はてなキーワード: 甲斐とは
このかた恋人なんてできたことがないのだけれど、これから生活環境が変わるのでいい機会だと思ってここ数ヶ月恋人探しに奔走している。
心労がとてつもない。
なんだ恋の駆け引きって。
心労でしかない。
動いた甲斐あって自分を好いてくれる人は何人か現れたけれど、ルックスも内面もハートに突き刺さって将来が薔薇色に見える、だなんて相手はその中にいない。
そしてまたあれこれ考えて心労を抱えてしまう。
私自身チキンなので会っても優しい人を演じるだけで終わってしまって、終わった後に自分ってほんとダメだなと心が折れる。
恋愛ってお互いの気持ちを確かめ合ってる間が楽しい、とか好きな人の顔を浮かべると元気になれる、とかそういう良い話多いんじゃないの?
心労にしかなってないんだけど今のところ。
やっぱり全部断っていつも通りにたまに嫉妬するけど楽しく生きてる自分に戻った方が心労もなくて良いのかもしれない。
ほんと疲れるわこれ。
はぁ。
女性の社会進出の改革が始まって約70年が経過し、ついに社会全体で女性管理職や指導者を3割近くまで増やすという方向性を作るまでの社会になりつつある。
しかし、女性の社会進出の改革によって女の生き方が多様化してきたかというと、そうではなく、逆に女の生き方の選択肢は狭められてきている。
具体的に言うと、女にも男と同じように経済力や甲斐性、積極性などが求められるようになっているのだ。
「女も四年制大学へ行って当たり前、女も総合職として働いて当たり前」の価値観になってきている。
しかも、現在は女性の社会進出の改革の最中なのであり、この傾向は今後はさらに強くなっていくことになるだろう。
男性の草食化が提唱されて約10年が経過したが、この男性の草食化の原因はメディアなどで色々分析されているが、根本的には女性の社会進出が一番の要因である。
二次にしろ三次にしろ、「どういうのが好み?」と聞かれると詰まってしまう。
環境ごとになんとなくの序列はつけられるけど、それぞれの一位に共通項があるかといえばそうでもないし。
結局は「みんな違って、みんな良い」に回収されてしまう。
「自分は○○推し!」とか「○○属性が好き!」みたいに立場を決めることができない。
最初はそれでも特に問題ないだろと思ってたんだけど、人と関わっていくなかで、
自分で発言の立場を決められないと、イマイチ話の輪に馴染めないってことに気づいてきた。
どこに対しても「それもいいよねー」って頷いてるだけって、相手からしたら面白くないのよな。
掘り下げ甲斐がないっつーか。
はじめてやったギャルゲーではおとなしい図書委員の子が好きだった。
でも他の作品では金髪ロリ娘やら先生やら、性格も容姿も属性もばらばら。
https://anond.hatelabo.jp/20180225200423
便乗して童貞を捨てた時の話
当時、出産は鼻からスイカを出すくらい痛いって聞いて、女性器というのは鼻の穴くらい伸びないものだと思っていた。
努力の甲斐あって、右手も左手も、小指を1秒間に4回くらい動かせるようになった。
馴染んで来たらもう少し入れ、全部馴染んだら次は薬指、人差し指、中指、その次は指二本、という感じ。
顔を合わせてるのが恥ずかしくて、ずっとその間乳首に吸い付いていた。
翌日に乳首とアソコが擦れすぎて痛くなったと言われた。
彼女は処女ではなかったけれど、経験人数が多いわけじゃないので、こんなエッチもあるのか、と疑問にも思わなかったらしい。
童貞だったと言ったが信じてもらえなかった。
よく聞くような、あまりの気持ちよさにすぐ出たってのはなく、けっこう長い時間、いろんな体位でしたのは覚えてる。
あと、初体験の思い出は一晩中に及んだために翌日すごく眠かったこと。
彼女は爆睡してたが、男は寝ちゃいけない気がして横でずっと起きてた。
その時の彼女は今思えばすごくお盛んで、以後会うたびに求められた。
【0】
2004年、中学生の僕は初めてけいこちゃんという彼女ができる。元々陰キャでダサくて奥手の僕は、なかなか積極的になれず、どのデートもまともな会話もできずひどいものだった。それでも彼女は僕を好きと言ってくれた。1年間付き合って手をつなぐことしかできなかった。好きなのに気を遣う関係に疲れて、僕から別れを告げた。彼女は嫌だと言ってくれたが、無理やり別れた。その後僕は引っ越し疎遠になったが、大学の通学路にあるデパートのケーキ屋で彼女を偶然見つけた時は、何かの運命かと思ったが声をかけられずに卒業してしまった。フェイスブックでは元気そうだが、友達申請をできずにいる。向こうも多分こっちに気づいているが、友達申請は来ない。
