はてなキーワード: お節介とは
自分のこと好きになる方が早い
そういう人のどんな所が好きか考えてみるとええわ
声がいい、スタイルがいい、ユーモアがある、好奇心旺盛、知識が広い、知識が深い、センスがいい、付き合いがいい、気が利く、おおらか、一緒にいて落ち着く…
なんかしらの良さがあると思うねんけど、その良さに似たものを自分も持ってないか考えたらええ
最悪、なんの良さもない人間には「脅威にならない」「見てると安心する」っていう良さが生まれるから、真になんの良さもない人間は存在しないけど
天パで肌が脂っぽい、たしかに見た目にちょっとハンデあるかもしれんけど
逆に、ハンデあるのに自分のどっかしらを好きで、平気な顔してられる人間って強く見られるで
それって、どんな人間相手でも良さを見つけられるような訓練積んどるってことやからな
そういう人間にとって、人を何らかの良さで肯定できる人間は魅力的やねん
少なくとも今、増田は俺ほどお節介でキモい文章書かないという良さがある
どんどん良さ見つけてけ
自分はそもそも今まで生活していて赤の他人に助けてもらった事とか殆どないので、
どうして子持ちママ()達は他人の善意を当然のように当てにして生きていけるのか理解出来ない…
しいて言うならば、具合を悪くして道でうずくまっていた時に、年配女性から声を掛けてもらった事は何度かあるけれど
でもその人達って如何にも「お節介なおばちゃん」タイプであって
多分赤ちゃん連れを見掛けたら馴れ馴れしくベタベタ触るようなタイプだったと思うんよ
見知らぬ他人に触る事をよしとしないタイプは、他人が困っていても助けようとしたりしないよ、それは当たり前
やっぱり、親切と鬱陶しさは表裏一体で切り離せないんだと思う
「赤ちゃんに触らないで」と「困った時は助けて」は両立しない
ちょっと調べただけでも、マトモそうな歯医者でもやたらいろんな派閥があって色んな見解が飛び交ってる上に、マトモじゃないとこだと歯全部破壊しますみたいな治療法でも平然と跋扈しててビビった。
以下はその一部なんだけど、細かいとこでは書ききれない内容もいっぱいあってマジで困る。歯科矯正してる人ってどうやって選んだんだ?
要は『歯を動かすために歯を抜くか抜かないか』という内容なんだけど、この選択が歯医者ごとに違いすぎて引く。結論から言うと、マトモな歯医者でやればどっちでも間違いって訳ではないらしい*1。逆にマトモじゃない歯医者だと非抜歯でいけたはずの健康な歯を無駄に抜かれたり、無理やり非抜歯で並べて前歯て歯茎が後退して歯の健康が損なわれたりするらしい。
ただ調べた限り、『絶対非抜歯!』とか『非抜歯とかあり得ん!』とかいう極端な思想を持ってない限り、どの歯医者でもそれなりによくカウンセリングしてくれて最善を尽くしてくれるらしいので(?)めちゃくちゃ心配しすぎる項目でもないのかも。
(でも冷静に考えると抜いたり抜かなかったりの判断が、自分の症状からじゃなくて矯正歯科ガチャで出てきた歯医者の好みによって大幅に左右されるの草すぎでしょ)
*1 このへんの経緯についてはこの動画がわかりやすかった(ただ投稿者は非抜歯矯正研究の専門書を書いている人なのでそこのバイアスは意識されたい)
前述のものほどわかりやすい違いがあるわけではないが、なんか流派みたいなのがいっぱいある。
上記以外にも
相反してなくてもそもそもインビザライン等の未承認マウスピースをはじめ、インプラントでの牽引とかコルチコトミーとかMSEとかMFTとか...etcは各医者でカバーしてたりしてなかったりして、全然同じ視点から比較できなかったりする。
なんというかこう……ある程度統一的な見解とか……ないんですかね……???
