はてなキーワード: エビデンスとは
日本でもっともアクセス数をもっている個人メディアはなんでしょうか?
A 暇人速報
B はちま起稿
E ハム速
http://anond.hatelabo.jp/20131109232505
☝
2ちゃんまとめの頂点に君臨ひま速はリクナビよりもアクセスをもっている。
エビデンス(http://www.alexa.com/topsites/countries;6/JP)
だがしかし、本当の個人メディアの王者はしぃアンテナ(*゚ー゚)
日本でトップ100以内に入ってる事もしばしばある怪物サイトだ。
ちなみにしぃアンテナ(*゚ー゚)の一日のユニークユーザは推定で300万人
alexaで見るとゾゾタウンよりもじゃらんよりもアクセスが多い。
上場企業の商用サイトよりもアクセスをもつ個人メディア恐るべし。
という事で答えは、
しぃ〜〜〜〜〜〜〜!
久しぶりに来てみたら、
この前書いた記事にたくさんブックマークついていた。
twitterのコメント見てると、批判であっても的を得ているので元気がでるのだけど、
・エビデンスを示せ
・一般論で語るな
というコメントがとても多いのだが、
証明しても反応なし、
エビデンスを示しても反応なし。
時々長々と反論書いてあると思ったら、
途中で間違いに気づいたのか削除されてたり。
そもそも科学論文じゃないんだから一般論なんか最初から書くつもりねーし。
こういうコメントするやつって、
何考えてるのか、何したいのかよくわからんけど、
言動から察するに、
少なくとも人を負かすことに喜びを感じているように見える。
かと言って議論は時間がかかって面倒だし、
誤字脱字とか、一般論言うなとか、勝ち目がある(?)コメントだけしていく。
議論する能力がないので、戦って負けそうになると逃げる。
政治やビジネスにおける責任の所在の曖昧性は長らく日本批判として存在しているが
ビールを飲みながらふと振り返って見ると、
いろいろと思うところがあり面白かったので、
酔いながらまとめてみる。
前職のSIerは技術力には自身があるらしく、技術力は負けません。と誰かが言っていた。
構成管理は「日付付きフォルダ」。javaのデプロイは、人の手でDB等接続先情報の構成情報を変更後、Eclipseからwarを生成。人の手でGUIからデプロイ。
実装(ひどければ設計も)海外へアウトソース。結果、java知ってますって人が「PermGen space?Xmxを上げとけ!」「Xmxはとりあえず、1.5Gで!」とドヤ顔とか。。
テストは、もちろん担当者が画面エビデンスを取りながらテスト。(もちろん、エビデンスやテストはリリースの時、確認の意味で使うだけ。)
障害時には基本、関係各所集まって、会議。。。プロパティファイルの差し替えだけで終わるのですが。。。。
ITを活用して、売上、利益を上げてきた。(もちろん、それだけじゃないけど)
構成管理はもちろんバージョン管理ソフト。ビルド、デプロイ作業はコマンドラインで一発。(ただし本番デプロイは一部人の確認作業あり)
実装も、内部で実施。テストはjunitで記述、一日に一度の自動テストと結果レポートが届く。
IT系システムの要件の優先順位の決定権は基本情報部門が持つ。(ただし戦略的に無理な場合あり)
自動テストと、皆が内部実装や仕様を強く知っているからか、自信をもって高速に機能を追加できている。
何より、自分でサービスを作っているからか、活き活きと仕事している。
罪を犯して罪を償うのは、当然のことです。では、犯罪者から命を奪えば、彼(ないしは彼女)は「罪を償った」ことになるのですか?
それで「イイキモチ」になるのは、ハッキリ言えば事件に関係のない第三者だけではないですか? いい気味だ、ざまあみろ、自業自得だ、正義は為された。…etc。そんなことで、被害者の心は本当に癒されるのでしょうか?
大阪教育大附属の児童殺傷事件の犯人、宅間守は、「死にたかったが自殺する勇気がなかった」「死刑になれる相手なら誰を殺してもよかった」「子供をねらったのは殺しやすかったから」そして、死刑判決が出て、遺族に何か言うことがあるか、と聞かれ「あの世でもう一回お前らの子供を○してやるわケッケッケッ」…という趣旨の発言をしたそうです。
こういう人間をただ殺して、それで遺族は本当に心が癒されたと思いますか?
