「パロディー」を含む日記 RSS

はてなキーワード: パロディーとは

2021-06-30

一話で打ち切りになった異世界転生漫画で思い出したけど

けっこう仮面は、悪役が有名漫画パロディーで、けっこう仮面にやられたら毎回「〇〇先生ごめんなさい」と言って倒れるのがお約束だった。

鬼太郎パロディーときは「水木先生ごめんなさい」とか。

打ち切り漫画もこれをやってれば許されたんじゃないか

2021-04-25

『イジらないで、長瀞さん』が国内外で評判悪いようなんで…

十代の男の子のズリネタ定番で「非レイプ願望」というものがあります

このタイプ妄想がどういう仕組みで成り立ってるかというと、

自分は一切(行為決断の)責任を取らずに、

被害者として性欲を満たしたいという「都合のいい」性的ファンタジー

として機能してることは、自分の胸に手を当てて考えてみればわかるでしょう。


日々決断を迫られ、その結果責任を取らされる会社経営者

SM クラブで M や赤ちゃんプレイをやりがち、というのと似たようなものですね。

自己決定責任回避という意味では。


で、最近みょーに増えてきたウザい女の子が絡んでくる系のアニメマンガも、

基本的に同じ仕組みで(水で薄めてはいるけど)成り立ってるんだろうと思うわけです。


おそらく、マンガ編集者アニメプロデューサーは、そこらへんをよく分かった上で、

かなり意図的に、「最近の子にはこういうのがウケるんだろう」

「なぜなら、最近の子ベタからだ」と判断してるんじゃないかな?

メタパロディー世代オタクみたいに消費者としての自分メタ視点で眺めたうえで、

あえて(1周回って)オタク消費するタイプのお客さんじゃないか

エスカレートさせても「たぶん、バレないだろう」って慢心があったと思うんだよね。


『イジらないで、長瀞さん』が評判悪いんだとしたら、流石に客を舐めすぎたってことじゃないかな?

(それでもアニメ化される程度にはウケちゃってるわけですが…)


