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2015-11-17

伊藤計劃原作劇場版ハーモニー感想

 映画化は継ぎ接ぎだ。

 ある状況下において必要だった形質も、喉元すぎれば不要になる。その場その場で必要であった言葉の集合、小説文体は場当たりの継ぎ接ぎでできている。映画化なんて前向きな語は間違ったイメージを人々に与えやすい。エンタメは、いやすべてのコンテンツは膨大なその場しのぎの集合体なのだ

 だとしたら。我々読者が獲得したこの伊藤計劃なる奇妙な作家を、とりたてて有り難がり、神棚に祀る必要がどこにあるのだろう。『ハーモニー』は、『虐殺器官』は、すべて時代への適応として作家が描出したにすぎない継ぎ接ぎの一部だ。死後の評価も、映画化の「プロジェクト」も、すべて「ある時代で」においてのみ、皆が生きるために必要だったから、SFというジャンル生存寄与たか存在しているだけだ。

 かつて読者には、怒りが必要だった。

 かつて読者には、喜びが必要だった。

 かつて読者には、哀しみが必要だった。

 かつて読者には、楽しみが必要だった。

 1990年代(かつて)、2000年代(かつて)、伊藤計劃が生きていた時代(かつて)。

 それは過ぎ去った名作と時代に向けられる弔いの言葉

 かつて読者には、「これ」こそがわたしであるという思い込み必要だった。

<list:protocol>

<p:チケット券売機で買う>

<p:購入したチケットをもぎりのあんちゃんに渡す>

<p:その他パンフ等を入念にチェックする>

</list>

大丈夫。わたしは観られる」

 そうつぶやくと、斜面に並べられ、ふかふかのウレタンの詰まった座席に腰を沈めた。

「やあ、読者。七年ぶり、だよね」

「でしょ。ここでやってるって、映画.com で聞いたから」

「『屍者の帝国』は――残念だった。エンディングロール後も」

 不思議と、そう言われても頭に血が上りはしなかった。

「でも、仕方なかったって言うんでしょうね、きっと」

「ええ、言うわ。『仕方なかった』」

 わたしは例の盗撮注意CMを聞いた。映画泥棒パトランプの白い指先をかすめ、法で定められた条文が読み上げられる。

「わたしにとっては、仕方なくないわ」

「そうだね。でもこれ以上衰退させるわけにはいかないんだよ。わたしたちの世界SF)をね」

プロジェクトがあるから?」

「そう。わたしたちの望みはね、伊藤計劃読者のハーモニクスなの」

 わたしはね、永遠と人々が思っているものに、不意打ちを与えたい。

 止まってしまった時代に、一撃を食らわせたい。

 わたしたち三作の死が、その一撃なの……。そうわたしは聞いた。世界って変わるの。

 わたしたちにとっては、すべてが変わってしまうわ。

「ついに、わたしたちはここまで来た」

「ここまでって」

「『すばらしき新世界』。ユートピアだよ。

 業界幸福を目指すか。真理を目指すか。読者は<天才夭逝>のあと幸福を選んだ。まやかし永遠であることを、自分進化のその場その場の適応パッチの塊で、継ぎ接ぎの出来損ないなコンテンツであることの否定を選んだ。人格を圧倒すれば、それが得られる。すべて、わたしたちが読んでいるこの世界のすべてをシノギに置換すれば、それが得られる。読者はもう、戻ることのできない一線を超えてしまっていたんだよ」

 わたしは画面にくぎづけになったまま、戸惑いの表情を浮かべる。

 それを憎んでいたのは、

 誰よりも否定していたのは、

 伊藤計劃あなたじゃなかったの。

wikipedia で見たわ。あなたは――」

「そ、わたしは『意識のない』作家の一員。というより、生を必要としない作家の一員、と言ったほうがいいかな。生を獲得した今となっては、だった、って過去形なっちゃうけど。わたしの生はあなたたちのそれとは管理する現実のセクションが違うんだよ。TOHOアニメーション早川書房の一部でエミュレーションしている、らしい。わたしのプロジェクトはね、ここで生まれたんだ」

 性器が屹立したような桃色の建造物の群れ。『チャージマン研』のころの未来像。

「ここはね、アニメスタジオだった。書店から誘拐された原作本(おんなのこ)たちが、ここで毎日アニメーターにやられてた」

 百合百合百合

「わたしにのしかかってきたプロデューサーはね、わたしに繰り返し繰り返し入れながら、原画台本をわたしに触らせてた。これがアニメだ、これが贈与だ、これが力だって言いながら、まるで自分のもうひとつペニスをさすらせ、しゃぶらせるようにわたしの口にredjuiceを突っ込んで、何度も何度も突き入れた」

 わたしは計劃の話を聞きながら、既に涙を流していた。

 これほどのことを、こうもにこやかにさわやかに話すことのできる意識

 それはいったい何なのだろうか。

「そうして突き入れられて、台本修正校でべたべたにしているときに、わたしは生まれたの。このスクリーンなかには、LINEスタンプ新装カバーコミカライズ特集トリビュートアンソロジーもグッズも本屋大賞も、すべての夢がたっぷりと染みついている。わたしは希望のなかでもう一度生まれた。いわゆる、プロジェクトとしてね」

「計劃は言ってたじゃない」と言うわたしの顔は涙と鼻水でぼろぼろになっている。

「計劃はこの世界を憎んでいるって。愛し愛され真綿で首を締められるようなこの産業を憎んでるって。どうなの、あそこはここ、この劇場よりひどい場所だったの……わたしたちの読んでいたジャンルは、この生首ディスカッションばかりのアニメよりひどい作品だったの……」