日本社会では、問題が起こると、当事者が「責任をとって辞職」したりします。しかし、それは本当に「責任を取った」ことになるのでしょうか。
特に、事故など、今後の対応が重く、長く、苦しい、果てしないものになることが想定されるとき、そんな対応から逃げ出したくなっても無理ありません。そんなとき、「辞職したから責任取った」と得意気に言われると、むしろ殺意が湧きませんか? それはむしろ「無責任」の一形態に過ぎないのではないでしょうか。
私が死刑などやめた方がいい、と思うのは、それが無意味だからです。本当の意味で「罪を償わせる」ためには、生かして、生かして、長生きさせて、どんなに苦しくても一生をかけて自分のやったことと向き合わせる。「償う」などということが実際に可能であるか否か、それは分かりません。しかし「罪を償う」などということが、もしできるのだとしたら、そういう地道で苦しいやり方の中にしかあり得ないと思うからです。
よく主張される「死刑は見せしめとして役に立つ」という意見。ですが、これまで死刑が廃止になった国で、凶悪犯罪が増大したというデータはないので(むしろその逆です)これは否定されます(※)。死刑に「犯罪抑止効果がある」という意見にはエビデンスがない。また、死刑には、受刑者本人に対する教育的役割(刑を受けることで、罪悪感を感じ、社会復帰への道が開ける)がないことは明らかであり、経済効果についても、無期刑に比べてコストが安いということも無いのです(人を監禁して殺す、というのは簡単なことではありません。そのための特別の施設、管理者、担当者、手続き……様々に膨大なお金がかかっています)。
更に、よく言われることですが、死刑は不可逆であるというその性質から、冤罪が発生したときに取り返しのつかないことが起こりかねない、もっと言えば、取り返しがつかないだけに「『取り返さないでおこう』という圧力が発生する」という危険も指摘できます。
死刑制度には、合理的に見ればこれだけの問題があり、普通に考えればむしろ「無くす」のが当然の立場なわけです。ご理解いただけたでしょうか?
それでは、次の問題。これだけ問題のある死刑制度が、アジア圏で根強く残るのはなぜなのか? これを考えてみたいと思います。
死刑を残す国々(日、韓、中など)は、どれも同程度に人権意識が低いのでしょうか? これらの国々は、民主主義的にみせていても、その実、全体主義的な管理社会だからなのでしょうか?
…
いろいろな理由は考えられますが、私は、これらの社会が、依然として「家、一族」を基盤とする封建制社会の気風を残しているからではないかと考えています。
「家、一族」を基盤とする封建制社会は、「個人」に対する毀損を、「一家、一族」に対する毀損と見なします。「個人」を基盤とする社会にも、もちろん特定の個人との絆からくる個人的な「復讐」は発生するわけですが、「家、一族」を基盤とする社会では、「個人」に対する毀損が「家、一族」あげての「復讐」、つまり「敵討ち」を引き起こしかねない。だから、これらの国家で秩序を保つためには、国民が勝手に「敵討ち」をしないようにする…つまり「公権力による敵討ち代行」を、制度として保証するしかない。それが、これらの国における「死刑制度」の意味なのではないか。
「日、韓、中」が、近代社会における刑罰としての「死刑」制度に合理性がないと分かっていながら、その廃止に踏み切れない理由は、これらの社会がもつ潜在的な「敵討ち」の論理のせいであり、これらの国で国民に死刑が支持されているのは、依然としてこの国の人々が「敵討ち」大好きだからなのではないか、と思っています。
従って、核家族化が進行し、家族関係が欧米化していけば、いずれは日本でも、死刑は廃止されるのではないでしょうか。ごく自然の流れとして。そうなっても不思議はない、と私は考えています。少なくとも、死刑を廃止した国々が「人の命を軽んじている」わけでも、「罪を償わせるシステムをもたない」わけでも、被害者を軽んじているわけでもない、ということさえ理解していれば、死刑廃止論というのを、まるで非現実的な論のように批判するのがおかしいことは、理解できるはず。そこで考えるべきなのは、「なぜ他の多くの国と違って、これらの国では死刑がなくせないのか」です。
(6)終わりに
死刑廃止論を感情論だと決めつけて、叩く。そういうのを「案山子論法」と言います。相手の実体でなく、自分が勝手に想定した案山子のような無力な「敵」を相手に、(自分の中では)華麗にワン・ツーを繰り出し、ノックアウトする。気持ちいいかもしれませんが、それはただのオナニーです。
死刑廃止論を批判するなら、もう少し死刑や法律、社会に関する勉強をしてからにした方がいいと思います。
追記
※参考:抑止効果という神話 http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20070901/1188667970
俺ら医療業界は「プラセボ対象比較試験」ってのやってどの治療法が一番効果があるのか汗水たらして調べてるんですが?個人的な体験なんてとっても質の低いエビデンスなんですが?? なんで同じ事教育界はしないの?あるいはしてるけど俺がしらんだけなの?プラセボはさすがにきついかもしれないけど、コホート研究とかしないの?