素人にも判断できる基準を見つけようにも、例えばあるvTuberのMSE矯正体験記とかみてると上顎にボルトで打ち込んだ矯正器具が想定外に外れたのに滅茶苦茶雑な対応をされてたり、最新の器具を使える技術があるからといってマトモな医師とは限らんらしい。ムズすぎでしょ。
調べてて一番ビビったのが『セラミック矯正』。名前だけ聞くと「目立ちにくくてつよい矯正器具なのかな」程度にしか思ってなかったが
『ずらしたい歯を全部削って細い支柱だけみたいな形にしてその上に陶器のかぶせものをつけて見た目上の位置を移動させる』
とかいう方法らしい。言葉だとイメージしづらいが実際の施工写真はこんな感じ。これもう半分成れ果てだろ.......。
整えるとかいうレベルを超えて歯を削りまくるので早々に歯や歯茎がダメになるリスクが高まったり、10年くらいでかぶせものの寿命が来るのでその時また削る必要が出たりするらしい。
こんなデメリットだらけの手法が生き生きと普及してるのには当然理由があって、とにかく「早い」からみたい。
確かに、見た目が超重要な芸能人とかは時間と引き換えに、文字通り命を削ってでも得なければいけないものもあるだろうからしゃーないんだろうけど、GoogleMapの評価とか見てるとセラミック矯正メインの歯科に数百件の嬉々とした★5レビューがついたりしてて、とりあえずビビる。
某美容外科の紹介動画ではもちろんそんなリスクの話は出てこないし、明らかにそんなシビアな視線に晒されてない人もポンポンやってるんじゃないかと思うと、完全なお節介でしかないんだけど、なんというか辛くね?という感想を禁じえなかった。
とか、煽りめに書いたけど正直困り果ててるってわけでもなくて、まあそれなりに良さそうなとこを沢山まわって良さそうなとこを選べば最悪の事態にはならんやろ、という楽観的な気持ちでいる。
とはいえ『なんで100万払って一生引きずるガチャ引かされなあかんねん』という怒りの気持ちはまあまああるので、歯科医療に関わる人間は全員猛省しろどうにか改善していってほしいなと切実に思った。
実際、現状周れた矯正歯科だけでも『よくある狭い感じなんで上下2本ずつ抜くのが最善っぽい』『特殊なんで上の歯1本の非対称な抜歯が最善っぽい』『拡大・後方牽引して非抜歯で行くのが最善っぽい』(精密検査前で確定ではないので"ぽい"と表現)と意見が分かれまくっており、端的に言ってなんじゃこの業界という気持ちも強まっている。
いいアドバイスあれば教えてほしい。たのむ。
男性が受けている差別として重要だと私が思うのは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです。
男にも女にも、男は警戒すべき存在だという感情がうっすらとあります。
同時に、男性だったらほっといても大丈夫だろう、という肯定的な信頼の形をとって、男性のことをろくに気遣う必要はないとされがちです。
だから、世間話でもマスメディアでも、男性への警戒や、過度の信頼による雑で粗末な扱いが平然と行われています。
それが積み重なった結果として男性は、敬遠されて孤独な人生になりやすく、自尊心も低く、自分たち男性自身への嫌悪も生まれ、自分の事すら粗末に扱い、次世代男性もそのように扱うので引き継がれる、などの被害を負っています。
「保護と抑圧は地続きなのでバランスが大切だ」という話をよく目にしますが、同じように、信頼と放置も地続きなのです。
家父長制は、自立したい女性にとっては抑圧という差別だけれど、自立を望まない女性には保護を受けやすいというメリットとしても働く。
それを裏返したように、男の自由放任は自立できる強者男性にとってはメリットだけれど、弱者男性にとっては助けてもらえないし悲鳴も無視される差別として働いています。
若者が遭遇しやすい実例として、バイトやサークル活動が長引き、夜になってしまった場面を考えましょう。
これは、男性の方が不安や心配事が少なく、お節介な干渉もされず自由に生きやすいというメリットととらえることは確かにできます。
しかし同時に、「襲ってくるとしたらたぶん男だ。男を警戒すべきだ」「男の自分は、夜道で女とすれ違う時に怖がらせてしまうだろうから気を使わねばならない」「男の帰り道を気遣ってやる必要はない、男は粗末に扱っていい。自分も男だから、自分の事も心配せず粗末に扱うべきだ」という認識を強めることにもなります。
