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原文
https://lb.ua/culture/2022/03/18/509953_cancel_russia_yak_instrument.html
ヴォロディミール・シェイコはウクライナ研究所(日本の国際交流基金にあたる)の長で、ウクライナの文化外交の責任者。訳者の感想は最後に。
ロシアの侵略開始からわずか数日後、ウクライナの文化関係者および団体は、国際社会に対してロシアに対する「文化的制裁」を実行し、プーチン政権やロシア資本から直接的・間接的に支援されている人物・団体に対する協力の停止を呼びかけるアピールを出した。
ウクライナ研究所は、国内・海外のパートナー団体や専門家のネットワークの代表500人以上に対してアピールを送って拡散することを依頼し、それとは別に欧米の学術団体や大学に対しても書簡を送ってみた。この「文化的制裁」に対する公開書簡には3800人以上のジャーナリスト・人権活動家・教育関係者・文化人たちが署名していて、在外のウクライナ人たちも同様のアピールを拡散している。
ウクライナの主張に反論することはできないだろう―――ロシアによって仕掛けられた戦争は、明らかに国際法に違反しており、罪のない人々を数千人も理由なく殺害し、歴史的建造物を意図的に破壊しているのだから。この状況で侵略者と文化的に協力することは戦争犯罪を正当化することであり、ロシアによる印象操作のために新たな場所を提供することに他ならない。ウクライナ研究所は声明の中で、ロシアが数十年もの期間にわたって文化を政治的プロパガンダの手段として利用して国際的評価を高めることで、世界の注目を他国への戦争犯罪から逸らしたり、人文学において帝国と植民地のヒエラルキー体制を確立してきたことを指弾した。このロシアの行為に高名な学者、キュレーター、美術史家、財団理事、美術館、フェスティバル、フィルハーモニーたちは加担してきた。彼らは2014年以降もロシアの政府機関に進んで協力してカネの出所を無視して見なかったことにしてきたし、そんなロシアの芸術的プロジェクトを通じて広められた有害で非科学的な主張に対して反論することもなかった。その象徴的な事例が、ニューヨークのMoMA、ロンドンの王立芸術院、パリのグラン・パレで十月革命百周年の2017年に開かれた「ロシア芸術」の豪奢な展覧会だろう。ロシアから「最恵国待遇」を受けてコレクションを借り出したキュレーターたちは、ロシアがウクライナその他の国の芸術を盗み出してきたことを見なかったことにしたし、その全体主義的な芸術を無批判に美化することを止めようとしなかった。
ウクライナに爆弾が落ちた2022年2月24日、「素晴らしいヒューマニズムのロシア芸術」というメタファーはようやく消し飛んだ。それでも、文化をプーチンの政治や戦争責任と切り離して考えることができるという信じている数百万の海外の人々にとって、トルストイ、ドストエフスキー、ショスタコーヴィチあるいは「ロシア・アヴァンギャルド」は心の中で生き続けているようだ。
全世界とウクライナとの連帯は過去に類を見ないほど広がっており、世界の文化界は言葉と行動によってウクライナに大きな支援を送っている。しかし「ロシアに対するキャンセルカルチャー」に対して西側が示した反応は、ウクライナの文化外交に課題を投げかけた。
メトロポリタン歌劇場、カーネギーホール、バイエルン歌劇場などの多くの団体は、指揮者であるゲルギエフや歌手のネトレプコとの契約を打ち切って、ロシアのアーティストと協力しないことを公表した。カンヌ映画祭はロシアの代表団と政府関係者の参加を拒否した。それとは裏腹に、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスはウクライナの戦争を「人道危機」とした上、ロシアについては何も言及しないという恥さらしの声明を発表した。私たちがコンタクトを取った人々の多くは、ウクライナの難民を支援することを口約束する程度で、ロシアとの協力を停止する呼びかけには大した反応を見せなかった。思っていた通り、ポーランドとリトアニアの団体が最も毅然とした態度をとって、ドイツペンクラブは「真の敵はプーシキンではなくプーチンだ」という声明を出し、フランス人たちは沈黙した。
