はてなキーワード: ライブとは
――東京芸大作曲科、同大学院ではどんな学生生活を送っていたんですか。
(中略)
「こんな出来事がありました。新宿でライブをした後、翌朝まで飲み明かし、甲州街道のあたりを酔っ払って歩いていたら、喫茶店のガラスケースがふと目に入った。その中にあるスパゲティやパフェなどの食品サンプルがホコリだらけで汚れていたので、僕にはどうしても許せず、いきなりガラスを蹴りつけて壊してしまった。
『よし、これで世の中から醜いものを消し去ったぞ』なんて意気揚々と歩いていたら、器物損壊で警官に捕まったんです。
そもそもメジャーの場に出てくるなら顔を晒す覚悟くらいは必要でしょと思っていたからだ。
シンガーソングライターなどで顔を出さないタイプのミュージシャンもいるが、そういう種類の人でもないだろうとも思っていた。
ネット上では歌ってみたで済むけどたくさんの大人とお金が動く世界では本人だけの都合ではなかなか通らなくなる。
そこをわがままするなら例えば「自分で曲作ってるし」とかの武器を自分で持ってないといけないと思うのだ。
結局Adoの場合は「顔は出したくない」けど「メディアへの露出は求められてる」の板挟みからの折衷案みたいな感じで「檻の中で歌う影」となった。
Ado本人もなんかかわいそうに見えたし、演出としてもそこになんのコンセプトも感じなかったからだ。
ライブの場合はファンはそれでも生で歌が聞けるという楽しみができるので、一切露出しないよりはずっといいのだろうけど
同時にファン心理としていつまでも姿は見えない状態はストレスがたまっていくんじゃないかという勝手な不安も感じた。
しかし自分の中でそのネガティブな印象が変わっていくきっかけになりそうな2ndアルバムの宣伝イベントがAdo本人のアカウントで発信された。
詳しくはXの投稿を見ればわかるがなんと「握手会」をするというのだ。
投稿には丁寧に握手会がどのように行われるかのイラストも載っていた。
それをみると大きな箱の中にAdoが入っていて、箱に空いた穴から手だけ出してる。
さすがに笑った。
これはなかなか痛快だ。
穿った見方をすればもう開き直りのような、(良い意味での)バカバカしさがある。
正論で言うなら、
そもそも存在感が希薄(思い浮かべる顔すらない)なのに中身が確認できない相手にはたして握手してもらって嬉しいのか?
などいくらでもつっこみどころはある。というかつっこみどころしかない。そこが良い。
今までなんかモヤっとするとこがあったけど、これに関してはなんか吹っ切れてていい。
タイプはまったく違うんだけどSIAはコンセプチャルな顔の隠し方をしている。
それは本人が顔出ししたくないとかいうより、ビジュアル面での個性の出し方って感じだとは思うんだが(一種のコスプレみたいな感じ)
Adoの場合も「顔を出さないアイデンティティ」みたいなのを思いっきり振りかぶっていけば、一種それがもうネタ化して面白がれる域までいくんだろうなと思った。
自分は別にファンでもなんでもないけど、ネットをルーツに持つ人達頑張れと思ってるとこがあるんで、Adoの事も時々チェックしていた。
そしてこういう軽やかなスタンスでの活動を見ると嬉しい気持ちになる。
あのグロテスクなTV演出とは全然違って見えた。やっぱり逆手に取るというのはクールだ。
まあこんな事言って後々「あの握手会、ほんとはすごくやりたくなかったです」とかAdoの口から出てきたりしたら悲しいが。
でもなんとなくAdo本人も自分の事をネタっぽく俯瞰で見ながら、自分のやりやすいやり方でやっていくんじゃないかって感心した。
デューデリジェンスはやめた方がいい。違う。買収監査ってなんですか?ここで言うDDとは誰でも大好きというアレである。
というわけで、推し増しはいいことですとかいう説があるが普通に愚策なのでやめた方がいい。
2022年の夏ごろからちょっとハマりだした某声優がいたんだけど、それまで名前と顔だけ知ってる程度だったのがひょんなことから本格的に追うようになって、番組見たりしてた。まだイベントとかそんな出る人じゃなかったから、ボケーっと眺めながら手紙を送ろうとした矢先に事務所を退所してしまった。
