はてなキーワード: 漢方薬とは
http://anond.hatelabo.jp/20150915014521
東京での現状はわからないのですが札幌では日常に溶け込んだ定番としてしっかり定着しました。
ラーメン週一も食べない人は多いけどスープカレーは必ず週一以上食べるという市民も多いのでは無いでしょうか。
一時期のように雨後の筍がごとく玉石混交様々な店がオープンしては短命で潰れていく状況は過ぎ去って、ある程度料理として完成された、飲食店として一定のレベル以上のお店が殆どになりました。
スープカレーの定義は札幌においては未だ定まっていないように思えます。
そこに野菜ベース、鶏ガラベース、豚骨、野菜ブイヨン、トマトベース、出汁ベース及びそれらのミックスで本当に幅広い味わいのスープが楽しめます。この状況はラーメンにとても近いのでは無いでしょうか。
スパイスについて。
スープカレーはターメリックを結構な量使うスタイルが主流だと思います。少なくとも札幌では
唐辛子、ターメリック、クミン、コリアンダーはもちろん、味の個性の決め手としてはなんにせよカルダモンが外せないでしょう。
さらにアニス、クローブ、ナツメグは多用されていますし、ガーリック、ジンジャーもスパイスとして乾燥させたものを生と併用したりもしますし、五香粉の原料桂皮(シナモン)、丁香(クローブ、重複ですが)、花椒(カホクザンショウ)、小茴(フェンネル、ウイキョウ)、大茴(八角、スターアニス)、陳皮(チンピ)などもおおよそ使われているでしょう。
なので札幌市民は、風邪のひきはじめや二日酔い(ひどくない時)の時、季節の変わり目などで食べたくなるという声もよく聞きます。
スパイス=日本人にとっては漢方薬として知られる素材がたっぷり入っているのでなんとなく体がシャキッとする気がするのです(あくまで気です、たぶん)
とにかくトッピングや具材に力を入れたグルメスープカレー、厚切りベーコンやラムチョップ、山盛りの道産野菜にホタテ、牡蠣、エビなど海鮮系まで揃います。
SAMURAI、GARAKU、yellowなど観光客にも人気の行列店がこの方向に力を入れている系統に当てはまるかと思います。
一方オーソドックスなチキンレッグをメインにスパイのキレとスープの奥深さで勝負するタイプのお店(もちろん具材やトッピングは上記店舗と同レベルに揃ってる)もいっぱいあって
一灯庵、曼荼羅、メディスンマンなどがこの系統に当たるのではないかと思います。
前者は脂多め、後者が少なめと言った傾向もあるかもしれません。なので風邪や二日酔いの時前者はきついけど後者は回復に貢献してくれそう(なイメージ)です。
個性という意味ではトマトスープが名物のSAMA、エビスープの奥芝商店、極太ごぼうの唐揚げスティックが突き刺さってるsoul storeなど枚挙に暇がありません。
札幌にいらっしゃったらぜひ、などとぬるいことは言いません。
何なら私増田が個々では紹介しきれなかったお店も含めてガイドいたします。
SAMURA
http://tabelog.com/hokkaido/A0101/A010103/1031790/
garaku
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一灯庵
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メディスンマン
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SAMA
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奥芝商店
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soul store
ADHDで苦しんできた俺。
ストラテラを飲み、症状は治まってきたもの感情が薬で一定のレベルにコントロールされている感じがして
悲しく怖くもなく、常に楽観的でなんか変な感じである。
抗鬱剤を飲むと、クマと出会っても逃げないというが本当にそんな感じである。
有名どころはこんな感じらしい。
この中の一つ。
http://www.nannbyou.com/medical/shouni15.html
