はてなキーワード: 法律的とは
私はシフト制の仕事をしているので、この日は何時出社で何時まで、内容は何…というのが日々定められている。
当然、諸々の事情で変更されることはあり得るし、そのこと自体はしかたないと受け入れることができる。
しかし、何らかの理由でシフトが変更され、出社時間が変わった、業務内容が変わった、というときは、会社(…というかシフトを変更した側)は変更したことを従業員に逐一連絡しなくてもよいのだろうか?
我が社のシフト表は勤怠管理システムにより、従業員はPCやスマホでいつでも見ることができる状態にはなっている。
よって、誰の、何が、どう変わったのかまではいちいち説明してくれなくてもよい。
しかし「変更があった」こと自体については連絡がないと、毎日常時シフト表にへばりついていなければ、いつ、何時、どのように変更されるかわからずに怯えながら過ごすことを余儀なくされてしまい、これは不当であると感ぜざるを得ない。
このようなことが当たり前にまかり通ってしまうということは、とてつもなくおそろしい"罠"をかけることさえ可能になってしまい、やはり不当であるとの認識は払拭できかねる。
(上司:シフト表公開したよ→私:○日は12:00~か→[変更の連絡なし]→私:12:00に出社→[知らない間に変更されていて]上司:「今日は11:00~だぞ遅刻だ」→!?)
これは極端な例だが、いずれにしてもシフトは変更した側が変更したことを連絡してもらわないと、従業員側の負担が著しく大きすぎるし、何より日々の生活の予定や段取りが立てられなくなってしまう。
最近は人手不足もあって変更が多く、管理職側も変更したことを逐一連絡するのが面倒なのか「随時変更があり得るのでシフト表を確認せよ」といって逐一の連絡をしてこないことがある。
隣に住んでた単身者が出ていって、新たに赤子を抱えた夫婦が入ってきた。
イライラが止まらない。以前の隣人の時は物静かで最高だったな...
イライラを鎮めるために「子供不可 マンション」で調べてみたが条件に叶う物件が出てこない。
「子供不可」と「子供可」にゾーニングした方が子持ちへのヘイトが減るだろうし、子持ちも伸び伸び生活できてウィンウィンじゃん。
自分で整理しておいてなんだけど、わりとメンヘラなのかもしれない。
恐らくこれが私がモヤモヤしている原因。
それと私はDV家庭で育ったので暴力に対する心理的ハードルがどうやら普通の人に比べて著しく低いみたい(あまり自覚がないがどうもそうらしい)なので、ウィル・スミスの暴力に対する忌避感が少ないというのもあると考えられる。
悪いことをしてきた奴は、悪いことを悪いと思っていない、悪いと思っているとしても感情が抑えられないため仕方ないと考えている。
いずれにしても、客観的に悪い行為をしていることに変わりはない。
悪い行為はしてはいけない。なぜならそれを認めると誰もが悪い行為をしてしまい、何のルールもない無秩序で野蛮な世界になってしまうからだ。
したがって、これを慣習法における掟、刑法における犯罪で取り締まる必要がある。
しかし、そういう人間は悪いことをしてはいけないのにしているから、ルール違反で生きていることになる。
だが、実際の世界はいちいち法律的には動いていないから、ルールを破るならルールを破られて当たり前、つまり犯罪者は殺していいということになる。
結局法律的にこれはどうなんだろう。
私はこう思うと言うことを書くけど、知識がある人は教えて。
これはそれぞれ別の関係よね。Aで生じた被害の結果を無関係の会社にどこまで及ぼせるのかって話よね。
普通は犯罪被害者なんだから筆者が責められるいわれはないけど、「頻度」が多くて、合理的な回避行動を取っていない(女性専用車両を利用していない)場合、会社側の受忍限度を越えているのではないかと言う話なんだと思うけど。
この話はジェンダーが絡むんでややこしいけど、例えば戸締りを絶対にしない人がいて、何度も泥棒に入られてそのたびに重要な仕事をドタキャンして会社に相当な迷惑と損害をかけている場合、会社は常識的な水準の回避行動を要求できるのか(戸締りをする)、またそれが守られなかった場合処分を下せるのかと言うことを考えてみるべきだと思う。
私は今回のこのケースは、ただ遅刻したというだけで重篤な損害は発生していないから受忍限度を越えているとまでは見ないけど、ケース次第では受忍限度を越えていると見られる可能性もかなりあると思うよ。少なくとも「女性専用車両の利用を求める」のはありだと思います。
もう、バスでいいじゃん。
乗ればわかる車内と車窓。
それなのに、求めるのがバスでなく鉄道であるべき理由を明確にすべきだと思う。
しかも、赤字はJRに押し付けで、間接的に都市部の収益を食ってる。
例えば、満員電車の解消が進まないのは、そういう赤字路線のせいでは?
