2020-11-18

不妊治療で生まれたけど不妊治療が憎い

こんなこと言っても、親に失礼だとか、不妊治療している人に失礼だという意見が多いだろうことは重々承知だけど、なんか最近自分の中で不妊治療で生まれたってことが肥大してしまっていてしんどい

医療の発達で不妊治療で生まれる子もこれからもっとずっとどんどん当たり前になっていくと思うけど、そういう子たちも将来思い悩むんでは、とか勝手想像してしまってそれも勝手に苦しくなる。

近ごろ、なぜ両親は不妊治療してまで子どもを産んだのかとぼんやりずっと考えてしまう。両親は仲が良くない。仲が良い悪い以前に、「ちゃんと話し合って」物事を進める、みたいなのがない。

なぜそんな家庭環境にしたのか、そんな家庭環境でよく子ども生もうとか思ったな。

それに、平成10年まれなんだけど、その頃ってそんなに日本はいい国だったの?産み落とすには十分な国だって思ったの?とかも思ってしまう。

「国」は置いといて、この子たちをできる限り慈しみ育て上げる家庭環境を作り上げよう、ママパパ同士お互いコミットしあおうね、ってちゃんと考えあって不妊治療しまたか?ってのも聞きたい。

不妊治療してる人にも聞きたい。

あなたたちはなぜ子どもが欲しいんですか?それも自然妊娠でなく、なぜお金と労力をかけて不妊治療するんですか?どういう風に育てていこうか、そういうところちゃんと突き詰めて2人で考えましたか?話し合いましたか

いろんなことを聞きたい。

責める、っていうつもりなんじゃなくて、ただただ確認したい。私みたいにどこか虚無を感じる子どもいるかもよってことをわかってほしい。

私が物事がわかるようになってきたころか(小学校高学年だったか)、不妊治療で生まれたってことをなんとなく知った。

母は、父の方に原因があったのよと憎々しげ言っていた。父の母に、子どもができないのを責められたこと、原因を視てもらえとそういう系の人を紹介されたこと、逆にその人に父の家の水子供養の不備を指摘され、それが原因といわれて父の母が慌てたこと。

一人娘で婿養子を迎えて子どもを産まなければならなかったこと。

私は大変だったのよ、と言っていた。実際大変だったんだと思う。

その時は全然言語化できなかったけど、言語化できなかった思いはイシューの種となり埋められていたようで、自分が成長するにつれてどんどん芽が出て伸びてそして絡まった。

ジェンダー、家制度社会から圧力

今思えばいろいろ絡み合っていた。

その大変な不妊治療って子ども関係なくない?

という思いと、

私はそこまでして母を苦しめて産まれてきたのか?という思い。自らに加害性をも感じている。

それに自然妊娠じゃないんでしょ。なんか人工的だし、人間ってなに様?とすら思う。

不妊治療は心身ともに女性負担がとても大きい。ああ残酷だ。そこまでして産まれてくる命。

不妊治療って今、保険適用とか言い出してるしもっとポピュラーものになると思う。で、ポピュラーものになって、誰がなにが救われるんだろうとか考える。

まれてくること、出生自体苦しみなのに不妊治療で「がんばって」「むりくり」産まれてきた私の存在ってなんなんだろう。ナチュラルじゃないとか思ってしまう。

今も多くの夫婦不妊治療していると思うけど、なぜ未だに多くの家族お金と労力をかけて子どもを持とうとするのかよくわからない。家族の最小単位って夫婦のはず。愛の結晶かい幻想に惑わされないで欲しい。そもそも愛は見えませんしそういう人はやっぱり子をかすがい化するんですよなぁ。

令和になっても多分いつの時代になってもママじゃないと、パパじゃないと肩身が狭いんだろうな。わかる、わかるけどそんな理由不妊治療するのだとしたら、なんだか本当に残酷です。

子どもを持ちたい」って簡単に言えるし、簡単に実現できる世の中だけど、その「子ども」って赤ちゃんとか5歳とか小学校わんぱく盛りだけじゃないんだよわかってるのかな?って思う。19だってあなたの子どもだし、成人したって25だってあなたの子どもだし、40だってあなたの子どもだよって感じ。

不妊治療して産んだとしたならせめてその子には必ずこう言って欲しいです。ずっと言い続けて欲しいです。

あなたに会いたくて会いたくて産んだんだよ」って。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん