はてなキーワード: 眼鏡とは
キービジュでめっちゃ可愛い!と思いつつ忙しいのを理由に見てなかったからやっと見始めたんだけど、やばない?
2話の段階でルッキズムえぐすぎてこれを普通に放送してて文句出てないのやばない????
顔芸人魚のローラっていうこれまでの妖精ポジみたいなキャラクターの女の子が
可愛くないからあの子はプリキュアにできないとか、あの子はキュートさがないとか言ってても誰も咎めないし
いやまだ1話や2話だから、ローラが今後ルッキズムを克服する伏線では…と思ったけど
やっぱ出てるキャラクターの誰もそこに違和感おぼえる描写ないのやばくない?
ツイッターで言及してる人いないかなと思って適当にキーワード入れて検索したら
「敵じゃなくてプリキュアがルッキズム内面化してんのやばい」みたいなこと言ってる人もいたけど結構少なくて
…え、プリキュアヲタの感度というか時代の読めなさやばくない?!って思ってしまった…
そもそも「コスメ」をモチーフに使ってるっていうのは、メインターゲット女児先輩の大好きツールだし
商売的にあるよね~って感じなんだけど、今のプリキュアは「自分をエンパワメントするためのメイク」っての謳ってるんだよね…。
ここ最近よく言われる自分をエンパワメントするために化粧するっていうの、
そうしたい人はそうすれば良いけど、そういう理由つけてみんな化粧して気分あげなきゃいけないわけじゃないんだよ。
「可愛い」は追求しなくて良いんだよ。
「可愛い」を追求したい人がすれば良い。
「可愛い」と思うものはそれぞれ違うからみんなそれぞれが思う「可愛い」は尊重されるべきで、そこは今のプリキュアもできてると思うんだけど
そもそも「可愛い」以外で自分をエンパワメントできるものがあるならそれで良いんだよ。
「可愛い」を追求する以外に自分をエンパワメントできるものを持ってる子をきちんと尊重できるのか今作は…って思う。
まぁそもそもプリキュアになったとたんヘアスタイルはロング、眼鏡ははずすっていうの毎回やってて今更だけどさ…。
姪っ子が矯正の眼鏡かけてるからぜひ眼鏡のまま戦うプリキュアとかいてほしいんですけどね。
まあそんなこんなで
オッス、オラ増田!男のキモさについて話題みたいだから、今までにやった対処方を教えてやるぜ!
自分はかなり酷い天パだ!その時点で清潔感がないので、自分に合った美容室(もちろん男性スタッフのみ)を探して、パーマと言い張れるギリギリの長さのスタイルを提案してもらってるぞ!
1000円カットは論外だ!自分の年齢・職種とかを伝えたうえで相談に乗って貰えるところを探せ!
自分はこち亀の両津の眉毛をさらに汚くしたような太くてゲジ眉だった!今は男眉テンプレートという、眉に当ててはみ出た部分を抜くだけでまともな形になる奴が売ってるから、それで整えろ!長さはメンズトリマーで4mmくらいに刈れ!
眼鏡は余り流行がないとされるが、ビジネス感丸出しのはプライベートでは避けた方が無難だ!ウェリントンかボストンシェイプのセルフレームまたはコンビフレームで、色は黒・濃い茶・ネイビーあたりにしておけ!意味がわからなかったら安売り店以外で店員に提案してもらうのもいいぞ!(これもどういうシーンで使いたいかは伝えておくべきだ!)
コンタクトにしろよ、とツッコまれるかもしれないが、自分は頬骨が異常に出っ張っているので、眼鏡なしだと目つきが怖くなってキモくなるんだ!
あと、たまに眼鏡のレンズきったない人いるんだけど、あれって見にくくないんですかね?当然不潔だ!眼鏡拭きで毎日拭け!
鼻毛が見えてるのは論外だ!3日に一回は鼻毛カッターで切るか手で抜け!
自分は体毛が濃い(清潔感がない)ので、カミソリで剃った瞬間から青ヒゲ(キモい)だ!素直にレーザー脱毛に通え!
自分は幼少期から重度のアレルギー性皮膚炎だった!清潔感マイナス50兆点だ!席替えで隣になった女子は普通に泣いたぞ!これもいい医者に巡り会うまで根気強く情報収集した結果、一見してわからないくらいには改善した!