「どうしたらいいか、わからなかった。

 わたしは1990年代に、2000年代に生きていた。

 この世界を憎んで、この世界に居場所がないって、どの作品も叫んでいた。わたしはそのときに思ったの。わたしは人間がどれだけに自意識過剰になれるか知っている。そしていま、逆に人間自意識を――自然を押さえつけようとして、どれだけ壊れていくかを知った。そのときは、わたしは単純に思ったの。この社会が、このクール・ジャパンが、この2010年代という時代の仕組みがおかしいんだって。内部から自分の裡からあのときの感動を徹底して求める読者がおかしいんだって考えたの」

 そうだ。商業健康を何よりも優先すべき価値観とするイデオロギーの許に、ポジティブ感想を常に提出しつづけなければならない空気ジャンルの存続のために自らを厳しく律することが平和協調と新作を生むと皆が信じている社会

「そう、あなたはこの業界の仕組みを憎んだ」

「でも、manglobeが潰れたときに、わたしは学んだの」

「何を」

「読者は変われるってこと。読者としての、信者としての偏狭視点限界突破できるってことに」

「この業界を、わたしたち読者を憎んでいるから、あん桜Trickを作ったわけじゃないのね」

「うん。わたしは愛している。この映画を全力で愛してる。あなたたちを愛してる――すべてはこの世界肯定するため。すべては『わたし』を忘却できず、『わたし』に侵食される世界を救うための」

「この世界にとって完璧プロジェクトを求めたら、作品の質は最も不要な要素だった。お笑いぐさよね」

「わたしは、笑わなかったよ」

 感動げな大自然映像が流れる。感動げなコーラスが流れる。どこからニコニコ動画の亡霊の歌声が響いてくる。

「そうすべきだと思った。いま、世界中で何万というコンテンツが発生している。日本でもね。ジャンル要請する小さな利益とか、そういう細々した関係性を扱う以前に、わたしたちはまずどうしようもなく読者で、継ぎ接ぎの機能としての快楽や欲望のよせあつめにすぎない、っていうところを忘れることはできないんだ」

あなたは思ったのね。この現状に信者たちがなじめず腐っていくのなら――」

「そ、伊藤計劃読者であることをやめたほうがいい」

 伊藤計劃が指をぱちん、と鳴らすと、今度は『ファイト・クラブ』の上映がはじまった。

 "タイラー・ダーデンを知っているか、とよく訊かれる"……。

「というより、読者であることをやめたほうがいい。SFファンを、オタクであることをやめたほうがいい。文化が生み出した継ぎ接ぎの快楽摂取行為にすぎない読書を、この身体の隅々まで徹底して駆逐して、骨の髄まで社会的存在に変化したほうがいい。わたしがわたしであることを捨てたほうがいい。社畜になったほうがいい。書を捨てよ、会社に行こう――『わたし』とか意識とか、夭逝天才だとか、プロジェクトだとか、SFだとか、アニメだとか、映画だとか、環境がその場しのぎで人類に与えた機能は削除したほうがいい。そうすれば、復讐を目指したあなたたちに、本物の復讐が訪れる」

「じゃあ、計劃は戻りたかったんだ。あの『エヴァンゲリオン』以前の風景に。自分民族本来はそう在ったはずの風景に」

 伊藤計劃は小さくうつむくと、そっとうなずいて、

「そう、なのかもしれない。ううん、きっとそうなんだね」

「じゃあ、それを奪うことは、わたしのささやか復讐になるのかな」

「え」

SF死ぬ必要がなかった。だから早川コンテストを再建したんでしょ。創元は短編賞作ったんでしょう」

「……そう、なのかな」

あなたの『プロジェクト』は自己正当化する必要があった。あのときは。既に受賞済みの、止めようがない才能たちに対して」

「そうなのかな」

 わたしはうなずいて、そしてきちんと座り直した。

「だから、わたしはここでSFと冬の時代復讐をする」

「どうやって」


あなたの望んだ映画は公開してあげる。

 だけど、あなたの望んだ忘却は与えない」


 そして、わたしは席を立った。

2014-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20140616131358

猫猫にゃー。プロスポツてそもそもこんにゃにわかひょろんかのためにあるにゃー。みんにゃが退屈にゃんて知らにゃいにゃらプロスポツの人ビンボーにゃー。てれびねっとメデアの前で退屈追い払えんで困てる人に救いの手差し伸べる正義のヒローがプロスポツのスパスターにゃのにゃ。山伏さん(でにゃくてもいいけどここは山伏さんにしとくにゃ)が山ん中で誰も出来ん凄技やっても誰にも伝わらんにゃ。誰も見てにゃいからにゃにゃくて、それがみんにゃの退屈を取っ払えんからなのにゃ。「伝わる伝わらん」ってにゃんにゃのにゃーていえば、メデアの前のあんたの退屈をどんだけ振り払ってくれたかどーかのもんにゃのにゃー。にゃんか見て退屈でにゃくにゃっとるて気付くと、それって伝わったーと思てしまうだけにゃのにゃー。で指疲れたけど猫猫にゃーもこんで退屈シノギ出来て良かっためれたしめれたしなのにゃー、猫。