ちょっと教育方法を変えてみた結果のゆとり教育、教育方法のみならず受けた人までもがこれだけ世間的にバカにされると、簡単に「ちょっと調べてみよう」とはいかん
始めに言っとくけど、途中で何度か話変わるから。
アメリカに研究しに留学してきて1年経って全然いまだにしゃべれない。毎日家帰ってから2時間くらいシャドーイングとかしてるし、研究室は俺以外みーんなアメリカ人だし独り身で日本語しゃべる機会ないのに英語しゃべれるようにならない。
言わしてもらうけど、卒業大学は国立トップ集団の大学医学部で俺様医者だし。頭良いはずなのよ。英会話はべつに特別してなかったけど、医者になってからも英語の論文とか読んでたし。
でもしゃべれないわからない。どれくらいわからないかって言うと、昼飯みんなで食ってるときにみんなが何言ってるかわからなくて「俺の目の前で俺の悪口言ってんじゃねぇの?」て思うくらいわからない。
となりの研究室のおっぱいの大きいインド系の女の子超かわいい、でも、食事に誘いたいけどマジ無理。誘うまでは英語力いけそうな気がするけど2時間とかしゃべるとか吐き気する。ゼッタイ1時間半くらい沈黙になる。
でもさーしょうがないと思うんだよね。「語学留学」で来てる人たちも大してしゃべれるようになってねぇし。日本人が英語しゃべれるようになるなんて無理だよ、無理。言語として違い過ぎ。みんな大抵言うんだよ、「日本の教育が会話重視じゃないのがいけない」って。そんなことねぇって。日本語はヨーロッパ言語と違いすぎるから、文法からやんないと簡単な会話も無理なんだって。
ほんで次に言いたいのはなんでみんなやたらと英語しゃべりたいって言うのって話。おれはしょうがないから今やってるよ。だってアメリカに住んでるもん。一応偉くなりたいからここで結果残さなきゃいけねぇし。来たくなかったけどボスが行けって言うからしょうがなかったんだよ。
でも、こんなツライこと好き好んでやんなくたっていいじゃん。なんなのみんな、意識高い系?ジスイズペンとかいって白人の男とフォーリンラブしたいわけ?大体、北野武とか英語なんか片っ端も出来なくたって金獅子賞とかなんとかいうのとってるし、田中とか下村とか明らかに英語できない感じでもノーベル賞だし。ノーベル賞。英語なんかできなくったってとれるっぽいし。要は相手が通訳雇って話したいと思うような偉い人になるのをまずは目指せって話よ。
最後はこれ、一番言いたいこと。結局どうやって英語勉強したら良いのん??ごめん、めっちゃ知りたい。
いろいろ英語学習のmethodとか調べると大量に方法論が出てくる訳。明らかに教材買わせようっていう宣伝から、なんだかよくわからない経験談みたいのまで。どれも自信満々にこうしろああしろって書いてあるけどどれが一番良いわけ??なんでそれが一番良いって言えるわけ?俺ら医療業界は「プラセボ対象比較試験」ってのやってどの治療法が一番効果があるのか汗水たらして調べてるんですが?個人的な体験なんてとっても質の低いエビデンスなんですが?? なんで同じ事教育界はしないの?あるいはしてるけど俺がしらんだけなの?プラセボはさすがにきついかもしれないけど、コホート研究とかしないの?シャドーイングと公文式のどっちが優れてるのか結果を比較した研究をみてみたいんですが?
だって、政府はこれからTOEFLを基準として英語教育の見直しするんでしょ?英語教育推進するんでしょ?要はめっちゃカネ使うんでしょ?そんでさすがに効果のない方法に力入れるってわけにいかんでしょ。だからカネ使う前にどの方法論が一番効果があるか調査しろって話よ。
話がズレた。とにかくおいらは英語話者の女の子とねんごろになりたいから、そのための英語を身につけたい、そしてそのためのちゃんと根拠のある英語勉強法を教えてくれって言っているのよ。
率直に言うとどこがダブルスタンダードなのかわかんない。
これにエビデンスを要求するの?具体的にどんなデータがあったらエビデンス足りえると君は考えてるの?
ここで要求するべきなのは、臨床環境医と患者さんの関係はどういうものか。詐欺師と被害者の関係はどういうものか。そして、共通点はどこで相違点はどこかを具体的に記述すること、つまり「どう似ているのか説明しろ」ってことなんじゃないの。それはいわゆるエビデンスではないよね。
他人にはエビデンスを要求しながら、自分はエビデンスを示さない、というのを批判したいならこの例は不適当で、「ひょっとしてエビデンスという概念を理解していないのでは?」という疑惑を感じざるを得ない。
まあもしかするとMCS批判者によるネガティブキャンペーンなのかもしれないけどw
(追記)
http://anond.hatelabo.jp/20130904173600を読んで。というか長いんで最初の段落と最後の段落しか読んでないけど、
「ダブルスタンダード」という言葉の意味がたぶん君とおれとでは違う気がしてきた。ある分野について、昔と今は違う、とし、別の分野について昔も今も同じ、と言ったらダブルスタンダードなの?そういう論法はマジ理解しがたいんだけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/NATROM/20130829%23p1
などで「臨床環境医」が一部の人から嘲笑と憎悪の対象となってるwww
ブコメを見てすぐ気づくけど、一部の「臨床環境医」ではなく、「臨床環境医」全般がその対象だ。
