はてなキーワード: 現状認識とは
わざわざ貼らないけど、colaboにお世話になったことのある女性がTwitterで「暴露っていうのかな」と前置きしながら発信している件について思っていることがある。
内容は生活保護を受ける上で虚偽申告をさせられたというものなんだけど、あのさぁ、そんなもん黙っとけよ。そういうところで裏技・寝技・隠し技を使ってでも行政から支援をもぎ取らなきゃいけない立場でいっちょ前に制度運用を厳格に守ろうとしてんじゃねーよ。お前に足りないのは「ズルさ」だ。自立した個人という承認欲求を満たしたいのはわかるけど、ルールを厳守することがちゃんとした大人であるとは限らないんだよ。むしろそういうところでズルさを許容できる人間の方が自立して生きている印象だ。そしてそういうズルさを追求する過程で適切な節税の仕組みであったり、収入の有無にかかわらず受けられる行政からの補助に気づいたりするわけ。はてブでよく言われる補助を受けるには一定の知識や情報収集能力が必要、って話にも通ずるな。生活保護をもらっている状況でcolaboの手伝いしたらちょっとした収入が発生したけど申告しなくていい、っていうのも全く同じ話。そもそも生活保護もらっても自立するまでのランニングコストにはなってもイニシャルコストにはなっていないんだから(生活保護の金額は今の2倍くらい出すべきだと俺は思っている)、ちょっとした収入はそのまま懐に入れておけよ誰も分かんねぇんだから。お前の小遣いなり貯金なりが増えるために温情で「黙っとけ」って言われたものをなんで暴露してるんだ? 思い切り恩を仇で返してるじゃん。家賃7万円ってもその家の家賃じゃなくて、おそらくは十何万円する家賃+光熱費+管理費+colaboスタッフの人件費を一人あたりで割った金額ってことでしょ? 光熱費、管理費、おまけに敷金礼金を別で払っていたと言うのならそれを書いてくれ。
他の人はもっとズルさを発揮して上手く立ち回っている人が多いけど、それが可視化されないのはそれを大っぴらには言わないからなんだよ。その真逆をやっているのが君。大っぴらに言っちゃう。そして沢山の人に知ってもらうために発信しているはずなのに沢山の人に知ってもらった途端になぜか怯えだして、殺害予告があったわけでもないのに警察や弁護士に相談とか言い出しちゃう。君はツイートがバズる度に警察や弁護士に相談するのか? 徹頭徹尾ズレてるんだよな。大丈夫だよ、来週には君のことなんて誰もおぼえてないから。その現状認識の歪みだったり、やるべきことではないことにばかりにリソースを割いちゃうから一時はホームレスになるくらいには苦労しているわけだよ。もっと利己的に自分だけが上手く生きられるにはどうしたらいいかだけを考えろ。世直しは君の役目ではない。生活保護は本来、フリーライダーが増えるという犠牲を払ってでも雑に受けられるようにするべきものなんだよ。君がちゃんとした大人になるために必要なのは正義の告発などではない。もっと制度を悪用するくらいの覚悟でズルく生きる覚悟だ。
というのが多いと思う。
結局、うまくいかないことだ。
生兵法、といってもいい。
馬謖が孔明の指示に従わず、自分の思いつきの戦法を取ってしまったように。
そこには優秀だという過信があり、現状認識への甘えがある。
FXで勝てるというのもそれだし、
自分が賢いと思っている、うまいことやれると思っているのが透けて見える。
しかし、視野が狭くなっており、結局自分に都合のよい情報だけを集めている状態にすぎない。
資産運用ならS&P500や全米インデックスが最適解ではあるのがわかっているのに、
愚直で歩みが遅いものに彼らにとっては見えるのだろう。
しかし、圧倒的に遠くまで安定的に行ける人とは、そういう愚直さを持ち続ける人なのだ。
適当にコピー&ペーストで語尾をいじって論文書いたり、トレースした絵を商業利用したり。
本人たちは「うまいことやろう」としているのだ。時間対効果が高い、ハッキングに成功していると思っているのだ。
人は、それくらい視野を狭くすることができる。
私は気をつけたい。
けこ@harukafilomena
私立大学で研究・教育をしています。わくわくしながら研究したい。りかけいのおんな 工学系 環境学博士
自動車会社いいなって思ってるけど、学生の時某自動車会社に実験にいったら
STEM教育に女が参入してこないのって結局これでしょ。親が就職先がとかウソついてるけど真実は負の性欲でしょ。
ジャップだけじゃなくジェンダーギャップが圧倒的に少ない国でもSTEM分野がボロクソな理由が日本人の言い訳では説明がつかないわけで。
自分は3ヵ月前に、https://anond.hatelabo.jp/20220620225630 というエントリで「トヨタのEV戦略は明らかにおかしい」(トヨタの主販売市場の動向や競合企業のロードマップと比較して、明らかに展開が遅く、投入車種も少ない)という指摘を書いた。当時は結構叩かれたが、今日ロイターから、トヨタがこの戦略の見直していることを示唆する報道が出た。
