はてなキーワード: ねじとは
私が好きなジャニーズのアイドルが出演するコンサートには「ファンサ」という文化がある。
それは「ファンサービス」の略で、ステージ上のアイドルがファンに、例えば手を振ったり、指差したり、投げキスしたり等の"サービス"を行うことを言う。
(ちなみに、この「ファンサ」は特定の個人に向けられる仕草を指す言葉で、辺り一帯のファンに向けたお手振りなどは「空気ファンサ」「エアファンサ」などと呼ばれ、ありがたみが一段どころか十段くらい落ちたものとされている。)
ジャニーズのコンサートと言ってもベテランから若手まで色々だけれど、このファンサ文化は色濃いものらしく、どのグループにも必ずと言っていいほどファンサをするための時間がセットリストに組み込まれている。
それは大体アイドルがトロッコに乗って会場のファンの座席近くを移動する曲のときで、トロッコに乗ったアイドルは目の前を流れるファンに、手を振ったり、指差したり、投げキスしたりする。
ツアー名に自分たちのグループ名を冠したデビュー組は、会場全部のファンを楽しませなくてはいけない(という建前)に対し、先輩グループの後ろで踊るジャニーズJr.は、自分のファンを増やすきっかけの一つとして積極的にファンサを行う。
…と言うのが、本題に入る前の「ファンサ」のざっくりとした説明。
本題は、「アイドルにファンサを求めるファンを心底バカにしていた自分がファンサを求めるようになってしまう」までの心境の変化だ。
これまで私は、コンサートにファンサを求めるファン(いわゆる「ファンサ厨」)に対して、
構ってもらえれば誰でも良くて大してそのアイドルのこと好きじゃないんだろ、
他のJr.に手厚いファンサもらったらさっさとファン鞍替えするんだろ、
薄情なやつらめ、と思ってバカにしていた。
コンサートでファンサを第一に求めるなんて彼らのパフォーマンスの足引っ張ってるようなものじゃないか、なんて憎々しくも思っていた。
自分は、ファンサなんてもらえなくても良い、ステージで精一杯ダンスしてるアイドルを見ているだけで充分幸せだし、誰かにファンサ貰ったからってサクッとファン止めるとか絶対ない。自分こそが"正しい"ファンだと思っていた。
だから、私はコンサートでもアイドルの名前が書いてある団扇は持つけど、「○○して」という要望を書いた「ファンサ団扇」的なものは持たなかった。
そんな私が変わったのは今年の春。
好きなアイドル、ジャニヲタ的に言うと自分の担当するアイドル=自担、が出演するコンサートツアーが始まった。
今まではチケットが当たった席でコンサートを観ていたけれど、せっかくのコンサートツアーなんだから自担がよく見える席に座りたい!と決意を新たにして、ここぞと思う場所を選んでチケットを手に入れるようになった。(チケットを定価以上で買っている時点で一般社会を生きる人間として一線堕ちたとも言える。)
自担がよく見える席とは、すなわち自担の視界に入ることのできる席でもあるので、だいたい公演の度に自担が私の団扇を見つけると、「あ、気づいてくれてる」と私が実感することのできる反応が貰えた。もちろん、それは私個人を認識しているわけではなくて、自分の名前団扇を持ったファンがいるな、という反応だけれども。
でもこれまでのコンサートでは、自担に気づいてもらうなんて発想はまったく無かったから、「こっち見てる!!!」って実感する衝撃はとても大きかった。
ファンサが手厚いアイドルはお手振り指差し投げキスに留まらず、エアハグとかエア壁ドンとかファンと2人で指でハート作ったりとかetc、もはやファンサ自体も一つの見せ場であるかのように張り切って色々見せてくれるので、そういうのに慣れている人から見れば私が喜んだ自担のファンサなんてファンサとも言えない仕草かもしれないけれど、でも喩えようのない嬉しさだった。
それは華やかなステージ上のパフォーマンスと同等か、それ以上の興奮で。
全国に何万人いるか分からないファンの一人でしかない私だけど、自担に私が応援しているということを知ってもらえる嬉しさ、あなたのファンがここにいると分かってもらえる喜びは、自己満足だけど抜け出せない快感で。
そのおかげで、今春のコンサートツアーの概要はほとんど覚えていない。
いつ自担が私の方を見てくれるか分からないから自担の視線から目を離せない。○○くんがバク転したというレポートを読んでも、そのバク転が会場の視線を集めている内にもしかしたら自担はこっち見てるかもしれないなんて思ったらよそ見なんてできない。豪華なステージセットも、今話題のJr.の活躍も、迫力ある大人数でのダンスも、全部観れてない。自担の視線しか追ってない。
これは"正しいファン"と言えるのか?と疑問が浮かぶようになった頃。
自担に干された。
「干され」とは、わざと自担にファンサしてもらえなかったの意で、私のように自担が私個人を認識していない状況ではわざとも何もないので、厳密に言えば「干され」と言うより、きっとただ単に気づいてもらえなかっただけなのだが、福岡も横浜もほぼ同じ席入って反応くれていたことを踏まえるとショックだった。
そして、自担に反応貰えたかどうかがコンサートの満足度に影響するようになったことを自覚した。
ただ平穏にパフォーマンスを観て自担のかっこよさに感動していた今までの自分とは違ってしまっていた。
もう"正しいファン"ではなくなっていた。
自担も、コンサートに出演している皆も、一回一回の公演に全力で臨んでる。
その努力と熱意のステージを目の当たりにしてもなお、自担が私に気づいてくれなかっただけで、そのコンサートは色褪せてしまう。
自担の気まぐれとサービスである「ファンサ」を何よりも望んでしまう。
これは、自分が何より馬鹿にしていた「ファンサ厨」ではないのか。
