はてなキーワード: 中高一貫とは
高知県の人口が70万人を切ったニュースで思い出した話がある。
超少子高齢化と人口減と都市地方間格差が進んだ結果、進学への情熱が薄れてきているという話。
そのためには私立進学校に行く。」というのがエリートのセオリーみたいなものだった。
だが今は、そんなセオリーが崩れている。
いや正確には「無理してまで良い大学に入らせようとは思わない」「そのために私立進学校に行く必要はない」
その前に、高知県の大学と高校(及び中高一貫校)の事情を説明しておく。
まずは高校。
土佐>=学芸>土佐塾(ここまで私立中高一貫)>追手前(県立)>その他県立高校とか明徳とか
であった。
それが今はどうだろう。
県立西高校と県立南高校が統合され、南西高校になるかと思いきや公立中高一貫の高知国際中学高校になった。
しかも母体の西高校の色もあり、英語教育に力を入れているスーパーなんとかハイスクールに指定されている。
昔ながらのThe私立進学校は、特色ある公立校に押されつつあるとみられる。
次に大学。
高知県にある4年制大学は国立大学法人高知大学と、高知県立大学、そして高知工科大学の3つしかない。
かつては高知医科大学があったが、高知大学と合併して高知大学医学部になっている。
更に機械や電気、情報といった工学系となると高知工科大学しかない。
受験難易度の点で見れば偏差値46程度の高知工科大学であればわざわざ難関私立進学校に入らなくても良い。
筆者は土佐高校の卒業だが、当時人気だった進学先のひとつは岡山大学であった。
同級生や年の近い先輩後輩の進学先ら帯広畜産大学から琉球大まであったし、海外留学していったのもいた。
ほぼ100%が進学志望なのは今も昔も変わらないと思うが、志望大学がバラエティに富んでいた。しかし今や地元志向が強すぎる。
もちろん地元高知大学の人気も高かったが、今はそれ以上に高知大学志望が増えているという。
「もうちょっと頑張れば、もっと良い大学に行けるのに」と先生が勧めても、
生徒や親が浪人を嫌がり、より確実性の高いところで落ち着こうとするのだ。
あるいは、「もうちょっと頑張れば」というなら理学部から医学部に進路変更する。
でも本当に医者になりたいのか?安定した職業を求めているのではないか?
言っておくが国立高知大学も高知工科大学も、決してチンケなFラン大学ではない。
だが、やれハーバードだMITだスタンフォードだ、東大だ京大だ、早慶だ阪大だ、
そして環境。圧倒的に人が少な過ぎて、異なる価値観に触れる機会が都会とは雲泥の差なのだ。
月とトイレの方のスッポン。多感な学生時代を、世田谷区人口にも満たない県人口の田舎で、刺激の少ない学生時代を送ることになる。
たとえば高知から東京の大学に進学するとなると、それだけで大変だ。
平均世帯収入の低い高知から、物価の高い東京で一人暮らしとなれば、不景気ないまおいそれと出せない。
筆者なんか6年も通ってしまったのだ、どれほど親に金を使わせたか。
余裕がないのだ。
一年浪人させて県外の良い大学にいくよりは、現役で高知大か工科大に行き、
県庁か市役所に勤めることこそが、堅実な将来であることに疑いはない。
でもそれで新しい時代が切り開けるか?
