はてなキーワード: 再考とは
私は40過ぎても、不機嫌な男が手を動かすだけでびくっとするし弱気になる。
正直そんな自分が悔しいし、仕事の場だと本当に困る。なんとかしてるつもりだけど。
それでも、男性不信を持ったままでも、例外となる異性との出会いはあるよ。
増田が今いくつか分からないけど、女だって男と同程度にろくでもない(し、男も女と同程度にいいもんだ)って実感したら、骨の髄まで染みついた条件反射はどうしようもないけど、ちゃんと信頼できる男はいるって気付けると思うし、何よりもそう願ってる。
自分が不可避的に所属しなければいけなかった家庭と、自分が選び選ばれた相手とふたりで作る家庭は、まったく違うものだと感じると思う。
父親に謝罪してもらいたいと思うかもしれないけど、私はそこは再考してほしい。
誰かに自分の気持ちを理解してもらい、自分も相手の気持ちを理解する。一時的ならともかく、長くそういう関係性を維持するのはすごくすごく労力がかかる。そんな相手は人生でも本当にちょっとだけでしょう。
その数少ないカードを誰に使うかは、よくよく考えるべきじゃないかと思うから。
私は父親を非難しつつ(どうやら)愛しているけど、そのカードを使う相手には選ばなかった。
その代わり、自分が選んだ周囲にいてほしい人たちにカードを使ってる。時間も精神的キャパも有限だからね。
そうではない子供に比べて生きるために仕方なく働くと答える割合が多いのではないか。
漠然とでも心の中に経済的な不安を抱えて生きている場合、内面の可愛そうな自分に金を与えようとして金銭への憧れは強くなる。そのため彼にとって仕事とは、金を得るための手段であると捉えるのが自然になる。
しかし、その不安がある程度なくなったとき、生きるため、金を得るため働くというステージからひとつ上がる。
ひとつ上のステージでなぜ働くのかを再考したとき、可愛そうな自分は幾分救われていて、金を得るためだけに働くのはなんだか動機が弱いのではないかと考え始める。
金のためには働くエリートは少ないんだそうだ。多くのエリートは社会に何かインパクトを与えることを生きがいにするのだと。
(ここでいうエリートはいわゆる成功者。著名な経営者や自分の才覚で大金を稼ぐような方たちね)
なるほど、この段階でいわゆる上っ面の言葉だったはずの「顧客第一」や「社会貢献」なんて思想が思いつく。ほんとのところの働く目的ってコレじゃないか? と。
ああ、世の著名な経営者や起業家がそんなことを宣うのはキレイ事を言ってるわけではなかったんだな。もちろん耳障りのいい言葉をあえて選んでいるんだろうけど、たまに本気で顧客第一とか言う人がいるのもそれで納得した。
彼らは一般社員とステージが違う。そして、たぶんそれは社会全体では正しい。
しかし貧乏な下層に生きる僕らが生活のため、金のために働くのもまた正しいはずだ。
もしそれを否定するのであれば、僕らにはステージを上がるために精神的貧乏からの脱却が必要だ。
今とこれからをどう生きるかという不安、失敗したらほぼ終了という恐怖を抱えながら夢など持てるはずがない。
貧乏な生まれなのに夢を持てる人は精神的には貧乏ではなく、むしろエリートにかなり近い。彼らはチャンスがあればエリートになるはずだ。
はてなではこの辺の話を全然わかってる人がいないようなので少し書こうと思う。
まぁ大した話じゃないので聞いてくれ。
EU一般データ保護規則(GDPR)やリンク税の推進など昨今EUのインターネット上における様々な法案が日本国内でも取りざたされるようになってきた。
はてブ内では批判的な論調が大勢を占めるが多くのコメントを見ていてもなかなか大局的な指摘をするコメントが少ないように見える(もちろん知っている人もいるだろうけどあえて言っていないような気がするんだけど気のせい?)
・GDPR
EU域内において個人情報を扱うモノは規則にしたがって個人情報を扱わなければならない
リンク先のサイトが著作権管理下に置かれたものだった場合、リンクを張られた側は著作権料を請求できる。
また、ここまで大きくないところでも配信事業者に一定の自国内コンテンツを流通させるようにする話も出ている。
これらの規制に関して着目すべき点は「インターネットに国境などない」という点に非常に自覚的である点だ。
特にGDPRのEU域外の企業にもEU域内のデータを扱う場合は規則を課すというのは決定的な点である。
またリンク税に関しても一定の規模以上のサイト(GAFA etc...)と限定した点からも伺える。
アメリカに端を発するWWWはあらゆる国境をなくし、自由な電子世界を標榜してきた。
こういった、カリフォルニアン・イデオロギー的な態度は現インターネット内で大いに力を奮ってきた。
世界中の人々の情報を共有し、伝達速度を限りなく0に近づけ理想的な世界を目指してまい進してきた。
しかし、近年そういったカリフォルニアン・イデオロギー、つまり新自由主義的な態度が果たしてインターネット及び現実世界によい影響を与えているのだろうか?
