はてなキーワード: ラストとは
納税はたしかに愉快な行為ではないけど、今の所15年ほど納税してきて、納税した以上のものを社会から恩恵うけてると思うので、そんなに納税が苦で人生を拒絶する、とはならないかなあ。そもそもの反出生主義として生には苦しみが存在する以上倫理的に出生すべきでない、という考えなら、同意はしないが理解はできるが。
じゃあなんで子ども持ったのか、というと、自分にとっては生きててそれなりに楽しい幸せな瞬間が時々あるからかな。うまいパスタ作れたときとか。面白いSFを読んでる最中とか。知らない街路樹の名前と由来を知ったときとか。進撃の巨人のラストのあたりは割と共感した。
Q.そんな映画あるの?
A.あります。(WOWOW 30周年記念アニメを劇場でも公開します…ということらしい)
いつもチェックしてるアニメ新番組一覧にもスルーされるという存在感のなさだが、上映館数なら地球外少年少女よりも多かったりする(むしろ地球外はあのデキなのに少なすぎた…)。たまたまどっかで存在を知ったので観に行けたが……神山健治監督・脚本でこのクオリティなのはヤバない…?
制作会社が「あした世界が終わるとしても」のクラフターということで期待せずに観に行ったが、その判断は正しかった。セルルックの3DCGアニメで、ほぼ全編モーションキャプチャーっぽくて動きはめっちゃリアルなのだが、顔の表情の演技がそれに追いついてなくて違和感アリアリ。
あとカット割りがすごく冗長。普通のアニメなら手描きでもCGでも……いや、実写でもこんなカットの作品はないのではないだろうか。観てる途中で気がついたのだが、PS1のバイオハザードみたいな三人称アクションアドベンチャーのプレイ動画に似てる。自キャラを動かして、画面端まで行くとカメラが切り替わる感じ。
ストーリーはいかにも神山健治っぽい政治ネタがふんだんに使われてて「またこういうのか…」感が無きにしもあらずだが、まあつまらなくはない。
作中の日本は「大災厄下にある」らしいのだが、その大災厄がなんなのか最後まで説明されないのがモヤる(時節柄コロナみたいな伝染病かと思ったが、震災のことっぽい…? でも、それだと「〜下にある(=現在進行形である)」というのはおかしい気がする…)
今更だが、Adoさんの1stアルバム『狂言』に再びハマってヘビロテしている。
斬新な発想と複合的な歌声で、これまでにない境地の芸術を生み出している。
Adoさんは自分が好きでないと言う。劣等感だとか、苦しみとか、葛藤とか、そこらへんが芸術の出発点になっているのだと思う。
あらゆる層の共感を買っている。私もデビュー以来ハマって聞いている。
私は、この犯罪被害を受けて、人間の負の側面の暴力を、25年間受け続けてきた。毎日負の感情だらけで生きている。
だが負の感情だけでは、身を焦がすだけだ。焼け朽ちるかもしれない。
私は、Adoさんに長生きしてほしい。負の感情で人生を焼け焦がしてほしくない。
劇場版EVAのラストは、人間肯定の賛歌に傾倒してしまったがために、牙が抜け落ちた表現になったと思っている。
もちろん、これを円熟とか成熟ととらえる向きすらある。EVAの最後には適切だったと思う。しかし、安全な帰還に終始した感もある。
Adoさんは、自分が好きになったら引退すると以前から言っているそうだ。それは正しいことだと思う。いつになるかは、Adoさん自身が決めることだ。
実際ならないじゃん?
まぁ男向けコンテツでのフィクションっていうならそんな気にならないけど、子持ちの腐女子が書いた同人誌にまでこのような描写があるのはいかがなものか?
