はてなキーワード: 無理ゲーとは
出生率が高い地域って、女の人権がないわけではなく、実際女も社会進出してるし、みんな働いてる。っていうかその地域において農作業とかはまさに「社会」だし立派に社会で働いてるわな。
ないのは子供の人権。家父長制において嫁に人権はあっても子供1人1人の人権なんてものは存在しない。
まず、医療が進んでないから乳幼児が死にやすい。「医療ケア児」なんてのは生まれた瞬間死に、アレルギー持ちは離乳の時に死に、多動とか注意欠陥、あるいは目が見えない耳が聞こえない子は幼少期に事故って死に、アスペなど親とコミュニケーションが上手く行かない子は「しつけ」で死ぬ。
健常定形で元気な良い子だけを残すよう子ガチャのリセマラができるってこと。さらに教育に金はかからない。
こういう国で10人子供産んだら、障害や病気持ちは5歳ぐらいまでに死んで、残った健常児は10歳ぐらいになったら労働力になり、女は嫁に行って婚家から牛とかもらってたくさん子を産み、一番賢く強い子は家を継ぐ。それなら、10人産むリスクがなくメリットしかない。
一方、先進国で10人産んだら障害や病気持ちも含めて全員最低18歳ぐらいまでは親が責任持って育てないといけない。下手したら30ぐらいまで子供部屋にいる。これ無理ゲーじゃん。
先進国では子供に人権が存在して親がその人権を保証する責任があるのが最大の問題なんだよ。で、それを支えるキャパがある大人が少ない。とにかくリスクが高すぎる。これこそ不都合で誰も言っちゃいけない話になってるけど。
現状で女の人権を抑圧しても、妻子を養わないといけない男のほうがむしろむやみに子供を産ませたいと思わないからやっぱダメだと思う。
イスラムだってなんだって、どんなに男の権利が強い国であっても、子供が死ななくなって育成コストが上がると出生率は下がる。死にやすいからスペア作るために産ませるんだよ。
そりゃそうだよ。男の権利が強い=責任が強いってことだし、自分の稼いだ金でたくさんの子供養って狭い家で貧乏暮らししたい男もそんなにいないわ。
無料ガチャで育成コストも安くて、いらないの引いたら捨てることができて手持ちを圧迫しないならいくらでもガチャ回すじゃん。
先進国における子ガチャって全体的に育成コストが強制的にかかる上に一定確率で地雷カード引かされてゲームオーバーなんだから、そんなガチャ怖くて引けないよ。
確かに一時期、結婚している場合の出生率は過去と比べて大きく下がってなかった。
だから、結婚しないことが少子化の原因だ、結婚さえしたらちゃんと子供を産むという説が強かったんだけど、あれ、実は平均結婚年齢の上昇によって既婚者の出産がドップラー効果のように「詰まる」効果などをちゃんと調整してなかったからそう見えていた面があって、現在では結婚している人の出産数も落ちてきている。
結婚している人というのは概して言うとそれなりには所得があるわけで、そういった層でも少子化が進んでいるという、これまで以上によろしくない現実が見えてきたわけだ。
あるいは、若者の所得を増やせば結婚するようになりそうすれば子供も増えるだろう、といった牧歌的な見方は通用しない可能性も出てきたということでもある。
まあぶっちゃけ、結婚や出産を考える際にはお金の問題はあくまで考慮する一つにしか過ぎない、核家族化で親の手助けが得られにくいことの影響などが大きい、それを金銭インセンティブでどうにかしようとしても土台無理ゲーという現実にどう立ち向かうかだよな。
端的に言えば、自宅療養の期間が2年超と長すぎて、もう手持ちのお金が無いのでカードローンで借金して生活してる。限度額まであとわずか。
一応、身近な売れるものは売ってみたけどはした金。ゲームや所持グッズなんかを専門店やオークションなんかで売ろうにも売るための手続きが面倒すぎてムリ。
無職だったら就活して働けばよいのだが、うつで休職しているだけの、働けない中途半端な状態なので無収入。
まあ、運よく仕事に復帰できても、そもそも無能なのでやれることなくてまた病むと思っている。