という疑義が巻き起こってきている。
Twitterやはてブを使っているはてな民諸氏には最早言うまでもないだろうが、インターネットは差別や罵詈雑言、他クラスタに対する憎悪を溜め、社会を徐々に分断していった。
そういった事態は徐々に現実世界も侵食し始め、極右政権の台頭やナチズムや歴史修正主義の台頭を促してしまった側面は否めない。
ガンダムいわく、誤解なく分かり合える人々として定義されたニュータイプであったが、他者の真の感情を理解してしまったニュータイプはむしろ憎悪をつのらせ戦争やプロパガンダの道具となってしまった。
インターネットはまさに同様の現象を引き起こし、共感や歓喜を生むと同時に人々を分断する道具になってしまったと言うことだ。
EUはそういった事態を認識し、今まさにインターネット上におけるカリフォルニアン・イデオロギーを破壊しようとしている。
中国の急速なAIテクノロジーの進歩と中国国民の個人情報のデータ化による社会コントロールの有様を見て最早猶予の余地はないと判断したように思える。
国境のないインターネットを介しての中国の影響力を回避しようとしたわけだ。
しかし、事ここに至っては想定しているのは最早中国だけではない。
英語圏の影響力が強すぎる日本のインターネット圏に生息している場合気づきづらいが、インターネット社会全体が明らかにアメリカ人だけの影響を異様に受けるようになりつつある。
英語圏での主義主張をネット上に拡散させ多国間でその生息域を拡大しつつある。
先日行われた全米テニス選手権における報道で気づいた方も多いと思われるが、アメリカで行われた報道に影響される日本人が増大している。
しかも事件のあらましをよく精査せずにそのままアメリカ(メディア)の思想を垂れ流していると言ってもいい。
インターネット社会は各国の事情をまったく意に介さずに全てアメリカ規準で物事を見てしまうのだ。
こういったアメリカ的思想を全て正しいものとし、全世界に拡大することを私は"アメリカンイデオロギー"あるいはより限定的に"ユナイテッド・ステーツイデオロギー"と呼ぶ。
テニス選手権の話以外にも、近年であればMeTooの事案が記憶にあたらしいだろう。
※批判を受けて一部謝罪しているが、根本のメッセージは変わっていない。
例えばヴィーガンが欧米で流行し始めているが、この思想が日本で流行した際に発生するリスクがやはりある。
日本人であれば誰でも思いつくと思うが「部落差別の復興」である。
もちろん文脈の違う部分からおこった思想であり単純に現ヴィーガンと過去の日本の思想を比較することは出来ない。
部落差別であるという批判をあっさりすり抜けて肉食業者に対する過剰な批判が巻き起こる可能性があるからだ。
現在の日本では比較的穏健なベジタリアン等が多いし、かなりのマイノリティの為に特に問題は起きていない。
しかし先日フランスで発生したヴィーガンの肉屋襲撃を見れば想定されるべき事態は深刻である。
日本では部落出身者に対する差別が横行し、戦後漸進的にそれを解消して行った。
いまだその差別は消えはしないが多少はましになったと言える。
現代日本で肉屋にテロリズムを仕掛けることなどあってはならないことだ。
アメリカのインターネット上の議論を見ても、ネイティブアメリカンと重ねあわされることが多いアイヌや米軍基地が存在し、中国と関連してくることの多い沖縄についての議論は時たま発生しているように見える。
しかし部落差別は欧州はともかくアメリカではむしろ忌避すらされているのではないかとすら思える。
ともかく我々ネット住民及び日本国民、いや世界は岐路に立たされているのだ。
EUのこれらの規制はこういったアメリカ的思想の過剰流入を食い止めようとしているように見える。
真っ先にコンテンツの規制があがるのもそういった思想を過剰に拡散されては困るからだ。
唯一そのような主張をしている人をただ一人知っているがあまり賛同は得られていないようだ。
私自身も完全にグレートファイアウォールでネットを分断しろとまで言うつもりはない。
しかし何らかの形でインターネットの構造が再考を迫られているのは確かだ。
ちなみに私は専門家でもなんでもない。
どのような行動をとるかはあなた次第だ。
新卒エンジニアとしてよくある独立系システム受託開発会社に就職し、3年目で別のIT企業に転職しました。
退職後もことあるごとに前職のイライラしたところを思い返してはイライラしていたので、文章としてまとめることで区切りをつけようと思います。
今から振り返って言語化すると、要するに、システムの分からないSEおじさんがプロジェクトリーダー(以下PL)をやっていることにイライラさせられていました。
周りのエンジニアもデザイナーもデバッガーも優秀だったのですが、それらをまとめて然るべきPLがダメダメでした。