消耗しないように高知に残り、消化試合の人生は「負け」ではないが
超少子高齢化と取り返しのつかない人口減に対応するため、私立進学校も変革の時を迎えている。
ちなみに、土佐高校は昭和半ばからずっと1クラス50人×6クラスである。
どう考えても多すぎる。
学費を上げてでも人数を減らし、きめ細かい教育ができるようにすべきだ。
脱藩マインドが低い者は公立校に任せ、県外や海外へ送り込める少数精鋭の人材育成校に転換した方がいい。
冠する土佐藩の名に叶って欲しい。
・経済学部には行かせたくない
せっかく息子にお金をかけて大卒にしたのに、経済学部に行ってしまうと高卒女性の一般職と同じ制服を着て同じオフィスや事務所で働くことになる
・外国語学部には行かせたくない
せっかく息子にお金をかけて大卒にしたのに、外国語学部に行ってしまうと単位のためとはいえ留学という渡航をさせることになる
しかも通訳なんか高卒どん百姓の仕事で、そんなものに関わらせたくない
※翻訳ばかりするならまだまし
・文学部には行かせたくない
そもそも話にもあがらない
・法学部には行かせたくない
息子がオタクなんかはずかしい
※お上に弱い人だと「県庁や財務省は法学系の学生を採用する」というと一発で寝返る
「みずほ銀行や大和証券は法学系の学生を採用する」というとかなりの田舎もんが寝返る
・教育学部ならOK
教育学部なら基本男が多く、先生とも結婚しやすいっぽいので、教育学部進学なら応援するわ
※芸術学部とスポーツ学部は別枠、ただし、芸術家差別を知ってる親は芸術学部を嫌う
・工学部には行かせたくない
せっかく娘にお金をかけて大卒にしたのに、工学部に行ってしまうと高卒男性の肉体労働者と同じ作業服を着て同じ工場や建設現場で働くことになる
・農学部には行かせたくない
せっかく娘にお金をかけて大卒にしたのに、農学部に行ってしまうと単位のためとはいえ農業という肉体労働をさせることになる
しかも農業なんか高卒どん百姓の仕事で、そんなものに関わらせたくない
※実験ばかりするならまだまし
・理学部には行かせたくない
そもそも話にもあがらない
娘がオタクなんかはずかしい
※お上に弱い人だと「NTTや総務省は情報系の学生を採用する」というと一発で寝返る
「富士通やパナソニックは情報系の学生を採用する」というとかなりの田舎もんが寝返る
・薬学部ならOK
薬剤師は基本女が多く、医者とも結婚しやすいっぽいので、薬学部進学なら応援するわ
「女性は責任を引き受けられないから出世させるべきではない」「女性は頭が悪い傾向にある」「女性に学力を身につけさせるべきではない」みたいなことを一生懸命ツイートしてる先輩がいる。まあ別にいい。そういう主義主張もあるだろう。
ただ、その先輩は今ほぼ生身の女性との交流がなく(マイナー専攻の博士課程なんて人も居ないしそんなもんだ)、中高一貫の男子校出身で、かつ今まで彼女が一度もできたことがないということを俺は知っている。正直女性の何を知ってるんだ?と男の俺でさえ思う。大体研究者を目指す端くれとしてそんなんでいいのか。
先輩はどの女性を想定してそんなことを言っているんだろう。概念上の女性なのか。インターネットで女性という属性を憎む書き込みをしてる人は皆そうなのか。結構怖いんだが。
東大の文化祭に行ってきた。五月に行われるから五月祭という祭だ。
五月祭で出し物をするのは基本的には、この4月に東大に入学したばっかりの1年生のクラスと1,2年生が中心のサークル、あとは部活だ。
まあ部活も2年生が中心に出し物とかはするだろうから、出し物をするのは1,2年生が多いって感じだろうか。
東大の文化祭では、ブサイクな男と可愛い女子が一緒に歩いている率が異様にたかい。
もちろん自分の女子の可愛いラインは一般的な水準よりは高いかもしれないんだけど。
でもそれにしてもブサイクな男と可愛い女子が一緒に歩いている率が異様にたかい。
なんでだろうか?
