はてなキーワード: 物言いとは
正確には連日二人目ですけど。
ガチ恋なんてしてないし、理想通りの結婚をするなら2000歳を超えてる不老不死ピンク髪のじゃロリ美少女を選ぶ。
でも、推しの結婚報告を目にするたび、尋常ではない喪失感に胸を締めつけられる。
と不躾な物言いをしてくる輩もいる。
むしろ、推しがちゃんと幸せな人生を歩んでいたのがわかって嬉しい、良かったと思うのがファンとして一番の心情で、迷惑でないなら「おめでとうございます!」の一言でも贈らせて欲しい。
だが同時に、心の中にぽっかりと穴が空いてしまった感覚があるのも確かなのである。
幸不幸に関係なく、どんなにおめでたく歴史的な瞬間であろうとも、もう二度と昨日には戻れないという事実を突き付けられたような一抹の苦味。
それはきっと、ミロのヴィーナスの両腕の復元に成功して、サクラダファミリアも完成した世界で生きていくのに等しい。
思考実験だったとして、男女入れ替えてみてもあまり賛否は変わらなそう。
男女を「戻して」、さらに増田に有利な条件つけて、「夫はパチンコに出かけて身重の自分は川向こうの夫実家からぜひこっちに来て避難しなさいとプレッシャーかけられてて」みたいな状況で、はてなより女性視点バイアスの強い発言小町での投稿だったとしても、「とにかく自分の身は自分で守れ」という論調は変わらなそうに思う。
そうではなくて、「仕事している夫が、仕事中にウザいラインしてきた妻のことを愚痴りたいが、自分視点で書くと妻擁護の謎理論クソリプが来てしまうと考えて、男女入れ替えて立場も入れ替えて投稿した」…とか?
「奥さんも不安だったんですよ」「仕事と奥さんと天秤にかけてあなたは仕事を取った、その結果奥さんはパニックになったのでは」「パニックになってる人にあなたの言い方はキツすぎる、もっと不安に寄り添ってあげて」とかいうブコメが付きそうではある。
…いや、発言小町ならありそうだけど、はてなではブコメに散見される「パニックになったら人間なんてこんなもんでしょ」
程度にとどまるかな。
…しかし、仕事してる側が立場を入れ替えた投稿したとすれば、あまりにもパニクってる側の混乱と無自覚さの描写が上手いような気もする。この仮説は弱い気がしてきた。
私個人は、元増田の投稿のままでも、増田の妻はあまりストレートでない物言い も してると思う。
誰かのトラバにあったけど、この夫婦は二人とも会話が一対一で対応してないんだよね。そして相手にしてほしいことを直接的に言わない。
「〇〇した方がいいんじゃない?」みたいな言い方ばかりに感じて、私はそれがイライラした。増田にも増田の配偶者(思考実験だとすると妻だか夫だか知らんけど)にも、どっちにも。
前に鬼滅の刃の感想で、日常パートは会話がすれ違ってる、というのを読んだ。鬼滅は読んだことないけど、この夫婦みたいな会話なのかなあ?
