はてなキーワード: 聡明とは
増田が「相手を不細工だとは思ってない」のと同じで、増田弟も「俺モテる」って本気で思ってるんじゃない?
どっちが優れてるとかじゃなく増田も増田弟も、典型的な「自信は無いけどプライドは高い」タイプだと思う。
自信がないから必要以上に謙遜するのに、プライドは高いから誰かを見下す事で自信を得ようとする感じが姉弟だなあと感じる。
増田が弟のことを「尊敬できない」って理由で「すごいね」の一言を言うのですらモヤモヤするところにも、それがかなり如実に出てる。
そういうタイプの人たちは無意識下で「単なるお世辞≒褒め言葉」になってて、人から自分への"お世辞"は"褒め言葉"としてあっさり受け入れられる。人からの肯定で自信を得る成功体験を欲してるから。
でも自分から人に対してはプライドの高さから"お世辞"すら言えない。それすら人を"褒める"、つまりその人が自分より上だと認める行為と思ってしまうから。
増田は見たところかなり弟の存在を気にしてしまうようだけど、いま増田が旦那さんと幸せに過ごせているのなら、いちいち弟さんの事を気にせず旦那さんとの時間を大切に過ごしたほうがいいと思う。
はてな民の絶賛ぶりが怖い
聡明で明晰
車のエピソードからさまざまにいかに毒親と自分が感じているかを第三者的に表現して
1対1の家庭内だけでの関係性について親が狂っているかを自慢されているが全部自己解釈
回答するべき自分の感想・感覚を親をネタに自分で導き出してそれは正解に至るに決まっている
一方からだけではわからないので両者の意見を待つといういつもあるべきブコメも見えず、ここではお前は俺かとばかり散見される
車の運転への口出しを注意したのが偉い
練習なので何かと関わりたい自分も助力になりたいという意志だけで実質なにも効果として寄与できず
ただのうるさい外野になりさがっている無力な母親の自己表現をうるさいと一蹴するのは
身内だから殴ってもいいだろうくらいの感覚ではないのかと思わせる
子供がおもちゃがほしいと働いてもおらずおもちゃがゴミになるだけ機能も価値もないものを
その無知さから欲しがるという選択肢でしか行動を知らない無知で無力な子供に対して
「うるさいだまれ」で対処をする毒親そのものの素質をしっかり受け継いでしかもそんな親でもなさそうなので
さらに毒親要素をこじらせ濃縮しているのではないかと思わせるのに絶賛とはこれいかに
本を読んだ
読んだらどうなったのかまったく不明でしかも他人をまず愛することがと書いてあることを理解(書いてあることを記憶)したと
宿題の絵日記のように書き記しただけでどういう行動をとろうと自分は思ったとか多角的に情報を得たことで
これまでの行動指針が変化したということはなく結婚相談所に登録したとは毒親要素を受け継ぎ濃縮した毒親候補を
結婚目的で出会う場にデビューさせたというだけなのがうすら怖い
言葉のかどをとってネットで発言するとすぐ女性とまちがわれるんだが、という話はよい大人では常識かと思うが
そこは無視して女性ではないか、そしてフィクションでフェイクと言っているので言葉の表現上なにも真実はないということを
何回転かひねって、男性はフェイクだが高学歴は本当なのかとどうしてそこだけ都合よく抽出してくるのかという
理解の利己性についてまったく理解できなさが深淵をのぞき込むような不安を覚える
話きいてたよね?と問いたくなるが発言した単語や表現をリピートするので「聞いていた」のではあろうが
都合のよいところを都合のよい方向にだけつなぎ合わせ全然違う話にもっていくところに人間としての誠実さが
疑われるのではないかとおもうが皆その基準で自分語り大喜利の上では普通だという様子がおかしい
後部座席でうるさいのが母親だろうが子供だろうが、それはその当人が何かしら行動したい欲求があって