えー送り先消滅しちゃったやん・・・と思ってたら数週間後にどでかい発表があった。バチクソ超大手事務所に移籍した。
お~仕事増えるやん!実際移籍した瞬間鬼のように仕事が増えた。普通に深夜アニメのレギュラーはバンバン決まり、イベントにもガンガン出て、ありえんくらいコンテンツに所属してなんかユニットめっちゃ組み始めた。
ここで俺はある答えにたどり着いてしまった。時間と金が足りないことに・・・
DDをやっていると、どうしても愛の大きさに優劣をつけることになる。イベントが被った場合、どうしても金の工面がこれ以上できない場合、単純に行く気があるかないかは、「今まで推してきた時間」が決め手になるか、「とにかく今好きな子への愛」が決め手になるか、まあそんなとこである。
一応好きな女性声優数名のところには平等に行けるように調整してこの子のイベントとか舞台にも行ってたつもりではあるんだけど、どこかで破綻するのはもう時間の問題であった。
そして2024年に入り、また新たなコンテンツに所属したり映画の声優まで務めるようになった。アニメの先行上映会とかコンテンツのリリイベとか、とにかく安価で時間の拘束も短い現場に行ったりしてたんだけど、そのコンテンツのライブへ行くに至るまではできず(履修にとてつもない労力を要すため)徐々に「置いて行かれてる感」が出始めた。
そもそも女性声優への応援行為にタイパだのコスパだのを求めだしたら終わりである。俺は間違っている。皆はマネしないように。
一方その頃ほかの声優とは関係値をさらに深めており、この子に対してだけ「俺は何のために追っている?」「この子のためになれているのか?」という状態が続いた。
番組を見てても最近のライブとか舞台挨拶の話だし、疎外感を感じており(行ってないのが悪いのだが・・・)、メールも半年以上採用なくなっちゃたし、このまままたリリイベでも行こうもんなら「ライブとかには来ないくせに接近戦だけ来る典型的なイナゴ」認定を受けるのがオチであり、しんどくなってきた。
ここまで大風呂敷が広がると、もはや他の声優を追っているようじゃすべてを追うのは不可能なのだ。この子一人にすべてを捧げる相応の覚悟が必要なターンに入るくらい売れた。
推しの仕事が増えるのは良いことであるが、自分は結局、自分のボーダーラインスレスレで仕事をし続ける女性声優のような何かを応援したかっただけなのかもしれない、と最近思う。
なんか売れた瞬間身を引く人っているよね。あれの気持ちがちょっとわかり始めたかもしれない。じゃあ仕事がないやつを追ってろって話だ。なんやこいつ。人間収入と支出には限界があるし、土日は48時間しかない。優先順位をつけたときに、無意識に「下」に落とす声優はどうしても出てきてしまう。
ので、他の女に時間と金を割くのは良くない。一人と真摯に向き合うべきである。DDはやめた方がいい。
中途半端に応援するって最終的に自分の首を絞めることになると思う。「この子は好きだけどあのイベントには行かない」みたいな確固たる信念を持っているならいいと思うし(現に自分もそういうのあるので)、ここで一区切りついたかなっていう具体的な節目があってそこで身を引くのもいいと思う。そういうのが自分の中で作れないと、いつまでもゾンビみたいになってしまう。
ところで他のコンテンツの履修がだるいので俺はいつまでたってもアイマス声優という呪縛から逃げられずにアイマス声優に収束してしまうのかもしれない。怖くなってきた。アイマスから逃げたい。
今では誰もが何かを検索するためにソーシャルメディアを利用しています。レストラン、コース、洋服店など、文字通り、あなたが欲しいものはすべてソーシャルメディアだけでなくGoogleでも入手できます。人々はソーシャルメディアを娯楽のためだけでなく、何かを知ったり、世界で起こっていることに関する情報を入手したりするために利用しています。たとえば、最新のニュースはまずTwitter (X)でトレンドになり、次に他のソーシャルメディアプラットフォームでトレンドになります。私自身、何かを検索したり購入したりするためにソーシャルメディアを使用することがあります。ソーシャルメディアに関する私の個人的な経験はかなり良いものです。