実際に作者=子持ち腐女子は膣内射精されたことがあるわけだろ?そのとき気づいたはずだ。熱いよぉとはならないと。
毎回ラスト付近の盛り上がりで「熱いよぉ」が出てきてふっと冷静になってしまう
精液の温かみが分かるなんてホラ吹いてる腐?女子がいて絶望している。勘違いに決まっている。
精液を温かく感じる神経をお持ちなら生理中は己の経血で大やけどだろ
子供のときにキッズステーションで最終回だけを観たんだけど、どうしてもタイトルが思い出せない。
・弟と、人の言葉をしゃべるタヌキ
・死ななくていい代わりに今住んでる町の友達すべての記憶を消す
・昨日まで友達だった同級生たちが一様に「どなたですか?」となり、やがて寂しそうに主人公は町を去る
若干時期はズレるが概ね同時期に読んでいた「うしおととら」に同じ展開があったときに
このアニメのラストを思い出して激しく憂うつな気持ちになった。
ただ、タイトルだけが思い出せない。あのときキッズステーションでは
魔法少女特集みたいなのをやっていて、古い古いアニメを繰り返しやっており
序盤で脱落した。
とにかくストーリーがつまらない。先行きに何の期待も持てない。
自由にロールプレイすることができない。開発陣が敷いたレールに沿って走らされている感じがする。
そして致命的に操作性が悪い。歴史上最悪のゲームUIだと思う。
グラフィックだけは良い。
中盤で止まっている。
他のオープンワールドゲームの要素を寄せ集めて平均点を狙いましたって感じ。
原始時代みたいな町並みに安っぽいSF設定。もっさりしたアクションに自由度の低いゲーム性。
この美しいフィールドを自由に駆け回れたらよかったが、段差も壁も登れず、騎乗できる機械獣も限られていては…。
中盤で止まっている。
小島秀夫という人はめちゃくちゃレトロスタイルのゲームクリエイターなんだろうな、と思った。
デスストは、極めてシンプルなルールを真ん中にぶち立てて、そこに肉付けしたような作りになっている。
美麗なグラフィックや物理演算で飾り立てているだけで、やっていること自体はファミコン時代と変わっていない。
それはフィールドという巨大な器を物量で埋め尽くす他のオープンワールドゲームとは正反対の思想だ。
デスストのそうしたゲーム性も面白いとは思うのだが、中盤までいくと「もう十分に味わったかな」という感じになってしまった。
中世日本の時代考証、美麗なグラフィックとアートワーク、軽快なバトルシステムは素晴らしい。
しかし壁のぼりやロープアクションが決まったところでしか出来ないという自由度の低さは大きなマイナス。
またストーリー面での自由度も低く、ほとんど分岐がない上に、主人公の行動にも納得ができない。
叔父上の言うとおりに正々堂々と戦っていたら強制イベントで暗殺を強いてくるし。
叔父上に従うつもりで選択肢を選んでいたらいきなり主人公がブチキレて喧嘩別れするし。
ゲームとしては面白いが「オープンワールド」としてはいまいちだったという評価だ。
小型ロボットを遠隔操作し、監視カメラやドローンのハッキングを駆使して敵拠点に潜入する、というゲーム性は特異で面白い。
ひとつのミッションをクリアするのに無数のやり方があり、オープンワールドらしい自由度の高さを味わうことができる。
街中のNPCを仲間にできるというのが売りだが、各キャラの性能にはそれほど差異がなく、あまり面白さにはつながらなかった。
ただ、ゲーム中で売られている服が豊富で、キャラごとに着せ替えを楽しめたのは良い点だった。
ストーリーも及第点だが、決まった主人公がいないのはやはり短所だと思う。
行動と選択肢による分岐。スキルを選んで作り上げるキャラメイク。街中を飛び回り壁を駆け上がる自由度。
もちろん都市を舞台にしたヒーローアクションとしてみれば「スパイダーマン」には劣るのだが、
2014年発売のゲームだと考えると、むしろこの完成度は驚異的だと言える。