舐められる客の方が悪いのか、オタクをカモろうとするビジネスサイドの人間が悪いかはわからないけど、

編集者プロデューサーが冷たい分析をしてるのは間違いないですね。

2021-03-20

anond:20210320121352

考えてみれば「馬鹿めと言ってやれ」みたいなネタ世代が変わってもう通じないんだろうなあ

エヴァもそうだけど、作品の中のパロディー元ネタが分かってないと、そのまま通過してしまうわけで、

でも、エヴァとかは元ネタが分からなくてもそんなに問題ないように作ってる方なので、それは作り手の優しさなんだろうけど

物語が始まる前の段階で、読者にどれだけの予備知識とか教養要求するのか、というのは難しい問題のように思う

と、今自分の頭の中で考えていただけで、全然関係がない取り留めもない話を書いてみる

2021-03-17

anond:20210316164020

そして∀エヴァ庵野監督が復帰すると…

でも、月光蝶だか絶好調だかでなくともエヴァ単体で世界を何度も滅ぼしてるのだった…

というか、スピンオフに向かない物語だと自分は思うけど

ネット徘徊してたらラーゼフォンを思い出した人もいたみたいだし、

破壊再生物語から、繰り返せばいくらでも物語は作れるかもしれないけど、

流石に飽きると思うし…

庵野氏がパロディー対象とする過去記号とか、

自分達が生み出した記号をこれからも繰り返し使って作品を作るのか、

それとも更に新しい記号とか表現を求めるのか、

そのへんの選択にもよるんだろうなあ

2021-03-15

anond:20210315101517

俺もよくわからんが、これは金融増田パロディーと、思った

あれは風俗オチだがこちらは単なる縦読みなわけだ

まあ自己弁護はあれだが

2021-03-13

自分にとって庵野氏の作品がつまらなく思えるのは正しいのかもしれない

シン未見組だけど、高評価する人たちも不評の人たちも、

俺達の庵野が帰ってきた、

みたいな点では共通しているみたい

(あと、戦闘シーンが駄目という意見

シンゴジラも含め、マンネリズムさえ感じるのは寧ろ当然であって、

それは庵野氏というか、ガイナックスというか、

リスペクトする過去作品オマージュパロディー、そこから新たな記号お約束を作り出したわけで、

それは確かに歌舞伎とか伝統芸能に近いのかもしれない

そこにマンネリズムを感じるなら、それはお門違いであって、

まりシンゴジラまらんと自分が思うなら、それは庵野氏を卒業したというか、

他の何かを求めて自分が出ていくべきなんだろう

自分には庵野氏のように新たな記号お約束を生み出せるような能力も運も何もない、

凡人以下のコロナ無職になったKKOであって、社会的にはゴミにも劣るかもしれない

そんな自分ではあるが、恐れ多くも御大大先生成果物に不満を思うというのなら、

それは単にnot for meであって、俺が自分のfor meを求めてさまよい続ければいい、

ただ、それだけの話なんだろう

しかしながら、仮に自分が何か作品を作るとしても、

あと、プログラミングだって立派なものづくりではあるわけで、

それは学ぶは真似ぶであり、過去コピーからスタートして、守破離の破、

守破離の離を目指すしかない

なんとなく、自分庵野氏よりも長生きできない、

庵野氏よりも若い世代だけど多分長く生きられないと思うのだけど、

社会的評価は別として、なんか自分なりに自分人生にケリをつけなければならない、

特に最近常々思ってる

いうならば因果というか、カルマというか、因縁というか、

例えば、自分虐待された過去があったとして、それをマイナス評価するのではなく、

かといって自己啓発的に無理にプラス評価するでもなく、

その因果に何らかの自分なりの納得というか、決着をつけたいと思っている

それは単なる自己満足ではあるわけだが、そういった不愉快過去とか、

そういったこれまでの人生の諸々にできるだけ決着をつけて、納得してから死にたい

そう思うようになった

他人作品がつまらないというなら、おまえは代替案があるのか?

代替案はある、

しかし、それが他人面白いと思ってもらえるかは分からない、

まり商業的に社会的成功するかではなく、自分ならこうするは明確にある、

だとしても、それは仕事としてはどうなのか?という問題がある

繰り返しになるが、どことな庵野氏は、その仕事としてはどうなのか?

みたいな大人の発想になってしまい、

というか、庵野氏より貞本氏の方が、特にオネアミスBDだかのパッケージの絵とか、

周囲に望まれる絵を描くのが大人でしょ?ではなくて、

できるだけ、昔の、スポンサーサイドに嫌われていた、

そうはいっても、作り手である若者たちは貞本氏のあの頃の絵に惚れて賭けていたとも思うわけで、

なんでエヴァみたいな絵柄を判で押したように描いたんだと思ってしまったのだけど、

しかし、上述のように、これは御大先生方の到達点であって、

自分がとやかく言う筋合いはないのだ

それより、おまえの、俺の到達点は、人生の到達点は何なのだ?ということだろう

アウシュビッツ経験したフランクルによる「夜と霧

私が人生に問うのではない、

人生が私に問うのだ、

これは言葉遊びのようではあるが、しかし大きく異なる点がある

人生に、運命に、運に、神に、なぜ俺の人生をこんな風にした?と問いかけるのが1つ目であり、

2つ目は、人生が私に、おまえは何を成し遂げられれたのか?と問うているのだ

そこには当然、仕方がなかった、怠惰と諦め、打算も入り混じっている

しかし、人生というのは本来そういうものなのだ

メディア生存者バイアスというか、社会的成功者を持ち上げすぎる余り、

まるで、この社会に、世界に、何か正解があるように思い込んでしま

生き方に正解があるように思い込んでしま

人生からの問いに対し、自分なりの答えを死ぬまでに用意していくのがこれから自分課題なのだろう

それは他人の、世間価値観とはまったく関係のないもの

自分が納得する答えを探す、人生最期へ向かう旅なのだ

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(1)