赤字が出たら、例えば、上下分離して地元自治体に鉄道施設部分を保有してもらえるようにすべきだ。
あと、地元自治体は鉄道会社との協議会になかなか参加しないと言う。
廃線の話をされたり、補助金の増額を求められたりするからだろう。
でも、それだからこそ、輸送密度が一定値以下になったら、法律的に参加を義務付ける必要がある。
そりゃあ、地元自治体に負担がほとんど無ければ、協議会にも参加せず、外野から鉄道存続を主張し続けると思う。
でもまあ、自治体自体だって、人口は減少する一方だし、そもそも存続は根本的に無理だと思っているだろう。
しかし、負担がほとんど無いので、住民に配慮して「存続賛成」と言わざるを得ない。
だからこそ、上下分離など応分の負担を提示し、国も廃止を助言することで、自治体側も「仕方ない」という形で廃止を進められる。
なので、応分の負担を示すことは、無駄な延命の意識を断ち切るためにも重要だと思う。
ちなみに、人がろくに乗りもしないのに応分の負担をさせられるようなら、自治体は思いきって鉄道を廃止した方がよいと思う。
鉄道を存続させるよりも、移住+出産に補助金を付けるとか、自治体の活性化に効果的な策はたくさんある。
というか、そもそも、鉄道が残り続けているがために、地方自治体の人員や予算などのリソースがその検討に少なからず割かれている。
その一点だけ考えても、ろくに乗らないローカル線は、逆に住民のためにこそ廃止した方がいいと思うんだが。
その人員と予算を例えば、空洞化した商店街の活性化に振り向けてはいかがか。
あと、JR発足時の新聞記事(ローカル線もなくなりません)を以て、何があってもローカル線は存続させるべきと言う人々が居るが、正直「それ、まだ言い続けるの?」って思う。
いや、言い続けてもよいのだが、地元がそれなりの負担を負うシステムを作ってから言ってほしい。
先ほども述べたが、ローカル線の存続は都市部の収益で成り立っている。
黒字を生み出す都市部の人間が、赤字となるローカル線を守るべき理由がわからない。税金じゃないんだ。
いや、税金だとしても、地方のために自分の税金が使われるのはやぶさかではない(税金とはそういうものだ)が、もっと有益なことに使ってほしい。
でけえ会社だと役員だとかいって何とか役とかなんちゃら役とか大勢年寄りがおるけどああいうの法律的にそういう人間が必要ってだけだろ
あんなただの老害の集まりに大金を落とさなきゃいけないってばかばかしいよな
してねえんだろうね(笑)
・2022年3月6日の政令で非友好国の法人の知的財産権は許諾なしで使用できる
ってのもデカいよね
ロシア連邦政府、国家安全保障等のために特許権等を実施することを連邦政府が許可した際の対価に関する決議を公表
https://www.jetro.go.jp/ext_library/1/_Ipnews/europe/2022/20220309.pdf
ロシアが海外企業の商標権を無視するとどうなるのか?(栗原潔)
https://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20220311-00285978
>法律的な建て付けとしては、特許権が無効になるわけではなく、ロシア政府が権利者に対して特許権の強制ライセンスを命じた場合、非友好国の権利者に対してはライセンスのロイヤリティ料率を売上の0%にするというものでした。
男女格差の調査結果を見て「女性を保護をしてるからだ」と、まるで調査結果を軽んじていいような意見が多すぎる。
みんな自由や平等、さらに(広義の)人権に対する意識が遅れすぎててびっくり。
当たり前のことだけど、身体的特徴(人種、性別、健康状態)に基づいてある特定の雇用を法律レベルで禁止してるのは立派な差別なんだよ。
「守ってやってる」っていうのはおせっかいであり自由を奪う行為でしかない。
今の法律では、生後半年の赤ちゃんがいてパート面接に断られ続けてるシングルマザーが
「子供を保育園に入れて重労働でもいいから仕事についてお金を稼ごう」
