はてなキーワード: Gwとは
なんか10巻くらいまでの手軽なお勧めマンガ教えてくれ 完結してなくてもいい
グロ・ホラーOK 青年誌レベルのエロOK 歴史もの好き 動物好き
チーム戦のスポーツもの、ラブコメはあんまり…(でも少女漫画も読んでたよ! チーム制スポーツものはキャラが多くてややこいので)
とりあえず読む予定
・衛府の七忍
持ってる(夫の趣味)
・ジョジョ
・日常
・動物のお医者さん(これだけ私の)
わたしは結局人の目世間の目が気になってわたしのしたいことができません。人の目がきになるのはわたしがわたしの顔が不細工で嫌い身体が醜く太ってるから嫌い、だから。整形して痩せたら素敵なことが始まる気がする。わたしのやりたいことが人の目を気にしないでできる気がする。でも整形するお金を作る行動が、痩せるための行動ができない。わたしにはできない。ぼんやり思っていた。そんなことを思ってました。いま深夜2じ11。ぼんやりしていたものがはっきりしました。なんではっきりしたのかというと、インターネットで複数人でよく通話をしていた中の女の子の1人が、顔出しをしてYouTubeで配信をしているのをみたから。その子はそこそこリスナーがいてTwitterのフォロワーは3000人くらいできていた。顔はすごくかわいかった。見なければよかったと思う。わたしはその子が羨ましかった。わたしのなりたい姿だった。わたしは親友と呼べる友達が3人いる。あとは高校生の頃青春をすごした友達も5人くらいいる。5年付き合っている彼氏もいる。今年から同棲していて来年結婚する。彼はインターネットで出会って、こんなわたしでもかわいい好き愛してると言ってくれる。わたしは両親、おばあちゃんとも仲が良くて、GWには実家に帰ってお土産を渡そうかなと思っています。インターネットの中の顔も知らない5年の付き合いの友達にもわたしはいい子だしおもしろいねと可愛がられます。でも、わたしは何か足りない。周りのみんなは大好きだけど、優しくしてくれるけど、わたしは自分のことが大嫌いです。
わたしがぼんやりと感じていたもの。今のわたしはほんとうにやりたいことが出来ていない。1回の人生これでいいのか?この思いが、YouTuberになった顔も知らなかったインターネットの知り合いの女の子を見てはっきりしました。わたしはこの子みたいになりたかったんだ。彼女はわたしの彼氏とインターネット上でわたしと出会う前仲がよかったみたいです。そもそもYouTuberになった彼女を知ったのは彼が「〇〇って覚えてる?いまYouTubeで顔出しで動画あげてる、ネットの知り合いでみたなかでも〇〇1番かわいいかも」と言ってわたしに動画を見せてきたからです。わたしはその瞬間心臓を掴まれたような感覚がした。気丈にふるまっていたけど、頭がおかしくなりそうになりました。わたしもインターネットで知り合った女の子なのにね。いま後悔したのかなわたしの彼氏。と思いました。ずっと彼女の動画を見ている彼を見るのは嫌でした。わたしってなんにもいいとこないな。バーチャルYouTuberのオーディションとか受けたいけど彼氏に気持ち悪がられるだろうし。わたしはインターネット上で声を出すときはいつもとぜんぜん違うかわいい声をだす。彼氏にはお前声つくってたんだなって馬鹿にされました。ぜんぜん作ったような感じしなかったけどお前もつくってたんだって。だってインターネット上くらいではかわいく思われたい。神様はわたしに声だけはかわいくだせるようにしてくれていました。歌も上手く歌えるようにしてくれていました。そんなわたしにインターネットはとても居心地がいいのです。顔は出さなくてもいいし、かわいいと言って貰える。なりたいわたしになれる。彼氏もそんなわたしのことをすきになってくれたし。わたしは彼氏とは現実世界であわなければよかったって思います。会いたくなかったです。でも彼に「会わないならお前とは一生絡むことはないだろうな」とインターネット恋愛していたときに言われてて、彼をインターネット上で失うのがいやだったから会いました。自分の顔写真、身体の写真、全て他人撮りのものを20枚くらい送りました。これでも会えるのかって。彼は不細工でも愛嬌がある、と変換できて、太っている子がすきだったからかわいいって言ってくれました。だから会いました。でも会わなきゃよかった。一生インターネットの中でかわいがられていたかった。気持ち悪い思想だけど本心です。わたしのことをプロデュースしてくれる人がいたら、インターネット上で活動したい。いま彼氏と同棲して半年、幸せだしたのしいこともあるけど、そんな人がいたらわたしは彼氏と別れて、そっちをとります。悩むことも無く。なんでこんな事を考えちゃうんだろう。いま2じ46。30分くらいこんな文章を眠っている彼氏の横で書いている。いやになる。また自分が気持ち悪くてきらいになりました。この文章なにが言いたいかわからない。わたしも何がしたいのかもうよくわからない。たまに死にたくなる。幸せなのに死にたくなる。死ぬのは惜しいのに死にたくなる。自分のなりたい像になれないから死にたいのかな。よくわからない。でも書いたおかげで気分が落ち着いた。それはわかる。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190406-00000289-sph-soci