日本文学編(anond:20210222080124)があまり注目されなかったけれども、記憶を頼りに続きを書く。

芥川龍之介河童

どの作品を入れるべきか迷った。古典翻案に見られる知性とユーモア晩年作品にみられる迫害的な不安、どちらの傾向を持つ作品であっても、元文学少年の心をひきつけてやまない。特に歯車」などの持つ、すべてのものが関連付けられて迫ってくる凄味は、学生時代に再読したとき、行き詰まりかけていた学生生活不安と重なり、ただただ恐ろしく、読み終わってからしばらくは寝床で横にならされた。

河童」を選んだのは中高生の頃で、河童の国を旅する要素に心を惹かれたことを思い出したからだ。それは、大学生の頃よりも不安が弱かったからなのか、この作品に潜む女性への憧れと恐れが自分に響いたのか、あるいは架空世界架空言語に魅せられたのか、その理由はわからない。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン雪の女王

アンデルセン小説を読んでいると、きっとこの人モテなかったんだろうなあ、ってのがひしひしと伝わってきて、何だったら今晩一杯つきあうよ、的な気分にさせられる。一人寂しいときへの痛みと、女性への復讐心が入り混じっていて、読んでいて心がきりきりとする。

で、この作品の中でひたすら「いいなあ」と思うのは、悪魔の鏡のかけらが心の中に入ると、どんな良いものもその欠点ばかりが大きく見えてしまうという設定だ。

ところで、ディズニー作品価値貶めるつもりはないけれど、原作とは全然違う話に似たタイトルをつけて世界中に広げるのってどうなんだろう。デンマーク人は怒らないんだろうか(「人魚姫だって原作改変をやってるし……。いや、ディズニー普通に好きなんですけど、最近こうした異文化の扱いって難しいですし……)

グレッグ・イーガン祈りの海」

「白熱光」にしようかと思ったのだが、これはエイリアンニュートンアインシュタイン物理学自力発見していく過程が延々述べられるだけの話で、燃えるけれども物理学の基礎をかじっていないとちっとも面白くないのでやめた。ついでに、彼の欠点として「科学者エンジニア最高、政治家宗教家文学者は役立たずのクズ」という態度を隠そうともしないところがある。要するに理系の俺TUEEE小説なのだ。それに、しょっちゅうヒロインから説教されるし、作者はいったいどういう恋愛経験をしてきたか非常に心配になる。

そうしたえぐみ比較的少ないのがこの短篇集で、最初に読んだ本だから愛着がある。それに、上の隠しきれない欠点にも関わらずイーガンが嫌いになれないのは、科学的な真理に向き合う姿勢と果てしのない好奇心がかっこよく、さらに己に課した厳しい倫理に身が引き締まるからだ。

カズオ・イシグロ日の名残り

友人と富士山に登るときに持っていったこともあり、これも自分にとって思い出深い小説だ。これは、大戦後の新しい時代適応できない英国執事物語である

彼の小説の語り手は基本的には何かを隠していることが多いので、いつも歯に物の挟まった言い方をする。そのうえ、誰もが自分の信念にしがみついているものから登場人物同士の会話は勝手な主張のぶつけ合いになり、実のところ会話になっていない。

カズオ・イシグロはそうした気持ちの悪さを楽しむ作家だ。そして、「日の名残り」は自分の本当の気持ちに蓋をして生きている人、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまう人に、刺さる作品であるに違いない。

ミシェル・ウエルベック素粒子

彼の作品不快だ。主人公のボヤキは原則として次の通り。俺は非モテから思春期の頃には思いっきセックスできなかった(2023年10月3日追記。「処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった」が近いか?)。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ! これはひどい