ほかに方策をしらないため最善と当人が思う行動をとっているだけのはず
その欲求をやめろだのだまれだの抑圧することはどういうことがいかに自分が不満なのか散々表現しているのでわかるはず
それを自分より年上だからと親という立場だからと差別的に救済措置なくひどく攻撃的に禁止指示や抑圧するのは毒親のそれそのもの
後で聞くからとかいまはこうしてねとか、それをするならもっといい方法がなどできるだけ多くの要素においてストレスや問題の
ない方法を取るべきと学んだことがない親あってこの子ありきの毒解決がよいというならよいだろう
いくら本を読んでもそんなことは(文章として)書いてなかったと学びがないようであれば何を読んでも意味ないのではないか
自分の行動を絶賛してくれる教本や文章を後ろ盾にしていかに毒を薬として他人に押し付けるかということが愛されるという
こじらせをまったく問題と思わずむしろそのわがままは受け入れられ愛されるべきと考えているのはふつうに狂ってる
母親が愛されたくて行動しているはずの問題行動をそれは愛ゆえだといわない時点で他人を愛する気持ちが一番身近な人からして存在してない
親は家庭内で(家族視点から)問題行動を繰り返しているかしらないが立派に自分を育て上げてくれたという社会活動がしっかり存在しているはず
少なくとも家庭と子供と資産を作り上げることができたであろうしまたそれを築くためになにかが壊れたのかもしれないが結果ができている
なんの結果もない人間の不満と考察でそれが叶えば成しえるという可能性もないことを成し遂げた人間に要求する意味は何なのか
薬に多少でも毒要素があればそれは毒だ人を病ませる殺すと騒いでそれが不満であるという自分の意思は尊重されるべきなのか
多少の毒でもそれを引き換えに受けられる恩恵がおおきいのか、そういう特性の一部が役に立つのかなど考察がまったくない
親だからというその特質においてそうなのであれば恋人や家庭にはいった人になるとその条件要求が発動するのか
ほかにも恐ろしくてキモイだけな様相は多々みうけられるが他増田やブクマカが正常な脳の活動にもどって冷静にこのサイコパスに気が付いてほしい
自分の悪い癖でたまに面倒になってしまったらLINEを未読無視してしまうという悪い癖がある。
とても良くないと思って深く反省しもうやらないと思っていたのにまたやってしまった。
どこ行く?という話がとても苦手で、そのまま当日まで未読無視してしまうのをよくやってしまう。
乗り気なら頑張って返すんだけど、本当返せない。
で、またやってしまった。今日は返事をしていない罪悪感で一日中臥せっていた。そして今我に返りどうしようとパニックになっている。
今までこういうことをやったのはさすがにどうでもいい人とかが多かったのでまあいいかと思っていたのだが、そういえば明後日職場で会う人やんかどうしよと思っている。
どうしてやってしまったのか、いや甘えですよね、まあ許してくれるやろ、という甘え。我ながらどうしてこんなにもクズなのか。だからアル中になるんやで。
知ってる。本当は最初から乗り気じゃなかったんだ。だって男女の文脈だから。11月に私がこっぴどく振った相手で、その事実に気を使いながら二人で話すのが面倒くさかったんだ。あと男女の文脈だとつい横暴にふるまってしまう。同性の友人同士だと私ちゃんと誠実にふるまえるのに。もういや。自分で自分が信用ならない。
とにかく謝罪?謝罪か??どうしたらいい???変な言い訳するのもダメなのか?いやでもこういうのはバレバレでも大嘘ついたほうがいいのか???風邪ひいたとか牡蠣に当たったとか言ったほうがいいのか????正直に一日臥せってたと言うべきなのか?言われても困らないか???