いろんな組み合わせが考えられる。
(この女子は東大の物珍しさにきているのだろう。決して男子のことを狙っているわけでもなく、デートのつもりでもないのだろうが、一緒に歩いている男はなんか俺は可愛い子を連れてるぜ感を醸し出していてキモい)
(インカレサークルの子の気持ちになって考えたとしても、いくら東大生とはいえ、ブサイクなやつはいやだろうになんで一緒に歩いてるんだろう。東大の1年生は大抵ファックスをちょいつけすぎぐらいでいっちょまえに髪染めてるのにファッションを意識し始めているのはいいが、だいたい襟足が長いとか、耳の横の髪が長いとか、あとは肌が汚いとか、服がダボダボすぎるとかキモいの多い。理系で女の子は無縁ですみたいな感じの東大生がそういう格好をしているのはむしろ俺は好きなのだが、単純な嫉妬だが、可愛いインカレの女の子と歩いて調子に乗っているのに、顔がキモくてファッションもダサいやつはうざい)
東大女子も顔おわた。。。って感じの人も結構いるけど、可愛い人も多いと思う。昔はネットとかがなくて友達からしかファッションとかの情報を仕入れることができなかったせいで勉強をしているグループに属しがちな東大女子はダサい子が多かったのだと思う。あとは、昔はそんなに格差もなかったからお金持ちの親とかあんまり関係なく、頭がいい人が入っていたから、顔に特段恵まれている人は少なかったんだと思う。でも今は、ネットがあるので、簡単にメイクの仕方とか動画で観れるし、あとは東大に入るのに金がかなり重要になって、親が金持ちであることが重要になってきたから、金持ちの男と綺麗な女の子供として生まれてきた東大女子がまあまあの確率で可愛い感じなのは納得がいくかなという感じ。うちも完全に金持ちの男と綺麗な女の子供としてまあまあ顔の整った俺が生まれて、親の金の力で塾行って私立の中高一貫に通って東大入ったって感じだから。
(これはまあいいか、さらにいえばこれが母集団に占める割合は1,2に比べて低いと思う。一応結構いるって書いてみたけど本音をいうと可愛い東大女子なんてほとんどいないからねwwwwwwwwwwwwwwww、だいたい肌が汚くなて普通の顔か、肌がきれないブス。あとは肌が汚いブス。せめて化粧をしてほしい)
あと、これ書いてて思ったんだけど、1,2の女子ってだいたい顔可愛くて、スタイルもいいし、オシャレなんだけど、肌を露出しすぎというか、男を狙いにいっているのが見えてキモいなと思う。
ブサイクでも可愛い子と一緒にいれるのは楽しいだろうな。ブサイクだけど。
俺の悪いとことしていつも顔のことをいってしまう。例えば金持ちだよみたいなのが出てきても、でも顔キモいじゃんみたいな。
よくないよね。直したいなぁ。
世の中には「オシャレな人」と呼ばれる人種がいる。その人たちはモデルかもしれないし、流行に敏感なのかもしれないし、はたまたた自分の好きな格好をしているだけなのかもしれない。
しかし私からしたら、「オシャレな人」までいかなくとも「普通に可愛いorカッコイイ格好ができてる人」「普通に自分に似合う格好ができている人」はみんな「オシャレな人」なんだと思っている。
なぜなら、私は「“元”ダサい人」だからだ。今でも不安になるが、「普通にオシャレな人」くらいにはなれていると思っている。
なお、ここでは「そもそも普通とはなんなのか?」という議論は表題とかけ離れるため追求はしないでいただきたい。
興味ねぇーよ!って方も多いと思うが、しばしお付き合い願いたい。
私は三姉妹の長女で中高一貫の女子校に通っていた。(先に言っておくが、決してお嬢さまなどではない。読めばわかる。)そんな女子にまみれた生活をしていたにも関わらず、洋服にも化粧にも何一つ興味を持てなかった。
興味があるのは漫画とアニメと声優だけという所謂オタクであった。類は友を呼ぶもので、仲の良い友人たちも基本的には私と同じようなスタンスであった。そして残念なことに私はオシャレな同級生からはことごとく遠巻きにされるタイプであったのだ。
自宅では中高生が化粧は早いという母親の考えから化粧に関する知識は何一つもたらされなかった。服装のダサさを母親と妹たちから罵倒されることはあっても、だからと言ってこういうのが似合うとか、今の流行りはなんだとか、そういうことは一切教えてくれなかった。
そんな状況でオシャレが好きになれるはずもなく、オシャレに興味もなければ、何がオシャレなのかわからないまま中高時代を終えてしまったのである。
中高と違い毎日私服で通う大学は新鮮だった。一目で誰がオシャレなのかわかったし、ほとんどの同級生が化粧をしていることにも驚いた。化粧品が好きで集めるのが趣味、なんて子もいた。カルチャーショックである。
そもそも化粧品にまともに触れてこなかった私には<化粧品が好き>という感覚がわからなかった。え?そもそも化粧品なんてファンデーションと口紅しか知らないですよ?
