はてなキーワード: 科学者とは
箸の持ち方やマナーに関して何やら揉めているようだが
ちゃちゃこ正直クソババアお母さんという下品なハンドルネームの女や
もじゃもじゃ頭のNO科学者が「持ち方の自由」を主張している。
だが、騒ぎの本質は「正しい」という表現への脊髄反射。それだけ。
これが子供ではなく、いい歳した大人の態度というのだから驚きだ。
動作や操作に関しては「適切なフォームやポジション」が存在する。
私は筋トレが趣味だが、いわゆる「正しいフォーム」というのがあり
その「正しいフォーム」とは「数多の先人達による膨大な試行錯誤と経験則」から
「平均的、あるいは好ましいフォーム」として定まったと解釈している。
そして「正しいフォーム」は自ずと美しく見える。
もちろん平均から外れる人もいる。私も種目によっては正しいフォームが合わない。
「正しいフォーム」を頭ごなしに否定し自由で良いんだと言うのは
結局「使いやすければどんな持ち方でも良い」を突き詰めれば
必ず、前述した「数多の先人達による膨大な試行錯誤と経験則」の繰り返しになる。
「正しい」とされるに至るプロセスを辿らず表面だけ見ているとそんな事にも気付けない。
基礎を禄に学ぼうとしないのに「なんとなく」「雰囲気で」調理する。
満足しているのは自分だけ。
ただ「正しいとされたきた」全てを肯定しているわけではない。
例えば「下半身強化には走り込みが常識」という主張には反対だ。
筋力が上がるどころか下がるリスクの方が高いというの学んだからだ。
強化の観点からすれば走り込みは裏付けのない根性論でしかないとわかる。
マナー・エチケット・フォーム・ポジションなどをご破算にし「自由」の行使を主張するなら、
今後、他者の無礼や無作法を「自由」の名のもとに受け入れる覚悟があるということか。
「お前が言うな」と嘲笑されても甘んじて受け入れるか見ものだ。
従来の正しさを葬ったところでまた独自の正しさを押し付けてくるのは明らか。
それが予想できないペラペラ人間には、モジャモジャ毛の生えたハートに箸を、いや釘を刺して
「いっぺん死んでみる?」と言ってやりたくなる。
現代に生きる自分が必ず最良の選択していると勘違いするのだろう。
「親の躾がなっていない」と。私は酷く憤慨した事を覚えている。
今思えば憤慨は恥ずかしさを隠すためだった。
魚や肉を綺麗に切り分けたりしているのを見て
同じ箸を使っているのにどうして自分にはできないのだろう、
そんな疑問が浮かび訊いてみた。
答えは簡単「あなたの持ち方がおかしいのよ」。たったそれだけ。
それから懸命に持ち方と動かし方を真似て練習。するとどうだろう。
今まで何となく不便を感じていた箸がまるで最適な道具になったかのよう。簡単に物を掴める切り分けられる。
米粒でも豆腐でもツルツルした煮豆でも容易く掴むことができた。
正しいフォームを反復練習するだけで、こんな大きな違いになるのか、
自分なりに使いこなそうとしていたのはなんだったんだと、己の視野の狭さと浅はかさに唖然とした。
そして何より箸を考案し正しい持ち方までも無償で提供してくれた昔の人にありがとうと思った。
ちゃちゃこ正直クソババアお母さんという女、ちらっと見ただけでも
その覚悟もなく子作りをした結果、子育てに窮し不平不満を爆発させ
どうせ子育てについて「正しさ」「適切さ」に反発して碌な情報収集や勉強もせず
「己を犠牲にしない自由な育児」なんてアホなお花畑思考だったのではないだろうか。
この女は悪知恵も働くようだ。
子育てしている主婦なら誰でも直面する不安を不平不満に転換させ肥大化と正当化を煽る。
悪いのは夫だ!親だ!環境だ!社会だ!と責任を他に求めるよう誘導し
あなたは一人ではありません、私のサロンで仲間と学び人生を謳歌しましょうと
夫のことを平気で「旦那」なんて呼べる品の無さと
「正直さ」と「あつかましさ」を履き違えたデリカシーの無さは見苦しい。
こんなのがチヤホヤされているのを見ると
未だに橋下や堀江を有難がっている人がいるのも頷ける。
【対案を出せ!】中野剛志が改革バカをぶった斬る【大阪都構想】
https://www.youtube.com/watch?v=EduqZb9Xf0o&feature=youtu.be&t=79
論理性をなくす背景に、新しいこと、普通、改革と言われている「Change」
「New Change」は何か良い事をもたらすはずだという漠たる…
変化を恐れるなとかですね。
それがずっと続いているんですね。
セリフ同じなんですよ。
お前起爆してやるっていうw
http://www.nicozon.net/watch/sm20102492
17:42~
そしてこれまでが全部悪かったんんだ、これまで全部否定して良いんだと言って始まった人達は
行き詰まってくると、またそれをやりたくなる。
これ言葉があるんですよね。
英語では「The Myth of the Clean Slate」って言うんですが
今のシステムチャラにして1からやり直すのが一番良いという発想です。
これをやりだすと大変なことになる。
で、壊すと言うことは何やら「現状に風穴を開ける」ということで
「『web of science』にアクセスできないから」だと思う。
これは一言でいうと、
「最新の科学技術を分類しておいてある、科学者が良く使うリサーチの道具。ノーベル賞もここから予想できる」
この『web of science』は、例えばNBI(内視鏡で特殊な光を使って、ちょっと深い血管の様子が見れる)の知識を得たいと思う。