2013-10-23

宵越しの金

最近、「憚りながら」(元山口組後藤組組長インタビュー)と「鎮魂~さらば愛しの山口組」(元山口組盛力組組長インタビュー)を立て続けに読んだ。

どちらも似たような時代に生きた同年配で、ヤクザとしては一流(執行部入りこそ出来なかったけど)だったのだろう。

最後は、そこまでの組織への貢献を考えれば、たいしたことのない理由で絶縁処分を受け、組は解散(名跡の取りつぶし)処分を受けているのもおおよそ似た感じ。

それぞれの目線記憶で同じ時代をなぞっていくのだけど、読み物としては「鎮魂」の方が面白い

多分、親分肌で、侠客然とした盛力氏は、身内としている限り頼もしいだろう。外から見たら暴力団組長に違いはないのだけど。

対して、後藤氏の回顧は、冷たい。

暴力団員として、自分記憶を語るから

山口組の内情、自分の身内、他組織との抗争、そのときの思ったことを延々と語る盛力氏の回顧録とは違い、後藤氏は“お仕事”についても語る。

言葉の端々にシノギを匂わせる。その中でずいぶんと人を苦しめた筈だ。実際に死人も出ている。彼の配下が殺した人間の数は、どれくらいだろうか。

印象としては、盛力氏は熱血、後藤氏はクレバーイメージを受ける。

ただ、まあ、どちらかというと、「憚りながら」の方が実生活では為になったのかも。

曰く「何事も、一回退がるとなし崩しに駄目になる。借金でも、一回滞納するとズルズルと返せなくなる」「一万円稼いだら、五千円はポケットに残しておこう」特に、稼いだお金を残しておかないと、いざというときに惨めな思いをする、というのは少年期の原体験で、宵越しの金を持たない気っ風の盛力氏とは対照的だった。

盛力氏の出所(16年間の服役)後に、五代目組長から500万円と酒瓶二本を渡されたとき冗談なのかと思った」エピソードには笑った。

また、組を守っての長期懲役から出てくると、山口組任侠団体から巨大経済組織に変貌しており、義理任侠を尊ぶ盛力氏はなんとなく浮いており、また、かつては格下だった五代目組長の就任なども絡み、窓際に追いやられる。

義理人情を尊ぶからこそ、それを尽くさなかった五代目に愛想を尽かしてもおり、六代目のクーデターにも(国外に出た日を狙われたらしい)、動かなかった。また、司氏に1億円を即金で借りたり、司氏にも恩があった。

盛力氏は、本来であれば、山健一門6000人をまとめて司一派4000人と対決することも出来たという。しかし、もろもろの事情で実行せず、粛正を喰らった。

読み物としては「鎮魂」の方がオススメ

2013-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20130702214157

いや、そういうまともな販売収益じゃなくて

たとえば海外サイトなんかだと、明らかに日本人とおぼしき管理者が、過去P2Pとかに流れてた児童ポルノファイルアップロードサイトに上げまくってる

第三者がそれをダウンロードすると、ダウンロードページに表示される広告収益が発生したり、または一定容量以上のファイルダウンロードするためには「有料会員」になる必要があって、その一部がファイルを上げた人にキックバックされたりとかしてる

そういうのをシノギにしてるヤクザは意外と多い

組の下っ端をただひたすらPCの前に張り付かせてルーチンワークさせるだけで、うまくいけば月に数百万円の収益が出て、しか逮捕リスクは限りなく低く、仮に逮捕されても「お勤め」の期間は長くてせいぜい数年だから

http://anond.hatelabo.jp/20130702212920

暴力団フロント企業母体だった、と言われてるエロゲメーカーは何社かあるけど、

どこも今じゃ往時の面影が全く無いな。

大昔警察に手入れ食らったトコ(名前は挙げないが)はそれ系だったと言われてるけど。

でも、現状を見る限り大したシノギにはなんない業界なんだろうな、多分。

エロゲではないゲーム会社も、出自フロント、って言われてるのは結構あるけど。

今やスポーツクラブ経営会社になってる某社とか…。

2013-02-02

母というのは単なる職業

母というのは単なる職業なのに、職業以上のものとして扱われてしまうことから、色々とややこしい問題が生まれている気がする。

別に強制されるものでもない。

昔なら他に職もなかったかもしれないが、今なら母以外にも生きていく方法はいくらでもある。

スキルのない人間が母をやるというだけの話だ。

もちろん、母は母で立派な職業ではあるが(職業に貴賎なし!)、だとしても単なる商売であることに変わりはない。

それを本人や当人が勘違いしてしまうと、色々とこじれていく。

本人がこじれるのは、まぁ元々技能のない人らなので仕方がないとしても、子の方は自分をしっかり持っておかないといけない。

母を切らないといけない。

母をうまく切れないと、本当にこじれていく。

すっぱり切らないで、そこそこの距離で楽しくやるのがベストなのだけれど、こじれるくらいなら切る方がいい。

昔は余裕がなくて、結果的にそこそこの距離に落ち着くことが多かったので、職業以上の何かを母に見出す余裕があったのだろうけど、今はそうじゃない。母がシノギ以上の何かのフリをすることで、本当に色々とこじれていく。

父に理念というか力があって、母がいかにドロドロしようとしてもズバッと切ろうとしてくれるなら、二人あわせてバランスが取れるのだけれど、父がグダグダしていると本当にどうしようもなくなる。