うつ自体も飲む薬が増えただけでさほど状態はかわらず。「自立支援医療」制度を使ってリワークも通ってみてるけど、体調崩して無理ゲー。
ちなみに「傷病手当金」は受給期間終了してしまったし、「障害年金」は初診日1年以内の年金未払い期間があるおかげで受給資格がなくてもらえない。
「生活保護」は手続きが良く分からない。ネットで調べても審査が通らないことがあるらしいし。
親類縁者も疎遠な自分がひとり抱えるにはしんどすぎて、数少ない友人に状況を打ち明けたら「金を貸してやる」とか言われたけど、そんなに金持ちな感じもしないのであてにできない。
そんな状況。
そういや、元TOKIOの山口達也が「死ぬ気があるんだったら死ぬ気でもういっかい生きてみませんか」と言ってるってまとめサイトで見たけど、こういうこと言える人はお金持ってる人か持っている人が周りにいる恵まれた人だけだわ。
フローとしては
1. 5分くらい1対1で話す
2. 中間印象
3. 3分くらい再度1対1で話す
4.最終結果
という感じです。
結果としては、何話したらわからなく当然の如くマッチしませんでした。
男性側のプロフィールは「仕事・年収・身長」みたいな定量的な項目があるのに対して、女性はそういった項目は年齢以外あらず・・・。
趣味も「カフェ巡り」やら「ネトフリ鑑賞」「旅行」みたいなものばかりであんまり話広げにくい or 話しても大した情報じゃない・・・。
女性も年収はともかくとして仕事内容くらい項目用意して欲しいなと思いながら悩んでいました。
また、こちらがうまく話しかけないと向こうも全く話さないから自分から無理くり趣味の話するしかないのですが、あまりうまく会話できずでした。
婚活パーティに参加されている男性の方はこの辺り、どうやって攻略してるんでしょうか?
しばらくは参加予定ありませんが、よかったら教えて貰えるとありがたいです。
フローとしては
1. 5分くらい1対1で話す
2. 中間印象
3. 3分くらい再度1対1で話す
4.最終結果
という感じです。
結果としては、何話したらわからなく当然の如くマッチしませんでした。
男性側のプロフィールは「仕事・年収・身長」みたいな定量的な項目があるのに対して、女性はそういった項目は年齢以外あらず・・・。
趣味も「カフェ巡り」やら「ネトフリ鑑賞」「旅行」みたいなものばかりであんまり話広げにくい or 話しても大した情報じゃない・・・。
女性も年収はともかくとして仕事内容くらい項目用意して欲しいなと思いながら悩んでいました。
また、こちらがうまく話しかけないと向こうも全く話さないから自分から無理くり趣味の話するしかないのですが、あまりうまく会話できずでした。
婚活パーティに参加されている男性の方はこの辺り、どうやって攻略してるんでしょうか?
しばらくは参加予定ありませんが、よかったら教えて貰えるとありがたいです。
小3の息子の授業参観に行ったが、無理ゲーすぎて不安になった。
ただ、それを隣の人と相談してつくることになっていた。
文が完成したら、次は4人グループになって、それぞれの文章を出し合ってストーリーにする。
その際に「そして」などの接続詞を使うこと。
完成したら、最後にクラスみんなで文を出し合ってストーリーを作り上げる。
いやいや、難易度高すぎる。
文章を作るだけでも難しいのに、隣の人と相談してってのが難しい。
コミュニケーション能力が必要だし、隣がやる気ないと詰む。実際詰んでるペアもいた。
そしたら次に4人組になってもう一回ストーリーを作る。それも難し過ぎる。
「小2の漢字を書ける」
「文章を作る」
「ストーリーを組み立てる」
「隣と話し合う」
「4人で話し合う」
「接続詞を使う」
実際時間内にできなかったし、4人とも黙って何もしてないグループもいた。
親としてどうすればいいのか。
体力。(健康)
結婚とかしたくないし自分でバリバリ稼ぐぞって昔は思ってたけど無理無理
週5な時点で詰み。
ぜっっっったいにおかしい。
体力あること大前提の世の中?