シックハウス症候群マニュアル―日常診療のガイドブック という本がある。「日本臨床環境医学会」が編集した、この8月に出たばかりの本だ。厚労省科研費の報告書が基になっているという。
学会が編集したからといって、即「学会会員一致した見解」とはならない(w)のはそうだけど、まあ現時点での臨床環境医で作る学会の代表的な見解が述べられている、とみなして良いだろ。
また、これは「シックハウス症候群」についてのマニュアルであって、「化学物質過敏症」MCSを主対象とした本ではない。しかし、症状的にきわめて似たところもあって(ww)、臨床環境医がこのマニュアルに基づいて行うシックハウス症候群の診断が、化学物質過敏症についての診断と方法・考え方で大きく異なる、と思える人はいないだろう(とくに実際に読んでみれば)。
w 実際読んでみると、シックハウス症候群を「広義」でとらえようとする者と「狭義」に限定しようという者といて、やや不整合がみられる。しかし、強調しておくべきことは、学会編のこの本のトーンは「狭義」路線が採られていることだ。
ww そもそも用語のさす範囲が人、場合によって違うようだ。たとえば、http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130902142408605 でいう「化学物質過敏症」は「狭義のシックハウス症候群」と呼んでも差し支えなさそうに思える。
全体で79ページの薄いマニュアルであるが、たとえば、その51ページには
「除外診断を旨とすべきである。」 実際、全体の1/5の分量、「Ⅱ.診断の手順」内では半分以上にあたる16ページが「鑑別疾患」にあてられている。そのうちでもアレルギーは8ページ、中毒は非常に短いが、精神心理は4ページ、それに感染症3ページ。十分であるとはいえないかもしれないが、とりあえず「臨床環境医」が、他の疾患との区別を重視していることは明らかだろう。
このように同じ建物の居住者に集団発生することがあるため、シックハウス症候群との鑑別上、肺結核症は常に想起されるべき疾患の1つである。
だそうである。
69ページ以下がQandAであるが、そのQ10「専門医にご相談くださいという言葉をよく聞きますが、何科を受診すればよいですか」に対しては、症状部位によって、眼科、皮膚科、内科を
とはっきり書かれている。
こういうことが「臨床環境医」の学会が編集した最新の冊子に書かれている。
ちなみに60ページの「自然・天然素材」という項では、スギ・ヒノキなどのテルペン類に触れており、かつては筏で木材を流したりしてるうちに揮発した、昔と今では建物の気密性が違う、など、「天然素材だから、昔もそうだったから」という主張を批判している。
こうしてみると、冒頭のブクマのように「臨床環境医」全体をひとからげにして非難する、というのはどう考えても2013年日本の実態に沿うものとはいえない。
もちろん、いろいろと突っ込むところはあるだろう。当然だ。それは、1.この本の内容そのもの、2.実際の臨床環境医がここに書かれているような診断とかけ離れてことをしている、に二分される。ただ、2.についていえば、でたらめな診断をくだす医師は臨床環境医以外にもたくさんいるわけであり、「臨床環境医」全体を非難しようというのなら、当然それなりの定量的なエビデンスが求められるだろう。 個別の例で非難することはできるが、それがどこまで敷衍できるのか示せるのだろうか。また、患者に向かって「あなたは胃潰瘍と主治医に言われているようだけど、胃癌ですね」と(とくにネット上で)安易に言うことができないように、主治医でもない人間が安易に憶測を述べる危険もある。
ともかく、「現在の日本の臨床環境医」についてが中心に論じられるべきなのは言うまでもない。
さて、冒頭のブックマークなどで「臨床環境医」全体を非難嘲笑している者と、「奇跡のリンゴ」という映画などでの「農薬」の扱われ方について批判していた者は、かなり重なるようだ。
「農薬」については「40年前と今は違う、日本の基準は安全だ」と言いながら、「臨床環境医」については「昔も今も、外国も日本もすべてひとからげにして非難する」wwww 空気を吸うようにダブルスタンダードを用いるニセ科学批判者の特徴がよく現れているwwww
ニセ科学批判者は、あたかも空気を吸うようにダブルスタンダードを使う。
その例をひとつ。あまり馴染みのない人のようだけど、連日のエントリできれいなダブスタになってるから。
http://d.hatena.ne.jp/shinzor/20130818/1376818257
そんなことより、エビデンスです。
そだよね。で、エビデンスといっても一番レベルの低いのは「専門家の見解」だけど、ここで言ってるのはそういうのではなくて、もっとレベルの高い、簡単に言えば定量的な、エビデンスを指しているのは自明。
いっぽう、その前日のエントリ。
http://d.hatena.ne.jp/shinzor/20130817/1376690483
それ以前の文のどこをどう読んでも定量的なエビデンスなどカケラもない、ただのネット上の揉め事からの「想像」に見えるんですが。
こういうからには、臨床環境医(&以外)とMCSと診断された/されなかった患者についてのコホート研究の例とかもちろん即座に出してくれるんでしょ?