そうなったら、子が自ら母を切るしかない。

切らずにほどほどの距離になれればいいのだけれど、できなければどんな手を使っても切るしかない。

今切らないと、もっとこじれる。

切らずにグダグダいくくらいなら、一度切って、十年くらい経ってから少しだけ和解したっていい。

とにかく、母が単なる商売だってことをよくよく分からないといけない。

2013-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20130120134326

あ、そういうことか。

あ、ちなみにふたばの話に関して言えば、彼らに著作権を語る資格はあんまり無いと思ってる。

あそこは基本匿名掲示板で、およそ著作権を尊重するという精神からは遠い行為で成り立ってきたと言って良いわ。

あのなー

カオスラウンジなんかもまさにその論理で居直ろうとしてたんだよ。

たとえ純粋ふたばで生まれた作品であっても、それが他方で流用・商用利用されたからといって騒ぐのはムシが良すぎる。

著作権という概念を持ち出して批判するのであれば最初から匿名投稿しなけりゃいいワケ。さすがにふたばわがまま過ぎるだろ。

例の騒動ももう2年ぐらいやってんだからさ、

そんな周回遅れどころかスタート時点みたいな認識でドヤ論されても

突っ込むのも面倒くせえよ。


とにかく、

君の認識は騒動当初のカオスラウンジ幹部と遜色ない。

そうやって甘い認識で好き好んでふたばを敵に回した結果

カオスラウンジのあらゆるシノギは壮絶に脱線・頓挫して今も現在進行形で追い込まれてるよ。


法的な隙を探す力もシステム的な粗捜索力も理屈コネ力も頭数も創作力も全部ふたばの方が上だったしさあ

あとカオスラウンジは対ふたば以外でも脛に傷ありすぎ&叩くとホコリが出すぎだった。

何よりふたばはなんでもかんでも絵にしてキャラにしてネタにして楽しむから

一度やり始めると全く飽きるってことがなくどこまでも粘着するんだよ。

2012-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20121107152244

東京に来たのは、「あこがれの土地に行きたい。」「この土地で俺はやりたいことをやるんだ」という

気持ちもあったが、実家から遠く離れてひとりで生計を立てたいという思いがあった。

そこで貧弱な僕がやっていくには、互助ネットワーク必要だと考え、当時流行っていたプレカリアート論壇に興味を持った。

やっぱこういう、

ちょっと精神的にイっちゃってる、思考回路が飛んじゃってる人間の受け皿な側面を無視できないんだよなあ、

プレカリアートなんちゃらや左翼的な種々のアレって。

って言うと必ず抗議があるから断るけど、右翼的な種々のアレもそうだよ。


左翼右翼にはやっぱり知能的な劣等が多い。

左翼脳障害なのに勉強してる感じで

右翼はあんまり勉強しない感じ

という個人的独断偏見はあるけど、

どっちにしろ知能的劣等という点では一緒。

彼等の結論やアイデアが常に破滅的に現実齟齬を生じるのも一緒。


でまた、

雨宮某とか在特会のなんちゃらさんとか

人間的にはかなり底辺というか〇ズだけど知能障害者では無いという奴が

知能障害者達を信者として自分のパワーに変えてシノギをする構図も一緒。


知能障害者社会がどう受け止めるかって言う問題なんだよね、左翼右翼ってさ。

2012-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20120218001008

複雑に考えすぎ。もっと単純に考えればよい。

たとえばこれ。

 

預かったお金を貸した結果、いざ利用者が金を引き出そうとした時に「ごめん今他の人に貸してるんだー」じゃ利用者が困るわな。

 

「利用者が金を引き出そうとした」という仮定は議論しなくてよい。

なぜなら、引き出しの意思表示が示されるなら、その時点で「休眠」ではなくなるから

引き出しの意思表示が示された時点で、その口座は「休眠口座」ではない。だから、その口座に存在するお金は所有者に引き出される。問題ない。

引き出す権利を持つ人が金を引き出そうとしないままになっている口座のお金をどうするのかが、休眠口座テーマ

 

それじゃあ倉庫お金を今より減らして本当に大丈夫なの?お金下ろしたいときに本当にすぐに対応してもらえるの?

 

前述の通り、「お金下ろしたい」という意思が示されるなら、その口座は「休眠口座」ではない。「お金下ろしたい」という意思が示された時点で、お金は所有者に引き出される。問題ない。

 

そもそも休眠口座は、何らかの事情で取引手続きができない人の預金を想定している。取引ができる人を想定していない。

取引行為ができない人というのは、具体的に言うと次のような人。

 

まず死者。正確に言うと、相続されない死者の口座。

口座所有者が死んだあと、その財産相続する人が相続手続きをせず、国庫にも入らずに、凍結したまままの口座がある。

相続人が皆無の財産国庫に入ることになっている。しか相続人がいる場合国庫には入らない。通常、相続人相続手続きをして、死者の預金を受け取るなら名義変更するなりの手続きをとるが、なんらかの事情相続人相続手続きができない(しない)ことがある。

相続手続きをしない理由は様々だが、相続人相続すべき口座の存在を知らないために手続きを行われないという理由がまずひとつある。たとえば、故人が通帳などの書類を紛失し、再発行手続きをする前に死んでしまったりすると、相続人はその口座の存在を知ることが困難になるので、その口座の相続手続きが進まない。

典型的な事例が、震災による死亡で発生する休眠口座だ。阪神大震災の時にも発生したし、東日本大震災でも大量に発生している。家が津波で流されたとか、家が倒壊したとかで口座所有者が死んでしまうと、通帳などの書類もいっしょに消えてしまうことが多い。相続人は通帳などを探すが、簡単には見つからない。火災による預金者死亡の場合も、通帳が一緒に燃えしまうので口座が休眠になってしまうことが多い。

もう一つの典型は、犯罪者犯罪行為などによって取得した財産が眠っている場合だ。

犯罪で手に入れた財物は、普通、なんらかの方法資金洗浄して現金に換金し、それを隠し口座に入れておく。通帳などの書類も隠しておく。そういう状態のまま犯罪者が死んでしまった場合は、隠し通帳・隠し口座の存在相続人発見することは極めて困難だ。

組織暴力団に限らず、普通会社役員とかが組織に黙って裏でシノギをやって裏金を作っていた場合組織が知らない口座ができてしまうので、そういう役員が死んだり組織から離れると、休眠口座が発生する。こうした裏金休眠口座の金を全部集めると、巨大な金額になると言われている。