だから、聞いてみた。なんで化粧品が好きなの?「お母さんが好きなんだよね〜!」
そんな私にさらに衝撃の走る事件が起きた。なんと、久しぶりに再会した中高の友人たちがみんな化粧をしているではないか!なぜ!
だから、聞いてみた。どこでお化粧を覚えたの?「お母さんが教えてくれたよ〜!」
(そうか…みんな母親の影響を受けるんだな……女の子にとって母親の影響ってすごいんだな……)
私はしみじみとそんなことを思っていた。では、私の母親はどうであろうか。
「大学生にもなって化粧もしないなんて!せめてバイトぐらいはしていきなさいよ!」
高校生が化粧しているのを見てグチグチ言っていた母親の口からそんな言葉が出るなんて。
しかも、「そもそもやり方がわからない…」そう答えた私に彼女は何も教えてくれなかった。
後日判明したのだが、母親は化粧は高校で習ってきたと思い込んでたらしい。母親の時代は高卒で就職する子も多く、学校でオフィスメイクの授業があったらしい。しかもわざわざ資生堂の人を呼んで。しかし、中高一貫の進学校にそんな授業はあるはずもなかった。とんだ思い違いである。
しかしそんな私も今は「普通にオシャレな人」になれたと自負している。きっかけは友人たちだった。
大学、そして社会人になってからできた友人たちは、オシャレに関心のある子たちが多かった。その子たちは私のオシャレへの興味の無さを心配して、似合う格好や最近の流行り、化粧品の知識などなど私に叩き込んでくれたのである。
その子たちに感化され、私もオシャレに興味が湧いたし、何より楽しいと感じることができた。今ではちゃんと自分で情報収集もするし、自分に似合う格好や色も知っているし、お化粧だってする。友人たちには感謝しかない。
大抵の女の子は一番身近な母親から、または私みたいに友人たちから、オシャレとはなんぞや?ということを学んでいくのだと思う。男の子だって例外ではないだろう。
もちろん、母親や友人だけじゃなく父親の影響を受けた人もいるだろうし、雑誌やテレビのモデルに影響された人もいるはずだ。
そうやって影響されて、自分なりのオシャレをしてみた時の周りの人たちの反応が私は一番重要だと感じている。
「今日すごくオシャレだね!」
「その格好も良いけど、私はこの前会った時の方が好きだな!」
と、そう“ポジティブ”に返してくれるだけで嬉しいのだ。
そういう言葉かけをしてくれる人が周りにいるか。それはオシャレをする上でかなり重要で、そうやってその人なりのセンスが磨かれていくのだと思う。それに、ただその一言が、その人の肯定感にも繋がってゆくのだ。
ここまでを通して私は
と感じたのである。
もし自分の周りで、最近オシャレを頑張ってるな、いつもオシャレに気を配ってるな、と思う人がいるなら、ぜひ一言声をかけてあげてほしい。
東大京大は、才能のある人間をできるだけ漏らさず発掘できればそれでいいのだ。
才能は貧富の差にかかわらず分布していると考えられており、学習指導要領にしたがった公立学校の勉強をしっかりやれば、才能があれば東大京大くらいは普通に受かるようになっている。授業料の無償化くらいのセーフティーネットもある。
雑魚が中高一貫私立などで受験対策をやって合格しても、東大までの人になってしまうが、そういうひとは民間に就職するので、それはどうでもいい。
それによって有利な就職をしたとしても、それは単純な階層の再生産であって、財産の相続とあまり変わりがない。
なんとなく自分と切り離した方が良いと思ったのでここに書こうと思う。
今回、祝福する気持ちが全く湧いて来ず、いいねも押せず、かと言って自分には何も影響はないので批判する気持ちも起きず、不思議な気持ちで他人のおめでとうをただ見ている。
大変な事だとは思う。勉強も沢山したと思う。色々な人に会って、あるいは街頭に立って、一生懸命に支持を訴えたんだと思う。
でも例えば、物静かな同級生にラグビーのヘッドギアをかぶせて、
「麻原彰晃!」 ※参考 google:image:麻原彰晃 ヘッドギア
と言ってゲラゲラ笑っていた性根の男が議員になりましたと言われても、という感じ。みんな忘れてしまったのか。