夜間に提出するとその分手続き遅れますのでGWの大型連休中は提出しないことを勧めます。
必要書類が揃っていても10連休が終わらないと手続きが終わりません。
不備があると手続きは当然終わりません。
提出日はほとんど変わることはないですが、稀に提出日が変わることがあります。(※平成の終わりに提出しても提出日が変わる場合は平成の終わりになりません)
これに関して、クレームを言われても変更ができませんので注意願います。
確実に手続きを終了したいのであれば、窓口での即日手続きをお勧めします。
夜間の場合は翌日以降(連休中の場合は連休終了後)になるので、不備の修正やそれ以外で提出者された人と連絡が必要があればあるほど時間はかかりますので
それと、窓口でたまに写真を撮影して欲しいといわれる市民がいますが、記念写真は提出前に撮影願います。婚姻届は受取った時点で一時的でも返却できません。
コピーも事前にとっていただくよう願います。開庁時間内はコピー機が役所によって配備されていますが、基本的に事前にとってから持参願います。
連休中は、一部の役所は臨時開庁しますが一部のみですので事前に昼間の時間帯に大型連休中(4月30日or5月1日)は開庁しているのか問い合わせしてください。
なお、夜間窓口は警備員などが受付をしていますが、専門的な内容には回答できませんので預かりのみとなります。
ギリギリの駆込み予定の人はご注意ください。
こんどのGWに車で3時間半ほどかかる祖父母の故郷に、四世代(祖父母、両親、自分、妹、自分の配偶者及び子(幼児2人))で旅行をしようと計画していた。祖父母も楽しみにしてくれていた。
なんとなく祖父母と行く最後の旅行かな、と思い、少し良いホテルも予約した。(私が小さい頃は共働きの両親に代わって、祖父母がよく旅行やドライブに連れ出してくれたが、私が大きくなるとそれもなくなっていった。祖父母孝行がしたくなった頃には、私には小さな子供がいたため、なかなか余裕がなかった。子供が少し大きくなって旅行も楽しめるようになった今がチャンスだと思ったのだ。)
ただ昨日祖母から電話がかかってきて、祖父が最近失禁をするようになってしまったので旅行は難しいかもと言われた。祖父は昭和一桁生まれなので、まぁもういい年だし、しょうがないのだけれども、やっぱりすごく残念だ。
あと、私の母(祖父母の娘)が我関せずの態度をとるのが気になる。祖父母が電話をかけてもいつも出ないらしいし。まぁ親の老いに向き合うのは難しいのかな。
「来年のGWは○○に旅行いこう!いまから予約しとかないと!」
大学生くらいになったら、なんか周りの人たちみんな手帳というものを買ってて。
なに社会人ぶってんだよ、と小馬鹿にしていたが、大馬鹿は僕のほうだった。
正直言って、「来週飯いこうよ」という誘いすら悩む。
疲れてるかもしんないじゃん。
なんか気分のらないかもしれないじゃん。
でも、そういうのって予定を断る理由にはならないらしいよね、一般的に。
風邪ひいたとかならまぁ一般論にも、ギリ対抗できる気がするけど、
この世には「風邪でも絶対休めないアナタへ」というキャッチフレーズで風邪薬が売られている。
「それは、大事な仕事とかなら休むわけにはいかないでしょ」って言うかもしんないけどさ。
そこで「一回休み」が許されてないと思い込んで人生ゲーム自体からリタイアする人もいるじゃん。
リスケもなんか回数制限あったりするじゃん、物理的に期限あるならわかるけど、雰囲気レベルのやつとか。
なんか回数制限ブッチしちゃって、中止にするか、って話なるとなんか変な感じになるし。
まあそんなんだから気づいたら他人の誘いを受けられなくなっていて、自分から誘うこともできなくなった。
もはや他人に向けて唯一できるのは「この後ヒマ?」レベルだけだ。
人から誘われるときも、その時うれしかったとしても、結局期日までそのテンションでいられる確証がないから不安になる。
ちなみに逆に誘われたときは全然だけど、期日になって突然テンションがぶちあがったりすることもまれにある。
まあこれって他人が関わってくるからなのかな、って思ってたんだけど、最近個人的な予定もダメだと感じてる。
自分で自分を誘ってる状態なわけで、自分が気分のらない、ってリスケしたら誘った自分ががっかりしてたりする。
タイムマシーンで未来にいけたらとか言ってるけどさ、一瞬先の未来のことすら考えたくないよ。
「○○したい」みたいな感情が芽生えた瞬間、それにむけたスケジューリング始めないといけないの?