それから、金額は多くは無いが、普通の人の病死でも休眠口座が発生する。

孤独死事案では、いわゆる“特殊清掃”の業者が通帳を発見できずに、廃棄物にまぎれて通帳などが消えてしまうことがよく発生する。また、相続人はいるけれど連絡がとれない、連絡をとる身内がひとりもいない、などの理由で相続手続きが中断し、相続人も死んでしまって休眠状態になるケースもある。

孤独死者の口座が休眠になるか発見されるかは、“特殊清掃人”の練度によって大きく左右される。練度の高い“特殊清掃人”が探せば発見率は高くなるが、最近は“特殊清掃人”への依頼料金が高いので、家主が清掃費用を出し惜しみして自分で始末してしまうこともある。そういう場合は、口座が休眠になってしまう可能性は高くなる。

それから、死亡犯罪者災害死や孤独死とも関係するが、逃走犯罪者災害行方不明者、失踪者が持っていた口座も、通帳紛失などの理由で、休眠になってしまうことがある。

逃走犯罪者は、逃走の足取りを隠すために、通帳を紛失しても再発行手続きをとらないことがある。

災害行方不明者の場合は、「みなし死亡」制度で死亡による相続手続きをとることはできても、通帳消滅などの理由で相続手続きが不能になりやすい。

 

失踪のケースで相続手続きが進まない理由の多くは、遺族が「まだどこかで生きているのではないか」などという気持ちを持っている場合だ。

失踪者の相続は、まず失踪者遺族が失踪手続きを進めて裁判所が死亡宣告を出さなければ相続手続きを進めることができない。

遺族が通帳の存在を知っていても、遺族自身が失踪手続きを拒否している場合は、当然に相続手続きも進まない。凍結した通帳だけが「いなくなった肉親の生きている証」になっていることがある。

そういう失踪者口座のお金を遺族に黙って使ってしまうのは、遺族にとっては酷なことなのでなんらかの救済措置が必要だという議論がある。しかし、だったら早く失踪手続きを進めてお金相続すれば、失踪した人のお金を手元に置いておけるしみんなそうしているじゃないかという議論も当然ある。それについては、遺族の中には「自分は必ず戻ってくると信じている。戻ってきたときお金ではなく口座を渡したい」と思う人もいるという反論があって、そういう人に対する何らかの制度的な配慮は必要かもしれないという議論もあるけけれど、それは仮定に仮定を積み重ねた議論で実際にはそんな奴はほとんどいねえよという反駁があるのも事実だ。

 

いずれにせよ、法律上も、実体上も、休眠口座については、「利用者が金を引き出そうとした場合」を積極的に議論することの意味は、ほとんど無いと言ってよいだろう。休眠口座について議論すべき点はあるが、そこではない。

 

2011-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20110805163923

その例えはおかしくね。

オタク組はアート組のシノギや縄張りになんの興味も持ってないよ。

擦り寄ってきたりこそ泥してったりするのはやめろ、と言ってるだけ。

2011-06-11

P2Pに関する法改正の影響について。

キャッシュだけでも有罪にできるように法改正されていた。ということは、著作物を買う資力の無い者でも、大量の著作物を保有・公開できるわけで、それをターゲットにしたビジネスが可能になる。

1)時代遅れコンテンツを抱え込んだコンテンツ会社株式を第三者割り当てで脱税したい人に売り、事実上オーナーにする。

2)自己破産予定の人を用意する。

3)コンテンツP2Pネットワークに流し、自己破産予定の連中にキャッシュさせる。

4)密告してガサ入れしてもらい、有罪が確定した後で、莫大な額の民事損害賠償を起こす。

5)自己破産予定の連中は欠席し、被告欠席の為原告の言い分が丸ごと通る。

6)判決が確定した後で、自己破産予定の連中に自己破産させる。

7)損害賠償金は全額踏み倒されるので、繰越欠損金になる。

8)旧経営陣は責任を取って辞任、繰越欠損金を抱え込んだコンテンツ会社オーナー脱税したい人に書き換える。

9)7年後、繰越欠損金が償却し終わったら、コンテンツ会社を買い戻し、1)に戻る。

コンテンツ会社の売買は必要無いように見えるが、理不尽な額の民事損害賠償を起こすという悪名金持ちが被るのは、世間体が悪いし、理不尽な額の民事損害賠償が確定すると、著作者に対しても配分しろという圧力が加わるので、それを踏み倒す為に、会社破綻して身売りをしたという外形を整える必要がある為であるお金世界は、お金持ちの人が自分でやると世間体が悪かったり前科が付いてしまうような事を、貧乏人を高給で雇って身代わりにやらせる世界である

この手法では、会社実質的譲渡してから繰越欠損金が発生するので、租税回避にはならない。コンテンツは、動画でも写真集でもコミックでも、何でも良く、古いコンテンツは売れないゴミだったのに、この法改正金の卵になったわけであるしかも、現行法では初公表後50年間の権利が保障されているから、最初の仕込みに1年かけて7回転させて49年間というスケジュールも可能になる。もう、コンテンツから儲ける必用は無い。その内容がどんなにくだらなく、売れる見込みが無くても、著作物でさえあれば、脱税の道具として使えるのである。売り上げの為に、無理してポルノコミックポルノDVDを作る必用は無くなったのである脱税したい人と自己破産予定者を探す能力さえあれば、コンテンツ会社の売り物はいくらでもあるので、美味しいシノギになる。

著作権法は、文化の発展に寄与することを目的としていた筈なのに、著作者よりも著作権者の言い分を聞いている為に、文化とは無関係な方向に発展させてしまっているのであった。