作中に出てくる西欧文明の衰退だのなんだの宗教への逃避だの一見知的に見える議論も、すべて上記の嘆きを補強するためのダシに過ぎない。それでもなお、なぜオススメに入れたのかというと、人をエゴ抜きで愛することの難しさを逆説的に語っているからだ。そして、自分が愛されておらず、必要ともされていないと感じたとき人間がどれほど孤独とみじめさを感じるかを緻密に描いている。皮肉なことに、これは性と愛について真摯思考した書物である

ただ、どの作品も言っていることが大体同じなので何冊も読んではいない。

ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人

僕がウルフのことが好きなのは、単純に文章が美しいというだけじゃなくて、迷っている人間の頭の中で浮かぶ複雑な段階が細かいところまでよく見えているからだ。例えば親しい人への憎悪が浮かび、言葉ではそれを否定して見せるが、態度にふとこぼれ出てしまう。そうした過程子供が貝殻を見つけたときのように、ひとつひとつ並べている。

そして、意識の流れとでもいうのか、ある人物意識から別の人物意識へと、外界の描写連想を経てシームレスに移行していく感じが、本当に巧みな脚本映画みたいで、やっぱり映画って文学から相当影響を受けてるんじゃないかって勘ぐったりするのだけれど、本当のところどうなのかは知らない。眠る前の自分意識もふと過去に飛び、すぐに現代に戻り、夢想し、眠りに落ちていく。

灯台へ」とどっちにするかこれも迷った。

ミヒャエル・エンデはてしない物語

さえない少年万引きした小説を読んでいると、いつしかその物語の中に取り込まれしまう。これは主人公異世界に行き、そこでなりたい自分になるが(まさに公式チートだ)、その報いとして自分自身が本当は何者であったかをどんどん忘れてしまう。何よりも面白小説なのに、その小説現実に向きあう力からではなく現実逃避の手段となることの危険性を訴えている。主人公が万能チート野郎になってになってどんどん嫌な奴になっていく様子は必見。また、後半で主人公を優しく包み込む人物が、私の与えたものは愛でなく、単に私が与えたかったものに過ぎない、という趣旨台詞を言うシーンがあり、これが作品の中で一番自分の心に残っている台詞だ。

ちなみに子どものころ映画版を見て、原作とは真逆メッセージストーリーになっているのにショックを受け、初めて原作破壊行為に対する怒りを覚えた。僕が大人商業主義を信用しなくなったのはこれ以来かもしれない。

円城塔文字渦」

基本的自分は何かを知ることが好きで、だから知識の物量で殴ってくるタイプの彼の作品も好きである。それでいてユーモアも忘れないところが憎い。フィクションとは何だろう、言葉文字物語を語るってそもそもどういうことだろう、そうしたことをちらりと考えたことがあるのなら楽しく読めるはず。「Self reference Engine」で抽象的に触れられていたアイディアが、漢字という具体的な文字によって、具体的な形を与えられている。

元々SFの人だけれども、最近日本古典にも守備範囲を広げ始めていて、SFが苦手な人も楽しいと思うし、慣れたらSFにも手を出してほしいとこっそり思っている。

遠藤周作沈黙

どうしてこれほどあなた信仰しているのに、手を差し伸べてくれないのですか。せめてささやか奇跡あなたがいらっしゃるということだけでも示してください。そういう人類が何千年、何万年も悩んできたことについて。神に関しての抽象的な疑問は、具体的な舞台設定を与えないと机上の空論になる。

以前も述べたが、ここに出てくる仲間を裏切ったりすぐに転向したりしてしまう情けないキチジローという人物がとても好きで、彼の「迫害さえなければまっとうなキリシタンとして生きられたのに」という嘆きを、情けないと切り捨てることができない。

ただただ弱くて情けない人物遠藤周作作品にはたくさん出てくる。だから好きだ。僕が文学にすがらねばならなかったのは、それなしには自分の弱さ、愚かさ、卑怯さ、臆病さ、ひがみを許せなかったからで、強く正しい主人公たちからは救われなかった。