実際は、男性でも深夜に一人で帰ることに恐怖を感じる人がそれなりにいるのですけどね。
でも、女性の帰り道は心配されるが男性はそうではないという現実と向き合うたびに、「ああ、俺の夜道への恐怖は認識すべきでない感情なのだ。むしろ俺は怖がる側ではなく怖がらせる側なのだ」という方向へ矯正され、やがて本当に自分でも自分の不安や恐怖に気づけなくなります。
しばしば指摘される中高年男性の自分語りの下手さや、困りごとをうまく伝えられずかんしゃくを起こす傾向などは、彼らが自分の苦痛や不安を認識する能力を社会に破壊されているからでしょう。まして適切な言語化などできるわけがありません。
他にも色々な場面で、不安を感じてないことを前提とした粗末な扱われ方を重ねて、男性は自分に対しても他人に対しても鈍感にさせられていきます。
たとえばトイレ。
男だったら道端で立ちションしても大目に見られがちという自由は、性器を露出し排泄を見られたくない感情を気遣ってもらえないという粗末な扱いでもあります。(道端は許されないと思うならハイキングや海釣りや森林浴を想定してください)
不安や羞恥を感じていた男児も、「その辺でおしっこ済ませてきな」と言われたり、仕切りのない小便器や、女性が清掃に入ってくるトイレを使ううちにその弱さを鈍麻させ忘れてしまいます。
この言葉はおおむね好意や信頼の表れですが、同時に「男の人は一人でも不安になる必要はないよね、あなた自身が男の人なんだから加害者である男と戦えるもんね」という扱いでもあります。
一人で行動しても口を挟まれない自由の反面、一人は心細いという男性の感情は最初から考慮されていない。
このような扱いに触れ続けることで、「俺は男だから不安になる必要はないんだ」と自分を勇気づけ、痩せ我慢することが癖になります。
夜道にせよ、トイレにせよ、一人行動にせよ、成人男性に直接聞いてもたいてい「いや全然平気だが」と言うだけでしょう。
最初から平気な男性と、鈍麻し平気にさせられた男性と、本当は平気じゃないが痩せ我慢している男性を区別することは本人にすら困難です。
この論法は「たとえ当事者が男性差別を否定しても、それをそのまま受け取るべきではない。男性差別は存在する」という無敵論法っぽくなるので好きではないロジックですが、そう言わざるを得ない。
ネットでは、男性はセルフケア能力が低い、まずは自分を大切にすべきなのにそれをしようともしない、などという話も多くなっていますが、男性のセルフケア能力の低さは数十年にわたる「男性は自由に行動してよい反面、粗末に扱ってよい」という経験の積み重ねによるものであり、決して男性個人に責を負わせるべきでも、自己解決を求めるべきでもありません。
セルフケアに焦点を当てるならば、社会によって損なわれた男性個人のセルフケア能力を育て直すため、社会が反省して手厚く協力してあげよう、という話になるのが妥当でしょう。
しかし現状の男性セルフケア論では、セルフケアというスローガンと丁寧な暮らし雑誌は与えてやるのであとは自分で(せいぜい弱者男性内部で)上手くやって成長しろ、社会は手を貸す気はないぞ、という正反対の切り捨て論になっています。
男同士で友人を作っても、それは楽しさや得意分野を分かち合うには向いていますが、弱みを見せ合い癒し合うことには向いていません。「今日はパーっと遊んで嫌なことは忘れちまおうぜ」のような会話がその典型です。
男性が警戒され、気遣ってもらえない原因には合理的理由がある、という反論はできるでしょう。
腕力の強さ、性欲や暴力性の強さ、外見の悪さ(体毛が濃く皮脂が多く禿げやすいなど男性ホルモンが外見に与える悪影響は多い)、コミュニケーション能力と共感能力の低さ、など。
しかし、そのようなある程度の合理性があったとしても、統計的差別であることは間違いありません。
統計的差別はどの程度まで許されて良いか、というのは難しい問題なので、別に論じる必要があります。
そして、フェミニズムと弱者男性論の共闘が難しいのはここが主な原因でしょう。
「性犯罪は男性から女性への加害が多い(犯罪全体では男性が被害者になる方が多いですが)」「腕力が強くて制止が困難」「妊娠リスク」など様々な事実に基づき男性に対する統計的差別をどの程度認めるべきか、フェミニズムと弱者男性論は真っ向から対立しています。