そう言う自分も記憶が薄れていて、クラスのgoogle:陰キャを片っ端から嘲笑し、罵っていた(でも暴力は振るわないから問題にならない)のは覚えていても一つ一つ何をしたかは思い出せないし、自分にされた事でさえ忘れかけている。中学で月の小遣いが500円しかない事をバカにされたり、高校生にもなってデク( google:室岡 仁 の方)と呼ばれてバカにされたりというかわいい方(?)はまだ覚えていても、中高一貫バカにされ続けて他に沢山あったはずの事を思い出したくないのか、残っているのは傷ついたという気持ちだけで。
もちろん未熟な少年のやった事で、自分も違う面でもっと至らない人間だったかも知れないけれど、たとえ覚えてなくても何らかの形でされた事は消えないというか、不起訴になったら事件じゃないけど、被害者が被害者じゃなくなるわけじゃないというか。あれ何かとつながった気がする。
オチがないのでここら辺で止めようと思うけれど、まあ政治にしろキャリアにしろ、人を思いやる気持ちはむしろない方が良い方に転がるのかも知れない。生き残る事は大変な事だし。いっそ学校のいじめ問題にいけしゃあしゃあと取り組んだりしてくれると趣が深くなって良いのかも。
google:ケーキを食べればいいじゃない 。うん、甘いものでも食べるか。
言わんとすることはわかるし実際その通りだと思う。
ただ、彼ら東大新入生が今までどのような人生を歩み、その過程でどういった経験を積んできたかについても、また世の中の理解が足りていないんじゃないかと正直思ってしまう。
東大に限らず、京大も阪大もそれから医学部も、中高一貫の進学校出身者がかなりの割合を占めていることは言うまでもない。クソ田舎でもその県では並ぶもののないトップ校だったりする。
その集団でも明らかに別格の奴、勉強以外の一芸にも秀でた奴、才能は凄いのに勉強は嫌いでいまいちくすぶってる奴、逆にどうやってここ入ったんだみたいな奴。
中には6年間全くと言っていいほど勉強せず、最終的に日東駒専レベルにまで落ちぶれてしまう奴だっている。
つまり彼らは「間違いなく一定以上の環境を与えてもらいながら努力を放棄し、自らの意志で中だるみした」連中だけは、個人名をいくらでも挙げられるレベルで目にしてきたわけだ。
「俺/私にだってまともな環境さえあればいくらでも努力したのに!」というありがちな叫びが、その実どれほど信用に値せず、単なる口だけの言い訳に過ぎないか。
それを彼らは20歳前後の時点で恐ろしいほどよく理解しているんだよ。
努力が報われる環境をありがたく思えっていうのはそりゃそうだろうよ。
でも例えそんな環境に恵まれたとしても、そこで努力を継続できることは誰にでもできることじゃないし、誇っていいじゃないかと思う。
これで自己責任教に走らないのがいたら本当立派だよ。
https://anond.hatelabo.jp/20190413013400
それらを知りもしないはずの上野氏に「環境のおかげだったこと忘れないようにしてください」などと言われる筋合いはないだろう。
まさに「自分達にはどうしようもない事柄に関して責め立てられている」ように感じさせているのがこの祝辞の1つのキモだと思う。
東大の入学式はどうやら今年も武道館で行われたらしいが、入学式より前にもろもろの歓迎を受けて、「武道館で入学式とかすげえ」とかふわふわとしている新入生からしてみれば、祝辞(おそらく退屈な祝いの言葉が知らないひとからだらだら聞かされるのだろう)に全くらしくない言葉を聞かされるわけだ。「何だコイツ」ってなるだろう。異物との遭遇だよね。そういう意味では、この祝辞がいきなり医学部入試不正の話から始まるのは、違和感を置く意図が感じられて好ましかったりするが、まあそれはヨイ。
異物と出会うのは誰か。
とあるが、この祝辞は少なくとも、新入生の8割を占める「男子学生」に向けられたものであることは間違いないんじゃないかと思う。たとえば、「彼女は頭が悪いから」に言及したところで、