今を生きてぇ。
1月半ば、HISで旅行を申し込む。GW前に行く新春フェアで台湾ツアーだ。
追加料金を払ってホテルのグレードを上げオプショナルツアーも申し込んだ。
頭金は払って残りは2人で約15万。少し高くしても私には強気になれる要素がある。
HISはPayPayで支払いができ、2月にキャンペーンがまた行われることを知っていた。
支払いは3月末までに払えばいいので、PayPayキャンペーンが解禁になったら早速支払い
そして、2月待ちに待ったPayPayの解禁日。私は愕然とする。
私の目論見は外れることになった。今更1000円では何もならないし納得できない。
3月末までにPayPayで第3のキャンペーンがあり新たなるテコ入れがあるかもしれない。
私はその時が来るのを期待し現状払わないことに決めた。
20代。一応資格職で、資格があれば優遇される(というテイの)職種。
契約社員で時間帯責任者をしていて、時給1000円。税金は普通に引かれてるし、GWなど休みが長いときは手取り2桁に届かないこともある。
かなり不真面目だったので適当な大学に入り、そこで今の仕事について知って資格を取った。資格の勉強は楽しかったし、この仕事に就いたらやりたいことがたくさんあって、結構未来に期待していた。
実情としては、とにかく人がいない。この職種になりたいって思ってる人間はたくさんいた(実際就活の倍率が100倍くらいになることもあった)のに、とにかく人がいない。何故ならほとんどの求人が最低賃金だから。先輩の男性社員は生きていけないからという理由で別の資格を取ってこの職種から離れた。先輩の女性社員もこの仕事のままでは独立した生活が難しいから転職した。だいたいの働いている人がパート的な稼ぎ方で、メインで稼いでいるパートナーがいて、その扶養に入る範囲内で勤務している。というか、そうじゃないと厳しいだけだが。
私も転職したい。が、今持っているこの資格以外に強みもなく大学時代はこの仕事に就くことしか考えていなかったので何がしたいのかよく分からない。けっこう前に「辞めたい」と言ってみたけれど、人がいないことを理由に拒否され、強く辞職の意を示し続けることもできずにいる。
そして常にワンオペだ。とにかく今の職場はやれる仕事がないので、2人いても邪魔なだけだが。とにかく大事なのが「現状維持」だし、そもそも上司が存在しないので何か業務を振られることもない、叱られることもない、何か変えようと頑張ったとしても誰も気づかない。そういう職場だ。よって、業務時間帯にこんなくだらないエントリを書いたりもできる。ブラウザゲームもできる。誰もいないしやることもないので実際今日に関しては増田を書いて給料をもらっているようなものになる予定だ。
うらやましいと思われるかもしれない。私もブラックな環境にいたらそう思うだろうな。でもただひたすら虚無感がある。あと、普通に生活が厳しい。こんな職種を知らなければ良かったなあ。たまにこの職種についてネット上で議論になっているのを見るけれど、100年もすれば正社員はいなくなってそう。憧れだったんだけどなあ
正しいタイトルは「某アーケード音楽ゲームを"アプデを追いかけるほど"やらなくなって1年経った」。
こんなどうでもいい誰かの事後報告を見るのは多分自分と同じ暇人だと思う。
なので覚えてる範囲でやり始めた経緯から辞めるまでの話、それからやらなくなってからの変化について身バレしない程度に書く
きっかけは高校1年のGW休み?かどっかの休み、本当に気まぐれで知ってる限りで一番大きいゲームセンター(ラウンド1には劣る)に行った時だったか
某社のタッチパネル式エアホッケーのポップさに惹かれてプレイした所「音楽ゲームってこんな感じなんだな」ぐらいのまったり具合で好きなゲーム入りした
最初こそセカオワの虹色の戦争とか、JPOPみたいな曲をやってたぐらいだったけど、ある曲のジャケット絵が偶然目に止まる
ジャケ絵が格好良いとかボス曲だったとかではないが、曲調が思い切りストレートヒットだった。
譜面とかいろいろ調べてる内にその曲が同社の別の音楽ゲームタイトルからの移植曲であることを知る。
そんなわけで移植元のタイトルの筐体がすぐ隣にあったこともあり、ギュイーンって感じのゲームをやるようになった。