聡明な増田諸氏が私の立場ならどうしますか。今からどう振舞えばまだ私の信頼が少しでも回復しますか。ああきっと増田諸氏が私の文章を見ればプライドだけ高く自己保身しか考えていない大バカ者のクズだと罵倒なさるでしょう。少なくとも私の頭の中の父はそう申しております。嗚呼。
総じて良い半期だったと思う。
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・オレが私になるまで 2 佐藤 はつき
相変わらず構成力が高い。進行に無駄がないのもそうだけど、進行しつつ回収/再利用するの上手い。
今更だけどやっぱり表現しようとするメンタリティの選び方が群を抜いて上手いと思う。見せられるまで気づかないんだけど、見せられると「ああ。。」ってなる。「子供ってね」という感覚ではない。
それぞれのイベントはそれぞれの年頃の世界観をハイレベルに反映していて、一括りに語るのが難しい。
適切な言葉を探したけど見つからないので、ぜひ読んで感じてほしい。
このあたりの共感度の高低で本作への評価が大きく分かれるとは思う。
画についてはずいぶん明るくシュっとしたと思う。あとは枠線でこんなに印象変わるんだっていう。母さんに「ありがと」と応えるアキラの横顔が綺麗。
白セーラーのアキラかわいい。ブレザー派のおれがセーラー派に寝返りそうになった。危ないところだった。
印象的なイベントが沢山だけど、やっぱり最後のアキラと瑠海かな。言ってしまえば10代の女性同士にありがちな痴情のもつれなんだけど、瑠海がそう思ってしまうのも無理も無い背景があり。しかし場当たり的な対応で袋小路に向かうアキラを救うのはやっぱり瑠海で。
2 巻は電子書籍サイトのランキングなんかでは結構良い位置にいるのも見かけたけど、もっと売れて良い作品なのでみんな読んで読んで。
出版社は電書サイトの良いとこに広告出して!書店は天井に届く勢いで平積みにして!
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・スペクトラルウィザード 最強の魔法をめぐる冒険 模造クリスタル
前作も面白かったけど、本作はさらに面白かった。ストーリー物では多かれ少なかれ都合よく話が進むと思うんだけど、本作はぜんぜん都合良くないんだよね。登場人物がそれぞれのイデオロギーに従って行動していて、なかなか収束する感じがしない。そこに生まれる摩擦や軋み、人間臭さにずっしりと覆われる感じ。
そう書くと重そうだけど、エンタテイメント感が増しているので読みやすくなってる。ファンタジーのクラシカルさとアメリカンなアクション物感を混ぜたかんじ。
人間臭くて、静謐さ荒々しさユルさが混在する世界観がユニークでカッコいい。模造クリスタルらしい大仰なやり取りも映える。
画はパッとしたなあという印象。前作と比べると疎密とか引き寄りのバランスが良い気が。読みやすくなってるけど、ダークさや静謐さも前作以上に上手く出てると思う。フェニーとスペクトラは最高にカワイくてカッコいい。
おおむねスペクトラの内面にフォーカスしつづけていた前作と異なって、ドラマの中にスペクトラの内面を埋め込んでいるように見えた。(前作もリレントレス~はそうだけど。)
良く消化されていて、このへんもエンタテイメント感に貢献していると思う。だけどやっぱり重要な局面ではスペクトラの内面に回帰していて、「板挟みにはうんざり」「日常に戻ろう」と言ったスペクトラを襲う展開の悲しさに言葉を失う。
模造クリスタルをフォローしていない人はこの機会に是非トライ。高いと思った人はページ数を見れば納得!
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個人的にはそのくらいインパクトがあった。ここまでやるんだっていう。どこにもスキがないってゆーか。
画は見どころしかなかった。背景まで演出に動員しててスゲーし、ヒトはもちろん良い。
一花の表情がいちいち良い。「げぼく・・」の表情とか特に好き。
話としては一つ屋根の下でデッドロックした関係にあるカップルとその周辺キャラが繰り広げるドタバタってことで良いのかな。
この構図はなんとなく全盛期の高橋留美子っぽいなあと思った。
百合オタやマンガオタなら読まない理由はない。もちろんそれ以外の人も楽しめる。基本的には面白おかしく楽しく読める百合モノなのでオタからライトまでわりと広い層にアピールすると思う。
同時に凡庸なマンガ表現をバキバキに踏み砕いて進む戦車のような作品。強い。
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京太郎カワイイなあ。おねえと山田は京太郎カワイくてしゃーないな!おれも京太郎カワイイ!