「○○して」というファンサ団扇を持たないことで自分はファンサばかり求めるファンとは違うと自負していたが、心の中では誰よりも「自担こっち見て!気づいて!何かファンサして!」と念じて会場に突っ立っている自分は立派な「ファンサ厨」ではないのか。
「アイドルがグループとしてどんなステージを魅せてくれるのか」よりも「自担が私にどんな反応をくれるのか」なんていう些細でちっぽけなことが自分の中で重要になっていく。
アイドルヲタクなんて、アイドルの夢に乗っかってばかりの自己満足でしかないけど、それにしても自己満足、自己完結過ぎる。私のファンサ欲を満たした所で自担の道はどこにも繋がらない。自担の道はファンサとは別の場所にあるべきだ。でも、私はファンサが欲しい…。
というファンサ沼に腰まで浸かったところで、ファンサに溺れて初めて気づいた悩みの種がもう一つ。
コンサートツアーで今まで反応を貰えてたのに初めて干されたことで、「応援すれば自担は喜んでくれる」という今まで信じてきたことが揺らいでしまった。もしかしたら、毎公演の様に視界にねじ込まれる私の団扇は自担にとって気持ち悪いものではないのか。自信を持って作り上げるコンサートは一人でも多くのファンに観てもらいたいのに、なんで同じ奴ばっかなんだよ!って憤っていないとも限らない…そう思うと、足がすくんだ。
もし次の公演でまた反応もらえれば「毎回同じような反応を求めるのは贅沢だし、スルーされる時もあるよね」と前向きに思えるけど、次も干されたら、「やっぱり私の応援は必要とされてないんだ!」って気持ちがメキメキ大きくなって、これまで通りに自担を応援できなくなってしまう。
コンサートで披露されるパフォーマンスも、自担の視線という局所的にしか楽しめなくなってしまうと同時に、自担に干されたら即ち自担は私の応援なんて必要としていないんだぁぁぁわぁぁぁん的な袋小路に突っ走ってしまう私は、きっとファンサなんて知らなかった頃より地雷が多いし、コンサートを楽しめてない。"正しいファン"が聞いて呆れる。
たった半年前までは、ファンサ厨は自分の幸せしか考えてないからファンとしての質が低い、くらい思って見下していたのに、自分がファンサを貰ったらその魅力にあっさり堕ちた。
そんな自分をとても情けなく思うし、この先ファンサを貰えなければすぐ「自担にウザがられてるかも...」と疑心暗鬼になってしまうし、何より自担に気づいてもらえる席を買い続けるお金のことを考えると頭が痛い。ファンサ厨なんて自縄自縛の沼だ。
でも、もう戻れない。自分がいることを担当が気づかない席でコンサートなんか観たくない。
時間は不可逆で、自分がいることを気づいてもらえた瞬間の興奮を味わってしまったら、その瞬間が無いコンサートなんて気の抜けた炭酸だ。
こうしてファンサ厨が一人できあがりました。
博士後期課程1年目。
修士の段階で、研究してる分野で1.5流くらいの雑誌に論文を出した。研究室の学生史上、最高のインパクトファクターを記録した。今は2本目、3本目の論文も投稿に向けて準備中だ。
一応、国内でトップと言われる大学にいるけれど、博士号の取得に必要な要件は、「国際誌に投稿論文を最低1本」だ。だから、僕はもう学位の要件を満たしている。一方で、周りをみると、D3,D4にもなって、論文がなくて卒業できない学生がたくさんいる。でも彼ら・彼女らは、「いつまでも研究室に居られても面倒見きれない」という理由で、結局は、国内の学会が出す「一応国際誌」にお情けで何とか1本ねじ込んでもらい、博士号を取得するのだろう。
そうして彼ら自身が、また世間が彼らのことを指して、「ポスドク問題」だのなんだのと騒ぐ。プロの世界はどこだって有期雇用の実力主義なんだから当然だ。ビジネスの世界だってそうだろう。問題の本質は、全員を研究者にしようとして、有期雇用のくせに中途半端な給料しか払えないことだ。ビジネスの世界のプロと違うのは、ここだ。本当に世界のトップを目指す、少数精鋭の研究者だけを残し、有期雇用でいいから、高給で雇うべきだ。研究者は互いに高給のポジションを奪い合い、研究所は優秀な研究者を高給で引き抜き合う構造をつくるのだ。
だから、お情けの博士には、これ以上情けをかける必要はない。彼らに世界のトップを目指す自覚なんてない。絶対に研究者になれないんだから、彼らはテクニシャンや事務方として安定的身分で雇ってやればいいのだ。それは決して「敗北」ではない。プロの研究者が世界のトップで戦うのを、裏でサポートする、立派な仕事だ。そういうキャリアを、もっと一般化させてほしい。頼むから、世界のトップを目指す研究者の邪魔をしないで欲しい。
博士号は「とらないと気持ち悪いけどとっても食えない」、だから足の裏の飯粒と一緒だ、とよく言う。僕にとっては、「とっても何も変わらないのに、とらないと許してもらえない」から社畜の有給と一緒だとでも言おうか。ああ、はやく独立した研究者として活躍したい。自分のアイデアで研究費をどんどんとって、周りの研究者とどんどんコラボして、「あいつらマジやべぇ」ってなって、世界を驚かせ、人類を前進させる発見をしたい。なんであと3年も授業料払って、学生をやらなければならないんだ。いや、2年でとってやる。
件の子連れ出勤のブログを見たんだけども、なんだかすごく悲しくなって泣いてしまった。
http://r-blogs.jp/author/r-asai/1322/
http://matome.naver.jp/m/odai/2143450306049098801
なんかおかしいよ。
自信もってやってることをTVで取り上げてくれるって言うから取材OKしたのに、実際に放映されたら批判の的になるような編集をされていたと。
しかも、この番組をそのまま真に受けちゃった人は、この会社さんや子連れ出勤に悪いイメージを持つわけで。
わざわざ時間割いて取材に協力したのに、全国的に悪いイメージ植え付けられるってどういうことなの?犯罪してるんじゃないんだよ?