https://jp.reuters.com/article/toyota-exclusive-idJPKBN2RJ0NR
[24日 ロイター] - トヨタ自動車が電気自動車(EV)事業を巡り、戦略の修正を検討していることが分かった。基本設計のプラットフォーム(車台)も見直しの対象に含めており、2030年までにEV30車種をそろえるとしていた従来の計画の一部は既にいったん止めた。想定以上の速度でEV市場が拡大し、専業の米テスラがすでに黒字化を達成する中、より競争力のある車両を開発する必要があると判断した。
まとめるとこうだ。
・「2030年時点でトヨタの販売車種の1/3をEVにする」路線を撤回する(目標が低すぎて死亡確定なので)
・「EVはCVより安くクルマを作れる技術」という現状認識に基づいて、EV生産のコスト構造を抜本的に見直す
・そのために混流生産向けのe-TNGAは徐々に切り捨て、EV専用の新規プラットフォームを開発・投入する
・追撃のために、なりふり構わずテスラの先行技術を後追いする(ギガプレス、オクトバルブ他)
つまり、EV時代におけるトヨタの最初の敗北宣言である。おそらくこれからもこうした敗北が積み重なっていく。日本の自動車産業にとっては、技術競争力の低下という現実を次々と見せつけられる、暗く辛い時代がやって来る。
2021年の年末にトヨタがEV30車種投入発表会やったときは、ネット上に「トヨタは全方位戦略だからリスキーなEV一本足打法にしてなかっただけ」「トヨタがちょっと本気を出せばEV時代も横綱相撲を取れる」という奇妙なファンタジーがはびこった。来るEV時代でのトヨタの勝利を疑わずに多幸感に浸る連中がいっぱいいた。蓋を開けて見れば、1年も経たずにこの有様だ。
系列部品サプライヤーを束ねて膨大な構成要素を精緻に擦り合わせるトヨタのものづくりは、内燃系と電装系が複雑に絡み合うCV時代には良いやり方だったが、EVでそのやり方を延長しても性能×コストのバランスの最適解には辿り着けない。見た目と機能は似ていても、CVとEVは全く設計思想が違うからだ。テスラは多数の部品を高度にインテグレートするという路線ではなく、「大胆な手法で複雑な構造を単純な仕様に変えてしまうような」技術思想を全面的に投入している。たとえば導入当初は「大量生産車向けの技術じゃない」と批判されたが、今や新興自動車メーカーが次々導入を始めているメガキャスティング(ギガプレス)。たとえばバッテリと空調の熱制御と統合して、今までの自動車とは別次元の効率的なサーマルマネジメントを実現するオクトバルブ。どちらも圧倒的な部品点数の削減とコストダウンを実現する。そして上の記事は、トヨタはそうしたテスラの路線に(プライドを捨てて)追従する、と言っている。
e-TNGAは、EVとテスラがもたらした設計思想上のパラダイム移行は全く意識せず、ただ単に「CVとEVを可能な限り互換化し、安直に投入車種を増やせる手法」として設計された、いわば「過渡的なプラットフォーム」だった。その過渡的なプラットフォームで8〜10年ぐらいは持たせる計画だったのに、2021年の発表から1年足らずで、もはやその思想がEVをめぐる現実に追い越されている。未だに「トヨタのEV時代制覇」という夢を見ている人たちにも、少しずつこの現実を認識してほしい。
https://anond.hatelabo.jp/20220620225630
で書いたことは、以下。
トヨタのBEV戦略(2030年に車種の1/3を、販売台数の1/3をBEVにする)は、今の地域別売上からするとかなり奇妙な方針で、額面通りに受け取るなら間違った戦略だと思う。あのトヨタの発表が出たときは、ネットでは「EVでもトヨタが勝つる!」「30車種すげえ」「EU勢ざまあw」みたいな反応が多かったけど、個人的には「えっ、そんだけ?」としか思えなかった。系列企業への配慮などで、あえて低めの発表をしてる可能性があるとすら思ってる。
なにが奇妙かといえば、トヨタというグローバル企業の売上構成から考えると、2030年に1/3をBEV化する程度じゃ全然売るタマが足りないはずなんだよね。トヨタの自動車販売台数は、2021年実績で、日本国内が140万台、海外が810万台。海外を地域別に見ると、北米が270万台、欧州が100万台、中国が200万台。よく「欧米以外の地域には、今後もICEやHVのニーズが根強くあるから…」と言う人がいるけど、トヨタの国別販売台数は、この北米・欧州・中国の3地域で輸出市場の70%、全生産量の60%を占めている。つまり発展途上国と日本を足した「2030年頃にICEやHVを売り続けられる地域」の市場規模は、今の販売先の40%しかない。
「4割の残余市場に向けて、全車種の2/3でICEとHVを維持する」というのは、ポートフォリオ戦略としておかしいでしょ?