そして、西側の文化学術団体はウクライナとロシアの「和解」や「異文化交流」を推進する事業を始めたようだ。注目すべきは、彼らがどうやら戦争が始まって4週間でのウクライナにとっての「和解」の必要性への無関心だろう。ロシア人を「プーチン政権の犠牲者」と位置付けることで、戦争の犠牲者となっているウクライナ人と同じ「犠牲者」として等しくとして扱うような形で、ウクライナ人、ロシア人、ベラルーシ人を一緒くたにした沢山の事業が始まった。
こうして、23年もの長期にわたってプーチン政権が継続してきたことや、ウクライナでの起きている戦争や、ロシア社会の政治的受動性、あるいは市民の抵抗が失敗し敗北してきたことにに対して全てのロシア人の責任をなかったことにしたいのだろう。他にも図々しい連中はいる。フリードマンとカーンというロシアのオリガルヒによって資金提供を受けたことにより度し難い妥協的施設となったバビ・ヤールのホロコースト・メモリアル・センターの芸術監督イリヤ・フルジャノフスキーはプーチンの犯罪と戦うことを要求する書簡に署名した。これがウクライナ世論の怒りに火をつけたことは言うまでもないが、逆にブリュッセル、ワシントン、ベルリンでは歓迎されたようだ。
これは偶然そうなったわけではない。西側はウクライナとロシアの関係を完全に誤解してるし、ウクライナには独自の文化もアイデンティティもない軽視すべき存在だという考え方を持っているのだから。よって、国際社会にはロシアによる戦争が新たな植民地主義であることや、ウクライナが脱植民地を目指して何世紀にもわたって独立運動を繰り広げてきたということを理解してもらう必要がある。ロシアの帝国主義とウクライナの独立は絶対に両立しない。ウクライナは武器で遊んでいるのではなく自らの独立をかけて戦っているのである。だからこそ、軍事だけではなく文化も同様に重要な最前線なのだ。
ウクライナがロシアへのボイコットを呼びかけていることへの見下した反応や、侵略者とその犠牲者を「和解」させようとする一際魅力的な欲望は、西側が持つ植民地主義的な考え方を強く反映している。この考え方の根底にあるのはロシアが中心でウクライナが辺境であるという先入観で作られた世界観だ。これは権威あるロシアの文化は周辺の人々の生死よりも重要なことで、ロシアの言うことは聞くべきだが、周辺の人々の言うことに価値はないという考え方だろう。そのようなパラダイムの解体なくして「和解」や「対話」もあるべきではない。
ロシアとの和解は遠い遠い未来に始まる―――まずはロシアがドンバスとクリミアを含むウクライナの領土から完全に撤退し、国際法廷で戦争犯罪が裁かれ、ウクライナに賠償金を支払わなければならない。プーチン政権は打倒しなければならないし、その後に生まれる民主的な政府、市民社会、メディアはウクライナへの犯罪を認めて謝罪しなければならない。そのようなロシア社会の自己批判と深い反省があって、ようやくその時になって始まるのである。
もちろん、こんなバラ色のシナリオが待ち受けていることは分かっているが、だからといってウクライナが今日にでも妥協しなければならないということでもない。ロシアとの「和解」を急ぐことは危険なことだ。それは旧来の考え方に基づいたロシアによるウクライナの再植民地化が開始されることを意味している。要するに、ウクライナを再び文化的辺境へと押し戻し、ロシアが「スラブ」「ポスト・ソビエト」「ユーラシア」の中心であり続けるということだ。世界はロシアの帝国主義や植民地主義の知識人とさらに深く和解することを望むだろう。そうすれば、ウクライナは自分たちの意見を反映した和解のあり方を作るチャンスを失ってしまう。
「戦後のロシアをどうするか」は、ポストコロニアル研究には重い宿題となる。ロシアは脱植民地化の苦痛という歴史を経験しなかった不幸なほど時代遅れの国だが、なぜかは分からないが西側はそのことをよく理解していないらしい。この戦争はそんな西側の目を覚ます機会となるだろう。新しい視点、コミュニケーションや共存の新しい在り方を作っていく機会なのだ。それは理論だけではなく、より重要なのは法的、経済的、人道的な政策として具体化されるべきで、ウクライナはその創造者の一人とならなければいけない。
これが現在のウクライナの文化外交が目指すべき到達点だ。これは長期的な目標になるだろう。ロシアとの戦争という状況下においての文化外交は、対話や和解を促進するべきではなく、ロシアの文化的・言語的な支配という脅威に対して抑止力として機能することで、私たちのアイデンティティを守らなければならない。
訳は下訳を作って機械翻訳とも照らし合わせて作りましたが、あいにく初学者なので文責は持ちません。