最初のころは山田殺すとか言ってたのに、最近では女子コミュニティの平和維持活動とか山田の護衛がんばってるもんね。
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・うちの息子はたぶんゲイ 1巻 おくら
ある状況を受け入れ可能にするのは(親子の間柄とはいえ)愛ではなくて聡明さなんだな。という感想。もちろん愛を否定するつもりは無いけど聡明さが無ければ愛は意味を持たない領域があるんだなあと。愛による理解を試みてハマったのがシロさんのカーチャンなわけで。
こうした構図を作品世界の中でさらっと表現してみせたのはインパクトあった。理解を求めるのではなく、気付きを提示したという点が新しさなのかな。理解と気付きは似ているようで違う気がする。
おれの感想で小難しい作品ぽく見えたらゴメン。作品のテイストとしては重たい演出はなく、構えずに楽しめる良作だと思う。楽しい作品。
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引き続き面白い。安定感。
ロケーションや釣りスキルの面でスケールさせていて飽きさせない。釣りのワクワク感が失われないのが凄い。
ところで夏海はマンガ界で一番ハイカットのスニーカーが似合うと思う。上手い。
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作品のバリエーションが増えてて面白かった。SF百合的なのもフォローされてたりして。いろんな方向性の作品があると保守的な百合作品も輝きを取り戻すなあと思った。個別の作品ではあらた伊里が良かった。「許してくれるまで」はニヤニヤせざるを得ない。
まあでも、最終的に百合界のモヒカン平尾アウリが全部持ってったけどね。種籾まで奪う勢いで持って行ったよ。最高。もちろん「推しが武道館いってくれたら死ぬ」もね。6 巻は全方位にレベル高かった。
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・球詠 6巻 マウンテンプクイチ
まだ 3 回戦なのにこんなに盛り上がって大丈夫なのか心配になるアゲっぷり。
梁幽館にもドラマがあって、ゲームの残酷さと美しさが存分に表現されていたと思う。高代出塁のシーンはもう先が読めるだけに泣いた。
もちろん希のホームランシーンはエモエモで最高。画的にも一番の見どころ。
それはそうとスタンドのお姉さま方ガラ悪すぎw。らしくて好きだけど。
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・さめない街の喫茶店 2 はしゃ
想像以上に動きがあって驚いた。固定的なフォーマットで最後まで行くタイプの作品と予想してたんだよね。
でも 2 巻はゆっくりと、しっかり盛り上げてて。本作の"らしさ"が感じられる良い演出だったと思う。
画が良いだけのマンガだと思ってる人はぜひ手に取ってほしい。
とはいえ、やっぱり画は最高で。
画が良いと調理工程も楽しく読める。自分は食べ物マンガ好きだけど調理工程はほぼ読まないので(シロさんが酢豚に入れたのがラー油なのかデスソースなのかわからない)、本作が唯一調理工程まで読む食べ物マンガだったりする。
2 巻はトルココーヒ淹れてるとことか、穴ドーナツ揚げ中のシーンとか印象に残った。
他にはスズメの表情も面白かった。笑顔でイラッとしてるとことかブツブツ言ってるとことか。
スズメとヒナのキャトルに舞台を移した続編とか出ないのかな。スズメとヒナのキャトルもっと見たい。見たい。
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・廃墟のメシ2 ムジハ
2巻はさらに面白くなってた。相変わらず端々ににじみ出るコメディ感が可笑しい