http://www.dojima-hari.com/example/
http://www9.plala.or.jp/niconicocupido/NAC/yama41.html
http://homepage3.nifty.com/dairyuukou/contents06.html
http://www.hadamamo.com/category14/
ストラテラを80mg飲んでいたが、1か月かけて40mgに減薬。
一回に5000円程度、かかる鍼治療に月8回通う。
月4万円。 高すぎる。。。。。。
でも、最初のうちは針を打って数日は頭がすっきりした気持ちになり。
そのうち、薬がなくても過ごせるようになる。
これが半年くらい。
再発しないレベルまで持っていくにははあと半年は通う必要があるという。
ただし、鍼治療ではこの症状にはこのツボではなく、全体を触診できる必要があるし
大学1年の後半から軽度の摂食障害だった。思い返すと、小学生の頃から、時々食べられなかった。
給食のコッペパンがまずく、おかずも、体調が悪い時や苦手な食べ物の場合は食べられず、何度か掃除時間まで居残りさせられたからだ。
高校3年から大学1年の夏にかけ、受験のストレスなどで食欲が増し、やや太った。
身長は約160センチ。当時の体重は47~48キロ。最大49キロだった気がする。
その後、ダイエットと節約のため、食事量を減らし、空腹時は、帰宅途中にあるデパ地下で試食しまくった。
社会人になってからも、頻繁にスーパーやデパ地下に試食しに行った。試食は、実益のある最大の趣味だった。
体重は44キロ、43キロ、42キロと、段々減り、39キロを最小値として40キロ台前半で数年間は安定していた。
東日本大震災後、下痢をきっかけに、吐き気や腹痛、胸焼けなど胃腸の不調を感じ、消化器内科に通院して胃薬を処方してもらった。
それでも良くならず、体重は35~36キロまで減った。漢方薬も処方してもらったところ、強烈な空腹感に襲われ、37~38キロまで戻った。
去年の春、妊娠した。痩せ過ぎで無理だと思っていたので予想外だった。
バランスの整った食生活を送りたいと思いつつ、つわりによる味覚異常や吐き気(一時のみ)のため、真っ当に食べられなかった。
そのため、妊娠中も体重はあまり増えず、最大45キロくらいだった気がする。
出産後、授乳の影響か、体重は、妊娠前より減り、38キロから34キロまで一気に下がった。
さすがに死ぬと思い、【母乳に良くない】といわれる甘いものやジャンクフード、【母乳に好ましい】といわれる汁物や水を多く摂取したところ、35キロに戻った。
最近はむしろ過食傾向だ。1日中、空腹感を感じ、食べては罪悪感を感じる。
18歳からやり直したい。もっとおいしいものをたくさん食べておけばよかった。あるいは、自炊して健康的な食生活を送るべきだった。
母乳は、今はほとんど出ていないらしく、食欲は単なる自分の欲望でしかない。
ぼーっとする。
「はあ、・・・きょうも体調不良だったな。パニック障害もまたでたし・・・外を歩くの怖いよ」
22時「そろそろアニメ放送が・・・じゃあ、もうちょっとコタツで動画三昧するか」
23時ごろ「明日の準備・・・あ、そうだ、自己啓発用の通信講座もしなくちゃ。。。あ、明日の弁当作ってない。(貧乏なので基本自炊)」
24時半「風呂はいったら・・・頭乾かすのめんどう。きょうもシャワーでペチャペチャでいいや」
1時「げ!寝なくちゃ!」
1時半「布団の用意して、睡眠薬服用」
「寝なくちゃ、寝なくちゃ」
漫画を流し読みしながらだらだらリラックスをするつもりが寝れなくなる
空腹感が増してくる
「食べたらダメだ」
水を呑み込む
「そうだ、抗不安薬もこういうときのめば落ち着くって言われたな」
結局、興奮して寝付けなくて眠れたの3時半過ぎ
7時半起床
「げえ・・・めっちゃねむい・・・昼休みにロッカーでゴザひいて寝よう。みんなにまた変人扱いされるな・・・もういいいや」
~~~~~~
20時
21時
うたたね
23時「え?もうこんな時間?寝てた!」
あわてて飯をかきこむ。
2時頃睡眠薬服用
4時ごろ寝付く
7時前早期覚醒
起きる・・・
「朝食したら腹痛が><」
不調のせいで怖くなった体に恐怖を覚え時々不安発作を起こし、家に帰れずビジネスホテルに逃げ込むことも。
