はてなキーワード: 承認とは
承認欲求に振り回されて生きている。他者承認がどうしようもない。
認められたいという気持ちが強すぎる。仕事にやりがいだとか生きる場所を見つけられればよかったけど、うまいこと打ち込めない。週5勤務は人類に向いていないのではとか考えつつぎゅうぎゅうの通勤電車に日々詰め込まれてる。
なんのために生きているんだって思う。
で、刺激を求めて、恋愛依存に陥ってしまう。年がら年中、相手がいるってわけじゃないし何なら数年単位で独り身でまったく苦じゃないから気がつかなかったけど、そういう、気になる異性が現れた瞬間、その人のことで頭がいっぱいになってしまうからたぶん恋愛依存だ。
気になる人ができると、その人のことで頭がいっぱいになってしまう。連絡が来ると舞い上がってしまう。スマホが気になって落ち着かない。気に入ってもらえるように、話題があうように、共通点を増やせるように、好きと聞いたものは一生懸命リサーチしたり、そんな時間さえも楽しかったりする。本来まったく趣味じゃなくても。
でも、付き合えて、関係が安定したら、さめるっていうのを繰り返してる。生身の人間同士の付き合いになったらさめてしまう。夢みた彼女の理想像から現実の彼女が乖離するたびに心が離れてく。ほんと最低だ。いつまで夢みてるつもりなんだろう。
幸せを感じるのに他者の存在を必要としない人間になりたい。あるがままの自分をあるがままに肯定してやりたい。一人で生きていけるこの世の中、それでもあなたといたいのです、といえるような付き合いがしたい。でも、いまさら難しいだろう。たいした趣味もなく、人に認められたいだけで、中身がからっぽなんだから。
「日本の女ってブサイクやな」って思ったところで、それって女同士の比較で「この女は大したことない」って言ってるだけで、結局自分が女よりも劣った存在という観念を否定することにはならないし、もし女全部を見下したとしても、そうすることで自己承認ができるわけでも、誰かに承認されるわけでもない。
「異性愛の男性は基本的に他の男性を承認しない。」これは、アメリカの若者の間では顕著でした。
一方、日本の若者男性たちは群れて、仲良しクラブという印象があって、アメリカの感覚では
「なんで男同士なのにあんなに仲いいんだ?」みたいなところがあった。
どうして、女性は家庭に残ることが承認されやすく外で働くことが承認されにくいというのが「女性は社会の中心」になるの?
女性が男性と交配すれば子供産めるというだけの話で、男性が女性のために存在しているなんて意味不明すぎる。男は子作りに対して身体的なリスクは全く負わないので複数の女性を短期間に孕ませることも可能、女性が男性のために存在してるともいえるのでは。
収入が男性より低いのはそのまま今の社会において女性が経済的自立をしにくい状況を押し付けられているということだろう。未婚率が低いのも女性は結婚しなければ生活しにくい選択肢を狭まれた社会だから。
多分意味が通じてないんだろうと思う。少し補足するから意味が通じることを願う。
女性が社会の中心になっているのは、現在の状況よりも「伝統的な性役割」を考えてもらうとわかりやすいと思う。「女性は家庭を守り、男性は家族を養う」というあれだ。
これがわかりにくくなっているのは、現代の現実では女性も外で働いている、つまり、女性も社会の外周に出てきているから。でもそれは程度の問題であって、まだまだ家庭に残る傾向が強く、またそれが承認されやすいのは男性よりは女性だということは明らかだと思う。
女性のために男性が存在しているというのは、人類の歴史を考えるとわかりやすいと思う。今も昔も、人類社会は女性が子供を産み育てるのに男性が必要であるという制約を中心にして成り立っている。そうでないと人口が存続できないから、当然だろう。女性は生まれる数が男性よりもわずかに少なく、また一人当たりに残せる子孫の数が男性よりも少ない。ということは、遺伝的に選別を受けるのは女性よりは男性であり、実際に未婚率は男性の方が高い。
身近な男女の関係を考えても、例えば収入は男性の方が多い。ということは、男性がより多くの負担を払っていて、男性がより多くを与えているということになる。
男性でかつ異性愛者であるというだけで、どんな生き方を選んでも精神的に女性に隷属することになるし、自分が女性のような求められる価値のある性に生まれなかったことについて、どう割り切ったらいいのかわからない。
伝統的な性役割では女性は家族に守られ、家を出たら特定の男性に守られるのが理想とされ、一方で男性は社会の辺境に出て、自分を犠牲にして女性に尽くすのが理想とされた。
最近は変わってきているという見方もあるだろうけど、女性が社会の中心であり、男性は女性のために存在するという構造は、俺が死ぬまでには変わらないだろう。
男性も女性みたいに女性同士で仲良くして互いに承認し合えば良いのか。しかし異性愛の男性は基本的に他の男性を承認しない。自分も女性は承認するが男性を承認することは難しいと感じる。