突っ込むべきなのか突っ込んだら負けなのか。
ストーリーも先が気になる要素が色々で期待させる。
画も相変わらず良い。動きのある画も楽しいし、座ってるだけ、立ってるだけ、歩いているだけの画もいちいち良い。
上段見開きにハルカの後姿のシーンが2つあったけど、どちらも良かった。奥側も良いし、ハルカが少し膝を折ってる姿勢がぽくて良い。髪の流され方も。
エレベーターの前に立ったシーンみたいな背中に重心がある立ち姿が好き。
サンダルで塔から出てくるシーンがイイね。塔がカッコいい。家に帰ってきたシーンとかも良い。
俯瞰で寄った時のハルカもイイ。まあだからだいたい全部良いんだよ。
ストーリー物であっても、毎話毎ページいろいろな方向から楽しませてくれるのがうれしい。
(先が気になる以外に見どころの無いストーリー物も多いからね。もちろんひたすら丁寧にストーリーを追っていく良作もあるけど。)
かなり広い層が楽しめると思う。もっともっと話題になって良いと思うんだけどなあ。潜在読者かなりいるはず。
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ひたすら丁寧にストーリーを追った良作だった。完結。
ブレない世界観、タイトな展開、ストイックな表現。ここまで絞り込まれた作品は近年珍しいのでは。(おれがストーリー物あんま読まないのでそう思うだけかもだけど。)
完結したし読んでない人はまとめて読むと良いんじゃないかな。最初は一気に読まないと追いにくい。
ガワは SF ではあるものの、テーマとしてはヒューマンってことで良いのかな。とは言え LIMBO という仕掛けは作品の重要な土台ではある。
パンデミック物としてみた場合でも新しいアイデアじゃないかな。こういう攻めはマンガや小説みたいに読者に時間が与えらているメディアが向いてるなあと思った。
作画は狭い画角に人の表情を中心とした密度の高い画が続く独特な感じ。作品の内容にマッチしている。というかそういう狙いでそうなってるんだろうけど。大きな流れの中にあって、全体像をつかみかねる登場人物たちが何が起きているのか模索するという構図がすごくそれらしく表現されてる。
人の表情や人体はさすがに上手い。作画のバリエーションに乏しくてカオばっか描いてるマンガとは違う。イケメンたちのイイ表情をたっぷり楽しめる。
個人的にはセスが好きかな。表情に乏しいんだけど、そのせいで余計に思ってる事が出てる感じとか上手い。
ヒューマニズムとしての構図や展開はよくあると言えばよくあるんだけど、そんな批判を「だから何?」と軽く払いのけるタフさがあり、このタフさこそが王道と呼ばれる何かなんだろうと思う。
ルネの記憶の中で、アダムに希望を与えたものが、アンジェラから受け取った自身の言葉が、ルネに希望を与える。アダムの望みがルネの心を捉える。このシーンは何度でも胸をつかまれる。
最近では珍しいドストレートで良質なヒューマンなのでみんな読むといいよ。マンガにこだわらず良いコンテンツを探している人なんか特に。
好きとか嫌いとか、どうのこうの。
でも罪深いのは彼女ではなく、彼女を持ち上げてジャンヌダルク扱いしてる世界中の大人だよね。
彼女の言ってることは、思慮が足りない、独善的で、軽薄な、年相応の子供の夢物語だ。
世界を二分論で語り、欧米リベラル系環境カルトの喜びそうなことをそのまましゃべっているだけだ。
ネットでよくある「子供が言った言葉にハッとされられた」ってあるでしょ。あの子供の役回りを世界中の大人に向けてやってる。
そういう子供の心理は「こういえば大人が喜んでくれる。私を褒めてくれる」というある種の悲しいロールプレイを演じることにある。
ところが、大人は全くその子供の悲しい習性を理解せず、「子供が曇りない眼で真理を突いたぞ」と持ち上げてしまう。
