はてなキーワード: 時代遅れとは
こんなこと言ったら今の時代炎上してしまいそうだけど言わせてほしい。しんどすぎる。
私は現在20代で性別は女(なんかこの性別がっていうのも叩かれそうだな、まぁいいか)、散々多様性のことを言ってるくせにどちらかと言うと多様性よりの職業に就いている。
最近テレビでも新聞でも携帯でも、ついには先日読み始めた小説にも「今は多様性の時代」という言葉が出てくるようになった。
あまりにも多様性多様性言われるので正直うんざりしているのだけれどそんなこと言ったら炎上してしまうから言えないが、ここでは書くことを許してほしい。
「今時の若いもんは」「俺たちの若い頃は」、いわゆる昭和の人間と言われる人たちがそう言うと私たちの世代は途端に眉を顰める。「また始まったか」「もう時代遅れなんだよその理論」そんな感情だろう。
私は自分がどちらかと言えば今時の若いもん、に当てはまることを知っているしそれを自覚してもいる、典型的なゆとり世代的思考だと思う。
結婚はしたくないし子どもも欲しくない、人と関わることが苦手すぎてお茶出しさえまともにできず、社会に馴染めないことを自覚して今はフリーランスで仕事をしている。
そんな自分がこんなことを言うと矛盾してると言われてると思うが言わせてほしい、とにかく多様性の押し売りがしんどいのだ。
もちろんいい時代だな、と思うことはたくさんある。私は幼稚園から高校まで通ったが、その間一度も学校を楽しいと思ったことはないのにその自分の感情を押さえ込んだ結果ストレスが原因の難病にかかった。
その時の私は「学校に行かなくなったら終わりだ」「世間ではまともに生きていけなくなる」そう思っていたからだ。だから身体を壊してまでも学校に行っていた。
でも今の時代は必ずしも学校に行かなければいけないという雰囲気ではない。私の親戚の子が学校に行くのをやめて数年、高卒認定だけは取り、今はネイリストとして海外で元気に毎日楽しそうに活動してるのを見ると素晴らしいなとも思う。
周りにも学校に行かなくていい、という言葉を聞いてホッとしたような顔をして自分の好きなことに没頭して夢を見つけて、今はその夢に向かってる人も大勢いる。それを経て確かに思う、いい考え方だなと。
ただそれはちょっと?と思う考え方もある。
典型的なのがLGBTQ(以下のカテゴリはここでは一旦省かせていただく)の問題。
少し前に聞いた話だが、心と身体の性別が一致しない方達の主張。私が聞いたのはトイレや温泉の話だったと思う。
少数派の意見も聞こう、というのは大変素晴らしいことだと思う。この場所のように少ない考え方の人間の話を聞いてくれる場所は必要だとも思う。
では世の中の法律や規定をその少数派に合わせるのか、そうなると話は変わってくる。
学校でも議会でも会社でもなんでも基本的に何か困ったら多数決を取ることがある。それはなぜか、通常意見が多い方が優先されるからだ。
たとえば会社でAという案とBという案があるとして多数決では今回はAに決まった。ただBがダメだというわけでは全くない、だが何かしらの理由があって大多数の人がAがいいと思った、ではAを弊社の意見にしよう。
ここまでが今までの流れだ。ただ最近は「じゃあ少数派の案からこちらにも使えるものを少し取り入れよう」とこうなる、正直これはものすごくいいことだと思う。
人間はどうしても白黒つけたがる、これがよくてこれが悪いと考えがちだがそんな中いいところを見つけてよりよくしていく、素晴らしいことだと思う。
正直最初に多様性の話が出て来た時、私はすごくワクワクしていたのだ。いい方向に変わりそうだぞ、このままいけば、そう思っていた。
ただ、このままではいかなかった。
そのうち出て来た意見は「私はAの案は好きではない、少数派ではあるがB案を好きだと言ってる人はいる、だからB案を採用しろ」これである。
先ほど出したトイレや温泉の話はこれに近いものがあると思う。少数派の意見に合わせろと。その結果何が起きたか、それを逆手に取った犯罪だ。
もちろんLGBTQを全ての人がそうだとは全く思わない、人々の必死の主張を逆手に取る奴らが悪い。それはわかっている。ただこういったことがあるため、感情だけではどうにもならない問題なんだと言うことをわかってほしい。