瀉血とは汚れた血液を抜くという中世では一般的な医療法であった。現代では一部の病気治療を除いて使われていない。wikipediaによると迷信にカテゴライズされてしまっているらしい。その理由は体内の毒素を排出するという事に根拠が無く、結果的にエビデンスが得られないとからだそうだ。
しかし私は別の視点から瀉血の効能を考えている。瀉血と同じように『献血』も血液を抜くと言う点では同じだ。一般的な400ml献血の場合、体重50kgの男性ならおよそ10%の血液が失われた事になる。(女性ならさらに割合が多くなる)
致死量は50%なので、健康に害はないとはいえこれはすごい量だ。500mlPETボトルに8割入った血液を床にぶちまけたらすごい光景だろう。健康に害はないとはいえ、出血している本人は気絶くらいはするかもしれない。
ここで私が言いたいのは、健康には『害』はないだろうが、『影響』はあるだろうと言う事だ。もちろん、危ないから献血などやめろと言う事ではない。むしろ逆だ。体内から10%もの血液が突然失われた。これは明らかに身体に影響がある。私は何度も献血をしているから経験的に言うが明らかに元気が減る。露骨にいえば性欲が減退する。学生時代、昼間から悶々としていて、帰ったらオナニーする気満々な時でも、献血をするとびっくりする程性欲が減退した経験が何度もあった。献血後すぐに効果が現れて、2~3日は影響があった。特に当日の夜はビデオなどを見てもガッカリするくらい反応が薄くその落差に驚いたものだ。
しかし、瀉血の効能が性欲減退だと言いたい訳ではない。ここで考えて欲しいのは、突然血液が失われ、血圧が下がり元気も性欲も減退した身体はどう反応するかと言う事だ。長い動物の歴史において、突然血液が失われると言う事はケガをした時以外に考えられない。身体は当然、ケガをした時と同じ反応をするであろう。つまり、傷口からの細菌の侵入に備え免疫機能が活性化する。傷口の補修と失われた血液の補填のために造血機能をフル稼働させる。言い換えれば、平和ボケした臓器共に敵が攻めて来るぞと活を入れ軍事教練を施し、失われた古い装備に代わりピッカピカの新造装備を大増産するのだ。つまり戦争だ!と脅すのである。それによって身体はリフレッシュされ、新しい血液の割合が増え、健康に寄与するのではないかというのが私の説である。
彼は普段偉そうな事をいってる割にはデマが全く見抜けないのだ。
その証拠に例を2件あげてみる。
http://b.hatena.ne.jp/xevra/20130531#bookmark-148325210
このブックマークだが、他の人のブクマをみれば分かるように元記事は海外の虚構新聞のようなジョークサイトでそれ真に受けた馬鹿が日記をかいたんだが、xevraは、
”うは、これはヤバい。遺伝子組み換え野菜とは農薬を自分で合成するようにした化け物。遺伝子組み換えの食品を食べるという事は農薬を食べる事。毛が抜けるだけでなく深刻な副作用が次々出そうだ。恐ろしい恐ろしい”
みたいなどうしようもない無能な事をいっている。
http://b.hatena.ne.jp/xevra/20130708#bookmark-153518610
これはtwitterを騒がせた渋谷駅銃乱射デマここでもxevraは
"もう渋谷ダメだな。終わったな。ただでさえ乗り換えが大変になって乗降客数が減っているというのに治安も悪いんじゃ救いようがない。"
といっているが、救いようがないのはお前だ。
この様に彼はどうしようもなく無能なのだが人を馬鹿にするのは大好きで普段から中傷のようなブクマばかりしている。
控えめにいって彼は「自分が無能と理解出来る程の知能も持ちさわせていないどうしようもない無能」なのだろう。
そして、このような自分を省みる知能もない無能に限って態度と声がでかいのも世の常なのだろう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20130717113026
"男が暴れて治安が悪化しているのは事実。私のコメントに何の問題も無い。遺伝子組み換えの食品を食べるという事は農薬を食べる事と同義である事は真実であり変わらない。だから問題ない。もっといいネタもってこい"
との事なので、反論してみる。
【画像】渋谷駅で拳銃らしき物体を振り回して暴れた男が警官に捕まる事件発生! - NAVER まとめ変更する
http://b.hatena.ne.jp/entry/matome.naver.jp/odai/2137327035503716701
を確認する
id:kaitosterさんによると
"「渋谷駅で銃を乱射して暴れた男が完全防備の警官隊に捕まる事件発生!乗客は避難し改札内立入規制へ」→「渋谷駅で拳銃らしき物体を振り回して暴れた男が警官に捕まる事件発生!」←アクセス稼ぎにデマまき散らす人"
とタイトルが変わったようだそして
xevraのブクマは
id:emoyanさんの
"【画像】渋谷駅で銃を発砲して暴れた男が完全防備の警官隊に捕まる事件発生!犯人は「笑っていた」との情報 - NAVER まとめ"
下にあった。
つまり彼が書いた時点では
"【画像】渋谷駅で銃を発砲して暴れた男が完全防備の警官隊に捕まる事件発生!犯人は「笑っていた」との情報 - NAVER まとめ"
この彼の言い訳は元のデマまとめ主同じく姑息なレトリックであるのだ。無能なだけではなくこのまとめ主と同じレベルで精神まで腐っているように思える。
なら遺伝子組み換えと農薬の危険性について比較したまともな医学エビデンスなり審査をくぐり抜けた論文を提出すべきだ。