それほど酷くない場合はメンズスキンケア情報がネットに沢山転がってるからそれを参考にしてくれ!本当にめんどくさかったらunoのオールインワンクリームを塗れ!
毎日変えるか洗え!
自分は松井秀喜かってくらい頭がデカい!頭がデカいとそれだけでキモい認定される!整形も無理だ!来世に期待だ!
自分は首も丸太ぐらい太い!ダイエットしても無駄だった!首が異常に太いとそれだけでキモい認定される!整形も無理だ!来世に期待だ!
自分は体も剛毛だ!肌の露出部分の体毛はトリマーで3mm程度をキープしろ!短すぎると逆にキモいらしいぞ!ただし手首から先は全部剃った方がいい!
とりあえず美容体重くらいまでダイエットしろ!自分は筋トレとランニングとサイクリングで体重を10キロ以上落としたが、低身長なのと骨格がキモい(肩周りがゴツくて腕が妙に長い)ので、ムキムキのドワーフとゴブリンの雑種みたいになったから諦めたぞ!整形も無理だ!来世に期待だ!
ファオタは逆にキモいと思われるからユニクロとかGUでいい!ユニクロの材料は人権侵害しているって?どうして自分に人権がないのに他人の人権を気にする余裕があるんですか?
情報源はブログなら TASCLAP(アラサー向け)や男前研究所(アラフォー以降向け)、YoutubeならMBのチャンネルでも見ておけ!(MBは情報商材とか怪しいサプリ売ってるチンピラなのでユニクロ・GUの情報以外は見るな!)
服装面で清潔感がない(キモい)と思われる最大のポイントがシワやタルみだ!シャツなら襟元や手首の黄ばみも厳禁だ!ちゃんと選択するかクリーニングに定期的に出せ!
ただし靴とメガネとカバンは値踏みされるポイントだから出来ればいいの買ってちゃんと手入れしろ!時計はきょうび付けてなくても問題ない!
スーツやシャツが必要な職種で体型が異常な場合は麻布テーラーとかでセミオーダーしろ!ちなみに自分はユニクロのセミオーダーシャツは合う型がないといって断られたぞ!(首が異常に太くて腕が奇妙に長いため)
自分はADHDとASD、二次障害で鬱持ちだ!総合IQは高めだからなんとか職にはありついているぜ!
薬に頼れ!
「国家認定キモい診断士」みたいな資格と診断を作って、一定以上のキモさと認定されたら安楽死が認められる世の中になって欲しい
深夜に殴り書いた言葉を公開させてください。
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私は夢見る、私の性別がなくなることを。
女友達と手作りの料理を持ち寄って会った。母親に男かと揶揄されるたび居た堪れない気持ちになる、と話したらいつのまにか女性の生きづらさの話になって、社会で圧迫される自分自身のことについて話してた。
絵の中で無性別になれるようになったこと、裸を描けるようになったこと。それは昨年唐突に訪れた解放で、ふりでない、本当の意味での理解が訪れた瞬間だった。昔からの友達に突然カミングアウトされたり、周りにいろんなセクシュアリティの人が増えて、そこに対して何も思わなかったけど、一方で私はどう考えてもシスヘテロで、ただ家族の強制する性の価値観はあんまり理解できなかった。
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女の子らしさはガサツで割と男性的とされる趣味の多い私にはハードルの高い問題で、170cm近い体躯と王子役を押し付けられまくった経験から「LGBTなの?」「腐女子なの?」と言われることも多々あり、それが耐え難き苦痛に感じる私自身も嫌だった。
普通であることに安心する家族。普通であることに怯えるわたし。曖昧な言葉には常に適度な距離感が必要で、冷静さを欠いた議論には意味がない。そういう話をするたび、周りの“いい人”たちはみんな私のことを考えすぎだと言った。そんなに思い悩むから生きづらいのだと。
思考をやめる気はさらさらないが、一方で年々神経を蝕まれつつあるのも事実だった。精神科にかかったことはないし、これからもお世話になるつもりはないが、胃痛で薬を飲むという意味がわかるようになってしまった。自傷的に何度か手を出した煙草のせいだが、倦怠感で身体が動かなくなったりもした。腹痛で意識を失いかけた。神経症で人は死ぬんだと思った。