で、検索して、レビュー論文を選んで、一番関連度が高い論文がサジェストされるから、それを読めば、だいたいのことが分かる。
どのような過程で研究が始まり、どのような歴史的な展開があり、現在の技術があるのか、未来の課題は何なのか、どういう事が研究としてさらに行われているのか。それが分かる。
これが、普通ではできない。
子供たちに自由研究させたりするときに、あるいは勉強したいことがある子供たちに、あるいは意識が高くこの世の科学の最前線を知りたい子供たちに。あるいは、会社で腐って未来や科学を疎ましく思う大人たちに。
そういう人たちが、この[web of science]に自由に触れられたら、ゼンゼン違うと思う。
国民が、これに触れられて、「この技術の科学ってそんな感じが最前線なんだ」ってのが分かれば、ゼンゼン意識が変わると思う。
それに触れる機会が無い。
そこが、かなりのこの世の科学に対する人々の誤解を生んでいると思う。
ということならば「日経サイエンス」を定期購読すれば良いと思う。
図書館に行けばバックナンバーが1年分くらいはあると思うので読んでみて。
http://www.nikkei-science.com/
大学は専門が限られてしまうので、幅広い雑学知識を得るにはちょっとむかないと思います。
ごめん、よく読んだら
「科学者キャラを出したけれども研究の描写ができない」とか「高度な文明を出したけれども科学技術が描写できない」
みたいな悩みですか?だったら
ここで検索してヒントにするといいかも。で、キーワードが大体掴めたら
などでググれば学生向けのプレゼン資料などが出てくるかと思います。概要をザクッと知るのに便利です。
もしも男に人工子宮か何かで子供を出産させる事が可能になったら。
ロスジェネのおじさんを徴用して、国家が親権を持ってエリート教育することを前提に
まとめ
これだけ騒いでこれで終わり?
メッセージは何なの?
まー最初に言いたいのは、怪獣でブンドドしたいのか、何か意味深な話がしたいのか、人間ドラマを描きたいのか、どれかに絞れよってことです。
包み隠さずに言えばマクガフィンとメアリー・スーを悪魔合体させた環境テロババアを暴れさせたのがただの舞台装置でしかないからもっと手短にやれ。違うというなら単なる仲直りじゃなくてしっかり描けってことです。
主人公気取りのオルカ一家が丸ごと不要だったとすら言えますね。ガメラシリーズやゴジラシリーズにはちょくちょくああいう家族が出てくることは確かにあるんですけど、それは怪獣映画が子供向けであるが故になんか道徳的なシーン入れないと見せに来た親御さんがモニョるよねって要素の解消としての装置なわけでして、単におっさんオタクがうおおおおするだけのモンスタープロレスでしかないならいらんのですよ。
ドラえもんでもなきゃクレヨンしんちゃんでもないんだから、ただただ怪獣が暴れてりゃいいんですよ。
あの一家がテロリスト活動を通じて何かを取り戻す過程なんてのは、映すにしても映像感をつなぐための接着剤として割り切って10分ぐらいでいいんですよ。
マジでね。
ババアいらね。
娘もいらね。
親父もいらね。
んでまあ次に言いたいのはね、オチショボくねってことです。
ギガデストロイヤーと戦ってるわけでもないのにバーニングしだしたのはビックリしましたけどね。
でもそれやるならもうギガデストロイヤーやスペースゴジラと戦えよって話ですよ。
キングギドラが怪獣として最高なのは確かでしょうけども、この令和の時代に世界中の怪獣をキングコングまで含めて叩き起こしてまで倒す相手としてはちょっとまだ足りないです。
結局はオーバーキルであっさり終わってましたし。
最後にチラっとそんなシーンがありましたけど、あそこまでを開始1時間15分でやって、そんで最後にバーニングしてたら最高だったんすよ。
ゴジラとギドラ死んだ→メカキングギドラ登場人類終わった→実はメカゴジラ作ってた→やっぱ勝てねえ→芹沢とキングコングが犠牲になりゴジラ復活→メカキングギドラ+ファイヤーラドンvsバーニングゴジラ+モスラ+ガメラ
ぐらいのやりすぎ座組でやってこそのKoMでしょう。
怪獣大決戦にスタースクリームと化したラドンおまけしただけの話で終わられちゃ消化不良なんですよ。
そんでまあなんでこの映画が尺とスケールの割にオチがショボかったのかというと、ひたすら人間ドラマやってたからです。
それもまあ怪獣との共存とか未知との遭遇とか科学兵器開発とかよりもメインは、どっかの被災者家族が、頭おかしくなって暴れまわって娘がそれに振り回されてるうちになんかスッキリして和解、っていうただそれだけの話に尺を使いまくったからです。
なんですかコレ?
我々が映画館に払った2800円(3Dメガネ込み)は超弩級の怪獣プロレスを見るための値段なんですよ。
突然リングに上がり込んできた裏方スタッフによる家族への手紙朗読会をブックと言い張って見せられても困るんすよ。
その時間があるなら話をもう一回り回転させろよってことです。
最高クラスの映像も、重量感も4DXとの完璧な相性も、原爆とゴジラの関係性へのリスペクトも、最高すぎるメインテーマアレンジや、しみったれた自衛隊なんてテーマソングすら関わらせてやらねえという割り切り方も、中学生が教室でするような妄想を幼稚園児がクレヨンでコンテにしたためたようなジャンクさも、全部、全部、この勿体なさが台無しにするんですよ。
なんで?なんでこんな素晴らしい映像を作れるのに安っぽい環境テロリストとヒスババアによるくだらん終末論が物語の柱として居座ってるの?となってしまうんですよ!!