残念だったのは、善ルート・悪ルートどちらかを最初に選んだら実質的に一本道である点と、
せっかくスパイダーマンでは実現しえない「複数の超能力」だったのに、自由に使えずいちいち切り替えないといけない点だ。
とにかくどこにでも登れる、どこまでも行けるアクションの自由度の高さはピカイチ。
アサクリシリーズらしい時代考証のしっかりしたストーリーも素晴らしく、もちろん選択肢と分岐もあって没入感がある。
また取得したスキルの効果を実感しやすく、レベルアップに従って新しいアクションが解放されていく点も良い。
武器・防具の少なさと、それに伴う鬱陶しい課金要素はご愛嬌…というには大きすぎる瑕疵か。
とはいえ、これぞオープンワールドのスタンダードだと言える完成度である。
今後オープンワールドRPGを作るならこのアサクリを最低ラインとしてほしい。
オープンワールドの最大の弱点は「通常移動しかないと面倒くさい」「ファストトラベルばかりだと味気ない」というジレンマにあるが、
スパイダーマンシリーズはそれを「通常移動が超高速で爽快感バツグン」というだけで克服してしまった。
本作にはいちおうファストトラベルもあるのだが本当に一度も使わなかった。
天井に潜んでひとりひとり敵を吊り上げていくステルスプレイの楽しさもスパイダーマンらしく題材を上手く活かしている。
しかしスパイダーマンという固定されたキャラクターを使っているために、
装備やスキルを取得してもプレイの幅はそれほど変わらないのが残念と言えば残念。
先述した「オープンワールドの最大の弱点」を克服するために取ったFF15のアプローチは革命的だった。
そして他のゲームであれば車は「速い通常移動」でしかないが、FF15における車は「遅いファストトラベル」として設計されているのだ。
自動運転で目的地の近くまで行き、最後の数百mだけ徒歩で移動する。「えー、こっから歩くのー?」という仲間のボヤきに共感。
移動中も絶え間なく喋り続けるパーティメンバー。割り込んでくるミニクエスト。
写真撮影。夜間行動の禁止により生まれる冒険と宿泊のサイクル。そして食事。
最高の雰囲気だ。他の何物にも代えがたい。
ただし――FF15は後半に入ってこの長所の全てを投げ捨てる。
車は壊れる。パーティはギスギスして無言。クエストは一本道。オープンワールドですらない。
最悪の雰囲気だ。もうやめようかと思った。
それでもラストは感動的だった。途中でやめなくてよかった。
もしFF15に無限の予算があり、開発人員がいて、最後までオープンワールドとして開発できていたら。
もっとクエストに密度があって、ついでにパーティメンバーも変更できて、戦闘システムももう少し改良できていたら。
本当にオープンワールド史を塗り変える神ゲーになっていたと思う。つくづく惜しい。
FF15のエッセンスを継いだ新作ゲームが出ることを願う(Forspoken期待してるぜ)。
まさに神ゲー。
質の高い膨大なシナリオ。行動と選択肢に応じたストーリーの分岐。
義体の改造とスキルの取得によるキャラメイク。次第にできることが増えていく快感。
段差の端に手が届きさえするなら、どこでも登れるようになっている。
アサクリやスパイダーマンほどでは無いにしても、少なくともここに「透明な壁」は存在しない。
オープンワールドに求めるもの全てが圧倒的なクオリティで詰まっている。
男はアツギの広告になんで怒ったのかって所からよくわかってない感じだから書いておく。
一言で言うとタイツフェチは、タイツを買う大半の女性にとって敵だからだ。
タイツフェチ盗撮サイトもある、ゴミ漁り戦利品を上げているタイツフェチのアカウントも普通にある、気持ち悪いフェチの存在で、女性は日頃から盗撮に気をつけ、タイツやストッキング等下着類を盗難防止に切り刻んで捨てたりするのを強いられている。