心には形がない、定義もない、だから何にでもなれるし逆に何にもならない事もある。それはとても素晴らしいことだと思うし、大事にするべきことだと思う。
ただそう言った考え方が恐らく少数派であり、明確な定義ができないということを考えると、それを世論としてしまうにはあまりに危ういと思う。
これは逆の立場でも言えることだ。
どちらか一つの意見を世論にするのは非常に危険だと思う、だからいろんな意見を聞いてそれらをまとめる必要がある。
ただその際に少数派の意見を世論にしてしまうと上記に書いたことが起こったりしてしまうのだ。
ここから少し話は変わるが私はいわゆるバイセクシャルと呼ばれるものに該当して、恋愛対象が一つの性別には限られない。ただ別にその話を誰かにしようとは思わないし、知ってほしいとも思わない。
性別とか恋愛とかそう言ったことに対して隠さないといけない人がいるのはおかしい、という意見も聞くがはっきり言わせてもらう、私はどちらかというと隠させてくれと思うタイプの人間である。
一度飲みの席で「バイなんですよね」という話をしたら、いわゆるそう言った偏見がないとされているバーの店長から「そのこともっとアピールしていこうよ!」と言われた。
なぜ、なぜわざわざそんなことを言わなければならないのだろう。カミングアウトしたい人はしたらいい。同性婚と言われるものも全然いいと思う、ただ全ての人が自分に当てはまるように権利を主張したいとは思わないでほしい。
最初に言った昭和の人のお決まりのセリフ、これは今の時代にも当てはまると思う。
「今はもうそういう時代じゃない、多様性の時代だから」「もう古いんですよその話」私がもし令和よりももっと後に生まれた人間ならばきっとその言葉を聞いて思うだろう、出たまた始まったよ多様性の話、と。
昭和の人間には自分たちの考えを押し付けるなと言うくせに、結局昭和の人に自分たちの意見を押し付けているではないか。
正直、昭和時代を見ていれば同性同士が恋愛をしたり結婚をしたり、何か干渉すれば○○ハラスメントと囃し立てられたり、お笑い番組で体を張ったことをすれば暴力だと言われたり、
そんな時代が受け入れられないことは普通だと思う。だってそれが所謂普通だったんだから。
今の時代にそぐわない考えが理解できないのはわかる、ただだからと言ってその人たちを馬鹿にしたり揶揄したり、それは結局私たちがゆとりだと言われて来たのと同じことをしてるのではないだろうか。
普通という言葉が嫌いなのに自分も普通という言葉を使ってしまっている、こうして私も今嫌ってる人間みたくなっていくんだろうな。
そして結局何が言いたいかわからなくなるまでダラダラ話してしまった、これを見た人は言うだろう「これだから今時の若いもんは」と。
日本でも最近リベラル活動家の動きが盛んになっている。彼らに注意しなさい。彼らは正義を歌うが実態は金持ちのパペットに過ぎない。
アメリカを見てみなさい。アメリカは大雑把に言うと都市部は民主党寄り、いわゆる田舎は共和党寄りである。民主党がリベラルwoke、共和党がMAGAカルトと思ってもらって問題ない。
リベラル活動家はBlack Lives Matter(黒人の命も大事)を歌いながら街を焼き払った。商店の窓は破られ商品は盗まれていった。これが同時多発的に大量に起こった。リベラルメディアのCNNはこの惨状を無視し「平和的な抗議活動」と表現した。
リベラルの聖地カルフォルニアは現在酷い有様になっている。例えばサンフランシスコは薬物中毒のホームレスにまみれ警察は彼らの暴力を無視している。逮捕してもすぐに裁判所が釈放するため逮捕するだけ無駄であるからである。同様に15万円弱までの万引きであればお咎めなしという法律を作ったために商店はますます万引きされまくり薬局の棚は多くが鍵付きのガラス棚になっている。万引きをいくらしたかチェックしてから見逃しているわけではないので、いくらでも盗める状態になっている。これではビジネスにならないのでどんどんと商店が撤退していく。サンフランシスコのモールや商店街は廃墟のようになっておりますます怪しさを増している。
大量の人がテキサスに移り住んだ。みんな我先にとカルフォルニアから逃げていく。テキサスは州全体としては共和党であるためカリフォルニアのような犯罪野放しという馬鹿なことはしない。その代わり銃規制をしない・いかなる妊娠中絶も認めないなど別の方面で馬鹿なだけである。一般の人々の日々の暮らしにおいては共和党の方が合理的であるため民主党は苦戦している。テキサス人からすると鼻持ちならないカリフォルニア人がwokeな考え方を持ち込んでくることを歓迎していない。