ちなみにホンダは「2030年に2/3をEV化」、GMは「2030年までに北米生産の50%をEV化」、フォードは「2030年までに40%をEV化」という構想。つまりトヨタは、ICE規制までまだだいぶ間があるアメリカのGMやフォードに比べてもEV化に対して慎重な(鈍重な?)動きになっている。
「規制が始まるまではICE・HVを売ればいい」という人もいるけど、一旦ICEの規制・禁止法制がアナウンスされれば、その実施時期に5〜10年先行してICEやHVの売れ行きは落ち始める。消費者は、一定期間乗った車を手放す時点(規制後)で、ICEの中古車価格がガタ落ちしていることを予期するから。今の先進国での自動車買い換えサイクルは、日本で平均8.5年、米国も7.3年、欧州はもっと長い。最近は日本でも「これが最後に買う内燃車かな、次はEVだろうな」なんつって自動車を買う人が増えてるでしょ。海外もそう。
最近の欧州車ディーラーでは一種のdisclaimerも兼ねて「EVのほうが下取り価格は有利です」と言われることが増えたけど、今後は先進国のどこでもこの傾向が加速し、おそらく2026年あたりから「EVか死か」の秒読みが始まる。そんな状況で、「2030年には、なんと全車種の1/3をBEVにしまぁす!」みたいな悠長なことを言ってて、まともに戦えるのかな、何らかの思惑含みのフェイクであってほしいな、というのが今の自分がトヨタに思ってることです。
『近い将来「車持つなんておかしい」「子供持つなんて」「結婚するなんて」になりはしないか…』とか言っていたのを見たけれど
いや、そんなの就職氷河期の貧困が騒がれた15年以上前にはとっくに話題になってましたけれど…?その後には東日本大震災と原発事故もあったし
車はともかく結婚や子供が贅沢品なのなんてとっくの昔からそうでしょ
マジで今もうとっくに、結婚や出産は誰もが出来る事ではなくて一部の特権階級の既得権益になっている事に気付いてない訳…?
『近い将来』じゃねーよ、もう既にかなり過去からそうなんだよ。
でも多いよねこういう人って。それも何故か本来ならば弱者の味方である筈のリベラルの人に限って多い。
なんだろうこの、現状認識のあまりの甘さや現実からの外れっぷりは。
かといって、保守派がまともなんて事は勿論ないし、自分達世代の不遇を嘆きながらも自民や維新への支持をやめない氷河期世代にも呆れるが。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4688200209520652290/comment/jou2
今は「普通」のハードルが高くなり過ぎだという話題についたブクマ米がこれ。
あまりにも現実と掛け離れた現状認識で、こういう一部の男性の自覚の無さに本当に辟易する
「男性が女性に求めるハードルはそんな高くなくない?」って、またまたご冗談を。
男性が女性に求めるハードルこそ、四大卒で年齢は二十代までで正社員で、体重は50キロ未満で、当たり前のように小顔で華奢で二重瞼で歯並びが整っていて色白で、家事が出来て、健康で子供が産めて、さらにメンタルの安定までも求める…
女性が男性に求める年収や身長なんかのハードルの比じゃないくらいに物凄い高いハードルを課している事、それだけならともかくそれに対して全く自覚がない辺りが本当に度しがたいなと
珍しくまともに論理武装しようとしてるまなざし村住民だけど、もうちょっとまなざし論にどういう批判が寄せられているかも調べたほうがいいぞ。
まなざし行為は、恐らく生物学由来であり、日本社会がその原因かのように考えるのは誤りだし、日本社会の変化によってそれを止めることができると考えるのもおそらく楽観視しすぎだ。
おそらく増田が依拠してるまなざし論が20世紀の古い社会学に基づいている。20世紀後半までの社会科学は、「子供は真っ白なキャンパス」とかいう言い方で、教育次第でどうとでもなる存在と見做したり、あらゆる性差をジェンダーに回収させて、男の子を女の子のように育てることすら可能だと考え実行したりしてきたが、それらは今では批判の対象だ。生まれつき、というものはやはり存在する。