統計的差別は一切許されるべきでないと言い切る人も時々いますが、それはどの陣営であっても非現実的でよくないと思います。
もっとも「社会を運営するにはマクロ視点の統計的差別が必要なことは認めるけれど、その加減を考えましょう」とかぬるいことを言ってると、確かにそうだね考えなきゃねとは言ってもらえても実態は現状維持が続くだけであり、統計的差別を一切許すな!と極端なこと言って圧を掛ける方が新規分野の社会運動としては実を結びやすいんでしょうけどね……。
今までも男性差別については、男性は加害者として認められやすく被害者として認められづらいという内容でしばしば語られてきましたが、たいてい注目されるのは女から男への悲惨なセクハラや暴力事件がほとんどです。
それも由々しき問題ですが、男性差別の根底にあるのは、もっと日常的でうっすらとした「男ならまあ平気だろ。ほら、やっぱり平気だった」という日々の積み重ねではないでしょうか。
特に、「男性なら大丈夫」という信頼により粗末に扱われる場面は見過ごされやすいと思います。
フェミニズムでは、「女を自立した人間と信頼して放任しろ、家父長制で口を出してくるのやめろ」というアプローチが行われていたため、その逆である、過度の信頼による放置という男性差別は問題視されづらいのです。
「女子供は弱いから保護して指示してあげなきゃね」という慈悲的差別に対して、男性が受けやすい「男は大丈夫だろうから心配する必要もないし勝手に自立しててくれ」という扱いは、信頼的差別などと呼べそうです。
この記事は、これまで弱者男性論で強調されてきた、人間関係や恋愛や経済やジェンダーロール面の困難や、弱者男性の存在自体が不条理に否定される、などの論点と対立しません。
警戒されつつ粗末に扱われることは、親しい人間関係や恋愛関係のハードルを上げます。
経済的貧しさについては、一般的な貧困問題に加えて、男性は公的にも私的にも助けてもらいづらいし、そもそも助けを求める能力が社会により破壊されている点に、男性特有の困難があります。
男性ジェンダーロール問題とくくられるような、男なんだから泣くなしっかりしろと言われるとか、責任を負わされるとかは、「信頼の名目で粗末に扱われる」部分です。
弱者男性論自体があまり聞く耳を持ってもらえないしミソジニストとすら言われることや、困ってると認めてもらえなかったり、困っててもそれは受け入れるべき部分だと言われることなども、「信頼してるという名目で粗末に扱われる」の一種ですね。
また、「男性にも弱者がいることは分かったけど、結局どうなることを求めてるんだ、要求を出してくれ」という問いがありますが、運動として歴史の浅い弱者に、的確な要求をする強さをいきなり求めないでください。
現時点では、「どうなったらいいかを、男性に肩入れしつつ一緒に考えてくれる人が増えるのが望みです」としか言えません。
少なくとも私は、男の乳首も露出NGにしろとか、男性トイレもすべて個室にしろとか、芸人のちんちんポロリシーンやハゲネタはダメだとか、「男の人がいると安心」はハラスメントだから許すなとか、そういう短絡だったり個別的すぎる議論にはしたくありません。
男女平等に近づけることには合意されるとしても、男性も女性くらいに保護する方向と、女性も男性くらいに放任する方向では、目指すものは大きく変わるでしょう。
細かな調整が必要な問題ですから、今はまだ最終要求を問われてジャッジを受けるほど議論が深まっていません。
あくまで私の主観的な意見としては、消極的自由を重視して積極的自由には疑問を持っているので、保護よりも放任、安全よりも可能性を男女ともに重視する方がよいと思っています。
人間に限らず生物が「男性的な物、強そうな物、醜い物」へ抱く警戒と嫌悪は途方もなく根深いので、男性もケアされる男女平等の実現可能性は絶望的であり、女性も雑に扱われる男女平等の方がまだ実現可能性があるだろうという予想のせいでもあります。
本エントリの書き方だと皆が保護される平等を求めているように見えるかもしれませんが、私個人はそれが実現しそうにないと絶望しているので、皆が放任される平等を目指した方がマシだと感じている、ということです。この絶望感をぬぐえるならぬぐっていただきたい。お前にサン(son)は救えるか!