PLの多くはSIerからドロップアウトしてきた、40歳過ぎのシステムの分からないSEおじさんばかりでした。
アプリケーションへの理解が全然ない。今更勉強する気も恐らくない。なんならバイトのデバッガーの方が全然話が通じる、という状態。
そういった方々が仕様書を書くので仕様に疑問点が多々出るわけですが、そういった方々なので質問をぶつけてもまともな判断ができない。
ことあるごとにPLが理解できるまで状況を説明し、その後にデザイナーやデバッガーにも自分から説明しにいく必要がある、何度手間か分からない状態でした。
これはデザイナーからエンジニア・デバッガーへ説明したり、デバッガーからエンジニア・デザイナーに説明する場合もあります。無駄です。
中でもイライラさせられたのは、実装作業の途中に仕様書を変幻自在・説明なしに変えられていて、後になってとにかく仕様書に合わせるよう頻繁に強要されていたことです。
エンジニアとして実装作業に手戻りが発生したりクソ仕様書を再精査しなければいけないだけでなく、デザイナーもデザイナーで再考する部分が出たり、デバッガーのテストも当然やり直しになるわけです。無駄ですね。
今更SEおじさんがエンジニアやデザイナーの立場に立って勉強するのは難しいと思うので、3ヶ月でもバイトでデバッグ業務をやったら多少はまともな仕様書をよこすようになるのではないかと思います。
後入りのトップとやり方が合わず、長きに渡って志を共にしたチームも反旗を翻した。
小さい頃から、漠然とながら、大きな、前向きな変化を社会にもたらしたいと意識し、幾度の挫折を経ながらも、厳しすぎるほどに自らを律して行動してきた私であった。しかし、今回に限っては思うことがある。
私に社会は変えられない。
悲観的になっているわけではないと言っても強がりに聞こえるだろうが、必ずしもそうではない。
今までのやり方のままでは、世界を変えることは、僅かでも前向きなインパクトを与えることは、私にはできない。今私はそう強く思う。
今までの挫折に対する反応と大きく異なるのは、最近になってアスペルガー症候群の診断を受けたことに由来するのだろう。
物心ついた頃から、言い知れぬ生きづらさを感じてきた。幸いにも運と環境には恵まれ、親の許可のもとに義務教育を放棄し、留学の名の下に海外に逃避し、社会人になってからもフリーランスに近い形態で働いてきた。
ただ、私みたいな弱い人間でも自己実現を追求しやすい社会を実現するためには、独りの力では限界がある。下克上で急速に社会に変革をもたらす海外のスタートアップに魅了されたのは、そんな思いからだった。
とはいえアスペルガーにとって、チームで働くことは容易でない。高い理想と強い確信があるからこそ耐え忍ぶことが出来るが、1日が終わる頃には疲労困憊で、にもかかわらず感覚過敏で夜は眠れない。
追い討ちをかけるように、我の強さが災いして起こる衝突は日常茶飯事で、今回の件も、その極端な例の一つだった。
今までであれば、一定の反省を終えた後に、運が悪かっただけと気を取り直し、再度挑戦を試みたものだったが、今回は違う。
自らの遺伝的特徴を明確に認識した今、戦略を再考する必要に迫られている。
ここまで長々と文字を連ねてなんだが、昨日の今日では今後の方向性すら見えていない(アドバイスがあれば是非伺いたい)。
今まで心配ばかりかけてきた実の家族を安心させられるキャリアをまずは優先するか、新たに認識した自身の特徴とうまく付き合いながら再度挑戦に乗り出すか。そんなことすら決まっていない。
ただ、不思議と後ろ向きな気持ちはほとんどと言ってよいほどにない。幸いにも多少の貯金と多少のお金を稼ぐ知恵と気力も残されている。
銀行系のアプリが使いにくくて、驚いたが、一番面白いのは、銀行系のアプリについての罵倒、批判、改善要求のコメント。そこで、この場を借りて紹介してみよう
<千葉銀行>
・これは、すごい。このアプリを作った会社も天災だが、このアプリを採用した千葉銀行も天災だ。千葉銀行を使っている自分がホコリに思える。もしかして、ショートカット作成にAIでも導入されているのか、ブラウザを開いているような新技術が使われているのか、絶妙すぎで凄すぎる。流石に儲かっている銀行の提供するアプリだけあってユーザービリティも再考。
・バカが作ると出来上がるアプリの良い見本、本社のセキュリティが甘いため、アクセスのために様々な煩わしさをユーザーに強いる。 何が悲しくてパスワード以外に3つもキーワードを入力させるのか? この仕様の提案とOKを出している連中は人々に迷惑しかかけられない能無しなので全員廃業しろっての
・使えなすぎ。 ただのショートカットアプリ。ワンタイムパスワードが夏から必須になるけど、アプリで使えるようにして。トークンなんて不便すぎ。技術低すぎ。解約したい
<新生銀行>
