデートできてなさを感じてしまうのです。

漫画賞のポータルサイトマンナビ(https://mannavi.net/)というものがあります

試しにこのサイト適当漫画賞の応募要項を読んでみてください。出版社高慢な態度を感じませんか?

出版社漫画賞応募者を見下していると私が感じる例

キミ

豪華先生方がキミの作品を熱烈審査! - https://mannavi.net/newcomer/4218/

応募者を「キミ」と呼んでいます年齢制限についての記述が無いので決して子供向けの賞ではありません。

冷静に考えて、この空気感が当たり前になっているのは良くないと思います

繰り返しになりますが、出版社ビジネスとして自社商品の作り手を募集しています

たとえ漫画内で描かれる世界観が軽いノリであっても、賞は現実ビジネスの場です。

協業相手候補者を「キミ」呼ばわりすることの不適切さに気づくべきです。

指導

連載を目指し、担当編集者マンツーマン指導。 - https://mannavi.net/newcomer/18359/

受賞した場合編集者作家に「指導」すると書かれています

もちろん商業である以上、作家の描き方を“売れるもの”に加工することは必要ですし、作家もその努力をすべきでしょう。

ただ、そのプロセスを「指導」というのはあまりにも上から目線です。たとえベテラン編集者新人作家であっても立場は対等であるべきです。

2人は、商品を売る会社員と、商品を作る個人事業主です。同じ会社社員でもなければ、先生と生徒でもありません。

その他、個人的に

その他にも個人的には、作品を偉そうに講評したり、応募作に点数をつけたり、受賞者の年齢や居住地公表したり、ウェブサイト上で人気度を競わせたりするのも嫌だなと感じています

それらに同意したうえで応募されたのだから良いだろうとも思うのですが、それでも良い気分になれないのは、私が漫画をどうしても芸術作品として捉えていて、そこに優劣などないと考えてしまっているからかもしれません。

弱者男性

社会が変容して、フェミニズムでも女性絶対的弱者という立場を取りにくくなり、自分より下でも叩いていい理由を持つ男性存在必要になった。そのレッテル弱者男性ってこと?

それとも強者とは認めたくない種類の男性差別主義者に仕立てる為のレッテル弱者男性ってこと?

女性”崇拝”主義者以外は女性差別主義者と言えば良いのに。

2024年8月17日約束したでしょ

しばし町中や公園で耳に入るフレーズ

親が子供に言うてる

 

「もう時間から帰るよ」

「やだ」

約束したでしょ」

 

外出前に約束とやらをしたのだろう

「お外に遊びに行きたい」

「6時までよ」

「はーい」

 

俺は約束は双方の同意がなければ成立しないと考えている

約束契約の一形態であるわけだが、未成年制限行為能力者とされ単独契約はできない。

契約内容の理解し、メリットデメリット作用副作用判断できないから法的に保護されている

 

人が契約を守るのは信頼を維持し法的なペナルティを避けるためだ

子供社会的規範を身につけるため約束を守る訓練は必要な事だ

 

だが、上記のような合意形成は「約束」と足り得るか

契約履行の訓練になるのか?疑問だ、俺は否定的に考えてる

 

「お外に遊びに行きたい」

「6時までよ」

合意できません、ボクが満足するまで時間制限無しで遊びたい」

「じゃぁお外に遊びに連れて行かない」

 

親子は対等な立場では無いのだから合理的平等約束なんぞ成立するはずがない

 

たか当人同意性があるかのような欺瞞

子供にしてみれば交渉余地など無くただ従わせるだけの方便として「約束」を持ち出している事に気づく

平等契約

この方式を是としてアタリマエと刷り込まれる方が教育としてイカンのではないか

実際日本はこの欺瞞契約蔓延している、他責思考もつながる

命令をするというのは命令者は責任がともなう

これを約束と誤魔化すのは相手責任転嫁しているにすぎない。

命令する側の責任を薄める

きっぱりと指示命令する度胸がないか子供責任押し付けてる

俺はね、こーゆーのが嫌いなのよ

 

ハナから命令すればよい

 

「もう暗いから帰るよ、暑い疲れた、飽きた、4時間走り回れば満足しただろ」

「やだ、まだ足りない」

「パパの命令です、従いなさい」

「ぜったい嫌だ」

おやつ一週間抜き、10分延長ごとにおやつ抜きが一日増えます、あと往復ビンタ

 