検索エンジンは、インターネット上で何かを検索したい場所のようなもので、探しているものを見つけるにはキーワードを入力するだけです。ソーシャルメディアが登場する前は、Googleが世界をリードする検索エンジンでした。「ソーシャルメディア」が検索エンジンだと言っているのではありませんが、正直に言うと、私たち人間はソーシャルメディアを検索エンジンにしてきました。頭に浮かんだものはすべてGoogleで検索していました。実際、ソーシャル メディアが登場する前の時代には、何かを検索することを「グーグルで検索」と呼んでいましたが、現在ではソーシャル メディアは検索エンジンとも呼ばれています。検索すると、グラフィックとともに多くの回答が得られるからです。
しかし、このソーシャル メディアを検索エンジンとして利用しているのは、ジェネレーション Y とジェネレーション Z です。テクノロジーが変化するにつれて、テクノロジーの使用と理解に対する人々の認識が一変しています。これらの世代の人々は、娯楽を楽しむためだけでなく、人々とつながり、創造性を披露し、群衆から目立つために、ソーシャル メディアを大いに利用しています。
しかし、ソーシャル メディアはどのようにして検索エンジンになったのでしょうか。
Facebook、Twitter、Instagram、LinkedIn などのソーシャル メディア プラットフォームには、膨大なクリエイティブ コンテンツを毎日投稿する数十億のユーザーがいます。このユーザー生成コンテンツには、投稿、コメント、画像、動画などが含まれており、ソーシャル メディアは豊富な情報のリポジトリとなっています。
ハッシュタグ、キーワード、高度なフィルターを使用すると、検索に関連する情報を取得できます。たとえば、Twitter の高度な検索では、日付、場所、エンゲージメント メトリックでツイートをフィルターできます。ソーシャル メディアの利点の 1 つは、わずか数秒でリアルタイムのデータを提供できることです。そのため、ソーシャル メディアは最新のイベントを把握するための貴重なツールとなっています。視覚的に説明されると、人々はすぐに理解します。そのため、Instagram、Pinterest、YouTube は、テキストではなく画像や動画に基づいてコンテンツを見つけることができるビジュアル検索で人気があります。ソーシャル メディアの検索結果は、コミュニティのエンゲージメントとソーシャル バリデーションの影響を受けることがよくあります。いいね、共有、コメント、リツイートは、コンテンツの品質と関連性の指標として機能し、ユーザーが最も人気のある信頼できる情報を見つけるのに役立ちます。見てみましょう:
ソーシャル メディアの検索エンジンは、ユーザーの興味、ソーシャル コネクション、以前のやり取りに基づいてパーソナライズされた検索結果を提供できます。たとえば、フード リールを見るのが好きな場合、Instagram は好みに関連するリールをもっと表示します。このパーソナライズにより、見つけた情報がユーザーの好みやニーズに関連していることが保証されます。ソーシャル メディアはリアルタイムの直感を提供するため、ユーザーは最新のニュース、トレンド、更新にアクセスできます。ソーシャル メディアで検索すると、さまざまな視点に出会うことができ、問題やトピックのさまざまな側面を理解するのに役立ちます。ソーシャル メディアの助けを借りて、世界中の人々のさまざまな視点を知ることができるだけでなく、他の人と交流することもできます。ソーシャル メディアは、パーソナライズされた推奨事項で新しい更新やトレンドについてあなたに知らせてくれます。
Google 検索エンジン VS ソーシャル メディア検索エンジン
検索にソーシャル メディアを使用できることを理解する前は、人々は Google ですべてを検索していましたが、両者に違いはあるのでしょうか? はい、間違いなく違いがあります。
