ステージ3なので手術は行わず、放射線治療と薬物療法を行うこと。
親も決して若くはないので、むしろ自然なことだと思うけれど、いざ自分の親のこととなると受け止めるのに時間がかかりそう。
自分は故郷を離れて大学に通い、就職して、結婚して、子供も生まれ、転職して地元から離れた他地方に根を張って生活している。
父の癌宣告を聞き、近くに居てあげれない悔しさと、今の生活を切り上げて父を看取るために地元に帰るほどの優しさがない自分にも気付かされた。
誰も見ていないこちらで文章にして、自分の気持ちを整理したい。
母から連絡があったのは、5時半を少し過ぎた時間。いつも電話してこない時間帯の電話だったので嫌な予感はしていた。
母:今、大丈夫?
私:仕事の合間だけど、どうしたの?何かあった?
私:どうしたの?何かあったなら聞かせて?
母:いいよ、また後で大丈夫
上記のような問答が続き、ついに父の癌のこと(進行がんがみつかり、ベッドが空き次第入院治療になること)を話してくれた。
頭の中に色々なことが浮かんだ。
本当に?診断は間違ってないの?ステージは?父の仕事は大丈夫?母に心労はない?いつまで生きられるの?
ぐるぐる色々なことを考えながら冷静を装った。
根掘り葉掘り聞くのも憚られたし、あまり深刻な質問はしないよう心がけていた。冷静に話を聞く自分に対して、冷たいなとも思った。
その一方で、冷静ぶることで自分を保っているような、不思議な気持ちになった。
母曰く、病気については父からでなく母から私に伝えてほしいらしく、もうすぐ父が病院から帰ってくるらしい。
その後自席に戻ったが、さきほどの冷静さはいつの間にか消え、色々なことをぐるぐる考えていた。
それでも冷静ぶる自分もいた。
やはり仕事が手につかず、帰路へ。
帰り道、父に電話。
思ったよりも深刻な様子はなく、病気を受け入れている様子。
自分も大病を患ったことがある(何なら今も。付き合っていく系の持病)から、病気と向き合うのがスタートだよね、と話。
それに頼んでもいないのに母に電話を代わった。
もしかしたら、息子にこの話をするのが辛いのかもしれない。
もともと仲が良くないこともあり、そっけない態度。
おまえは帰ってこれないんだから、心配だけしてもしょうがないとのこと。
全くそのとおりで、入院の世話とかができないけど、なんとか母を手伝ってほしいこと、その他にできることがあったら何でも言ってほしいことを伝え、兄も体に気をつけて、と話しした。
家に帰って色々調べたが、わからないことだらけ。
もともと医療業界に近い仕事を過去していたが、自分の親のこととなるとさっぱり。
せめて、入院中にたくさんテレビ電話をして孫の顔を見せてあげたいと思う。
一歳を過ぎた次男の顔をテレビ電話でしか見たことのない父に次男を抱っこしてほしい。
恥ずかしくて一緒に飲んでいない酒も飲みたい。
父の作った野菜を孫に食べさせてあげたい。
父の癌種は5年生存率3割以下だそう。
父がいなくなる日はきっとそう遠くない。
いまだ、信じたくない。
こうなって思い出すのは小さい時の優しかった父ばかり。
大人になってからも、思い出になるようなことをしてあげればよかった。