エアホッケーとはシステムデザインやコンセプト、楽曲の傾向もまるで違っていたけど、もともとオタクだったのも合わさってこれまでにないくらいハマる。
これが始めた経緯。その後ボス曲を聞いてドチャクソ気に入ってしまった為に本気でプレーをしていくことになる。
それからはTwitterで同タイトルやってる人と繋がったり、オフ会したりしてそれなりに楽しんでいた。
でもそれだけじゃないよねって話を今からしていく。
読んで字の通りなのだが、音ゲー自体本気でやるのが初めてなのもあって成長は時間がかかった。
それこそ1週間や2週間ちょっとではなく、年単位で時間とクレジット数、運指練習を積み上げる。
この時期にTwitterで実際にフォロワー上級者さんに「音ゲーは1,000クレまでチュートリアル」と言われたのだがこれは実際そうだった。
当時の最高難易度に辿り着いたのが実際それくらいだったし、何なら今もそう思う。
そしてここが問題なのだが、音ゲーの成長はまっすぐ右肩上がりには絶対にならない。
ランカーみたいなのは話が別だが停滞して停滞して、いきなり伸びてみたいなことを一生繰り返し、止まっている間入れたクレジットは無に消える。
お上手な期間は本当に短い。その間は死ぬほど楽しいがそれ以外が地獄のようなエグさを感じる。
おまけに自分が成長しない期間の間に他の同ラインにいると感じていたフォロワーがお上手スコアを出してどこからか焦りを感じる。感じてた。
そうやって成長しない自分に嫌気を感じたり、自他共に認めるお上手スコアを出して承認欲求を満たしながら気がつけば5年くらいやってた。
今までの記述でなんとなく何のゲームをしていたのか察した人もいることだろう、何なら筆者が誰なのか察した人もいるかもしれない。
そういう人たちならこの話きっと分かってくれると信じている
が、分からない人からしたら分からんだろうので2015年〜2017年後半くらいまでの間の話を当時のゲームの雰囲気を思い出しながらそれっぽく書く。
始めた当初はシステムデザインや楽曲に惹かれて始めたのは前述の通りだが、ある程度の基準を感じさせる程度には質の良い譜面が多かった。個人的には。
その後しばらくして新しいナンバリングの後継作が発表された。
ゲームの本質とは関係がないが世間一般でいう「ガチャ」が登場し、最高レアが出るとゲーム内の演出としてキャラクターを出すことが出来るといった新しいコンテンツが発表され、バグがそこそこ散見されたが楽しめない訳ではなかった。
しかし実際に稼働が開始して半年?ほど経った時に状況は変わる。
1クレジットのプレーの最後にRPGゲームのようなHPを持った敵が出現し、攻撃(クレジット)を重ねてそいつを倒すことで楽曲が開放されるといったイベントが後出しで出てきた。
問題は倒す過程なのだが、先程言ったガチャでの最高レアを持っている場合特攻が効く。つまり持っている場合と持っていない場合で解禁スピードに差が発生するようにした、ということになる。
当然これには不満を持つプレイヤーが多かった。そりゃおまけ要素として出しておいて今更「解禁楽になりますよ」なんて通る話ではない。
ところがその次のアップデート
先程のイベントに新しい敵が4体+全員倒した先に1体で合計5体(つまり新曲5曲)出てきたのだが、これをガチャでの最高レアなしで解禁する場合概算で100クレジット、日本円換算で1万円かかるとかいう馬鹿げた話をマジでやりやがった。
「音ゲーでガチャゲー要素あるのなんて他にもあるじゃん」って言われれば現在はそうだが当時はこいつだけだったし、何より「解禁に絡めるなんて一切聞いてない」というのが大きすぎる。
ロケテ段階でノートに「ガチャを解禁に絡めないで」と書かれていたのにも関わらずやってのけた。この案件一生許す気は無いし後世に語り継いで行かなければならない。
これ以外にもいくつかシステム面に問題を感じていたのだが、譜面の質の低下も顕著だったように感じる。
出来る出来ないで譜面を判断する輩が一定数いるのは理解してるし、この書き方だと自分もそう思われても仕方ないとは思うけどそれでも適当な作りの譜面増えたのは感じてた