↓
これの繰り返し
「もう、行きたくないや」
服を着て鞄を持ってコート来て出かける準備して玄関先で靴を履いたのに、出かけるのをやめた。
家の中にいる 休んだ。
「どうしよう休んじゃった><。もうだめだ・・・罪悪感ばかりで眠れない」
「もう・・だめだ・・ゾンビの夢を見た。みんなに追いかけられる夢だ」
昔の私を見ているようです。
「自分と他人のズレに気付いている」から、辛くなってしまうんですよね。
http://anond.hatelabo.jp/20141030020525
この日記を書かれた方に、何かしらお伝えしたくなりました。
書きたいことをつらつら記しただけの、まとまりのない文章になってしまいましたが…
何かの参考になれたら幸いです。
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「自分の当たり前が世間の常識とずれている」と気付けなかったせいで、
でも、実はそれと同じくらい、私自分も苦しみ、辛く悲しく傷ついてきました。
(そうか、自分の欠点に気づいてから、もう10年近くなるのか…)
今は、「自覚のある当事者」として、おだやかに生きていく方法を模索しています。
自分の欠点をおぎなう努力はもちろん、人に気配り・感謝を忘れず、自分にも無理をさせすぎず…
まだまだ課題は多いですが、生きることが少しずつ楽になってきたと感じます。
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行ったら、なにかしらの診断は出ると思います。
でも、そこから先、「苦手を抱えながら、どう生きていけばいいか?」というお悩みを解消してくれるような先生はなかなか見つからないかも…。
また、下手なお医者にかかってしまうと、精神病と混同されて精神薬を処方されたりします。
お薬を一旦飲み始めて、次の診療で「まだ辛いです」っていうと、処方が増えたりします。
どうしても薬を飲みたいんだ!という時には、漢方薬がよいかもしれません。
こういう時、病院以外に相談できるところって、中々みつからないですよね。
気軽に話ができる環境がみつかれば、いいですね。
(変な壺とか水とかオーラとか、怪しげな商法にも気をつけてくださいね。)
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だったら、フリーランス・個人事業主っていう生き方もありますよ。
職場や通勤での辛いなにかを我慢しすぎて、自殺を考えてしまいそうになったら、
「一人で金を稼いで生きていく」道もあるっていうことを思い出してみてください。
開業するならコミュニケーション能力も磨かないといけません。
そのためには自分で自分を支え成長させる努力が大切になります。
(それができねーから苦しいんだろー!と突っ込まれるかも…^^;)
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作者さんは、どうして準備を前もって出来ないのかとか、物をなくすかとか、「原因を分析」されたことは有りますか?
例えばものの置き場について。
作者さん、たとえば小学生の時に、鉛筆やプリントをなくしたこと、よくありましたか?多分、答はイエスだと思います。
では「上履きを毎回違うところに置いた」って経験はありますか?多分、答はノーだと思います。
定位置をしっかり覚えているからではありませんか。
つまり、(努力次第ですが、)意識を何度も何度も繰り返せば、あなたはなんでも片付けられるようになりますよ。
生活パターン(ルーティン)を分析して、「置き場を設定」しましょう。
自分の生活動線を把握したり、モノの置き場をクセづけるまでが大変なんですが、
「本当に改善したい」と思われるなら、張り紙でもなんでもして覚えましょう(^^)
鍵は玄関のここ、服は(脱ぎっぱなしでもいいから)部屋のここ、というふうに、
「モノの住所」を決めておくだけなんですが、結構部屋がスッキリしてきますし、「アレどこだ?」でイライラすることも減りますよ。
自然と体が覚えてくれて、そのうち無意識に定位置へ戻せるようになります。
(ただ、眼鏡は不意に脱着するから、「メガネメガネ」は私もまだよくやります。笑)