という言葉が出てくる。これは東大の男子学生はどうだ、ということではなくてあくまで「どんな目で見られているか」という話だ。もちろんそれは「大きなお世話」で「知りもしないくせに」であって、基本的には「自分達にはどうしようもない事柄」だ。東大生のうちある程度の割合は、所謂中高一貫の男子進学校から入ってくる。これは彼ら個人から見たときに「自分は特別である」という認識よりもむしろ「トップではない」自分を認識する時間のほうが長かったことを意味している。地方公立小中→県トップの進学校とずっとトップであった学生とはまた自己認識が異なるだろう。彼らからすれば彼らは「ふつうの人」で、それは誰にも否定できないものだと思う。だから、やはり上野千鶴子の祝辞は理不尽ないちゃもんであり、何割かは「怒り」(これはこの祝辞のキーワードのひとつになっている)を覚えただろう。
そして、上野千鶴子はこの祝辞の中で彼女が「怒り」によって駆動されてきたと語っている。自分語りも混じっているようにも聞こえる。「息子は大学まで、娘は短大まで」のとことかね。上野千鶴子は1948年生まれの富山の田舎出身らしい。ほぼ同じ世代の人間(まあ俺の母親なわけだが)を知っているが、彼女は京大ではなく東京の女子短大に行って田舎に戻ってきて結婚して子供を産んだ。頭の回転が速く人当たりも好い方で、女子短大を選んだ理由はわからないがもしかしたら「娘は短大まで」があったのかもしれない。
理不尽なもの、異物をまず最初にぶち当てられる。「なんで?」は怒りでもあり、知ろうとする好奇心にも接続される。この祝辞内ではまた、その感覚は学問(「知」という形状)に広がっていくと実例が請け負っている。学びの場への「ようこそ」(初回の講義)としては、やはり名文なのではないだろうか。
確かに大学の都市部出身者は、増田みたいに中高一貫の名門校から来た奴が多かったな。
でも地方校から来た奴らには、こういうタイプが自分以外にもいたよ。
だから増田がどこの大学に進んでも、遅からず田舎者かつ貧乏人には遭遇しただろうね。
新宿区で生まれ、その後は23区外に引っ越したが、ずっと東京都内から出たことはなかった。
小学校受験をし、私立の小学校を卒業し、そのまま中学受験をして、いわゆる御三家に合格し、中高一貫の女子校を卒業した。
まさかそこでここまで大きなカルチャーショックを受けるとは思っていなかった。
私は自分がいかに世間知らずだったかということを全く知らなかった。
まず、初めに、医学部生同士での「親って医者なの?」という会話に驚いた。
喉元まで出かかって飲み込んだ。
私の周りの医学部志望生は、7〜8割は親が医者であり、親が医者であるかどうかを確認する文化がなかった。また、親が医者でなかろうと、会社の社長だの外交官だのばかりなので、「あ、そうなんだ。」くらいで終わりだったのであるが、ここでは違った。
非常に面食らった。
まず今までの人生で親の所得の話になったことが一切なかったことに気がついた。
なんとなくタブーのような、下品なような、お金の話をするという文化が存在しなかったし、他人を「金持ちだから羨む」という人に初めて出会った。
そして気がついてしまった。私が今まで通ってきた道は、『子供の教育費に月7-8万の学費を払い、かつ年100万近くかかる塾に通わせることのできる所得の親を持つ人間しかいない世界』であったということに。
加えていうと中高一貫の女子校ではバイトが禁止されていた。(している人は一人もいなかった。)
私自身小4〜6まで塾に通い、高2〜浪人1年間もまるまる予備校通いをしている。
かかった学費のことを親は何も言わない。
「医学部に受かってよかった。」
それだけである。
またさらにびっくりしたのが、
どこかに遊びに行こう!となった時に
と言われたことだ。
「お金がない」という理由を遊ぶ時に持ち出すという文化に触れてこなかったように思う。
遊ぶ時にかかるお金は、その思い出に対して支払うものであり、いくらになろうと楽しければ構わないし、やりたいことをしてきたと思う。(というと高級ホテルでランチビュッフェに行きまくっていたかのような印象だがそういう意味ではない。)
遊びたい時に、「何をしたいか」ではなく「予算」が先に来る文化。
そんな文化があることも知らなかった。
というかむしろ、うちの親は常に「うちは開業医でもないし貧乏だから節約しないと」と言っていたので、私はどっちかというと貧乏なんだな。と思って生きてきていたのである。