社長さんのブログを見る限り、めっちゃ真っ当な考え方してるし、働きたい人になんとかして働いてもらおうと頑張ってるのに、
なんだこの仕打ちは。
この試みがもっと広まればいいのにと思ったから取材に協力したんじゃないのか。
バリバリ働いてる人としては、子供がいる環境で働けるわけがないと思うかもしれない。それはその通りで、もちろん全ての職場で導入できるわけじゃない。
でも、こういうシステムを導入してくれたらな、もっと働けるのにな、もっと子供と一緒にいられるのにな、って思ってるお父さんお母さんいっぱいいるよ。
それを、批判的な番組構成で放送されたら、そうだよねー普通そう思うよねー無理かーってTVの前にいる人は思ってしまうじゃない。もしかしたら導入する余地があるような会社でも、そういう声が上がらなくなってしまう。
希望を摘み取るのは一番してはならないことだと思う。
共働きしなきゃいけない家庭にもうれしいし、待機児童も少なくなるし、少子化問題にダイレクトアタックしてるよ。
すごいよ、この社長さん。
普通導入できないよ。どう考えたって業務の効率が下がるのは目に見えてるし、うるさいの嫌いな人もいる。
子供連れてくる人も、子供いない人にも受け入れられる会社を作ってしまったんでしょ。
すごいと思う。
何でこんなすごい人評価しないの。
テレビを作ってる人たちは、
問題を解決しようとしてる人たちに対してもとりあえず騒いで、
なんとかテレビを生き長らえさせようとしているように見えた。
我々は、素材ではないのです。
切り貼りして、あなたたちのいいように番組を作ってもらうために
日々を頑張っているわけではないのですよ。
取材を受けるときも、どんな内容で放送するのか、ある程度聞いてみて、明文化して後から糾弾できるようにした方がいいんじゃないかと思った。
頑張っていることを、批判的な目線でお茶の間にお伝えされるんだよ。ばかみたいじゃない。
誰も幸せにならない。
はやくテレビが廃れて、
思惑の少ないメディアができるといいのにな。
情報と、そこに関わる思惑は、別々に配信してほしい。
放送局は力を持ちすぎだと思う。
(ですので、小倉さんの番組は見てません。事実と違ってたらごめんなさい。)
個人的には、子連れ出勤より自宅作業可の方が明らかによいと思うので、そちらを検討する企業ももっと増えればいいなと思っています。
私には父方に伯母と叔母がいる。
母方には伯母がいたが、もうなくなってしまった。
今回出身地に父方の祖母に会いに帰ると、
祖母と一緒に暮らしている叔母はもちろん、最近二人目の孫が生まれた伯母もいた。
私はこの二人がどうも苦手だ。
なにか人生に必要な格言を残したりとか言うパワフルな人格ではないが、
出すぎたところもなく素直な性格をしていると思う。
母と祖母の確執なんていうものは見たことが無かった。特段仲がいいというわけではないが、嫁姑としては最高レベルの関係性だ。
ただこの祖母の娘二人はとんでもない。
まず伯母は、私の父とは若干年が離れている。
彼女は長男である父親に愛情を取られたというコンプレックスがあるようだが、自分も結婚し、娘二人を生んでいる。
思い通りにならないと気がすまない点と、壊滅的な要領の悪さだ。
まず思い通りにならないと気がすまない、というのは、若干彼女のコンプレックスに関係がある。
自分が一番に愛されるべきであると思っているので(驚くべきことに、彼女より30歳ほど若く、遠く東京からわざわざ里帰りしている私がいるにも関わらずだ)
すべて彼女の予定に合わせようとする。
もう老齢で脚の弱い祖母が歩くのしんどくなっても、彼女には関係がない。
祖母に手を貸すこともせず(それは小間使いの私の仕事なのだ)、彼女自身のスケジュールが押している、とわめくのだ。
私にはクソほどの興味も感じられない行事のために、私は連れまわされ、蚊に刺され、荷物もちをさせられるのだ。
そして彼女は行事に参加しているお友達への差し入れを渡せなかったからということで「お土産に」と私に下げ渡すのだ。
失礼ではあるが、祖母を立ててお礼を言って受け取ったが、そこからそのお土産に関する自慢話を聞かされたのは本当にうんざりした。
二点目の要領の悪さ、というのは一点目を読んでいただければわかると思うが、まず計画性が無いところに端を発する。
一日に何を終わらせ、どういう段取りでやるか、という方向性がなく、ひたすら自分のやりたいことを優先させてしまう。
やりたいこと自体も要領よくできるわけではないから、どんどん計画が後ろ倒しになってゆく。
結果やりたかったこともやらなければならなかったことも明日へ先送りになる。
そういう人なので、こちらの都合などは完全に後回しにされてしまう。
ただ、彼女の面倒くささは巧妙に隠されていた。ほかならぬ父の手によってである。
彼女は一家の末っ子であり、常に甘やかされて育ったのであろう。
50をとうに過ぎているにも関わらず、同僚の子供(小学生)をからかって遊び、それを嬉々として報告してくるような人格をしている。
そしてなんと驚きのバツ2.5である。0.5は内縁関係だった分だ。
にも関わらず私に速く結婚しろ、女は男がいてナンボ、男に愛されてこそ幸福、という人生観を押し付けてくる。
父によって彼女の面倒くささが隠されていたのは、父も彼女と同じような性格をしているからだ。
ただ、最後の0.5の男がとんでもない異常者であり、寝ている父に馬乗りになって殴りかかってきたというすごい出来事で(父は撃退に成功して、警察沙汰になった)