自分が何を持っているのか覚えていないほど、物を多く持ちすぎている時は、整理しましょう。
「断捨離」「ときめく片づけの魔法」などの考え方がある程度参考になります。まとめや解説サイトなどを御覧ください。
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洗濯物をたたむ時間がなが~いっていうのも、すっっっっごくよくわかります。
タイマーを使ってみませんか。
5分でも3分でもいいので、「このタイマーが鳴るまでたたむ」と決めて、たたんでみるんです。
好きな音楽をかけてもいいかもしれません。
タイマーがなったら、一旦休憩してもいいし、やる気があれば続行してもいいです。
私は、やる気がでない作業の時は、タイマーや曲をつかって、「ゴール」を決めてから行動しています。
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片付けや準備のスキルに関しては、育った家庭環境の影響もあるかもしれません。
私の場合は、両親・祖父母共に掃除や整頓がとーーーっっっても下手な環境でした。
(例:冷蔵庫には賞味期限切れのあれこれがどっさり、タンスは常にぎっちぎち、部屋中モノであふれて床が見えない)
まともな「掃除の概念」を持たないまま大人になり、アルバイトや職場でやっと
「へー、掃除ってこうするものなんだー」と常識を知っていったような感じです。
もしも、作者さんに何か心当たりがあれば、それは「障害のせい」ではなく「家庭の影響」なのかもしれませんよ。
ちなみに私は昨年まで汚部屋の住人でしたが、今は掃除大好き人間です。
何歳になっても人は変われると、声を大にしていいたいです。
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人付き合いが苦手とか、ひとつの分野に集中しすぎるとか、得手不得手は色々あると思います。
多くの人が楽しいことでも、私はぐったり辛い…ってこともありますよね。
多くの人を比べた中での「少数派だから」という理由で特別視されやすいだけだと思うんです。
発達障害は、ある意味「作られてしまった障害」なんじゃないかな~と感じてます。
「自分の普通」が、普通に通じるところで暮らせるなら、全然辛くないんですよね。
まぁ それがなかなか、難しいんですけどね(^^;)
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ちなみに、「障害」っていう言葉は、脚を切断したとか失明したとか、不可逆的なものっていうイメージがあるんですよね。個人的に。
でも、ある程度軽度のアスペルガーとかADHDとかは、思考や行動パターンを調整していくことで、徐々に生きやすくなれると思うんです。
可逆的、といっていいのかな。
良くしていけるものだから、「障害」と断言してしまうのは、なんかしっくりきません。
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それと同じように、「多数派との”ずれ”を補正する手段」があれば、生きやすくなる気がしています。
いまの日本では、その「補正ツール」たりうる何かが流通しきれていないから、苦しんでいるだけなのかも。
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「人の目を見つめるのが苦手」な人と「血を見るのが苦手」な人がいたとして、
「その苦手と向き合う機会が多くて」かつ「そのせいで社会的な損をする」リスクが大きいのは、おそらく前者ですよね。
苦手なことには人それぞれ違いがあるっていう、それだけのことなんだけど…
画一的な社会では、そのズレが許容されにくいみたいなんですよね。
誰しもが感覚に違いを持っていて、ある種の過敏性を持っていると思うんです。
「パクチーが食べられない」「強い光が苦手」「テレビを付けないと寝られない」「人混みが嫌い」とかね…いろいろあるでしょう…
その特性が、社会的に損をするかしないかは、ただの運次第じゃないのかな…
いまはコミュニケーションが出来ないと損をする社会だから、対人関係の行為に苦手があるひとが、損をしやすい。
それだけじゃないかと思うんです。