【追記】
母親と妻、そして「女をあてがえ論」についても書きました。
『男性が母と妻にだけ弱さを晒そうとするのは、皆に原因があります(anond:20220909191646)』
秋田弁講座「くされたまぐら」
『しっかしおめだば何さでもはってくるもんな、ほんっとくされたまぐらだごど』
…数人で会話をしている場面を想像してお読みくださいな。そしてある一人に向けて発した一言といったシチュエーションになります。
『しかしあなたときたら何にでも入ってきますね、本当にでしゃばりですね』
こういう人、いますよね。でも、「でしゃばり」とか「口を挟みすぎ」とかは傷つける言葉として捉えられがちなので、秋田弁ではこういった「やんわり罵倒する言葉」が多いのです。
しっかりと語源がありまして、母から聞いたこの言葉を解説をしてみますね。
「たまぐら」は「たまくら」が訛ったもので、鎌や鍬などで木でできた柄に金属部分を固定させる丸いかたちのものです。これが腐ってゆるくなると役に立たなくなり、どんなものにでもスッポリとハマッてしまうことから、何にでも口を挟み大して役にも立たないことばかり言っているお節介さんを「くされたまぐら」と言うようになったのだとか。
友人が発達障害だと診断がつく前から「なんかこの子空気読めないな」「平気で人を傷つけることを言うなぁ」と思っていた。
一対一だと割と会話が成立するのだが、集団だと度々おかしな発言をして周りの空気が死に、それをわたしは取り繕っていた。
発達障害だと診断がついたあとも友人は空気が読めないとは思っておらず「わたしは発達障害だけどコミニュケーション能力がある!人の気持ちがわかる!」とよく言っていた。
そんな友人は職場でうまくいかず鬱になり退職をした。おおよそ見当はつく。どうせいつもの調子で空気を読めずに忙しい時にどうでもいいことを聞いたりして怒らせてしまったのだろう。本人はそんなことない!私はちゃんとしてる!の一点張りだが。
まあでも災難だなと思い話を聞き、アドバイスをするなどしていた。
しかし全て「そんなこと言われても発達障害(or鬱)だからできない」で終わるため建設的な会話にならずアドバイスもだんだんしなくなっていた。
友人は鬱になると攻撃的になるタイプだったらしくかなりひどくあたられた。アドバイスも全て「余計なお世話」であり、「私の人生を操作しようとするな!」だそう。
一応補足するがあくまでアドバイスでありこうしなさい!と強制したわけではないが友人にはそう脳内変換されてしまうらしい。
びっくりしたのだがこれがかなり傷ついた。あまりこういうことは言いたくないがかなりお金も援助したし愚痴や悩みも深夜過ぎまでたくさん聞いた。今までも悪気なく酷い言葉を投げかけられても「まあそういう特性だししょうがないな」と思って飲み込んでいた自分がバカらしくもなった。本当に「人の気持ちがわかる」ならそんな言葉を投げつけないで欲しかった。
友人だから心配してるだけだよ、とか、発達障害で鬱で貯蓄ゼロの人間の人生を操作してなんかメリットってあるか?とか、いろんな感情がよぎって反論しようと思ったが、やめた。
もう友人に私の声は届かない。どうあがいてもお節介な悪者になってしまう。私はそっとLINEをブロックした。
もう会うこともないだろうが、友人の鬱が寛解することを願っている。
アイちゃんは幼馴染で、小中まで一緒だったが高校で別々になった。しかし私とアイちゃんの関係はより濃くなり、高校になっても頻繁に遊んでいた。
双子コーデしてプリクラ撮りに行ったり、カラオケオールしたり、フェス行ったり、深夜の公園で話したり。
親からはアイちゃんと遊ぶなと言われたが、思春期真っ只中の私は全力で反抗してアイちゃんと遊んでいた。
高2のある日、地元に商業施設ができることになり、そのオープニングスタッフとしてアイちゃんと面接を受けに行った。
私には「めんどくさかったから」と言っていたが、同じ高校に行った知人から「ちょっとしたいじめっていうか、友達出来ずに孤立していた」と聞いた。
私はアイちゃんが言いたがらないならそれでいいと思い、何も聞かなかった。
そして私たちは晴れて同じ店でバイトするようになり、研修期間からなぜか社員に注目されていた。
土日祝は信じられないくらい忙しい職場だったけど、私とアイちゃんの2トップなら任せられる、と私たちはバイトリーダー的な立ち位置で、バリバリ働いていた。
その頃のアイちゃんは、私のおかげで、褒めてもらえる!私とならどんな場所でもがんばれる!私ちゃんはすごいよ!さすがだよ!