女性の権利運動は、女性を「貞淑さ」の檻から解放することを大きな目標としてきた。男性だけに許されてきたまなざす権利に対して、フェミニズムはむしろ「女性もまなざしていいじゃないか!」と言い、それが実現したのが現在だ。ジャニーズに喜ぶ女性に、はしたない、と怒る人間は今やいない。
にも関わらず、「男性だけがまなざしている」とみなすのは、まず現状認識として誤りだ。そしてまなざしを禁止したり抑制したりすることは女性のまなざしも抑圧することであり、つまりフェミニズムの成果を捨てることになるだろう。
イスラムのブルカのことを考えるべき。あれは男性のまなざしを防ぐためのものだ。でもあれが広まると、ただまなざされただけの女性を、汚されたとか、はしたないとか、そういう扱いをすることに、現になっている。
2とも関連するが、ブルカが義務の社会って自由のない社会であるしね。
https://anond.hatelabo.jp/20220417174423
「日経新聞はジャニーズを広告に出すな」というタイトルだが、この増田はもちろん皮肉で書いているだけで「あなたたちが『月曜日のたわわ』広告を批判した基準を適用すれば、ジャニーズを広告に出すなということになる」と言いたいのでしょう。
しかし、そんな増田の皮肉を適切に読み取ることができず、頓珍漢なコメントとそれにスターを付ける読解力のない人が結構おられるようなので紹介しよう。
id:ghosttan 本当にアホだな。ミラーリングしたいなら「ジャニーズJr.のチン○が見れることで有名なジャニーズのぬいぐるみのズボンがチラッと脱げている広告に、日経が『かわいい男の子で世の中を元気に』」と言った場合だろ。
本当にアホなブコメである。増田は「性的だからダメ」との意見をミラーリングしているのではない。一行目に「正確には、出してもいいけど女とセットにしろ」と書いてあることからもわかる。性的搾取などと言って『たわわ広告』批判をした人もいたがこれはその人たちを皮肉ったものではない、あくまで3つのPに関してだ。そして「3つのPを満たしていないから」批判したハフポストに記事の論理を適用すれば、成人男性だけで構成されたTOKIOの広告も批判の対象になり得る。
id:ajakan 「月曜日のたわわ」に等価する女性向け広告を挙げてるんだろう。おつかれ。「金曜日のビンビン」ってキャッチで男子高校生の下半身をやんわり強調させたイラストが新聞広告に出たらアウトやろ?スポーツ紙ならいいよ
一つ目と同じ勘違い。
id:turnriv01 文脈を理解しようとしない奴がまたしても登場。『たわわ』は同人版まで遡ると未成年が成人男性へ媚びる様を読者へ現実であるように誤認させる作品。商業版でも同キャラ同ストーリーで展開しており危険性は明らか
id:roikokun 「A=BゆえにAにしたのと同じことをBにしなければならない、でもそれは困るだろ?」はアンチフェミくんお得意の論法だが、「A=B」に根拠はなく、都合よくでっちあげてるだけ。誤謬であり詭弁でしかない。
増田は多様性やジェンダーステレオタイプの強化といった『たわわ』批判に用いられた用語を用いて批判しているのだが、お気付きにならないようだ。
id:shimajitan この内容でミラーリングした気になっているの、アンチフェミの現状認識の雑さが露呈している/メタ認知って現状認識がしっかりしてないと意味をなさないんですよ
id:iroha2_hohe いつまで論点ずらしし続けるんだろう。支離滅裂にもほどがある。表自のやってることは連中の大好きな若い女性に嫌われる事そのものだと思うぞ
id:hate_flag たわわなおっぱいで癒されたいからって屁理屈が過ぎるよ。君は大人だろう?男だろう?なぜ未成年の女子を守ろうって言えないんだ?