【1】
2005年、僕はヤフーゲームのチャットでスケベ発言ばかりする常連の猿だった。
そこでルルちゃんという同い年のメンヘラ女子と親密になり共依存になるも、スケベ発言の暗い過去を持っていた僕は周囲の協力が得られず破局。今でも彼女の消息は今でも分かっていない。
きっと人生で一番好きになった女の子で、僕の心に大きな傷を残していった。この事件以降、僕は女の子を本気で愛する気持ちをどうしても持てなくなってしまった。その後女の子に対してあるのは所有欲、肉欲だけだ。
【2】
ルルちゃん一派の友人の一人、1個年上のケイスケ先輩にはこのとき凄くお世話になった。
色々話を聞いてくれて、彼の的確で説得力のある話し方に、男だというのに僕は一発で恋に落ちてしまった。
しかし、スケベ発言の暗い過去のせいで彼の一派からは総スカンを喰らっており(味方はケイスケ先輩だけだった)、いつの間にか疎遠になってしまう。
今でも彼のことを心から尊敬しているが、もう10年近く彼とは話せていない。彼を今でも待ち続けている。
【3】
大学に入ったばかりの僕は、チャットで知り合った年下のミサキちゃんに人生で初めてのキスをする。
年は3歳ごまかしていた。偶然にも出身中学や地元が同じで意気投合したが、何せ貧乏大学生だったので本当に遊ぶ金がなく、やむをえず適当に理由を付け、大泣きさせて別れた。
その後グリーで見つけて声を掛けたら、信じられないくらい恨まれていた。最近フェイスブックで見つけてメッセージを送ったがもう僕の事なんて覚えていなかった。
【4】
大学チャットで知り合った年下のミオちゃんと初めて同士でセックスをした。金がないので親の目を盗み家に呼んでセックスしたが、大陰唇と小陰唇の間にカスがギッシリ詰まっていた。
金がないのでなかなか会えずにいたら、そのうち飽きられて振られてしまった。フェイスブックで探してみたら、今では結構いい大学に通っていたのでメッセージを送ったらブロックされた。
【5】
ゲーム仲間のモモカとは不思議な関係だった。知り合ったのルルちゃんと同じ頃だ。
ルルちゃんを失った後、彼女が心の支えになってくれていた。デブスなのだが器の大きい性格で、巨乳だった。20で大学生の僕は、自殺しようと失踪して宮崎まで辿り着いたとき、彼女と初めて会い一晩を共にしたがセックスはしなかった。ペッティングまではしたのだが、彼女は僕の中で守るべき最後の神聖な領域に思えて、挿入することができなかった。彼女が就職して上京して来た時にも彼女のアパートに一晩泊まったがセックスはしなかった。翌朝彼女の部屋で作ったホットケーキの味を今でも覚えている。その後自然と別れて、時折Facebookでメッセージをやりとりしていたが、もう半年くらい返事は来ていない。
【5】
大学時代チャットで知り合った年下のミサキ(その2)ちゃんとは初めてフェラチオをしてもらい、生セックスをした相手だ。ブスだけどとても僕に好意を寄せてくれて、なんでもしてくれた。するのは初めてだというフェラチオはとても愛が籠っていて上手だった。貧乏で遊ぶ金が無く、尽くしてくれすぎて面倒になってしまい大泣きさせて別れた。久しぶりにメールをしたらラインを教えてくれたが、すぐにブロックされた。彼女以上のフェラチオをしてくれる女の子と未だに出会えずにいる。
【6】
大学時代チャットで知り合った年下のつぐみちゃんは、従順な子だった。2回目に会った時、山間の公園の便所でセックスをした。過去の男歴を聞くと、大学生の男の性奴隷になっていたことがあるというので、潔癖症の僕は怖くなり、一緒に即日のエイズ検査に連れていき、陰性であることを確認したらデパートのトイレでフェラチオさせて別れた。復縁を求めるメールが来ていたので無視していたのだが、しばらくして返信したら宛先不明で送信できず、音信不通になってしまった。
書いていてキリが無いのだが、この後も同じように、ネットで後味の悪い出会いと別れを繰り返してきた。
どの女の子もいい子ばかりで、僕の甲斐性が無いばかりに涙を流させたり、憎まれたりしながら別れてきた。
どうにかして、誰か一人でも幸せにできればよかったのに
僕ももう20代後半になってしまい、今では周りに誰も残っていない。
僕は今でも、精神的には14歳のままでいる。
人権?