だから、発達障害の疑いや診断がある人は、「へーそうなんだー」くらいで気楽に受けとめていいんじゃないかなぁ。
必要以上に自分を追い詰めて鬱々としたり、劣った人間だと思い込む必要は無いんじゃないかなあ~と思ったりします。
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(私自身の体験や特性については、テーマからそれるので割愛します。)
私は小中高と学校生活で苦しんだ末、鬱で登校拒否・引きこもりとなり精神科に駆け込みました。
ある所ではうつ病、ある所では自律神経失調症…と、医師によって変わる診断と処方箋に右往左往。
数件目の病院でやっと「発達障害」の話を切りだされ、ショックと同時になぜか安堵したのを覚えています。
それからは、むさぼるようにネット・書籍・論文などから情報を探しまくりました。
WISC-IV 知能検査を受けて、自分のIQを知ったり、「はー、この分野は得意で、この分野は不得意なんだな」という分析は出来ました。
でも、「それだけ」でした。
私はてっきり、知能検査を受けた後には
「あなたが持つ弱点は、こんなシーンで困り感をまねきやすいです」
「だからこういう風に考えましょうね」という風に、
具体的に解説してもらえるんだと思い込んでいたので、なんだかがっかりしちゃいました。
その間1年ほどは、医師に言われるがまま通院していました。
しかし抗鬱剤をどれだけのんでも、苦しみの原因はなくなりません。
「どうして苦しいのか」、根本から解き明かさないと、一生苦しいままだと分かりました。
自分自身と社会のズレ・偏りはなにか、自力で研究を始めました。
そして気付けば10年近く。
これが早いのか、遅いのかはわかりません。
確かなことは、年々生きやすくなってきた、ということです。
また、曲がりくねった人生の中で、世界に一人だけ心から愛せる人と巡り会えました。
この人さえいてくれたら、もうそれだけで十分に幸せだと感じます。
その人に恥をかかせたくないから、きちんと生活できるようになろうと決めたことが、私を変える大きなきっかけの一つになったのでしょう。
苦手なことも、愛する人のためなら頑張れる、それが私の力強い支えになっていると思います。
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作者さんが私の日記を呼んでくれるかどうかは分かりませんが、
こんなやつもいるんだよってことに気づいてもらえたらいいなと思います。
苦手なことを「発達障害だから」と断言してしまうのは簡単です。
が、光のプリズムのように、その強弱は加減できることもあるんです。
変わりたいと思ったなら、きっと変われます。
でもどうか無理をしすぎずに。
苦しい時もありますよね。
お互いがんばりましょう。
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http://anond.hatelabo.jp/20141031142843
読んでくださった方、コメント下さった方、みなさんありがとうございます。
昨日、NEWS23で取り上げられていた
アトピー患者として、なぜこういうことが起こるのか考えてみた。
★感じたこと(前置き)
最低。今回の件は、とても悪質だと思う。
アトピーでガサガサの肌がつるつるになるよ!という謳い文句の商品は
あちこちで見かけますが、基本的に効果ないんですよ。当たり前だけど。
で、「あ〜…またダメだったか…」と、私たちは使うのを止めるわけです。
ただ、今回の件は、ステロイドが入っていたために、劇的な効果があった。
そりゃ、効けば嬉しくて使い続けますよ。これが本当に本当に悪質。
そう思いながら塗ってきた患者さんやそのご家族の気持ちを思うと、涙が出る。
いくつかの要因があると、私は思う。
①薬を使わずに治したい
アトピー患者は、薬を使わずに治したい気持ちがすごく強いと思う。
下記②と混同されがちだけど、私は、この気持ちは薬の副作用うんぬんとか、
そういうこと以前にあると思う。
皮膚にベトベト保湿剤や薬を塗るのって不快だし、なんとなく不健康な感じで
罪悪感がある。自然に反しているというか…悪いことしてるみたいな気分になる。
②薬が怖い
①と似てるけど少し違う。