テロババアによる凶行なんてのは最初の1時間でかたをつけて残りは全部怪獣と科学者による殺戮パーティーであるべきだったんですよ。
必要ないんです。
世界を滅ぼしたいテロリストはまだしも、愛を叫びながら地球を滅ぼしたがる頭お花畑のおばちゃんも、後悔することが仕事みたいな面した陰気なおっちゃんもいらないんですよ!
結論!
映像 最高!
座組 おしい!
重量感 最高!
4DX 超最高!
リスペクト 最高!
ストーリー 💩💩💩
キャラ まあまあの💩
この元増田の言ってることには、ある程度納得できる部分もあったんだけど、根本的に矛盾してると感じられる部分もまた散見されたのである。
と言っている部分。
ここでは、「人間に議論を限定します」と端的に述べられているけれど、要は、「肉食動物の生態を論駁することは諦めざるを得ない」という事実が揺るぎないことが、この辺りの言説から読み取れちゃうのである。
ブコメにもあったけど、人間は現状自らの肉体と精神の健康を得るために肉を食べる必要があるのよ。
それは肉食動物の事情と寸分変わるところではないし、そこに健康が関わる限り「肉を食べる権利」が生起することは極めて避けがたい。
その権利を侵すことはできないし、それを侵そうとするのであれば、それは明確にある種の歪みを生んでしまうということに他ならない。つまり、他者に対して肉体と精神の健康を制限せよと言っているのに等しいわけだよね。
特に順位無しで俺が電子書籍や蔵書として購入した、漫画喫茶で読んだ、完結済みのおすすめ漫画を紹介。
(追記)
すみません。三月のライオン、終わってないんですね。リストから消しときます。
(追記2)
ブコメありがとうございます。いろいろ参考にさせてもらいます。そう言えば、手を出してないなぁって漫画もあるんで、Kindleで漁ってみます。
読んだけど、好きでも嫌いでもないので上げてない完結漫画もわりとあったりします。ブコメに上がってるのだと、フルアヘッドココやBASARA、シュトヘル、皆川作品全般は、そんな中に入ってる感じです。
ブコメに上がってないものだと、銃夢、ナルトとかBLEACHとかカイジ、金色のガッシュベル、戦国妖狐、ソウルイーター、るろうに剣心とかの著名どころもそんな感じですかね。
長編漫画を始発待ちの漫画喫茶でまとめて読むのが好きな傾向があるのでメジャーどころしかないという。漫画好きの人の参考にならなかったら、すみません(陳謝)
夏が来ると必ず読みたくなる。傑作揃いのあだち作品の中でも最高傑作だと思う。タッチ、みゆき、クロスゲーム、どれも感動しますけどね。
三角関係がほのぼので好き。ゆうき作品もたいがい読んでるけど、一番好きなのはこれですかね。俺はパトレイバーよりも好きです。
微妙にエロくてNTR属性を覚醒させられるかもしれない。隠れた名作だと思う
異能バトルもの。ゴミを木に変える能力一つで、何が出来るかって発想の豊かさが面白かった。
主人公のクズっぷりにヒロインの寿くんが振り回される姿に震えろ。
1回読んだだけでは何が何だか分からないけど、とにかく引き込まれて何度でも読み返す、そんな漫画。
僕は金次郎になりたい。色んな格闘技が出てくる異能各党漫画だけど、キャラが濃くて立ってて捨てキャラってのがいなかった。だから、最初から最後まで面白い。
多分九州くらい大きな島なんだろうな。二度読むと絶望する矛盾だらけ、勢いだけの酷い漫画なんだが、しかし丸太が無双すぎて最高のギャグマンガなんだよ。酔ってる時に読んでくれ。
異能バトルもの。単純な能力を使って工夫をしながら戦っていく展開が、どうも俺は好きらしい。決壊で妖を囲んで消滅させるというシンプルな能力の奥深さと世界観が好き。
最後の方はダレまくりだったけど、単なるバトル漫画になるまでは面白かった。
少年漫画の知恵比べ系ギャンブルゲーム漫画の中では、テンポの良さとゲームの設定の面白さが異色でお勧め。照朝ほげー
終わり方には納得いかないが、超天才テニスプレーヤーの主人公があり得ない速さで強くなっていく漫画。もう少し才能のない所を見せて欲しかったなぁとは思うけど、戦略的に戦っていく展開が好きだった。
熱い天才を描かせたら並ぶものがいない作者の名作カーレース漫画。天才が順当に天才っぷりを発揮して周囲を驚かせてくだけなのに、全然しらけないし、なんか熱いものが残るんだよねぇ。シャカリキ、め組のダイゴ、昴と、作者に天才を描かせたら本当に熱いし、どれも面白いけど、Capetaが一番熱かったです。
人間を食う化け物を倒すため、自ら化け物となって戦う少女たち。圧倒的過ぎる強敵、仲間たちとの友情、受け継がれる意志、主人公の覚醒。ジャンプらしい王道漫画ですね。アリアドネも化けてくれ。
喧嘩最強のヤクザの魂が、貧弱小僧に乗り移って大あばれ。格闘技漫画の癖に格闘シーンがつまらん漫画も沢山ある中、バトルの描写と工夫に特徴があって、トリッキーな動きと工夫が楽しいです。
天才が順当に天才っぷりを発揮するだけのゴルフ漫画。でも、Xiまでは面白かった記憶。あんま覚えてないけど。
人類を結晶化させるウイルスとの戦いと、人類同士の覇権争いに翻弄されながら、沢山の大切な人物が死ぬ鬱展開の連続でヤク中になりながら成長していく主人公が魅力的な漫画。周辺キャラが魅力的で、設定も詳細で面白かったですね。
天才クライマー三歩が、山岳レスキューに命をかける漫画。前向きで真剣でストイックな三歩を通じて山と人生のすばらしさを教えられる漫画です。読了後の感動がいつまでも消えず、いつか南アルプスでコーヒー飲みたいって気になりました。