日々の暮らしの安全を脅かすリベラルは止まるところを知らない。やれ性指向だジェンダー・アイデンティティだなどと頭の悪い時代遅れの考えをさも新しいものかのようにリブランディングし大問題であるかのように騒ぎ立てる。女子スポーツに元男を出させるだとか、三人称代名詞は自称したものを使うことを徹底させるなど頭の悪さはとどまるところを知らない。カルト化しており誰も怖くて声を上げられない。声を上げれば人種差別者である性差別者であるとのレッテルを貼られる。戦時中に些細なことで他人を非国民呼ばわりすることが正当化されていた大日本帝国と同じである。ナチスと同じである。ソ連と同じである。集団ヒステリーである。
これを現代の日本に持ってきてはならない。全力で阻止しなければならない。リベラルは横文字を使う。新しい概念・価値観のアップデートなどと良い正義を装っている。完全に無視しなさい。
たくさん作る。以上
以下は補足
胸の谷間見せながらプラモ作る動画をYoutubeで見たって上手にならない
まずは手を動かせ。経験積まない限り上手くならない。それは製作も加工も塗装もどれもだ
最近とにかく多いのが環境作りや手法も失敗のない正解を求める人が多い
もちろんお金にも限界あるので理解できるが、個々人の性格、手先の器用さ、生活環境、生活リズムで違うので正解は自分で見つければ良い
最近だと「3Dで作ってプリンタで出力すれば良い。プラ板とパテで作ってるのは時代遅れ」とか言う人も多いがそんなの分かってて単に気が乗らないだけだ
大事なのは自分に合って無理せず続けられる最適解だ。他人の最適解に自分が合わせてしまうと必ずどこかで破綻する
要は中身を知っているか知らないかで変わる。普通に作って気に入らない部分とかを実際に把握して2個目でそこに手を入れよう
1個目をきれいに作ろうとすると勿体なくなって大体積んで作らない
環境から作る人は多いけどだいたい作らないか環境できて満足して他の趣味に走る
まずは最低限の道具だけ用意して作ろう。足りないものは後から買えば良い
これはメーカーもだし種類もだ。具体的になるがガンプラだけじゃなく他のメーカーのメカプラモも。できればスケールモデルも
やっぱ会社で色合いが違うし、ロボプラモとスケールプラモでは攻め方がぜんぜん違う。経験しておくと将来手を入れる時とかに参考になったりする
共産党、共産主義がキモいってのが、時代遅れの昭和おじさんの価値観って感じ
そもそも日本でもっとも共産党的独裁主義を敷いてる自民に対する批判がない時点で、
昨日のノンフィクションが婚活の話で、29歳男性と34歳女性がお見合いをして、34歳女性が攻撃的すぎてすごい批判を浴びてる
29歳男性:母親と2人で実家暮らし、家賃支払っている、過去半年一人暮らし経験あり、女性と交際経験なし
34歳女性:高校から一人暮らし、事務職、現在年収を上げるため専門に通っている、WEBエンジニアの勉強を1日10時間している
流れとしては、女性が男性の実家暮らしにつっかかり、過去半年の一人暮らしは短すぎる、実家暮らしだと生活コストがどのくらいかかるとかわかんないと突っ込む
→男性がどう返していいかわからず、なんとか話を変えようと好きな言葉はなんですか?とか言ったりして鼻で笑われる
→追い込まれた男性がchat GPTが出てきたりしてるのに今プログラマーの勉強をなぜしているんですかと聞き、地雷を踏み抜く
やばいんだけど、アラサー女の自分は婚活も仕事もうまくいかなくて鬼になったんだろうなと思って笑えなかった
色々うまくいかなくて、人に八つ当たりして、それをテレビで放映されて、ツイッターで叩かれてって思ったら心臓がギュッとなってしまったわ
せめて婚活のスタッフのやり手のおばさんが一喝してくれればよかったんだけど、34歳が自分の落ち度を隠蔽して、酷いこと言われた!とだけ報告するもんだから怒ってももらえない
本当に怖すぎるものを見た
5chのパートスレでPart10以上続いたもののなかで、いつの間にかレスがつかなくなってdat落ちして自然消滅したスレに書き込んでいたことはありますか?