頑張って運動してるけど10000%無理と思う
基礎的な体の作りがマジで貧弱。
てかみんな病院行きまくりの身体壊しまくりだもんね。週5・8時間はおかしい。
自分が雇う側だったら週5・8時間働ける奴隷の方がそりゃいいが…
全員が無理するからこんなことになるのでは?
週3・4時間じゃないと誰も働かない状況になれば、雇う側もそれ前提で会社を回すと思うよ。
今、週5・8時間で働いてる人が悪に見える。
みんな早く気付いたらいいのに
残業は昔より減ったんかな?それはよかったけどまだ足りない
https://anond.hatelabo.jp/20230503204955
https://anond.hatelabo.jp/20230508191146
これらを受けて増田が思っていることや増田の実体験をちょっとだけ書くね。ちなみに増田は富山(富山市ではない)出身30代未婚子なし女です。現在は都会で一人暮らしをしています。将来めっちゃ不安だけど自分で蒔いた種だし、なるべく迷惑かけずに死ねるように頑張りたいなと思いながら生きています。
ちなみに雪かきは男女ともにやっていたよ!何なら男性の方が屋根の雪かきとかタイヤ交換とかやらされがちな傾向があって大変だったのではって増田は思うよ。そんな感じの性別による役割分担がはっきりしている傾向はあったんじゃないかな。それが富山県ならではなのか、そうでないのかは増田には判断つかないですが。
社会科の授業で、「持ち家率上位!」「共働き率上位!」「貯蓄率上位!」という話は聞かされた。実際に教師やそれ以外の大人の富山県民も、こうした点で他の県より優れている!(だから富山は住みやすい!)という気持ちを持っている人が多数だったと感じている。
増田が思うに持ち家率が高いのは土地が安いから、貯蓄率が高いのはただ単に県内にお金を投じて遊んだり買い物したりしたいと思える場がないからで、それらが合わさってじゃあ広い家を買って住もうとなるんじゃないかな。そもそも増田の周りは三世代同居のお家が多かったから、祖父母が先祖代々の土地を持っているのが前提なのかなとも思ったり。
共働き率が高いのは、今はどうかは分からないけれど、増田が子供の頃は父が正社員、お家の大黒柱で母がパートという家庭ばかりだった。増田は必ずしもこれが『女性にとっての働きやすさ』には繋がらないと思っていたし、富山で就職しなかった理由の一つもこれだった。
冬の富山県では雪が降る。めっちゃ積もる。だからこそ水不足とは縁がないので、悪いことばかりでもないんだけど。
増田が通っていた小学校は、増田の家から子供の足で歩いて20分くらい。小学生、特に低学年にはまあまあ厳しい道のりだ。雪が積もっていればもっと時間がかかる。時には吹雪いて目の前に来ている車すら見えない日だってある。
そうなるとどうなるか?親が車で送迎をすることになる。そしてその親の9割は母親だ。幼稚園・保育園を卒業したからといってお迎えがなくなるわけじゃない。
中学校になると小学校より更に校区が広がる。自転車で片道30分近くかかる道を登下校することになる学生もいる。自転車で30分かかるような距離を雪の日に毎日徒歩で登下校するのは、出来なくはないがまあまあ厳しい。スクールバスなんてものはない。だから結局、中学でも親の送迎がある。もちろんこれも母親と思しき軽自動車ばかりが校門前に並ぶ。
高校になると送迎から解放されるか?そんなことはない。自転車で通える範囲の高校に通う学生は多い。中学と同様、自転車で片道30分もかかるような人だと、雪の日の送迎はほぼ確実になる。
電車で通う学生はと言うと、大半の学生は自宅から駅までの距離がやっぱり遠い。中学から家の比ではない学生も沢山いる。そんな学生達の行き帰りの足になるようなバスはない。結局、駅から自宅までの送迎の車が駅前に並ぶ。…やっぱり軽自動車が多め。
こんな感じで冬の間、ずっと子供の送迎問題が出てきてしまう。子供が免許を取れる18歳になるまで。…そんな環境で、送迎を主に担う人間に重い仕事を投げられるか?管理職になれるか?…無理じゃね?はい、綺麗なマミートラックの出来上がり!