・最悪すぎる。 スマホ認証で、キー発行アプリを参照すれば、当アプリがバックグラウンドになり、最初の画面からやり直し。 認証出来るわけない!嫌がらせか!! そもそも、バックグラウンドに行ったらログインし直しじゃ、、メールで振込先口座見ながらとか全く無理。 設計ミス。使い手のイメージ出来てない証拠。利用者視点のテストを考えてない証拠。いろいろ怪しくなってくる。 今後が不安なため、メインバンク変更決めました
・銀行アプリは多く使っておりますが、こんなに使えないものをよく世に放出出来ましたね。何をするもにも再ログイン、しかも口座番号を覚えてくれる機能もないので支店番号暗証番号ダイレクトパスワード全て1から入力。時代は移りゆくものですが、ネット銀行員の知能の低さすら垣間見えます。アプリ操作方法に関して問い合せても「アプリというかブラウザの○○をご覧下さい」。アプリについて尋ねたのですが。蛇足ですが。全額出金します
・素人が作って素人が承認した未完成アプリです。 フリーズが頻繁に発生し、まともに進むことができません。 また無駄にセキュリティチェックが多く、ログインしても振込時に、いちいちセキュリティカードの記号を入れようとさせます。自分で作ったアプリに自信がないからそうするのでしょうが、利用者からすると迷惑です。 だったらアプリじたい提供しないでほしい
<みずほ銀行>
・メチャメチャレスポンスが悪い。普通にブラウザからアクセスしたらサクサクなので、ネットワークの問題ではない。即アンインストール
・どうして更新する度にお客様番号が消えるのか。 とても面倒で煩わしいです。 基本重いです。 正しいパスワード入力しても入れない時もある。 時間置くと入れるけど、時間かかるので面倒です。 他銀行はサクサク行くんですけどね… 銀行行った方が早いって思ってしまうので、何のためのスマホバンキングなんだろうって感じです。 それでも使う時もあるので、頑張って欲しいです
・くそアプリ。 アプリは削除してワンタイムパスワードカードに移行します。不便だけどアプリよりは多分マシ
<三菱UFJ銀行>
・スマホ変えたらまた再登録でワンタイムパスワードがどうたらこうたらでよく分からん。登録画面が複雑怪奇過ぎて…、これ1人で出来る1人何割くらいいるの?
・メニュー画面を 開くための左下の表示がわかりにくすぎ。最低ランクのユーザーインタフェースと言わざるを得ない
・なんで銀行アプリで広告があるんだよ、あほか あと画面勝手に横にすんな使いにくすぎ。正直★1やるのも惜しいくらいのクソアプリ。やっぱりufjはゴミだな
別に責めている訳でもフェミを擁護している訳でもなく、その前に投稿で「違う」って言われたから再考察しただけだよ?
知りたかったのはなんで一見、同じ方向を向いているような人たちが微妙に意見が食い違うのかが知りたかっただけ。
君は「フェミニズムの理論自体が男を攻撃しているもの」って認識で
もう一人は「フェミニズムの理論自体は男を攻撃していないが、その理論を悪用して攻撃している人がいる」っていう認識。
男性を叩く者に対する問題を2人とも認識しているけど、そこに至る行程がちがうんだなーと言う事が良く分かった。
長々と付き合ってくれてありがとう。
一応、これ以上引き延ばしても意味がないので言っておくと、
今更ながら、#Metoo問題はクッソ気持ち悪かった。周りにもそう感じている人が一定数いたように思う。
#Metooという運動論に仮託したエゴが(絶妙にチラリと)見え隠れする例がかなり多かったのではないか。というか、そのようなエゴに基づいて設計された発信(コンテンツ)の方が拡散力や波及力に優れているので、そのような事例(人物)が運動の主体のように感じられてしまいがちだった。また、一般にこの種の「隠匿されたエゴ」というのは、人間関係において看破されやすいのではないかと思う。
社会規範を旗印に自分の存在を主張する人間は腐る程いる。「自分も同じ経験があるのだけど、〜〜。」という語りは、その種の経験や属性を持たない人間による反駁を封殺することが目的化されている。本当に社会に何かを訴えかけたい、つまりは、自分の心の奥底にあるトラウマやコンプレックスを開示する仕方で、同様の悲劇に見舞われる人を減らしたい(あるいは自身が救済されたい)という祈りに似た何かを持つ人間の言葉は、その純度(或いは悲痛さと呼んでもいいだろう)において、読み手に与える心象がまるで異なる。#Metooしかり、この種の運動や社会潮流に乗る人間の言葉に対峙するに当たっては、その言葉が目的化されているものが何かを同定することが肝要だろう。
特定個人を糾弾したい、ある時点での自身を事後的に正当化したい、衆目を集めたい、社会規範の代弁者たりたい(無論、これもエゴだろう)、という思惑には、そのような目的に結実し得る導線が、(感得されにくい程に小さくとも)作為的に忍ばされている。そんな連中のエゴに回収されてこの種の運動論そのものの純度・信頼性が損なわれることで、狭義の当事者が発信に窮したり、古傷を抉られたり、そこまででなくともそういった連中を不快感を強制させられたりする状況は、許せないという言葉は嫌いなので吐かないが(あなたが神か)、相当いびつだと思うし、めちゃくちゃ気持ち悪いと思う。