違うぜ。
何を言っているのか理解できないって顔してるな?
考えてみろよ。
猫カフェで猫を可愛がるのと、猫を飼うのならどっちがお得かって話さ。
でも猫を飼うのは面倒くさいだろ。
ゲームは妨害なされるし、ウンコはお漏らしになるし、柱で爪とぎもなされる。
とても厄介なお方なんだ。
猫を飼うってのは、猫の様子を見守らせていただく手間をかけなきゃいけない。
まあ、猫はカワイイからその生活を甲斐甲斐しくお世話させて頂ける幸運に感謝することは可能だよ。
でも、人は、ましてやただ働かせるためだけに雇った奴隷は、可愛くないだろ?
奴隷を飼うのは猫なんかよりずっと面倒だ。
一応彼らは言うことは聞くよ。
でも主人に牙を剥く時はそれこそ殺しにかかってくる事まで考えないと駄目だ。
徹底的に調教してやらないと駄目だし、そもそもしっかり鎖や手枷を付けないと駄目だ。
元気にしすぎちゃ駄目だ。
かといって早めに使い潰したら買った代金にすらペイしない。
病気になられても困るが、健康に気を使いすぎるとかかるコストや手間が倍々で増えかねない。
管理することが多すぎる。
その点、労働者は楽ちんだ。
たまに健康診断を経費で受けさせてやれば十分だ。
金だけ払っておけばいい。
それも、毎月や毎年の働きに応じてだ。
一括で買った奴隷が次の日突然死んだりするのと比べりゃリスクはかなり低い。
とにかく管理が楽なんだ。
雇い主に文句をいうことはあるが、他所とそこまで待遇に差がないことに気づいたら大人しくなる。
奴隷が反乱したらそりゃやべえぞ。
何でもぶっ壊して回るし強盗まがいのこともやり放題。
見境なしだ。
だけど労働者なら、せいぜい賃上げ要求でボイコットするだけさ。
こっちを殺すことまでは絶対にない。
初歩だぜ。
ワトソン君。
美術に縁のない人、そう私のような者たち。
自分もそう思っていた。
大抵は白い紙に描いていくことを考えれば、白を表現したいなら、面倒くさがりは塗らないで済ませることもある。そう私のような。
几帳面な気分の時は塗ることもあるが。
画用紙やスケッチブックが色付きなら、なんとか雲を描くなどの用途はあるか。
そんな程度の考えだ。
色鉛筆は重ね塗り前提の、道具だ。
要するに、絵の具と同じだ。
ピンクの花を描きたいとき、すでに持っている桃色をそのまま使ってもいいが、ここで一工夫できる。
これで少し違ったピンクが一つできる。
こうやって塗るために白はあったらしかった。
これは白に限ったことではなく、あらゆる色も同じ。
紫も赤を塗ってから青を重ねる。
持っている紫の鉛筆とはまた違った風味になる。
芯に重ねた色が残ってしまうので、しょっちゅう削ることになる。
尖らせて立てたときと、横滑りさせたときの、色の濃さの違いも面白い。
ただの白い花もよくよくみれば白一色じゃないことがわかる。
意外に奥が深い。
それはともかく、とても色の幅が広がって面白いので、年甲斐もなく夢中になる。
このまま絵を本格的に描くのも面白そうだ。
自分はまだ色鉛筆としか縁がないが、他の画材も白があるなら、きっと化ける要素があるんじゃないかな?
