はてなキーワード: あいの里とは
アプリでの抽選になってから初めてのテントサイトだったけど、わざわざ区画決めるのに並ばなくて良いし、どうしてもって希望のエリアがある訳でもないからかなり便利だったな。これはずっと続いて良いシステムだと思う。
今年も沢山食べたけどハズレはほとんどなかった。ただ暑すぎて時間帯によっては飲み物買うだけでも結構な列になってたな。売ってる人もすごい大変そうだったし。それでも他のフェスよりは全然良かったとは思うけど。電子決済に関しては個人的に苦労したとか全くなかったけど、Docomoの電波がめちゃくちゃ悪かったらしくそうなると電子チケット(バスとか)が出せなくて大変だったっぽいので自分に降り掛かってたら大変だったな〜と思った。電子チケットって便利だけど、スマホ壊れたりしたらおしまいなのが怖すぎるんだよなぁ…。
JTBのシャトルバスに関しては普通にスムーズだったのでとても重宝した。札幌駅↔会場路線があるのは本当に便利。普通のシャトルバスはかなりの地獄絵図だったっぽいが…(1日目キャンパーズ時間前のステージ終演後に乗ろうとしたら乗るまでに2時間並んで、麻生に着いた頃には終電なくなってた人沢山居たらしい…)今年駐車場も取れない人多くて(民間の会社?が解放してくれた所があったとは言え)取れなかった人がシャトルバスに流れたのもあるのかな?もうちょい駐車場広げてあげて欲しいけど人手不足とかも関係してそうだからなぁ…。でもこれは来年改善すべき案件だと思う。
☆お風呂
人手不足が関係してたのかお風呂詳細出るの遅過ぎてめっちゃヤキモキしたけど、ちゃんと行けたので良かった。今年は初めて行くあいの里って所だったけど小さめではあるけど綺麗で良かった。ただ時間がタイト過ぎて焦りまくる…。多分もうちょい大きな所だったら良かったかも。
☆暑さ対策
今年本当に異常な暑さで1日目のサンボ前に既に倒れてる人を見かけたぐらいだった…。晴れてるのは最高だったけど暑すぎて全てに集中出来なかったのが悲しい…。ライジングの良さの一つが爽やかな暑さなので今年は名古屋と大して変わらない息苦しさだったのが精神的にも体力的にもダメージくらってしまったな…。あとシャツに振りかけて涼しくなるやつ個人的に全く効果なかった!!!普通に濡らしてひんやりするタオルとか持っていってた年もあったけど、今年こそ必要だったなと強く感じた…。
基本的にマスクつけてたけど、つけてるのがマジで私と友達だけなのでは!?と思う程マスク率は低かった…。フジロックのマスク率0.1%って話、嘘だろ!?って思ってたけど本当だったわ…。正直自分だけつけてて意味あったのか分かんないし普通に暑いし、来年行けるならその時はマスク外せる環境であって欲しい…。個人的にはフェスでも石鹸で手洗いはこれからも続けたいな。
☆総括
色々あったけどやっぱり1年に1度の楽しみであり最大の娯楽なので行けて良かったなってのが一番。でも本当にもう少し涼しくないと厳しいかも…。何せババアだし…。来年はどうなるか分かんないけど行きたい気持ちはめちゃくちゃある!!
はぁ、
男なら(女も)だまってC定食え。
へんみ
大人数で行け。以上。
俺ここ大好き
晋香苑
運城飯店
食べ放題でとりあえずいい。
渤海飯店
コメントなし。
孔子餐店
孔子の子孫は奥さんの方な。北大界隈でしっかりしてるのはここ。
辛いの頼め。親父の釣り談義に付き合え。
深いこと考えるな。なんらかのセットを頼め。
これに関してはかつてススキノで宝来の系譜にやたら詳しい謎の親父に教えてもらったんだけど泥酔して忘れてしまった。
珠華飯店
マックスバリュというスーパーに車を停めていいのか? だめだ。
そんなことばかり気になってあんかけ焼きそばの味を覚えていない。
広龍
最近こういう店が少なくなった。出前をやってる。
進龍。
閉店になった店だが許してくれ。
平成軒。
秀円 ひでまる
聚宝
南郷通の雄。
北海楼
よく知らない。よく知らない名前の麺を食え。
元増田はおそらく札幌のかなり街中に住んでいるのではないだろうか。
街中だとブコメなどで言われる名店「香州」くらいしか出てこないのだが、実は札幌には以外にそれぞれの地域の顔というか雰囲気がある。
東区はざっくり下町だし、西区はハイソ。丘側が顕著。旭ヶ丘高校近くだと若者多くて華やか。
南はなんというかどっしり。その途中の澄川あたりも独自の文化がある。
北は北高あたりで一つのまとまりがあり、学園都市線沿線で文化圏があり、あいの里がその文化圏の周縁になる。
東は川渡った向こうで別次元で南郷通界隈はそれぞれ文化圏が違うし新札幌は一つコアになる。その向こうは昭和の新興住宅街でそれぞれ文化がある。
街中華はそのそれぞれに、それぞれの人々をお客として成り立っている。
ここに書ききれないお店はいくらでもある。
味は保証できないが。
一ついえることは、実は札幌は今述べてきたような各地域「レペゼン」の色はあまり語られてこなかったのだ。
当然、各地域の色はある。ところが、それを論ずる人はほぼいない。
これはおそらく伝統的に札幌市が博物館構想の中で歴史系を等閑視してきたことに関係があると思う。
札幌は市内でいろいろな地域性「レペゼン」があるのだが、ついにそれを客観的に論じようとする研究者を生む余地を作ってこなかった。