インフレさせとけばいい、むずい譜面出しときゃいいみたいなのはマジでやめてほしい
そんな感じのことがあって開発陣への不満や不信が募りつつ、また譜面の異常なインフレは無駄に加速する一方で追いかける側としても正直疲れを感じていた
それでも惰性と承認欲求で続けてたし、成長速度が遅くても頑張っていたので最後まで解禁に困ることはなかった
でも2017年後半くらいから譜面の難易度が明らかに急上昇すると共に精神的にも本気でキツくなってきてTwitterでの毒吐きがめっちゃ増えた。
Twitterでスコア報告するけど伸びてないからゴミだし、他みんな総じて上手いスコア出してたし、謎のプライドが許せなくてゲーセン向かう、の悪循環。
この時の自分は間違いなく「ゲームをやりに」行っているのではなく「スコアを出しに」行っていたように思う。
そんな中でなんとなく帰りがけに目に止まった某社のドラム式洗濯機ゲームをプレーして久々に"楽しい"ゲームができた気がした。楽しくて仕方なかった。
その時になってようやく、この時初めて「もう辛いし、スコア上がらなくてもいい」と思った。
そうして、このゲームをやる機会は次第に減っていき今では「いい感じの過去の曲がやりたくなったら」「自分の気分に全部合わせて」やるくらいになった。
ちなみに毒を吐いていた時のフォロワーはまだ自分のFFの中にいるし、頻繁ではないにしろ気軽に空リプする。この事も本当にラッキーだったと思う。ありがとうな
洗濯機はまだ続けてる。ただし「スコアを出しに行く」のではなく「音ゲーなんだから音楽を楽しむために」やるスタンスを徹底して貫く様にしている。
「ゲームしにいってるんだから楽しくないなら変に根性出さずに帰る」ことが大事。
それから、別の活動としてプログラミングを本格的にやるようになった。これは自分だけじゃなくてイベントで知り合った近い年代の人たちが居たから持続したんだと思う。
そのおかげか自分も行動を能動的に起こすようになり、かつては考えられなかった超大御所の会社からお話を頂けている。自分は本当にラッキーだった
音ゲーをするのもいいけど、やっぱ他の趣味が有るのと無いのでは全然違うんだと身をもって感じた。
こんなクソッタレた投稿で今更自分が人様にとやかく言う資格なんかないんだろうとは思うが、それでもこの3つは守ってほしい。
特に1つ目は本当に覚えておいてほしい。でないと自分と同じ間違いをしてしまう
2つ目だが、自分がたまたまコードを書くのが適していた(?)だけで別にプログラミングを趣味とする必要はない。
けれど、趣味が音ゲーだけだといつか辛い時期が来る。その中でも楽しく生きていくために趣味は多いに越したことはない。
3つ目だが、 よくある話だと捨てゲーは正直な所「やってる側が楽しくない」のが見え透いていて、外野から見る人間からしても見苦しい。
事情や目標はあるだろうがそれで周囲の人も自分も幸せになれないくらいなら、いっそスパっと諦めてしまうほうが精神衛生的にもよい。的な。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
もしちょっとでもFGOが気になるというなら、今始めるべきだ。
もしちょっとでも友人にFGOを布教したいというなら、今布教するべきだ。
昨年末、「FGO二部の完結=FGOそのものの完結」であることがゲームニュースサイトのインタビューで明かされた。おそらく今年中か来年初めまでには完結してしまうだろう。シナリオの更新が終わったら、サービスもそのうち終わるだろう。オフラインで遊べる永久保存版として配信を続行したりするかはわからないが、後述の理由から、このゲームはできるだけ早く始めるべきなのだ。
これは直接的な布教のための記事じゃない。シナリオの魅力とか、キャラの魅力の話は、もっと話が上手な人に聞いてくれ。とにかく、すこしでも気になっているなら、今のうちに始めてほしいというだけの話である。
FGOの魅力の一つが、「ライブ感」だ。FGOを楽しむには、複数のプレイヤー間で同じ体験を共有するのが重要なのである。
せっかくだし、もう始めている人と一緒に二部完結の瞬間をリアタイで盛り上がるなら、今から本編を進めないとまずい。