現代医師が江戸時代にタイムスリップして、チートっぷりを発揮する漫画。様々な病を現代知識を使って解決する無双展開の中で、女性作者っぽいベタだけど心地よいロマンスもあり、医療の知識とか歴史を学べて、その辺りが気に入ってた理由ですかね。
シンドバッドの冒険をモチーフにした異能バトルものではあるんだけど、バトル描写だけ見れば少女漫画で。薄く面白くはないです。設定と世界観、キャラクタの理想同士のぶつかり合いが、練りこまれていて結構良かったなぁという記憶。
砂漠では背広がいい、ナイフは銃より近距離では強い、とか謎のサバイバル技術を駆使しながら、時には伝説の軍人として、時には保険調査員として様々な事件を解決しつつ、考古学者として自らの研究を追い求める主人公の活躍も楽しめる大人の漫画ですね。
不死身の剣士が、多彩な剣士の色物と言っていい厨二武器と厨房剣術にぼろ雑巾にされる漫画ですね。キャラクターが魅力的過ぎるんですよ。特に尸良w あんな無茶苦茶な奴、見た事ない。クライマックスに向かうにつれて、登場人物と戦闘がカッコよくなっていくのが最高ですね。吐鉤群がカッコよすぎ。
メルゼズ・ランス! 岩代さんの漫画がブレークしない理由が俺には分からない。謎のテレホンカードを使って異世界へいき、超能力を駆使して訳も分からず敵と戦う。戦いの日々の中で、異世界の真実が明らかになり・・・、面白いのになんで打ち切りなんや
タイトルに偽りなし。アホすぎて爆笑必死。ヨシコみたいな友達が欲しかった。彼女には欲しくない。
藤田作品は全て好きです。邪眼も好きだし、短編から長編に至るまでハズレがない。中でも、からくりサーカスは最高傑作だと思うよママ。
言うまでもなく名作。もっと褒めてくれ?いや、お前は叩けば伸びる男だ。
原作品は好きなものが多い。恋愛ドラマの切なさ、涙なしでは読めない苦しい展開の中で、自分を許せない主人公が甲子園を戦うクライマックスはH2にも匹敵するくらい心揺さぶる名作です。ほんとうに皆に読んで欲しい。泣け!
超能力バトル漫画。遥か未来から超文明を持ってやってきた未来人が、謎の装置で知能の低い奴を無差別に虐殺していくって設定が衝撃的でした。
グダグダ言わんと読んで泣け!元気があまりにも不幸で健気で報われなくて、がんばれって応援しながら、俺も頑張ろうと泣きながら思える。そんな漫画です。
「お願い...一日でいいから、あたしより長生きして...。もう、一人じゃ、生きていけそうにないから...。」管理人さんと出会って結婚したい人生だった。
駆け出しの和食料理人の蒼太が様々な出会いをしながら、料理人として成長していく物語。いいから雅美と蒼太を結婚させろって!
ベトナム大使の公邸料理人、大沢公が料理を通じて政治やベトナム文化に関わっていく漫画。政治と料理を関わらせながら、料理に込めた人の思いが織りなすエピソードが爽やかで読後感のいい漫画。フォアかわいいよフォア。
言わずとしれた名作。潜水艦が独立国家になる。その設定だけで熱狂した思い出があります。
超人交渉人の勇午が様々な無理難題を解決していく漫画。物語の根底にある各国の文化や歴史と、事件解決に向かう推理を楽しむのが本筋なんだけど。絶対に拷問される主人公と、関わった女は全員惚れる勢いのジゴロ属性も見どころ。
超能力バトルなんだけど、主人公の能力がしょぼい。「他人に自分の思っていることを話させる力」とかいう、どう考えてもバトルに不向きな能力で戦っていくってんだから、どうなるんだか気にならないはずがないでしょう。20巻位に膨らませて欲しかったですね。
一戦闘ごとにパイロットが死ぬロボットを操って地球を守る少年少女たちの物語。少年少女の割にはあまりにも濃すぎる人生を送るパイロットたちの物語を中心に、謎のロボットや戦う理由が明かされていくスリルが面白かった。しかし最後は鬱展開でした。
連載中は好きではなかったんだけど、一気に読み直してみると面白かった。ヒナミかわいいよヒナミ
変態!変態!変態!変態!それだけなんだが、変態が突き抜けすぎてて面白い。
4部までと、STEELBALLRUNは面白かった。神父、お前は要らん。
曹操が好きなんで、演戯視点よりは全然好き。曹操ってのは中国史で10指にはいる天才だったと思う。軍事、政治、文化それぞれ単体なら、もっと上が居るけど。総合能力の高さは天才そのもの。地味に法政に注目してくれたのも嬉しかった。作者の勢いと画力の高さが魅力でしたね。
SF漫画。ブルーホールという次元を結ぶトンネルで現代から恐竜の時代へタイムスリップした軍人科学者のサバイバル物語。原作があるだけに物語と設定は重厚で面白いです。星野さんのSF漫画はどれも面白いけど、一つあげるとしたらブルーホールかな。
カレーの知識が増えていいのと、女の子が可愛いのと、ストレスなく読める作品で読みやすいのとで、時間を潰したい時にお勧めの作品。
赤ん坊だから時に理不尽にふるまう弟と、しっかりものに見えて時に子供らしく暴発するお兄ちゃんと、その心優しい父親の物語。温かい缶コーヒーを握りしめた弟が「にーちゃああったかいねー」って言うシーンで号泣
あの糞野郎のケツに杭がぶっ刺されて貫かれて死んだシーンで、ザマァアアアアアアと叫んでしまう位、野郎は憎たらしかったし面白かった。
復帰してくれてありがとう。ゆっくりでいいんで丁寧に頼んます。
完結する気がしないけども。
