はてなキーワード: 言論の自由とは
https://twitter.com/asaikuniomi/status/641987573787656192
@asaikuniomi
災害救援活動に大活躍の自衛隊だが、東日本大震災のような大規模災害なら分かるが、本来であれば専門性から言っても消防にその場は譲るべきだ。
というツィートが話題になっていた。
9条をこじらせちゃったおじさんおばさんや、デモにときめくシールズの若い子たちならともかく、発言主がTBSの特派員記者とのことで大変がっかりしている。
バリバリのマスメディアの人間がこのようなことをつぶやいちゃう日本は本当に残念。
普通の都道府県の消防がどのくらいヘリを持っているか、この人は少しでも考えたことがあるのだろうか。
茨城県については調べる時間が無かったので推測だがおそらく1機、せいぜい2機が限界だと思われる。
ヘリって糞高いし運用人材を含めて維持するのが大変なんでバンバン配置できないんです。
東京クラスは確か10機ぐらい持っていたと思うがそれ以外の都道府県はほとんど1機。1機だけだよ。持ってない県もあるぐらい。
この時点で記者の言っていることがありえないっておわかりいただけるでしょう。
同時多発的に救助要請が発生して、500人近くが身動きが取れなくなり、家の屋根や電柱にかろうじて命を預けている人たちを前にして、自衛隊だの消防だのといったラベル付けに何の意味があるのか。無いですよ。全く無い。アホかと思う。
周辺の都道府県の消防が全部応援を送ればいいじゃんとか思うかもしれませんがそんなに簡単なもんじゃありません。あの豪雨でやばいことになってたのは何も茨城だけじゃなくて周囲の都道府県もいつヘリが出動しないといけない状態になるかわからない。茨城のために周囲の都道府県の人たちが犠牲になったら本末転倒なわけで。ゲームじゃないんだから一か八かで全出動なんてありえんわけです。そういう雑なことをよく昔の東側諸国がやってて、お馬鹿事例としてレスキュー関係の人は学びます。
ところで自衛隊はいくつぐらいヘリを保有しているんでしょうか。なんと1000機を超えています。さらにどのヘリも航行時間・収容可能人数は群を抜いて優秀なのに加えて、特に航空自衛隊のエリートパイロットの優秀さはやばいです。なんなんですかあの連中は、思い出しただけでコンプレックスで顔が真っ赤になるレベルで優秀です。
市街地において近距離で2機が同時にホバリングって、あれすごく難しいんですよ。堤防の決壊場所の例のヘーベルハウス付近で何機かが同時に救助してましたけど、あれは見てる以上に相当難しいんです。怖いです。技術と度胸と責任が高いレベルで求められます。市街地だと電線がありますからへたするとロープがひっかかって墜落の二次被害。しゃれになりません。せっかく何人か救助したのに墜落で全滅とか悲惨すぎますから。
自分の命がどうこうよりも、同乗隊員や救助した人たちの命を預かってあるから絶対に墜落できない。でも、安全に飛んでたらいつまでも救助できない。だからリスクを承知で降下してホバリングしないといけない。周囲のヘリの動きも見ないといけない。難易度高いです。ぜひあのパイロットたちには拍手を送ってあげて欲しいです。心の中でいいんで「お前らグッジョブ!」って言ってあげて欲しいです。私のように主に匍匐前進で隊員歴を終えた凡人とは違い国家の財産です。
自衛隊・各都道府県の消防・海上保安庁などたくさんの組織のヘリが同じ現場で迅速に救助するのは極めて困難です。いろんな組織のヘリを同時に同じ地域に派遣してもお互いの意思疎通が難しく活動に障害がでます。だから自衛隊がメインとなってがんがん救助してたのは正解なんですよ。指示系統が統一された組織がメインでやったほうが効率がいいに決まってる。
ヘーベルハウスの前に救助されてた一家、その後すぐ流されてましたよね。あれ近隣の消防が手分けでやってたらまず間に合わなかったと思います。このご時世に洪水で一家全滅ですよ。何だそれ悲しすぎる。相当迅速に救助収容したお陰で多分20~30人ぐらいのレベルで人命が救われているんだということをもっとメディアの人も報道してくれていいのになあ。別に彼らは褒められたくて仕事やってるわけじゃないとは思うけどさ、でも自分の命を張ってでも他人の命を救って家に帰ったら批判されてるとか、悲しすぎますよ。