強化に必要な素材はとにかく入手しにくいので、強化には素材が簡単に手に入り、強力な☆4鯖が配布で手に入ったりするイベントを進めるのが定石。
しかし最近はハードルの高いイベントばかりなので、本編を進めておかないと戦力拡充もままならない。
戦力が強化できないと、本編も進まない。
しかし、今やってるプリヤイベは、参加ハードルが低く、イベントのシステムもシンプル。2年以上前に開催されたイベントの復刻版なので、攻略情報も充実している。
このタイミングが、新規が始めて最新シナリオに追いつくラストチャンスかもしれないと思う。
「二部完結に間に合わせる」のを目標にすることを見据えて今後のイベントの予定をざっくり考えてみると、ざっとこんな感じである。
・2月:バレンタイン2019(例年冬木クリアが参加条件だが、配布鯖は無し。推し鯖がいるとモチベーションが上がるので、バレンタインより前に始めて本編シナリオをある程度読み進め、推し鯖を見つけておきたい)
・5月上旬(GW):新規コラボイベント?(Apoイベはオルレアンクリアが条件だったが、またハードルが高くなるともわからない。例年配布鯖ももらえるので、ここまでにはある程度進めておきたい)
・7月:サバフェス(配布は水着ジャンヌオルタ。ハードルも低い。しかしシステムがかなりややこしいし、ここで始めたところで二部完結に間に合うかどうか)
・8月:新規夏イベ(配布鯖はいるはず。例年水着イベはガチャ的にもかき入れ時なので、イベントのハードルも低い。しかしここで始めたところで二部完結に間に合うのか…?)
・9月上旬:CCCイベ復刻?(終局クリア。アヴェンジャーに対抗できる手段であるムーンキャンサー・BBちゃんはここでぜひ加入させたい。「二部完結に間に合わせる」という目標を考えるとここで始めるのは手遅れ。)
・9月下旬:BOXガチャイベント(例年参加ハードルは低いが、この時点である程度戦力が欲しい。配布鯖も無いしここで始めるというのは微妙な気がする。また急にハードルぶちあげてくるともわからないし、そもそも最初に掲げた「二部完結に間に合わせる」という目標を考えるとここで始めても手遅れ)
・10月上旬:ONILAND(ゲッデルデメルングクリアが条件。むろんここで始めたんじゃ明らかに遅い)
・12月上旬:クリスマス2019(アナスタシアクリアが条件。BOXガチャだしこの時点で戦力は十分に欲しい。ここで始めるのは明らかに手遅れ。)
ごちゃごちゃ書いたが、要は「今以降に始めるのは遅い!なるべく早く始めるべきだ」ということである。
当然、イベントの合間には本編もどんどん進んでいくし、一緒に盛り上がる機会を増やすためにもなるべく早く始めたい。
今やってるプリヤイベは、攻撃力を乗算で増やせる特攻配布礼装を使えば、たいしてレベルをあげなくても何とかなる。
しかも、配布のアーチャーであるクロエがもらえる。NP獲得スキルに宝具火力アップにつながるスキルに回避スキルまでついているのだ。すさまじい難易度で悪名高い6章のガウェイン対策にちょうどいい。
宝具Lv1だけでいいなら、今すぐ始めても丸1~2日あればゲットできる。しかもクロエはイベント期間限定で取得経験値2倍だから、交換種火を全部使わなくてもすぐLv80までもっていける。残りは元からいる自前鯖に与えればさらなる自軍強化につながる。
しかし、今回のプリヤイベはストーリーの好みが分かれるのだけが欠点だ。私はロリコンではないので今回のプリヤイベの雰囲気はちょっと苦手。
それを除けば、とにかく今回のイベントはおいしい。
FGOを始めて最新シナリオに追いつくつもりなら、今がラストチャンスだということだ。まあぶっちゃけFGOはいろいろとめんどくさいゲームだし、私自身は積極的にFGOを布教しようとは思わない。とにかくいえることは、「気になってるなら、早く始めるべきだ」ということだ。
もし良かったら読んでください。
私(女)は小学生の頃、箸の持ち方を知らないばかりか、食べる時には口を閉じてくちゃくちゃ言わないようにするとか、お皿の中に手が入らないように食器を持つとか、そういう生活常識を知らなかった。