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「S/N」を見たのは好きな人の影響だが、どうしてあの人を好きになったのかを思い出した。どうして彼じゃなきゃだめだったのかを。酷い時も、辛い時も沢山あったし、客観的に考えればこうした方がいい、とかもいっぱいある。ただ、それが重要なわけではなくて。愛の器官が母親の甘い束縛と重め(笑)の虐めで壊れて、他人からの暴力や罵詈雑言を崇拝の一形態だと感じるようになってしまったんだと思ってた。精神的に魘されないと安心できないのかと。でも違う。
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わたしはきっと、何者にもなりたくなかったんだと思う。透明になりたいし、全てになりたい。もう殴られたくないよと強く願ったら17歳になる頃には殴られなくなったけど、真綿で締め付けられるような虚無が残ったからいつも首に縄をつけてぎりぎりで生きてる。側からはそう見えないはずだけど。好きなトラックメイカーが音楽よりもいつか結婚した時の愛する人の方が大事だよ、と言っていて、すごく驚いた。私はずっと、天啓のような何かを信じることでしか、辛い過去を受け入れられずにいたから。いまもそうだし、そうでないといけないと思うの。
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本当にばかばかしくて、ちょっと幼い話だけど。わたしは、好きな人がわたしの目をじっと見て、「眼鏡でもかわいいよ」と言ってくれたその一言で22年近くの呪いが解けた人間である。でも、親の呪いがこんなに深くわたしの中にあるって知らなかった。
小さい頃から蝶よ花よと育てたられた私だけど、母は写真を撮るたびに眼鏡を外させた。かわいくないから外しなさい、と言った言葉はいつの間にか習慣になって、眼鏡さえ外せば最強なのだという行きすぎた自尊心すら生んだ。実際に眼鏡の有無で同一人物だと気付かれないことがあったのも遠因だろう。わたしは眼鏡を諸悪の根源にすることで耐えていた。
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恋愛にもそんなに恵まれず、高校で軽い虐めに遭った際「わたしがかわいいからでしょう?」と母の言葉の確認をとったら、途端にキョトンとした顔をされ、その時から全てがわからなくなった。ルッキズムの最下層に突き落とされたような気分だった。
当時の私は髪のとかし方も知らず、見えている世界のレイヤーが少なすぎたので、たしかに見目麗しくはなかったと思う。でも好きなバンドのインストアイベントで憧れていたギタリストに前の女の子と明らかに異なる冷たい目を向けられたこととか、そういう体験が、私の不安を加速させた。何をやっても痩せなかったし、服屋の服は全部小さすぎて似合わなかった。最悪だった。
大学生になって古着にハマって、ようやくアメリカサイズの服を着ることでサイズの問題を解決したけど、やはり可愛いという言葉が怖かった。私から一番遠いところにある気がした。
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好きな人の言葉は頭の先から足元まで響くような衝撃で、衒いのないトーンは私を惑わせた。本当に、本当に、誰に言われても嘘だろうと、嫌悪感しか抱かなかったその恐怖が、ようやく解放されたような気がしたのだ。それ以降は人の褒め言葉を、きちんと信じられるようになった。
まあ今もコンタクトはたまにしてるけど、選択肢に眼鏡を含められるようになったのは、あの時好きな人が認めてくれたからだった。それだけで意味がある。私は体質的に目が乾きがちで、眼鏡ですら頭痛や眩暈がすることがある。健康被害よりも強迫的なコンタクト依存から解放されたのは、本当に嬉しかった。
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「S/N」を見た時に自覚した。わたしは他の人では満たされない渇きを、好きな人ならわかってもらえる気がしたのだと思う。ジェンダーの話はわたしも後追いだし、LGBT当事者でもなくて、フェミニズムに明るいわけでもない。どちらかと言うと旧体制的で、内心少し男根主義に傾いてるけど、でも、多様性を締め付けられる社会が本当に息苦しかった。私が可愛いものを好きなのはかなり異常者で、可愛くないことは罪だって、ずっと見えない誰かの声が聞こえて死にたかった。でもそれを人は幼いという。若気の至りだと。本当にそうだろうか?