今はだいぶましになりましたけどね、私が駆け出しの頃におきた阪神淡路の頃はまだまだ自衛隊への批判って凄かったです。自衛隊員になったことを少し後悔するぐらい変な人達の抗議活動が基地前でお盛んでした。3.11の頃には全くそういう人いなくなったけど、みんなどこに行ったんでしょう。日本も変わったのか。
それでも、残念ながらまだ変な批判を自衛隊に浴びせる人は一定数いますし、しかもそれがメディアの記者やってるんだから救いようが無いです。こんなの許されるの多分日本だけじゃないですか。どこの国でもイデオロギー優先して軍の救助を批判しようものならボッコボコですよ。日本って本当に言論の自由が保証されてるなあって思います。
あなたはまず簡単な例として「漢民族の分裂主義者は弾圧されるべきだ」という例を挙げたのだと私は解釈した。
あなたの主張の源はここにある。すでに統一され領域を治めている国家の秩序は無条件に維持されるべきであるとあなたは言っている。
しかしこれは誤りである。人民の自由を尊重できない政府に何ら正義はない。
まあそういう奴もいる。
もちろんこれらの人の望んだようにしない。
それも「我々中国人民の意思と照らし合わせても、中国は分断されることはない」と言っているように聞こえる。
どうやらあなたがたの民族は民族の統一のための強い意思があるようで、今後も1つの集団としてやっていくだろう。結構結構。
どこの自由でも、一定のルールの元での自由。確かに中国は共産党は強すぎで、日本と比べてそんなに民主的ではないと思う、言論の自由や国民の民主意識などは日本と比べてまだ差がある。これは認める。
ふむ。
「民主的でないということは平和かつ自由ではないということである」という意味だろうか。
中国は広いし、文化が複雑、北と南、東と西、地域ごとに文化全然違うとも言える。これは日本のような構成や歴史も単純な国には理解しかねないでしょう。
だろうね。だからどうした。
地域ごとに文化が全然違うから別の国家が別のやり方で治めるのだ。そしてお互いに尊重し良くやっていく意思が存在して初めて同じ国家の下で暮らすことができるのだ。
あなたがた漢民族にその意思があるのなら、民主化しても正しい道を歩むことができるだろう。仮に中国が分裂したとしてもだ。それが正しい在り方だろう。
罵倒はやめような。
中国の生き方とあなたは言うが、それは漢民族の生き方であって、他の民族に当てはめることができる方法なのかどうかは分からないのではないか?
チベットもウイグルも、国民の権利は他の省とは一緒です。むしろ優待政策がある。海外の右翼の影響を受け、国家を分裂しようとするから弾圧される。
国家を分裂しようとする人は弾圧されるべき。 これらの人はもし漢族であったら、お前たちが文句言えないでしょう。チベットの人だから、民族問題と言われる。どの民族でも同じ、国家の秩序を乱そうとする人は止められべきである。 日本の右翼たちは中国がぐちゃぐちゃになるのを望んでいるから、これらの国家分裂主義の人を応援するでしょう。
もちろんこれらの人の望んだようにしない。
どこの自由でも、一定のルールの元での自由。確かに中国は共産党は強すぎで、日本と比べてそんなに民主的ではないと思う、言論の自由や国民の民主意識などは日本と比べてまだ差がある。これは認める。
民主的ではないは平和自由ではない。中国は広いし、文化が複雑、北と南、東と西、地域ごとに文化全然違うとも言える。これは日本のような構成や歴史も単純な国には理解しかねないでしょう。今の中国で日本のような民主を導入したら、国が混乱するに違いないです。
中国は中国の生き方があり、理解しようともせずにただ批判するお前がバカだと思う。
チベットもウイグルも、国民の権利は他の省とは一緒です。むしろ優待政策がある。海外の右翼の影響を受け、国家を分裂しようとするから弾圧される。
彼らの主張が世界に受け入れられる可能性はゼロだと思うんだけど。
主張A.