Google は、何十億ものユーザーが世界で最も使用している検索エンジンです。Google では、検索に関する地図、記事、画像、ストーリー、ニュース、書籍などのオプションを提供しています。記事のランキング方式を使用しているため、検索に最も関連性の高い結果を得ることができます。また、関連する検索のフィードバックやレビューを確認して、クエリに最適なソリューションを選択することもできます。Google マップと Google マイビジネスを活用した Google のローカル検索機能は、場所に基づくクエリに対して正確で関連性の高い結果を提供します。これは、近くのサービス、レストラン、ビジネスを見つけるのに特に役立ちます。Google は、Google Scholar、Google ブックス、Google ニュースなど、さまざまなツールやサービスを提供しており、さまざまなドメインにわたる専門的な検索ニーズに応えています。
ソーシャル メディアを使用すると、人々と交流し、わずか数分でクエリの解決策を得ることができます。検索に対する人々の見方を理解できます。ソーシャル メディアは、リアルタイムの情報を提供するのに優れています。プラットフォーム Twitter などのソーシャルメディアは、速報、トレンドのトピック、ライブ イベントを最初に報告することが多いため、最新情報を把握するのに非常に役立ちます。Instagram や Pinterest などのプラットフォームはビジュアル コンテンツを重視しており、ユーザーは画像や動画を通じて情報を発見できます。これは、ビジュアル学習と探索に対する好みの高まりに応えるものです。
ユース ケースと利点の比較
情報の幅と深さ:
Google: 幅広いトピックにわたる詳細な調査、学術研究、包括的な情報検索に最適です。
ソーシャル メディア: トレンドのトピック、時事問題、個人の意見、ユーザー生成コンテンツを発見するのに最適です。
Google: 構造化され検証された情報を提供し、多くの場合、さまざまな信頼できるソースからニュースを集約します。
ソーシャル メディア: ライブ イベントのリアルタイム更新と即時報道を提供するため、速報や即時情報の入手先として最適です。
Google: YouTube や Google 画像などのプラットフォームを通じて、画像、動画、インフォグラフィックなど、多様なメディア結果を提供します。
ソーシャル メディア: 視覚的な発見を重視し、Instagram や Pinterest などのプラットフォームは画像や動画ベースの検索に対応しています。
Google: ローカル検索に非常に効果的で、近くのビジネス、サービス、場所に関する詳細な情報を提供します。
ソーシャル メディア: 地元のイベント、コミュニティのディスカッション、友人や地元のインフルエンサーからの推薦に役立ちます。
Google: ユーザー データを活用してパーソナライズされた検索結果を提供しますが、主にアルゴリズムに基づいて最も関連性の高いコンテンツを提供することに重点を置いています。
ソーシャル メディア: ソーシャル接続とインタラクションを活用して検索結果をパーソナライズし、ユーザーのエンゲージメントと参加を促進します。
reference: https://fly-social.com/
脳汁の出方が遠い様で近いと思うんだよなー。
好きなアーティストのライブとかに行くのは当然最高として、ヘタなDJイベントとか行くならちょっとルール調べて推しを決めたら絶対野球の方が刺激的だと思うんだよなー。
たくさんはできない
できる分だけ
これなら提供できていたかもしれないが古い。もう無理。子供にとっての祖父祖母がうるさすぎて自己実現の視点からは邪魔になっている可能性もある。
地方の企業は女性に責任のあるポジションを任せない(とNHKの記事でも批判されている)。仕事はそこそこで流したい人もいるだろうから、出世したい人にはアピールしてもらわないといけないが…
断然都会(東京)が有利。普段はネットで活動している人が相手でもライブなどのことを考えると…。するべきじゃないと思うけどホストの推し活は地方ではできまい。
天体観測やガーデニングなら地方の方が向いている。ざっくり文化資本と呼ばれるものは都会が有利で趣味人同士の交流を考えても大半は都会が有利。何か強みがある地方はそれに賭けてみると効果あるかもしれない。刀剣とか。