活きてる間に完結する気がしないけども、糞展開化したかと思ってたら、最近、再び盛り上がっててよい。
色々な理由でついていけなくなったけど、途中までは好きだった
80年とか生きてるんだもん、30年しか生きてない自分が理解しようというのがおこがましい。
祖父が普通じゃないんじゃないかとうすうす思っていたのだが、そもそもうちがだいぶおかしいのではないかと、設定盛りすぎなんじゃないかと思うので、ちょっと判断してほしい。
電器屋40年、自営業で半生を過ごす。祖母は元芸子、ものすごくよく働く。自営業もかなりの部分を支えた。
ここまでは経歴的に普通だと思う
本人、副業というと怒るんだけど、お礼にお金もらってる時点で、副業だったと思う。今は本業だけど。
ゆえに、霊の話がほぼ食卓に上がる。
趣味の狩猟(今は引退済み、マツタケ取りと山菜取りくらい)と同じ温度で、霊の話と神の話をする。
中高生の時は、毎回のように祖父に祈りを受けるんだけど、あまり実感したことはなかった。
昔はあまり実感できなかったけど、今はすごく助かるのでまあ、霊も神さんも普通にいるんだなぁと今は思ってる。
ところが、世の中だと、このジャンル、どうも詐欺しか横行してないっぽくて、何それと思うお祓い方法とかお祈りに、ドン引いてしまう
自分は最初からちゃんと効果があるお祓い受けて育ってきたけど、それが普通じゃないどころか、やっばいジャンルだと知った時のアレ
創〇〇会とか幸〇の〇学とか、そういうお祓いやってるから人気なんだと思ってた。
隠居で家にいることが多くなった祖父とは話す機会が増えて、あんなもんにお金払う奴狂ってると言うようになり、自分でも調べたら、なんでこれに人が集まるんだ?と思えるレベル。
しかし、だ。
というか、祖父何者なの。
なんだったら、かなり偏屈で差別主義者で、熟年離婚されなかったのが奇跡レベルのクソ野郎と言ってもいい
何度か他人のお祓いを受ける姿も見るし、自分も受けるけれど、元気になるので効果はあるのは確かだ。
10代のころ、母親が死んだり、こいつが育てた父親があまりにも同じくクソ野郎なので、神とか霊とか嘘なんじゃないかと妄言なんじゃないかと疑ったこともある。
神は人間に興味がないのだ、と祖父の言ってることから理解したので、最近はそんな風に思うことはない。
神、と言ってるのは、ただのファンタジーで、人間を救う前提ではないのだ。
科学者が、自分の好奇心から、病気を解明するのと同じ。ついでに人が救えたというだけのアレ。
できることが多い人間と考えれば、見ず知らずの人間なんか、救うわけないじゃんね
というわけで、祖父はかなりの選民、差別、モラハラの塊でありながら、他人に憑いた霊を取り除く
こんな不可思議な家族がいて、自分が普通に育つはずがないのだが、まあ、そんなことはどうでもいい
こういう話を家族にしかできないので、鬱憤がたまっていた。世間的評価としては嘘だというんだろうな。
30年も交流してきた家族を嘘つきとは言えないから、本物だと信じると思うなら、他人から見れば滑稽だろうな。
自分の父親がかなり嘘つきだったので、本人が妄想を信じているだけなのか、その場しのぎで嘘ついているのか、けっこう検証しているつもりなので、祖父は詐欺師ではないと思ってる。事実、お祓いは結構きく。プラシーボだと言われたらそれまでだけど
一週間雨が降り続けた時期だった。
「雨が多くて困る、晴れるよう頼むか」と、祖父が言った次の日に、その集落だけ、晴れたことだ。
ぽっかりとまるく晴天がのぞいていた。ほかはどんよりとした雲が覆っていたのに。
自分の子供はちゃんと教育できずに嘘しかつかないのに。短気でカッとしやすく、すぐに祖母を怒鳴るのに
幸三君は、足が悪くて歩くのが億劫、車を運転していた。彼はもう歳だったが、免許を返納していなかった。それは良いことではなかったかもしれない、でも皆仕方なしにしていることだった。
運が悪かった。事故だったのだ。ブレーキとアクセルの踏み間違え。車を運転する人なら誰にでもあるリスク。
87歳まで彼は懸命に生きてきた。勉学に励み、東京工業大学に進学。身を粉にして働いて家族を養ってきた。努力が認められ勲章を授かった。きっと彼自身も、彼の周りの人も受勲を誇りに思ったことだろう。しかし、彼の輝かしい経歴は、たったひとつのペダルの踏み間違えで大きく変わってしまった。
阿鼻叫喚の交差点の真ん中で、フロントにドン、ドン、とぶつかる小さな女の子や母親に頭を真っ白にして、心配する妻に対して「…どうしたんだろう」と呟いた。わざとではなかった。しかし自分の運転する車は人を殺していたのだった。
気が動転したのかもしれない、救急車を呼ぶより先に息子に電話した。事故を起こした際に警察でなく身内にかけてしまうのは珍しい話ではない。
SNSアカウント削除が救急車を呼ぶ事よりも彼の中で優先されたのだらうか?トラブルをおかし、気が動転してつい保身に走ってしまった彼の人としての弱さはわからなくもない話である。
インターネットでは、そんな可哀想な飯塚容疑者を上級国民と叩く声が憤慨した。幼い娘と妻を失った遺族の事を思うと、誰もが胸が張り裂けるような気持ちになった事だろう。彼への忖度のせいかマスコミもおずおずとした報道で、警察も彼を逮捕しなかった。同時期に起きた似た事故と比べられ、飯塚幸三に制裁を!という声は高まった。
87歳までの人生はたったひとつの事故で塗り替えられようとしていた。飯塚幸三の名は、素晴らしい科学者の名では無く、大量殺人犯の名前になってしまった。