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」←これだけなら言いたいことはわからなくもない。つまり、あの戦争に責任があったのはすでに死んだ過去の世代であって、現在の世代ではない、ということだ。
主張B.
「国に殉じた先人に、国民の代表者が感謝し、平和を誓うのは当然のこと」(靖国神社問題)←これだけなら言いたいことはわからなくもない。つまり、たとえA級戦犯であろうとも、死んだ人の責任を問うのは不毛であって、感謝だけを捧げるべきだ、ということだ。
AとBを組みわわせると、「あの戦争の責任を問われるべき人は、過去にも現在にも未来にも存在しない」ということになる。そりゃ侵略されたり、国の一部や全部を奪われた中国や韓国が怒るのは当然だと思うよ。私が彼らの立場だったら全く納得出来ないと思う。日本人の一部がAの立場で、また一部がBの立場、ならまだまあ言論の自由とかで許せなくはないが、AかつB、という人多いでしょう。現首相とか。中韓に限らず、世界の人がAかつBの主張を受け入れる可能性はゼロだと思う。
自分はもともと安倍政権を支持していたけれど、今回の法案可決には正直急ぎすぎ感じがしていてあまり好感を持てなかった。
とはいえ民主党などの野党は15日のプラカードで正直呆れたし(Twitterで#クソコラグランプリってハッシュタグが付けられてクソコラ画像祭りが起きてたのはさもありなんって思った)、相変わらず共産党は法案を「戦争法案」なんて的外れな呼び方をしていてダメだこりゃって思ったし。
…と長い前置きですが、これに関連して、最近の政治家以上にデモ活動に本当に呆れている。
理由は色々あるけど、いくつかちょっとここで吐き出させて欲しい。
まず1つは、よく言われている参加人数にまつわるところ。
国会議事堂前とか日比谷公園に法案反対のデモ隊が集まって、毎回毎回主催側は5万人とか10万人とかが集まったって発表して、
そして警察は6~7000人が集まったと発表して、Twitterで「水増ししすぎにもほどがあるわ」ってツッコミが来るやつ。
◯万人が集まったって言うことで「これだけの人数が反対してるんだぞ!」っていうアピールをしたいんだろうけど、
正直そんなアピールされたところで、こちらとしてはほんの一部の声のデカい人たちの集まりでしかないっていう認識は変わらないし騙されないよって思う。
なぜなら先日の週末(7/4か7/5だったかな)に、新宿駅東口のアルタ前のあたりで安保法案に反対する活動家らしき人たちがビラを配ってるのを見かけたとき、
道行く人は見事にその人達に近づかないように歩いてましたから。自分も若干遠回りしてそこを通るのを避けてました。
結局、デカい声を張り上げてもそんなものです。道行く大多数の人から興味を持たれていない。
2つ目は内輪で盛り上がってる人達のイタさ。
たぶんデモで同じ考えをしている仲間がいると盛り上がるし仲間意識も芽生えてさぞ楽しくなるんだと思うけど、Twitterでそういう人の発言を見るとまあ痛々しいというかなんというか…
安部総理に不満を持つのもわからんでもないけど、平気で人をバカ呼ばわりしたり、それは違うんじゃないの?ってことまで安倍政権のせいにしたり、「それはないわー」っていう発言が多すぎる。
そんな人には関わりたくないです。
3つ目。ここからは安保法案というより別のデモの話になるんだけど、デモ活動が風評被害やデマの温床になっている件。
福島の原発事故のとき、福島の農作物が危険だとか、子供の健康被害がどうとかっていう話が盛り上がったけど、反原発デモがデマの温床になっていたという事実がある。
このcakesの記事(https://cakes.mu/posts/9339)で、原発事故後の福島のことを研究してきた開沼博氏が発言しています(要会員登録)
以下抜粋。
上野 開沼さんは本書のなかで、福島のために何かしたいと言う人に対して、「買う、行く、働く」この三つをすすめてます。私は、ほかにもあると思うんですが。
~中略~
上野 福島のために、「自分の今いる持ち場でできること」。たとえば、脱原発のデモに行く、はどうですか?