https://www.nicovideo.jp/watch/sm37128926
「差別撤廃の歴史を知らないから」差別しちゃうんだ、とかいうやつ
差別にランクを付けて、質が違う、苦しみが違う、みたいに言ってしまうやつ
みたいな
リベサヨにありがちなのが、この構造的差別に苦しめられたのだから、黒人の暴動は理解できるというやつ
そのくせ、日本にいると、「暴動は支持しないが理解できる」とか日和っちゃうやつ
「えせ同和」などと切断された活動もあるが、アイヌ関係も胡散臭い活動家が居る
昨今はLGBTもここに入ってきた
3は差別とされないことが多い
差別ではないんだから罵倒していいし、偏見で犯罪者予備軍にしても良い
そんなことを、憚りなく発言する「反差別」の人間もたくさん見た
「社会的」なのもそう
一部のバカが「区別」と呼ぶソレに正当性を付けて社会化したのが「社会的差別」だ
社会的な常識となったから、法律などで固定化したのが「構造的差別」だ
個々の事象は、罵倒であったり、排除であったり、偏見であったり、そういうもの
それらを「差別」と呼んでるだけだ
バカはさ、酷い差別じゃないと救済対象じゃないって真顔で言うんだよ
違うよ
「相手が血反吐を吐くほど苦しむようならやめてやろう、どうだおれは進歩的だろう?」みたいなバカだから差別するんだよ
今回のBLMは、黒人利権を強くして、白人の区別は悪い差別、黒人の差別は良い区別、みたいになるだけだぞ
本当にアホくさい
厚労省の新型コロナウイルス接触確認アプリ「COCOA」がリリースされてから、
ちらほらと「会社から自分のスマホに入れろと言われた」と聞く。
聞くというか、弊社もだ。
「任意です」
という名目ではあったが、ブラック部署のブラック上司が勝手に「必須です」「強制です」と
既に弊社でも「入れるか入れないかは意識の【問題】だ」などと、あたかもCOCOAを
使用しない社員は【意識が低い】とでもいうような物言いをする老害が発生している。
コロナ対策の名の下に行われているハラスメントについては陰性証明書を求められるなどを
よく聞くが、ここに
などの「COCOAハラスメント」略してココハラが加わることを危惧している。
「で、濃厚接触の通知が来たらどうなんの?」と会社の対応が不明瞭であることを心配する声も多いが、
「通知が来たって休めるわけじゃない」「会社には言わない」という声もあり、これじゃあ
感染者は減るはずがないよなと思う次第だ。
増田には某TRPGサイトで知り合った1○年の付き合いがある身内がいた。Discordでチャット部屋を作って普段からグダグダ話したりオフで飯を食いにいったり普通の友人となんら変わりはなかった。
ただ、息苦しい時があった。
「○○(ゲームシステム)やりたいなあ」と呟くと「じゃあお前が回せばいいじゃん」と返された。返す側はよくマスターをやってもらう人なのでその意見はもっともだ。もっともだからこそ息苦しく感じる。呟きにマジレスされる感覚を覚えてしまったのが始まりだ。
ここから先はもはや個人の好き嫌いになるが増田はA氏のはっきりとした物言いが苦手だった。苦手意識が加速したのは彼が結婚した年からなのだがやたら物言いが尖ったというか、気の強くなった印象を感じた。
彼はグループ内でよくマスタリングをしてくれたおかげで発言権が強かった。
増田の不安についてチャットでぼやいた時に「そんなことは誰にでもあるんだから悩まないほうがいい」という趣旨の発言をし、それに周りが追従した瞬間
増田はその日のうちに部屋を抜けた。
身内部屋を抜けたらTRPGについても「やる相手いないしなあ」と興味がなくなってしまった。
今までの身内が楽すぎて新しい相手を探すというのも多分怖いのだろう。
こうやってどんどん増田の中の何かが死んでいくんだろうか。
最初は風俗ではなく、見学店というところで働いていた。見学店というのは、マジックミラー越しにお客さんが女の子をオナニーするのを見るというどの層に需要があるのか分からない店である。詳しくは調べてほしい。
自分で言うのもだが、わりと可愛いほうだったので楽に稼ぎたいなと思い働き始めた。
しかし完全歩合制だったから、パフォーマンスの指名が取れないとその日の給料が0円で帰宅するときもあった。