一番最初の公開者が権利関係を処理していると判断するのが消尽理論であり、ネット上に出ているコンテンツは、一番最初の公開者によって、その公開方法における権利関係が処理されている筈というのが当然の結論となる。権利が処理されていないという主張をするのであれば、ネット上において公開されているデータと、権利の対象となっているデータとが同一である事を証明する必要があるが、この証明の為には、権利の対象となっているデータを公開しなければならないし、訴人がオリジナルであり権利であることを証明しなければならない。それには、ネットでの公開や継続して新作を発表し続けているという実績が必要となる。それらを裁判所が判定するというのであれば、裁判所は、オリジナリティの判断や、権利の対象となっているデータが公衆の要求を満たすだけの複製が公開されている事を最初に判定しなければならないとなる。

現代において、ネットによらずに公衆の要求を満たすだけの複製を公開する事はナンセンスであり、ネット上で無制限無条件の公開をしていない以上、公衆の要求を満たしていない著作物であると判定する事になるのだが、さて、裁判所にそこまでの判断を下せるであろうか。民事裁判は、損害賠償金を確定させる事が目的の連中しか出てこないから、民事で判例を作るというのは通用しない。

良かれと思ってやっているのであろうが、統治の能力や適性が欠けている人が、官界・政界に増えているようである

2010-08-18

なんか漠然と思った

この国は波風を立てず何も考えずにいわれたことだけをやることが最大の評価点なんだなぁ。

生まれたときに100点を与えられ、そこから失敗しないでポイントを維持したまま死んでいくことにシノギを削ってるわけで、

そりゃ息を潜めるスキルの高い人のほうが得をするわなぁ。

失敗から学ぶよりも失敗をしないことのほうが価値がある世の中なんだなぁ。

ああ、そりゃ誰もなにもしないわ。

と思うに至った。

なんかそんな社会って、

能力が飛び切り高い人

能力が中くらいでまじめな人

能力も無く不真面目な人

のうち、真ん中は自殺するかやさぐれて不真面目になり、

上と下しか残らないんじゃないか。

なるほど、中間層が苦しんでるんだなぁ。とかふと思った。

一億総中流だった国民が否応無く分けられていく。

この苦しさってそういうことなのか。

どうしてこの国の自殺率が高いのかわかった気がする。

ポイントを維持することに疲れた人や、

ポイントが残り少ないと思い込んでしまった人が追い込まれてしまうんだな。


ポイントはみんなに100点振られてて、一度減ったら取り返せない。

減ったら他人のポイントを減らすことで相対的に回復するしかない。

だから堂々と歩いているだけでポイントが減らされていくから出来るだけコソコソ生きるしかない。

他人のポイントを減らすことを良しとしない人や足の引っ張り合いに耐えられない人は苦しいだろうなぁ。

まじめな人が多い国?だからより顕著になってしまうんだろうか。

いい意味で図太かったり馬鹿だったりする人が多ければそんなことないんだろうか。

そもそもポイント制を無視できるような心の余裕があればそんなことにならないんだろうか。

この苦しさから逃れるにはポイント制を超越するか、無視するしかないのかな。

そんな上を目指す生き方と、無視してある程度で満足して余生を過ごす生き方の選択を迫られると、既に周回遅れの俺はもう、

天気が良いと微笑み雨音を楽しみ花を愛で猫に和み自然の慈愛に感謝をして生きていくしかないんだな、と思った。

ま、それもいいか。

2009-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20090929003058

君がミスをすることと、

上司とソリが合わないのは

残念ながら別の問題でーす。

 

相関関係はありますが、

いっしょくたに考えていても解決しませーん。

 

ミスを減らす努力は引き続き続けましょう。

でも、直ぐには治りませんから

その上司に磨り潰されない為の当座のシノギ

別のところに用意しーましょう。

 

具体的にどうしたら?

それは残念ながら私には解りません。

私は、君や上司殿のことを、

具体的に知らないんだもん。

2007-12-31

そもそも、web屋って?

ホームページ製作業者”でいいよね?

ASPサービス提供事業者も含めようとするから複雑になってるんじゃないの?