開沼 なるほど。それはやりたい人がやればいい。ただ、デマ・差別の温床になってきた側面は確実にあり、強い嫌悪感を持っている当事者も多くいます。直接的に地元の人が喜ぶのは「買う、行く、働く」に集約するかな、と思いますね。
具体的に知りたい方は、開沼博氏の「俗流フクシマ論批判」(https://cakes.mu/series/3229)やその連載をまとめた書籍「はじめての福島学」、開沼氏と糸井重里氏との対談記事「福島を知ろうとすること。」(https://cakes.mu/series/3391)を読むことをおすすめします。
つまり、反原発デモの参加者が結果的に福島の風評被害を与え、福島県民や福島出身者のことを傷つけていたということです。
これは沖縄の反基地デモの話なのですが、先日発売されたニューズウィーク日本版6/30号(http://www.fujisan.co.jp/product/5766/b/1263891/)の記事を読んで知ったものです。
沖縄の反基地デモも色々と穏やかでない話を聞きますが、沖縄県民から反基地運動に対して次のような不満があるとのこと。
辺野古地区で青年会長を務めるT氏は「基地ではなく反対運動に迷惑している」と嘆く。朝からの連日の騒音だけでなく、道路での封鎖活動や路上駐車による渋滞など、地元にとって反基地活動は降って湧いたような災難でしかない。徳田はあるとき、仲間と話し合い。日常取り戻すためにゲートのフェンスに運動家が貼ったテープのごみを剥がす美化活動を行うことにした。「米軍の回し者」と罵られ、「体をぶつけられたりすることもある」というが、黙々と剥がす。地元住民からの反発は辺野古に限らず、普天間飛行場(基地)周辺でもたびたび耳にする。
反基地運動に対する沖縄県民の不満には主に2つの要素が含まれていることが多い。1つは徳田が述べるような具体的な生活被害に対するもの。もう1つは、こうした被害をもたらすものが県民の見るところの「よそ者」であるということだ。「日本人」「ヤマトナンチュー(大和人)」「ナイチャー(内地人)」…本土出身者を指す言葉が基地反対運動対しては嫌悪をもって語られる。「あれは寄留民の運動じゃ」と吐き捨てる人もいる。
沖縄県民でも基地をこれ以上作らないでほしいという声が多いのも承知してるけど、反基地運動にもまた不満があるのが事実だそうです。
なにより「体をぶつけられたりすることもある」っていうのは傷害罪になりうる行為だし、他にも米軍に罵声を浴びさせる活動家がいるなど色んな悪評を耳にした。
これが本土の人間がやっている、あるいは本土の人間が現地の人を煽ってやらせていることだとしたら、本土で暮らしてる身としては面汚し以外の何者でもない。読んでて怒りがこみ上げるレベルですよ。
とにかく言論の自由っていう大義名分を掲げて人に迷惑をかけている集団でしかないし、頭の中がバブル前から変わっていない政治家と同じで何も進歩していない。
デモ活動に対するイメージはそんな感じです。それを支持している芸能人やジャーナリストに対しても不信感が募るばかりです。某津田大介氏とかね。
結構いると思いますよ。安倍政権のやることすべては支持できないけど、デモ活動してる人たちの仲間なんて死んでもゴメンだって人は。
1面広告を載せてるような会社がみんな「もうおたくの新聞には広告出せない」と言えば(実際に言うのは広告を取り持ってる代理店だろうけど)新聞社はいくらでも主張を変えるか取り下げるかするだろう。
なお毎日新聞は昔とあるスクープをすっぱ抜いたことがあるが、すっぱ抜き方に問題があったので社会的非難を集めることになり、定期購読の解約が相次いだ。