父の目が半分開き、彼女が異常だということに気がついたことから、自分自身もおかしいのではないかと思い始めた。
確かに父も異常な部分があるが、それ以来私がいやだといったらちゃんとやめるようになった。
そんな男とはもちろん付き合いたくないし、そんな男でも好かれていたほうがいいというのは私は間違いだと思う。
今回帰省したときに、祖母がなにか食べたいものはあるかと聞いたので、お刺身が食べたいと答えた。
ただそれは叔母によって却下されてしまった。その前日、祖母が私のために買っておいてくれたお刺身を食べたからだった。
家にあるもので食べよう、と私がフォローしてその場は収まった。
「ほら、こんなおいしいものを食べさせてもらって!贅沢娘!本当にわがままな子なんだから、もう!」
と満足そうに言うのだ。
そしてこの叔母のもっとも厄介なところは、みんなに愛されている幻想を抱いているところにある。
散々私に嫌なことをいい、力でねじ伏せて、いじめてきたにも関わらず、私にも好かれていると思っている。
ばかだなぁ。祖母のことが好きで祖母を立てているからいい顔しているだけにきまっているのに。
老い先短い祖母に、これ以上叔母のことで悲しんでほしくないだけだ。
結局、身内のところに里帰りしたのにどっと疲れてしまった。
私は祖母を介護するのはかまわないが、50過ぎのおばさん二人の介護までしたのだ。
疲れて当然である。
帰りがけ、祖母は私にお小遣いをくれた。一万円だ。
過去には中学入試を受け、有名中学と呼ばれる学校に通っていた。大学もそこそこ”いい大学”と言われるところだった。
その理由について考えてみた。
①過去の成功体験にとらわれすぎて自分の能力を過信し、高望みしすぎたこと。
過去の成功体験や褒められた経験というものは恐ろしいもので、大げさに言えば
「自分は他の人とは違う、望んだ物が全て手に入る」
と思い込んでしまった面がある。
②自分の能力を過信し、高望みしたにもかかわらず、それに見合う努力を怠っていたこと。
人間だれしも努力をしたくないものであるが、私は手を抜くことが上手くなってしまっていた。
さらには、努力をしたように取り繕うことが上手くなってしまっていた。
私はいつの間にか、顔色一つ変えずに嘘をつくことができる人間になっていた。嘘をつくことがとてもうまくなってしまったのである。
私はいつからか、努力をして、努力をしているところを周りに見せて成功するよりも、努力をせずに成功することの方がかっこいいという謎の意識に捕らわれてしまった。
天才と呼ばれる人は陰で普通の人の何倍もの努力をしているという話があるが、もっともであると思う。
④努力をしている、本当の「意識の高い人」から距離を置くようになってしまったこと。
私は、高校卒業後にアルバイト等で出会った、夢を追いかけているいわゆる夢追い人や自分とは異なる環境の人と交友関係を持っていた。
その当時から最近までは、そのことを「自分の世界を広げること」として肯定していた。
一方で、頭のいい人や意識が高く将来についてコツコツと努力している人とは距離を置いてしまっていた。
また、自分と同じ夢を追いかける人であっても、あまりうまくいっていない人と深い関係を築いていた。
その人たちはいずれもとてもすばらしい人たちであり、仲良くなることができてよかったと思える方々である。
今思えば、そのような交友関係を築くことで私は、自分の存在について安心感を得たかったのであろう。
自分と同じレベルにいる人たちは自分を脅かさない。傷つけば慰め合える。
自分より上のレベルにいる人たちと関係すると、自分とその人たちを比較することで劣等感が沸き起こり、あるいは非難されたりする。それがこわい。
しかし、自分を成長させるためには自分より上のレベルにいる人たちと交流し、緊張感を持ちつつ自分を引き上げて行くことが必要なのであろう。
自分の生き方はどこでこのようにねじまがったものとなってしまったのだろうか。
20代も折り返し地点。
思ったことを走り書きしてみた。
呼んだ?呼ばれた気がしてここに降臨
古来、ケツの穴の小ささは心の狭さ、器の大きさに比例するという
大腸がん検査、それは「便潜血検査」、大腸がんとウンチョの細い太いには関係ない
ちなみにウンチョがのり佃煮(今、桃屋の「ごはんですよ」食べている人すまん)は胃の出血が原因だから胃潰瘍
便潜血検査は成人病検査の項目だ、つまりオッサン、40才以降毎年だったかな、必須科目だ
何をするかというと、自分のウンチョを目の前に持って来て、その表面をスティックでなぞるのだ
いつもは”こと”を済ませたら永訣のレバーをひねるだけだ
説明書にはトイレットペーパーを幾重に折って「受け止めろ」と書いてある
産まれ出る我がコを受け止めろとな
そうそうできる体験ではない
長い一本グソをすると手のひらのトイレットペーパーからはみ出るから肛門様に力を入れてねじ切る
ケツの穴の小ささは、その時にだけ役立つな
そして「我がコ」の表面をスティックでなぞるのだ
トイレットペーパー越しとはいえずっしりと感触がある我がコを目の前にする
まあ目の目に持ってこないと作業ができないが
その表面をスティックでなぞる、スティックには溝がありその溝にウンチョが均等に付着するように
便潜血検査の趣旨は、大腸をウンコが通るときに腫瘍から出ている血液が付いているかを調べることだという