素人だと、実際にやるまで知らないままだったな。そう私のような。
恋愛や結婚ができない女が増えて来た理由については色々議論がなされているけど、究極的には男が女に経済力を求めるようになったからだよね。
まず、正社員の仕事についていない女自体が、恋愛対象外や結婚対象外として見なされるようになってきた。
このことがあまりにも重要視されないから、なぜ結婚できない女が増えてきているのかの議論が変な方向へ行ってしまう。
女の容姿が悪いとか、性格の問題とか、それは小さな理由の一つであり、本質的な問題ではない。やはり女にも経済力が求められているからだと思う。
「男が女に経済力が求められること」を受け入れようとしない人間が多いのは、これがある一種のイデオロギーの問題になっているから。
男は女よりも上位でなければならない、女は男よりも優れている存在であってはいけない、という「思想」は古い人間を中心にして根強く残っている。
女性の社会進出の改革が始まって約70年が経過したが、その過程で男性の草食化が進んできている。女性の社会進出と男性の草食化は、二つで一セットの関係であり、どちらかだけが一方的に進むということはあり得ない。
女性の社会進出の改革によって女の経済力や発言力が増してくれば、男は委縮するのは当たり前の話である。
委縮して自信をなくした男が何をするかと言えば、とりあえずは女性の社会進出に反対するか、あるいはそれを受け入れた上で女に経済力や甲斐性を求めるしかないだろう。
甘ちゃんの高卒無職がゴミみたいな人生を振り返るだけのエントリなので、あんまり読まない方がいいです。
花は咲かなかった。
蕾すら無かったのかもしれないが。
同世代の奴らが大学生活を終えて社会に出る時までには夢を叶えようと思っていた。
今年だ。
貧乏なのに兄妹が多い家で、大学は学費がかかるとか思い込んでたから金のかからない進路にしたいと思っていて、メンヘラ彼女と同じ大学に進むため勉強漬けで娯楽を禁じられていた自分は解放感から突飛な進路を選択したのかもしれない。
まあ、それでも学んだことは学んだ。
自主練はサボりまくったけど、結果として「演技は自分には難しい」ってハードルが建設された。
「もうこの道への気持ちは向かないんだろうな」と思う。
有能な兄は長年の努力が実を結び、仮にも自分が目指していた芸能関係で巨額を稼ぐ売れっ子になった。
妹は学費の関係で自分が学ぶのを諦めた分野を勉強して楽しそうにしている。
家の金を心配して進路を選んで、結果が出なくても「自分は金銭面では兄妹より家のためになってる」と謎の慰めを繰り返していたら自分には何もなくなっていた。
妬む気持ちはあるけど、まあ兄の努力は知っていたし。自分に努力する才能がないことは嫌というほど実感させられたから「兄みたいになりたい!」みたいな気持ちも一瞬で失せてしまった。
誰も責めようがない。
行き場のない鬱屈した気持ちで胸がいっぱいになり、兄妹から逃げるように隣県に社宅のある仕事に就職した。
一切経験のない工場勤務の仕事だったが、高校を出た時と同じように「まあ大丈夫でしょ。高給だし金のためならやれる」と軽い気持ちだったのを覚えている。
結果、一ヶ月続かなかった。
ただでさえ体力が追いつかないのに、毎日の残業と夜勤、そして現場でのパワハラで精神までやられてしまった。
最初は楽しかった一人暮らしも苦痛になり、身も心もズタボロになってギブアップを宣言した。
自分が使えない人間であることを嫌と言うほど思い知らされ、実家に帰ってきた。
働きたくても怖くて一歩を踏み出せない。
そんな自分の不甲斐なさが、余計に心に影を差すように感じながら今生きている。
話は変わるが、数年前、有名ボカロPが20歳の若さで自殺した。これが生前の最後のツイートになる。
https://twitter.com/siinamota/status/624184390592000000