社会的弱者・困難者を代弁する体で、社会的弱者・困難者に不利益を与えてくれている自称インフルエンサーの皆さんへ。
少なくない人が、言語化や構造化ができているかどうかは別として、皆さんのエゴと、それを何らかに仮託する卑劣な手口に気が付いています。あなた方のような人たちが然るべき形で弾劾される社会であることを、また、そのような弾劾が上記した構造を強化しない形で織り成されることを、一個人として強く望んでいます。
末筆になりますが、自分は本稿で、性別も、自分が面した過去の経験も、開示していません。そんな中で、書き手の性別や経験、その他属性を措定していたとしたならば、その点について読み手たる貴方も再考されるとよいかもしれません(これは、自分の個人としても望みではなく、いわば一般論のつもりです。)。
自分のブログの宣伝みたいになって、恐縮なんだけど…どうしてもエロマンガの話がしたくなって、ブログに書いてしまった。
http://misawa-black.hatenablog.com/entry/2018/07/03/065948
問題になりそうな表現を伏せ字や婉曲表現を駆使し、公序良俗の問題から参考資料を貼ってないことから規約上の違反はないと思いますが…エロマンガの画風のお話です。
ただ、ブログに書いた結果、資料になる画像やツイッターアカウントが貼れないせいで(貼るとどんな規約違反で怒られるかわかったもんじゃないせいで)、逆に資料無しでエロマンガ家さんの名前だけで作風を理解しろ…というハイコンテクストすぎて誰も読めないような内容になってしまった。
増田に書き直している理由は、増田のほうがエロマンガ詳しい人多いのと、増田ならエロマンガ関連のリンク(マンガ家さんのTwitterとか、該当するエロマンガの商品リンク)貼ってもあんまり怒られなそうだから。(怒られない代わりに削除されるリスクはありそうだけど、削除されちゃったら…ごめんね)
資料ありバージョンを下に書いておくので、資料なしで分かる人はそのまんま、資料ありでないとわからない人はこっちの増田を読んでどうぞ。
同じ記事を二回読むのもだるいと思うので、駆け足で資料多めにかく。
ぼくは…大学生の頃、最初の相手がバカでかいおっぱいの持ち主だったから、そのせいでおっぱい星人になってた時期がある。
その時に買ったエロマンガが、toshさんの「めんくい!」というマンガ。
http://www.dlsite.com/books/work/=/product_id/BJ013027.html
これを6年前ぐらいに買ってから家に大事に保存しておいて、今読み返したら…マンガとして全く楽しめなかった。
つい最近、あるイラストレーターのマンガで「絵が上手くて細部までこだわりや工夫を感じるのに、マンガとしての面白さに結びついてこない」という違和感を感じたため、自分のエロマンガの好みを再考するきっかけになった。
ただ、大学生当時、めんくい!が好きだった頃には、同時にバー・ぴぃちぴっとさんのエロマンガが好きだった時期があるので、自分がロリが好きなのか、巨乳好きなのか悩んでた時期があった。
そんで、絶対数として、手に取る作品がロリ系が多かったので…、「俺、ロリコンなのか?」と思ってた時期があるのですが…これには、違う理由がある。
ロリ系のエロマンガ家さんって込み入った世界観や設定をしてくる人が多くて、読み応えのある作品が多い。
例えば、先程例に挙げたバー・ぴぃちぴっとさんのチェイサーという作品…これは範馬勇次郎をエロマンガにぶち込んだような作品で、すごい読み応えがあるエロマンガ。
http://www.dmm.co.jp/mono/book/-/detail/=/cid=203comic2295/
エロがどうのこうのというよりもストーリー自体がわりかし面白いから、エッチしてないところも全然楽しめてしまう作品なんだよね。
当時手にとったものだと、緑のルーペさんなんかも、そういう方向性の作品が多い。…ロリともペドとも言えるラインではないけど、幼めのキャラクターを駆使するスタイルでかつ、こじれた人間関係…エロマンガでしか描けないモノを描いてくるスタイルの人だから…面白いです。わかりやすいのは「ガーデン」という作品かな。
http://www.dlsite.com/books/work/=/product_id/BJ101137.html
ぼくが初めて衝撃を受けたエロマンガもやたらこじれた設定ロリ系で…春籠残さんのおともだちという作品に掲載されてる「秘湯乱れの湯」というマンガ。