好きな人に会う前から、男性に恋をしても、きっと眺めるのが好きなだけだった。男性の男性性は愛おしくはあるが恐怖で、私は母の教育方針もあって、結構性をタブー視してた。ちょっとフィクトセクシュアルの気もあるせいか、虚構を覗き見ることだけが唯一許されてる気がして、それ以外は全部怖かった。そこがギリギリのライン。
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それでもようやく付き合ってもいいかなという人に告白されて、焦りであっさり色んなことを済ませてしまったわけだけど、思ったより呆気なくて、何も感じなくて、その行為はいつの間にか虚無感に満ちた義務になった。心がない行動は演技で、いつも断れない自分も嫌だった。でも私というキャラクターが彼を承認した以上、そのキャラクターには責任を持たなければならない。告白を承認する、他人の人生を背負うとはそういうことだと思った。
そこには頭では納得していたけれど、ある時期から本当に、他人に身体に触れられること、好意を抱かれることに恐怖を抱くようになった。何度か背筋が凍るほど嫌な思いをしたせいもあるだろう。私を世の中に貸し出すのが無理になって、人が信じられなかった。そしてどこかで、プツンと糸が切れた。
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…好きな人もその一人といえばそうだし、それは最悪の搾取の仕方ではあったけれど、あれよあれよと巻き込まれたプライベートな時間は、たぶん優しさであったように思う。私は余りにも臆病で、そして彼の傷は大きすぎたから、私たちは付き合うという選択を保留することにしたけれど、彼は私に好意を伝えてくれたし、たくさん泣いていた。
なんかもう、それだけでよかった。
セックスは搾取じゃなくて優しさで、きっとお互いを信じ合うことで、小さな希望で、だから好きになってくれる人たちに怯えるのは私が間違ってるって思う。でも怖かった。
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好きな人は、私が今まで誰にも話さずに来た、心の穴を知っていた。きっと直感的に。運命めいたことを言うとキザだから言わないけど、彼は他の誰にもない魔法で、私を狂わせるけど、よく考えたらそれが無ければ痛くて痛くて生きてられなかったかもしれないし、また勉強が好きになれたからとか、恋心で作品が作れるからとかそんな現金な理由よりも、なによりも私が感じていた性の不安とか、かわいいに怯える切実な揺らぎとか、そういう感情に無理解でいなかったから。普通に属してるひとたちは…家族も含めて、気づいてなかったのだろう。私が泣くたびに宥められて惨めになる。好きな人だって適当な時あるけど、もしかしたら私のその不安を、あなたならわかってくれるんじゃないかと。
そういう、希望だったんだ。
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私の部屋はいま彼がくれたお洋服とか、お揃いのものとか、ドローイング、筆跡で満ちている。ちょっとファナティックだと自分でも思う。
でもこれしかなかった。彼になりたかったというよりか、嘘でもいいから愛されてみたくて、その嘘を嘘で終わらせるのが本当に耐えられなくて、本人の知らないところでそれを実現させるために、彼を統合失調的に創造しようとしたのだ。なぜか告白されたり、結局関係性がよくわからなくなったりして、側からみればきっと軽い地獄なんだろうけど。毎日家でも学校でも暴力を振るわれたり表現手段を持たなかった頃よりは、全然幸福だよ。
それそのものが救済なんだ。
私はセックスのない世界に行きたかった。それが思い出せたことだけでも、(私が生まれる前に作られた)この作品はとても、とても深い爪痕を私の身体に残したと思う。
私のスペックだが、
・年齢25歳
・容姿は褒められたことはない。チー牛とか拳で抵抗する21歳に近い、細身で眼鏡もしているから余計にそう見える。
オタク歴はずっと追い続けている作品があって、その作品の同人誌即売会には欠かさず参加している。最近は個人サークルで出ているが、島中の小説作品だ。
アニメや漫画、ゲームは気になった作品を見ているので、最新の作品を追いかけているわけではない。