自分はボカロには疎かったのでこの人の事も知らなかったのだが、「気持ちはわかるなあ」ってなんだか謎の同意が心に残っていて、今でも思い出す。こんな無能に同意されても気持ち悪いと思う。ファンの方がいたら本当にごめんなさい。
で、なんでこの話をしたかと言うと、自分の体が使い物にならないのを知ってしまったし、心は完全に働くことに対して及び腰だし、細かな体の不調がどんどん明るみに出てきて収拾つかなくなってるし、治すほどの根気も自分にないし。なんかこう、そういう膿のようなものが体にも心にもたまっているのを感じて、リセットしたいなあ、消えて無くなりたいなあ、と思ってしまうから。
長年やってるSNSも心の支えだけど、長年やってるせいで「罵倒していいやつ」みたいな扱いになってて。オフで会ってもネット上でも言葉でボコボコにされるし。高卒無職とか言えずに大学生気取ってるから悩みの相談なんて出来ないし。
あと最近若い子がネットに増えすぎ。才能のある歳下がバンバン目に入ってきて痛い眩しい辛い怖い苦しい。自分は絵も描けないし文才もないのでエンタメの素養が全然ないんだなって自己嫌悪が止まらない。
とりあえず趣味があってよかったとは思えるけど、リアルもネットも本当にリセットしたいなあって思います。
とりあえず自分でもわけのわからないまま吐き出してしまった。一文字でも読んでもらえたら自分の負担が分散するのかなって思います。いやもう書いてるこの時点でだいぶラクになったけど。以上。
感動と興奮とが一気に押し寄せ、それと同時に無事滑り終えた安堵感が綯い交ぜになり、私は感極まってしまった。
彼のファンなら皆、彼の演技を祈るような気持ちで見ていただろう。
私もその一人だ。
ファンではあるけれども、フィギュアに詳しくない私はアクセルとフリップの違いもよくわからない。
そんな中途半端な私にも見終えた瞬間に「素晴らしかった」と思える演技だった。
表彰台に笑顔で上る彼を見ていて湧き上がるのは感動、興奮、安堵の感情。
そして、私はその裏にある自分のもう一つの感情に気づいてしまう。
彼はソチから4年間、絶対王者としての意地、国を背負うという重圧、様々な葛藤の中で選手としても、一人の人間としても大きく成長し、今日私たちを大きな感動に包んでくれた。
彼の4年間は間違いなく波乱に満ち、また誰よりも努力した濃厚な時間だったことは容易に想像できる。
私の4年間は。
あの頃大学生だった私は、今、「自分の夢を追う」という名目でフリーターという心細い身分を自ら選択し、人生の迷路に絶賛迷い中である。
人に誇れるものでもなく、かと言って破滅的というほどでもなく、惰性的に夢を追う若者にありがちな堕落した時間を送ってしまっている。
羽生くんの演技による興奮なのか、自分の不甲斐なさに対する憂鬱からなのか、私は真っ暗な布団の中で時計が深夜3:00を過ぎても眠ることが出来ずにいた。
眠れないまま布団の中にいると、脳内で走馬灯のように私の4年間のなかの少し印象的だった出来事や思い出なんかが駆け巡る。
大学進学とともに東京に出てきた私が、少し東京という街に慣れ始めた頃。
自分の大学とは違う、歴史的な校舎の作り等に感心しながらなんとなくお祭り気分を堪能していると、ふと見知った人の顔が目に入った。
Aくんだ。
高校一年生の春から夏へと季節が移り変わる頃、「ねえ、Aくん、増田のこと好きなんだってよ」と人づてにAくんの名前を初めて聞いたのを覚えている。
私はその時、Aくんの名前と顔も一致せず、「誰か知らないし、話したこともないし、なんかの間違いなんじゃない?」みたいな返事をしたのを微かに覚えている。
自分で「間違いなんじゃない?」なんて友達に言っておきながら、私はそのAくんの苗字を忘れられず(Aくんはちょっと珍しい苗字だった)、頭の片隅になんとなくその苗字が引っかかっている状態が続いた。
次にAくんの名前を聞いたのは、同じ高校に進学した幼なじみからだった。
一緒に文化祭の自由時間をのんびり過ごしていると「Aくんって知ってる?」と突然聞かれた。