http://www.dlsite.com/books/work/=/product_id/BJ004199.html
これ、一般向けの作品だとありえない内容で…友達数人で温泉旅行に出かけると、自分以外の友達は全員乱交する予定で来ていて、自分だけはファーストラブを期待してた淡い夢が打ち砕かれるという抜けるんだけどめちゃくちゃほろ苦いという、エロマンガでしか味わえない風合いの作品。
これ、読んで「えー!エロマンガすげー!!」ってなって何年か経過して書い直すほど衝撃的だし、内容知ってても主人公に隠れながらエッチしようとする抜け駆け組の変な緊張感がくせになって、今でも抜ける作品。(※絵柄的には、かなり古くて、今の大学生以下の子が見ても古臭く見えるんだけど、内容的には、こんなにエロの背徳感と特別感を圧縮している作品はなかなか読めないすごい作品)
…長くなってきたので話を戻すけど…エロマンガとして熱中できる作品、飽きない作品はその時その時のフェチよりかは、込み入った設定や圧倒的な演出力の方が、大きなパイを持つ。
特に、ハーレム要素が強くて、なおかつ女の子の年齢やスタイルを描き分けられる
・師走の翁
あたりは別格に、汎用性が高いため…エロマンガ家たちの中でも、ずば抜けたフォロワー数を持ってたりする。
特に師走の翁はすごくて、エロマンガ家というフォロワー数の99%は男性であろうジャンルでフォロワー8万人という頭のおかしい数字を叩き出してる。
ハーレム要素もロリ要素も少なくて、純粋に演出や恋愛関係で読みやすい人というと…ぼくはスミヤさんをおすすめしたい。
http://www.dlsite.com/books/work/=/product_id/BJ088986.html
ハーレム要素なくても十分面白い作品が描ける人だけど、リンク先のBitches planという作品の女の子が3人出てくるやつが…スミヤ作品の魅力が圧縮されててすごくいいです。
アブノーマルな男または女を出してきて、関係性や趣味趣向、エッチが盛り上がって高ぶった感情なんかをコマ割りや汗・汁として読ませる能力がすごく高い人。…男のキャラも蔑ろにせずに、魅力やかわいさ、えっちで調子づく感じが描かれているから…感情移入がしやすい作品。
この辺を6年7年かけてじゅんぐりじゅんぐり読んできたから…単純に巨乳が好きとかそんな理由で、大学生の頃に買ったエロマンガでは満足できなくなってる自分がいた。
イラストレーター寄りの作者さんは、立ち絵・全身絵がすごくうまい反面で、コマ割りやストーリーまで見たうえで、読み切ると「これ、そんなに面白いのか?」という風になってしまうため、久々によんだ「めんくい!」が驚くほどつまんないマンガに見えてしまった。1枚1枚の絵はすごいと思うけどね。
かといって、絵だけのマンガ家さん・イラストレーター寄りのエロマンガ家を否定したいという意図はなくて…ぼくは、そっち方面でも好きな人が一人だけいる。
それが、「信じろ」さんというニンジャスレイヤーフロムアニメイシヨンの、デザイン原案を手がけた作者さん。
信じろさんは…単行本は出してないんだけど、たまたま近所で中古で100円で投げ売りされてた快楽天の中に載ってたマンガがすごくて、印象的だった人。
http://www.dlsite.com/books/work/=/product_id/BJ048589.html
Twitterとか見てもらってもわかるんだけど、彼が得意とするのは巨乳のおっとり系のキャラクター。でも、それ以外の胸が小さいキャラを描いてもかわいいし、立ち絵のみならず、色んなアングルがすごい。
男が女の子をキュンキュンしながら見ている時の、ドキドキ感とかかわいいと思う部分をそっくりそのまんま表現できている人で、信じろさんが描いたものだと全部がいい(ストーリーやコマ割りだけならもっと突き抜けている人がいるぐらいにベタで王道なところを行ったとしても、画力が圧倒的すぎて、ぜんぶかわいい)というすごい人。
toshさんだって、ほとんど画力だけでジャンプへの連載を勝ち取ったようなすごい人だけど、エロマンガというフィールドに限って言えば、それ以上にうまくて魅力的な作品を出してくる人。
いちど、信じろさんのTwitterの、メディア(画像)のところはマジで見たほうがいい。1つの作風がうまいとかじゃなくて、引き出しが多すぎてビビるから。
https://twitter.com/shnjr2626/media
…てなことを、資料になるリンクや画像もなしで、作者名だけで一般向けのブログに書いたんだけど…どれだけの人がついてこれるもんなの?
エロマンガって、実際に買った人、中古を買って知ってる人、合法にダウンロードしてる人、違法にダウンロードしてる人…といるから、どの程度の人に話しが通じるかがさっぱり分からない。
今度からこういうの書きたい時、どこに出すべきなんだろう?