テクニックはウンコの表面を撫でる、ウンコにぶっ刺してはいけない、撫でるようになぞるのだ
ここまで書けば十分だろう
嫌が応でもそのうちあなたも、朝からウンコを”こねる”日が来る
私はコネラーでは無いし、そのいわゆるスカトロジー的な思想も無い嗜好も無い
朝からウンコをこねた日は一日ブルーだ、見た目、手の感触、ひと肌のぬくもり、そして「臭い」
有休を使ってその日は休もうと思いたくなるが、理由が「ウンコこねた」では世間体が悪い
わかるな、皆まで言わすな、何も考えずに冷蔵庫に入れよう、考えるだけ苦悩が続く
もちろんフェミニズムと新自由主義という思想は非常に親和性が高く、互いが互いの考えに片足ずつ突っ込んでるという感じで切っても切り離せないのは周知の事実ではある。
しかし、決定的に相容れない部分があるのもまた事実。新自由主義というのを単純化して少々乱暴にいえば弱肉強食の理論なわけで、性差別の撤廃や男女同権をかかげるフェミニズムとは目指すべき世界観が理想郷が根本で違っている。
新自由主義者たちが推し進めた既得権益の打破、抜本的改革、岩盤規制の破壊、構造改革、民営化、規制緩和、国家戦略特区、道州制、小泉フィーバー、自民党をぶっ壊す、これらの政策にフェミニズムは利用された。女性の社会進出、男性社会の破壊。確かにフェミニストの掲げる目標の一部分は達成したのかもしれない。
みんなで貧乏になれば平等という話だ。世の中のイケメンを全員抹殺すれば相対的に顔面偏差値が上がってハーレムなのにと、妄言を吐くもてない男の与太話と大差ないが、それがまかり通るのが平成である。
あの竹中先生もおっしゃっていた。日本の最大の既得権益は正規労働者だと。彼ら正社員は非正規から搾取している悪人だと、だから全員非正規にすればみんなハッピーで世の中うまくいくとかなんとか。
真の狙いは不明だが、もしかしたら1%の金持ちに批判がいかないように正社員と非正規の対立を煽っているのかもしれない? もしそうだとしたらとんでもない策士であり。陰謀である。パソナの陰謀でしかない。
そんな巨悪があるかないか知ったことではないが、俺としては日本中の俺より幸せな人間が不幸になることを止める理由がないので、構造改革も規制緩和もどんどんすすめてくれてかまわない。みんなで不幸になろう。この日本という泥舟にのって、夜の国道を無灯火で爆走し、赤信号をわたりまくるのだ。
しかし、弱者男性とか言うゾンビよりも厄介で醜い死んでるのか生きてるのかわからない、燃えるゴミと燃えないゴミの間に生まれたような人間たちがフェミニスト連中を攻撃しているのは喜劇としかいえない。
たしかにフェミニストと聞くと三角めがねをかけて語尾がざますで田島なんたらみたいなのを想像しまいがちではあり、あのような人間なら傷口に塩を練りこんで、永眠する呪いのをかけたくなる気持ちが理解できなくもない。
が、それは罠だ。だれが仕掛けたかはしらん。しかし間違いなく弱者男性とフェミニストが対立しているのを見て爆笑しているやつがいる。弱者を生み出した黒幕が囁いているのだ。女を叩けと公務員を叩けと正社員を叩けと若者を年寄りを、地方を叩けと。
そんな黒幕が本当にいるのかは知らん。しかし弱者を生み出したのはフェミニズムなんていう軟弱で被害者面した奴らの思想ではない。弱者を追い詰めるのはいつだって強者の理論に決まっている。
そもそもこの新自由主義的政策を行ってきた政党が保守政党を名乗る自民党だということを考えてくれ。
ネオリベは保守と手を組みフェミニズムとも手を組み、巧みに姿かたちを変え、鵺のような立ち振る舞いであらゆる人間あらゆるす思想を取り込み吸収していく、よく乾いたスポンジのように。どんな考えを取り入れても新自由主義は歪まない、曲がらない、へこまない。矛盾を起こさない。きっちり辻褄を合わせてみせる、合わせたように振舞える。どんな角度から批判されても、するりとかわしてみせる、それはしなやかな柳をを連想させる。柔軟である。どんな相容れない存在も許容し、あるいはこちら側の色に染めるのだ。
そんな詐欺師のような理論は世界中であらゆる政治的な場面で大活躍だ。八面六臂とはこのことか。
まさに最強の理論。弱肉強食の理論こそが、この複雑な世界をもっともシンプルで、なんの矛盾も間違いもなく見渡せるのだ。誰だって弱肉強食を否定できない。
多面的なあらゆる関係性のなかに生きている俺らが一番最初に気づく真理がこれだ。
これに一枚かまない理由はない。俺もこの理不尽なゼロサムゲームに勝ちのころるために、弱者どもを言葉巧みに操り、被害者のふりをしながら一人ひとり地獄へ突き落としてやろう、そうしよう。
強者に媚びへつらい寄生し弱者からは搾取する。現実をとことんネガティブに捉えれば所詮こんなもんなのだ。開き直って詐欺師にでもなったほうが美味しい飯を食いながら人の不幸でおかわり三杯はいけるだろう。
右翼も左翼も利用して、男と女を対立させ、若者と年寄りを対立させ、日本人と外国人を対立させ、不毛な殴り合いを遥か高みから見下ろすのだ。膝に猫を抱えながら。
そしてどの勢力にも関わり、裏から扇動し、洗脳する。しかしどいつも俺らを批判できない。なぜならどいつもこいつも新自由主義に片足、いや両足つっこんでいるのだから。
フェミニストと新自由主義者が目指す理想郷はまったくの別世界であるが、これからもフェミニズムは利用され。新自由主義のピエロ、もしくはパンダとして消費されるだろう。
安部首相のいう女性の活用とかいう政策はまさにフェミニストと新自由主義者のねじれが引き起こした暗黒面だ。女も男も幸せにならないのだろう。いい気味である。