しかし、彼への批判は当然だ。事故で加害者になるリスクは誰しも負っているもので、それで人生が全く変わってしまうのも仕方のない事だ。事故を起こせば加害者として罪を受け入れ、刑に服すことは、全ての運転手が追っている当然の責任である。故意であろうとなかろうと、人を殺したのだ。
マスコミは、運悪く事故を起こし、勲章を持っていたばかりに叩きの的にされてしまったので可哀想な人と捉えるが、それは間違いだ。
しかし、罪を償わないことへのバッシングは可哀想でもなんでもない。87年も生きていながら、自らの非を認めて誠心誠意謝罪をするということをしなかったのだから。
スポーツ仲裁裁判所(CAS)は1日、五輪の陸上女子800メートルで金メダルを獲得したキャスター・セメンヤ(28、南アフリカ)の、男性ホルモンの値の高い女子選手の出場資格を制限する新規定撤回を求める訴えを退けた。
第1に、(おそらく)スポーツの世界で男女を分けることは差別ではないということ。
男女平等が重要な価値とされている現代で、なぜスポーツだけは男女が競わないのか。いうまでもなく男女の間に無視できない生まれながらの体力の差があるからです。上半身の強さに関して女性と男性の差は標準偏差が3です。つまり街で1000人の男性を無作為抽出した場合、998人は平均的な女性よりも強い上半身を持っています。平均的な男性の上半身の筋力は女性よりも80%多く、足の筋肉量の差は50%です。男性は女性よりも脂肪が少なく、骨密度が高く、持久力や痛みに耐えるために重要な赤血球も多い。女性は男性よりも骨盤の幅が広いため、脚の付け根から膝までの角度が男性よりも大きくなります。そのため走ったりジャンプしたりする場合に使われるエネルギーが地面に垂直に伝わらず、前進、上昇のためのエネルギー効率が悪くなります。男女差は上半身を使った競技、瞬発力を要する競技で大きく、それ以外ではより小さい傾向があります。具体的にいうと格闘技、投擲系で極めて大きく、跳躍系で大きく、走る競技でより小さく(なお走る競技は20メートル以上なら瞬発力のみではダメです)、もっとも小さな競技は長距離の競泳です(ある程度の脂肪が浮力の点で、丸みのある身体が抵抗の点で、広い骨盤が接水面積の点で、多少のアドバンテージになっているのでしょう。)。ハンマー投げの世界記録の男女差はハンマーの重量を考慮すると51%差がありますが、走り幅跳びでは19%、ほとんどのランニング種目で11%、水泳800メートル自由形では6%です。世界のトップ女性アスリートでも、記録はおおむね日本の中学男子のトップクラスと同レベルです。吉田沙保里も男子高校生と対戦したらあっという間にフォール負けでしょう。「そもそもスポーツで男女をわけること自体が差別である」という意見もあるのかも知れませんが、もしも男女でわけなければ、およそ半分の人は、女性として生まれた瞬間にアスリートになる道を事実上絶たれることになります。
第2に、テストステロンには明確な男女差があり、かつテストステロンの値がスポーツのパフォーマンスに影響を与えるということ。
95%が睾丸で作られるテストステロンのレベルは連続スペクトルにならず、女性が分泌するテストステロンは血液1デシベルリットルあたり75ナノグラム以下で、男性は240から1200ナノグラム(つまり男性の下限値は女性の上限値よりも200%以上も高い)、例外的に副腎等から高レベルのテストステロンを分泌している女性トップアスリートでもそのレベルは一般男性の下限に達しない程度であるとされています。また、スポーツのパフォーマンスの複雑さゆえにテストステロンがアスリートに与える影響を正確に説明できる科学者はいないものの、テストステロン値が影響を与えること自体はおそらく確実です。テストステロンレベルを下げて身体を女性に変えるホルモン療法を始めたアスリートのパフォーマンスが短期間で急激に落ちることが確認されています。テストステロンの人為的な投与は、典型的なドーピングの一種です。
第3に、第1、第2とやや矛盾するが、男女の差は実は相対的なものであるということ。
受精の際に性染色体がXYとなるかXXとなるか。XYなら男性、XXなら女性だが、これは遺伝的な性であって、性別はそれだけでは決まりません。胎齢4~5週で性腺が卵巣になるか精巣になるか。Y染色体があってもSRY遺伝子がなければ、あっても働かなければ卵巣が作られるし、Y染色体がなくても遺伝情報の特殊性で精巣が作られる場合がある。胎齢6~7週でミュラー管が卵管や子宮、膣になるか、ウォルフ管が精管、精嚢、前立腺になるか。精巣が作られてもミュラー管抑制因子がなければ子宮や膣が作られるし、テストステロンの分泌がなければウォルフ管が精管や精嚢に発展しない。外性器が陰核や陰唇、陰茎や陰嚢のどちらになるか。胎齢8週間まではどちらにも分化できるが、テストステロンが働かなければ陰茎や陰嚢は作られない。脳の性中枢がどちらになるか。胎生90日頃までテストステロンが少ないと視床下部は女性と認識する。それ以前の過程が女性でもテストステロンが過剰であれば男性と認識する。すべての過程で「男並みに」テストステロンが分泌されていてもアンドロゲン不応症ならそれが性分化のために働かない。さらに生まれてから男の子として育てられるのか、女の子として育てられるのか。親の教育方針や環境の問題ですね。男性と女性は確かに違うけど、偶然に左右されつつ、これだけ複雑な過程を経て分化していく。「女子と男子は違う」「テストステロン値は連続にならない」のは事実だけど、それだけで男女の差が説明できるものではないし、そもそも男女の差はそれ自体が相対的なものに過ぎないとも言える。だから「トランスジェンダー」と呼ばれる人がいるわけです。