今、アトピー治療に使われる主な薬(外用薬)は、ステロイド、あるいは免疫抑制剤。
詳しい説明は省きますが、これらの薬は副作用もあり、使い方が難しい。
副作用出ないかなあ、怖いなあ、大丈夫かなあ、効かなくなったらどうしよう。
だから、副作用のなさそうな薬(のようなもの)や化粧品、健康食品、漢方薬などを
使ってみたくなる。
③薬の使い方が難しい
もしかしたら②とほぼ同義かもしれないけど、ここでは分けます。
医者の言うとおりに薬を使っても、なかなか効果が出ないこともある。
実際、私は今、結構悪化していて毎日身体に強めのステロイドを塗っているけど
ぱっとは良くならない。長年使ってきた慣れもあるし、汗が悪さをしているらしい。
良くならないと、「なんで薬使ってるのに良くならないんだろう…」と
不安になって、薬を使いたくなくなってくる。
④誰かの体験談
本やネットや口コミ。あちこちで聞く、「誰かはこれで治ったらしいよ」という話。
根拠や信頼性がなくても、治ったと聞くと気になって、
慢性疾患患者にとって「治った」というのは、麻薬みたいな言葉だなあと思う。
⑤外見コンプレックス
そんなことしてもどうにもならないのに、つい人の肌と自分の肌を比べてしまう。
周りの人は、何も塗らなくてもつるつるすべすべの肌。
なんでだろう。どうにかして、私もつるつるすべすべになりたい。
この強い気持ちが、アトピーを治すためなら何でもやる!という変な行動力に
つながっている気がする。
ちなみに、1000万円できれいな肌が買えるのなら、私は迷わずそうすると思います。
⑥信じるって(良くも悪くも)強い
上記にいくつか書いてきた通り、アトピー患者は治療に悩み、迷っていることが多い。
そのせいか、逆に、信じられるものができると妄信してしまいがちだと思う。
それが正しい情報ならいいけど、間違っていると…。
自分だけならまだしも、良かれと思って周囲の困っている人に勧めたりしてしまう。
悪意がないからこそ、タチが悪い。
アトピー患者は①②③⑤あたりのせいで、不安感が強いことが多いと思う。
だから、できれば話を聞いてもらいたいし、わからないことを丁寧に教えてほしい。
ただ、医者からすれば、慢性疾患だし、ある程度症状がコントロールできていれば
あとはいつもの薬を出すだけで、特別話もないのだろう。頭ではわかる。
わかるけど、不安が取り除かれないことによって、次第に
「この先生にかかっていても良くならないかもしれない」と思ってしまい、
★最後に
かゆみと不安との闘い、なんとかがんばっていきましょう。
3年ぶり?くらいの帰省だった。
帰省しなかった理由は、面倒だったし交通費もかかるし、何よりもまったく誇るところがない自分をわざわざ見せたくなかったから。
親からすれば子どもがかえってくるだけでいいってもんなんだろうけど。
あとはいろいろと実家にいるときにやらかしちゃったことがたくさんあるから後ろめたいっていうのもある。
母親は前日に白髪を染めたらしい。慌てたせいで風呂場に染料がめっちゃ飛び散っててごめんと言っていた。
あと仕事で無能でしゃばり上司にいろいろと心労がたまっているらしい。精神科に行って漢方薬を飲んでいるらしい。
やたら饒舌でこっちの返答なんかお構いなしでしゃべるしゃべる。
ふだん父親が無口でまったく会話がないからその反動もあると思うけど。
父親は完璧主義で、自分がやらないとやる人がいないという潔癖的に強迫的な信念に突き動かされてほぼ休みなしで働きまくって心を病んでいる。
うまく力を抜くことができない人間。ごく少人数の職場で自分ひとりで負担を被って、生来の気質と悪い意味で歯車がかみあってしまってどんどん悪い方向に進んだんだと思う。
いくらがんばっても昇進もせず、今年で定年なのに最後まで働けないかもしれないらしい。
いくら外野が力を抜けとか健康を大事にしろって言ったって頑固で聞く耳もたないからどうしようもない。
妹がわりと実家に近いところにいてつきイチくらいで帰ってるらしい。
親孝行もあと10年だか20年だと思うけど、誕生日プレゼントを送ってたまに帰省するくらいでいい。
実家は疲れる。次帰るのはあと2,3年後、30すぎるかもしれない。
割と家族の夢は見るから、帰省したことも夢だったようにすら感じる。
基本的に一人でいいよ。
