はてなキーワード: デモ行為とは
worris ポストイットに怒り狂ってる人たちは、電信柱の違反広告も剥がして回っているのだろうか。やってないなら「ダブスタ」だね。結局「女が意見を述べること」が憎いんだよね。
ちげーーーーよ!
お前なあ!そうういうドヤ顔が透けて見えるコメントがしたいならちゃんと調べてからしゃべれよ!
めちゃくちゃ恥ずかしいこと言ってるぞお前!共感性羞恥凄いわ!
この件で一番悪いのはクボユウスケ氏だからな
・軽犯罪と認識しつつ駅で無許可のポストイットというビラ貼りの扇動
・被害者支援の寄付をした大勢の人にストーカーのレッテル貼りで妨害
コレで社会が良くなるの?
目的も手段も不明な行為で謎デモ行為をやって他人に迷惑をかけたあげく
一番ダメだったのは「被害者支援の寄付をした大勢の人にストーカーのレッテル貼りで妨害」をしたことがもう忘れられてる!
小田急刺傷事件に関連し、被害者支援団体に寄付を行った人達を、クボユウスケ氏と石川優実氏が「ネット誹謗中傷粘着ストーカー行為常習犯」と侮辱 - Togetter
この件で最悪だったのはクボユウスケだよ。このせいでめちゃくちゃヘイトたまったんだよ。
自分たちの意味不明な活動を自画自賛したあげく、他人の善意の行動を腐すような連中が批判されないわけないだろ。
もちろん誹謗中傷はだめだし、皆本夏樹のことなんかどーでもいいんだがこの件だけはちゃんと批判されるべきだろ。
どーーーーーー考えてもポストイットはるだけで承認欲求満たそうとしてるだけのやつより身銭切って寄付したやつの方が偉いだろ。
にもかかわらず、クボユウスケは「自分のポストイット活動のチャチさをバカにされた」と逆恨みしたのかなんか知らんけどストーカー呼ばわりしたんだぞ。
これのせいで、ポストイット活動してた連中が「自分の承認欲求満たすためだけにやってて他人の行動にケチをつける器の小さい連中」ってことになったんだよ。
若い子が善意で行動しただけだったらここまでひどくならんかったよ。
こういう経緯全く知らないで
「ポストイットに怒り狂ってる人たちは、電信柱の違反広告も剥がして回っているのだろうか。やってないなら「ダブスタ」だね。結局「女が意見を述べること」が憎いんだよね。
worrisって人初めて見たけどほんっとひどいな! 頭ちょっとくらい使えよ!
やっぱりはてブフェミ「ポストイットに怒る男たち―」って感じで現実を捻じ曲げて、自分の都合の悪い現実から目をそらしてるんだなってのがよくわかったわ
今後なんか偉そうに発言しても「ああ、この人あの時何もわからんくせに事実捻じ曲げてデマ流してた人か」って記憶しておくのだわ。
あーもうほんっとひどい。長年はてなブックマークやってるとこんなに残念な思考をするようになるのか。
はてブだけはやらんといてくださいよ
#kutooo 運動の創始者である石川優実氏が、ここ最近ビジフェミ界の猛り狂う邪神と化しているのを知って以来、野次馬根性からか彼女を観察するのをやめられなくなってしまった。「こうすれば炎上するに違いない」という打算と本物のヒステリックな怒りが入り混じった意味不明な言動、そしてそれを用いた猛獣の如き全方位攻撃は“”社会運動“”の神輿にまつりあげられてしまった人間がどう壊れていくかの貴重なサンプルであり、ドキュメンタリックな臨場感に溢れている。
彼女はいわゆる“界隈の姫”であり、石川氏がレスバに興じるさいにはフェミニストを自認する大量の男性アカウントがわらわらと湧いてきて彼女に援護射撃をしたり後ろから撃ち抜いたりしている。基本的に男性を男性であるというだけで異常に嫌悪し、「男は性欲のみを原動力とする恐ろしい化け物であるから彼らの娯楽は全て取り上げ檻にでも閉じ込めておかねばならない」と定義するツイッターフェミニズムを全面的に肯定しているというだけでかなり歪な哲学を持っていることが自明だし、その上で「自分はそのような怪物ではなく、フェミニズムによって浄化され女性を敬うようになった解脱者だから大丈夫」とでも言いたげな彼らの姿勢を見ていると“名誉男性”ならぬ(ラディカルフェミニズムにおける)“名誉女性”とでも呼びたくなってくる。
彼はとてもすごい。
クボ氏は石川氏と親しい間柄のようで、頻繁にリプライでやり取りしている姿を見ることができるし、ここでは特に言及しないが、石川氏のTwitterアカウントの運営に携わっているらしいという疑惑さえ出てくるほど石川氏に近しい。
では、彼の何がすごいか?