給料が安定しないのにモヤモヤして、次はオナクラで働き始めた。ここはバック率が他店より良かった。でも、ここの客がいちばん気持ち悪かったかも。学園系のオナクラだったので、若い子が好きな本強クソ客ばっかりだった。そこではなんとか本指名のお客さんや良い同僚に恵まれたので、楽しいのは楽しかった。待機室も賑やかだったし、出勤するのが楽しみになるくらい。ここで頑張りたいと思ったが、風俗業界の閑散期に病み、他店へ移籍して新人として売り出してもらいこの閑散期を乗り越えることを決意。どんなに客入りが悪い時期でも、新人というだけで客がつくというマジックにあやかるため、オナクラから性感エステ店へ移籍。
性感マッサージはもちろん、前立腺マッサージまでみっちり講習を受けて堂々デビュー。しかし、こういう性感エステ店では、私のような若い女は売れにくいらしかった。少し成熟した女性の方がテクニックがありそうという理由で選ばれやすいためである。なので入店〜数ヶ月は本指名がとれなくて本当に苦戦した。たかが風俗されど風俗、本指名をとるためにテクニックを磨くため新たに講習を受けたり、ブログ更新を頑張ったりした結果、ちらほらと本指名がつきはじめ、出勤したら必ず1人はだれか本指名からの予約が入るくらいには持っていけるようになった。太客もついた。太客には本当にお世話になりました。多分月に50万は使ってもらってたと思う。風俗、それも1人の風俗嬢に月50万使うってすごいなぁと俯瞰的に思っていた。
お金がほしいというより楽して稼ぎたいから風俗していた私だったが、メイドさんになりたいという密かな夢があった。ちょうど性感エステ店に飽き始めていた時に行ったメイドカフェに感銘を受けて、すぐキャスト募集に応募した。
さすがに風俗とメイドカフェの掛け持ちをするのは勇気がなかった。バレが怖い。それにダブルワークは体力的に向いていない。性感エステ店を卒業することになった。
性感エステ店にラスト出勤したとき、最後の枠に人気もテクニックもない新人の頃から毎月かかさず指名してくれたサラリーマンの人が来てくれた。
嫌な仕事じゃなかったし、むしろ楽しかったから辞めるのは少し寂しかった。
そして今、念願のメイドカフェで働いている。とても楽しい。働けて良かった。働き始めた当初心配していた、「風俗時代の客がメイドカフェに来店する」という懸念事項は今のところ杞憂で済んでいる。
ここ数年の自分の経歴を振り返りたくなったのは、このコロナ禍の中ではあるが、就職が決まり、メイドカフェを退職する運びになったからだ。
風俗で出会ったお客さんもメイドカフェの常連さんもみんな等しく私は愛している。みんなに今まで楽しい時間をありがとうと言いたい。魔法が解けるという物言いはロマンティック過ぎるかもしれないけど、そんな感じがしている。
好きな同人作家がいる。
カップリング二次創作の小説サークルをやっている人で、交流はない。無記名式のメッセージフォームに何度か短いコメントを送ったことはあるけど、認知はされていないと思う。
数年前この作家が即売会に出席した。スペースに向かうとオタクらしい服を着た女性がいた。すっごいおっぱいがでっかい。
金を払い、本を受け取り、その場を離れた。500円玉の代わりに手元にやってきた、100ページ超の文庫本は、分厚い紙を使っているのか、やけに重かったが、正直なところその本の内容より、作家のことが気になってしまっていた。作家はおっぱいが大きかった。巨乳だった。
ブラウスの裾をスカートだかワイドパンツだかにしまっていたので胸が強調されて見えただけかもしれないけど、とにかくおっぱいがでけぇなという印象が強かった。強すぎて、好きですとか、応援してますとか、頑張ってくださいとか、そういう当たり前のことを何も言えなかった。
同人誌は面白かった。作家がウェブ上で公開しているSSも面白い。ツイッターは時々狂うけどまぁ解釈は近い。そのままその作家を追った。
その後も作家は何度か即売会に出席したので本を買った。必ずおっぱいを見た。作家はフェミニンな服を着ることが多くて正直胸が浮いていた。だから目が向くんだろうと言い聞かせた。
あるとき、作家のツイッターアイコンが真っ黒になった。オタクはジャンルで喜ばしくない(或いは喜ばしい)動きがあるとアイコンを単色にしたり、スクリーンネームを「無理」とか「しんどい」とか「墓」とかに変えたがる。作家の場合はどうも、よろこばしくないパターンのようだった。
作家はツイッターアカウントを消し、ピクシブアカウントを消し、倉庫として開いていた個人サイトを閉鎖した。
作家の作品が読めなくなるということよりも、作家が即売会に出席しなくなること=作家に会えなくなることが心配だった。正確には、作家のおっぱいが見れなくなるのが嫌だった。見たいだけで、触りたいわけじゃないんだけど、だからこそ見れなくなるのは困る。