ウクライナ研究所はそのブリティッシュ・カウンシルに範をとった機関として2017年に設立されました。ヴォロディミール・シェイコはブリティッシュ・カウンシルで働いた経歴のある人物ですが、日本語wikipediaで所長として示されている指揮者の人とは同姓同名の別人です。
lb.uaはそこそこウクライナでは有名なニュースサイトで、元々は週刊誌のweb版です。
で、このコラムは前半はアリキタリで面白くないんですが、後半からの西側批判は面白い部分かなと思います。特に文化界にありがちな既存のヒエラルキーを温存した形の「和解」を強要しようという流れを戒めているわけですな。
最近流行りのネオナチ問題に絡んでウクライナの右翼問題に言及しておきますと。
途中のバビ・ヤールについてですが、このメモリアルセンターは地元ウクライナのユダヤ人たちによって反対運動が起きたほど国内では評判の悪い施設です。要するにロシアによる情報操作の一環として「ウクライナが反ユダヤ主義的な国であるかのような展示」をするのではないかと考えられていたようで、ウクライナの情報機関SBUが「その証拠は今のところ存在しない」という文書を出すに至り、センターがその御墨付をWebページに掲載しているほどです。フルジャノフスキーもセルフプロモーション目的のクズ扱いされてました。まあドンバスで内戦やらせてる奴の身内連中が集まってきて虐殺を記念するセンターを作ろうなんてグロテスクな話ですわな。
それと、元からウクライナのユダヤ人というのはロシアはもちろんのことイスラエルを中心とした西側のユダヤ人社会とも折り合いが悪く、この反対運動の先頭に立っていたYosyf Ziselsなんかは西側でネオナチ扱いされているほど評判が悪いようです。なぜかといえば、このYosyf Ziselsを始めとしたウクライナのユダヤ人というのはソ連時代に反体制派の経歴を持つことも多く、独立以降はウクライナ人意識が強烈だったりするんで、平気でWW2時代の「ナチス協力者」を擁護しちゃったりするんですな。まあ自分たちユダヤ人が建国した国という意味ではイスラエルに負けてへんぞ!みたいな意識があるんでしょうな。
なのでウクライナ右翼の金主の一人であるコロモイスキーがユダヤ系だったりするのは、それほどおかしなことではありません。
よってウクライナの極右というのは、西側のネオナチよりも、日本の「任侠右翼」と類似しています。靖国神社とか橿原神宮に集まってる右翼のお兄ちゃんが数年後に民団の役員やってるのとかと同じで、思想的背景にはほとんど意味ありません。欧米の学者やジャーナリストは「犯罪的組織の公然部門としての右翼団体」みたいなものが理解できないので頓珍漢な「サッカーフーリガン起源説」を唱えるのですが、そんなものにコロモイスキーが金主になるわけもないし、戦闘力が高い説明がつかないでしょう。要するに軍事的経験のある右翼のアニキが愚連隊を抱えて作ったお国のための組織という説明で日本人ならすぐ分かると思うのですが、これが西側の人には理解できないようです。
鈴木智彦さんがちょっと笑い話みたいな形で織田絆誠のPMC構想をウクライナと絡めて話していましたが、ウクライナの極右グループは実際にチェチェンやグルジアで得た戦闘経験を元に国家機関までのし上がったわけで、割と笑い話にもできません。まあ日本の暴力団と同じで、なんだかんだお上には絶対に逆らえない性質があるので、ナチスの紋章がどうだとかは暴走族が旭日旗振り回してるのと同じだし、奇妙な儀式とかやってるのはヤクザの盃事みたいなものだと思って受け流せばよいと思います。
というわけで反乱の懸念もないどころか、国家親衛隊は普通の大隊の方がヤバい奴多いと思ってるんですよ。なんせ2014年には自腹でも戦争したいって連中が集まってたわけで、金目当てだの兄貴分に言われて参加しただのの方が理由としてはいくらかマシでしょう。ただまあ、いつか武装解除した時には犯罪者を野に放つようなものなので、単純に治安が悪化することを懸念してなくもないです。
ここまで高度なテクノロジーが普及して、ここまで情報拡散のスピードが上がった世の中なら
デマや非科学的見解は昔のように小学生の休み時間や雑誌の投書コーナーからじわじわと広まり続けるようなこともなく
科学的な権威によりそれを否定する声明が出されて瞬殺されるようになっても不思議では無さそうだが
事実としては爆速の通信網の上を無際限にデマが走り回る世界になってしまった。
なにが原因だ?
