はてなキーワード: 信貴山とは
1. 白装束に着替え、儀式での作法を覚えさせられる。「南無阿弥陀仏」と10回唱え、独自の拝み方を
覚える。信貴山朝護孫子寺の張り子の虎のように、首を振って頭を打ち付け眉間(白毫)の第三の目を開
2. 儀式は仏間で行われる。手を消毒薬で洗い、口を塩水でゆすぎ 再び手に塩をつけて流す。一人ずつ
順番に並び、仏間に入る。目をつむり、胸元で死人の様に両手を組み、襟をつかむ。合図で前にある打敷
きに頭を打ち付ける。
「よし」と言われ、信心決定となる。お礼で、五体投地と「南無阿弥陀仏」を唱える。
3. 仏間は暗い布で囲われ、祭壇と阿弥陀如来の掛け軸がかかっている。 日光菩薩、月光菩薩と一体に
なる儀式。善知識と対面して座り、片手を合わせる。善知識の「南無阿弥陀仏」を復唱した後、強く息を
吹きかけられる。口をつけた盃の水も飲まなければならない。日光菩薩は10回、月光菩薩は5回行う。
4. このことは絶対に他言してはいけないと宣誓させれれる。順番に、鈴を鳴らし、「絶対に他言致しま
せん」と誓約。
5. 次の日は、朝早くから白装束で仏間に入る。その後、菩薩となった証を見せ
るとのことで、黒法衣で外に出る。太陽を直視することができるようになったとのことで、太陽の輪郭が
はっきりと見える。太陽を見た後でも足元の暗いところがはっきり明るく見える(日想観という)。
6. 儀式を受けたので、死して六道輪廻に入らず、阿弥陀のもとに行ける身となったと説明。そして、
7. もうひとつの証は、化仏化菩薩を見ることができる。また外に出て、黄法衣の方に見方を教えて
もらう。方法は、青空を見上げ、眉間の20cm程前に焦点を合わせていくと、空中に白い小さな光が飛
び回るのが見える。眼鏡をかけても見える。背景を白い壁に移しても見られる。
【参考:ブルーフィールド内視現象】 http://nenbutsushu.blog.163.com/blog/static/192499239201171183815163/
8. このほかに月を見ること(水想観)もある。日想観・水想観・化仏化菩薩、この三つが重要であ
る。最後に「南無阿弥陀仏」と写経した紙を仏間に供え、線香をあげて経を唱える。そして、写経した
「南無阿弥陀仏」の紙は、家に帰り、夜中12時前にへその上に貼って眠った後、早朝、近くの川に流し
に行く(御六字)。
東方風神録のエンディングにおいて、酒があまり飲めないキャラクターに対し、集団で酒を飲ませようという「空気」を作るシーンがある。
しかもこのシーンを批判的には描いていないので、これは日本の悪しき飲み会文化・アルハラを正しい事と思っているという事に相違無いと確信
白玉楼にて西行寺幽々子に仕える魂魄妖夢は、病気以外では休みが無く給金も無い(書籍文花帖話)。また紅魔館の十六夜咲夜は広大な館を
事実上一人で管理しなくてはならない状況である。部下の妖精メイドは役立たず。当主は労働条件を改善しようともしない
このような超ブラックな組織が東方人気の中心であるという事は、奴隷労働マインドが若者に刷り込まれているという事であり憂うべき事である。
東方というのはスペルカード、舞台背景、キャラ設定にいたるまで「何らかの元ネタ」というのを持っている。風神録は諏訪の神話をモチーフとしており、その為諏訪大社を東方ゆかりの聖地と勘違いする者共がキャラ絵馬を奉納するという事態が続いている。一橋大学のトークショーでは「やってはいけませんよ」と言っているが、諏訪大社をモチーフにしたのはこの酔っ払いののんべである。信仰を失った架空の神社にすればいいではないか。大体日本有数の信仰を誇る諏訪信仰を、幻想入りするほどに落ちぶれたものに貶めるとは全くの侮辱行為と言い切れるのである。あと東方星蓮船においては信貴山縁起絵巻の「尼公」を下敷きにしている。これもまた実在の信仰を東方に紐付ける愚行と言えよう。まあ、今年の夏コミの新作が完全に幻想郷で完結している「東方三月精」ネタである事は良き事である。漫画本編なんかは神話ネタでの結構紐付けが甚だしいが「妖精大戦争」は妖精の馬鹿騒ぎに過ぎないので何の害もモタラスマイ。
ZUNは世界観を重視していると言っているが、幻想郷という空間は果たしてしっかりとした生活空間なのであろうか。まず海が無いので塩が無い。塩は人間には欠かせないのにそれをのぞいてどうやって生きられるのだ。「岩塩」という解釈も成り立つが、作者自ら小説版東方儚月抄では岩塩は採れないと逃げ道を塞いでいる。まったく自滅とはこの事である。で、結局それら不都合を解消するには八雲紫の「スキマ」で調達するとか、妖怪の山で機械文明ごっこをしている河童や天狗がどうにかするとかしか考えられず、外の世界にベッタリ依存しとるやんけ。外の世界とは隔絶された幻想といっても。親の援助受けてる癖にイッパシの口を聞くクソガキでしかないのだ。あの色鮮やかな服もそうだ。布を色で染めるのには染料がいる。それもパソコンのカラーパレットをいじるようには簡単ではない。一つの色を作るのにもそれなりのコストがかかるのだ。どうやって作るというのか?香霖堂をドラえもんみたいに便利キャラにさせるか?魔力で服が生成させるか?それともスキマ(笑)なのか?
人間と妖怪が潰し合わないように戦うためのプロレスルールたる「スペルカード」。これを全作品の全シチュエーションで行っているのが実におぞましい。東方風神録は外の世界から幻想郷にやってきた新参者である。そいつがどうしてスペルカードルールを知っているって事だよ。あと東方地霊殿は地下に隔離された妖怪と戦うのにこいつらもまたスペルカードルールだよ。どこで知ったのやら。極めつけは星蓮船である。6面ボスは1000年の封印から解かれた直後に戦うわけだからスペルカードルールを知っている筈が無い。遊戯王とかのホビーアニメとかは「その世界ではそのホビーが大人気」って前提があるから問題は無いし、メダロット魂においては「デスメダロット」によるメダロットとは違うルール無用の戦いを通じて、「境界の外では中のルールは通じない」というホビーアニメを全否定しかねない命題を打ち出したりしている。そこいくと風・地・星でどうやってルールを徹底させたかといえば、同調するような圧力以外は考えにくい。「こうやって戦うのが常識でしょ」という感じで押し切ったのじゃあるまいか?大体ルールを懇切丁寧に教えるとすっごく間抜けになる。漫画版儚月抄で魔理沙が依姫にスペルカードルールを説明する会などは実にバカバカしい。依姫は主人公ズを圧倒していたんだから言う事を聞く必要なんて無いわけだ。