現にユニクロ大好きだし、特売も大好きだし、ポイントカードもめちゃくちゃ持っていて端からポイントを貯めている。
田舎とはいえ、本気の田舎では多分ないのだろうが、はっきり言って今の暮らしは本当に耐えられない。
友達と遊ぶ時はテレビか雑誌で特集していた店に行き、大きくなってからは食べログの評価が高い店を探し、予備校終わりに疲れたら伊勢丹に寄って化粧品を買ったり、ルミネセールで爆買いしてみたり。
レビューがなさすぎることで、食べログで店を探すことがこんなに困難になるとは知らなかった。
地方都市なんだからデパートくらいあるでしょうというが、私は新宿伊勢丹で先行発売の化粧品を、エムアイカードのポイント10%還元を利用して購入したいのであり、そのついでにフェラガモの靴を物色したり、グッチの新作にケチつけたりしたいのである。
前にトリーバーチの靴(一番スタンダードな、黒の革靴に金のトリーバーチのロゴが大きく付いているやつ)を飲み会に履いて行ったら、「その靴イトーヨーカドーで売ってるみたいだなww」と男子に言われて本当に驚いた記憶がある。
他人の持ち物(しかも靴などという少しこだわっていそうなもの)を平然とけなす神経と、トリーバーチすら知らないということに対する、二重の驚きである。
地元でずっと一番で、県で一番の高校を出て、この医学部に入ってきていた。
小さい頃からずっと「頭いいね!」「すごいね!」と言われ続けて、ピノキオみたいに鼻が伸びて育ってきている子ばかりなのだ。
何か言えば尊敬され、常にリーダー格として君臨してきた人たちばかりなのだ。
でも私は知っている。
たかだか地方の医学部に、賢い人間なんていないのだ。本当に賢い人は、理三だの、ハーバードだの、そういうところにいるのであり、
医者になるとか、ならないとか、そんな次元のところにはいない。
私たちはちょっとだけ努力するのが上手だったか、ちょっとだけ記憶力が良かっただけなのだ。
夜になると一人暮らしの部屋で本当に世界から取り残されたような気持ちになる。
私が今まで「当たり前」だと思ってきたことは、当たり前ではなかったのだと思う。
うちの親が「危ないから、事故った時に死なないように、強度のある車を」と言ってくれたから乗っている車でも、「目立つこと」の方が悪なのだ。
「昨日、コンビニにいたね」
いちゃダメなんだろうか。どこで何してもいいでしょう。万引きしてるわけじゃないんだから。
東京は、何をしてもいい。
何をしても、誰も何も言わない。
近くに住んでいても、知り合いに会うこともない。
早く卒業したい。
早く東京に帰りたい。
生まれ育った土地が自分には一番合っているというだけなのに、田舎と東京の話に置き換えている私はきっと性格が良くないのだと思う。
だからこっそり、ここに書く。
キモ・オタクの女性蔑視について、侃々諤々の議論が交わされている昨今ですが、キモ・オタクな僕はご多分に漏れずミソジニー的な気質があります。
僕は中学受験をして東大にいっぱい入る中高一貫男子校に入学しました。そこで中高時代を楽しく過ごし、浪人することなく東大に合格。大学では体育会系、いわゆる運動会の部活に入りました。就職活動では首尾よく第一志望の企業に通り、学部卒で就職。今は一流企業でサラリーマンをやっております。現在は社会人にも関わらず、童貞として日々粛々と生きております。振り返ると中高時代には全く女性蔑視などしていた記憶はありません。しかし、今は完全に一定の女性を蔑視していると思います。
僕は中高時代、塾でプリントを回す時以外女性との関係がありませんでした。というか、そもそも塾でプリントを回すことは果たして女性と関係する事なのでしょうかね。要するに、僕は大学入学直後に小学6年生女子以来の女性との衝撃的再会を果たすのです。それが女子大の女です。新歓のために東大の中には大量の女子大の女があふれていました。想像できますか。小学六年生女子と東大に入るためにゴリゴリ勉強している制服姿の女性しか知らなかった人間の目の前にめちゃくちゃマブい女子大の女がいるんですよ。しかもマブい女子大の女たちは嬌声をあげてイケてない東大生と楽しそうにしている。僕はもちろんそんなイケてない東大生よりイケてない新入生だったわけでありますけども、本当に、グロテスクで気持ち悪いなと感じました。小学6年生の頃は「友達」だった女性という存在が、「女子大の女」になっていた感覚分かりますかね。