少しして、カップリング名でパブリックサーチをしている時にたまたま転生アカウントが目に入り、再び作家の動向を把握できるようになった。
作家はあけすけな物言いをするようになっていたものの作品の傾向に変化はなく、即売会への参加にも前向きだった。またスペースへ行き、本を買い、おっぱいを見た。
その時は今までとは違ってボーイッシュな格好だった。Tシャツにパンツにカーディガンみたいな、ラフな感じで、あまりおっぱいは目立っていなかった。それで余計におっぱいへ意識が向いてしまう。そろそろバレてるだろという気もしたけど、オタクは基本人の目を見て話さないし、下ばっか向いてるもんだから、多分大丈夫だったと思う。
で、この作家がまた病んだ。病んでまた全部消した。今度はどういうワードで検索をかけてもそれらしいアカウントを見つけられなかった。非公開のアカウントを作ったのかもしれないし、ツイッター自体やめたのかもしれないし、そもそも二次創作から撤退したのかもしれない。
とにかく作家のおっぱいを見ることが出来ない。作家のおっぱいが忘れられない。秋にジャンルのオンリーが開催される予定なので、作家がそれに参加してくれれば良いのだが、今のところ出来ることは「祈り」しかない。
別に恋愛感情を抱いているわけでも性欲の対象として認識しているわけでもないのだが、どうしてもあの作家のおっぱいが気になってしまう。もう一回見たいし、できればどうにかして忘れたい。
痴漢はごく普通の娯楽で、ごく普通の男性がやっていた時代があったんだよ。
出勤前のちょっとしたお遊び程度の感覚で痴漢する男性が沢山いて、それを公言しても別に咎められもしなかった。
「女も触られたがっていて、触られて喜んでいる」と本気で思っている男性も沢山いた。
今で例えるなら「風俗通い」くらいの認識か?まああんま上品な話ではないし公言したら多くの女には嫌われるから言わないけど男同士では何とも思われない、
男なら誰もが痴漢くらいした事あって当然だよな、というそういう感じ。
警察もその程度の事で騒ぎ立てる女の方が頭がおかしい女、痴漢なんかでいちいち警察の手を煩わせるな、という認識で
だからこそそういう状況を変えるべき、とされて「痴漢は犯罪です」というポスターが作られたわけで。つまりそれまでは犯罪とすら思われていなかった。
まぁあなたは単に能力が足りていないから仕方がないよ。普通の人以下の能力なんだから、普通の人以下の人生でしょ。
ほんとのところ、実生活で友達と呼べるような人ってできたことないでしょ?
大人になってからはもとより、学生時代から忌避される存在だった。
普通の人は普通に人と話して、笑い合い、冗談をいいあったりしながら距離を近づけ、深い関係を築いていくわけだけど、あなたは長い人生のなかただの一人もそういう関係性を築けたことが無いでしょう?
だからね、いまあなたは物凄く歪んだ事を言っているんだけど、あなたが歪んだ人間性になってしまう事は理解できます。だってあなたは人と気持ちを交わす事が出来ないんだもの。寂しいよね。
普通の人だとそこで我がふり治せるんだけど、あなたは自分のどこが行けないか心の底から理解できないんだからどうしようもないよね。悲しくなってきた。
あなたは少なくとも増田でレスバする限りは無敵だよ。自分の主張を延々と続けることができるもの。なんせ自分が間違っているかも?と少しも思わないのだから。
でもあなたが今後の人生で幸せになることはないよ。自分が間違っているかも?と少しも思わないからね。
差別うんぬんの話は完全に関係ないんだよ。あなたは他人の話を聞けない。
あなたが会話したりインターネットごしに文字で会話する相手は、あなたと同じく生身の人間で感情があるわけだけど、こういう言い方したら相手はどういうふうに感じるかな?みたいな事を想像することができない。
あなたにとっては障害持ちだから仕方ないことと消化しているのかもしれないけど、他人からしたらそんなこと関係ないもの。とんでもなく不躾な人だなって思われてそれで終わりだよ。
最初の話でいうSNSでブロックされたってのはそう思われただけだよ。政治の話やフェミうんぬんなんてほとんど関係なかったと思うよ。
多分、あなた一人気づいてないだけで周りはみんなわかっていたと思う。あのひと自分の話ばかりで他人の話はほんの少しも聞いていないなって。
会話ってキャッチボールだからね。あなた、この一連の増田でもキャッチボール成立している箇所ほとんどないよね?自分でわかる?