実際増田が中学生や高校生くらいの頃は、母がパートを中断して送迎して、その後また働きに行く姿を見て、あっこれ増田の存在が母のキャリアの妨げになっているな…ってめちゃめちゃ思ってた。ごめんよお母さん。
雪でも歩いて帰れって?毎日1時間以上かけて?部活の後に?その後たっぷり課題と予習復習もやらなきゃいけないことを考えると学生的にもマジで無理ゲーなんですよ。特に増田は体力ないのできつかった…富山の雪って水分含んでるからめちゃめちゃ体に張り付いて体力奪うんだ。それで寒いからってスカートの中にジャージ履いたら先生に怒られるしさー。
父親は父親で責任のある仕事に就いて毎日がっつり残業していたので、こういう急な送迎とかは無理でした。そのこと自体もかなり問題だとは思ってるよ!男性ばっかり長時間労働させられてたってことだし。
雪国で田舎で公共交通機関とかがしっかりしてないとこうなっちゃうんですよね。車がないと生活できないってことは、車を持てない子供の日常にも、子を持つ親の日常にも、それぞれ支障が出るってことだと増田は思います。
こういう状況を何とか出来ない限り、あの環境で家庭持って子供作ろうとは思えないなー。東京でも家庭持ってないけどな!ガハハ!!
子どもの送迎で時間が奪われがち、送迎を担う者の働き方が限られがち、以外にも車がないと生活できない土地について思うことがある。
まず信号機が少ない!!横断歩道も少ない!!これによって何が起こるかと言うと、大人も子供もおじいさんもおばあさんも、みんな等しく信号機や横断歩道のない場所で急に飛び出してくる。
車の数も少ないし田んぼばっかりなので見晴らし自体はいいんだけど、それにしたってあんなに急に人が出てきたんじゃ避けられないよー!みたいなシチュエーション、親の車に乗っていた時にも何度か遭遇した。今はドライブレコーダーとかあるからましになっていたりするのかな。
そんな感じの道が大半な一方、ここは交通量多いでしょ!とかここは見晴らしよくないでしょ!みたいな道路も信号機がついてなくて、対向車やバイクや人が急に出てこないか怖くなっちゃう道も沢山ある。
車がないと生活できないのなら、車で普通に走っているだけでも加害者になりかねないような危険な道路には対策を打って欲しいよ。予算がないから無理なんだろうけど。
これで現在が万フォロワーの神絵師だったらアツい少年漫画なのだが、まっっったくそんなことはないことを先に断っておく。
ちなみに現在のフォロワー数は500以上1000以下とだけ明記しよう。
これで読む気を失くした人は実に正しい。回れ右してもっと為になる記事を読んだ方がはるかに良い。
それでも読み進める酔狂な紳士淑女たちはしばしお付き合いを願いたい。
(なお活動の内容はTwitterに絞り、pixivやskebについて言及しない。)
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これはノートにシャーペンで描いた絵を写メでパシャってた頃から今に至るまでの、大して伸びてない俺の、しかし愛と劣等感と承認欲求と生きがいにまみれた記録である。
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かれこれ×年前、新卒で入った会社での馬車馬労働も落ち着いた頃。
「忙しくて絵描くヒマなんか無くなっちゃったよ〜☆」というまともな人のレールに乗りかけていた自分に気づき、ゾッとなって作ったのが現在の主戦場・イラスト垢である。
絵を描くのは物心ついたころから大好きだ。中学ではお絵かき仲間と自作漫画()のノートを見せ合い、高校では漫研に入って己の井の中の蛙感を思い知らされ、美大にこそ進まなかったものの、大学でもなんやかや作ったり描いたりは続けていた。
それがなんだ、社会人になった途端に魔法が解けたようにぱったり辞めてしまうのか?ありえないだろう!気を確かに持て!!