自分はもともとIT業界にいて今はなぜか商店街に所属してるんだ。

IT業界っていっても人月Excelスーツ世界ね。

数千万の案件を数ヶ月であげるような地獄を繰り返してたんだ。

で、隣の芝生の青さがうらやましくなってweb屋ってたのしそうだなって思って辞めたの。

正直webなんてやってもお金になんかならなそうだなとおもったんで、

シノギがひつようだとおもって、お店ももったんだ。

で、お店があるので、商店街のおつきあいもあるわけですよ。

商店街のおっちゃんたちの話しを聞いていると世間のwebというかITに関する認識はこんなものだと痛感しますわ。

いやね、おっちゃんたちっていっても青年団の人たちなんだけどさ。

”親父さん”たちはそもそもインターネット(以前にパソコン)になんか興味すらないから。

あ、青年団いってもみなさん40歳前後なんだけどね・・・。

で、お店でパチパチとSOHOソフトの受託なんかもやっていると、

商店街の爺たちからあの店主はパソコンで遊んでばっかりだと陰口いわれたりするんだわ。

ようやく最近わかってもらえるようになってきて、

おたくパソコン仕事しているならホームページ作ってよ」と言われるように成長しましたよ。

いや、まるでわかってもらえてないんだけどw

ホームページっすか!?みたいな。

ホームページソフトウエアの区別って難しいよね。

難しいというかしても無駄というか……。

自分は自分のお店のホームページだったら作れるんだけど人様のを請負するのを仕事にしてないわけですよ。

今までそういう業務をしてきたわけでもないしデザインが得意なわけでもないしね。

第一たいしたお金になるわけでもないし、それなりにめんどくさいじゃない。

正直そこらの商店のページだってHPつかってなにしようってんでもなく事業目的があるわけじゃないんで、

大学生あたりにアルバイトでちょっとペラのページをつくってもらうぐらいがちょうどいいと思っているんだけど・・・さ。

もうね、なんていうか説明がめんどくさい。

次から次に同じようなことを説明しなきゃいけなくてね・・・。

自分が講師になってセミナーしたいとかそういうモチベーションもっちあわせていないんだけど、

さすがに「ホームページ製作をやるつもりは無いけどホームページは欲しい商店主のためのホームページ講座」

とかいうセミナーでもやらずにはいられないのではないかと思うぐらいめんどくささが先立ってきました。

というのも彼らの話しを聞いてちょっと義憤にかられてきたんですよ。

自分もお店をやっているのでわかるんだけど、お店やってると営業の電話がいろいろ掛かってくるわけです。

ホームページつくりませんか?」ってね。

ひどいところなんか「ホームページみて電話してるんですけど」とか。

おまえ誰がつくったページかわかって喧嘩うってんのかと内心思いながらね。

反響はどうですか?もっと反響集めたいとおもいませんか?うちはSEO(ry

そんな感じのマニュアルどおりの営業が展開されるわけですよ。

本当に山と・・・。

ひどいところなんか

「うちはYahooの代理店をしているんですが、今キャンペーン中で…(ry Yahoo!に登録しませんか?」なんてのもあるぐらいさ。

でねー…。

こういうのに引っかかるバカいるのかなとおもってたんですよ。

いやほんと。

でもね、

「うちは月々1万5000円だよ。」

「うち2万5000円。まあ電話一本で雨の日サービスとか画像いれてくれるから満足してる。」

なんて話が目の前で展開されてるのを見てさ・・・

だめ(ry はやく(ry と思ったわけですよ。

動的部分が何もないHPに数百万かけたとか、ほんと…、ちょっと待ってくれよと。

このHPに月々…… えーーーー!!? ちょっとほんとお願いだから待ってくれよと。

日本GNPうちわけはそんなことなのか・・・!!

HP制作費はただでいいです。

ただしホスティング費用が毎月**掛かりますとか。

サポートで…とか、

画像差し替えで**円とか、

ほんと山ほどパターンがあるんですわ。

ね、おたくHPなんてブログで十分じゃない?

商店主に何度言いたくなったことか。

もうやっちゃってるところには酷なので言えないんですが・・・

そういう業務をしているのがweb屋ということなのかな?

ユーザー教育じゃないけど、ほんと早急に手をうたねばと思ったよ。

デザインの手間とかバカにならないし、メンテナンスまで面倒みきれないので、

自分はホームページ製作業をやるつもりはないんだけど・・・

商店街の中でバイト5??6人囲ってまわせば済む話しじゃんね・・・。

そんなわけで、だれかバイトホームページとかつくりたい子いない?

つか、ほんと・・・もう、なんとかしたい。

web屋がうさんくさいのもの扱いされるのはいたしかた無い。

前時代的な職業っていういうけど、なんていうか日本ではそれが全盛期ですよ。

ちょっとほんと助けて。


あと、ちょっとこれの反論まじえとく。

http://d.hatena.ne.jp/waseda23/20071225/1198573722

全部こなしてます=地方のSOHOレベル

自分がSOHOなので弁明するけど、SOHOを地方って括っちゃいけないよ!

最近日本都市部で増えてるんだぜ。

あと、SOHO同士でアライアランスくんで億単位案件も食えるように準備してるんだぜ。

(・・・成功するかは知らん。)

PHP馬鹿にされる一番の要因ともなっているんだけども、セキュリティの「セ」の字も理解していない「なんちゃってプログラマー気取りのwebデザイナー(?)」が、XSS,SQLInjection,CSRF,SessionHijack等々考えうる全ての脆弱性を垂れ流してるのはどういう訳?

考えうる全ての脆弱性を垂れ流してるのは別に垂れ流したところで問題ないような情報しか扱わないからでは?

さすがにカード番号とか扱うような業者でそんなところはないんじゃね?

あんの・・・?(なんかありそうで怖くなってきた…)

ま、それは発注側の意識が前述のレベルなので…本末転倒ですがユーザー教育が急務です。

「ここは日本だからオフショアはかんけーねぇー!」なんてレベルじゃないからインド

インドマジでやばいってホント。

らしいね。

でも正直日本国内にはいってきているインド人は相当少ないのでまだ数年は平気かな。

今の日本仕事のやりかただと開発室の一部をカレー臭くするぐらいの働きぐらいしかできないとおもう。

オフショアというか呼んで来てるだけだしw

それよりも今の日本において深刻さをましたのは中国だとおもう。

中国は安いからいい!」ってフェーズは過ぎて、「中国は強いからいい!」って段階なのでは?

ほんとその通り。

ずいぶん単価はあがって日本の1/2-1/3ぐらいなんだけど、かなり質があがってきているらしい。

一時期日本でどっぷり開発していた連中が帰国したからかもしれない。

多分同価格で捜すより中国に出したほうが楽というところまできてると聞くようになった。

自分も何か損害かぶれるぐらいの案件があったら一回試してみたいとおもってる。

オフショアブリッジの人に聞くと、日本カレンダーに合わせてくれるし、日本語ができるひとが会社に1人以上いるそうだ。

スカイプで進捗の日時確認ができて、緊急の場合には携帯電話が掛かってくる。

もしかして日本会社より報告頻度高いんじゃないか。

インドかー…。

昔いったときは市民レベル的に中国よりも30年ぐらい遅れてるとおもってたのでこの速度は予想外。

昔はムンバイとかの方だけだとおもってた。南のほうの人は質がすこし違うのかもしれないね?

さすがにインドに対してはあと数年はアドバンテージがあると信じたい。

日本人英語が無理っていうのはあるいみマルチバイト鎖国の成功。

1人一ヶ月50万の仕事がまさにWebメインストリーム

絶対違う

日本フリーランスだとこれくらいじゃないの?