突然ですけどインカレサークルっておかしくないですか。いやもちろん色々な大学から同じ志を持つ人が集まってきているインカレサークルもあるんだという主張はあると思いますが、ここで僕が言いたいのは男余りの高偏差値大学と女しかいない女子大との間で作られる、本質的にはセックスサークルでしかないインカレサークルの話です。おかしいですよね。大学生活で入るサークルがセックスサークルって気持ち悪いですよね。しかも女子大の女は慶應とのインカレじゃなくて東大とのインカレを選んでるんですよね。慶應生はイケてて自分とは釣り合わないけど、東大生くらいのキモ・オタクだったらちょうどいいかなって選んでるんですよね。しかも日大とかのインカレサークルじゃなくて将来的にそこそこ稼ぐであろう東大生とのインカレサークルを選んでるんですよね。テニスサークルとかフットサルって分かりやすいというか、陽にセックスサークルでもうそれはいいんですけど、インカレボランティアサークルみたいなの。マジで、なんで東大と女子大でインカレしてボランティアするの?東大のボランティアサークルに入ってそうな男ならイケるかなみたいな。いや本当に俺の頭がぶち壊れてるのは十分承知だけどもそう感じてしまったものはもう無理。18歳の女の子が若い女性性の持つ魅力をフルに活用して将来にわたる安定を得ようとしているのって、世間からは純粋異性交遊と目される建前の整った、実質風俗じゃないですか。いや本当にそうじゃないことは理性的には分かってます。そこには男女ではなく人間的な交感があった上でのやり取りがあり、東大生ならだれでもOKみたいな事ではない難しい男女関係があり、その上で交際が成立して素晴らしい愛が育まれていることなんかわかってるんですけど。
結局僕は部活に入ったのでその後女子大の女との本質的な交流があったわけではないです。女子大の女どころか東大に在学している女性さんともほとんど交流はなかったです。ただ上記の女子大の女に対する嫌悪感だけがブクブクと膨らんでいき、女性全般にかけて低く見るようになりました。
社会に出て世間の女の子は尊敬に値すべきで皆さん人間として優れていらっしゃるという事をはっきりと感じるようになりました。もちろんそうでない女性もいますが、それは男性とて同じことです。
しかし女子大の女に対する気持ち悪さだけは消えることがなく、先日女性を紹介されて、その子が女子大出身だと知ったときに吐きそうになってしまった自分の壊れた頭は今後どうなるのか不安になったので駄文を書き連ねました。案外書いて見ると気持ち悪くない気もしてきました。人間は素晴らしいですね。
自分は公立校出身だったので地元民の友人も多かったから一緒に成人式に出たりしたんだが、今どきの子供はどうすんのと思う。
私立の中高一貫とか行ったら地元で友人がいないのでは?知り合いのいない成人式には出づらいのでは?私立学力重視の現代って同じ層の人とは繋がりやすいけどいろんな背景のある地元の人々とは関わりが持ちづらいのが大変だよな。
同じ私立の友人かつ同じ自治体に住んでるやつと一緒に成人式行くんかな。それも限られた人数ぽいしあんまり楽しめなさそう。
ワイの旦那さんはがっつりその例に当てはまる人で成人式出なかったこと後悔してる。
増田やってる学生達はとりあえず成人式は出ておいたほうがいいよ。人生で一回しかないイベントだからね。オッサンはなんか成人式の思い出話しでもして若者たちのモチベあげてくれる?
うちの子の小学校も別の学年に強烈なのが一人いて荒れまくってるそうだが
うちは私立中学受験は全然盛んではなく大多数が学区の公立中行く地方だが
恐らくその荒れてる学年が中学生になったら(その強烈なのが引っ越しでもしない限り)同じように荒れるんだろうし
そいつを避ける為に別の中学(私立受験以外に公立中高一貫受験や別学区に越境するという手もある)に行かせる親もいるんだろうなと思う