ニヤニヤしながら走って逃げていきやがった

どこで教育を間違えたのだろうか

anond:20240817084519

投稿者は、親との口論中に「殺すぞ」と言ってしまたことを後悔しています伝統的な性別役割結婚観の違いに関する意見の衝突が原因で、感情的になってしまったようです。

私なら、まず親に対して心から謝罪し、その後で冷静にお互いの価値観立場について話し合う努力をすると思います。また、相手意見に対しても共感を示しながら、建設的な対話を心がけます

2024-08-16

anond:20240816231935

普通法規制があるわけじゃないのにやらないのは儲からいからだ、と考えるものだけど

君は儲かるに決まってるのになぜかやらない、と考えるんだね

おもしろ

なら君が金のない男に売掛をするキャバクラを始めればいいんじゃない?ぼろ儲けできるんでしょ?

収益女性立場向上のために使えばいいと思うよ

戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2 より

https://anond.hatelabo.jp/20240816213820

 もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義であるしかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分自分家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。

 このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。

 では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである

 では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。

 私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画集団との関係を明らかにする必要を感じる。

 昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画集団発起人の某氏から連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟目的は「文化運動」という漠然たる言葉説明されていた以外、具体的な記述ほとんど何一つなされていなかつた。

 そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである

現在自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」

 つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。

 しからば私のほうには全然言い分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用容認したことは、某氏手紙示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているかである。この団体仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである

 なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである

 しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初ボタンをかけちがえたら最後ボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである

 要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活擁護のための組合は別である)。

 それが自分意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する羽目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである

 最近、私は次のような手紙連盟某氏にあてて差ししたことを付記しておく。

「前略、小生は先般自由映画集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画連盟目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います

 ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体立場いかにあろうとも、個人々々の思考判断余地は、別に認められなければなるまいと思います

 そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめことなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります

 しかし、集団仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疎通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。

 なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。

 では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)

(『映画春秋創刊号昭和二十一年八月)

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2

 最近自由映画連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組警防団婦人会といつたような民間組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき普通のあり合わせの帽子かぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想表現ではないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装もつて唯一の思想表現なりと勘違いたか、そうでなかつたら思想カムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君戦争中、ただの一度も自分の子うそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間範囲思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたもの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題人間の行動と結びついた瞬間に意志感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象善悪批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実のものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実個人基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人尊厳冒涜、すなわち自我放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にの負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というもの永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省方面思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任問題も、便宜的な一定規準を定め、その線を境として一応形式的区別をして行くより方法があるまい。つまり問題性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめものいじめられたもの区別は実にはつきりしているのである

 いうまでもなく、いじめもの監督官庁であり、いじめられたもの業者である。これ以上に明白なるいかなる規準存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

→ 続: 戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

https://anond.hatelabo.jp/20240816214517

anond:20240728023355

本人がつまらなくなってしまった事を「〇〇つまらなくなった」と喚いているケースの好例。

デブサミ(Developer Summit)ってのは翔泳社主催している「今流行ってる・流行りそうな技術」と「大企業キラキラしたIT事例」が話される場所なの。

増田の年齢ならどっちかのテーマで登壇する立場になってないとダメなの。

あと単なる出版社スポンサー付きイベントから日本IT業界代表したイベントですら無い。

あと「粗製濫造」ね

anond:20240816113605

相手立場に立って考えることの難しさを説明しているいいクレームだ。

anond:20240816112504

「人によって感じ方考え方は違う」みたいな極端な相対主義を信奉すると相手立場考慮できなくなるよね

楽しい」「痛い」「気持ち悪い」「怖い」とか共通感情フレームワークがあるんだから、そういうのを利用できると思うんだよね

絵文字認識世界共通だろ?