ある程度パートが続いたスレって書き込む人が一人去っても違う一人が新たに住民になるようなサイクルが確立されていてそうそうもう無くなくことはないイメージがあります。そういうわけで、どういうふうにスレがなくなっていくものなのか気になります。
どういうふうに書きこみの勢いが先細りしていきましたか?
自分は自分でそういうスレがなくなる瞬間に立ち会いたいと思っていて、オワコンっぽい時代遅れなこと話題にしてるスレを一つ日々監視してるんだが、書き込みがなくなりそうでなくならなくてなかなか歯がゆい
見かけ上の仕事の進捗はよく、
一方、仕事を押し付けられた陰キャ君は毎日23時、24時まで残業し、ひたすら巨乳ちゃんの仕事を処理した
自分の仕事を優先しなよと言っても、陰キャ君は陰キャ君で巨乳ちゃんに惚れているので聞き入れやしない
当然社内からの評判は最悪となり、課の飲み会でも露骨にハブられるようになっていった
その状態が2~3年続いて陰キャ君がすっかりやつれ切った頃に、巨乳ちゃんの寿退社が発表された
お相手はお隣の課の将来有望な、スポーツ系のイケイケオラオラエリートイケメン君だった
陰キャ君は鬱を発症し、課の足手まといの汚名を被ったまま数ヶ月で解雇されることとなった
女の方が楽な最短ルートで安定した人生を手に入れられるような気がする
男はどうだろうね?陰キャ君がその後どうなったかは知らないが、あまりいい人生は送れてないんじゃいかな?死んでるかも知れない
地域的に保守的な思想が強く、メンタルマッチョな男がもてはやされる村社会で、
鬱を患うような弱い男を理解しようと言う考え自体がまるでなかったしね
陰キャ君が身の程をわきまえなかった結果の自滅であることもまた否定しないけど、巨乳ちゃんに比べれば随分ハードな人生だと思う
ネットで言論的な事、ソーシャルメディアでの短文コメントなどでTV局、アパレル、マーケティング、広告、電通などに関する議題で変なマウントじみた上から目線を感じることがないだろうか?例えば広告出稿の実務や電通の業務範囲などの解説に「電通を判ってない」と漠然としたコメントが付いたりする事だ。
亦は例えば脚本家と原作者のトラブルに端を発した自殺に関して「己の近いところに着弾」などと書いて自殺クリエータのナイーブを嗤うような文章だ。
実はこれらには「ギョーカイ」という30年前の知的スノビズムが関係しており、現在のその全ての発言者はただのワナビーだ。故に無視するか嘲笑するのがいい。
だがギョーカイがどういうのか判らない人には判別が出来ないであろうから、ギョーカイに就いてざっと解説したい。
1980年代の大学生というのはまるで勉強しなかった。これは60年代に反権威主義の全共闘世代が大学の知の権威を攻撃して教授や講義の尊敬を解体してしまった事に由来する。その後反体制という態度も流行らなくなり、更には嘲笑、嫌悪さえされるようになっていった。
だが大学の権威は復活しなかった。この為に80年代になると大学はレジャーランドとなり、特に文系学生は教科書さえ買っていないという風になっていた。
更にここにプラザ合意という政治状況が追い打ちをかける。日本は復興を遂げて70年代には経済規模が異常なほど膨れ上がっていた。アメリカがベトナム戦争で、欧州の旧連合国諸国が植民地独立による経済構造変化で苦しんでいた(除西独)のと対照的だ。
だが国民の生活は然程裕福にはなっていなかった。また戦後の窮乏状態から贅沢を忌避する経済道徳があった。
プラザ合意でこれが一変する。これは円高を誘導し日本の対米貿易黒字を削減する政策なので経済構造がそれまでの輸出産業優先のままだと立ち行かなくなってしまう。