(追記)
またそれとは正反対に見えるけど「科学的な権威が嘘をついてきたから」というのもあるな。
何か絶対的なものだと思えるものに依存するということがここで言われる「愚か」ということで、
科学的な権威もその伝え方だったりの部分では実はその愚かさを利用してきたところがあって、
そこがお互いにお互いの「愚かさ」と「権威」の度合いを強め合ってしまったのではないかと思ったり。
正直、ワイとしては「自分は愚かじゃない、大丈夫だ」。「でも周りの人間に蔓延したら自分に影響が出そうだし」ってのが本音だけど、
自分が信じる科学的な権威も結局多数が支持する専門家が自信満々に言ってるからってとこに行き着いたり、ワイがそれを検証する手段を保有してる
わけではない場合も多いし、心のどこかにはやっぱり自分も大丈夫だと思ってるだけでハメられてるのではっていう怖さがあったりする。
で、その先生が間違っていたことが後からわかったりしたら、ハシゴをはずされたような感覚になって「何を信じれば良いか」という状態になるかもしれない。
コロナ禍がはじまったあたりに名をあげて、今現在も知名度があるとある医師のTwitterアカウントのフォローをやめた。2回目接種あたりまでは、接種会場の選定や、ワクチンのメリットデメリット、コロナ対策など有益な情報が多くて、とても役に立っていたから、その点については感謝している(お陰で家族全員早めの2回目接種を終えられたし、今のところコロナ感染もない)。
が、オミクロン株が発見されたあたりから、現政権の批判、陰謀論やデマアカウントとの論戦、情報批判など、確かに公衆衛生を考えると正しいことをやってはいるのだけど、見ていて辛い状況になっていった。とどめはここ最近の塩野義の問題に関連して、問題点を連日流し始めたことだと思う。
正しい、とても正しいんだと思う。デマや非科学的な対応は批判されるべきだし、現政権の不策さも頭にくる。塩野義の件だって裏で何が動いているのやら…とイライラが募る日々を送っていて、ここ最近精神的に不安定になっていた。
この鬱屈とした日々から早く抜け出したい、早くコロナ終息してくれ、みんな正しい情報を仕入れてくれ、塩野義の件だってあかんでしょう…と思っていたときにふと気がついた。
この不安定さの原因は、その正しさを求める批判を見ることで発生していると。というかだ、その情報を知って、今すぐ自分に何か影響はあるのだろうかとか、塩野義とかの件だって本当に裏で何か蠢いているのだろうかとか、気がついたら自分の不安定さの原因は全て正しさを求める論戦を見たことがきっかけであった。
勿論、何が正しいのかを情報収集して判断するのは大事だが…常に晒されていた結果、一種の洗脳状態の様に、世の中を不安視していた気がする。
そして、自分はそのTwitterアカウントのフォローをやめた途端、タイムライン上に平和が訪れた。目についていた対陰謀論、対デマの論戦は消え、不安視する声もなくなった。自分の精神衛生を悪化させていた原因がはっきりとわかった。ついていけなくなったんだなと気がついた。
正しくあることには憧れるし、特に医療情報では間違いを犯したくないけれども、正しさの摂取のしすぎは時として自身の毒となることを学んだ機会でした。とはいえ、お世話になりました、猫様。
ヒステリーというかパニックになってて非科学的な記載が目立つ。
「人参の皮はむくな。」とかいってるけど、根菜の皮はほかの葉物などの作物にくらべて土中の重金属や農薬の吸収率が高いので皮を厚めに剥いて捨てることが推奨されている。ずっと食べているとたとえばイタイイタイ病のような病気になるかもしれない。
もちろん、輸入人参でも農薬などが基準以下のもののみを市販しているが、全数調査ではないので根菜の皮は厚めに剥いて捨てるに越したことはない。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kampomed/60/1/60_1_25/_pdf/-char/en
あと、じゃがいもの場合は皮にソラニンが蓄積していて食中毒になることがあるし、