イタロ・カルヴィーノ「冬の夜一人の旅人が」。

男性読者」という名の作中人物が本を買うが、その本には落丁があった。続きを探すために彼は同じ本を手に取った別の読者である女性読者」を探し求める。彼はいろいろな本を手に取るが、目当ての本は結局見つからない。枠物語の内部に挿入されるつながらない小説の断片は、それだけでも完成度が高く、まるで本当に落丁のある文学全集を読んでいるような楽しみがある。

世界文学パロディー化した物語のページをつないで作った「鏡の中の鏡」かと思わされたが、それ以上のものだった。語りの文と物語関係とは、新作と偽作とは、そんなテーマ物語レベルメタレベルの二つの層の間で錯綜して語られている。

ダニエルキース「アルジャーノンに花束を

知的障害者チャーリーゴードンが脳手術で天才になるが、その知性は長続きしなかったという悲劇として知られている。けれども、僕はこれをただの悲劇として読まない。障害者セックスについて正面から向き合った最も早い作品の一つだからだ。

チャーリー女性の裸を考えるだけで罪悪感からパニックになってしまう。それは母からの過度な抑圧と体罰が原因だったが、それはチャーリーの妹を彼の性的好奇心から守ろうとするが故の行動だった(チャーリーの母が、周囲からもっと支援を得られていたら、あれほどチャーリーにつらく当たらなくて済んだんではないか、とも思う)。

天才になったチャーリーは恋をし、トラウマを乗り越え、苦労の末に愛する人と結ばれ、やがて元の知的障害者に戻ってしまう。一見すると悲劇だが、彼にはセックスに対する恐怖がもはやなくなっている。彼がただの障害者に戻ってしまったという感想は、その視点が抜けているのではあるまいか

ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」

素晴らしかった。中年の仲良しグループというか、ツイッターでいうクラスタの間を行き交う書簡を通して話が進む。居場所をなくすこと、愛情を失うこと、自分の子供をうまく愛せないこと。そして、友人の死。テーマは深刻だ。なのに、読後感は良い。それは視点距離を取っているからか、登場人物を公平に扱っているからか、それとも愛を失う/奪われる過程だけじゃなくて、そのあともちゃんと書いているからなのか。長い時間の中で、家族や友人が近づいたり離れたりする感じ、これこそ人生だ、みたいな気持ちになる。

アーサー・C・クラーク幼年期の終わり

子供の頃、太陽が五十億年も経てば地球を飲み込んでしまうと知って、非常に恐ろしかったのだけれど、それ以来人類運命について書かれた物語がずっと好きだ(H・G・ウェルズの「タイムマシン」も何度も読んだ)。

人類は滅んでしまうかもしれない。生き延びるかもしれない。しかし、宇宙に出て行った結果、ヒトとは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。彼らは人類の何を受け継ぐのだろうか。そして、今しか存在しない自分は、果たしてこの宇宙意味があるのか。

人類運命が気になるのと同じくらい、僕はきっと遠くへ行きたいと思っている。だから、ヒトという形から自由になってどこまでも進化していく話に魅了され続けるのだ。


進む→anond:20210301080139

2020-12-07

anond:20201207200039

神様御柱と呼んだり一本二本みたいに数えるのは天と地を結ぶからなのではないかと思ってる

イエスはその天と地を結んだ柱になった方だと思う、そこはどんな宗派でも一致している解釈だと思ってるけど

イエスがいなければ我々は神の声を聞くことも理解することもできない

これはパロディーであるラヴクラフトとかも同じだと思う

名状し難き邪神名前人間には読めないし、彼らに意思や声があっても人間には理解できない

でも、その間を橋渡しする何かが理解をもたらしてくれるかもしれない

イエスはそういう存在だった、ということでいいのではないだろうか

2020-12-04

宅八郎」と「保毛尾田保毛男

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/tomoyakumagai/status/1334468217301921792]

上記宅八郎についてのブクマ

ホモホモオと何が違うの??

https://b.hatena.ne.jp/entry/4695111878677361442/comment/y-pak]