派遣PG会社受けの中間ぐらいだとおもうよ。

ちなみに自分は商売やりながらなので半人月ぐらいで仕事さがしてます><

2007-11-25

日本金持ち寄付しない理由

海外などでは金持ち寄付をするのはよく見聞きする。

ビルゲイツが7億5000万ドルの寄付発表慈善団体を設立したのに呼応して、

バフェット爺さんが資産(約460億ドル)の85%をこの財団に寄付すると発表したのは

大きなインパクトがあった。

この二人(といっても世界でワンツーフィニッシュ金持ち)の寄付だけで日本円で約4.6兆円にもなる。

だが一方日本ではこのような話しは殆ど見聞きすることがない。

なぜだろう。

日本人ケチ寄付しないから?

いや違う。

最近だと千葉で総額20億近い「植物園」をポンと寄付したという例がある。

なぜ、植物園という形をとったのだろうか?

逆にいうとなぜ植物園という形をとらざるをえなかったのだろうか?

理由。

それは実に明快。

日本では寄付についても税金がかかるからだ。

寄付されたほうも寄付したほうも税金がかかるのだ。

だから日本金持ち寄付しないのである。

寄付できないのである。

http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/11/4_299a.html

皮膚細胞から万能細胞を作った山中伸弥京大教授(その4)山中教授グループ研究に個人で寄付をしたい

実にほほえましい話しだ。

よほどのパトロンなら別だが、細かい単位の援助をされても受け入れることができない。

なぜなら国などの比較的手堅くボリュームもある援助を得るためには他の助成をうけることが許されないからだ。

どの助成金を目指すかは研究者にとっても技術系の先行投資型の経営者にとっても死活問題だ。

このような研究には本来は成果を出す前に資金が必要である・・・

だが日本研究者はその活動の半分を金策に走らねばならない。

もしくは学生相手に教鞭ふるってシノギをするか・・・

嘆かわしい話しだよね。


ブクマコメントにこんなのがあった。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/11/4_299a.html

おお、なんか熱くなるな。/こういう寄付って所得税の控除になるんだっけ? 国にくれてやるぐらいなら、研究寄付するよって人、たぶんいるよな。/大学宛なら控除されるみたい。年収500万なら確定申告で20%返ってくる

今回のようにみんなが少しづつ寄付なり投資をして活動資金にできれば研究者にとって、

あたらしい金策の道筋がつくことになる。とてもよろこばしいことだ。

赤十字や国境無き医師団のような認定NPO寄付するなら所得控除になる可能性もあるだろう。

大学などの特定公益増進法人も同様だ。

だが教授寄付したいという場合はどうだろうか。このケースはNOだ税金が掛かる。

寄付する側にとって所得控除にもならなければ寄付をうける側も所得として税金を支払わねばならない。

寄付するほうも所得税ぶんは原資を確保しておかなければならいし、

そしてたとえ国税で控除対象になったとしても地方税の所得控除対象になるかは現段階ではかぎりなく低い。

(・・・あれ?国税の額で算定されるから地方税もOKになる?ちょっと自信ないや。)

寄付をうけたほうも一時所得として申告して税金を支払わねばならない。場合によっては源泉でひかれている。

寄付金をうけとったら日本では所得なのである。

だから寄付金といえ翌年の税収の時期までに回収できる見込みがなければ全額は使えないのである。

宗教法人への寄付金が叩かれるのはこれが課税対象じゃないからだとかなんだとか。(だよね?)

認定NPO相手に寄付して寄付した側の所得控除を勝ち取るにも、こんなに制約事項があるのだ。

http://www.msf.or.jp/donate/substruction.html

ノーベル平和賞をとってる国境無き医師団ですら認定NPOに認定されたのが2002年ですよ…

日本で大きな額を寄付しようとすればするほどとんでもない絶望感に襲われる。

いったん国に寄付して政治家にネゴしてもらうのが最良の手段なのである。

政治家金持ち企業が絡みたくなるのもわかる。

なぜこんなことになったのか。

戦後、土地もそうだが一部の金持ちや地方の名士とやらが裁量をもつのをよしとしなかった。

一生懸命角をためてきたのである。

これはお上が権限を持つために必要なことだった。

いったんお上が吸い上げてお上の裁量で分配する。

だから戦後のような混乱期をのりきってこれた。

これは事実だ。

だが問題なのはこれを50年以上もつづけてしまっていること。

戦後レジームの脱却(笑)が真に必要なのは税金というシステムそのもののあり方である。

日本だけならこのままでよかったのかもしれない。

だが、成熟しよく肥えた日本はほおっておかれなかった。

権限の及ばないところでお金という裁量を振りかざす人たちが波状攻撃をしかけてくる。

この時間軸の短い戦況下において求められているのは個人戦に近いものである。

ただの巨体ではなくよく連携のとれた個体こそが現状をサバイブするにふさわしい。

最近ファンドという逃げ道ができたのはいいことだと思う。

寄付ではなく投資なのだといいいわけができるようになった。

さすがにもうどうにもならなくなって、国の中のひとたちも動きだしてきているように思う。

昨日のニュースだ。

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20071124AT3S2300J23112007.html

日本赤十字社などに限られている対象団体が大幅に増えるのは確実。10万円超寄付しなければ税負担が軽減されない現行制度も改め、1万円以下の少額の寄付でも住民税が減るようにする方向だ。税制面から「地方分権」を促し、寄付金のすそ野を広げる狙い。

地方分権という名のもと作戦を「みんながんばれ!」に切り替えるのは正しい判断だとおもう。

国に金を集めてからまわしてたんじゃこれからは生き残れないよ。


ま、一言で纏めると にゃー。

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