相手立場になって考えるの難しすぎ問題

まず相手立場がよく分からん、というか相手相手立場をどう自己認識してるかわからん

その上、その状況に対してどう思うかなんて人それぞれなんだから妄想しかならない

無理じゃね?「あなたはどう考えていますか?」って聞いても大抵明瞭な答えは返ってこねえしよ

書店で本を注文して届かない理由 あるいは書店の見分け方(補足あり)

三行でまとめると

補足を書いた

皆さん興味を持って頂いてありがとうございます。もう少し補足を書きました。

anond:20240817175710

客注の方法

書店から取次を通し、お客さんが取り寄せを依頼した本を注文するのにはートは2ルートある。それぞれの特徴として紹介しよう。

さて、お客の立場から見ると、後者の即配サービスを使ってほしいと思うだろう。メリットしかないので。ところが、中小零細の書店を中心に、頑なに後者を使わないケースが未だにある。書店側の理屈としては、

これらの背景には「今時ネット通販で本を買わない客は、即配サービスを使わなくても逃げない役だ」というある種の割り切りがあるようなのである

なんだかなぁあと思われるだろう。ワイもそう思う。

それからチェーン店などでは他の店舗から取り寄せたり、小さな書店通しで提携し合ってお互いに融通し合う仕組みを持っている所もあるが、今回は置いておく。

生き残らせるべき書店の見分け方

ただ、これを利用する事によって、その書店がやる気があって商売として続けていこうという気があるのか、ないのかを判別することが出来る。本を取り寄せた場合、どれぐらいの時間で届きますか?と聞いてみるのだ。

それで「在庫があれば」というコメント付きで一週間以内の納期を目安で告げられたらそこは気合いの入った書店である。一方で、そうではない場合にはもはや書店は惰性でやっているか趣味でやっている様な書店であろう。

やたらと趣味性の強いPOPを大量に載せていたり、イベントばかりやっていたりするが、肝腎書籍販売、お客に届けるという機能蔑ろにしている書店も残念ながら存在するのが現実である


さらに、酷い所だと、客注として指定するべき注文を、間違えて在庫補充として注文してしま場合すらある。そして、過去に入荷してそのまま返品したような実績が残っていると、長い間待たされた挙げ句、入荷しないケースがある。

昔は出版社同意していても取次の判断で届かないことがあったが、今はそれは無い。現在出版社営業同意して手続きをしていれば届くようにはなっている。しかし、出版社商売なので、過去にそう言うことがあると入荷させたくないと言うことになるだろう。最近は取次がデータベースにした管理システム出版社提供しており、大手だけではなく中小でも返本を減らす取り組み≒取引書店の淘汰が行われている。

例えば独自フェアなどを企画して注文したのに思ったように商品が集まらない、と言うような定型愚痴が垂れ流されることがあるが、これはだいたいこのパターンである。そして出版社営業同意していても、出版社システム的な足切り基準に引っかかって取次に関係なく配本が拒否されているケースがある。そして営業はそう言う面倒くさい書店には「取次が悪い」と伝えることがあり、そこで取次悪玉論が成長する事になるが、

売れもしないフェアを繰り返しPOPを並べるが、最も書店が大切にするべき本の流通という機能を諦めた書店と、しっかりとサービスを用意して仕組みを進化させている取次とどちらが悪いかは、明らかではないだろうか。

さらに、これはあまり良くないのだが、普段から「客注」だと偽って、本来は補充配本で依頼するべき本を注文することを繰り返していると、客注なのにもかかわらず入荷数が減少されたりする事があったりもする。


この手の書店は、書店が持つべ基本的役割果たしていないのと、既に本来廃業するべき水準で運営されているのを店主の思い込みだけで運勢されているケースがあって持続性がない。

そのため、積極的に使って支援、するような書店なのかどうかは十分に見極めたいところだ。遠く離れたこの手の書店支援するより、地元の最寄りの書店を使って支えよう。

anond:20240816111230

他人意図を知るには、以下の方法ポイントを参考にすると効果的です。

コミュニケーションを増やす: 直接的に話し合うことで、相手の考えや意図確認することができますオープン質問を使って、相手意図や考えを具体的に尋ねると良いでしょう。

ボディランゲージや表情を観察する: 言葉だけでなく、相手の体の動きや表情から意図を読み取ることができます。例えば、相手が緊張しているのか、リラックスしているのか、話したいのか避けたいのかを観察します。

相手視点に立つ: 相手がどのような状況や立場にいるのかを考えることで、その人の行動や発言の背景を理解やすくなります相手が何を求めているのか、どんな感情を抱いているのかを推測するために、その人の視点や状況に目を向けてみましょう。

過去の行動や言動を参考にする: 相手過去の行動や発言から、その人がどういう意図を持ちやすいのかを推測することができます過去パターントレンドを見て、今後の行動を予測します。