早稲田の学生はなぜ「二流」なのか?慶應に勝てないその理由
こちら(http://toianna.blog.fc2.com/blog-entry-46.html)で、慶應AO入試の素晴らしさを解いていた慶應卒有名ブロガーが
突然「早稲田が『二流』であり、慶應に勝てない」理由を語り始めた。
ここまででも突っ込みどころ満載だが、
次に「学問分野の貢献」で考えてみよう。世界大学ランキングがの一つを見ると、慶應は197位、早稲田は220位。どちらも奮わないが、世界ランクでも早稲田が劣勢に置かれていることが判る。
と、きわめて恣意的な抜き出しを行っている所にも着目して欲しい。
(THE2014-2015 http://hot-topic-news.com/world-university-rankings2014)
QS2015 ランクイン科目数順位
2位(29科目):京都大学
5位(19科目):東北大学
7位(16科目):九州大学
となっているにも関わらず、あえてQS2014-2015を取り上げて
一科目入試のSFCに、あたかも「三科目全部の偏差値を40伸ばして」合格させたような内容を書いて有名になった "ビリギャル" がネットで叩かれたことは記憶に新しいが、
呼んだ?呼ばれた気がしてここに降臨
そんなに見たいの?そんなこと言ってるようじゃ、まだまだ若いね、若気の至りだね
イヤでもマジマジと見なければならない日が来るから、それが和式でも洋式でも
成人病検査の項目だ、つまりオッサン、40才以降毎年だったかな、必須科目だ
何をするかというと、自分のウンチョを目の前に持って来て、その表面をスティックでなぞるのだ
いつもはあなたが言う通り済ませたら永訣のレバーをひねるだけだ
説明書にはトイレットペーパーを幾重に折って「受け止めろ」と書いてある
産まれ出る我がコを受け止めろとな
そうそうできる体験ではない
長い一本グソをすると手のひらのトイレットペーパーからはみ出るから肛門様に力を入れてねじ切る
そして「我がコ」の表面をスティックでなぞるのだ
トイレットペーパー越しとはいえずっしりと感触がある我がコを目の前にする
まあ目の目に持ってこないと作業ができないが
その表面をスティックでなぞる、スティックには溝がありその溝にウンチョが均等に付着するように
便潜血検査の趣旨は、大腸をウンコが通るときに腫瘍から出ている血液が付いているかを調べることだという
テクニックはウンコの表面を撫でる、ウンコにぶっ刺してはいけない、撫でるようになぞるのだ
ここまで書けば十分だろう
嫌が応でもそのうちあなたも、朝からウンコを”こねる”日が来る
私はコネラーでは無いし、そのいわゆるスカトロジー的な思想も無い嗜好も無い
朝からウンコをこねた日は一日ブルーだ、見た目、手の感触、ひと肌のぬくもり、そして「臭い」
有休を使ってその日は休もうと思いたくなるが、理由が「ウンコこねた」では世間体が悪い
わかるな、皆まで言わすな、何も考えずに冷蔵庫に入れよう、考えるだけ苦悩が続く
「私のもっと大事な用事」がいくらだったのか説明していないのがおっさん。
まじ金で解決するとおもってる女性はなんでも「けっきょくそれいくらなの?」ときく。
自分の用事はプライスレスで相手の用事は金で解決できると考えるのはおっさん。
「だって、おかあさんわたしの用事がいくらか聞かないんだもん」
「わたしの週末の予定はだいたい10万くらいでキャンセルするのにそれもだせないなんて」
からの、が模範解答。
相手はお金でねじ伏せることができるのに自分はお金で売れない、という不条理で理不尽で非合理な思考はおっさん。
女は金で解決するといったらちゃんと相手も自分も解決する。
金で解決する女なめんな。
とりあえず本が増えたので、収納することを考えた。
いろいろと本棚を検討してみた結果、作ってみることにした顛末記。
名品であった。幅80cm高さ180cm奥行き23cmの本棚軽く組み立てやすい。いろも白に近いグレーでよかった。残念ながら廃番。値段も8000円ほどだった。事務所家具を扱うホームセンターに売っていた。これが売っていれば、これを増備していた。
別のメーカーのホームシェルフと同じような本棚。あまり売っていない。値段も同じくらい。
ドウシシャのルミナスが入手しやすい。少し高いのと側面がないため、本を立てるための入れ物が必要。
1000円くらいから買える。本の重さに耐えられない。
・組み立て家具
ホームセンターでよく売っている。本を満載すると棚板がたわんでくる。
木工を楽しむことができる。とても丈夫なものができる。この2点が主なメリットになる。値段的には、工具や補助器具を考えると割高になるかもしれない。
図工が成績が4以上は必須。家具作りなので、直角を出す、寸法を正確にすることを守らないとごみしかできない。
時間がかかる。近隣に工作室があるホームセンターが必須。180cmの板が運べる車もあるとベター。
日本の家屋に使われている材料の寸法は91cmと182cmが基準になっている。
廊下の幅は、87cmくらいで、ドアの高さは、176cmくらいだ。
大工さんのセンスによって誤差はあるのだろうけど、元の材料がその寸法で流通しているので、効率よく部材を取るとこの基準に従わないと無駄が多くなる。