そうでなくても単純に胃腸にキツい。胃腸がつまる病気になりやすい手術経験者や老人には食わすなマジで。いっとくけど日本の人口の半分はもう老人。
粗食だの農林水産省のフードロスを気にして無理な生活をして病気になると、抗生剤、点滴、ワクチンなど工業の集約のトップにある、高額な石油製品を使うことになる。(直接ではなくても、殺菌や精製やパッケージング、あと人件費や開発費・知的財産権ロイヤリティなど間接的に世界中の石油エネルギーをたっぷりつかっているので高額になる)
三割負担でも薬は高い。10割負担の額にしたらほぼ一般人の手には入らなくなる。アメリカ人がメガネかけないのとおなじようにな。
あとコロナで給食の牛乳もあまって違法だけど川にながして捨てたいってなってただろう。ツイッターで蘇という料理のレシピが流行って牛乳と光熱費を無駄につかう料理をしはじめたりした。
だから病気の影響のほうが環境への負担もおおきいんだっていってるだろ。
つまり、現在市場で入手できるあらゆるものの値段は、(関税や米価調整などの政府調整がはいらなければ)およそ、完成までに使用した石油エネルギーの量に比例している。
素の値段の高いものは環境負荷が高いといえる。(くわしくは環境負荷、環境アセスメントで自分で調べろ)
牛肉が高いのはどこかから運んできた牛にどこかからはこんできたコーンを食わせ冷暖房をいれて何年も育てたあげくどこかへ冷蔵車で出荷されるからだ。鶏肉・鶏卵が安いのは育成期間が短く、一年程度でエサ代冷暖房代が少なめのうちに出荷でき、各地に養鶏場があるからだ。もやしやかいわれ大根も圧縮解凍みたいな作物だから各地で水だけでつくれて安いしうまい。
作物が基本的に安いのは、天から運ばれた水と太陽光でその場で育つし、手間暇かかりすぎるなら価格競争に参加できないためその時点で製造・出荷をとりやめるからだ。
(米や塩の値段だけは政府が調整をいれていたが今はやってないかも)
だから人参の皮をたべてまで安いものを無駄にしない=余計買わないようにしたところで、
そのせいで高い医療サービスを買わざるをえなくなるなら環境負荷も家計負担も政府の医療費負担も増えてしまって本末転倒なのだ。
以前アルファーGOという人工知能があって人間の棋士を負かせるほどの棋譜をつくれた。だが1枚の棋譜に1兆円のサーバー電気代がかかるからグーグルは開発を停止した。
人間棋士(トップクラスでも生涯賃金10億程度の激安価格で200枚やそこらは棋譜を生み出すだろう)のほうが、安くすむし、環境負荷は低かったということだ。
だからこの手の増田も、目の前の高性能コンピューターを無駄につかってないで「ごく普通の、あたりまえの」生活知識を磨き、子供を生み育てろよ、バカめ
人間は石油を直接燃料とせず知的労働の成果を製造できる唯一の家畜だ、それが営々と環境最適化をした今が文明社会の最先端なのだ。
とりあえず紙でガッコーというところで配られる基礎知識セットくらいはあればこんなにヒスらなくてすむんだぜ
ちなみに欧米人もボナペティはいうし、場所によっては神に感謝の祈りを(5文字よりもっと長く)ささげる。
親のつくった温かい飯を前にいただきます言わないで食い出して言い訳に4000字も猿みたいな勢いでキーボード打つやつはマジ家畜だから少なくともプロ棋士以上の知的労働成果を挙げろよな
https://www3.nhk.or.jp/lnews/yamagata/20220123/6020012762.html
以下の記事読むまでもなく、アクリル板なんて意味ないんだから、もうアリバイ的に設置するのはやめた方がいい。非科学的。そんなので意味あるなら、マスクじゃなくて、マウスシールドでもよくないか。
いや、明確に誤りだよ。
例えば輪廻転生やあの世、天国、地獄のように「死後、肉体を離れた<魂>がどっかいく」ってことを前提にした死生観はすべて非科学的であり誤り。
なぜかという「物理的な肉体と対立する精神的な<何か>が存在する」って前提が現代物理学の根本原理と相いれないから。