と思っても出来ないんだよ。なんらかの理由で重労働/危険仕事以外の仕事に就けなかった母親は生活保護に入るしかない。
なかなかぶっ壊れてる。
「平等な機会・権利を保証すること」こそがまず基本であり、その上で選ぶのは本人の自由。
妊婦/産後なのに危険仕事を嬉々として危ないことをやろうとする人に対しては教育・啓蒙という手段で「健康に悪いからやめた方がいいですよ」と薦める。
ちなみに障害者ですら障害者雇用促進法第34条で雇用の平等機会を保証されてる。
なのでこの国の法律から見ると、雇用機会の自由度は 障害者>妊婦&産後1年以内ママ。
腕が一本足りない身体障害者の人が重労働の仕事に応募することは法律的には可能であり、雇用主は差別をしてはいけないということにはなってる。だけど五体満足健康元気な産後ママは重労働の仕事に応募するのは違法。 ※もちろんあくまで「法的には」。実際には面接時に差別されるケースは今でもあるが、それはまた別の話。
こういったことを考えずに、法律で勝手に禁止して「女を守ってやってるんだ」という発想は本当に遅れてるし危険だよ。
ppppchan "今の法律では、生後半年の赤ちゃんがいてパート面接に断られ続けてるシングルマザーが「子供を保育園に入れて重労働でもいいから仕事についてお金を稼ごう」と思っても出来ない" 何の法律に基づくかちゃんと書こうね
元の世界銀行の調査に書いてありますよ。まさか元調査を見ずにコメントしてる?
zenkamonozenkamono フェミニストや多くの女性が「勝手に保護するな、保護規定をなくせ」と言ってるなら増田のいうこともわかるけど、そんな運動は見たことも聞いたこともないしなぁ…
フェミニストが大手を振って動かないとこういう不平等法律が改正されないのであれば、この国の男女格差レベルはその程度だってことですよ。
それにしてもなんでフェミニストの話が出てきてるんだろう。これって障害者も外国人も女性も全部一緒で平等化しましょうって話なのに。はてな村では女性の話を出す=フェミニストになるってことなの?
そしてこの国ではツイフェミみたいな人たちが動かないと女性格差って無くならないの?あのクラスらの人たちに丸投げ?
allezvousallezvous 言いたいことは分かるし賛同もしたいが、労働基準法や労働契約法が使用者と労働者の力関係の不均衡を前提として労働者保護の条文を入れてるので、「選ぶのは本人の自由」を機能させるのは工夫がいるなと思う
志願するのは本人の自由であり国&法律がそこをまず保証してるということが一番大事なのです。
その上で、この国に「企業は志願してきた人間を必ず採用しろ」という法律はないので、企業側が採用をするかしないかは最終的にそこで判断すれば良い。
妊婦だからリスクがあり企業としてそのリスクを飲めないと判断したらその企業が面接で不合格にすれば良いだけです。
そこは企業と志願者の二者間で検討されるべき話であり、国が間に入って勝手に「こういう女の人は働いちゃダメ」と決めちゃってるのが「国の男女格差が大きい」という問題の本質なんです。
TBSが燃えている。4日前の2月24日、駐日エストニア大使館がTBS NEWSのツイートに「TBSさん,またですか..いいかげんエストニア,ラトビア,リトアニアを“旧ソビエトの国“と呼ぶのはやめてもらえます?歴史的にも法律的にも不正確な呼び方です。バルト諸国はソビエトの継承国家ではないです。2月24日エストニア104回目の独立記念日の本日から、もうこの呼び方はやめていただきたいです」とリプライしたからだ。
https://twitter.com/estembassyjp/status/1496798387856834561
エストニアと言えば把瑠都と仮想通貨しか知らない俺も、うっかりエストニアを「旧ソ連」と呼んで国際問題を召喚しかねない。保身のために「エストニアは旧ソ連じゃない問題」について検索してみた。
「まとも検索」で「エストニア 旧ソ連」を検索すると、政府や国立機関のページが見つかる。バルト三国は「旧ソ連」と呼ばれているのか?