大口(ホテルや旅館なんかの購入)の解約が沢山あった上、図書館から閉めだされる例が相次いだので部数が大幅に減、広告収入も激減、経営が傾き倒産の危機に陥ったことがある。
このときは聖教新聞が「言論の自由、という点から考えると新聞社が倒産するのを無視すべきではない」と大規模に印刷を委託する形で資金援助して倒産の危機は免れた。
その後部数は回復したが、結局その時に失った購読者数を取り返すことはできず、毎日新聞を「3大紙の永久の3番目」に追いやることになった。
差別というのは、物理的・精神的に何らかの危害を加える事をいうわけで
昨今話題のLGBTについては、そもそも戸籍における結婚は財産権の問題で
病院等の面会謝絶に、他人だから立ち会えないなどの個別の問題は確かに問題だから解消される方向に向かってる。
それ以外はなんだろう。個別の問題もあるからな。LGBTだから差別されているのか、本人の性格が悪くて差別されているのかは一概には言えないからな。
という大前提の上で物理的な危害が発生していないものについては言論の自由もあるし
物理的な危害が発生しているものについては、国家レベルでやっているわけじゃないから個別論だし
でなんだろう。
俺が個人的に思うに、この一連の流れで一番迷惑しているのはLGBTの人たち本人だろうなと思わなくもない。
ヘタに社会的な流れに成ってしまったせいで、一部の既得権団体じゃないけど、そういう厄介な人たちに目をつけられて腐敗の温床にならないか不安だよ。
まあ、その辺は(日本の法体系が採用しているタイプの)「言論の自由」における欠陥として昔から認識されてるところですね。
「私人は勝手に罵りあえ」だと「言論の理路そのものとは別の力関係」みたいなものが言論空間を支配しがちで、それを是正して「公正」を担保すべき機関はどこにもない
(公権力がそこを担保しようにも、公権力だけは言論空間への介入を禁じられている)というのを受け入れるしかないわけです。
結果として「大マスコミの言論支配」なんて事象になりがちなわけで、マスコミが「第4の権力」などと言われてる所以なわけです。
政治学なんかでは、「言論の自由」は必ずしもそれ自体は正義ではなく、むしろ「議会制民主主義が成り立つための(絶対に必要だが)やむを得ないコスト」という側面があると認識されています。
横だが。
たぶん「言論の自由」の法的位置づけを誤解している。
同じ「自由」という言葉で括られるので誤解されがちだが、「言論の自由」というのは「生命・財産の自由」みたいな「所与・無条件の権利」と法的位置づけが違う。
日本の法体系で「言論の自由」が保証されているのは「公権力の規制からの」言論の自由のみ。
乱暴に言えば「私人の言論では脅迫や名誉毀損といった犯罪行為でなければ、統制も弾圧も好きにやれ」というのが法的スタンス。
確かに一般的/実態的には(それこそ報道機関が「社会の公器」を自認wするように)影響力の大きな企業団体は公的性格をおびてる訳だが、
法的位置づけでは企業はあくまで私。「言論の自由に手出しするな」と定められた公権力じゃ無い。
現行法体系の「言論の自由」が、法的位置づけ上の「公私」のみを前提として定められているがゆえに実態と乖離していて上手く機能していないんじゃないか、
という問題意識なら真っ当だと思うが。
要はあなたが言いたいのは、どこの場所の発言であろうと私人が「新聞をぶっつぶせ」と言っても自由だが、新聞社がそれに対して抗議するのは「言論の自由」に反するってことね。言っていること滅茶苦茶だよ?