防寒具として履かざるを得ない女性にとって、タイツに興奮するタイツフェチ男というのは、とても気持ち悪い出来れば目の当たりにしたくない存在だ。
アツギ公式アカウントは何故かよむというタイツフェチに擦り寄り、タイツ顧客にではなく、顧客を性的消費しているタイツフェチにタイツ婚などと絡みまくり公式アカウントで全力で媚びていた。
https://originalnews.nico/216814
よむのタイツフェチエロイラスト集をリツイートし、ふんわりしていて断定はできないが、ラブタイツでもよむがどうも企画側として参加していたようだ。
https://togetter.com/li/1619941#matome
そしてラブタイツで、女子高生がスカートをまくりあげ「新しいタイツ買ったんだぁ~ …見てもいいからね❤️」メイドがスカートをたくし上げ「好きなだけ見ても良いんですよ」とか言ってる、何でこれをタイツ広告に?と女性がざわつく、エロゲスチルのようなプロモーションが爆誕してしまった。
あとは乗り込んできたタイツフェチオタク達が粘着質にざわつく顧客たちを叩き続け、それを一切止める様子もないアツギにさらに愛想が尽きたという流れ。
企業イメージと気持ち悪い女叩きタイツフェチのイメージがピッタリ重なってしまい、肌着に気持ち悪いイメージがついたらもうおしまいなんだよ。
25歳。久々に映画を見た。
20歳を超えたあたりから、私は30歳で死のうと思って生きてきた。
生きるのは辛い。可愛くないし、仕事はできないし、頭だって良くない。要領は悪いし友達もいないし、おまけに発達障害の疑いまでかかっている。小さい頃から厳しい家に育てられ、習い事も勉強も一生懸命努力してきたのに、社会人としての私はぼろぼろで、でももう努力できる気力なんて残ってない。
でも30歳で死のうと決めているからこそ、どうせなら最後に何か一つ自分のやりたかったことを挑戦しようかなと思い、私はあと2ヶ月で仕事を辞めることに決めている。
そんな中で、この余命10年という映画は、あと4年という期間を悔いなく生きるためのヒントをくれるんじゃないかと思っていた。だから、このタイミングで観たかったのだ。
結果として私は号泣したわけだが、エンドロールが終わり、劇場を後にした時、私は感動と共に、妙な虚しさを同時に味わった。
主人公は全てを持っていた。
そりゃ、そんだけ持っていれば失いたくないだろう。死にたくないだろう。明るい未来がリアルに想像でき、まさに手に届きそうな状況下で、自分1人が死ななくてはいけない恐怖は計り知れないはずだ。
でも、私は違う。何も持っていない。
何も持っていない。
何も参考にならなかった。
残りの4年間をどう生きたいか?
答えは出た。
自分の思うままに生きたい。
あの映画のラストのようにもっと生きたいと思って泣くことはおそらくないだろう。なぜなら今がどん底だからだ。私の死を泣いてくれる人はこの世にいない。ある意味、私はあの映画に勇気をもらった。大丈夫。私はあんな風に生に執着するほどこの世に未練がない。
4年間好きなことをすれば多分資金は枯渇するし、再就職は難しいかもしれない。だから片道切符だ。仕事をやめた瞬間、死へのカウントダウン開始である。でも、それでいいと、それでいいんだと思った。覚悟が、決まった。
生への未練がないことをあらためて教えてくれてありがとうと言いたい。
それは私だ。
聡明で道徳的なあなた方は、今もロシアの無垢な若い兵士とウクライナの民間人が殺し合いをしていることを嘆いているでしょう。
プーチンは一時期確かに有能な政治家だったかもしれない。しかし今はただの頑固ジジイとなり、自分に反対する人間を粛清しYESマンしか残らなくなった結果、正常な判断が出来ない人物に成り下がってしまった。