けいおんを、「子供が『なんで金髪碧眼の人しかロンドンにいないの?』と言ってた。鋭い」という親がいた。実際にはけいおんの劇場版には多種多様な人種が描かれていた。親は子供の演技に気づかずに、SNSに鋭い子供として紹介してしまう。結果、作品のファンから総ツッコミが入る。
子供は純粋ではない。聡明な子供は、親に褒められるために、親の喜ぶことを言う。
彼女のいうことにも、振る舞いにも、「周囲の大人を喜ばせるため」の物が多い。
だから彼女は周囲の大人が喜ばないことは絶対にしない。中国批判などは絶対に避ける。
いまや世界最大の温暖化排出国である中国批判を彼女はかたくなに拒む。
それが周囲の大人のイデオロギーであり、彼女が中国のような国を公然と批判するのことができないのは「ハリウッドやそっちの大人に対してうけが悪い」からだ。
彼女の立場は、彼女の能力や才覚によって作られたかのように見えるかもしれない。
だが実際には周囲の大人たち(世界中のあるイデオロギー層の大人たちともいえる)を喜ばせるために作られたものだ。
これは、なにも子供に限ったことではない。大人でもよくあることだ。
一つ鋭いことを言ったらバズった。そのあと同じ傾向のことを言い続けてだんだん過激化していくネットのアルファなどその典型だ。
本人が自分の意志でやっているかのように見えて、実際には周囲の要求に無限に応える偶像化しているだけである。
過去の捏造問題で、ある人物が炎上している。あれも、周囲の期待に応え続けた結果、うそをついて過去の恥を作り出さなければならなくなったんだろうと考えている。恥ずかしい過去や言動を晒すことで人気を得た結果だと思う。
大人ならば、それは自己責任が成り立つだろう。しかし15歳の少女に政治的偶像の立場は、はっきり言って残酷である。彼女の言動は、極端で感情的で、何より周囲を喜ばせるために過激化しているとしか思えない。飛行機に乗らないなどはまさにその典型だろう。
彼女をジャンヌダルク扱いしている大人たちは、ジャンヌダルクがどうなったか、その末路を知っているのだろうか?
同時にネットでバズって人気を得たアルファたちも、だいたいおかしくなった。
なので、暴力が相手に与える痛みを知っているかどうか?はあまり関係ありません。
キレやすい子として、いずれ近いうちに同じことを繰り返すでしょう。
たとえ話です。
怒られた人間は、ひどい風邪をひいていても、ちゃんと図書館では咳を我慢できるようになると思いますか?
反省のできる聡明な子は、生涯、二度と図書館には行かないでしょう。
反省できない子は、「風邪ひいてるのに、咳なんて我慢できるか!」と、心の中で自分の行為を正当化するだけです。
・自分が咳風邪をひいているかどうか?を見極める判断力を身に付ける
・そもそも風邪をひかないような健康的な肉体を手に入れるために、十分な運動、栄養、睡眠をとる
というものです。
とても小一時間叱っただけで身に付くものではないことが分かるかと思います。
・そもそも激昂しないような精神を手に入れる為に、野菜、運動、瞑想、睡眠を心掛ける(xevra師は偉大なり)
今日、東京を離れることになった女友達とランチを食べにいくことになった。
あんまり女同士でこういう話は普通しないんだけど、彼女も私もミサンドリー気味であることが分かった。
我々は、いわゆるフェミナチではないんだけど、男の人から性的な目線で自分を見られるのがすごく気持ちが悪くて嫌だということで意見の一致をみた。ここでいう男の人とは、好色な視線を投げかけてくるその辺の気持ち悪いおじさんだけではなく自分が好きな男性も含まれる。この感覚は女性同士でもあんまり分かってもらえなくて、自分の好きな男性からは女として見てもらいたいという人が多い気がする。
我々は、自分たちが人間として愛する「好きな男性」が自分を「女体」というプリズムをとおして見ることを悲しむ。「好きな男性」だからこそ、彼が私を顔のついたマンコとして捉えることが哀しい。「好きな男性」からは女ではなく人間として認めてもらいたいという気持ちがある。