私人が私的な場所で発言するのは自由。公人が公人あるいは公的な発言に対して抗議するのは自由。
http://anond.hatelabo.jp/20150626220536
当方は古参のはてなーで、それなりの年数とアクセス数を数えるブログもやってんだが
以前に、増田でエントリ書くたびに(IDと紐付けできる状態だった)粘着して糞ブコメつけてきてやたらうざい糞ブックマーカーがいた。
「迷惑で鬱陶しいからその行為をさっさとやめろ」とずっと忠告していたのに
なぜか相手は「対話だ!」と興奮。
「〇〇氏との対話。」とかいう痛いエントリまで零細ブログにアップし始めて、
その中で自分に対して言及するたびに、ただ名前書きゃいいだけなのにわざと「id:〇〇」とか表記してIDコールしてきやがるもんだから、
まるでメンヘラ野郎でも相手してるみたいに何件も何件もIDコールが蓄積する状態となった。
「見て見て!僕を見て!」と自己主張を続けるIDコール通知は、単なるアクセス数稼ぎに総アクセス数百~千倍くらいの相手に喧嘩売ってきた零細ブロガーのそいつのゲスい下心を反映するのようで、ガチで気持ち悪かった。
話の通じないバカ相手してても埒があかないので、あまりにも執拗な嫌がらせをとっととやめさせるようはてなに通告したんだが
「これは個人攻撃ではなく度重なる引用や言及や意見提示に過ぎません☆ ミャハ」
みたいなふざけた返答しか返って来なかったので、仕方がないから自分で考えて(IDコール抜きで)相手に同じ事をやり返しておいた。
するとそのメンヘラ野郎は、単に自分が人にやっていた事を普通にやり返されただけなのに
「個人攻撃を受けた!言論の自由の侵害だ!」みたいな大騒ぎを始めてプロバイダの開示要請だのを始めたので
自分で放火しておいて自分が火達磨になったからと大騒ぎしてるバカがいて迷惑ですよー、とはてなに再度通告しておいた。
それだけではどうせナシのつぶてだと思い他にも色々と動いた。
んで、事ここに至りはてなもやっと重い腰を上げたのか、「要請のあった書き込みについては削除する」みたいな増田のガイドラインがようやくできたってわけだ。
その告知をはてなから打たれて、そのバカはID晒しては一切絡んで来なくなった(チキン乙、ああ炎まみれだからフライドチキンか)ものの、
増田上では妙に気持ち悪い態度のトラバが付くようになって、すぐにそいつと解った。
文章が異様に粘着質だったり、増田においてはあまりにも不自然に仲良く接しようとしてくるような変な態度だからすぐわかるんだが。
シラをきれば追及しようがないと思ってるのか、仲良さげに絡んでいれば執筆者情報の開示要請なんぞ跳ね除けられると思っていたのか、
どちらにしてもバカの浅知恵なんぞ知る由もないが、しばらくは他人のフリしながら去勢された犬のように周辺をうろつきまわっていたな。本当にみっともない。
IDコールも停止するようはてなに依頼したんだが「非表示にできます ミ☆」みたいな返答とURLが帰ってきただけで、
しかも結局、使用しているサービスの関係で非表示になんてできなかったし。
無能な馬鹿が大手と対等ぶって対話したがったり、アクセス稼ぎ目上ての炎上を演出するだけだけにしか使われないだろ、結局のところ。
変な望みを持つだとか楽しようだとか、妙な考えを起こさずに、せっせと自前の文章書いてテメエの文章でアクセス数稼いで自力で目標達成するという当たり前の努力を当たり前にさせる為にも、近道はさせるべきじゃない。
書くネタがないからって人に絡んでみても出てくるのは会話だけで、そいつの文章じゃあないんだから。
ま、体験談からつらつらと書いたが、IDコールは突き詰めればどうせ糞みたいな使用方法しかされないと思うから。
相手が有名人だろうが何だろうが、とにかく相手と話がしたいなら相手のブログ行ってコメ付けるか、あるいは自分のブログで(IDコールをしない形で)相手の事を言及するなり、「話がしたい」と要望を書いておくなりした方がいい。
というか、聞こえないところで人様の話をする分にはいいが、いきなり人様のIDを名指しで呼びつけるなんてのも失礼な話だ。
id:なんとかかんとか、とコールを打たれればそりゃ相手も気付くだろうが、それはただ単に望んでいない相手の視界に無理矢理入っていくだけのことであって、普通に迷惑なだけだから。
糞ブコメ返し:
A:勢いでブコメ付けると「糞ブコメつけんな」って話の趣旨も理解せず平然と糞ブコメを付ける事ができるという典型的症例。死ねば?