彼は人を苛立たせる才能にあまりにも長けているのだ。
石川氏が誰かを燃やしたり逆に誰かに燃やされていると気づくや真っ先に駆けつけ、侮辱的な屁理屈を投げつけるのがクボ氏の仕事なのだが、その鋭さたるや並大抵のものではない。
彼の言葉は、それを投げつけられた側がどうしてもカッとなって買い言葉をぶん投げてしまったり、なんか変な受け取られ方してると感じて誤解を解こうと一生懸命返信したりしたくなってしまう魔力に満ち満ちている。言い回しも刺々しく上から目線で、絶妙に相手の話を聞かずに少しずつ論点をずらし、勝手に勝ち誇る。また石川氏シンパ以外のフェミニストにも積極的に喧嘩を売ることで、人々の義憤を喚起しやすい選民思想も鮮烈に見せつけていく。あまりに技巧的だ。
そして彼が敵対者に貼り付けるレッテルもまた、非常に的確に反論をさそう「ズレ」で彩られており、本当に攻撃力が高い。
まともな思考回路の人間はたとえば「通り魔事件の被害者を悼むサイレントデモ行為をなかば揶揄した形の支援金の募集活動がTwitter上ではじまる」→「この支援活動に金を落とした連中は全員アンチフェミのオタクで声を上げる女性をおちょくりたいだけの粘着アンチなんだな!」という連想ゲームはできないし、ネタで思いつけたとしてもうっかりツイートしたりしない。むろん彼がこういうぶっ飛んだレッテル侮辱をするのはこれが初めてではない。
いくらなんでもそんな喧嘩の売り方しちゃダメだろと思うようなやり口のさらに下を行く、侮辱とか以前にあまりに倫理観に欠ける言葉をポンポン思い付きポンポン投擲できるのは間違いなく正常な精神に基づく行いではない。
クボ氏自身の存在それ自体もこの優れたヘイト管理能力の一部だ。彼のツイッターアカウントは、いわゆる“意識高い系アカウント”そのものの見てくれながら何をしている人なのか全くわからず、不気味さとあまり綺麗ではないビジネスの臭いを放っている。これによりそういったものを本能的に嫌悪し警戒しがちな人間が多数を占めているアンチフェミ界隈の、クボ氏および彼の擁護するものたちへの対する怒りを更に煽ることができるのだ。Googleでクボユウスケを調べようとすると真っ先に「クボユウスケ 何者」と出てくるのが良い。「職業」とか「経歴」とかそういうのではなく「何者」というなんとも言い難い問い。まさしく彼の立ち振る舞いを見た多くの人が「何様なんだこいつ……(ドン引き)」と思ってきたことの証左であろう。
ここまで読んで「こんな特徴を持つ石川氏親衛隊はいくらでもいるだろう、つーかだいたいそんな野郎ばっかりじゃんか」と思われる方もおられるだろう。確かにそれはそうなのだが。そうなのだが、だからこそトゥギャッターなどで彼がレスバをしている姿をきちんと見れば、他の騎士たち、そして何より石川氏の言動とも一線を画すクボ氏の横柄さ、異様さに圧倒されるはずである。
石川氏の“売り言葉”には、彼女の少々ゆがんだ価値観にもとづく失言や鬱憤やわがままや憤りなどが詰まっており、ある種の人間くささがきちんと感じられる。クボ氏以外の騎士団員の言葉もやはり、石川氏を思いやる気持ちや純粋さ故の間違った怒りが彼らの人間性を照らし出しているのを見てとれる。
翻ってクボ氏の発言を見てみると、彼はもしや人間を苛つかせるために開発されたAIなのかとさえ思えてくる。他の男性に見て取れる石川氏への媚びもほとんどなく、むしろ敵対者を的確に逆上させることで石川氏陣営とのレスバをさらにヒートアップさせるための布石を丁寧に並べていることが多い。そこには彼の驕り高ぶりと“まちがったふぇみにずむ”のあまりに恣意的すぎる印象が輝いているだけだ。機械的ですらある。なぜこんなに的確に人を怒らせ愕然とさせることができるのか。