後はミリタリー、戦史書や軍事関係の書籍を読むのと、サバイバルゲームをしている。
相手に求めることは今の趣味を認めてくれることと仕事だ。今の仕事はシフト制で休みは不定期、それに加えて勤務先での泊りもあるのでそこを理解してくれる人がいい。
入社して3年目、仕事が落ち着いてくると将来について不安になってきた。結婚願望はあるが、こんなオタクなので簡単に相手は見つからないだろうなと思った。
30歳で苦労するより今からコツコツと婚活、恋活でもいいから始めたほうがいいのかなと考えた。兵は拙速を尊ぶという言葉もあるし、さっそく動き始めた。
Twitterのまとめサイトでオタクの婚活話を見たことを思い出し、その話に出ていたオタク向け婚活サイト登録してみることにした。
登録を済ませて、一通り会員検索をしてみるが、アクティブ会員が少ないような。女性の年齢層も私より上で、希望する相手も同年代希望が多い。
このサイトでは私は若すぎるようで続けるかどうか悩んだけど、日記などの機能が面白いのでとりあえず継続することに。
オタク向け婚活サイトの他にマッチングアプリも登録したが、よい結果は出ない。有給消化で土日休みを得たので、試しにオタク向け街コンに行ってみることにした。
ネットではいい話は聞かないけれど、本当かどうか気になった。結論から言えば、愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶという言葉通りになったのだが。
男女比率も良く、相手の女性も変な人はいなかった。しかし、相手の女性たちはスポーツが好きで、それに関連した漫画やアニメを見ていますという方がほとんどで、
小中高大学と文化部でオタク街道を走ってきた私とは相容れないような人が多かった。
Youtubeで猫の動画を見ていますと言われても、こっちはニコニコ動画でスローロリスの動画見ているからなあ。
KKOとまではいきませんが、とっくに成人しているのにいまだ交際歴ゼロの人間ですから、恋愛弱者としては上等かと思います。
自分で言うのもなんですが、顔の造形の悪さには自信があります。
性格の悪さにも同様に自信がありますが、性格が悪いゆえに仕事をする上で取り繕える程度には困っていませんし
それも自称でしかないので、実態がどうなのか、それで生活が本当に上手くいってるのかはご想像におまかせします。
弱者男性に随分と憎しみを向けられていたようですが、真摯に文章を読ませていただきました。
読んでいるうちに、以下の2点が頭に浮かびました。
・「理解のある彼くん」をあげつらって批判していたのは弱者男性だけに限った話ではない
・そもそも「理解のある彼くん」持ちは非難されても仕方のないことをしでかしている
今回は「望むところだ」ということで、後者を重視して書いてみます。
あくまで、「理解のある彼くん」持ちとハンデを持つ女性は完全に同一では無いという見解であり、
以下はハンデを持つ女性全てを批判しているものではありません。
これから記載している内容に反論がありましたら遠慮なくご指摘ください。
「理解のある彼くん」は、何も最初から障害や病気のハンデを持つ女性を攻撃するために産み出された単語では有りません。
それは障害や病気のハンデを持ちながらもそれらに向き合いながら生きている、ということを綴った女性達のエッセイから概念が発見されました。
ネットで複数の作者の漫画の「理解のある彼くん」が登場するページを1枚にした風刺画像を見たことがあるでしょうか?
まるで判を押したように展開が同じなのです。
エッセイということは実体験でしょうから、細かいところは省いたりフェイクを挟んでいる可能性があるとは言えど大筋はノンフィクションでしょう。
「なんだかみんな展開が似たりよったりだぞ??」と気づかれだしました。
この指摘については、何も弱者男性だけから発信されたわけではありません。
女性作家から、カウンター的にエッセイ漫画で指摘されているものでもあります。
この指摘で耳が痛かったならば、弱者男性だけを敵視するのは誤りであると言えるでしょう。
あなたがたが敵に回す範囲、軽蔑すべき範囲は本来もっと広いはずです。
それをすることができない、いや認知しようとしないのは何故でしょうね。
全ての女性が「理解のある彼くん」を得られるとは思っていませんし、