さらに追記:
人殴ったらきっちり殴り返されるってわかってんのに敢えて繰り返すとか増田って揃いも揃ってマゾだらけなの?(笑)
psne 勢いで書くと一時間でここまで書けるお話/例の画像案件だった
A:いきなり人を殴りつけたら当然の帰結として殴り返されるんだから、今回を特別な例にして安心せずにその程度の常識くらいは学べよマヌケ?
filinion 曰く、「はてなガイドラインはワシが育てた」/文体が乱暴だと、「でもきっと、この人の“反撃”の方は個人攻撃めいたものだったんじゃないかなあ」と思えてしまう問題。
A:殴られたら殴り返すし、個人攻撃を受けたら個人攻撃を返す。当たり前の話だが? 匿名掲示板で人道精神ぶら下げて不殺の誓いでも守るの?
comzoo 「メッセージ付けて10000はてなポイント送信」で大抵の人は以後全く絡んでこなくなるのでお薦めです。
A:逆に何度も絡んでこられるのでは。人それを「テロに屈した」という。
A:火事場と見るや糞ブコメつけに急行してくる野次馬のお前こそが人間のクズだよ、ゴミ野郎。
mame-tanuki 「そんな長文、自分のブログでやれ」って言いたくなる長文コメントを自分のブログ記事に書き込まれるのに比べれば、idコールなんてスルー余裕じゃね?
A:じゃあIDコール連発されてもお前平気なんだな? おーい皆ーこいつがIDコールして欲しいってー
kaionji 人気者自慢か
A:アクセス稼ぎのバカに絡まれるのが人気者か? それ自慢になるか?
cider_kondo 主語が大きいって便利な表現だなと今更思った
A:せいぜい傍観者ぶってろ、あるいはお前がある日誰かにいきなり何度も殴られても絶対に大人しく黙っている覚悟でも決めていろ
reima 単一の個別事例を一般化されてもな。うちは該当しないから知らんとしか言いようがない。
A:同上
hungchang ううむ、半分以上はidコール関係ない気がする。
A:私はやらなかったけど、じゃあ何度も何度も執拗にIDコールされてみて、どれだけ「これは善意によるものなんだね!」と思い込もうとできるか試してみたら?
ketudan 基本レス乞食なのでどんどんidコールして欲しい。
A:こういう奴がいるから。顔隠した付き合いで対話がしたくなったのなら単に人恋しいって事なんだから、さっさと家の外に出て人と話せ。
houyhnhm 要約:「昔は村人だったが、膝に矢を受けてしまってな・・・・・・」
A:膝に矢を受けようがどうしようが殴り合いの連鎖からは降りてないが? 膝に矢を受けたら相手の膝に矢を射返せばいいだけの話。
anigoka idコールは(”大概”)ウゼェは同意だけど、とりあえず殴ってきた野郎の顔を観たいので廃止には反対
A:殴ってきた野郎の顔なんか見ても余計ウゼェだけじゃね? 殴ってきた野郎の顔なんてこちらが殴り返す為についてるだけのただの肉塊だろ? どうせその頭の中身とやらも空っぽなんだしさ。
sabacurry 荒んでるなぁ
A:ニコニコはてながしたいなら、他人もするべきだと思うなら、まずお前が人様の記事に糞ブコメなんざつけるべきじゃないだろうな。
恐らくいつも通り円山公園から出発して四条を通り河原町を上がっていくのだろう。
ゴールは三条大橋下かあるいは市役所前広場辺りか。子供の頃から見慣れた光景だ。
彼らの主張する内容もまた聞き慣れたもので、戦争反対、安倍辞めろ、その他諸々、駅前で毎日共産党が叫んでいることと大して変わらない。
変わることと言えばやたらポップな雰囲気を醸し出していることといつにも増して大人数であることくらいで、四条河原町を封鎖して市民の足であるバスの往来が出来なくなるのも、外国人観光客が興味深げに写真を撮るのも普段と同じである。
その点だけ抜き出せば祇園祭とそう変わりはなく、この形態があと1100年ぐらい続けば時の京都市が伝統的無形文化遺産として指定するかもしれない。
それはそうとして。
実際、彼らが主張すること自体に対しては何の不満もない。
そもそも言論の自由は何人にも保証されており、彼らの口を封じようとする勢力とは断固として戦わねばならない。
僕個人としても立憲主義プロセスを無視しようとする現政権に対する不信感は非常に強いし、安倍晋三という政治屋ボンボン三代目がまともな政治家であるとも思わない。
しかし。