と、私を異様に褒めてくれることが多かった。
今考えると、私のいない高校生活では馴染めなかったけど、バイト先で社員やスタッフから頼りにされて、アイちゃんのことを認めてくれる場所に戸惑っていたのかもしれない。
アイちゃん自身が頑張っていたのは間違いないのに、アイちゃんの中では「私のおかげ」に変換されていたのだろう。
そうしてるうちに、私に頼るアイちゃんが形成されていき、いつしか親友なのに、子弟関係っぽい形態に変化していった。
そして、18歳の私はその頼られる優越感を気持ちよく感じていた。
私はキャンパスライフを楽しみ始め、アイちゃんも夜の世界に飛び立ち、生活リズムが違うのでやや疎遠になっていたが、それでも月1くらいでは遊んでいた。
そんなキャバ嬢のアイちゃんから彼氏ができたと報告されたのが20歳の頃。
私はカモられてるのかと危惧したが、話を聞くと、アイちゃんではなくホストの方がアイちゃんの客だった。
営業の一環でアイちゃんの店に訪れた彼がアイちゃんに一目ぼれし、猛烈にアタックされたとのこと。なので、アイちゃんはそのホストの店に行ったことはないし、1円も貢いではいなかった。
少しは心配したが、年下ホストの大学は世間では高学歴と分類される大学だったのもあり、アイちゃんも幸せそうだったので暖かく見守ることにした。
しかしその2か月後、次は「妊娠したから、結婚しようと思う」と相談された。
相手は、ホストも大学も辞めて働くと言っており、アイちゃんも産む決意は固まっていた。
また、未婚で産む選択肢は考えておらず、それはアイちゃんが母子家庭で、お父さんの存在を恋しく思っていたからとのことだった。
そして、妊娠発覚後にアイちゃんはキャバを辞め、元ホストは、本当に大学もホストも辞めて、昼職に就職した。
しかし、高学歴と言われる大学を中退してのデキ婚に両親は怒り、結局勘当され、アイちゃんの実家で暮らすマスオさんになっていた。
それにしても年下のホストは、アイちゃんと子どもを愛してくれる、ちゃんとした人だったのだ。
そう思っていた。
ある日、アイちゃんと暇電していたときに何気なく元ホストがどんな会社に就職したのかと聞くと、
とのことだった。
その時は、ITベンチャーぽいところなのかなという認識だった。
それから数か月し、アイちゃんも働き始めたという話を聞いたので、妊娠中なのに大丈夫なの?と心配すると
「つわりは落ち着いたし、楽な仕事でしんどかったら帰ってもいいからめっちゃ楽!」
というので思わず、どんな仕事だよと突っ込むと、夫(元ホスト)の職場にアルバイトに行っているという事だった。
業務内容は「ひたすらメールを返す仕事」らしく、つまりは「出会い系のサクラ」だった。
という事は、アイちゃんの夫(元ホスト)は、出会い系詐欺サイトを運営する会社の社員なのだ。
いやいやいや、やばくないか。
アイちゃんは特段そのことに問題意識は持っておらず(というか一緒に働いている)、さらには夫(元ホスト)は既に幹部になっているらしく、稼ぎもちょっと前からめっちゃ上がった、と嬉しそうに報告した。
いやいやいや、やばくないか。
私は真面目な人間ではないが、その時に「すごいじゃんー!よかったね!」とは言えない正義感を持っていた。
そして「どうにかしないと」という謎の問題を背負い込んだ。
私は、夫(元ホスト)の会社はまともではないこと、辞めさせた方がいい、何なら私が直接話してあげるから、とアイちゃんを説得にかかった。
私は「事前に伝えると微妙だから、夫(元ホスト)が次家にいる日教えて、行くから」と伝え話を終えた。
その時の私の心境は、
③なんとかしないと!
の3本立てだった。
そして、来たる夫(元ホスト)との決戦のため、情報収集をと思い、悩み相談掲示板に片っ端から投稿した。
────────────────────────
友人を助けたい!
友人の夫がサクラサイト(出会い系)で働いていて、友人もアルバイトに通っている。
本人たちはそのことに問題意識をもっておらず、何とか説得したい。
────────────────────────
こんな内容だったと思う。
サクラサイトは詐欺にあたることや被害の内容は既にググって把握していた。
\みんな、オラに力を貸してくれ!/
そんな気分だった。
数日たち、掲示板でついたレスはあまりなく、さらにそのほとんどの内容は私が希望していたものでは全くなかった。
・説得してどうするんですか?質問者が気持ちよくなるだけですか?