第4に、これまた第1、第2の点を混ぜっ返すことになるが、生まれもった素質によりある種の公平さが失われるというのであれば、スポーツは多かれ少なかれそういうものであるということ。
女子であっても身長が180㎝以上に伸びなければリベロになる場合を除き世界的なバレーボール選手としての未来はほぼなくなります。陸上トラック競技も五輪や世陸の決勝のスタートラインをみれば、ほとんどの種目で人種的な特質が程度の差こそあれ影響しているのは否定できません。モンゴロイドがトラック種目で金メダルを取るのは不可能とまでは言えないけれども相当に難しいでしょう。将来にわたってピグミー出身のNBA選手は生まれそうにない。さらに障がいがあればほとんどの競技で障がいのない人とは競えません。
以上すべてを踏まえて、今度のCASの決定をどうとらえるか。そもそもIAAFは正面切って「セメンヤ選手を標的にした」とは公言しないが、「400メートルから1マイルまでの距離」というターゲットからは、800メートルで「絶対女王」に君臨し、最近は1500メートルにも進出してきた彼女を想定していることは誰の目にも明らかなので、彼女を例に考えてみます。
一部の報道が正しければ、セメンヤ選手は、遺伝子はXXで、膣があるが、卵巣と子宮を持たずに精巣を持ち、通常の女性の3倍-平均的な男性の下限レベル-のテストステロンを分泌し、パートナーは女性です。彼女の持って生まれた一般の女性と異なる「男性に近い」特質が、競技者としてのアドバンテージになっていることはほぼ確実で、勝利をめざして彼女と競う他の競技者が不公平感を覚えるのは、理解できます。かつて彼女と競うことに不満を漏らした選手は世間から強い批判を受けましたが、例えばセメンヤ選手が、陸上800mの選手ではなく、ボクシングやMMAの選手だったらどうでしょう。同じ体重であっても圧倒的な体格を持つ女性が、典型的な女性選手を滅多打ちにしてノックアウトする凄惨なシーンが展開されればどうでしょう。強い選手だと喝采するどころか、感情的にはなかなか受け入れられない部分があると思います。
しかしながら、上記のとおり、生まれもった素質によりある種の公平さが失われるというのであれば、スポーツは多かれ少なかれそういうものです。とすると、いずれの性に分類するかの前に-セメンヤ選手はもしも男子の競技に参加すれば五輪の参加標準に遠く及びません。日本の高校生に混じってインターハイの決勝に残れるかどうか微妙、というレベルです-セメンヤ選手のみが生来の体質ゆえに希望する競技に参加できないというのは避けなければなりません。
スポーツは勝負事です。勝利を、記録の向上をめざさないスポーツは、スポーツの重要部分を欠いています。だがスポーツには公平さという価値があります。勝ちさえすればよい、記録がよければよいといわんばかりに、競争における公平な条件を無視する人も、優れたアスリートではありません。そしてスポーツは社会的な存在です。勝負と記録にこだわり、競技における公平さを追及するあまり、プライバシーの尊重や人種差別の禁止、個人の尊厳といった社会で認められた価値を軽視し、限られた人にのみ開かれ、あるいは一部の人の人権を傷つけるのも、正しいスポーツのあり方ではない。
ジャッキー・ロビンソンが人種の壁を打ち破る前のMLBのように、かつてスポーツには有色人種を閉め出した時代がありました。特定の種目について女子ゆえに参加を禁止された時代がありました。でも現在はこういう扱いはありえません。「黒人と競わされるなんて不公平だ」「女はこの競技をするな」などという発言は許されない。セメンヤ選手のような事例をどう受け入れていくのか、競技団体のみの判断ではなく、社会が彼女のような人をどう受け入れていくのかという問題として考えなければならない。
いろいろ考えるべきことは尽きないし、悩ましい問題で、今後考えが変わらないとも断言できないのですが、私はやはりセメンヤ選手は「女」として競技に参加すべきと思います。それは人は持って生まれた資質に規定されつつ自認する「性」で自己実現を図るべき権利があり、その権利を尊重することは、個人の尊厳としてこの社会においてもっとも重要な原理だからです。IAAFの決定、CASの裁定には賛成できません。
codingalone 良いまとめをありがとうございます。過渡期って感じあるよね
ありがとうございます。陸上中距離大好き、女子陸上も大好きのヘテロ男性です。自分も10年前なら鼻で笑っていたかも知れません。今でも悩んでいます。
追記2
「これは世界に喚起を促すための闘いで、競技やスポーツの枠を超えたもの。人間の尊厳と誇りの問題で、世界に喚起を促すためにやるべきこと」
https://anond.hatelabo.jp/20181011083926
教養の授業でフェミニズムの研究者にこれと似たような事言われてびっくりした記憶がある。ただし、フェミニズムの授業ではなく、社会学入門みたいな授業で雑談みたいな感じで言われて、その後その授業速攻で切ったので記憶が曖昧で怒りのあまり発言を悪い方向に改ざんしてしまったのかと思ってたけど、そうじゃなかった。