多分あなたはわからないと思う。わからないのならどうしようもないよね。
あなたが何を主張するのも自由だよ。自分を慰めるためにいろんなストーリーを描く必要があるんだろうなって想像もできる。
それでも、それを踏まえてもあなたが他人に対して放つ失礼で思いやりがなく人を不快にさせる物言いは私は嫌いだし、大多数の人間から嫌われて当然だと思うよ。
理解できないよね、ほんの少しも。それもまた苛つかせるね。
田舎から阪大に入った。もう30年近く前だけれど、当時感じたことなどを。
まずはどのくらい田舎の出身かということで、住所は○○郡△△町(現在は市町村合併で市になった)。新聞は夕刊が存在せず朝刊のみ。テレビの民放は2局。自転車を片道10 km こいで県庁所在地の進学校に通っていた。高校以前は地元の公立学校に通っていたけれど、ちょうどヤンキー漫画等がブームの頃で、自衛するのも一苦労だった。
阪大を選んだのは、当時まだ珍しかった「学際」と呼ばれる複数領域について学べる学部があったため。そんな学部の中には変わり者も一定比率いて、高校時代よりも格段に居心地はよかった。クラブ活動などで他学部の学生と交流する機会はあったため、その経験をベースに大学全体に話を広げてみると、記憶する限り、育ちや環境に起因して粗暴なふるまいをするような人間はいなかったと思う。むしろ、同じ地域圏内にある京大には学力の点で行けなかったから阪大に進学した、と思しき学生も多く(*)、そのためだろうか、おっとりとした善人が多かったような印象がある。あるいはその幾分かは、自分に対する無意識の諦めだったのかもしれないが。
*余談:現在は知らないが、当時は東大と京大は受験で求められるものが異なり、東大に受かるのはオールラウンドの秀才型、京大に進むのは野人型という印象があった。ちなみにこの分類だと、阪大は東大の下位互換に相当する。とはいえ、偏差値的に京大に行けるのに阪大を選択する人というのは、昔も今も多くないのではないかと……
入学からしばらくの間は、議論が下手で攻撃的な物言いに終始する人間も散見されたけれど、それなりにたいへんな受験勉強がようやく終わり、開放感と多少の達成感の中にいたのだと考えればしかたがないのでは。そういった人たちも、学年が上がるにつれて人との接し方を覚え、多少なりとも角が取れていったような。
なお、旧帝国大学(いわゆる七帝)の間では定期戦が行われていて、他の6大学のキャンパスを訪れる機会も何度かあったが、いずれも都会の中に広めのキャンパスを確保しており、丘陵を切り拓いた万博の跡地に建てられた阪大の吹田キャンパス(主に理系学部が入っていた。書き手の所属学部もこちら)とは何から何まで違った。阪大の学生が世情に疎かったり、アグレッシブさを欠いた理由としては、学ぶ場所による影響も確実にあったのではないかと思う。
……まとまらぬがこのあたりで。ちなみに書き手は紆余曲折を経た末に、現在は首都圏に住んで家族を持ち、仕事の面では会社員としての生活を送っている。
こういうのは分かるんだ 確かに性的倒錯があるよ まさしくエッチだ 変態行為の名に恥じぬ
同性愛はもはや普通だけど、とはいえやっぱり性行為の本懐は生殖にある という意味では変態行為と名乗ってもいいだろう
おそらく(少なくとも先進国では)最も広く行われている性行為って意味で変態と呼んでいいのか?という疑問が生じてくる
しかしわざわざそのために作ったゴムの薄膜を性器に付けたり避妊薬を飲んだりしてセックスするのは控えめに言ってキモすぎる 変態行為と言って差し支えないだろう
このへんはいいんだよ
でもな
これはどこをどう頑張っても変態じゃねえだろう
どこに倒錯があるんだよ なにからも逸脱してねえの 動物が交尾してんのと一緒 変態要素はない
冷静に説明してくれているが、少しポイントがズレていると思う。そして、そのズレはなかなか問題だ。議論の根幹に関わるので、少し丁寧に説明する。