フィードバックを求める: 相手に対して「このように理解しましたが、正しいですか?」と確認することで、あなた理解した意図が正確かどうかを確かめることができます。これにより、誤解を減らすことができます

感情に敏感になる: 相手感情に注意を払い、その感情意図にどのように影響しているか考慮します。感情は、意図を読み取る手がかりとなることが多いです。

これらの方法を組み合わせることで、相手意図をより深く理解する手助けとなります

べつに漁師って何も産み出してないし

子どもの頃のおもちゃを切り売りして暮らすこどおじと立場の上で大差ないのでは

特攻平和会館とか靖国問題って、根本的には彼らは”かわいそう”って価値観を認めるかなんだよ

一部の右翼の人々からすれば彼が”かわいそう”っていう価値観は受け入れられないし、靖国なんかはかわいそうっていうスタンスを拒絶してる。

そして、それこそが韓国中国靖国神社への参拝に反発する理由だし、日本人でも一定数の人が批判する理由なわけ。

ここが理解できないとなぜ、亡くなった人に慰霊気持ちを表明することに反発するのかっていう疑問が生まれる。

あの方は戦争で亡くなった、かわいそうにっていう感情を持った人が集まって慰霊を行う限りだれも批判しないし、中韓別に批判はしない。

ではなぜこのかわいそうって立場を受け入れられない人がいるかっていうと、かわいそうって言ったときにはその死が避けられるべきものであり、亡くなった人は不幸であるという含意がある。

他方それを拒絶するって事は戦死者たちの死は有意義であるって事であり、また戦争自体有意義だったという評価につながるわけでそれ故に他国一定数の日本人もまた批判するわけ。

2024-08-15

から借金が止まらない

2月結婚式に向けてお金が足りない、先に御祝儀を貰えないかと連絡があり、10万円を振り込んだ。

4月。彼と別れるので別居したい、住むところが見つかるまで泊めてほしい。家賃光熱費生活費は半額負担すると言われ承諾した。

仕事はしているものの無一文で家を飛び出してきた妹にお金計画性もあるはずがなく、結局月1万円で2ヶ月居候生活費は私持ちだ。

なんなら無計画すぎる引っ越しのため、家は決めてきたがお金がない。何日までに払わないといけないと、10数万円貸さざるを得なくなった。

これ以上迷惑を掛けられないと言って新居に引っ越しものの、今度はトラブルに巻き込まれ(詳細は伏せるが)2週間以内に30万円必要と…。

なんだこの計画性のなさ?私もやすやすお金を貸しているつもりはないが、今すぐ多額の金が必要事態引き起こしすぎ。なんで?怖すぎる。

計画に元の家を飛び出してきているため、妹の現在一人暮らしの家は家電がほぼない。家電を買うお金がなくて外食らしいが…外食してコインランドリー使う方がよっほどもったいないケチの私、震えてる。

私は本当にケチなので貯金もそれなりにあるが、妹にどんどん手を付けられそうで本当に怖い。妹は友達にもお金を借りようとしていたのでそれは止めた。アラサーで30万円すぐに出せない人が人から借りて、すぐ返せるわけがないのよ…私が春に貸した10数万も返ってきていないというのに。というか、私は友人間でまとまったお金の貸し借りは絶対ダメと思ってたけど、同じ家庭環境で育ったはずの妹は違うんだなあ。

あくまで私個人の考えだけど、と前置きした上でお金人間関係が壊れるなんてよく言われることで私もそう感じている…と私は、当たり前に思うことを話した。これから先の人生、何があるかわからないうえに、私への借金を一銭も返せていない状況で、人にお金を返せるのか?私はそう思わないよ、友達がためてきたお金あんたが手を付ける権利はないよと。私も偉そうに言える立場ではないけど、妹が大切にしている友達の話は聞いていたので、その子達との関係が悪くなったり切れてしまうことだってあるから、そう思うと悲しい。

妹が親に借りられないのは、結婚式やら彼との同棲費用やらですでに大きなお金を出してもらっているから…。

とにかく妹に節約して貯金させるべく同居するのだ。不安だけど、浪費を止められるかな。お互いアラサーにもなってそう思うのは過干渉なのだろうか。出勤前のコンビニで朝食と飲み物1000円近く払っているらしいのをまずは見直したい。