・外務省 わかる!国際情勢(2011年) 「現在のエストニアは,バルト三国中もっとも経済状況が良好で, 2011年1月に旧ソ連の国として初めてユーロを導入しました。」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol80/index.html
・国立国会図書館 リサーチナビ(2022年2月更新)「旧ソビエト連邦構成国(ロシア、エストニア、ラトビア、リトアニア、以下略)の鉄道地図が掲載されています」
https://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/post-371.php
日本政府公認旧ソ連である。専門家が書いた本なら如何と志摩園子氏の「物語バルト三国の歴史」(2004年)を手に取れば、「旧ソ連邦に属していた三国は、新たな国家建設に当たって(以下略)」と開幕即旧ソ連判定である。
では逆に何故、「旧ソ連」と呼ぶのが「不正確」なのか?この本に沿って俺なりにまとめると、今のエストニアにあたる地域は、18世紀くらいからロシア帝国に支配されていたのだが、ロシア革命後の1918年に独立を宣言した(※国際的な承認は1920~21年)。しかし1939年、ナチスとソ連の秘密協定で勝手にソ連の勢力圏と決められてしまい、1940年6月にはソ連軍に占領された。そして逆らう奴らは逮捕、追放され、占領下で選挙を実施して人民議会を開き、この議会がソ連編入を決めた、ということらしい。要はエストニアはソ連軍に占領されながら「ソ連に加盟します」と言わされたわけで、ぐうの音も出ない茶番である。リトアニアとラトビアも同様の茶番でソ連に「編入」している。
エストニアに言わせれば、こんなふざけた経緯の「ソ連編入」が無効で違法なのは明々白々、俺たちバルト三国は半世紀間「占領」されていただけなので旧ソ連呼びは「歴史的にも法律的にも不正確な呼び方です。バルト諸国はソビエトの継承国家ではないです。」ってツイートにつながるんだろう。
けど実際1991年までは政治も行政も経済もソ連の一部として回ってたんで、日本の外務省や専門家が「旧ソ連」と呼ぶのも当然と言えば当然。無茶苦茶なやり口で併合されたとはいえ、実際ソ連だったんだもん。
なぜ駐日エストニア大使館は「行き過ぎ」とまで思えるほどブチギレたのか?「アジア経済研究所」というJETROの付属研究所が出している雑誌「アジア経済」に、ロシア政治研究者・バルト諸国政治研究者・中央アジア政治研究者の座談会(2021年7月30日収録)が載っている。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ajiakeizai/62/4/62_79/_html/-char/ja
バルト諸国政治研究者の中井遼氏が「旧ソ連」問題を語っている:
中井「それと,最近やりにくいなと思うことがあって,「旧ソ連」というとすごく怒る方がいるんです。日本だと目立たちませんが,英語圏だと議員や外務省とメディアが一緒にキャンペーンをはって,former Soviet Union とか ex-Soviet states といった呼称を使った記事や表現に対してものすごい勢いで抗議運動をやるんです。まだアカデミックなところではそこまで来ていませんけど,私ですら多少の圧力は感じますし,現地の研究者と話していると大変そうだなと思います。」
岡(※中央アジア政治研究者)「なるほど,これは地域名称の難しさですね。」
中井「バルト 3 国のなかで,とくにエストニアとラトビアは,そもそも国家理念としてソ連だったことはないという建前なんですよ。」
要はエストニア大使館の怒りのツイートは、エストニア外務省の「キャンペーン」の日本編なのである。これはまさに政治的に正しいか否かという問題——いわゆる「ポリコレ」なのでは?と雑に納得すると専門家に叱られるだろうか。「歴史戦」チックな問題なのかもしれない。
どっちにしても、駐日エストニア大使館の言い分はあまりにも強気だ。「エストニアがソ連だったことはない」という歴史認識は別に世界のアカデミックの常識って訳でもなさそうなのに、「旧ソ連」呼びを「不快だからヤメテ」ではなく「歴史的にも法律的にも不正確」とまで断じているんだから。グルジアがジョージアになったのとは根本的に質が違う要求だし、「呼ばれたくない呼び方はやめようね!」程度の問題だと考えてるなら、エストニアの歴史認識を実のところ解っていないままってことになる。