・人の家庭のことに責任持てないのに、説得するだけって、、
・それ、お節介って言うんですよ。
私の気持ちにみな賛同してくれると思っていた。一緒に解決策を考えてくれると思っていた。
そもそも私のこの感覚が「おせっかい?自己満?」根本から問題を考えなくてはならない。
回答を見た時は「犯罪を許容するのか」と回答者は反社会的倫理観のやつらばかりなのかと憤った。
しかし、
説得してどうするの?会社を辞めると収入がなくなるけど、責任とれるの?
という回答を私は持ち合わせていない、何で私が責任を取る話になるのだ、そんなのアイちゃん夫婦でなんとかしろよ、が本音ではあった。
が。現実問題、会社を辞めさせるよう説得して後は知らないけど、って私の目的はアイちゃんが問題に巻き込まれているから救いたい、であって、夫が会社を辞めて解決したとしても、すぐに「金銭面の問題」にぶちあたることを予想できていなかった。
私は社会にも出ていない世間知らずの大学生でしかなかったのだ。
この状況で違法な方法だけども、今は稼いだお金で安定して生活をしている。
サクラサイトの被害者の救済、サイト撲滅という正義感であっても、直接の被害者でもなくただの大学生の私にできることなんて何もない。
結果、私は何もしない方がいい
それが私の出した答えだった。
アイちゃんを助けたいと言いながら、結局は自分の周りの人たちの中に犯罪に関わっている人がいる、という状況をどうにかしたかっただけなのかもしれない。
さらに、その頃はまだサクラ詐欺の黎明期くらいだったので、私の調べた限りでは刑事告訴されたり従業員に刑事罰が下されるような判例もなかった。
21歳でようやく、自分の正しさを押し付けることを人はお節介と呼ぶのだと理解した。
タイトル回収をすると「悪いことをしたら注意してあげるのが本当の友達」という風潮があるが、自分の正しさを押し付けるだけになっていないだろうかといつも思う。
当時の私は犯罪に加担する友人に何もしないのが正解だと判断した。
後で聞いた話だと、会社の場所を数か月単位で移転したり、社名を変えたりしている(なのでアイちゃんは夫の会社名を把握していなかった)ということだったので、夫も自分の会社がまともな会社でないことは理解しての判断だったのだろう。
最後に「何もしなかった」は違うかもしれない。
私は、自分の友人が犯罪に加担しているという状況にストレスを感じていた。
友人が悪いことをしたら注意するのではなく、距離を置くのがいいのかもしれない。
その結果、私には友達がいないけども。
そうは言えない状況なのかしら?
一時期のあの怒濤の量よりかは開放されてマシになったわ。
あのさ、
買い物でさ
買い物かご使うとき手で持つじゃない。
私買い物の量に関わらず、
カート使うようにしてるのよね。
だってレジで並ぶときにカゴを腕にぶら下げていたら片手しか使えなくて
暇つぶしが出来ないじゃない。
カートに買い物かご乗っけてのお買い物だと
手が空くから
いくらレジ待ち行列が最適化されていない変な時間帯忙しいのにレジ店員が2人しかいなく謎の配置の時ってあるじゃない。
レジ長蛇の列!って感じで
でも両手空いてるから
スマホみてなにか捗らせたら
割とどんな時間帯レジの列が変に長くても気にしなくなったので、
みんなも真似していいし
自分発信のライフハックだと言っても過言でないことも間違いなことは確かね。
そんでさ、
その話しの延長線上にあるような話しなんだけど、
そのマーケットで買い物している人、
1回1回カゴを床に下ろしては品物を入れてって感じだったので、
私の使ってるカートを譲ってあげたの。
わざわざカート置き場に行ってまたカートを持ってきて2台でカートを併走して1人で走るのが滑稽だったので、
その場で譲ってあげたのよ。
そんで私はカート置き場からまたカートを取ってきてウイリーして買い物をご機嫌に再開したところよ。
横目でカート使って楽そうには見えたけど、
はなからカート使えば良いのにね!って思ったのに使わないのはなぜかしら?
そうかも知れないわね。
あと帰り道自転車に乗ってて
その人にとっては慣れない道なのかしらね?
知らずに一方通行の道を進入しそうに右折しそうな車と出会い頭に遭遇したので、
こっち一方通行だよって教えてあげたわよ。
ああいう運転種の人って殺伐としてるから注意しにくいけれども、
窓越しに物腰の柔らかそうな人だったから逆によかったのかもね。
万が一そんなので捕まっちゃったらもったいないじゃない。
いいことしたなーってあと一つでいいことしたのハットトリックだったのにって
やっぱりそうは簡単には成し遂げられないのよね。
その日の3つ目のいいことの行いが出来たのかも知れないわ。
でも私思ったの
その日の晩ご飯
おかわりしないで一膳でおさめておきました。
なんつって、
やったー!って
結論としては
まあ
おあとがよろしいようなので、
今日はこのぐらいにしておくわ。
うふふ。
珍しいでしょ?