「内心の自由があるよ」という趣旨の擁護論は、おおむね「●●なんて取り締まれ!」「そんなこと考えること自体が犯罪」という無茶な主張に対して、「内心の自由が保障されている(だから取り締まりは無理だし、考えること自体は犯罪ではない)」という意味で述べられるのであって、「内心の自由が保障されている(だから俺の妄想を常に全開にしてオッケー)」という意味ではない。仮に後者の意味で述べている人がいるとすれば、それは確かにダメな人なので諄々と諭す必要があるし、あるいは盛大に自爆するのを待って(法に触れる書籍なりを出版するのを待って)粛々と取り締まればよいが、あなたの文章の表題の「内心の自由はない」という言い方は前者を含めた否定論に聞こえてしまう。あなたが説明するとおり、実際に法で取り締まるというのは無理筋なのであるから、過激な批判者から見ればあなたもまた「内心の自由はあるよ」論者に見えているはずだ。そして、実際にそうだ。過激な批判者からすれば、あなたは憲法19条による内心の自由が保障されると述べているわけで、彼ら彼女らからすればこれは「児童性愛を擁護する」ものに見えるだろう。(あなたはただ憲法19条の趣旨を説明しているだけであるにも関わらず、だ。)そういう状況を踏まえた上で、
児童性愛を擁護する言葉を声高に発する人たちは、控えめに言って、人でなしだと思う。ネットで規制を強く主張しているような人たちへの想像力と、家庭内での性的虐待に関しての知識が足らない。
という言い方は、これはやはり言い過ぎだと思う。あなたの発言は対象が広すぎるのだ。性的虐待サバイバーへの配慮を求める気持ちは深く理解できるが、それは、普通に認められる人権を不当に制限する行動に加担する理由にはならない。
それから、
同性愛は社会的に認知されつつあるが、児童性愛が犯罪でなくなることは、人権という概念が存在する限り、ありえない。古くからのタブーである同性婚が人権意識の発達とともに社会的に受け入れられてきたのに対し、児童婚はその逆だ。前近代は問題視されていなかったものの、近代化が進んだ結果禁止されてきた。人権意識の発達にともない、未成年者の判断能力の欠如が問題となったため、未成年者の婚姻の権利、恋愛の権利、契約の権利などが制限されることになったからだ。
この部分も、歴史的文化的に見れば、必ずしも正しい説明ではない。「人権意識」によって「未成年者の判断能力の欠如が問題となった」というのは、論理的に言っておかしいし、それにそんなことを言ったら、児童の権利条約など成り立たなくなってしまう。正しくは、「人権意識」の発達によって、肉体的、精神的、あるいは性的に搾取される社会構造に対する批判が高まった結果、特に犠牲になりやすい立場の人間が立ち現れてきた、ということに過ぎない。そこに線を引いたのは人権意識であるが、あらかじめそこに差があることを前提とする物の言い方は適切ではない。聡明なあなたなら、この違いは理解できるだろう。この二つの見方の違いは、次のような帰結につながる。
(前者・誤)「児童が劣っているから、保護し管理してあげることにした(ゆえに)児童の活動等の権利は制限されるのが当然だ」
(後者・正)「児童が犠牲になっているから、様々な活動に制限をかけることにした(ゆえに)大人とされる人の一部の行動には規制がかかって当然」
私は後者の立場に立つ。児童の権利条約等が立っているのもその位置であり、前者でないことは明らかだろう。私はあなたの「児童の~恋愛の権利~などが制限される」という言い方に深い危機感をもつ。制限されるのは「大人の行動」の方であり、「児童の権利」ではない。そこにこだわるのは、「児童の権利を制限できる」というあなたの物の言い方に、上に書いた〈憲法を無視した規制論を述べる人〉と同様の危うさを感じるからだ。
実在児童への性的虐待はもちろん問題だ。それは厳しく罰されるべき行動である。当然のことだ。
だがしかし、そこで規制されるのは「大人の不法な行為」である。「大人の内心」ではないし、「児童の権利」でもない。少し厳しい言い方をすれば、「児童」は一部の方の管理保護する「お人形」ではなく、一個の人間である。「児童のため」「子どもの安全のため」を掲げて、児童の権利を制限し大人の内心を規制しようと主張する人々は、「児童」を自分に都合のいい人形として、手元に抱え込んで扱うことができると考えているように見える。「自分は児童の代弁者で有り保護者であり管理者であり、児童を守る自分の言葉は全て正しく自分に反対する人間は児童虐待者なのだ」と。そういう考え方は、思想信条に制限をかけたい(まさに、大衆を自分の人形のように扱い、管理し保護し監督したい)人々に、非常に利用されやすい考えであり、それは大変危険なことだと私は憂慮する。