名前だけしか知らないので、「知らない」と答えると、「ジャニーズの〇〇くんにちょっと似てるんだよ。あっ、ほら、あの人」と控えめに指さす。
指の先には確かにちょっとジャニーズの○○くんに似てると言えなくもない男の子が歩いている。
私自身、あまり惚れやすい性格でもないため「あの人かー」という感想以外特になかったのだが、それでもやっぱり高校生なのでちょっとドキドキしたりして、勘違いかもしれないのに馬鹿だなとか思ったりして――。
でも、なんとなくAくんも私を意識してるような気もして――。
なんだかんだ廊下ですれ違ったりするときに意識してしまったり、今考えても自分の単純さに呆れる。
国語のテストの成績上位者の紙で名前が前後に載ったり、何度か運命的な(?)出来事もあったりしたものだから余計彼を意識するようになってしまったのかもしれない。
ここまで読んでくれた人はこの後、高校時代、私とAくんが付き合う展開が待ってると思うかもしれないが、私とAくんはなんとその後、卒業まで一言も言葉を交わさなかった。
そんなAくんがたまたま行った大学の文化祭でギターを持って少し目の前を歩いている。
見間違いかと思ったが、向こうも私に気づいたようで、こちらを注視しており、私は謎の気まずさと恥ずかしさとで完全に見ない振り。
私とAくんが通っていた高校は東京とは縁もゆかりも無い田舎だった。
そんな田舎の高校でしか見たことがなかったAくんが目の前に、東京に、たまたま来た文化祭にいる。
私も相当に驚いたが、Aくんも相当驚いたのだろう。
それでも気付かないふり――。
深夜3:00、羽生くんによって開かれた記憶の扉によって、私は一つの衝動に駆られる。
「Aくんが今どうしてるか知りたい!!」
喋ったこともない相手の近況を知りたいなんて、私とストーカーの違いって果たしてなんだろうと一瞬踏みとどまるもやはり衝動はおさまらない。
「Aくんの下の名前ってなんだっけ?」
国語のテストの成績表で私の名前の上にフルネームで載っていたのに……。
なんだっけ……。
正攻法じゃわからないと考えた私は次に検索欄に Aくんの苗字+自分の母校+彼を見かけた大学名 を入力。
すると簡単にヒットした。
すると彼がバンドマンなこと。
音楽に詳しくない私でも知っている大きなフェスの小さなステージに出たこと。
そんな情報がポロポロと出てきて、「頑張ってるんだな」と笑みを漏らすとともに、湧き上がる一つの感情に気付く。
Aくんもまた、夢に向かって4年間駆け抜けてきたのだろう。
それに比べて私は――。
言ってしまうと、私も全く頑張っていなかったわけじゃない。
私の夢を叶えるべく、その道のプロとなんとかコネも作ったし、その人たちに評価されようといくつか作品も作った。
でも、プロにかけられた言葉は非難の嵐で、私はプロに評価される度に夢に対する熱意、情熱を失い、失速していった。
夢にほんの少し近づいて持った感情は希望なんかじゃなく、絶望だと気付いた時、私は精神のバランスを崩しやすくなり、自分の弱さにまた失望した。
ここ半年は作品を作ることもできず、ただただ漠然とした不安を単純作業の非正規労働で埋める毎日。
そんな自分が情けなかった。
そんな私には最近、昔好きだった、自分が憧れていた作品をもう一度見返す機会があった。
久々に心を揺さぶられた。
そういう気持ちがふつふつと湧いてきたのだ。
僅かな希望を胸に抱いたところで、私の人生のちっぽけさは変わらない。
金メダリストとは月とスッポンの差だし、駆け出しのバンドマンの足下にも及ばない。
皆それぞれ、人生をがむしゃらに走っている中で私が歩みを止めてしまった4年間。
その4年間を悔やむとともに、彼らの4年間を讃えたいと思うこの感情を色で表すと、きっと夜明け前のような仄暗く、それでいて深い青と紺を混ぜたような色なんじゃないかと思う。
それぞれの4年間に想いを馳せる夜。
そんなメランコリックな夜が今、明けようとしている。
一緒になって2年ちょっとになったね。
始めの頃は性格の不一致で離婚なんて考えられないってお互い言っていたけど