ちょっと大袈裟なタイトルだが、FMで毎週番組を担当している(していた)司会者からも番組中で番組編成に対して苦言呈されるほどなので、結構な異常事態だと思う。
【前提】NHK-FMは音楽番組が中心である(あった)。音楽を主に聴かせる朝昼のクラシック番組、正午のニュース後は同じく音楽中心の歌謡曲番組、夕方は若者向けの番組(赤い公園の津野米咲さんも週イチで担当されていた…)。
夜はクラシックの演奏会のライブ録音番組放送後、若者向けの音楽番組。ミュージシャンインタビューやパーソナリティの語り多め。
概ねこの編成であったが、NHK-AMの1波廃止決定以降大幅に変わった。ちなみにまだ廃止はされていない。
まず語学番組がFMでも同時放送されることになった。朝6時からニュースを挟んで朝の8時までが語学番組枠に。
FM放送開始して間もなくの1963年から60年以上、朝6時の枠で放送されていたお馴染みのクラシックの古楽番組が朝5時に追いやられた。
(ちなみにNHKFMの本開局は1969年だが、1957年より実験局として放送開始している。)
夕方の若者向け番組も廃止。およそ2時間の枠がレギュラー番組の再放送枠になった。
(AM廃止で枠を失う芸人やアナウンサーのバラエティ番組を押し込むために空けたんじゃないかと邪推している)
長年親しまれている古楽番組の移動はリスナーから悲鳴が上がった。かなりマニアックな盤もかける番組なのでネットの聴き逃しの権利が取れず一部の週を除き聞き逃し配信が不可、聞きたければ5時に起きるしかなかったのだ。
抗議がかなりあったようで、今年ようやく6時に戻された。
そして昨年あたりから顕著になったのがレギュラー番組の再放送の激増と、季節ごとの特別番組の激減である。
元々は、5週ある月の5週目は再放送であることが多かったが、それ以外の週も「反響が大きかった回を特別に選んで再びお送りします」という体裁での再放送が増え始めた。週1で1ヶ月に4回しかないレギュラー番組なのに、月に1〜2回は再放送になる。
一番酷かったのは今年3月に終了した「洋楽グロリアスデイズ」である。これも前身番組含めて長く続いていた洋楽懐メロ番組だったのだが、終了の告知が2月で、2月3月は最終回を除き全て再放送。番組司会者もX(Twitter)で戸惑われていた。
そして、国民の祝日、夏のお盆休み、年末には特別編成の番組が放送される事が多かったのだがそれらもほとんど無くなった。
祝日には「今日は一日◯◯三昧」という生放送の特集番組を朝から夜まで放送することが多かったが、昼からになり、そのうち番組自体がほとんど放送されることがなくなった。
夏や冬には昔の人気番組「クロスオーバーイレブン」「夜の停車駅」が1週だけ復活、ということもあったがそれも無くなり、レギュラー番組の再放送で埋められることになった。
さらに今年3月から先行放送された新番組「マイ・フェイバリット・アルバム」、週替わりのゲストパーソナリティがお気に入りのアルバムを5枚紹介する番組だが、のっけから再放送だらけである。
ここから1ヶ月間、5月20日分まではヒャダさんから放送やり直しの再放送が続く
6月11日〜栗本斉
あからさまに予算を減らされている。それでテレビではプロジェクトXみたいな偏向回顧番組作ってるんだから文句の一つも言いたくなる。
おそらくはてな民はラジオはANNくらいしか聞いていないだろうし、NHKFMなんて金の無駄だから無くしてしまえくらいにしか思ってないだろう。俺らのお眼鏡に適わない、金にならない文化なんか消えても困らない、という空気は感じる。しかしクラシックを日本に紹介し続けたり現代の音楽を記録し続けたりとその意義は大きい。
しかしNHKでも予算は無限ではないし、近年は特に大きな話題にならないものは消していこうという姿勢のようだ。
儲かる儲からない関係なく、文化の記録を残していけるのはNHKにしか出来ないと思っているのだが、NHKはもうそうはしたくないように見える。音楽がじっくり聴ける番組は今後更に減っていくし、レギュラー番組も年間に制作されるのは全週の三分の一ほどで、後はずっと再放送、になるのかもしれない。
世知辛さを感じている。