id:cinefuk 『女さんが好きなジャニーズが規制されるとダブルバインドで困る筈w』という、性暴力に親和性あり、ハラスメントの視線しかない戦士たち。性犯罪者ジャニー喜多川への告発を無視し続けたメディア業界の罪は大きいが
どこがダメか説明もせず上から目線。こういう人たちは「現状認識の雑さが露呈している」「女性に嫌われる」「たわわなおっぱいで癒されたいから」などと内容とは関係ない決めつけや人格批判などを繰り返すことしかできない。馬鹿だからである。
id:napsucks whataboutismですなぁ。ちなみに旧ソ連の西側に対する態度からつけられたものらしいぞ。
一定のルールや基準で世の中を動かしていきたいなら、恣意的運用やダブスタはあってはいけないものだがそれが分からないのだ。多分馬鹿の一つ覚えでwhataboutismと言っているのだろう。
――ヒトラーは金融緩和を行っていた。金融緩和を行う日銀はナチスと同じだ。
――男女平等は共産主義者が言い始めた。男女平等を掲げる政治家は共産主義者だ。
――戦中日本は優良多子家庭を奨励していた。少子化対策は戦時体制に回帰している徴だ。
これらが全体的に例証として荒唐無稽なのは言うまでもないでしょう。これは特定の主張と同じ主張をしている別のグループを持ってきて「お前は〇〇だ」と対人論証を行うもので、「連座の誤謬」や「関連付けの誤謬」と呼ばれています。その中でも国際的にも有無を言わさず巨悪とされるナチスは何かを批判する際に引き合いに出されることが多く、些末な共通点だけで同一視するような詭弁が蔓延ったため特に「ヒトラーに例える論証」と特別に名前がついているわけです。本来のヒトラーに例える論証とはそういうものでした。なおこれは論証として不成立であることを批判するもので、侮辱か否かとは少しまた別のレイヤーの議論であることを留意しなければなりません。
そしてヒトラーが持ち出されることが多いのを皮肉ったのが「ゴドウィンの法則」です。議論中にこうなったら大抵建設的でないレッテル貼りになりがちですよね。
しかしつくづく思うのですが、ナチス関連の例えを出した時に”機械的”にゴドウィンの法則を持ち出して論難し始めるのはどうなんでしょうか。元来、「誤謬」に名前を付け「法則」という諧謔を作ったのは非論理的な議論を排し建設的な議論を行うための道しるべを示すためではないのでしょうか。相手の失点を指摘することで点数を稼ぐゲームを行うためのルールなのであれば私の不見識ですが、そういうものではないですよね?現代人が好きな”建設的”な議論をしたいのであれば、紋切り型に言うのではなく相手の論証が不十分である根拠を滔々と説く必要があります。そうすると必然的に根拠を示すだけで議論は成立するので特段誤謬や法則の名前を持ち出す必要も無いものです。
そもそものところ、ヒトラーを出した即ち誤謬・詭弁とするのはあまりに乱暴ではないでしょうか。いや菅直人元首相の発言が連座の誤謬に該当しないと言うつもりはありません。連座の誤謬だと言い切れる自信も自分にはありませんが…。例えばナチスが抱えていた論理的誤謬と同じ誤謬を抱えていると指摘しそれが危険な帰結を導出しかねないと論証できれば連座の誤謬とまでは言えないのではないですか。話を変えて最初に挙げた例に移れば、少子化政策として子供が多い家庭を表彰するという話が出たら戦中の優良多子家庭表彰政策を持ち出し問題点を指摘する程度であれば連座の誤謬とは言えないでしょう。もしくは少子化対策に前のめりになるあまり子供が多い家庭を理想モデルにすることの危険性に注意を促す程度に留まれば個人的には問題無いようにも思います。
こうした区別の判断は「ヒトラーに例える論証」とか「ゴドウィンの法則」とか言って即座に議論を終わらせるのではなく丁寧に反証をしようとすれば、相手の主張が誤謬と言えるものかどうかが見えてきてできるものではないでしょうか。ヒトラーと言うだけで機械的にゴドウィンの法則に該当してお仕舞の世界よりは判断基準が主観的で曖昧になりますが議論とはそういうものではないでしょうか。もちろんそんなに労力をかけられないという意見は分かるのですけれども。
正直なところ、ナチスに関連できることを見つけてすぐヒトラーだと言い出す人とナチス関連の話を持ち出したのを見てすぐゴドウィンの法則だと言い出す人の思考回路は同じようなものじゃないですかね。
と匿名の人間が書いても意味がないでしょうから、権威に訴える論証(詭弁)をしましょう。何を隠そうゴドウィンの法則の発明者であるゴドウィンはオルトライトについてナチスと比較するのを奨励しています。
By all means, compare these shitheads to Nazis. Again and again. I'm with you.― Mike Godwin (@sfmnemonic) August 14, 2017
Since it was released into the wilds of the internet in 1991, Godwin’s Law (which I nowadays abbreviate to “GL”) has been frequently reduced to a blurrier notion: that whenever someone compares anything current to Nazis or Hitler it means the discussion is over, or that that person lost the argument. It’s also sometimes used (reflexively, lazily) to suggest that anyone who invokes a comparison to Nazis or Hitler has somehow “broken” the Law, and thus demonstrated their failure to grasp what made the Holocaust uniquely horrific.