俺としては、日本外務省や日本のバルト三国専門家もバルト三国を「旧ソ連」と呼んでいるわけで、TBSがここまで炎上したのは可哀想な気がする。エストニア政府の歴史認識を尊重すれば「旧ソ連」と呼ばないのが親切かつポリティカリーにコレクトだけど、無茶苦茶な併合とはいえバルト三国が旧ソ連の一部だったことは確かだし、オウムの件のように明らかにTBSが悪い事件まで持ち出してぶっ叩くほどのことかというと疑問。けど炎上のおかげで俺のような無関心人(むかんしんちゅ)までバルト三国の歴史にちょっぴり詳しくなったんだし、エストニア外務省の「旧ソ連と呼ぶな」キャンペーンは今のところ成功していそうだ。
それにエストニアのキャンペーンを抜きにしても、「旧ソ連」という枕詞はそろそろお役御免かも。TBSは「バルト三国」の知名度が低いと感じて「旧ソ連」を加えたんだろうが、専門家をもってして今や「普通の民主主義の経済的に安定した国」(座談会の中井氏)と言わしめる国々をいつまでも「旧ソ連」と呼び続けるのは、間違いじゃなくとも何か変な感じだ。
...ここまで書いてから気付いたんだが、「エストニアの政治と歴史認識」(著者小森宏美氏)というどうやらそのものズバリの専門書が発売されているらしい。
世間で「トレパク」と呼ばれている行為は、単なるイラスト制作手法のひとつに過ぎず、それ自体は何ら咎められるものではありません。悪いのは、
です。つまり、きちんと法律に準拠して作品制作を行っており、人としてのマナーを弁えていれば、「トレパク」だからと謗られる筋合いは無いということです。
以下では、多くの人が「トレパクは悪」と思い込んでいる要因を指摘し、それらが間違っていることを説明します。
現状、非の無いクリエイターたちが「トレパク認定厨」の嫌がらせに遭ったり、彼らの嫌がらせに怯えながら活動しています。自分では何も生み出さず、他人の成果物に難癖を付けるだけのならず者どもが幅を利かせています。このような不条理は正されなければいけません。以下に述べるような正しい認識が普及し、健全な創作活動が行われることを望みます。
まず、認識に齟齬が生じないよう「トレパク」という言葉の定義をはっきりさせておきます。以下に述べる定義は、「トレパク認定厨」が警察ごっこの対象にしている行為の特徴を、過不足なく正確に表していると思います。
他人の視覚的な著作物(*1)の全部または一部、またはそれを編集(*2)したものを、「トレース元」と呼びます。
「トレース元」に描写された物体と、空間または他の物体との境界線(*3)を写した(*4)曲線のことを「トレース線画」と言います。
(*2) 拡大、縮小、回転、反転、トリミング、色彩の変更、その他視覚的効果を加えることなど
(*3) 輪郭線が明示的に存在しない絵であっても、色の区別や錯覚等を利用して、物体の境界が存在すると理解できるものを含む
(*4) 模写する、思い出して描くのではなく、トレース元の境界線が認識できる状態で、それをなぞって線を描くこと
ポイントは以下です。
まず、「トレース元」が他人の著作物またはそれを編集したものであることです。自分が過去に描いた絵、または自分が撮影した写真などであれば、「トレパク」とは言いません。
また、他人の作品をそのまま使う場合だけでなく、サイズ変更や反転してトレースした場合も「トレパク」になります。
また、トレース元の境界線をなぞって描いた場合のことを指します。模写した場合、思い出して描いた場合は「トレパク」に含めません。また、線画が部分的にでも一致していれば「トレパク」になります。たとえば、顔や手だけ一致した場合、複数の「トレース元」をキメラ的に組み合わせたものも「トレパク」です。
多くの人が「トレパクは悪いこと」と誤解する原因は、下記の3つに集約されます。
「トレパクかどうか」が「著作権侵害に該当するかどうか」の基準になることは、法律的にありません。著作権侵害に該当するのかどうかの基準は、「表現上の本質的な特徴を直接感得することができるか否か」です(下記サイト参照)。「トレパク認定厨」が指摘する「線画が一致するかどうか」と著作権侵害はほとんど無関係です。
イラストの類似が著作権侵害になるかどうかの基準は、たとえば以下のページ等で弁護士が詳しく解説しています。