さて、二年か三年ほど前から、ペニスにイボが出来た。はじめは小さかったので無視していたのだが、
だんだん数が増え、二つになり、更にペニスの継ぎ目みたいなところが、そのまま盛り上がる形で
結構でかくなって来たので、心配になり、医者の義理弟に相談したらば、ヨクイニンという薬を
ある程度大量に服用しろと言う。切るのはなんとなく怖かったんで、ご指示に従って飲み始めた。
最初ちょっと効いて、小さくなったかなと思っていたが、やはりだんだん大きくなっている気がした。
このままでかくなるとちょっと手術が大変だろうから、今年くらいは切ってもらおうと思って
昨日ふと見たら、その継ぎ目にできていたイボがひとつ消えていた。
正確には完全消失したわけではなく、イボの名残のようなわずかな盛り上がりが残っているが、
無くなった事には変わりはない。そういわれて見れば、他の二つもなんとなく小さくなって
いる気がしてきた。風呂に入る際に、イボを揉むようにしていたのも効果があったのか。。。
不思議なことに傷跡は無い。痛くも痒くもない。イボはどこにいったんだろうか。。
なんにせよ大変ありがたいことなので、もうしばらく薬を続けるつもりだ。
漢方をバカにしていてどうもすみませんどした。漢方屋の方。どうもありがとう。
その後の追記。
現在最後のイボが、とても小さいホクロくらいに縮んでいる。ほかの二つのうち
一つはどこにあったかわからない。もうひとつは、かろうじてわかる程度に
縮んでいる。ありがたいありがたい。漢方屋の方々返す返すもどうもありがとう。
その後の追記。
今でこそ男性側に問題がある不妊の話がよくされるが、20年前はとても人前で話せるものでは無かった。
結婚してからも妊娠の気配が無かったし、妻は生理不順だったので産婦人科で検査を受けた。 その先生は「もしかするとご主人に問題があるかも」と言われ、私も検査を受けたが(この時は自宅で採取したが)、結果私に問題があることが判明(精子の数が非常に少ない)、治療を受けることになった。
最初の数ヶ月は、漢方薬の投薬と男性ホルモンの注射。その後、人工授精法(AIH)になったが鮮度が大切ということで病院で精液を採取することに。
その病院では院内の小部屋(といっても空き部屋を転用した)がその場所になっていて、椅子と診察台、数冊のHな雑誌が置いてあり、自分でマスターベーションしてプラスチックの容器に入れる、こう書くと簡単に思えるが男性はそう簡単に勃つものではないのだ。(美人の看護師さんがヘルプしてくれることは絶対にないし)
ありがたいことにその部屋には夫婦で入ることが出来たので、奥さんに手伝ってもらっての採取となった。(後で聞いたところでは、ご主人一人で頑張った人や、奥さんが相当努力して採取された人もいたようです。)
その病院でAIHを何度も試みたが妊娠に至らず、別の病院を受診したが、その病院ではトイレで採取するように示指され、二度と行かなかった。
結局はその後数ヶ月して自然妊娠したが、女性の不妊治療は20年でそれなりに進歩したのに対して、男性不妊の治療方法はまだまだの感がある。
同時に精液の採取方法も20年まえとあまり変わってはいない。雑誌にDVDが増え、採取部屋がそれ専用の綺麗な部屋になった程度だろう。
病院で採取するのは、デリケートな男性にとっては勃つのも大変で、奥さんが相当努力して採取するケースがあるもの20年前と同じだろう。
ご主人が治療を受けている奥さん、男性はプレッシャ-にも弱いということを理解してほしい。 どうかご主人を「勃てて」あげてほしい。
海外在住なのでしょうか?
対処療法をいろいろ試すより、
生理時期以外も腹痛がひどくて耐えられなかったのと
どうぞ、おだいじに。
マッサージにいった。
今年に入ってから胃腸が不調で、漢方薬も胃腸科も微妙だったから、外側からの力に頼ってみようと。
問診を始めるなり、胃腸の不調はもろ脳みそが困ってるから起こってることって指摘された。
寂しいでしょ?という、占い師か!ってくらい色々言い当てられてしまった。
どんどんお悩みを引き出される。
相談しようと思って来たわけでもないのに。
感じないようにしてたことを引き出されたというか。
本当は彼氏欲しいのにね。
ただ時はいたずらに過ぎて行くよ。
おじさんは今色んな人が集まって来て幸せよ。
東京行きたいなら週末にでも行けば?