ということでTwitterにイラスト専用垢を作り、ノートに描いたオリジナル絵(この頃は全年齢)を写メで撮って画質調整すらせず手元の影が映り込んだような状態でアップする日々が始まった。
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なんか最初は気合入れて初任給で買ったコピックを使ってカラー絵なんかも上げてたが、「1日1枚更新、かつツイート数=アップした絵の枚数だったらカッコよくね?」という中学生の妄想じみたイキリで運用していたため数日で挫折、上記の通り「とりまなんか描いて上げる」感じになった。
当時は「ハッシュタグは馴れ合い」というクソダサ固定観念があったため、ただひたすら黙々と上げていればそのうち報われる的なシンデレラストーリーを思い描いていた。
そして絵を数十枚上げた頃、ようやく気付く。
当然である。当時はフォロワー数2桁、20くらい…?(お絵描き垢ということだけでフォロバしてくれた心優しい人々)だったうえ、絵もヘタクソでアナログ民である。イイネもRTもある訳がなく、ただ孤独感ばかりが募っていった。
そこでいくつかハッシュタグを使うようになる。ワンドロ(1 drawing=特定のお題に沿って1時間で絵を仕上げてUPする企画)という存在を知ったので、好きな作品のワンドロを見つけてはこれまたドヘタクソな版権絵で参加しだす。ワンドロ公式から必ず1つはイイネとRTを貰えるので、それを心の糧にしていた。
というかこの時期、アナログ民でも参加できる懐の深いワンドロに出会えていたことがマジで幸運だった。
フォロー祭り的な拡散系のタグは使わなかった。何も起きなくて落ち込むのは俺なのでね!
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ともかくモチベーションが出来たことでまた同人誌作ろうかなーと思い始め、学生の頃2〜3回参加したことのあるコミティアに出ることに。この頃はまだストーリーもの?4コマ?みたいなやつとか描いてた。
衣食住ぜんぶ自分で面倒見ながら可処分時間と睡眠時間全ツッパして命からがら仕上げる、宝物のような24ページの本…!!!
そういう本が、1冊も売れないのがコミティアだよねー。
うーわしんどいな、これキッツイな……と痛感しながら座る長机(半分)で、それでも撤収する頃には「またここ座ろ☆」と思いなおす狂った思考回路と仲良ししながら活動を続けた。
社畜との両輪で参加したコミティアは2〜3回、頒布数は平均3冊くらいだったろうか。
一度だけドハマりした作品で版権モノのオンリーイベントに参加したが、ここでの頒布数は1だった。
というかその直前のコミティアで頒布数0をやらかしていたので、心機一転での二次創作だった。なのに開場から3時間経ってもガチのマジで0冊。泣かないように奥歯を噛み締めながら、列のできる両隣のサークルの合間でモーゼ状態を耐え抜いた時のことは昨日のことのように思い出せるし、こん時に比べれば大抵のことは頑張れる俺である。
でもね、閉会間際で1冊だけ売れたんだよ。
無配ペーパーを持ってってくれてたらしき人がたまたま再度通りかかり、「あ ここだ」と呟いて立ち読みし、悩んだ末に買ってくれた。
この1冊がなければ完全に心が折れて描くのを辞めてたかもしんない。
あのとき買って行ってくれた人、心より御礼申し上げます。あなたがいなければド底辺絵師が一人消えてました。(キモい)
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こうして3年ほど経った頃……
「伸びねーーーー増えねーーー」
と思っていた。
当然である。
絵の読み込みにスキャナーを使うようになった程度で、別に大して上手くならない画力(描けてれば幸せ♡だったのであんま練習とかしない民)に流行りでもなんでもない変な絵である。特定の性癖があるわけでもなく、今をときめく版権絵でもない。
伸びるワケがない。
「描けてれば幸せ♡なら伸びなくてもいいのでは…」と思われる諸氏。
無理やぞ????