女だから科学を勉強しても無駄だとか、女は理論的な思考ができないとか言うような人は祖父母を含め家族にはいなかったし、高校も進学校で差別的な発言をする生徒もほとんどいなかったので、初めて自分に向けてあからさまな女性差別発言をしたのがフェミニズムの研究者ってのが衝撃的だった。
科学が苦手で理論的思考ができないのはお前だろ!勝手に私を巻き込むんじゃない。フェミニスト的には女性科学者や女性研究者は女性じゃないのか。大体男性科学者が似たような事いったら大騒ぎするくせに女性フェミニストがいったらOKなわけ?ほんとわけわからん。
今話題になってる上野千鶴子も自閉症マザコン説を始め、女性差別的な言動が度々見られるしほんとにフェミニズムだけは何がやりたいのか理解不能。上野千鶴子がちょっとそれらしいこと言ったぐらいで持ち上げてる人ももうちょっと彼女らの言動をよく見といたほうがいいよ。
仮説検定警察です。
仮説検定では、「平等ではない」または「平等ではないとは言えない」ということしかわかりません。統計の基本ですね。
まず帰無仮説を立てます。この場合は「男女差別はない」となります。そして統計の数字を検証します。ここでp値などの道具が登場するわけですが、数字差が大きい時にわかるのは「男女差別はない」という帰無仮説を否定するだけの証拠がある、つまり「男女差別はある」ということです。
反対に数字差が十分大きくないときには「帰無仮説を否定できない」つまり「男女差別がないという仮説を却下できるだけの情報がない」言い換えると「よくわからない」です。
それから、帰無仮説の置き方によっても変わってきます。「男女差別はない」「男女平等ではない」のどちらを仮説として採用するのかはかなり検討する必要があります。仮説検定はやり方によってどうとでも好きな結果を出しやすいので、元増田のような使い方をする人は要注意です。
詳しくはこの記事を参照。 「“統計的に有意差なし”もうやめませんか」 Natureに科学者800人超が署名して投稿 https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1903/26/news112.html
横からですが、統計的部分に対する元増田の指摘は妥当だと思いますよ。
社会的に性差があることは事実として受け入れるとして、このスピーチにおける男女間で入試に合格しやすいかどうかに関する言及は根拠薄弱だと思います。
女性がどれくらい浪人を避けて余裕のある大学を受験するかに関する定量的調査結果がないと、男女間において合格率に有意差がほとんどない現状の数値から東大理3入試に性差があるという結論を得ることは厳しいでしょう。
このスピーチを上野女史は科学者として読んだのか、活動家として読んだのかによって評価が分かれる気がします。
科学者のとしての発言としては元増田が言うように駄文なんだと思います。
女性の権利を叫ぶ活動家として読んだのならば、明らかな論理の矛盾を放置しツッコミから議論を拡散するところまでの手管は流石と言わざるを得ません。ただ、結局どうすれば性差が解消に向かうのかについては、何もわかりませんが。。。
「国際会議で世界の科学者の八割が、炭酸ガスが原因だと認めています」と言う。しかし、科学は多数決ではないのです(バカの壁)
精神医学は科学を標榜しているが、多数決で結論を出すこの学問のどこが科学なんだろう
DSM-Ⅳの作成委員長を務めたアレン・フランセス氏は自著『〈正常〉を救え』の中で、「うつの条件に科学的な必然性があるわけではない。どこに基準を設定するかの最終判断は主観的になる」と断言している。
DSM-IVには374の病名があるが、病名及びその病名の症状はアメリカ精神医学会の委員の挙手による多数決によって決められている、権威のある“曖昧なマニュアル”であるとの批判がある[15][16]。
すべての精神科医がDSMを信じ込むほど愚かではなく、2001年にロンドンで行われた精神保健専門家による国際調査で精神医学書のワースト10に入っている。英国王立医科大学のデニス・ドーマン博士は「精神医学にエセ科学的なイメージを与える本」「関係者に入るのは懐に入るのは血税」と批難している[17]。
薬物療法なしで統合失調症が治療できると主張しているローレン・モシャーは、「DSM-IVは、精神医学が概して医学によって認められるように模造して作ったものである。内部の者はそれが科学的というよりも政治的な書物であると知っています。DSM-IVはその最大の欠陥にもかかわらず権威ある書物となり、カネを生み出すベストセラーになった。」と述べている。
現在、WHO(世界保健機関)の疾病分類「ICD-10」、米国精神医学会「DSM」等では、同性愛は「異常」「倒錯」「精神疾患」とはみなさず、治療の対象から外されている。そして同性愛などの性的指向については、矯正しようとするのは間違いとの見方が主流となっている。
かつて「DSM-Ⅰ」で同性愛は「病的性欲をともなった精神病質人格」と規定されていたが、1973年12月、アメリカ精神医学会の理事会が同性愛自体は精神障害として扱わないと決議した。
Number of “ No” votes-votes to keep “homosexuality” in the DSM as a mental disorder: 3,810
Number of “Yes” votes-votes to remove “homosexuality” from the DSM as a mental disorder: 5,854