それ月に20日出勤したら2万だよ、飲み物水筒にして朝食も考え直そう、と言っても朝時間ないしめんどくさいじゃんと。やる気あるのかこいつ。末っ子で甘やかされているのかも、なんて他人事に思う姉のわたしにも問題があるのだろうな…。考えだしたら悩みの渦から抜け出せなくて落ち込んできて不安がなくならなくて、吐き出すように書いてみた。

石丸信者はアホであり悪である

石丸伸二はポスター代を踏み倒し、名誉毀損をおこなった人である

https://www.sankei.com/article/20240703-YFVEJOMLYJIAJKSPUG35JH2BJU/

https://www.47news.jp/11167261.html

ゆえに、石丸伸二を支持することは、名誉毀損を行い、ポスター代を踏み倒す人物を支持することである

これは論理問題である

名誉毀損を行い、ポスター代を踏み倒す人物「悪」である。(普遍的倫理である

故に石丸信者「悪」を支持する人である

よって石丸信者「悪」である

しかも、石丸伸二は、裁判で負けた後ポスター業者名前晒す行為を行なっている。

https://x.com/shinji_ishimaru/status/1734934269355844063

その結果業者の元に多くの誹謗中傷が来ている。

石丸伸二は、

「例のポスターの話ですよ。一部のみを切り取って公開した意図は、全部は公開しきれないので、必要なところだけを開示しただけですね。誹謗中傷しているのは予想外の出来事でしたか?うーん難しいですね。やっちゃいけないことはいけないだけで、どこまでそれに対して僕が責任を負うのか、負えるのかというとこういう活動をしてる限り、制御できない部分ってありますよね。ただ僕の立場から言うのは、どうでも良くないですか。またね、切り抜きに使われるかなと思って、あえて言ってみるんですけど、だって完全な民事訴訟ですよ。別にどっちが悪い云々でもなくて、単に契約がうまくいってなくて、両者の合意が取れなかった、それだけなんですね。だから当然先方を攻めるのはアレですし、僕に対してなんやかんや言うのも、どこからその元気が湧いてくるんだろうなと思います。」

https://www.youtube.com/watch?v=b_k7ddbyJus

と弁明している。

X上で

そもそも公費負担相場でないならば、選挙公営制度の根幹を揺るがす事態です。 もっとも、#公費負担 は #選挙 に絡む利権として問題視されているので、世間の関心が集まるのは何よりも良いことだと感じます。 」

発言しながら、

「どうでも良くないですか。」

石丸伸二は言っている。

これを「そのまま」受け取ると、石丸氏は「選挙公営制度の根幹を揺るがす事態公費負担相場でないこと)」を「どうでも良くないですか。」と言っていると言うことになる。(これも論理問題である。)

選挙公営制度の根幹を揺るがすことは、民主主義を揺るがすことである

故に、ここから導かれることは、石丸伸二は、「民主主義をどうでも良い」と言っていると言うことである

故に、石丸信者は、「民主主義をどうでも良い」と言っている人を支持していると言うことである

民主主義は善であり、その否定は悪である。(普遍的倫理である

故に、「民主主義をどうでも良い」という人物「悪」である

故に、石丸信者「悪」を支持している。

故に、石丸信者「悪」である

非常に簡単論理と、普遍的倫理から導かれたことは、石丸信者「悪」ということである

まーたトランスDSD利用がはじまった

https://x.com/kentarotakahash/status/1823906326189367555

トランスジェンダー差別」を焦点に本件の政治的背景を解説した記事だが、この記事こそが二選手トランスジェンダーであると誤解させるものになってないだろうか?「トランスジェンダーや"体の性の多様な発達を持つ"選手」という箇所の""内以外、二選手立場はまったく説明されていない。

また高井ゆと里がDSD利用やらかしてるよ…

そもそもトランスジェンダーは失格なんで、DSD選手問題とは関係ないんだよ

何厚かましトランスを混ぜ込んでるんだ?

高井は本当に厚かましいし、他人人権をどうでもいいと思ってるよね

anond:20240815132542

頭にチー牛詰めてんのか?客の立場が上なわけねえだろ

anond:20240815061054

差別的言動だとみられたことが原因だって理解してないのか...

君は立場のある人間じゃなくてよかったね

社会的に死んでたよ、特に男性なら

今日南京大虐殺記念館の開館記念日となる

憲兵らが捜査軍事裁判ちゃんとしていなかったので立場が悪い日本

ナカソネも戦犯でいいよ

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