たまーにいるけどね、そういう良い意味で無敵の人。ああなれたらマジで強いしカッコいいと思う。
けどな、俺ザコキャラだから!!!絵上手くないくせに承認欲求は人一倍だから!!!豆腐メンタルで麻婆豆腐だから!!!!
とはいえなんか絵の練習はせねば、まずは気軽にできるやつ…と超絶便利サイトのポーズマニアックスを選び、1日8ポーズ、10分足らずの練習を2ヶ月ほど続けてみた(結果的にこれはやってよかった)。
けっこう思い通りの線引けてるんだけどな、やっぱ根本的にド下手なんだよな……というモヤモヤした感覚を抱きつつ活動を続ける日々を送っていた。
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そんな中、「これフルアナログなのが原因では……??」と思い始める(気づくのが遅すぎるネ☆)。
俺は「誰か父さんのメールアドレス知らない?」と聞いてくる父と「ケータイでインターネットに繋いだら絶対に
高額請求が来る」と信じて疑わない母から生まれた生粋のデジタル音痴である。アナログ民を脱することなど夢のまた夢だと思っていた。
ヨドバシカメラでペンタブレットを触ってみても、「手元のペンと目の前の画面」の違和感がハンパなくて踏み切れなかった。
かといって液タブとかいう神のツールは10万フォロワー越えの神々が使うものだと考えていたので、実力的にも金銭的にも雲の上の存在だった。
かつて「描線をデジタル化するボールペン」とかいう謎な商品に目が眩み、コツコツ溜めた3万(くらい…?)で買ったことがある。
もともと速記用のペンをイラスト向けに改良したとかなんとかで「俺の求めていたものはコレだ!」と息巻いたが、レビューが全然見当たらん。なんか変だな…?と思いつつも意気揚々と購入したが、案の定まともに使えるようなものではなかった。当時の俺のPCは聞いたことねえメーカーのノパソだったため、なんかもうあらゆる意味でダメだったんだと思う。このへんの身の振り方がデジタル音痴たるゆえんである。
絵が上手くならない理由は「物を見る目があまりに歪んでいる」といまさら気づいた俺は、社畜の合間を縫ってデッサン教室の夜間クラスを探した。
死んだように寝て過ごす休日のうち気力で3時間を振り絞り、電車に乗って教室に通う。
ここで想定していたのは美大受験みたいな切磋琢磨の場だったのだが、俺が受講したのは社会人向けである。
初心者の俺が「お上手ですね〜〜」と言われるぬる〜い空間だった。
当然である。
周りは良き趣味のおばさまがた、ここは「継続的に金を落としてくださる生徒さん」の集まる場所だったのである。
もどかしさを抱えつつ、それでも評価の中に混じる「ここはもうすこーしこうした方が…」という言葉を金言のごとく握りしめ、反芻しながら目の前のモチーフを描いた。
が、爆睡と家事で精一杯だった休日のうち、この習い事というミッションはかなりハードルが高かった。
そして疲弊の色が濃くなり、仕事の繁忙期と重なって半月ほど足が遠のいていたタイミングでコロナ禍が始まった。
実は数年前にも断続的にクロッキー会に通っていた時期はあるんだが(この時は教室の遠さと値段の高さで数ヶ月で断念した)、コロナで「ぬる〜い場所」にすら集まれなくなったのは痛手だった。
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一方Twitterでの活動は、そんな七転八倒をしながらもワンドロだけはコツコツ参加し続け(版権のワンドロはどれも垢が消えたのでオリジナルだけになっていた)、「いつもなんかいる人」という枠でフォローしてくれる人たちに支えられていた。
ワンドロ以外での反応は閑古鳥だが、もはやそれが普通であると納得してすっかり馴染んでいた。
UPした絵が100枚を越えたのを機に、アナログ絵をまとめた本を作った。
そしてイベントで売るついでにおっかなびっくり書店委託の申請をしてみたことがある。
規定通りに虎の子の1冊を現本として送ったが、お祈りどころか受け取りの連絡すら来なかった。
問い合わせる勇気もなく、実力の無さと壁の高さを改めて感じた。
5年以上の活動期間でフォロワー数もやっとこさ100に到達したものの、しかし現状はさほど変わらず。