というブコメがあって、ちょっと思うところがあったか

ブコメブクマでもしようかと思ったけど、100 文字に収まりそうもないからこっちに書いとく。

侮蔑語としての平仮名おたく

おたく」と同じように侮蔑語としての起源を持ち、後に積極的意味に転じた言葉

「クイア (Queer)」がある。


「クイア」と「オタク」の違いは、「クイア」が侮蔑語であったその言葉に、

当事者が、強い意志を持って、ポジティブ意味付与し、

性的マイノリティーの権利獲得の旗印として使用したのに対し、

オタク」は、90 年代末~2000年代初頭に、当事者意思意識とは関係なく、

経産省やその界隈、メディアの都合でメジャー舞台に引き上げられ、なんとなく、

つの間にか、片仮名表記が定着したということ。

(「おたく vs. オタク」論争みたいのが流行らなくなったのをもって定着とする)


したがって、侮蔑語としての古い用法の「ホモ」や「クイア」と、

ゲイプライド文脈で使われるそれとは明確に区別されるのに対して、

侮蔑語としての「オタク」と、メディアコンテンツカテゴリーとしての「オタク」の用法は、

なし崩し的にゴッチャになっている。


というか、役所メディア勝手でっち上げメジャー舞台に乗せられてるという自覚がない

今どきの「自称オタク」はそんなことには興味なくて、自分の「趣味」が世間に認められて当然

という意識でいる一方、それと同時に、古い用法の「おたく」を引き摺っている現状に漠然とした

不満を募らせている (らしい)。というのは…


ホモホモオと何が違うの??

https://b.hatena.ne.jp/entry/4695111878677361442/comment/y-pak]

というブコメから保毛尾田保毛男は、あんなに批判されるようになったのに、

オタクはまだ差別されてるじゃん。ズルい-!」というニュアンスが読み取れるからです。


それがズルい、不公正だと思うなら、「クイア」と同じように、当事者であるあなた達が、

明確な意思を持って、侮蔑語の「おたく」を積極的意味もつオタク」に読み替えて、

それを世間に認めさせたらいいじゃないの?


萌えキャラや、乳袋や、スカート股間の謎の影がそんなに大事なら、

世間と戦ってプライドを勝ち取ればいい。


…というだけの話だから、うまくやれば 100 文字で書けたかも知れない…

おまけ

ブクマされたスレッド

しかし、彼の「おたく」と今の「オタク」にはかなりの違いがあるように思われるのです。
彼の知識偏重闘争の一環であって、自分趣味への自足ではない。


というのは所謂オタク第 2 世代として感慨深い。


知らない人のために説明すると、「おたくオタク」は第 1、第 2、第 3 世代という区分をされる

ことがあって (あったというか…)、ざっくりそれぞれ70 年代80年代、90 年代思春期を過ごした

世代と思ってもらって差し支えないと思う。


第 2 世代が他の世代と違うのは、彼・彼女らが小学校高学年の頃に中森明夫によって

おたく」という侮蔑語発明され、エヴァシンジ君の歳の頃にあった宮崎勤事件によって

おたく」という言葉世間にひろく知られるようになり、お笑い番組宅八郎ネタとしてイジられたり、

オウム真理教布教アニメ作ったり、秋葉原PC ショップ作ったりするのを横目で見ながら

十代後半を過ごし、とにかく「おたく」への風当たりが強かったということ。


いまでは信じられないかもしれないが、当時は手塚治虫宮崎駿クラス巨匠でも

アニメ漫画なんて下らない。なぜならアニメ漫画からだ」という評価をされる風潮がまだあった。

(流石にそこまで露骨な言い方はしないにせよ)


そんな状況だから、当時の「おたく」は (自虐パロディー的な文脈以外では基本的自称しないけど)