果たしてこの現代版踊り念仏が政治指向を持たない人々の心に響くかどうかは怪しいと言わざるを得ない。
理由は簡単だ。
「迷惑」と「聞き飽きた」。
ただでさえ混雑していた四条が行政の手で更に渋滞するよう作り替えられたのは記憶に新しいが、それに加えてデモによる道路封鎖が起こると四条だけでなく烏丸や川端、果ては堀川辺りまで波及する。
『主張しはんのは勝手やけどせっかくの休みやのに他人に負担掛けてまでやらんといて』と。
その時点で彼らの耳に主張は届かなくなるのだ。
これが良いことであるとは僕には到底思えない。
重要なのは政権批判そのものではなく、政権批判を行う仲間をいかに増やすか、であるはずだ。
左派には民主主義、国民主権を叫びながら国民に主権があることを忘れて政権そのものと戦おうとする人が多く、その点ではいわゆるネトウヨの方がむしろ主権者たる国民に向けて語っているのではないかとさえ思う。
『○○人はこんな悪事を働いてる!』というのは政権ではなく民衆に向けられた言葉だ。
この違いこそ日本のリベラルと呼ばれる勢力が弱い理由だと僕は考える。
より深刻なのは「聞き飽きた」ということだ。
彼らは先述のようによく政権批判の演説を行っているがこれがむしろデモの主張を陳腐化させているように思える。
またこの手の奴か、と。
普段から聞き慣れた言説に『多くの人が集まっているから』という理由だけで耳を貸す人間がどれだけいるだろうか。
これが大人しい田舎なら話は別だ。
ただ大規模なデモを行えばそれだけである程度衆目を集められるだろう。
その解決策は僕にも分からないが、飽きられているのは確かだと思う。
こんな風に書くと「典型的スノッブ京都人」扱いされるのかもしれないが、今回敢えて書かせていただいた。
重ねて言うが、僕は彼らの主張にもその内容にも文句はない。
と言うより京都は一種のアジールでなければいけないし、地方のサムライ・マチズモに由来し明治以来続く国内外に対する植民地主義に対抗する存在でなければならない、と強く思っているので、こういった主張はどんどんしてほしい。
しかし、主張する人間が自ら居場所を減らしているのではないか? と感じるのである。
報道によるとこのデモは若者が主催したもので、この日は2000人を超える人が集ったと言う。
彼らの心意気に敬意を表すると共に、彼らの心意気が無駄にならないことを祈る。
>「条文を決めるプロセスの正当性」と「日本国憲法が国民主権的及び民主主義的正統性を有しているか」と区別できていないのは、そちら。私は後者しか主張してない。
やっぱり区別できてないな
民主的なプロセスで決めてないならいくら内容が民主主義を肯定するものであろうと正統性を有していないということ
>しかし、プロセスが完全に民主的でなければ、憲法が正統性を有しない、ということはない。民主主義的な憲法ってのはだいたいゴタゴタしながら作っているのが世の常。
完全でないなら当然文句はつく。不完全でないものを文句がつかないと強弁したのはそちら。
世の中に人権侵害がたくさんあるからと言ってそれらが正当化されないようにいくらごたごたしながら作るところが多いからといってそれが正しいということにもならん。
>それなりに民主的なプロセスで作られ、それに基づき実際に民主主義な政府が成立し、国民主権が確立したなら、正統性としてはそれで十分。
お前がいくらそう思い込んでようと不完全だった以上文句はつくんだよ。安倍が合憲と思い込んでたって違憲になるのと同様にお前の主観は関係ない。
>それまでよりはよほど言論の自由がある状況で決めたのだから、正統性としてはそれで十分。
以前との比較でましになってるから正統性あるなら戦前だって大正デモクラシーで以前よりましになってたからそれで十分と言えてしまう。
試しに大雑把な試案でも作ってみよう。そうしなきゃ始まらん。
で、ヘイトスピーチ規制に乗じて政府権力による濫用が行えないようにする必要は、誰も異論がないと思う。
なんで、限界まで範囲が狭い試案として、とりあえず民族と人種に関する差別のみを規制するような方向で考えてみる。
差別には直接の被害者個人は存在しないので、刑事罰になる。(個人に対するものは名誉毀損で対応できる。)
また、個人的な見解の表明は対象とならない。あくまで不特定多数に対する扇動を防止する。
つまりこういう感じ。