それは分からないが、一つだけ確かなのはクボユウスケ氏のようなヘイト発生装置がエンジンとなっていなければ、石川氏は今のように暴走ロケットの如くブッ飛び続けることはできなかったであろうということだ。クボ氏がレッテル爆撃を行うことで呼応する様々な属性の義憤を掘り起こし、それらすべてを自身およびフェミニズムに対する攻撃とみなして迎撃しようとする石川氏の狭量さと溢れる攻撃性が両輪となって“フェミニズム”を彼方まで運び去り続ける。
ゆえにクボユウスケは#kutoo 運動における最大の功労者であり、拡散の立役者でもあり、世間への浸透後の歪な軌跡の象徴とも言えるだろう。
追記:石川氏のことをラディカルフェミニスト(女性を魅力的にとりあげたコンテンツをエロであるか否かに関わらず全て地上から一掃しようとしていたり等するヤバいひとたち。いわゆる“フェミ”の内でも抜きん出てイカれている。思想的には現代のそれよりも過激なカトリックやイスラム教などに近い)であるかのように書いていたが、彼女はその陣営ではない。当人はリベラルフェミニストだと思っておられるようだが、石川氏の行動は上野千鶴子氏などのそれとはいろんな方向であまり似通っていないので何と呼ぶべきなのかはよくわからない。間違えて書いちゃったのを思い出したので訂正しておきます。すみませんでした。
例えばヘイトスピーチ規制法を制定するかしないかの段階で問題となったのは、デモ行為っていう権利の観点からすれば明らかに保護されるべき、しかし社会全体に対して悪影響が見込まれる行為を「差別」と認定するかどうかという話だった。
男女平等という運動が求めているのは例えば、おっさんの個人史に基づく体験からあくまでも個人の思考として「女がお茶を汲むべき」と考えている、その個人の選好を修正せよ、ということだ。
現実問題として、反差別っていうのは、差別的な選択をするなと個人に対して社会から圧力をかけるってこと。選択肢を奪うことでしか達成されない。
そもそも反差別運動っていうのは、いま法律に制定されていないことを法律にせよ、と求めることなんだから法哲学からは何の答えもでない(んじゃないか? 法律は専門じゃないけど)。
トランプ政権に対する一部の過激なデモ行為によって、左翼の本性が明らかになったと言う人がいた。
でも、同じことはたくさんの人について言えると思う。
最近(昔からそんな人はたくさんいると思うが)、他人の意見に対して過剰なまでに攻撃を加える人が多いように思う。
その人の中では自分は正義であって、相手は悪であるから、自分の行為は正当化されるとでも思っているようで、質が悪い。
だけど正義というものは相対的なものであって、人によって違うのだと思う。
たとえば、人工妊娠中絶は殺人なのだろうか。換言すれば、お腹の中の赤ちゃんは「人」なのか。色々な考えがあるはずだ。
「正義」なんていうものは、その人がこれまで経験してきたことや、その人の政治的・宗教的信念などによって作られるものであって、極めて個人的なもののはず。
他人が胸に抱く「正義」を受け入れる必要なんてないけれど、自分の中にある「正義」が絶対的なもので、それを他人が受け入れてくれる(あるいは、受け入れるべきだ)なんて勘違いをしてはならないと思う。