法律的な観点からは、「トレパク認定厨」が騒ぎ立てるような「手の線画が一致している」とか「背景の小物の輪郭が一致している」とかいう要素が、著作権侵害に該当する可能性はほぼありません。それらが「作品の本質的特徴」とは言えないからです。
特に、構図やポーズなどは著作権で保護されません。それらは単なるアイデアに過ぎないからです。たとえば、「男女が目を合わせるのをローアングルから描く構図」とか「顎に手を当てて考えるポーズ」などは、美術表現上ありふれたものであり、著作権で保護されません(こういうものまで著作権で保護されたら、誰も絵を描けなくなるでしょう)。
そもそも、「著作権侵害である」と指摘したいのであれば、その要件に該当するか否かを議論すればよく、「トレパク検証」は全く無意味です。トレースであろうが、模写であろうが、思い出して描いたのであろうが、著作権侵害の要件を満たしていれば違法であり、そうでなければ違法ではありません。
「トレパクは著作権侵害」という風潮は、単に法律的に間違っているだけでなく、「トレースさえしていなければ、著作権侵害にはならない」と言った誤解を誘発する恐れがあります。こういった認識は、クリエイターの法律リテラシーや遵法意識を低下させるため、有害でさえあります。
一部の人は、「資料、素材、ツールを使って描いた絵は、本来の実力ではない」と思い込んでいますが、これは間違いです。
この誤解の根本には、「"実力"のある人なら、資料などに頼らなくても、あらゆる構図やポーズが描ける」という思い込みがあります。特に、絵の経験が浅い人ほど、こういう思い込みをする傾向があります。しかしこれは間違いです。頭の中だけであらゆる構図を絵の中に再現するのは、プロでも不可能です(もちろん、プロの方が見ずに描ける構図は多いでしょうが)。むしろ、実力のある人ほど、きちんと資料等を活用する傾向にあります。
「資料を使わずに上手い絵が描ける」というのは一つの芸ですが、「それが出来なければ"実力"が無い」ということにはなりません。魅力的な絵を描く人でも、「スケブ」などで一発で描くのは苦手な人はたくさんいます。一発で描こうが、アタリやラフを何回も描き直そうが、資料を使おうが、最終的に完成した絵が、そのクリエイターの実力です。
そもそも、デジタル絵を描く人であれば、誰でも「選択範囲」や「レイヤー」などのツールに頼っています。アニメや映画では、建物の崩落とか爆発とかを描くのにCGを多用します。「それらのツールの機能を自分の手で再現できなければ実力ではない」などと主張する人はいません。
「トレパク」は資料を活用する手法のひとつに過ぎません。そして「資料を使ったら実力ではない」などという主張は間違っています。したがって「トレパク」だからといって、クリエイターとしての技量に難癖を付けられる謂れはありません。
上記2つの理屈が通用しなくなると、「トレパク認定厨」が最後に縋るのが、この種の「モラルの問題だ」という論拠です。
はっきり言って、「トレパク」をモラルの観点から問題視しているのは、ネット上の一部の「トレパク認定厨」だけです。
普通のイラストレーターが、「あなたが以前描いた絵と、手の線が一致する絵を書いた奴がいますよ」なんて報告されたところで、「知らんがな」と思うだけでしょう。趣味で日記を書いてる人が、「あなたが以前撮った写真に写ってた桜の木と、背景の木の輪郭が一致する絵を描いた奴がいますよ」なんて報告されたところで、「だから何だ」と思うだけでしょう。普通の人は、見るからに盗作を疑われるようなものでもない限り、ある絵が「トレパク」かどうかなんて、どうでもよいのです。
プロであれば尚更です。プロは、あるモチーフを描くために既に確立された表現があることを知っています。したがって、それに類似する作品が多くあることを知っていますし、自身もそういう作品を多く生み出しているという自覚があります。だから、絵が似ているなんてことは当たり前のことだと理解しています。
同時にプロは「何がオリジナリティなのか」ということも良く弁えています。「トレパク認定厨」にはそれが足りていません。彼らは、線画が一致したり、絵柄が似ていたりすると、すぐに「パクリ」だと騒ぎ立てますが、その中にはアマチュアが見たって明らかに異なるものが多く含まれます。「トレパク認定厨」は、絵に関する知識も眼力も足りていないから、異なる絵が一様に同じように見えているのです。