「理解のある彼くん」を得ることが誰であっても簡単だとも思っていません。
すぐキレる、情緒不安定になり周囲に当たり散らす、それらが病気や障害によるもので苦しんでいる――――――。
いかにハンデを抱えて生活することが大変か、という点で綴られていましたが、
「自分」が大変である、という視点のみで描かれていることが多いという感想を持ちました。
綴られているケースのうち、同情すべきものももちろんありましたが、
いくつか幼稚過ぎて理解できない行動も含め、都合よく正当化されているように見えました。
(それだけ的確な判断力を持ち合わせられないぐらいに根深い病気である、というのを私が理解できなかったのかもしれません)
しかしながら、作者は過去のことを反芻しエッセイに仕立ててるうちに、再考して思うところがなかったのかなと考えています。
ウソを書けということでなく、ぼかすなり内省の補足をするなりあるはずです。
上記は私個人の感想ではありますが、エッセイ漫画を通して「女性はハンデ持ちでもイージー」というネット上の共通見解が得られたのは、
私と同じような感想を持った人が多かったのでしょう、と勝手に推察しております。
「理解のある彼くんがいるから」ではなく、「理解のある彼くんだって出来る上に、そもそもこんな認識で生きているから」と思っているのです。
「私が弱者男性故に対象が女性というだけで色眼鏡で見ている」、そう思われるかもしれませんが、
他で消化器系を長く患われている女性作家さんのエッセイではその苦労や辛さに深く同情し、何一つ批判的な感想を抱きませんでしたし、
精神を患われている女性作家さんでも「理解のある彼くん」に疑念を持っていた方のものは
特に前後でも病気を理由にした問題行動の正当化を感じる部分もありませんでしたので、
やっぱり「理解のある彼くん」の登場があるエッセイの作家さん達だけが悪目立ちしているように見えました。
本来、努力し、助け合い、思いやりを持ちつつも懸命に生きるハンデを持った女性たちという
決して揶揄や物笑いの種にすべき存在ではないものについて、これだけマイナスイメージを持たれてしまったのは、ここにあります。
ここでは「理解のある彼くん」に絞って女性の話をしていますが、
もちろん「甘ったれた男性」がいることも否定しませんし、弱者男性の中にそういった部類の人間がいることも承知しております。
ハンデを持った女性のリアルを理解する上で、当事者の知り合いがいるという人もなかなか少ないでしょうし、
そもそも当事者はむやみやたらに打ち明けることは無いでしょう。
自分の病気のことを顔を合わせる周囲の人間にベラベラ喋ることがありますか?
そんな「リアル」で認知されることが少ない状態では、ネットの発信力が強い現代において、
エッセイの「悪い意味で最もキャッチーな部分」によって認識を悪い方向に塗り替えられてしまった、というのが今の状況かと思います。
それでも、結果的に「女性はハンデ持ちでもイージー」という結論で
十把一絡げにして非難の対象になってしまった「まともにハンデと向き合っている女性」への誤った非難があったことは否定しません。
何故止めなかったのか、何故助けてあげなかったのか。何故咎めなかったのか。
でもそれは「過去に助けてくれなかったから、同じように助けなかった」ではないです。
そもそも、「弱者男性を助けなかった理由」でなく「〇〇を助けなかった理由」というべきでしょうか。
ですから、「弱者男性は精神障害者女性をサンドバッグにしてきた」という結論で
モテる服はどんなのだと聞いたら、具体的な実例写真を出すことなく、
値段の高いショップで店員に聞いて合わせてもらえというだけで具体的に答えない
顔が悪い人間から搾取しようと、手ぐすね引いているだけのコメントだというのがわかる
○みんなでワイワイやってる場所を抜け出してひとりで佇んでいたりする
○酒に弱い
○仕事が嫌い
×ゲームをわりとやる
△映画もわりと見る
◎全てが半端
○服装がかなり雑
×冬以外ずっとサンダル履き
△休日はほぼずっと横になっている
△スーパーマーケットに行くのが好き
△不謹慎ネタがかなり好きだが、大丈夫そうだと感じた人にしか話さない
△超能力モノが好き
○中華料理が好き
○家に調味料が大量にある