[抄訳]
ゴドウィンの法則はしばしば次のようにまとめられている。ある人が現在の何かをナチスやヒトラーと比較したら議論が終わったか負けたことを意味するのだ、と。またはその人が法を『破った』とされ、ホローコーストの比類ない恐ろしさを理解できてないということを示唆するとして(反射的に、怠惰に)使われている。
反射的に(reflexively)怠惰に(lazily)という修辞句を使うゴドウィン氏の心情を慮りつつ…。いわゆるトランプ政権のゼロ・トレランス政策をヒトラーになぞらえて批判した議員がいたことについてこのように記述されます。
The response has been predictable: Debate for some people has been derailed by the trivial objection that, even if it is terrible to separate children from their parents (and sometimes lose track of them, or make it impossible for their parents contact them, or even deprive them of the comfort of human touch), it’s not as awful as what the Nazis did.
[抄訳]
「ナチスの行いを矮小化しているからこの比較は不適切だ」という反論したことはないですか?それがいつもつまらない反論でしかも議論を脱線させるような非建設的な意見かは知りませんが、この時なされたその類の反論はゴドウィンからすればここまで大上段に切り捨てられて当然のもののようです。辛辣ですね。この後、こうした時にゴドウィンの法則の名前が出てくるという話もしています。
But I do want to stress that the question of evil, understood historically, is bigger than party politics. GL is about remembering history well enough to draw parallels — sometimes with Hitler or with Nazis, sure — that are deeply considered. That matter. Sometimes those comparisons are going to be appropriate, and on those occasions GL should function less as a conversation ender and more as a conversation starter.
[抄訳]
ナチスの問題は政党政治より大きなものであることを強調したい。ゴドウィンの法則は深く考察される類似性(ヒトラーやナチスとのを含む)を描くのに十分なくらいよく歴史を記憶することに関するものだ。時にそうした比較は適切であり、その場合、ゴドウィンの法則は会話の終止符ではなく会話の第一歩となるのである。
要するにナチスが現代の政党政治と比べるべくもないヤバい奴なのは前提ではありつつも、ナチスとの比較は適切な時もあるから「ゴドウィンの法則に該当するからアウト」みたいな単純な使い方はするなよってことです。もちろんゴドウィンの法則の発明者だからと言ってゴドウィンの言うことが全てではありませんが。ただ、ヒトラーに例えることで議論が脱線し行き詰まるのを防ぐためのゴドウィンの法則という言葉が議論を脱線させる一因となるのであればミイラ取りがミイラではないですか。
ネット上では新しい概念が日夜発明されています。大抵の場合は既にある概念が再発見されて流行してるだけなんですけどね。そうするととかく流行概念に合致してると言えれば即何かしらの結論を得られるという思考に陥りがちです。しかも政治においては用語や見方という枠の解釈合戦(フレーミング)が起こるものです。しかし政治家や活動家でなければ必ずしもそういった方向に行かなくてもいいでしょう。結論と同じようにもしくはそれ以上に過程こそが議論にとって重要であるという基本に立ち返りませんか。その時、数多の概念は思考を論理的に展開する際の補助輪になってくれるはずです。そう、概念は結論に直行するものではなくあくまで思考の補助線なのだと考えた方が良いのではないでしょうか。概念に振り回されず、連座の誤謬もヒトラーに例える論証もゴドウィンの法則も上手に付き合えば落とし穴に嵌らないようにしてくれるはずですから。