もしかしたら、「トレパクは悪」と思い込んでいる無知なクリエイターも、一部にはいるかも知れません。しかし、法的には「自分の絵の線画や構図をマネされない権利」は存在しません。存在しない権利を主張するのはただの我が儘です。鉄道会社に「遅刻しそうだから、電車を30分遅らせろ」と要求しているようなものです。
そして、繰り返しになりますが「トレパク」は盗作でも著作権侵害でもありません。また、「トレパク」をしたからと言ってクリエイターの技量が低いことにもなりません。事実に基づかずに、「あいつは盗作をした」「あいつは絵が下手だ」と他人を貶めるのは、単なる誹謗中傷です。
なぜ「トレパク認定厨」は、「トレパク検証」とかいうネットサーフィンの傍らにできる単純作業に夢中になって、他人を貶すためにネットの海を奔走するのでしょう?おそらく、思うようにならないことが鬱積しているのでしょう。その欲求不満を、生産的な活動で晴らさずに、「トレパクは悪」というドグマに縋って募らせているのが、「トレパク認定厨」という存在です。
最後に、「トレパク認定厨」に言っておきたいことがあります。それは、
「卑劣なことをするな」
と言うことです。
「トレパク認定厨」のしていることは、クリエイターへの侮辱、嫌がらせ、誹謗中傷以外の何物でもありません。
彼らの手法は、「線画が一致している」ことを以て、「この絵は盗作だ」とか「そのクリエイターは画力が低い」と論理を飛躍させること、あるいはその結論を言外に仄めかすことです。これは既に述べたように詭弁です。彼らは、法律や絵画技術の議論を避けるために論点をずらし、何の意味も無い「トレパク検証結果」をあたかも重要証拠かのように演出し、クリエイターを貶めています。これは卑怯です。
また、そもそも法律的に問題があるのは「トレパク認定厨」の方です。彼らは、クリエイターの名誉を不当に傷付けていますし、「トレパク検証」と称して作品の無断転載を行っており著作権侵害も行っています。実際に、「トレパク検証」のまとめブログの管理人が訴えられて負けた事例もあります。前科持ちになりたくなければ、そういうことは今すぐに止めなさい。
「トレパク認定厨」へ。匿名だからといって、何でも許されると思うのは止めなさい。自身の言動が、親や友人に見せて恥ずかしくないか、胸に手を当てて顧みなさい。人の道を踏み行いなさい。
以上です。
法律的に売春は存在してはいけないことになっているので、建付け上、現行の法律で本番行為にコンドームを義務付けることもできない。法律が売春を認める見通しも今のところない。
店側も法律の存在を意識するなら売春の仕方に関する指導ができないので、キャストが自衛するしかない。
でも、キャストの中にもコンドームなしのリスクがある営業をかける人がいて、他のキャストはサービス面では対抗が難しいので、最後は客のモラルにゆだねられる、という話なんだろうか。
最後、コンドームなしで風俗で遊ぼうっていうやつがいるのが、もうあんまり理解できねえよ。
仮に、そういう客が少ないなら生でセックスするのがもっとアンダーグラウンドなサービスになるんだろうけど、実際は一定数の需要があるんだろうから、それで避妊具つけて遊ぶように客の倫理観に期待するのっても、あんまり見込みなさそうだよな、と思った。
最近ならSNSとかで、法律じゃなくもっとファジーな部分でモラルの向上が図れたりするのかなあ。それこそ、この増田がそうなのか。
これ、店側はキャストにコンドームなしで仕事してほしいのかしてほしくないのか、どっちなんだろう。
記事読んだら避妊具なしのヒントが源氏名についてるパターンもあるみたいだから、営業の一環にしてる店もあるんだろうし、そもそも生で本番やってるかどうかは店とスタッフ側でもわかんない、ってことなんだろうけど、どっちかというとやって欲しくないのだろうか。
あんまり考えたくないけど、本番行為はコンドームあり、って水準を作りたいなら、避妊具なしの営業してるキャストをどんどん追放するとか、そういう実態のある店の広告を情報サイトに載せないようにするとか、とにかくコンドームなしの本番を経営的に割りに合わないものにするしかないんじゃないのか?(もうしてるのかもしれないけど)
考えたくないっていうのは、締め付けが厳しくなると、たぶん、あぶれたキャストがリスクの高いおかしなところに捕まって不幸になる、って想像できるからだけど。
でも、それもコンドームありでないと困る、って店が多数派で合意を形成できたら、の話だもんな。店舗側の多数が、別に避妊具なしでいい、そもそも指導しようがないし、ってスタンスなら厳しいよな。