資材館のあるホームセンターで売っている材料も同じ寸法なのだが、欲張った設計にすると家の中を移動したり、引越しの際に運び出したりするときに困ることになる。
この家という入れ物の寸法と完成品の可搬性と材料を有効に使うことを考えた場合の棚の寸法は以下のようになった。
幅60cm
奥行き30cm
高さ170cm
この寸法であれば、ほとんどのドアや引き戸を通り抜けることができる。廊下を移動するにも困らない。
お金をかければ、より良い材料が手に入るのは間違いないが、高級な無垢材を使うのは見栄でしかないので、強度と価格面からお買い得な材料を選定した。
・針葉樹合板24mm 1820mmx910mm 参考価格2300円
この針葉樹合板は、あの日曜日の匠が出てくるリフォーム番組でよく出てくる材料の一つだ。
この板で棚を作りつけにして建物全体を補強という使い方を何度か見た。
お金があるならば、シナランバーコア材やパイン集成材を使えばより見栄えのよいものになる。
【木取り図1】(2枚) 1700 +-------------------------------------------------------------+ | | | 295 | | | +-------------------------------------------------------------+ | | | 295 | | | +-------------------------------------------------------------+ | | | | | 295 | | | | | +-------------------+-------------------+-------------------+-+ +-------------------+-------------------+-------------------+-+ 600 600 600 【木取り図2】(1枚) +-------------------+-------------------+-------------------+-+ | | | | | 295 | | | | | +-------------------+-------------------+-------------------+-+ | | | | | 295 | | | | | +-------------------+-------------------+-------------------+-+ | | | | | 295 | | | | | +-------------------+-------------------+-------------------+-+ +-------------------+-------------------+-------------------+-+ 600 600 600
この木取り図で作ると上で示した寸法よりも板の厚さの4.8cm分、横幅が広くなる。完全に棚の幅を60cmにおさめたい人は、60から4.8cmを引いた552mmに仕上げてもらえばよい。
この微妙な寸法は、最終的には置く場所次第で調整ができるのが、自作のよいところだ。
ホームセンターの工作室のカットサービスで、切ってもらおう。間違っても自分で切ってはいけない。棚板の幅を正確にすることが成功への鍵の一つとなる。
このホームセンターの「のこしろ」(のこぎりの刃の幅)は3mm。1mm以下の精度は保証できないとのことであった。自分で切るよりははるかに正確な材料ができるのは間違いない。
のこしろがあるので、「300」ではなく「295」にしてある。
棚板は15枚取れるので、2本の棚に載せるものにあわせてアレンジしよう。
いろいろなものの寸法を測った結果、40cm、31cm、25cm、20cmの組み合わせで適宜決めていく。板の厚さを計算に入れる必要があるので、表計算ソフトで数値を変えながら高さ170cmに収まるようにシミュレーションすると楽に設計ができた。
針葉樹合板が3枚(2300円x3=6900円)とカット代が約600円の合計7500円で、棚が2つできる。
木ネジ代が500円くらいかかるので、1本につき4000円の材料費になる。
4000円で買える同サイズの棚をホームセンターの家具売り場で確認していただければ、この針葉樹合板棚の比類なき実用性を実感していただけるのは間違いない。
電動ドリル これも家にあったのを使用。マキタ製。3mmのドリルを主に使った。3mmのドリルに取り付けて、9mmの穴も同時に開けられるアタッチメント(皿錐)も使った。
4つ目錐(キリ) ドリルで開ける穴の位置をキリを使って少し開けておく。
ドライバー コーススレッドをまわす。電動があれば楽ちん。激しく電動推奨。
コーナークランプ 板を直角に固定するクランプ。1個1600円。2個買ってきた。これは組み立てようとしたときにあまりの難易度の高さに組み立て方を調べて、コレを買うに至った。これがなければ、組み立て時の精度がまったくでなかったといっても過言ではない。
木ネジ
コーススレッドは、ありあわせの58mm太さ3.5mmを使用。家に余っていた。
パワーグリップ
軍手というか作業用の手袋。TOKIOのメンバーがDASH島での活動時に着用しているアレ。最近の商品は握力が1.3倍くらいなったかのような魔法にかかる。さらにトゲ対策になる。
定規を使って地味に行った。