ちなみにNHKに番組編成に関して意見を書く場合は、番組のサイトから送るよりもNHKのトップページのご意見欄から送る方が良いそうだ。
番組宛てだと番組スタッフしか見ないが、NHKへのご意見ならえらい人の目に入る可能性もあるそうで。これ3月に(NHKAMからの引っ越し組だった)番組が終わったヤバTが最終回で言っていたので、間違いないと思われる。
Disclaimer: 刺さる人に刺さればよいので、「こうすれば良かった」「ここが悪かった」という意図はありません
『トラぺジウム』が連日満員になるには、見終わった人が満足し、リピートしたり口コミでおススメ!と広めたりする必要があった。なぜそうならなかったか。
主人公の欲望が冒頭では謎、なのは構わない。東西南北集めたい、というのは観客を引き付ける謎だろう。
だが、なぜその欲望が生まれたか、源がわからない。 アイドルになりたいという表層の奥に、原始的・普遍的な欲望が存在する必要があった。
”すべての登場人物には、一杯の水でもかまわないので、何かを欲しがらせること。” という格言に含まれているのが、水を欲しがるというの原始的な欲望であることに注意すべき。
オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットにしたい、という欲望の奥に、他人を幸せにしたいとか、自己実現したいとか、生き残りたいとか、そういった欲望がなければ観客は共感できない。
主人公は努力をしていない。計算ノートを書いたりテニスをやらされたりC言語の勉強してる人と会話できる知識を身に着けたりプールを借りたりダンス練習するのは努力にカウントできない。正確には葛藤・選択をしていない。
文化祭でライブを3人に見せアイドルに興味を持たせることを失敗するのも、ボランティアでグループが分かれてしまうのも、メンバーの恋愛バレも、失敗は天災のようにやってくる。(成功も青空のように自然現象のように迎えにくる。)
南の高校にダサい制服で入ったら死ぬ、テニスをやらされたら死ぬ、プールを借りられなかったら信用を失う、高専の萌え袖に付け焼刃の知識がばれたら仲間に入ってもらえない、アイドルになれなかったら〇〇しなくてはいけないとタイムリミット付きで母親に迫られる、メガネ男子に協力と引き換えに何か犠牲を払わなくてはならない…
そういった成功するかしないかわからない場所に立たされないし、選択もしない。観客が応援するポイント、ハラハラするポイントがないのだ。失敗は選択の結果であるべきだ。
そして成功したと思ったらさらに悪い事態に結び付くエスカレーションが望ましい。
1-C:悪人だった
東も完全な悪人ではなく、最後の方の回想で「小学生のころいじめられっ子を助けた」という観客には開示されていなかった過去が明らかになる。これをもっと前倒しし拡張する。
例えば、最初のガラガラのローカル線で(そこそこ露悪的な要素も入れつつも)困っているおばあさんを助けるシーンを入れておけば、いじめられっ子を助けたシーンも生きてくるだろう。
主人公が悪人の作品でもヒット作はある。主人公よりもっと悪い人物を出すという手段もある。芸能事務所とかテレビ局の大人にその役割をあてるとか。
仮説2:主人公が成長しなかった
誤った欲望が潰えて、正しい欲望に気づくというのが王道シナリオであろう
アイドルになりたかったのは子供のころ見たアイドルAさんが素晴らしかった>私もあんなアイドルになりたい>東西南北(仮)を踏み台にしてなるアイドルはAさんとは程遠いものだと気づく>間違いだった>初心に帰る とか
仮説3:
ハッピーエンドではなかった
トラペジウムがオタクに流行ってるのは一般受けしてないからなんだよなあ。
オタクって「俺の考察凄い!俺だけがこの真実に気づいた!」みたいなの大好きだからさ。
一般受けしてると大物評論家がズカズカ乗り込んでくるし、インタビューとかもしまくってスタッフから答え合わせをガンガン聞き取ってしまうでしょ?
そうすると単にアニメ・ゲーム・漫画をだらだらやってきただけのオタク君の雑で荒い考察なんて無価値になるわけ。
ただ感想を呟くにしても有名レビュワーが次々感想を言ってたらしょーもない雑草オタクの「凄かった(語彙力皆無)」の羅列なんて誰も見に来ないやん?