でないと彼が批判している「はぁちゅう」の血液クレンジングとなんらかわりはない似非科学である。彼が批判している対象たいして変わりない無能さだといえる。
元増田です。
ADHD/ADDの人間はあたまの切り替えが本当に下手なのが問題で、
自分が仕事している職種には当然色々な業務があって、その業務に伴う資格もある。
そして1つの業務資格を取ってもエントリーレベルから、組織のコアメンバー向けの難しいレベルまでピンキリ。
で、彼は業務経験1年以上が対象者の資格を、業務経験皆無の状態から、自宅での独学のみで一発合格したことがあった。
かくいう自分は諸事情により当該資格をすっ飛ばし、業務経験5年以上が対象の上位資格を、大体それくらいの年数で取ったんだけど、その自分から見ても彼のリザルトは「わけがわからないよ」と言うしかない、常識外れの出来事だった。
勿論当時の上司も同僚も全員( ゚д゚)ポカーン。
まあ有名大卒ばっかり集めた業界大手で、新人が仕事そっちのけで研修を受け、1年目で合格することで結果とする事例は、割と一般的だったりする。
しかし自分とこみたいな中小企業で、しかも業務時間外の自学自習で成し遂げるなど、にわかに信じ難い話だった。
でも「意識がしっかり向いているときに限れば普通の人よりも集中力が強いことも多い」ことのエビデンスであれば説明がつく。
聞けば、高校は旧制中学由来の進学校出身らしいし、自分で学習計画を立てて勉強に打ち込むのは得意なんだろう(ちなみに最終学歴は大卒)。
残念ながら、それが本来業務で活かされることは一切なかったんだけど。
結果「勉強できても仕事させたらその程度かよ」という、ある種の逆差別を補強するだけだったと。
それだけ地頭が良いのに仕事が全然ダメだったのは、最初に書いたように、タスクを切り替えるたび、それまで取り掛かっていた別のタスクの進捗のみならず、仕事を通じて学んだ知識も技術も、どんどん頭から零れ落ちてしまったから。
ですので、「頭のスイッチ」を入れたままで問題がない状態にしておくか、
「頭のスイッチ」を適宜、オンにしてやるように誰かがフォローできるとすごく良いかとおもいます
たとえば、
・日報を出してもらう
これ、彼だったら仮に30分に1回報告させても抜けが出る。それくらい重症。
そりゃ指導する方だって怒るよ。忘れる努力をしているのかと疑いたくなるくらい、あり得ない忘れ方だもん。
一応、簡易診断テストは、
こことか:http://ex.senmasa.com/add/
拝見しました。
でもこれ、他人から見て明らかに当てはまることであっても、本人が自覚してないと正確な結果が出ないという、認知の問題があると思う(まあ自己診断はおしなべてそうだけど)。
本人が、普通の人と思考パターンや得手不得手が明らかに違って、それは個性や気質の違いじゃ説明がつかない程度かも?と気づくかどうか。
「心の中では罪悪感や、自己評価の低さを抱えていて」も、それを障害と結び付けて考えず、「色々経験すればそのうちなんとかなる」とか思ってる可能性は十分ある。
「いいよー」と返そうと思ったが、ふと思い立って「やだね。俺にメリットないし」と返してみた。
すぐに返事が来た。
「なんでよ!!」
「とーめーてーよーーーーーねーーーーー」
「ねーーーーーーーー」
「(´・ω・`)」
「むーしーやーだーーーー」
「わたしがいると楽しいよ!!ね!!ね!!」
「わかった2,000円出す!!」
本を読ませてみよう。
もともと地頭がよく、話を聞いていても職場でテキパキやっているようだった。
何かいい本はないかな〜と検索してみると、ちょっと前に流行ったアレが高確率で目についた。
マネジメント - 基本と原則
恥ずかしながら、自分もまだ読んでいない。
さっそくこの本を買って読み切ることを条件に泊まって良いと返信した。
「ほう。勉強もできて泊まれるという一石二鳥か買ってくるありがと」
と、意外にも前向きな反応が返ってきた。
そして今度はamazonの注文確定画面のキャプチャを送ってきた。
SEでもないのにエビデンスを見せてくるとは、こいつなかなか…
さてどうなるか楽しみだ。本もタダで読めるしな。
実際に子育てしてる界隈じゃ、育児書を信じてはならないというのが定説。
育児書は平均的な子供のことが書いてあるんだろうが、それでも子供によって性格や発達の仕方の個人差が大きいから参考にならない。
マニュアルというか、エビデンスに基づいて実践すべきだという考えは当然諸外国(当然先進国)のほうが多い。
根拠の無い方法(母乳じゃないと愛情が無いとか)とそれに付随する偏見で物を言う、見る、聞く、判断し実行するのは野蛮人だぞ。
もちろん根拠の無い方法でもそれで治る(正しい)方法はある。けど常に実証が求められるし実証する過程でまた新たな発見がある。
あんまりバカだと心配になるよ、これからお前みたいなのを相手するかと思うと。
まず自分の思い込みを疑えよ。
「この日本のどこが地獄で、どういうところが問題で、その原因はホントにお前が考えていることか?」
仮にマニュアル化されたチェーン店が増えたと同時に人が冷たくなった(この根拠は出しようが無いが)としたら、それはもしかしたら相関関係(同時に増えた)
かもしれないけど、因果関係(マニュアル化された店舗が増えた「から」人が冷たくなった)とは限らんぞ。
それに今は既にマニュアル化(サービスの良し悪しの均一化)は終わって、その上でスタバが流行った通りマニュアルを越えた店員、店舗、事業が持て囃される時代だろ?