がむしゃらにやってきていた俺は次第に病んでいった。
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……が、余計に病んだ。
しかも「何も描かない人生なんて……俺……生きてて意味あんのか……?」と真剣に悩むレベルで、「別にTwitterに入り浸らなくても平気なんだな」と分かった一方で、「絵を描かない自分」にだけは耐えられなかった。かといって何か描いてしまえばまたムクムクと承認欲求が湧いてくるので、「俺から絵を取ったら何が残るのか」というif論の世界線にいるつもりで意識的に描くのをやめていた。
自分の手で何かを生み出さなくなった時間がヒマでヒマで仕方なく、かといって本を読むとか建設的な情報の摂取もできなくて、大好きな漫画への興味もそれなりになっちゃって、虚な瞳で哲学ニュースとカラパイアを行き来する地獄の様な日々を送っていた。
(ちなみにこの期間、無意識に熱意を注ぐようになっていた料理スキルのおかげで自炊がだいぶラクになった)
ストレスが極まって真夜中にひたすら川沿いを歩き続けたりもした。
なんとなくチャリで長旅行きてえな(学生の頃はちょいちょいやってた)などと考えていたが、やはりその場合でも気づけば「旅先で撮った写真をいい感じに分類してアップするサイトを作ってみたい」とかいう思考がスッと出てきたのでもうダメだと思った。
なんか作ってないと死ぬヤツって天才とかだけだと思ってたんだけど、大して努力もできないような凡人の中にもいるんだな、そしてそれはなんだか残酷だなあと身をもって知った。
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進むも地獄、戻るも地獄な精神状態が半年近く続き、同じ地獄 -hell- なら踊らにゃソンソン…?と思い始めたある日、ネットで調べ物をしている最中にとあるバズツイを目にする。
さいわい俺はオタ活もソシャゲもしないぼっちの根暗オタクで社畜なので、好きにできる貯金くらいはある。
知り合いも「液タブに手が出ないならあいぱっよ」的なこと言ってたなーと思い出し、思い切って導入することに。
お絵描きソフトはいくつか試した末にProcreateを選んだ。クリスタの多機能さ()についていけなかった俺は、UIが直感的でツールとアイコンを極限まで絞ったプロクリがスッと手に馴染んだ。
ペーパーライクフィルムなるものを貼り、紙のザラザラ感を脳内で補完しながらApple Pencilで線を引く日々が始まった。
フルアナログ底辺野郎が、板切れ一枚でフルデジタル貴族に転生したのである。
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それが×年前のこと。
ここから「オリジナル絵はもともと伸びにくいけど、ちょっとエッチだと訴求力が上がる」という観測結果をもとにR18に手を出す。
といっても乳首解禁程度で可愛いもんだが、方向性が定まったことで不安が少し減った。
フルデジタルで久しぶりにいつものワンドロに参加すると、反応が違う。イイネRTが3割増しといったところだろうか。(※ここでの3割増しとは3RT→4RTのような血で血を洗う話である)
デジタルのバケツ塗りになったことで、アナログだった頃の癖の強さが軽減されたのかもしれない。
やっっっっっっと俎上に登れた、と思った。
いつでもどこででも描けるiPadは社畜の俺にはピッタリで、しんどくて布団から出られない時でも通勤電車の中でも四六時中描けるようになった。
デジタル作画はワンタッチで消しゴムが使えるので描くこと自体のハードルが下がり(筆圧鬼強野郎なので消しゴムかけが大変だった)、本を買って絵の勉強を始めた。まずは骨格と筋肉から!と、教本の図解をじっくり模写する方法で自分なりに学ぼうとした。
だがデジタル音痴な上に加減も融通も効かない俺である。両手両足をやり切ったところで一度息切れしてしまった(でもこれはやってよかったと今でも思う)。
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数ヶ月後、それらの勢いでオリジナルの同人誌を1冊出す。そしてサイコパスな神絵師の友人の甘言に乗って再び「書店委託」なるものに挑戦(ふつーフォロワー100人前後の人間にそういう話するか?)。