トラペジウムが今一部で凄い伸びてる最大の理由は、ちょっと掘り進めた考察をしている人の規模が他の作品と比べて圧倒的に少ないからなんだよ。
内容だって関東地方を舞台に架空のアイドル活動をやってるだけだから、一般教養レベルの知識で分析できる範囲。
たとえばこれがウマ娘だったら、登場したちょっとしたキャラの考察に踏み込んだだけで超熟練の競馬オタクが「あの馬はそんなんじゃないんだよ。君みたいな若造は知らないだろうけど、俺の所属してた競馬サークルじゃアイツはマジで伸びるって前々から注目されていたわけ。馬の才能ってのも結局は人間の格闘家と同じでどこまで筋肉をつけられるかなんだけど、そういった筋肉の成長は当時の荒いレース映像しか見れない環境にいる今の子には伝わらないかなあ」みたいな一方的勝利宣言にまみれた意味分かんね―クソリプがビュンビュン飛んできてもおかしくないわけよ。
だけどトラペジウムの場合はそもそもやってることが異常よりのアイドル活動なわけで、これに対してアレコレ言える人の方が少ないからみんなそこまで違いのないレベルで考察をすることになるし、リアルにおけるアイドルがどうなのかと言い出すやつがいても「ゆーてこれは架空のアイドルだし?」でクソリプは論破出来るから、適当考察かましあってキャッキャッしたい今のオタクには都合がいいわけよ。
分かる?
オタクのコンテンツ消費の仕方っていうのは、コンテンツを利用して自分の考察力や消化能力を自慢する行為にこそあるわけよ。
まあこれはオタクに限らず近い所はあるけどね。
山崎パンの皿を何枚集めたかどうかを通じて「自分が如何に普段の食事において好みの味のパンを食べることに固執しているか」みたいなキャラ付けをアッピールしてくるおばちゃんとかおるやろ?
アニメを全部見るとか、ライブに出来るだけ行く、毎シーズンかかさずにスキーに行くだの、俺の釣り道具はこんなにコスパがいいんじゃだの、ちょっとオタッキーな方向に傾いた途端に皆して消費活動を通じて自己顕示欲を満たそうとしてるような行動に出るやん?
つーかな、そういう消費活動を通した自己実現みたいなのがある時期から日本人のトレンドになって、電通に煽られるままに皆テレビと雑誌の奴隷みたいになってたわけよ。
オタクってのも結局はそういった分類の中における分派の一つでしかなく、生活を犠牲にしてアニメや漫画に打ち込むというキャラクター性によって自分が『イカした』奴だとアピールして身内で褒めあってるだけの奴らなわけだな。
そんな連中の中で流行るものってのは、つまる所は「それを消費することによって自分をどこまで着飾れるか」で判断されるわけだよ。
トラペジウムを見て感想を書けば、考察力の高いオタク集団の一員として格好が付けられる。
でもぼっち・ざ・ろっく!で同じことを下手にしたら往年のバンドマンから「いや君ね、浅い知識で雑なこと言いすぎじゃない?虹夏タソハアハァだけ言ってればいいんだよお前程度の雑魚は」って怒られちゃう。
でもトラペジウムなら安心。
だから、オタクはトラペジウムを見て、意味分からん考察を書きなぐりたがる。
分かった?
見た感じMrs. GREEN APPLEの独断でああなって、コカコーラは完全な被害者っぽいけど、広告全部廃棄になってコーラを買ってライブに招待みたいな企画も中止で、生じた莫大な損害はMrs. GREEN APPLEが払うってこと?
・類人猿
・楽しげなMV
類人猿が登場することに関しては、差別的な表現に見えてしまう恐れがあるという懸念を当初から感じておりましたが、類人猿を人に見立てたなどの意図は全く無く、ただただ年代の異なる生命がホームパーティーをするというイメージをしておりました。
しかしながら、意図とは異なる伝わり方もするかもしれないと思い、スタッフと確認し合い、事前に特殊メイクのニュアンス、衣装、演じ方のフォロー、監修をしていたつもりではおりましたが、そもそもの大きな題材として不快な思いをされた方に深くお詫び申し上げます。
https://mrsgreenapple.com/news/detail/20374
「歴史や文化的な背景への理解に欠ける表現が含まれていたため、公開を停止することといたしました。当社における公開前の確認が不十分であり、皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」
「コカ・コーラ社はいかなる差別も容認しておりません。今回の事態を遺憾に受け止めております。本楽曲を使用したすべての広告素材の放映を停止させていただきました。また、弊社ではミュージックビデオの内容に関しましては、事前に把握をしておりません」