髪は週に1,2回しか洗わないし、梳かしたことはほとんどなかった。まともな櫛やドライヤーも家になかった。同じ毛玉だらけのセーターを毎日着ていた。成長期なのにあまり顔や体を洗わなかったから、顔や背中の肌が荒れて、ニキビだらけだった。
(背中のニキビの一部は皮膚の病気になり、今も通院しているけれど、手術後も再発・肥大し、痛みと痒みが続き、大きく背中が開いた服を着ると見える。)
小さい頃からベビーシッターによく預けられて、母は友達と遊びに行ってしまう。
今思えば子供への関心の薄いネグレクト家庭だったのだが、両親はちょっと変わっているだけで、全く虐待している意識も攻撃性もなく、学校の先生が家庭訪問に来ても、新築の一軒家住まいで5月の庭には数種の薔薇が咲いており、特に生活困窮しているわけでなかったから、異常を見つけてもらえなかった。
家はあまり掃除されておらず汚かったし食事も買ってきたお惣菜や冷凍食品ばかりだし誕生日もほとんど祝ってくれなかったし学校の話も無関心でテストや定期試験の答案さえ見せたことがなかったけど、どうしても欲しいゲームや必要なものはある程度買ってくれるし、風邪を引けば病院に連れていってはくれた。
母の少女趣味で、4歳からバレエやピアノの習い事もしていた(両方とも下手だったけど)。
そんな子供だったから、小学3年生のとき、給食の牛乳を飲んでいる途中で、飲み方が悪く、むせて吐き出してしまったのをきっかけに、周囲の子どもに「汚い、キモい」などと言われ始めたのをきっかけにいじめが始まった。
私が触ったものは全て汚染されていると言われ、みんなそれを信じるようにして、避けるし、触れることがあったら菌がついたと言い他の人に鬼ごっこのようにして移す。一見遊びのようだけど、やっている人たちもからかってるわけではなくて、時間が経つうちに学年中に知れ渡り、狭いコミュニティの中では迷信のように真実めいていた。村社会的に、コミュニティ全体の常識がシフトしてしまい、今の自分と比べてずいぶん汚い身なりだったし、性格も卑屈寄りだったのでなかなか理解しがたいとは思う。あえて例えるなら、見た目に特徴のある障がい児に起きることのあるいじめのパターンがあるとすれば、それに似ていると思う。
いじめは中3まで続き、何人かの男児から、登校中に因縁を付けられて、石を投げられたり、お腹を蹴られたり、持ち物に触れたという理由で土下座させられたり、ゴミをかけられたり、クラスの8割程度の人に配った給食を残されたり、描いた絵を破られて路上に捨てられたり、カッターを持って校舎内を追いかけ回されたりした。
運悪く、担任の先生は小1から中3まで毎年変わってしまっていて、特にこちらから何もお願いしなかったから(当時の自分は、そんなお願いは聞いてもらえないと思っていたから)、特に主犯格と言えるような男児とクラスが中2までずっと被ってしまっていたし、ほとんど対策がとられなかった(こちらが言えば注意ぐらいしてくれるけど対象の人数が多すぎてキリがない)のも長続きしてしまった原因の一つ。
たまたま中2の時に、登校時に下駄箱を見たら、自分の下駄箱に他の男児の上履きが突っ込んであった。
これは、私ではなくて上履きの持ち主をいじめるためで、この頃は時々あったことなので、その上履きを適当にすのこの上に置いて、特に気にせず、教室に入ると、今度は机の中に同人物の教科書がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
取り出すのに苦労していると、当該の男児が登校してきて、自分の持ち物を“汚い”私の元に移されたことを怒っていた。
そもそも私がそういう前提で扱われることに納得いっているわけではなかったので、私も何か言い返そうとしていると、チャイムが鳴り、担任が入ってきた。
「何してるんだぁ!」と担任が一喝すると、クラス中の注目が集まった。
みんな知っていることとはいえ、表沙汰にされるのが怖かったし、恥ずかしくもあったので、その時は数年ぶりに人前で泣き、それも一言では言い表せない気持ちが色々あり、通夜のように静かに激しく泣き、ホームルーム中ずっとその嗚咽が教室に響いた。