実力的には最低レベルにも達していない自覚があったので、何度もお断りされるなかでいつかOKもらえたらなーという気持ちで申請。
が、思ったよりあっさり通った。
同じような画力の低さでも、版権作品ではなく「オリジナルのエロ」という切り口だけで「まぁ…いっすよ」と言ってもらえたのかもしれない。
やるなら徹底的に!と思い、紙の本を3社に委託。そもそも30部とかしか刷ってない本を5部とか10部でも受け付けてくれるプロの仕事ぶりに、尊敬と畏敬の念しかない。
みんながわいわいしている端っこに自分の席を置いてもらえたことで、ずっと憧れていた「輪の中に入る」ことがちょびっとだけできた気がしてめちゃめちゃ嬉しかった。
そもそもド底辺の自分がなぜ身分不相応にも書店委託や電子販売なんぞを活発にやりはじめたのかといえば、
「そこでの売上が決して0冊ではない」
作品も作家も、露出しなければこの世に存在しえない。フォロワー数2桁でのたうち回っていた俺のつらさは「この世に認知されない」ことだった。
コミュ力さえあれば自力で輪を広げることも可能だが、そんな能力あったら初めからこんな苦労してねーよという話である。
ならば厚顔無恥だろうとおこがましかろうと、一方的に「俺ココにいるよ!こんな本描いたんだよ!」と嬉しそうに手を振る方が100倍マシじゃねーか。
そんで委託した本を買ってくれた誰かが、「このページのこのコマのこの乳だけはイイな」とさえ思ってくれれば俺は大往生である。
しかも誰かがその本のために払ってくれた数百円は、汗水垂らして働いたお金だったり数少ないお小遣いだったりするわけだ。
そんな嬉しいことある?
紆余曲折を経て、そういう肝の座り方と考え方を得られたのは一番の収穫だった。
とはいえピコ手もピコ手なので、委託先の売上振込最低金額に達するまでに長ーい年月を要するRTAに強制参加となる。そりゃ売上¥300だろうと申請すれば振り込んでもらえるんだが、それじゃロマンねーじゃん?
俺とあるサイトの最低金額¥5000に届くまでにマジで2年半かかったし、達成した時は三ツ矢サイダーで祝杯あげたよ(下戸)。
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フルデジタルに移行したことで、イベントでの頒布数もギリギリ10冊を越えるようになる。
頒布数1も0も経験した身からすると、もはや恐いモノなんてないのだ。
1冊でも売れれば、それはすべて神の起こしてくれた奇跡なのである。
普段の活動ではオリジナルでとにかく節操なくいろいろなものを描き、月に1人とか2人とかじわじわとフォロワーを増やしていった。
ごくまれに描いた絵がなんらかの界隈のハブになっているアカウントの目に留まり、RTしてもらえることも出てきた。
その時のフォロワーの伸び率はびっくりするほどだったので、そのたびに「存在を知ってもらう」ことの生命線っぷりを痛感した。
まあとはいえタグなしの絵にはやっぱり無反応だけど、それが俺の平常運転である。
「こいつ今日も描いてんなー」と読み流してくれる誰かがそこにいるってだけで嬉しかった。
UPした絵は、300枚を越えたあたりから数えるのをやめた。
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コミティアしか知らない門外漢の俺はドキドキだったが、入場者数の制限もあって全体的にまったりムードだった。
開場して10分20分、宝の地図を手に通路を行き交っていたうちの一人が立ち止まり、俺のスペースに近付いて
「新刊1冊ください」
と言い放った。
新刊1冊ください…
しんかんいっさつください…?
それって、なんらかのルートで俺のこと知って、新刊あるっぽいって分かって、サークル配置を事前にチェックして、宝の地図に印つけて、「あっココだ」って気付いて来てくれたってこと?!?!?!
つーか開場20分とかそこらだよ??あなた一般参加じゃなくてサークル参加なんじゃねーの??
シャッターサークルとか企業ブースの先頭にだって並べるはずなんじゃねーの???