最近、君を見ると苦しそうに暮らしていると今では理解できると思うようになってきた。
君はいつも鼻で笑うけど、今でも君を一番に考えているということに変わりはないんだ。
これでも頑張っているんだけど、到底、君の望みには届かないみたいだ。
こんなところに書いている時点で意気地なしと怒られそうだけど
たぶんこのことを伝えたら君は怒るだろうし、傷つくだろうからこんなところに吐かしてもらうよ
もう少しで終わるかもしれないけど、残りの時間、長く続くように頑張るよ
こんばんは。
前回01と02に関してコメントやブックマークを入れて頂いた模様。有難う御座います。
SHUFFLEって2004年だそうで、14年前って何してたでしょうか。
山本直樹。懐かしい名前を聞きました。上げて頂いた作品、読ませて頂きます。
デッキが無いといいますか、撮影、編集側にもビデオデッキで再生する為の機材、今となっては化石の様な機器を使用して編集する必要がありそうですね。
親しい、大事な女性が堕ちていく様と云うのは私事ですが、まったく興奮しません。その時点で他人か汚物になります。なりました。
さて、この速筆習練は寝る30分前より行っている。寝る前に日記を書く。と云った体なのだが、書くのに時間が掛かった場合、その分寝るのが遅くなる。
01と02は結局40分前後の時間が掛かってしまった。もっと早く文章化出来る様になりたいし、ならなくてはならない。この意味不明な決意も、如何せんまったくの思い付きスタートであり、いつ私の事情で取りやめになるかも分からないのだが、まあそれは之を読んでくれている方には関係の無い話ではある。
それはそうと、誤解が無い様に記載するがニッチな性的嗜好を否定する気はまったく無い。私自身もニッチな性嗜好だからと云うのもあるが、01に記載した通り様々な性的嗜好があるのだ。何かを攻撃したい訳では全く無い。
私自身がああ、こういう性的嗜好があるのだなぁ。とラベリングしたいだけなのだと云う事を改めて記載しておく。
4.愛される事について
昨今、創作物の影響かそれとも時代の流れなのか”愛される事”に飢えている諸兄を見かける気がする。
性的嗜好と云うか人間、否さ動物としても勿論愛される事とは重要ではあるのだが、それでも此処まで愛される事に貪欲であっただろうか?
愛される事。と記載したが、それは愛では無い。愛とは得るものが無くとも与える物だ。と云うのが年寄り臭くも私の考えなのだ、確固たる信念でそう言い切る。
愛が足りないぜと歌っているのは、自分自身の愛情が足りないぜといっているのだ。
だが、この愛される事。と云うのはそもそも様相が異なる。愛する事でなく、自分自身がどうであっても愛を注いて欲しがる。
自分自身は何も変わらない、変化もしない。だが、自分を愛してくれる存在はそんな自分自身がどの様な存在であっても愛を注いでくれる。そんな存在を欲している様に感じた。これは私自身も全力を持って賛意を表明したいのだが、そもそもそんな愛情を注いでくれるのはヤンデレか、父なる神のみである、仏にはお門違いの願いだ。
誰かに愛してほしいという感情自体は、決して疎まれるものでも拒絶される物でもない。なのだが、この無償の愛のみを求めるのはいささか勝手が過ぎるのでは無いだろうか。
この考えに至ったのはとある成人向けゲーム、所謂エロゲ―をやってみた事で益々強い考えになった。
実のところ、友人に勧められたのだ。強力に。アガペーを求める私向きだと言う、求めた事は無いのだが。
年甲斐も無く、ワクワクしながらゲームをプレイしてみた。こういうジャンルがあるのかどうかは分からないが”甘やかし”とでもラベリングしようか。
で、やってみた感想としては”違うよクソ!”である。私は赤ん坊に成りたいのでは無い。こんな愛の押し付けは私が望んだものでは無いのだ。
まあ、この作品は所謂ヌキゲーらしいので、プレイ内容を煽情的に見せるのが目的であって、こういうシナリオなのだろうと無理やり納得した。