そこでそれまで禁止されていた贅沢がお上のお墨付きで推奨されるようになったのだ。国民の経済道徳なんて政策で左右されるのである。文化は決定因子ではない。
また円高によってそれまで贅沢品だった輸入品の価格が下がる。当然購買意欲は刺激される。
この浮ついた好景気が加熱してストックバブルとなり、やがて弾けて失われた30年になったのは皆の知る通り。
この景気加熱はレジャーランド化していた大学生にも影響を与えた。それまで国内アパレルメーカーが若者向けブランドを展開してそれらが人気を博していたが、海外ブランド志向が進み、遊びの高級化が進んだのだ。有名なのがディスコのマハラジャやジュリアナ東京であろう。マハラジャの運営会社はそれまで「並」のディスコを経営していたが、マハラジャで極端な高級志向とドレスコードチェック(アメカジとかは入場禁止で上から下までブランド服必須)にしたところ大盛況となった。
だが大学生が高級志向になったのは自然な出来事ではなく、当時のファッションカルチャー誌が誘導したのであった。
こういう大学生に影響の大きかった雑誌にマガジンハウス社のPOPEYE(以下ポパイ)と講談社のホットドックプレスが挙げられるが、この二つは性格が違った。ポパイが先行、ホットドックプレスが追走、イノベーター理論で言えばポパイがアーリーアダプター志向、ホットドックプレスがマジョリティ志向という感じだ。
マガジンハウスはファッションカルチャー専業だけあってイノベーター人脈があるから未来への提案という形で誌面が作れる。
一方、ホットドックプレスは大出版社なのでもっと安牌志向だ。あまり冒険すると滑る危険がある。
そして流行に於いてマジョリティを相手にするという事は、アーリーマジョリティになれとけしかける事であり、故に強迫観念的になるのである。大学デビューした若者にファッションや遊びを勉強しろと迫る性格を帯びる。
山田五郎氏はyoutubeの「オトナの教養講座」を運営して大変引き出しが多くて教養がある人物だ。同氏は同誌の80年代の編集長であった。
教養人だが編集長時代はマガジンハウスの後追いで背伸びしたい若者に楽しいライフスタイルの提供というよりも「これぐらいマスターしないとモテないぞ」とオブセッションを刺激して走らせる誌面を作っていた訳で、正直そこについては評価できない。
これはホットドックプレスが悪いというのではなくて、トレンドの後追いする方は強迫観念に訴えるようになるという例だ。
そんな雑誌群でやたらと持ち上げられていたのがTV局、アパレル業、広告代理店という業種だ。
ホイチョイプロはこれらのブームが起きる前から広告代理店漫画を書いていたが、このブームに乗って多角展開するに至った。広告業の業務中で電通だけが特別視されたり、変なマウント取る奴が現れたりするのはこのホイチョイプロの影響である。
またとんねるずはパワハラ芸とTV局の内輪ネタで若者の歓心を得て売れるようになった。
特に初期のパワハラ芸が有名だがこのパワハラは芸人同士のそれではなくてTV局での上下関係に限られるのがポイントだ。TV局内とスポンサーなどの上下関係はギョーカイなので売り物になったのである。
故にギョーカイというのは単にがTV局、アパレル業、広告代理店という業種を指すのではなくて、当時の風俗上の序列に裏打ちされたそれら業界という事が出来る。広告代理店業務を特別視してマウントするという態度の背景には、輸入ブランド志向、高級ディスコ、VIPルーム、見せる為の彼/彼女、ポストモダン思想という今では時代遅れの事物の文脈がある。
一方、家庭を築いて建売とかと言った一般的な価値観は外部化されていて入っていない。
先に述べたように流行の浸透期には強迫観念に訴える形の言説が商売になる。面白いものがあるよ、じゃなくて時代に遅れるな、だ。