そもそも私は、「大人が児童を搾取する」行動は、もっと厳しく取り締まられるべきだと考えている。「子どものため」との言い訳の下で行われる搾取は、時には関わる大人・児童両者ともそれを虐待と意識しないケースも多い(たとえばステージママと学校にもロクに行かされないアイドル志望少女のように)。だが、それは明らかに搾取であり虐待だ。法に定める義務(保護者に課せられる、教育を「受けさせる」義務)に反した(大人の)行動であり、それは厳しく取り締まられなくてはいけない。
だからこそ、実在の児童に対して行われているそれらのリアルな「虐待」を放置しておいて、心の中で妄想しているだけの人のその妄想自体を問題視し、存在自体が病であり罪であるかのようにあげつらう物言いには違和感しかない。みんなが手の内の「児童人形」の話をしている。そんな状況で、「実在の被虐待児童」を救うことができるのか? それでもあなたは「家の中で妄想する人の妄想」を取り締まることが、「実在の被虐待児童」を救うと主張するだろうか。
どう言い繕っても「原作が思い通りにならない。私の好きじゃない客層に向けて好みでない方向性の商業展開をしてて腹立たしいし悲しい」というただの感想でしかなくて、それをあたかも罪のない私が不当に傷つけられたみたいに言うのはなあ。自分はツイステは知らなくて、同じような方向性でアンチがいっぱいいる型月関連で同じような感想を持たないではないが仕方ないかと好きなとこだけつまみぐいしてる身だけど解釈違いで苦しむのは完全に自己責任だと思う。幸い型月は世界観共有した色んなコンテンツを同時展開してて、気に入らなきゃ別のコンテンツに逃げ込めるからむしろ運がいいオタクだとすら思ってる(Fate嫌いの型月ファンの人には同情する現状ではあるけど)。よく知らないジャンルにあれこれ言うのはなんだけど、それこそディズニーなんかちょっと比較をみつけるのが難しい位手広くコンテンツ展開してるんだから、そっちだけ見とくってことはすごく簡単なはず。それこそSNSではツイステをミュートワードにするなどして。結局のところ、消費者の持ってる権利は買うか買わないかを決める権利だけだし、感想を言う権利もあるけどそれは「私は嫌いで面白くなくて気持ち悪さしか感じなくてがっかりした」みたいな私情であって、こんなの作るなんてひどい!傷ついた!という相手を加害者扱いするような言説はもはや被害者のていを装ったコンテンツとそのファンへの攻撃でしかない。
そんなことない、あくまで私のお気持ちだってわかってる!とは仰るが最初に「ツイステのせいで」と書いた時点で被害者の立ち位置をとってるようにしか感じられない。例えば「地元のご当地アイドルのせいで私の日常が曇った」という見出しを読んだらどう思うだろう。そのご当地アイドルを責めているようには聞こえないだろうか。そして、なるほどはた迷惑なアイドル活動に迷惑しているのか、はたまたアイドルファンに迷惑をかけられているのかと同情したところに本文で「私の思うアイドル像はあんな安っぽいものじゃない」とか「地元をPRするといいながらリスペクトが足りない」などと、ただアイドル活動を楽しむメンバーとファンへの解釈違いへの嘆きを「搾取」だの「汚す行為」だのと長々と書いたらどう思うだろう。そのうえ「嫌い」や「気持ち悪い」といった主観前提の形容詞ならいざしらず、搾取だの汚されただの悪い意味にしかとりようがない客観的な「悪」であるかのように扱っておいてあくまでお気持ちです!とは随分な物言いのように思えてしまう。私はツイステをよく知らないしディズニー知識も人並みのファンとは言えない存在である。だけど、こんな風にくさされるツイステに同情するし、ディズニーも厄介な自称ファンを抱えたものだと同情してしまう。
あと、これは擬人化が好きなオタクとしての妄想前提の予想に基づく戯言なんですけど、たぶんノートルダムの鐘モチーフくるんじゃないかと思います。罪もない不幸によりコンプレックス持ちだけど優しく素朴な男子なんて、熱狂的ファンが付きやすい属性の最たるものですから。きっちりなんらかの形で傷や障害がキャラデザに取り入れられて実装され、もっといえば人気になるんじゃないでしょうか。それをファンまたはアンチがどう受け止めるかは未知数ではありますが。