この世のすべては物理法則に従って動いてるはずでしょ?(科学的に考えるならね)
でも仮に「精神的な<魂>が存在する」と考えるなら、「この世のすべては物理法則に従って動いてる、けどたまに精神的な<何か>が物理法則に作用することがある」という風に物理学の大前提を改めないといけない。
だって肉体と魂が全く無関係で全く互いに影響を及ぼさない存在だったら魂なんてものを考える必要ないからね。
まあこの「精神的な<何か>が物理法則に作用するかも」って考えってまんまスピ商法とか超能力とかに採用されてる考え方なわけだけど、科学を信じる常識的な人ならおかしいと思うよね普通。
何度も言うけどそういう娯楽のことは全く否定しない
けどこんな「いろんな女の話にたいして常に真理風に男を悪者にし女を全肯定してくれるケアラー」という存在にリアリティ見いだしてるやつはやべーでしょといっとんの
↓
探偵もので犯人を懲らしめたり科学モノで非科学的な人をやりこめたり、水戸黄門から刑事モノ、ラーメン発見伝なんてほとんどその増田のいうようなスカッとポルノの典型的消費をされてるけど人気がある
整くんがやってるのは萌え絵AVのような本来なら許されないことを作品世界の中だけで許されることにするフィクションじゃなくて、社会風刺で社会の理不尽に対して反論していくタイプのフィクション、何なら社会的な啓蒙を含んでてもおかしくないものなんだから、AVとか萌え絵みたいなポルノの消費と比較するのはおかしい
探偵もので犯人を懲らしめたり科学モノで非科学的な人をやりこめたり、水戸黄門から刑事モノ、ラーメン発見伝なんてほとんどその増田のいうようなスカッとポルノの典型的消費をされてるけど人気がある
そういうモノには反論しないのにこの作品にだけ反応する増田みたいな女性蔑視を内面化した人を炙り出せているという構図でしかない
そこが間違ってるんだよな
整くんがやってるのは萌え絵AVのような本来なら許されないことを作品世界の中だけで許されることにするフィクションじゃなくて、社会風刺で社会の理不尽に対して反論していくタイプのフィクション、何なら社会的な啓蒙を含んでてもおかしくないものなんだから、AVとか萌え絵みたいなポルノの消費と比較するのはおかしい
探偵もので犯人を懲らしめたり科学モノで非科学的な人をやりこめたり、水戸黄門から刑事モノ、ラーメン発見伝なんてほとんどその増田のいうようなスカッとポルノの典型的消費をされてるけど人気がある
そういうモノには反論しないのにこの作品にだけ反応する増田みたいな女性蔑視を内面化した人を炙り出せているのがすごいって元ツリーは言ってるんだ
既存のワクチンの予防効果が半減するオミクロン株が主流になった今、反ワクチン教徒をネットリンチおよび村八分にかけることにしか興味のないお前らワクチン脳たちは、その反ワクチ連中と同じ非科学な自己陶酔の中毒患者に成り下がったわけだ。
デルタ株のうちならまだよかった。ワクチンは公的にも私的にも利益が損失を上回っていた。効果の面でもそうだし、ワクチン接種者の大多数がワクチンによる免疫が減衰する期間をまだ迎えていなかったたからだ。ワクチン脳の言うことにはまだ理があった。
しかし、今は違う。ワクチンはオミクロンに対して効果が薄く、ワクチンの効果自体が薄れる時期に入ってしまった。ブースター接種をしても大して意味はなく、むしろ継続的な接種に対してリスクが懸念されるようになった。
そもそもワクチンなんてものは自己満足と自己防衛のための一ガジェットに過ぎないものだが、新型コロナの驚異的な感染力と重症化率、従来株に対するmRNAワクチンの劇的な効果が合わさって「集団免疫」などという幻想を抱かせるに足るだけの力を得ていただけなのだ。
自分が科学的なことを重視していると思い込んでいる、実際はその対極にある権威主義の盲信者でしかないワクチン脳たちは、その幻想が唯一の真実であると勘違いしている。ウイルスが変化し状況が変わった現在においても固定観念を捨てられず、肥大化した自意識を抑える術を持たぬモンスターでしかない。