これらはもう時代遅れだが、この強迫観念に訴える扇動の効果は残っていて、広告やTV局に関する事が話題になると、今でも「電通の本質は違う」などという謎マウントが湧き出すという原因になっている。
特に地方在住者に顕著だ。広告への関係の仕方は様々あり、出稿する立場、印刷を受注する立場、看板屋など様々な立場の人間がネットに書き込む。また電通の業務のうち広告ではない部門、人材派遣やイベントプランニングなどに関する議題で書き込む人も居る。
それらに対して謎マウンティングしでいないではいられない人が現れるというのもネットの常だ。
これらの人は自分が参画しえない場所の話だったホイチョイプロなどのギョーカイ話を実業務での経験(他者の含む)で上書き具体化するのに失敗し続け、レイトマジョリティ転落の強迫観念で駆動され続けているのである。
彼等の言い方は、「電通とは」など目前の具体的解説よりなどまるでその評価軸が高級だったり知的であるかのようで、事情を知らない人は騙されてしまうが、その実は時代遅れの流行追っかけの知ったかぶりでしかないので、騙されないようにして貰いたい。
「インターネット下さい」やソーカルにコテンパンにされたポストモダンの亜種である。
この辺の事情を知っていれば、「己の近い場所に着弾」とか原作者の自殺をそのナイーブさ故と揶揄するAI画像を投稿してTV局の事情通風を吹かす者が現れたとしても、その破廉恥さに憤るよりも前に、その者がオピニオンバラエティに数回出ただけでドラマには関係してない事、職域が権利者との折衝と重ならないであろう事、出演回数的に業界風吹かしたい欲が最大化される地点である事、年齢的にギョーカイ特別視のレイトアダプター層である事、とんねるず世代などに着目し、地方のバーで「業界出身の人」ってこういう感じだよなぁなど感慨に耽り、祇園精舎の鐘の音が胸中に去来するはずである。
またマナの力に長ける者であれば、AIに向かって「政権のブレーンとして官邸に出入していた事がある事は履歴的に自慢したくなりますよね?という建前を押し出した笑顔の発言者の前で、現在相手にしている読者層がその政権へのドグマ的批判を共有するので炎上と評価低下を恐れて答えに窮し発言者が善意の天然なのか悪意があるのかはかり兼ねて引きつった笑いを浮かべる男性」という詠唱により画像を得る事が出来る筈である。
「TVに出るようになった切っ掛けってそのブレーン抜擢ですよね」と発言を重ね掛けする画像でもう一枚行けそうである。
いずれにしてもTVや広告業などの話で具体性も無いのにウエメセマウンティングが発生したら、その実は以上のような事情で背伸びしたい「追いかける人」であるので、良く知らんけど高級な知識っぽさに騙されないようにして欲しいものである。
あくまで勝手な想像という前提で読んで欲しいのと、法知識も素人で間違っている箇所はあると思うのでご了承下さい。
昨今の離婚ニュースの中で、プラスマイナス岩橋さん・ネルソンズ和田さんの気落ちが印象的だった。
岩橋さんは「二度と法の元の関係性は作らない」と述べ、和田さんは「芸人を辞めようか迷った」と述べていた。
お二人とも詳細は語っていないが、おそらく以下3つの理由により苦しんだのではないかと想像した。
「母親が面倒を見ていたから母親が親権を持つ」という理論が現状の日本では認められてしまっており、為すすべもなく子供を取られてしまった可能性が高い。
(世界的に見て非常に時代遅れな考え方であり、諸外国では大抵共同親権となる。
大黒柱で働いていた間に実家に戻りそのまま離婚されるといったケースでも、
「連れ去り」とならずに「現状維持すべき」という判断で連れ去った側が親権を持つと認められてしまう。