山椒の良く聞いた、
だれに?って感じの
たまにはこう言うのも食べるのよ。
最近さ
もうトマト高すぎて1玉ですら買えないけど
トマトの缶詰だとかトマトの加工品の方が安くトマトを摂取できる逆転現象。
いや言い過ぎかも知れないけど
生身のトマトが高すぎるわ。
さすがに高いわー。
詰め合わせたら高いわよ。
露地栽培で勝手八百屋やって100円で1袋たくさん入っているトマトが懐かしいわ。
まだグレープフルーツの方が1玉98円なのよ。
ほんとトマト高いわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
近年の晩婚化は、若い方が「一生結婚しなくて良い」と考えているからではないのです。
それでは、何故未婚者が増えているのか?
現代社会では、婚活アプリや婚活パーティー、結婚相談所等、様々な婚活サービスが数多くの業者から提供されていますが、各婚活サービスには特徴やメリット・デメリットが有り、本来なら利用者が自分の性格や属性、希望する結婚時期等を正しく理解してから利用する必要が有ります。
しかしながら、多くの若者が各婚活サービスの正しい知識を理解しないまま、やみくもに活動した結果、婚活疲れを起こして結婚を諦めているのが実情です。
この問題を解決する為に最善なのは、昔ながらのお節介パワーだと思います。
但し、全国でも有数の独身女性に対して独身男性が少ないエリアで、特に女性の独身者にとって親御さんや親戚、上司からの「結婚しろ圧力」は有難迷惑でしか有りません。
本当に必要なのは、最新の婚活サービスの特徴について正しい理解をし、独身者本人の希望をヒアリングしながら、適切なアドバイスを送ることです。
近年の晩婚化は、若い方が「一生結婚しなくて良い」と考えているからではないのです。
それでは、何故未婚者が増えているのか?
現代社会では、婚活アプリや婚活パーティー、結婚相談所等、様々な婚活サービスが数多くの業者から提供されていますが、各婚活サービスには特徴やメリット・デメリットが有り、本来なら利用者が自分の性格や属性、希望する結婚時期等を正しく理解してから利用する必要が有ります。
しかしながら、多くの若者が各婚活サービスの正しい知識を理解しないまま、やみくもに活動した結果、婚活疲れを起こして結婚を諦めているのが実情です。
この問題を解決する為に最善なのは、昔ながらのお節介パワーだと思います。
但し、全国でも有数の独身女性に対して独身男性が少ないエリアで、特に女性の独身者にとって親御さんや親戚、上司からの「結婚しろ圧力」は有難迷惑でしか有りません。
本当に必要なのは、最新の婚活サービスの特徴について正しい理解をし、独身者本人の希望をヒアリングしながら、適切なアドバイスを送ることです。
近年の晩婚化は、若い方が「一生結婚しなくて良い」と考えているからではないのです。
それでは、何故未婚者が増えているのか?
現代社会では、婚活アプリや婚活パーティー、結婚相談所等、様々な婚活サービスが数多くの業者から提供されていますが、各婚活サービスには特徴やメリット・デメリットが有り、本来なら利用者が自分の性格や属性、希望する結婚時期等を正しく理解してから利用する必要が有ります。
しかしながら、多くの若者が各婚活サービスの正しい知識を理解しないまま、やみくもに活動した結果、婚活疲れを起こして結婚を諦めているのが実情です。
この問題を解決する為に最善なのは、昔ながらのお節介パワーだと思います。
但し、全国でも有数の独身女性に対して独身男性が少ないエリアで、特に女性の独身者にとって親御さんや親戚、上司からの「結婚しろ圧力」は有難迷惑でしか有りません。
本当に必要なのは、最新の婚活サービスの特徴について正しい理解をし、独身者本人の希望をヒアリングしながら、適切なアドバイスを送ることです。
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しかしながら、多くの若者が各婚活サービスの正しい知識を理解しないまま、やみくもに活動した結果、婚活疲れを起こして結婚を諦めているのが実情です。
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