工作用紙に穴の位置を書いた当てを作って、それを使ってケガいたほうがいいかもしれない。
キリを使って、穴の位置に軽く穴を開ける。少しへこませておくと、ドリルがぶれない。
キリでつけた目印に垂直にドリルで穴を開ける。穴を開ける場所の下には不要な板を置いておくと貫通したときに板が割れない。
ネジの頭が少し出ないようにするためには、ドリルの項に書いた皿錐で穴を2段構造にする。
上の棚板から順に組み立てていく。60cmくらいのダンボール箱を台にする。ここでコーナークランプの出番となる。しっかりと正確に板と板をつき合わせ、コーナークランプで固定する。
板の奥行きに誤差があったときは、見えない後ろのほうに誤差分を追いやって、正面の見栄えをよくしておくとよい。
棚板には穴が開いていないので、ドリルで側板の穴からさらに深く穴を開ける。穴を開け終わったら、木ネジをねじ込んで固定完了となる。
木ネジを家を作るときに使うドリル刃加工したものにするとさらに強度が上がるのと、棚板への穴あけ作業を省略できる。
電動ドリルを使って、クラッチがすべるまで締め上げるととても強度を上がる。
さらなる強度を求める場合は、木工用ボンドを塗るとより強度が増す。今回の設計では、やらなくても十分な強度が出る。
2枚目以降の板は、あて木を使って間隔を出していくとより精度が出る。
あて木もホームセンターで、適当な端材を切ってもらって作っておくといい。
ピッタリと間隔をだしたら、あて木ごとクランプで挟んで、固定する。
あて木を作っていない場合は、地道に定規で測る。
1枚目と同じ要領で、棚板に穴を開け、ネジを固定していく。
片側が終わったら、ひっくり返して反対側も同じ要領で組み立てていく。あて木とコーナークランプが組み立て精度上、とても重要な役割を果たしていく。
以上で、基本組み立ては完了となる。
12mmの合板にすると板の種類も選べるし、板1枚あたり1000円以下で手に入る。
そのときの率直な感想は、24mmにしておけばよかっただった。12mmでは、12mmの厚さを3等分した真ん中に60mmの長さの木ネジを正確にぶち込む必要がある。これはとても難しい。
重量による安定感が不足するので、重たいものが置けなくなる欠点がある。背面をラワンベニヤで補強すればいいのだが、棚の軽さを補うことはできないので、使い方が制限されてしまう。
結局組み立て時の簡単さと完成後の実用性と価格を考慮して針葉樹合板24mmを選択した。
本もOK、中身の入ったペットボトルを並べてもびくもしない質実剛健。それが今回のコンセプト。
さらに凝りたい人は、板に高級な材料を使ったり、木口テープを貼ったり、ニスやペンキで仕上げてみたり、ネジ穴をダボ埋めしてみたり、エイジングをしてみたり、耐震対策で壁に固定してみたりしてください。
通常の実用上は、無塗装でOKです。
ということで、気になった方はぜひ作ってみてくださいね。
健闘を祈ります。
製造業に携わっている方ならご存知かと思いますが「ISO9000」、また同じくサービス業にも適応される「ISO14000」
その国際規格を順守している中で「物」が無くなることはあり得ないし、「物」が無くなる組織自体が有り得ない
言った言わない、ボランティアでやっているなど言い訳は国際規格には通用しません
そして規格というのは目標では無くて、できて当たり前のことです
今では古典となった「ひやり・ハッと」がようやく医療分野で導入されるようになったとニュースで見たのは10年くらい前だろうか
人の命に関わる業界で何ら規格、標準が無いことに愕然とし、旧態依然であることに呆れました
補記)医療機器メーカーは順守しているでしょう、ねじ1個から。また、わけの分からない物があることも有り得ない。とんちではない
http://anond.hatelabo.jp/20150514142737
良い所に気付いたね、偉いよ。でも実際に塗ってみた?
自宅、会社、最近は小奇麗なトイレはウォシュレットだからASSに付いた滴を拭うだけ。ASSってどこかの特殊部隊みたいだね。
そんなぬるま湯に育った我が情弱なASSは、一日1回までなら紙に耐えられるけど、2回目から憤血ものですわ。
白い便器に鮮血って、何か凄いものが出たのかと頭が混乱して朦朧とするのね。
余談だけど日本人がスポーツで勝てないには肛門の強さから違うと思うよ。
そこで考えたのね、トイレットペーパーに傷薬軟膏を塗って拭けば、ウンチョを拭いながら傷を治せるのではと。
かねがね思っていたけど紙で拭くって、ASSに付いたウンチョを全て紙に転移しないのではないかと。
紙の凹凸とASSのシワ、ヒダでもいいや、ASSの凸凹からウンチョ全てを拭き取ることができるかを
だから何回もトイレットペーパーを折っては拭くわけだ。紙も42回折るとその厚みは月に達するという
とりあえず目視確認でその作業を切り上げるのだが、それは目視だけであって、人差し指をピトっとASSに当ててその匂い嗅ぐと、ウンチョの臭い
これはどんな美人でも、やんごとなきお方もウンチョをする分には身分、人種にかかわらず人として背負った業だ
1回拭くと紙に半分移って、半分がASSに残る、トイレットペーパーを折ってASSを拭く、紙に半分移って、半分がASSに残る
そうアポロンの矢だ、永遠に前を走るアポロンに矢が当たらないように、ASSにウンチョは残る
そしてあなたは心にウソを付いてパンツを上げる、臭いものを見なかったように蓋をするように、あとはパンツ君、君に任せたと