民主主義の制度は、そういうことを前提に、人々がお互いの意見(そして、ひいては人権そのもの)を尊重し合うことができるようにするための、一種のツールといっても過言ではないと思う。
それなのに、どうして過剰なまでに他人の考えを否定し、相手を攻撃する人が多いのだろう。
自分にとって身近な問題としては、「法科大学院の存続問題」がある。
全国に法科大学院が発足し、旧司法試験が廃止されてから久しいけれども、法科大学院は廃止すべきだろうか。
ここでも、色々な考え方があると思う。法科大学院には、良い面も悪い面もあるはずだ。
ただ個人的には、法科大学院には是非とも存続してほしいと願ってやまない。
詳しい理由については割愛するが、法科大学院での日々は楽しかったし、学部では経験できないこともたくさん経験できた。
タイムマシンで昔に戻ることができたとしても、私はまた法科大学院に入学したい。
少し大げさに書いてしまっただろうか。それはいいとして、こうした意見が存在することすら許せない人たちがいる。
彼ら(彼女ら)はたとえば、「どうせ教授に書かされているんだろう」とか、「法科大学院関係者が自画自賛しているだけだ」などと言うのである。
たしかに、私の考えは個人的なものであって、それがすべての人たちに妥当したりなんてしない。
だけど、同じことは彼らの意見にもいえる。
こうした意見の相違は、ただ単に、法科大学院のことを好きな人もいれば、嫌いな人もいるというだけのことのはず。
どちらの意見も、正しくもなければ、間違ってもいない。
あるべき議論の方向性は、ただ一つのはず。そうした意見が混在する中で、お互いの意見を尊重しつつ、みんなにとって最善の答えは何であろうかを議論することなのではないかな。
間違っても、自分だけが正しいと信じて、自分の考えと相容れない人たちを頭から否定したり、攻撃したりなんてしてはならないと思う。
安倍のことは好きでも嫌いでもないし、そもそも政治にあんまり興味もないが、この文言に妙なモヤモヤ感がある。
こういった文言を掲げている人の目的は、安倍を総理大臣から引きずり下ろすことなの?
たぶん違う。
例えば安保法案反対だとか、そんな理由が背景に潜んでいると思う。
でも安保法案に反対だからといって「NO 安倍」はないでしょ。
安倍は誰かの代表として国会で話しているだけであって、安保法案を進めている人たちは安倍以外にもたくさんいる。
「NO 安倍」と言って安倍を引きずり下ろしたとしても、他の人がまた代表として同じようなことするだけなんじゃないかな?
だから、デモにおいては「NO」ではなくて「GO」であるべきだと思う。
何かを否定するだけではなくて、何か代わりのものを見つけてor作ってそれを支持する方がよっぽど建設的だと思うんですよ。
デモやってる人の大半が大人なんだから、いい年して嫌だ嫌だしか言わないのもどうかと…
どうですかね?
試しに大雑把な試案でも作ってみよう。そうしなきゃ始まらん。
で、ヘイトスピーチ規制に乗じて政府権力による濫用が行えないようにする必要は、誰も異論がないと思う。
なんで、限界まで範囲が狭い試案として、とりあえず民族と人種に関する差別のみを規制するような方向で考えてみる。
差別には直接の被害者個人は存在しないので、刑事罰になる。(個人に対するものは名誉毀損で対応できる。)
また、個人的な見解の表明は対象とならない。あくまで不特定多数に対する扇動を防止する。
つまりこういう感じ。