なぜロシアや中国や北朝鮮が世界中から嫌われているのか?それは独裁国家で人権を尊重しないからだ。中国も正しい現実を発言するのものは冷遇されて、中国に都合の良い嘘をつく人間が優遇されておかしくなっている。2020年の台湾総選挙では親中派が勝利すると本当に思っていたらしい。無能すぎる。ロシアのプーチンも同じ状況だ。NATOが意図的に東に勢力を拡大しているのではなく、時代が民主主義と人権を重んじるようになったのだ。ロシアは単に時代について来れていないだけである。
21世紀にもなって軍事力で自国の領土を広げようなどとする国はロシアと中国だけだ。ロシアや中国の政治は西洋諸国に比べ100年遅れているのだ。私は大半のロシア人が親切で優しいことを信じている。みんなが一所懸命働いて納めた税金が、殺し合いのために使われるなんて耐えられない。愛着のある家が、最先端の技術を搭載した飛行機が、そして尊い人命が一部の人間の暴挙によって破壊されていくなんて、こんなに悲しいことはない。
しかもプーチンとその親族はエネルギー利権を独占して随分と裕福な暮らしをしている。これが独裁政治だ。もちろん不安定な小国では一時的に独裁が有効な事もあるが、21世紀になっても独裁的で言論の自由を認めない政権など時代遅れも甚だしい。私はロシア人も含めたすべての人類が人種に関わらずみんな幸せに暮らせる世界になる事を心から願っている。
ロシアの国土と資源なら、独裁者や汚職者がいなければ世界有数の豊かな国になれるはずだ。アメリカのように中東の産油国に対して圧力をかける必要もない。あらたな平和の求心力となるには、まずロシア国内で人権が尊重され報道規制が解除される事が必要だ。ロシア政府がYoutubeやFacebookを遮断したのは、世界の真実が国民に知れ渡ることが彼らにとって不都合だからだ。
プーチンを降ろす時が来た。ロシアの民衆もほとんどの人が平和を愛していると世界に示す時が来たのだ。
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Dr.STONEの最終回というか終盤について、私的にはイマイチ熱くならずに終わって微妙なラストになったんだが… 賛辞が多くて なんか皆と同じ気持ちになれなくてすまんな。て気持ちになってる。
(あれって本編じゃなかったっけ?あ、違ったか。)
もっと石化することへの葛藤とか、宇宙戦とか、なんかそんなバトルを期待していた自分がいたよ。杠と大樹のラブい話とか… は、 まぁ、いいとしても… なんか最後だだっと駆け足で終わったから打ち切りか?って思うレベルだったんだけど… そうでもなさそう?
まぁ、国づくりって最初が1番面白いし、序盤でびっくりクラフト登場してるからなぁ… しゃーないけど。
いやー。でもじゃない?
だったら宇宙まで行かずに、真空にしたメデューサでお話するでよくなかった???笑
泣かせる必要なかったやろ。千空 龍水 コハク で良かったよなぁ〜。
しょうがないけどさ…
これだったら、氷月とかと戦うシーンとか奇跡の洞窟奪還のとことかもっとジャンプお得意のバトル伸ばししてくれて良かったのに。
なんか不完全燃焼な終わりだったわ。
過去に戻って石化止めるって千空の理念の合理性的にどうなの???(まぁ、合理的にとかいって合理的じゃないのが千空だけど)
例としては『UNDERTALE』『ひぐらし/うみねこのなく頃に』『Forest』など。
「作中人物が現実世界の我々を認識し、我々に向けて語りかけてくる」というメタ構造と書いた方がわかりやすいか。
これらの物語で作中キャラクターは例えばこのような趣旨のことを語りかけてくる。
「ゲームをリセットして消さないでくれ。あなたにとってはゲームだが我々はこの世界に生きているのだ。」
「奇跡が起きなかったのはあなたが奇跡が起きると信じなかったからだ。」
この語りかけは物語世界がどこかに存在するのではないかと聞き手に錯覚させる。