(1) 「おたくから卒業して、世間的に認められやす映画文学などの周辺領域流れる

(2) 日陰で (オタクコミュニティー内の閉じた世界の中で) こっそりとオタク趣味を楽しむ

(3) 自分たちが大事だと思うこと、価値があると思うものを守るために世間と戦う

の三択を迫られる。というか 1~3 の間で揺れ動くのが普通だったような気がする。


そんな苦い記憶があるから、2000 年代以降の状況しか知らない今どきの「自称オタク」が

自分たちの「趣味」が世間に受け入れられて当然みたいな態度でいるとイラッとするわけだが…


しかし、彼の「おたく」と今の「オタク」にはかなりの違いがあるように思われるのです。
彼の知識偏重闘争の一環であって、自分趣味への自足ではない。


みたいに、第 2 世代の風当たりを強めた要因の一つである宅八郎」をもって、

昨今の「オタク」を批判するようなこと書かれると、なんともむず痒いような

不思議感覚がある。


冒頭のブコメは、もしかするとこっちのニュアンスかも知れないね

2020-12-02

anond:20201202194439

あれはCthulhuと同じで人間には読めないんじゃなかったっけ

というかラヴクラフト聖書をヒントに作品を作っているわけで

ダンウィッチの怪もラヴィニアという女性処女受胎して双子を生むのだけど、

双子の兄は母親に、弟は父親に似て生まれたので、弟は化け物として登場する

人間邪神との間に生まれ子供から、あれは聖書イエスパロディーだと思う

本当の読み方は人間には発音できないということなのだろう

2020-11-28

ドラゴンボール西遊記パロディーから二次創作にも寛容になるべき

って太古の中国権利概念があったとしても流石に執行してるだろw

2020-10-30

香港ポスターの件。もう少しだけ詳しく。

香港ポスターの話、ちょいと話題になっているけど、ソース痛いニュースだけじゃあ痛すぎるわよね。

なのでちょっとだけ解説するわよん。

あらすじ

承前:林祥焜という作家の描いた大型ポスター6枚が西九龍センターというショッピングモール掲示されていた。"GOODGIRL"シリーズと呼ばれ、割ときわどい格好の女性を描いている(詳しくは画像検索でもして)。

10月6日:車淑梅という香港の有名ラジオパーソナリティー(元)が例のポスター写真Facebook掲載して一言「マジかよ……(嚇一跳……)」と投稿当地ネチズン間で議論が起こる。

② 同10月6日:同地区評議会メンバーである劉佩玉議員が(西九龍センターを利用する)親子連れから多数の苦情を受けたとして、何人かの女性を伴い(合流し?)西九龍センターに対してポスター撤去要求した。

10月12日:西九龍センター台風16号の接近に備え、全ポスターを一時撤去

10月25~26日:西九龍センターで一時撤去していたポスターを再掲示。その際、6枚のうち3枚は例のパロディー版(ギャグ漫画家の甘小文氏作)に差し替えられている。なおこの差し替えオリジナル版の作者林祥焜氏も承知(というか歓迎)している。

⑤ これに対して劉佩玉議員は「また苦情が来たら考える」とのこと。

⑥ 【完】

西九龍センター/西九龍中心とは?

香港の大型ショッピングモール。地上10階地下5階。屋内だけどプチ遊園地スケートリンクがある。ちなみになぜか吉野家もあるわよ。AKB48のグッズ店もあるとかないとか。ガンプラも売ってた気がする。

外には大きな広告展示スペースがあり、ここの広告/ポスターエロい/煽情的/きわどいものが多く、よく批判なり抗議なりされてきたという歴史があるわ。まあセンター側は全部ガン無視だけど。

例えばこれこれこれこれこんなのかしら。"西九龍中心"でググればもっといろいろ見れるわよ。あ、中国からって百度検索ダメよ。きれいなしか出てこないから。

今回は台風で一時撤去したけど、過去対応を考える限り、台風来なかったら抗議ガン無視して掲載を続けてたと思うわよ。あのポスター群。

表現の自由的にはどうなのよ?