しかし、冷静に考えるとこれがフルプライスで販売される世の中なのだから、こういう愛を望む者も多くいるのだろうか。だがこの歪んだ愛され方と云うのは少し気になる流れだった。
このゲームに固執する訳では無いのだが、愛情表現が男女がする物では無く、大人が子供に向ける、云わば庇護欲、母性愛を性欲と一緒くたにして求めると云うのはまるで性的嗜好が歪に歪んでいる様に感じたのだ。可愛くてヒロインから愛されて当然だからこっちは勝手にやる。俺の性欲もママが処理してね、と。
昨今、創作物の中でも愛や恋は不変の人気ジャンルとして成り立っている、男性向けでも女性向けでもだ。
しかし、こういった作品の中でも所謂ハーレム物と謳われる作品がある、こういった作品が流行るのは時代でも何でも無い、誰でも愛されたいのは当然だ。
中々捻った作品もあるし、面白い作品もある。だが愛され具合はちょっとした宗教を感じる作品も見受けられる。名付けて主人公教だ。
他の作品の中には納得出来たり、いたたまれない理由で主人公と共にいるパートナー達も居るが、そういった作品では主人公がどういう立場なのか表明されている場合も多い。つまりは失恋前提の物もある。それが分かっていてもヒロインは主人公に惹かれるのだ。
だが、私はハーレム物で主人公が愛されて当然と、主神の様に崇め奉られている事に恐怖と違和感を感じる。その愛に応えない、愛する事もしない、優柔不断で神様気取りの主人公の何処が良いのだと。
ハーレムのヒロイン同士で約束や協定など結び出した日には目も当てられない。結局一人しか選ばれないのに、その気持ち悪い約束事は何だ。
世界観で一夫多妻制?サブヒロインがハーレムに入った瞬間出番が無くなったりしていないだろうか?それは主人公教のハーレムに入る事が目的になってしまって、ハーレムの中でどう生きるかが適当にしか描写されていないのでは無いだろうか。
作者は、そして物語の中で主人公はサブヒロインもヒロインと同じだけ愛せて無いのではないか。サブヒロインをハーレムに入れた事で彼女の人生への責任は誰が取るのだろう。
こういった作品ではこの責任という事を極力嫌がるか、表現しない作品が多い。人間の人生を無責任では負えないだろうに。
その主人公よりこっちのサブキャラクタの方が良い男だよ?と言いたいヒロインも居れば、キャラクタの愛を強調する為に登場した元初恋の人(どっちの思慕だったにせよ結局フラれる)等、不憫でならない。そのキマってギリギリのヒロインよりイイ女いっぱい居るから大丈夫と、酒でも奢りたい気分にさせる。
これが酷い物になると、異性に限らず、別世代、同性、動物、神、敵、など皆主人公を愛して止まない世界になる。主人公がやる事なす事、諸手を上げて肯定する。分かり合えない敵も居るには居るが、そういうのは主人公が来るまで、トラブルが起きなかったのが不思議なレベルの気持ち悪い犯罪者になって断罪されるか、主人公の実力を認めながら消えていくか、味方になって主人公教に入信する、全肯定なのだ。正に狂気の世界である。
こんな主人公のみに優しい世界は気味が悪いとは感じないだろうか。私が主人公なら日記に狂気を記録しながら外なる神とコンタクトを取って、死体も残さず消えるだろう。
主人公教タイプの創作物が好きな方は勿論沢山いらっしゃるだろう。そういったファンが作品を支えて市場を作っている。つまりは売れ筋なのだ。
大いなる力には大いなる責任がある。とある作品では主人公の行動をそう制した。主人公にも人としての責任があるのだと私は思う。
女性の社会進出の改革が始まった30年ほど前の時点で、この考えの社会になることは想定できたはずだよね?
もしかして「金の力が無いと男と結婚できない」ことについて劣等感を刺激されるということなのか。
経済力と甲斐性のないブスなんて、存在価値がそもそもマイナスなのだから、いるだけで周囲の人間をイライラさせる。
今までの男社会では、経済力のないブスは社会に出てくること自体が不可能だったが、フェミニストたちの努力のおかげでその心配もなくなった。