△川を眺めるのが好きだが、飽きっぽいので実際に行くとわりとすぐ帰ることになる
○字が汚い
◎ものをすぐなくす
1. 白装束に着替え、儀式での作法を覚えさせられる。「南無阿弥陀仏」と10回唱え、独自の拝み方を
覚える。信貴山朝護孫子寺の張り子の虎のように、首を振って頭を打ち付け眉間(白毫)の第三の目を開
2. 儀式は仏間で行われる。手を消毒薬で洗い、口を塩水でゆすぎ 再び手に塩をつけて流す。一人ずつ
順番に並び、仏間に入る。目をつむり、胸元で死人の様に両手を組み、襟をつかむ。合図で前にある打敷
きに頭を打ち付ける。
「よし」と言われ、信心決定となる。お礼で、五体投地と「南無阿弥陀仏」を唱える。
3. 仏間は暗い布で囲われ、祭壇と阿弥陀如来の掛け軸がかかっている。 日光菩薩、月光菩薩と一体に
なる儀式。善知識と対面して座り、片手を合わせる。善知識の「南無阿弥陀仏」を復唱した後、強く息を
吹きかけられる。口をつけた盃の水も飲まなければならない。日光菩薩は10回、月光菩薩は5回行う。
4. このことは絶対に他言してはいけないと宣誓させれれる。順番に、鈴を鳴らし、「絶対に他言致しま
せん」と誓約。
5. 次の日は、朝早くから白装束で仏間に入る。その後、菩薩となった証を見せ
るとのことで、黒法衣で外に出る。太陽を直視することができるようになったとのことで、太陽の輪郭が
はっきりと見える。太陽を見た後でも足元の暗いところがはっきり明るく見える(日想観という)。
6. 儀式を受けたので、死して六道輪廻に入らず、阿弥陀のもとに行ける身となったと説明。そして、
7. もうひとつの証は、化仏化菩薩を見ることができる。また外に出て、黄法衣の方に見方を教えて
もらう。方法は、青空を見上げ、眉間の20cm程前に焦点を合わせていくと、空中に白い小さな光が飛
び回るのが見える。眼鏡をかけても見える。背景を白い壁に移しても見られる。
【参考:ブルーフィールド内視現象】 http://nenbutsushu.blog.163.com/blog/static/192499239201171183815163/
8. このほかに月を見ること(水想観)もある。日想観・水想観・化仏化菩薩、この三つが重要であ
る。最後に「南無阿弥陀仏」と写経した紙を仏間に供え、線香をあげて経を唱える。そして、写経した
「南無阿弥陀仏」の紙は、家に帰り、夜中12時前にへその上に貼って眠った後、早朝、近くの川に流し
に行く(御六字)。
弱者男性って、障害とか性別とか人種並みに変更不可じゃないから。
キモくて金のないオッサンって生まれついての属性じゃないし変更不可でもないから「クロワッサン読め」って意見が出てきちゃうよね。キモくて金のないオッサン以外の弱者男性も、障害者が健常者になるよりは容易に属性変更できるよね。
それは視力0.8くらいの人が「標識見えなくて困るぅ〜」とか言ってるのに似てる。
仮に現状の標識は低視力者差別!とか言い出す奴がいたとしたら「眼鏡かけたら?」としか言えないわけで、それを「被差別者に自助を要求するな」とか言うのはどうしたってズレてる。
自分は予備校で働いているしがない数学講師が、予備校講師の男は妻が医者、外資系IT、国内大企業バリキャリなど、妙に上昇婚が多い。経済面だけでなく、顔面偏差値もお相手の方が絶対に高い。ハゲ眼鏡の中年講師にかわいい奥さんがいる率は異常
何を隠そうあの林修先生も妻は医者だ(いまの林先生は社会的地位も高く稼いでいるので上昇婚とは言いにくいかもしれないが、昔はね)
予備校講師になる時点で自分も含めて「訳アリ」な人生の人は多い。数学科は女性関係に疎いコミュ障も少なくない。なのにレアな女性を引きあてて上昇結婚してるっていう
眼鏡かけてないし思わんやで
田舎に住む自分が、仕事の為に地方都市の市役所だか県庁だったかに行ったとき、そのすぐ後ろにでかい公園があった。
遊具の有無は覚えてないけど、とにかく広くて芝生が青くて、親がレジャーシートを敷いて遊ぶ子供を見守っているような公園だったから、優雅だなと思ったのを覚えてる。
さてもう一件いかないと、と車に乗って、これまた広い道に出ようと公園をぐるっと一回りしたとき、五台前くらいの車が何かを避けるように、ゆっくりと反対車線に大きく膨らんだ。
片側一車線だけどとても広いその道路の、反対車線には車が無かった。