もう規制済みなんですわ。香港と言えど中国。やっぱどうしてもね。

"猥褻物法廷"ってのが香港司法にはあるのよ。この法廷猥褻定食らったら発禁なっちゃうわけ。ド直球の事前検閲でびっくりしたかしら?

届け出せずに出版等することはできるけど、あとからNG判定受けたら……ちょっと悲しい結末になるかもしれないのよね。

ちなみに件のポスターは全部審査パスしてるから、少なくとも当地の法的には猥褻でも下品でもないわ。

フェミニストは…?フェミニストはどこ……?

さあ?

この話の主要登場人物フェミニストいないのよね。"痛いニュース"では「フェミが抗議」って言ってるけど、劉佩玉議員フェミニストだという情報はないわ。

たぶん反エロフェミニスト的な連想ゲームなんでしょうけど、中国エロ規制してるのって中国共産党なの。いやまあ中国で何かを規制できる存在はほぼ中共だけなんだけど。

本件に関する香港ネチズン批判対象もほとんど保守(=体制派)だもの。劉佩玉議員体制派と目されている(※)のも関係してるかもね。

ああ、フェミニストYoutuberの3人組が劉佩玉議員への抗議として、ポスター女性と同じ服を着て事務所のドア前で自撮りするなんてこともあったわね。

香港民主化デモの時に警察暴力擁護/容認するようなことを言ったり、(市民側に)外国軍隊が紛れているかもという陰謀論じみた仄めかしをしたり。もちろんめっちゃ叩かれたんだけどね。

政府当局が当たり前の顔して検閲を、表現規制(当然エロも含む)をしている国で「フェミニスト萌え絵文句を言う!表現の自由侵害だ!」って言っても、ねえ?

フェミニストにしても「ポルノ女性蔑視を助長する、差別問題である」なんて言う暇もないわけよ。それより先に政府当局が「エロはいかん。不道徳だ。処す」って有言実行して、同じ口で女性差別もするんだから

家庭内暴力定義法規制2015年で、男性限定求人禁止されたのなんて去年なのよ、中国は。セクハラ啓発しようとしたフェミニストたちが当局逮捕された事件もあったわね。

(ただまあフェミポスター批判派もちゃんと探せばいるとは思うわよ?"痛いニュース"とかそこにコメントしてる人たちが調べた上で言っているとは思えないけどね。)

まあそういう世界感覚がわからないのは当然だわ。

エロがぁー女性差別ぅー」と「フェミがぁー表現規制ぃー」でじゃれあってられるくらいには平和なのよね日本

2020-07-25

オタクメタ視点

例えば『トップをねらえ!』なんかは「オレ達の好きなアニメって美少女キャラ露出無意味に高いよな」

っていうパロディーなんだよね。80年代で既に自分たち俯瞰で見て嗤うような視点があった(作り手も受け手も)のに、

最近ベタな感じがするなぁ…

2020-07-10

anond:20200710143307

2次創作プロっていうのがよく分からないけど

アンソロジーだけ書いていてオリジナルを書いていない人

原作レイパー

ゲーム4コマパロディーを書いている人

こんな感じの人の事?

2020-07-09

anond:20200708101632

それな。俺はコレを見て旧約聖書創世記パロディーかと思った。「世界は七日間で創造された」ってな。

2020-03-16

anond:20200316122927

パワーパフガールでも歯が折れて飛ぶシーンがあったけど、日本漫画パロディーなのかね。

2019-10-24

anond:20191024132710

タブー(きくタブー)は、日本天皇皇室に対する批判パロディーに対する禁忌タブー)、及び直接的暴力も含む圧力総称通称)。 皇室紋章が菊(菊花紋章であることから、婉曲的にこう呼ばれる。

天皇信者オウムと同じ

天皇崇拝を無理強いして従わないとポアするカルト教団

2019-06-26

たいぞうモテキングサーガ

ぷるるんぷるんカメハメハーってのがあって、

あっこれおんぷちゃんパロディーかってはじめて気づいた

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