と。
今、知らない土地で生きて行くことを、受け入れて働いているけど、確かに住む場所くらい選びたいよ。
皆の夢が集まる、好きな人達がいる東京らへんに行きたい。住みたい。
聴きたい音楽も沢山あっちにある。
仕事は辞めたくないけど。
夢諦めたよね、どこかで。
でも私自身に置き換えてみたら、好きな人になれるようなキラキラさがない。
人生終わりそうな時に誰も囲んでくれなそうだ。
夢はキラキラしてて、楽しくて、仲間がいること。
仕事してるなら、それに誇りが持てること。
そんな人になりたいね。
小学校の自由研究。オリジナルアイディアで誰もしない面白いもの作りたかった。
小学校の総合学習。ニャッキ!に憧れて作った駒撮り粘土アニメ。絵コンテ書いたり、皆でアフレコしてみたり。
色んなことがしたい。
お客さんをワクワクさせたい。
出来れば一人じゃなく皆の手でね。
誰がお客さんかっていうと、マイナーすぎるのはやだな。
自由に選択して参加してほしいな。
参加してもらうからには楽しんで欲しいな。
辞めたきゃ辞めればいいし、買いたいひとが買えばいい。
現場を移動したい。動かないものは、その土地に縛られ続けちゃう。
愛する土地なら違うと思うけど。
色んな形で楽しめばいい。
仕事じゃなくても、あんな事したよね、またやろうか、と言えるような仲間が欲しい。
さぁ、どうしようか。
増田「半額で購入後、1日経ったイクラ丼のおかげでピッチコンディションはスリッピーな状態でした。また相手の消化物選手の判断が早く、すぐに下痢選手へいいスルーパスを送る事が出来ていましたね。対してこちらは前半からコンディション不良で、特に小腸・大腸選手の両CBのコンディションが悪かったですね。気温や湿度、仕事のストレスの関係もあったかと思います。ただこの最終ラインはGKの肛門選手を中心に粘り強く守れました。ヨーグルト選手、リポD選手の両ボランチのカバーリングも巧みで、前半は何とか守り切れたのかなと思います。」
増田「咀嚼物選手からのロングフィードから消化物選手がボールを受けたところで、小腸・大腸選手が管ウォッチャーになってしまい、アナルティエリアで下痢選手がフリーでした。消化物選手が見逃すはずもなく、消化管をスルーパスからダイレクトボレー。やはり世界で恐れられる選手ですね。」
-どういう気持ちでしたか?
増田「神様に祈ってたのが半分と、やっぱり出たなっていうのがもう半分です。笑 それぐらいの選手だと思います。前を向いたら誰にも止められません。」
-その後すぐにヨーグルト選手に代えてビオフェルミン選手、リポD選手に代えて漢方薬選手、トップ下の正露丸選手に代えて抗生物質選手を投入されました。交代の意図としては?
増田「やはりコンディション不良を考慮しても第二の脳みそである小腸・大腸選手は替えのきかない選手です。下痢選手にいいようにやられていたのは、中盤の寄せが甘いところにも原因があり、守備を固めていきたい旨を近所の病院で医師に相談して決めました。今回スタメンは市販薬組中心でしたが、下痢選手が躍動する時間が長引くようでは、コンディション不良の両CB及び肛門選手に負担がかかる事は明白でしたので、こうして主力を投入せざるを得ませんでした。」
-中盤の交代策が功を奏した結果、下痢選手は本来のパフォーマンスからは程遠くなります。イライラが募った下痢選手は、漢方薬選手、抗生物質選手に対して立て続けのイエローで退場しました。
増田「下痢選手は非常に攻撃的な選手です。両ボランチがバイタルを埋めることで、その先のアナルティエリア内で好きに仕事が出来なくなれば、イライラする事は容易に想像出来ました。ズキズキしなくなればいいかなぐらいに思っていましたが、退場は幸運でした。」
-終盤、職場からの電話選手の強烈なミドルシュートで同点になり、1対1で引き分け。健康への道筋がついた訳ではないですが、見切り発車で出社しました。
増田「職場からの電話選手についてはノーコメントです。私がとやかく言うとか、そういうレベルの選手ではありませんので。問答無用で試合を決定づける一発はさすがですね。凄すぎてイラッとしますね。」
そうだようっかりしてた生理前だな今。
今の時間になってよーやく多少頭がマシになってきた。
おっぱいと脇が張って苦しい。あとちょっと勉強したらお風呂わかそう。
ピル飲んでても生理痛ひどかったからピルをやめて漢方薬局の漢方薬に頼るようになったけど、
効き目はあったり無かったり。。うーーん。。
自律神経失調症状は確実になくなったけどやっぱり生理は憂鬱。3日めまでは起き上がれない。
基礎体温はガタガタだけどPMS症状が出てるってことは排卵してるのか?
過労で心身ダメにしたころ、婦人科系も共倒れして狂ってたかもだけど
卵巣とかそのへん、ちゃんと機能してるかなあ。