ずっと続く道の奥には、こっちへ向かって来る車は見えなかった。
それでその、五台前くらいにいた車の後続車も、その後ろも、その後ろも、続いた先にいる自分の前を走っていた車も、道を大きく膨らんでさっさと走っていった。
大きな、ファミリー向けの車も。
それで、本当に田舎の山の中から出てきた自分は「あっ、イタチが死んでるんだ」と思った。
だって朝も道路で死んでるのを見たし、数か月前には申し訳ない事に自分も轢いてしまった。夜中に。
「道路で動物が死んでたら電話を掛けて回収してもらうけど、こんな都会だとどういう処理になるのかな」
と呑気に考えながら自分も前の車に習って道を膨らむと、そこにいたのは生きている子供だった。
二歳だか三歳くらいの、髪の毛がくるくると巻いてる赤ちゃん上がりの子供が指をくわえながら、車道をとろとろと歩いていた。
ぎょっとして、道に車を止めて子供に駆け寄ると「誰だよ」みたいな目で自分を見た。
「お名前は?」と聞いても動きを止めたまま何も言わなくて、この年の子が話せるのか話せないのかもわからない。自分の周りには子供が少ないので。
そうこうしている間にも車はどんどん自分達を追い越していくし、周りを見渡してもこの子の親が見当たらない。
公園から道路までは階段を六段くらい降りないといけないから、「こんな小さくても階段降りれんだな」とどうでも良い事を少し考えていた。
とりあえず自分も予定が入ってるので、何も言わない子供を抱き上げて公園の階段を上がる。
一応「ごめんね、だっこするね」と声を掛けたけど、うんともすんとも言わない。
知らない人がこうするのは良くないとは思うけど、捕捉していないと急に車の方に走って行きそうで怖かった。
久しぶりに抱き上げる子供は柔らかくて、その先に骨の感触がして、猫みたいだと思った。猫ももう何年も触ってないけど。
入口近くにいたお母さん二人に「この子を知りませんか」と言うとすげえ不審な顔された。仕方ないと思う。
それでも説明をすれば一緒に考えてくれて、ああだこうだと降ろした子供に話し掛けてくれている時に、少し離れたところから「あら、〇〇ちゃん」と声が掛かった。
まるで何でもないような顔をして、だけど自分の事を「誰だお前」みたいな目をしているように思えた。
まあ自分の孫が知らない人といたらそう思うだろうし、「迷子になってました」とだけ言って公園を出た。
車に戻って発進して、目的地に向かう途中で気付く。
なんで前にいた車は、ほぼ赤ちゃんみたいな子供が車道にいたのに保護しなかったんだろう。
公園に入っていった車はおそらく家族連れで、お父さんやお母さんは何も思わなかったんだろうか。
そうでなくても、単身者でも、老人でも、若くても、LGBTでもなんでも、何も思わなかったのか。
思えばこの年、道で倒れてる子供を見かけて車を止めたことがある。
登校中の小学生がすっ転んで頭打って泣いてたのを、周りの小学生が取り囲んでる所だった。虐めではないと思う、知らんけど。
これも、自分が声を掛けるまで誰も助けなかった。
泣いてる小学生に駆け寄った時、背広を着た眼鏡の中年男性が自分を見つめながら通り過ぎて行ったけど、あのおじさんは何も思わなかったのか。
そう考えると、窓の外は異世界だと思っている人間が少なく無いのだと思う。
車の窓の外は自分と関係のない景色で、テレビを見ている感覚に近いのかもしれない。
おじさんだって眼鏡レンズ越しの世界なら、それはもう治外法権みたいな感じなのかもしれない。
自分の周りの現実世界にしたって、インターネットにしたって、声高々に弱者を救済する声が上がっている。大なり小なり。
虐めについてだとか、子供の貧困や虐待だとか、事故の犠牲者だとか、病気の人がどうとか。
当たり前のことで、守ってあげないといけないものは守ってあげないといけない。自分の出来る限りではあるけれど。
それでもこうやって、誰かが助けてあげなきゃいけないと一目見て解るような状態で、誰も助けてくれない現実を垣間見ると、なんだか色々考えてしまう。
周りの、声を上げている人をモニタリングしてみたい。
手を差し伸べるのか、見捨てるのか、景色の一部だと思って見過ごすのか。
あの車に乗っていた人達は、車道を歩いていたあの子供を上手に避けた。
車の内側にいる人は子供を殺す事はなかったけど、生かそうともしなかったように思う。