「好きな男性」は、私たちを「聡明だ」とか「高い知性」があると言ってくれるけれども彼が私たちを対話相手に選んでくれるのは、私たちの女体に興味があることが前提だ。もしも、我々が「好きな男性」を遥かに凌駕する教養や学識を披露すれば、好感にみちたニコニコ顔は一気に強張るのを知っている。
もちろん、世の中には我々を顔のついたマンコだと捉えず、人間として扱ってくれる男性も多少いるのは知っている。でも、首尾よくそういう人に恋できるかどうかはわからない。
「好きな男性」に女として求められることは陶酔的ではあるものの、それと同時にものすごく吐き気がする。我々の女体が通用するうちは、この吐き気とずっと戦わなくてはいけないということで、二人でさめざめと涙した。
彼女の心に触ることができて、とても感動した。女同士でこうした心と心が触れ合う会話はなかなかできない。多くの女性は、「好きな男性」とその手の会話をしたいと感じるようだ。私もかつてはそうだったけど、男性とこういう話をすると彼の性的好奇心を刺激してしまうようだったので、正直気持ちが悪くなってしまう。
なんというか取り止めがないけど、女同士の絆っていいなって話です。
思い切り無視されるか、ミソジニストどもにめちゃくちゃに叩かれるかと思いきや、ご親切に相談にのってくださる方が多くてビックリしました。日本ってこれでもより良い方向へ進んでいるんですね。
最近のインターネット(というかツイッター)はめちゃくちゃ鋭いので、思考の凝り固まった議員のツイートとか前時代的な主張をする記事が毎日そこら中で燃えている。確かに叩く側の考え方は進歩的でモラル意識も高くて正しいとは思うんだけど、誰も彼もに聡明であることを求めるのは無理があるような気がするんだよな〜〜〜
もちろん健康的な思考を広めることは必要というか、それを目指すべきなんだろうけど、でもそうじゃない人たちに対して感情的になるのは違うだろ、と思う。聡明でいるのってめちゃくちゃ難しいじゃん………年代が上がるほど過去の経験に縛られるだろうし、正直20代でも頭が悪いからそんなとこまで思いつかねぇよと思いながら固定観念を正したりもする。難しいな〜〜〜〜
1:入店
「お邪魔しまーす!」と大声で叫ぼう。叫ばないと「新参か?」と思われて味噌汁を出してもらえない場合がある。
2:食券購入
入店すると食券機が目の前に見えると思う。
ここで絶対気をつけてほしいのはなるべくお釣りを出さないようにすること。食券機といえどもお釣りは切れる。
1万円入れて千円札たくさんと小銭を出すなんて真似すると味噌汁をだしてもらえない場合がある。
聡明な人なら気づいたかもしれないが、多くの人がカルビ焼き定食500円を待ち望むのは500円玉を用意しておけばこういった事を気にしなくていいし、1000円札入れて500円おつりになっても、前や後ろの人の500円が券売機から排出されるため問題がない。一歩上級に行く場合は目の前の人が500円を入れたか1000円を入れたかを確認して両替の手間を減らす等、店舗に貢献しよう。
3:着席
ここはビビること無くあいてる席に座ろう。座った後は、お茶を受け取りつつ食券を差し出せばあとは待つだけだ。
4:サラダ
松屋でよく驚かれることなのだが、定食の場合はサラダがついてきて、高確率で食券を渡した直後にサラダを出される。
これは料理が来るまでに食い切るか、料理が来るまで一切手を付けない事が正しいとされている。
手を付けたものの料理が来てしまった場合、味噌汁を出してもらえないことは最低限覚悟しておくべき。初心者は料理がくるまで素直にまとう。
5:食事
食べよう。味噌汁は出してもらえたらありがたがって全部飲もう。
6:退店
料理の料金を机の上に置いてそっと席を立って退店しよう。