もし仮にお前が電力会社に務めて機材の保守点検をする上でマニュアル無視したら大変なことになるだろ?
まずマニュアルの定義も広すぎるし近代社会の病理とマニュアルを結びつけるのも頭悪い。
結局育児書がエビデンスに基づいて書かれたものが無いからみんな不安なんじゃなかろーかと思った
翻訳でもいいからとにかく2、3こ、いくつかの論文を参照した論文で同じことが書かれていて、かつ内容としてもきちんとした統計的手法を踏んでいるものを参照した本があればいいのにね
ある程度これは正しいって方法があればいいのに
各家庭を調べるにしても要素がありすぎるし
もし過程を統一したいならその研究結果のためには乳幼児を隔離して育てなきゃならない訳で人権侵害だのなんだのあるし
ナチスがそれもやっといてくれればよかったのに
とりあえず「専門家の見解」はマジで信用できないっていうのは知っておくべきだと思う
「とりあえず正しいっぽい」って方法があれば児童福祉施設も向上するだろうし
育児書について調べたことないから調べたら「これは決定版!」と育児界隈で思われてる本があるのかもしれん。全部憶測で言ってるからなんか間違ってたら謝る。
何で受けてるのかな?わかる人の意見請う」
…というどってことない振りに対して
(意味不明かつ何も言って無いに等しい。)
あと、その記事のメインは「俺らが面白いかどうかにかかわらず(ましてや一個人の何が面白いの?とかいう意見なんてもってのほか)俺らが知ってるTosh先生はもう戻ってこないんだぜ」というお話。
(当該リンクは「はてなでも人気」のエビデンスとして持ち出されており
記事の主旨なんか質問されていない。
何故突然記事の主旨の解説を始めたのか全く不明。)
そもそも「ソーマが打ち切られるかどうか」なんて質問はされていない。)
というか、「何が面白いの?」なんて聞かないといけないなんてはじめから相性悪いんだから他人の評判なんて気にしてんじゃねーよカス。
(分析を問われてるのに感情と感性のみで返答した上なぜか酷く怒っている)
…という、
要するにまるっきり質問対象では無いのに何故か回答してる上に
全ての回答が国語的に噛み合ってない。
おそらく軽度知能障害だ。
いわゆる「ハゲタカファンド」であるサーベラスが、西武HD経営陣と対立し、TOBを仕掛けている。
で、経営陣への要求として「不採算路線の整理」を挙げ、具体的には秩父線・新交通システム山口線・そして多摩川線を挙げた。
確かに多摩川線は、西武各線と切り離された離島路線で、かつ単線でローカル臭が漂っているので、
「確かにサーベラスが言う通り、不採算路線で切り捨て止むなしなんだろうなあ」と考えている人も多いだろう。
「多摩川線=大赤字」主張者のエビデンスの一つに、「推定営業係数」がある。
営業係数というのは、各路線毎に100円売り上げるために要したコストを示した係数で、
これが100を下回れば黒字、100を超えれば赤字、というインデックスである。
元々は国鉄赤字路線廃止のための尺度として用いられた概念である。
しかし、西武HDは、というか、全国の各鉄道事業者は、今は個別の営業係数を開示していない。
なので、外部から「推察」する格好になっており、直近では鉄道ジャーナリスト梅原淳氏が
週刊東洋経済臨時増刊号「鉄道完全解明2013」で公表している数値がある。
それによれば、多摩川線の推定営業係数は「241.9」の大赤字路線、と試算されている。
本当に売上の倍以上のコストが嵩んでいるなら廃止やむなし、となるが、ホントにホントか?
梅原氏の推計仮定に誤りや無理があって、過大に赤字評価されているのではないか?