そして錯覚ではなく実際に物語で語られている世界はどこかに実在する、そうであってほしいと私は祈っているのだ。
『Forest』のクライマックスで作中人物であるアマモリとアケルの二人は「自身が経験している悲劇的物語は語り手によって想像/創造されたものだ」と、悲劇的「物語」を語った『Forest』の語り手に向けて悪態をつく。
そして直後のシーンで「外」に世界があるのと同じように「中」にも世界がある、とも言う。
『Forest』作中でこの二人は語り手として『森』という物語を創作し、その世界に干渉していた。
つまりアマモリが物語るという行為は世界を生み出す行為であり、アマモリがいる世界もまた誰かに物語られた世界である……と私は解釈した。
そして『Forest』のラストでアケルは『Forest』の語り手に協力し、『Forest』という物語を無理やりご都合主義的ハッピーエンドに仕立て上げる。
一流の悲劇ではなく三流の喜劇がよい、その物語の中で生きる存在にとっては……。
『Forest』という物語の聞き手となって以降、自分が語り手となるときは登場キャラクターに対しての加害性を否応なく意識するようになった。
だから私は「三次元の創作者が(自作であろうと)二次元のキャラを侵害していい理由はない」という考えに共感する。
「鍋に弾丸を受けながら」の原作者、青木潤太朗の「三次元の創作者が(自作であろうと)二次元のキャラを侵害していい理由はない」という考えがどのような背景から来たものかわからない。
増田はまじめに怒ってるっぽいので、俺もまじめに正面から反論してみる。
俺はタコピーは、旧世代批判というか、ドラえもんとかで育った世代への批判だと思って読んでる。
ドラえもんそのものは色んなテーマを含んだ深い作品だと思うし俺はドラえもん愛してるけど、
「問題は便利な道具で解決すればいい」みたいなお手軽部分と快楽の価値観も負の遺産として読書に植え付けられてしまった様に思う。
主人公を助けようと頑張るのに空回りするマスコットキャラのタコピー。超常パワーを持ってるのに作中で役に立たない秘密道具。ぜんぶドラえもん(的な便利マスコットが登場する昔の漫画)への皮肉だと思う。
タコピーっていうキャラは現代の子供達が置かれてる地獄に気付けない大人を戯画化したものだと思うから、あの作者のタイザン5先生って明確に怒りや批判や悲しみを込めて描いてるんじゃないかと思うんだが。
もちろん広く読まれないと意味ないから話題性と衝撃展開は戦略として入れ込んでるとは思うけど、ただ売る為の快楽漫画じゃなくて、あれ世の中への批判的メッセージかなり入ってると思うのだが。
その一方で大人をただの悪者にせず、旧世代の人間も課題や生き辛さを抱えて地獄で生きてるって姿を見え隠れさせてる。
少なくとも「どうですエグいでしょう!」「こんなに辛いんです!」で終わらす気は無いと思う。
もうそういう時代じゃないんだなと思ったよ、タコピー読んで。告発のその先を書こうとしてる。
タコピーの原罪はまだ完結してないから、このテーマを作者がどう着地させるかを見届けないと正当な評価は下せないんだが、良かったらタイザン5先生の他の漫画(読切)を読んでみてくれ。
どれも、逃避や泣き言ではなく「この場所で地に足つけて生きていく」が描かれてる。
子供が置かれてる現実というものを、ただの鬱ポルノに逃げて悪趣味で話題を呼ぶだけの作家ではなく、悩みや絶望に対して地に足ついた答えを提示しつつ爽やかで希望あるラストを描ける作家だって事が分かると思う。
俺はタコピー以前の作品を読んでるからこの作者に期待はしてるんだよね。
げんに東兄弟のやり取りで、兄の「親世代も俺たち子供世代と同じだ」って言葉に弟は救われた訳なので。
異世界転生スローライフものが流行る裏で、こういう「地獄で地に足つけて生きていくんだ」っていうメッセージをくれる漫画が生まれるのは興味深いと思う。
まぁ腰据えて見届けようや