子供2人で元妻が収入0・年収を1000万とすると、養育費算定表から月20万ほどの支払いとなる。
https://www.courts.go.jp/vc-files/courts/file5/youiku-3.pdf
この支払いは法的拘束力を持つものであり、子が成人するまで支払う必要がある(なお成人が18歳になった現在でも20歳までと判定されることが多い)
また、金額が育児に必要な金額で決まるのではなく、夫と妻の収入差で決まることも大きい。
子供の為と頭で理解してはいても、おそらく月1回程度しか会うこともできない状況で、十数年支払いが強制される未来が確定することの絶望は計り知れないだろう。
この法律を離婚時に知ることで、専業主婦としてしまったこと、法律婚としたことを後悔して苦しむことになったのではないだろうか。
一度は愛した元妻から、法の元①②の要求をされたら誰だって絶望するだろう。
念の為、今の日本で①②の要求をすることは全くの合法であり、法的に何も間違っていないことは言及しておく。
囚人のジレンマでいうところの「協調ー裏切りモデル」があるが、今の日本の制度だと一馬力-専業主婦家庭の場合、裏切りのリスク(親権・婚姻費用・養育費)が非常に高く、裏切られた場合に働き盛りの男性が絶望して鬱になったり、自殺したり、無敵の人となるのは想像に難くないと思う。
専業主婦側の行動が「裏切り」で定まる以上(専門的にはナッシュ均衡の状態)、ルールが変わらないとどうしようもない。
リスクを恐れて結婚・出産を避ける人が増えるのも当たり前だと思う。
本内容に対して、個人で出来ることは少ない。
養育費を払っている人を肯定し励ますことや、共同親権運動・親子連れ去り反対運動を支援することくらいだろうか。
司法や政治に関わる方は是非、諸外国と同様にな共同親権制度の発足、夫婦の差額ではなく必要な金額としての養育費算定表の作成、女性の収入向上などにより、バツイチ男性の自殺を減らせるように進めて欲しい。
家庭を持つこと自体は幸せなことだし、日本人が増えることは社会全体としてパレート最適になることなので、徐々に法律・文化が変わっていくと嬉しい。
化粧ガチ初心者のためのスターターキットって話から始まってるの忘れてない?
デパコスカウンターだと自分に合う色、流行色、人気色などをその場で実際にタッチアップして比較できるところが利点かなと。
自分の肌に乗せたときにどんなふうに発色するか、似合っているか、自分はそれを見てどう感じるか、プロの目から客観的にどう見えるかを一度に体験できる。
これはある程度興味を持ってさらに上を目指してお金をかけて追求していきたいなって人の思考だよ
スターターキット求めてる人は、とりあえず時代遅れじゃなく変じゃなくて、人権得られる程度に化粧してる感が欲しいだよ
知識経験0の人には、自分の肌に乗せたときにどんなふうに発色するか、似合っているか、自分はそれを見てどう感じるかなんてことを考えてる余裕は無いし、今までの経験からの比較対象がないから分かりにくい。
https://pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-451.html
これは「虚偽の告発をした人がSNSで恩恵を受ける」というだけではない
「虚偽の告発を掲載した週刊誌がSNSのお陰で恩恵を受ける」のだ
その結果として第二弾、第三弾の告発記事を掲載した雑誌が売れる
十分な検証と明らかな証拠を入手した上で掲載することには何の問題も無いだろうが
「証言のみ」で記事を構成している上に当事者や関係者の反論について十分な取材・検証をせず