僕は低能先生と呼ばれている人から低能とののしられたことはない。
一度、偶然、宗教はエセ科学か?というネタで増田でレスバトルをした相手がいわゆる低能先生と言われている人だと最近気づいた(数週間前)。
で、その後、意識からは完全に消えていたのだが、昨日の事件でその時のやり取りを思い出した。
T先生(ここではこう呼ぶことにする)は論理的にはかなり隙の多い論を展開していたのだが、宗教というものに対する期待と失望みたいなものを内包した、複雑な感情を抱いているのかなと感じさせるものがあった。
正直、色々と知識不足だなと思わせるところはあったのだけれども、こちらとしても科学と宗教の線引きみたいなものを再考するまぁいい機会となったのを覚えている。
さて本題はその話の内容ではない。
僕が彼と議論もどきをしている間に、彼の事を低能先生と揶揄するレスがいくつかあったのだ。
ウォッチャーからすれば一目瞭然だったのかもしれないが、少なくともその瞬間の議論からすれば、彼はそのような揶揄を受けるようなことは言ってなかった(表現は攻撃的だったかもしれない)。
ここで僕が思うのはやはり、T先生に対するネットリンチ的なものは自業自得の部分を多分に認めるにしても確かにここに在ったのだと言う事だ。
彼をそうやって瞬間瞬間追い詰めていた人々(一人かもしれない)は僕から見ればT先生の悪しき部分を同様に発露している人々だと思う。
だが、T先生を揶揄していた人々はT先生の様になってしまう前に自省してほしいと僕は思う。
心の中でひっそりとでいい。
LL・クール・Jとモーガンフリーマンはサミュエル・L・ジャクソンとLL・クール・Jは見分けがつかないと主張している。しかしちょっと待って欲しい。サミュエル・L・ジャクソンとLL・クール・Jは見分けがつかないと主張するには早計に過ぎないか。
LL・クール・Jとモーガンフリーマンの真摯な姿勢が、今ひとつ伝わってこない。
例えばサミュエル・L・ジャクソンとデンゼル・ワシントンからはウィル・スミスとの類似性は避けられないと主張するような声もある。
このような声にLL・クール・Jとモーガンフリーマンは謙虚に耳を傾けるべきではないか▲
思い出してほしい、過去にも何度もLL・クール・Jとモーガンフリーマンはサミュエル・L・ジャクソンとデンゼル・ワシントンの叫びを無視している。
LL・クール・Jとモーガンフリーマンはサミュエル・L・ジャクソンとデンゼル・ワシントンのウィル・スミスとの類似性は避けられないという主張を間違いであるかのような発言をして、批判を浴びた。
確かにサミュエル・L・ジャクソンとデンゼル・ワシントンには見分けがつかないという問題もある。だが、心配のしすぎではないか▲
LL・クール・Jとモーガンフリーマンの主張は一見一理あるように聞こえる。
しかし、だからといって本当にLL・クール・Jとモーガンフリーマンはサミュエル・L・ジャクソンとLL・クール・Jは見分けがつかないと主張できるのであろうか?
事の本質はそうではではない。その前にすべきことがあるのではないか。
LL・クール・Jとモーガンフリーマンは、未来を担う一員として責任があることを忘れてはならない。
LL・クール・Jとモーガンフリーマンの主張には危険なにおいがする。各方面の声に耳を傾けてほしい。▲
LL・クール・Jとモーガンフリーマンに疑問を抱くのは私達だけだろうか。
サミュエル・L・ジャクソンとLL・クール・Jは見分けがつかないと主張したことに対してはサミュエル・L・ジャクソンとデンゼル・ワシントンの反発が予想される。ウィル・スミスとの類似性は避けられないという主張を支持する声も聞かれなくもない▲
LL・クール・Jとモーガンフリーマンもそれは望んでいないはず。しかしLL・クール・Jとモーガンフリーマンはウィル・スミスとの類似性は避けられない問題である。
サミュエル・L・ジャクソンとLL・クール・Jは見分けがつかないと主張する事はあまりに乱暴だ。LL・クール・Jとモーガンフリーマンは再考すべきだろう。
繰り返すがLL・クール・Jとモーガンフリーマンはウィル・スミスとの類似性は避けられない問題である▲
LL・クール・Jとモーガンフリーマンのサミュエル・L・ジャクソンとLL・クール・Jは見分けがつかないと主張したことは波紋を広げそうだ。今こそ冷静な議論が求められる。
LL・クール・Jはサミュエル・L・ジャクソンとLL・クール・Jは見分けがつかないと主張している。しかしちょっと待って欲しい。サミュエル・L・ジャクソンとLL・クール・Jは見分けがつかないと主張するには早計に過ぎないか。
例えばサミュエル・L・ジャクソンからはLL・クール・Jとサミュエル・L・ジャクソンは同一人物ではないと主張するような声もある。
このような声にLL・クール・Jは謙虚に耳を傾けるべきではないか▲
思い出してほしい、過去にも何度もLL・クール・Jはサミュエル・L・ジャクソンの叫びを無視している。
LL・クール・Jはサミュエル・L・ジャクソンのLL・クール・Jとサミュエル・L・ジャクソンは同一人物ではないという主張を間違いであるかのような発言をして、批判を浴びた。
確かにサミュエル・L・ジャクソンには名前が似ているという問題もある。だが、心配のしすぎではないか▲
しかし、だからといって本当にLL・クール・Jはサミュエル・L・ジャクソンとLL・クール・Jは見分けがつかないと主張できるのであろうか?