梅原氏によれば、推計営業係数は、以下の方法で算出している。
★売上=鉄道事業者の鉄道売上全体×(当該路線の旅客人キロ÷全路線の旅客人キロ)
★運送費=鉄道事業者の運送費全体×(当該路線の旅客人キロ÷全路線の旅客人キロ)
★減価償却費等=鉄道事業者の減価償却費等全体×(当該路線の営業延長÷全路線の営業延長)
この推計方法を、池袋線新宿線という大幹線と多摩川線のような枝線を抱える西武鉄道という鉄道事業体に
自分から見ると、この推計方法を、西武のような路線格差が生じている事業体に適用するには、極めて乱暴じゃないか?と思っている。
本当の営業係数と、推計営業係数の、想定される「ズレ」要因を、以下に列記する。
1.実際の営業係数は、推計値より悪い、と思われる要因
★多摩川線の車両は、いわゆる本線系統で長年走っていた車両が「お古」でやってくる。
従って、電力消費が多大⇒推計よりも運送費は嵩んでいると推察される。
つまり、同じ旅客人キロでも、運送費は多摩川線の方が嵩んでいると思われる。
(逆のいい方をすれば、本線は乗客を多量に詰め込むことによって、運送コストを抑えている、と言える)
以上が「多摩川線の営業係数は、推計より悪くなる」という要因だが、
逆に「多摩川線の営業係数は、推計よりも良くなる」という要因の方が、ずっと多い。
2.実際の営業係数は、推計値よりも良い、と思われる要因
★多摩川線は、路線延長が短く、全ての乗車は数キロの乗車でしかない。
初乗り区間の乗車も数多い、と思われる。
鉄道会社の運賃体系は、短距離だと(対乗車キロ単価で)割高運賃になり、
長距離だと割安運賃になる。
なので、短距離乗車ばかりの多摩川線は、「儲かりやすい初乗り乗客比率が高く」、
より売上は多いと推察される。
基本流動は是政が末端で、武蔵境に向かって増えていく、という流動だが、
つまり、双方向流動がある。
本線系の場合は、朝ラッシュ時に池袋・高田馬場へ向かう流動(夕方は逆)が圧倒的で、
逆方向流動は少ない、つまり逆方向輸送の効率は良くないのだが、
多摩川線は、本線系統よりも逆方向流動比率が高い、つまり「効率がいい」。
★沿線に「競艇場前」という駅があり、競艇開催日には競艇客輸送をしている。
競艇客は、普通運賃客(割引率の高い定期客ではない)なので、売上は高くなる。
練馬~石神井公園の高架複々線化などは最近終わったばかりだし、
有楽町線(練馬~小竹向原)は地下線だから、相当な減価償却になる。
あるとすれば武蔵境の高架工事だが、これも大半は国や都の税金で事業を行なった筈だ。
つまり、西武全体の減価償却比率と比べると、多摩川線は減価償却がずっと進んでいる筈。
「単純な路線延長按分」で算出された数値とのズレは大きいはずだ。
駅舎などの減価償却も然り。(武蔵境を除き)旧態依然な多摩川線の駅舎は、とっくに減価償却終わってる筈だ。
あと、多摩川線は単線、本線系は大半が複線。路線の減価償却となると、単線か複線かの違いは大きい。
★車両の減価償却、という観点では、新車が多数投入されている本線系統の減価償却負担が大きく、
★そもそも「路線延長で比例配分して、車両の減価償却費用を按分する」というのは、
多摩川線は4両、本線系は8~10両。同じ1編成でも、減価償却は倍違う。
さらにラッシュ時の運行本数からして、路線長単位の本数落差は甚大。
路線長1キロ当たりの車両減価償却費用は、恐らく本線系は10倍以上嵩んでいると思われる。
・・・と眺めていくと、トータルでは、多摩川線の営業係数は、推計よりも「良い」と推察される。
さらに、多摩川線のようなミニ路線、売上も少なければ費用も少ない路線だと、
例えば、売上10億費用10億の「A線」と、売上100億費用100億の「B線」があったとする。
推計計算の過程で、費用を10億余分に見込んでしまった場合、B線の営業係数は100⇒110になる程度だが、
A線の営業係数は100⇒200と、思いっきり悪化する。
つまり、ささいな推計のブレは、零細路線では大きなブレとなってしまうのだ。
ということで、自分は梅原氏の推計営業係数「241.9」というのは、殆どウソ、眉唾に近いと考えている。
では、本当の係数はどれくらいなのか?
ここから先はあくまで推察であるが、首都圏で似たような境遇の「流鉄」(総武流山鉄道)の営業係数は「120.8」とされている。
また、近畿圏で似たような境遇の「水間鉄道」の営業係数は「130.3」とされている。
これらの事業体は、鉄道路線は1路線しか有してないので、この営業係数はまあまあ信頼できるだろう。
・・・となると、多摩川線の営業係数は、悪くても120~130、恐らく110程度ではないか、と思われる。
地方鉄道の豊橋鉄道、ここは多摩川線よりも輸送人員は少なそうだが、豊橋鉄道で「96.9」の黒字だから、
多摩川線も、実は黒字、という可能性も、案外ありえると思ってる。
まあ営業係数110程度として、それくらいなら、多少の努力で黒字に出来る数字である。
禁じ手かもしれないが、10%値上げすれば黒字化出来る。
あと、西武グループトータルで見れば「黒字」という可能性だってある。
沿線は建売供給エリアで、三井不動産レジデンシャルとかがファインコートシリーズを供給したりしてる。
三井不レジは、23区内だとグループ内の三井ホームに施工させてるが、府中市とか小金井市の物件だと「西武建設」に施工させるケースが多い。
ということは、多摩川線を維持⇒三井不レジが沿線で建売計画⇒西武建設に施工依頼、ということで、
少々路線が赤字でも、西武建設の施工売上で挽回する、ということもありえる。
・・・ということで、梅原氏の営業係数推計は、こと西武のような「幹線と枝線の双方有する会社」に適用するのは
相当に乱暴な議論だと思う。