担任に話を聞いてもらい、事態は理解してもらえたが、たった1年の付き合いの担任に比して、周りは長くて8年ぐらいの間柄であるから、今更自分への扱いが変わることはなく(誰かが私に優しくするとその人がいじめられるので)、菌扱いはずっと続いた。ただ、その頃には周りも異性などに興味が移る人が多く、積極的にそういうことをしてくる人たちは減ってきていたかもしれない。
私は他のクラスメイトとは自分と感覚が違いすぎて今見れば普通の人たちとも関わるのも怖く、多くの人とはあまり喋らず距離を置いており、関わることがあればそういう人たちだったのでわからない。
自身、かなり頑固だったので、耐えなければいけない、自分が悪いと思って、不登校にはならなかったし、転校も考えたことがなかった。そういうことを言うと、何事も大ごとにしたくない親や周囲の大人が嫌がるのがわかっていたし、恥ずかしかったし、どこへ行っても同じだと思っていた。
友達が少なく読書をよくしていて、進研ゼミも取っていたので(教養コラム読むのとシール集めに赤ペン先生出すだけで一般教材はやらなかったが)、勉強は得意だったので親に頼んでバレエを辞め、好奇心から塾に通わせてもらった。
成績が良かったので、塾の講師にも会社実績を上げるためのエースの一人として熱心に指導をいただき、都道府県で公立トップの高校に進むと、周りの人たちがガラッと変わって、周りは賢くて志の高い人ばかりで、誰も自分をいじめなかった。とても驚いた。廊下で男子にぶつかったとき、気持ち悪がられて罵倒されるどころか、「ケガはない?」と心配してくれて逆に申し訳なくなった。
中学生ぐらいからは、部活の友達が居たこともあり、少しは身なりの整え方などが改善され、今まで全く笑わなかったが楽しさを感じて笑顔が出るようになったこともあり、普通に友達や仲間ができた。
しかし、高校3年生になると、みんな受験勉強に勤しむので友達付き合いを控えるようになり、元々大学を目指しているわけでもなかった自分は高校生からは成績がかなり悪く、学問は諦めて美大を目指していたが、絵の勉強に身が入らず、部活も終わりかけ、家族とは相変わらずあまり関わりがなかったしとても孤独で、GWの間、一日7時間ぐらいいろんなことを考えた結果、人生がわからなくなり、5月下旬に家の中でパニック発作を起こした。
流石に親が心療内科に連れて行ってくれて鬱の診断をもらった。
頭の中の時間感覚がおかしくなり、好きな授業もあったけれど、教室でじっとしているのが怖くて、家や保健室でボーッと過ごす日が続いた。
結局ほとんど絵も学問も勉強しなかったので、試験には落ち、浪人生の身分となった。
浪人を始めた頃には少し鬱は回復していたので、一念発起して美大ではなく私立文系の勉強を始めた。ついでに、不細工と言われ続けた顔を鏡で見ると昔を思い出すので、貯めてきたお年玉をはたいて眼瞼下垂気味だった目を整形した。
高校に入ってから部活や他の趣味ばかりでろくに勉強していなかったけれど、一年間ほとんど勉強だけしていたからか、早稲田大学の3学部を受け、全て合格した。
それから先も多少いろいろあったけれど、今は政令市の地方公務員として働いている。
陰険な上司や先輩に当たって虐められた年もあったが、今は環境に恵まれて毎日が過ごしやすい。
20歳頃からは皮脂分泌が落ち着いて肌荒れしなくなり、髪も縮毛矯正をマメにかけるようになり、あれほど男子に不細工、キモい、近寄るな、死ねなどと毎日言われていたのに、今は男性もみんな優しい(それでも同年代の男性が今でも怖いし、年をとったり、見た目が悪くなった途端に冷たくなるのでは?と思う)。
過去のことは忘れないと思う。
というか、昨夜も夢に見たのが今回文字に起こしてみたきっかけ。
幸せな子供時代というものも味わってみたかったけれど、人生一度きりだから仕方ない。今後のことはわからないし、何かの糧になったと思って今を楽しく暮らすしかないのかもしれない。親にはお金の面ではありがたいと頭では分かるが、気持ちとしてはどうしても感謝できない。
今の私がそのまま子供に戻れたら、もっと周囲に訴えかけ、逃げられないなら転校だってできた...と思う。10〜20年ほど前だから、今の時代よりも支援は得られないかもしれないが、多少の嘘をついて逃げても誰も大して困らなかっただろうし、何より自分の人生を大切にすべきだった。