事の本質はそうではではない。その前にすべきことがあるのではないか。
LL・クール・Jは、未来を担う一員として責任があることを忘れてはならない。
LL・クール・Jの主張には危険なにおいがする。各方面の声に耳を傾けてほしい。▲
LL・クール・Jに疑問を抱くのは私達だけだろうか。
サミュエル・L・ジャクソンとLL・クール・Jは見分けがつかないと主張したことに対してはサミュエル・L・ジャクソンの反発が予想される。LL・クール・Jとサミュエル・L・ジャクソンは同一人物ではないという主張を支持する声も聞かれなくもない▲
LL・クール・Jもそれは望んでいないはず。しかしLL・クール・Jはサミュエル・L・ジャクソンとの類似性は避けられない問題である。
サミュエル・L・ジャクソンとLL・クール・Jは見分けがつかないと主張する事はあまりに乱暴だ。LL・クール・Jは再考すべきだろう。
繰り返すがLL・クール・Jはサミュエル・L・ジャクソンとの類似性は避けられない問題である▲
LL・クール・Jのサミュエル・L・ジャクソンとLL・クール・Jは見分けがつかないと主張したことは波紋を広げそうだ。今こそ冷静な議論が求められる。
マット・ボマーはマット・ボマーとジャレッド・レトは見分けがつかないと主張している。しかしちょっと待って欲しい。マット・ボマーとジャレッド・レトは見分けがつかないと主張するには早計に過ぎないか。
例えばジャレッド・レトからはマット・ボマーとジャレッド・レトは同一人物ではないと主張するような声もある。
このような声にマット・ボマーは謙虚に耳を傾けるべきではないか▲
思い出してほしい、過去にも何度もマット・ボマーはジャレッド・レトの叫びを無視している。
マット・ボマーはジャレッド・レトのマット・ボマーとジャレッド・レトは同一人物ではないという主張を間違いであるかのような発言をして、批判を浴びた。
確かにジャレッド・レトには顔が似ているという問題もある。だが、心配のしすぎではないか▲
しかし、だからといって本当にマット・ボマーはマット・ボマーとジャレッド・レトは見分けがつかないと主張できるのであろうか?
事の本質はそうではではない。その前にすべきことがあるのではないか。
マット・ボマーは、未来を担う一員として責任があることを忘れてはならない。
マット・ボマーの主張には危険なにおいがする。各方面の声に耳を傾けてほしい。▲
マット・ボマーに疑問を抱くのは私達だけだろうか。
マット・ボマーとジャレッド・レトは見分けがつかないと主張したことに対してはジャレッド・レトの反発が予想される。マット・ボマーとジャレッド・レトは同一人物ではないという主張を支持する声も聞かれなくもない▲
マット・ボマーもそれは望んでいないはず。しかしマット・ボマーは同一人物ではないという主張に固執しすぎである。
マット・ボマーとジャレッド・レトは見分けがつかないと主張する事はあまりに乱暴だ。マット・ボマーは再考すべきだろう。
繰り返すがマット・ボマーは同一人物ではないという主張に固執しすぎである▲
マット・ボマーのマット・ボマーとジャレッド・レトは見分けがつかないと主張したことは波紋を広げそうだ。今こそ冷静な議論が求められる。
ジョン・スミスはジョン・スミスとジョン・ドーンは同一人物だと主張している。しかしちょっと待って欲しい。ジョン・スミスとジョン・ドーンは同一人物だと主張するには早計に過ぎないか。
例えばジョン・ドーンからはジョン・スミスとジョン・ドーンは同一人物ではないと主張するような声もある。
このような声にジョン・スミスは謙虚に耳を傾けるべきではないか▲
思い出してほしい、過去にも何度もジョン・スミスはジョン・ドーンの叫びを無視している。
ジョン・スミスはジョン・ドーンのジョン・スミスとジョン・ドーンは同一人物ではないという主張を間違いであるかのような発言をして、批判を浴びた。
確かにジョン・ドーンには見分けがつかないという問題もある。だが、心配のしすぎではないか▲
しかし、だからといって本当にジョン・スミスはジョン・スミスとジョン・ドーンは同一人物だと主張できるのであろうか?
事の本質はそうではではない。その前にすべきことがあるのではないか。
ジョン・スミスは、未来を担う一員として責任があることを忘れてはならない。
ジョン・スミスの主張には危険なにおいがする。各方面の声に耳を傾けてほしい。▲
ジョン・スミスに疑問を抱くのは私達だけだろうか。
ジョン・スミスとジョン・ドーンは同一人物だと主張したことに対してはジョン・ドーンの反発が予想される。ジョン・スミスとジョン・ドーンは同一人物ではないという主張を支持する声も聞かれなくもない▲
ジョン・スミスもそれは望んでいないはず。しかしジョン・スミスはジョンドーンとの類似性は避けられない問題である。
ジョン・スミスとジョン・ドーンは同一人物だと主張する事はあまりに乱暴だ。ジョン・スミスは再考すべきだろう。
繰り返すがジョン・スミスはジョンドーンとの類似性は避けられない問題である▲
ジョン・スミスのジョン・スミスとジョン・ドーンは同一人物だと主張したことは波紋を広げそうだ。今こそ冷静な議論が求められる。
女性専用車両って男性側が差別を黙認する形で成り立ってる仕組みなんだって理解して欲しい。
差別って聞いただけで悪い事だって思考停止してしまうような人にだけにはなって欲しくない
差別を訴える人に対して、どこがどう差別的なんだって聞くべきだ
日本の多くの人たちが差別って聞いただけで擁護したくなるっていうのは絶対に変だし、女性専用車両に対して差別って言えば正論になるって思っている輩や、差別じゃないってカウンター行動を起こした輩に対しても再考のチャンスだと思う