どうすればいいのか。
反対票以前の話としてね。
以前に沖縄県が辺野古埋め立てを承認取り消しにしたけど、2016年に最高裁が「取り消しは無効」だという判決が出ているからね。
だからと言って好きな人や恋人が欲しいわけでもなければ、セックスしたい訳でもない。
寧ろ、それに嫌悪感を抱いている。
他人が何をしようと気にならないんだけど、自分がいざ恋人関係になることやセックスをすることを想像しただけで、とても気分が悪くなる。
正直結婚や、お付き合いに憧れは無く、好き好んでやる事じゃないなと周りの人間を見てよく思う。
だけど社会を生きていると、まるでそれが当たり前かのように処女であること、結婚願望が無い事や恋愛をした事が無い事を馬鹿にしたり、自分よりも下だというマウントをとるような態度を取ったりする人が多数いる。
本当は私も「気にする事ない」「それが全てじゃない」と思っているんだけど
何かと「男を知らない」と馬鹿にされたりすると、「だからなんだ」という気持ちになれない。私は経験不足で、社会人として、人間として劣っているんだと思えて仕方ない。
他人に、しかもそんな事を言う人の承認なんかいらないのに、なんでこんなふうに思ってしまうんだろう。
いつか好きな人ができる。と言われたけど、私はそんな人と出会っても、キスやセックス、恋人、結婚なんかしたくない。良き友達でいたい。
「処女だよ」って言ったら「いつか、いい人見つかるよ」って言うような世の中じゃなくて、そんな概念が無くなる社会になってほしい。
恋人は?って聞かれて今一緒に住んでるって言って、写真見せてって言われたから、どうにでもなれと思って見せたらしいんだけど、相手の人は特別何も言わず「〇〇(芸能人)に似てるね」と当たり前のように、まるで男女との関係と変わらない扱いをしてくれたことに友人は、よかった。少しずつ社会が変わってるんだ、って言ってた。
自分もバンドをやっているため、共通の知り合いがいたことにより
Twitterでフォローされ、Facebookで友達申請され
私は1ミリも興味がないし、何も話したくないのだが
というのが去年から数回あり
先週も同様のことがあり
いらねー!興味ねー!とも言えず。
その夜から勢いが増した。
「おつかれさま!(キラキラ)今日は久しぶりに会えてお話もできて嬉しかったです!」
ライブ告知、長文つらつら
「●●って好きですか?」
5フキダシくらい。立て続けに。
コワイヨーコワイヨー
めんどくさいし深夜だったので放置。してたら
おええー!こええー!
という話だったのだが
同性ならまだわかるが
とにかく断ろう。
「今週は忙しいですね。楽しんできてください!」と送った。
ふう、これで終了。
翌日。更なる追撃キター!
「来週もやってるそうですよ!
しかも割引あるので●日にしようと思うんですが
一緒に行きたくないんじゃー!
……もう、つかれた。
とりあえずFacebookは、その人には情報公開しないように設定。
何様なんだ。もう見たくない。
うん、ミュートしよ♪
被害としては、まだないと言えばないし。
今度はinstagramの方に
「で?」っていう内容。
見んなー!こっち見んなー!
何が言いたいかというと
「君が好きだと叫びたい」って、そういや
誰の曲だっけ?と知らなかったので
Google先生に訊いてみたら「BAAD(バード)」というアーティストだった。
みんな知ってた?
以前、文字書きが同じ文字書きを妬ましく思っているブログがバズってたけど、系統としてはそれと同じ。
神だと思っている文字書きさんがいる。
神の作品があって、そのジャンルでの自カプに落ちたも同然だった。キャラの造型も解釈も、作品の展開もどれも好みで、感動したのを覚えている。
支部の作品を全部読んで、支部のプロフからツイッターに飛んだ。鍵はかかってなかった。ベッターのリンクを見つけて飛んで、支部未掲載の作品も読んだ。どれも素敵だった。少し迷ったけどフォローさせてもらった。当時はハマりたてでフォロワー0のアカウントだったから、ブロックも覚悟したが、外されることはなかった。神以外の自カプのアカウントもいくつかフォローして、ジャンル自体の勉強をする日々が割と長く続いた。
ある日、神からフォロバされていた。青天の霹靂とはこのことか。この頃にはフォロワーも増えており、怪しいアカウントの見た目からは卒業できてはいたが。まさか。誤フォローだそうに違いない。そう思って挨拶もせずに(フォローも無言でしてた)放置していたが、二日経って三日経って一週間経っても神は自分を外さなかった。どうやら誤フォローではなかったらしい。
自分も文字書きの真似事をしているが、自カプでは書いてはいなかった。ツイッターでただ壁打ちしては満足していた。そのうち、神からもファボ(当時)を貰ったりして(これも誤ファボだと思っていた)、神に自カプの者として認められたみたいで嬉しかった。ただただ舞い上がって、自カプの似たような話ばっかして、でも今になって思うと、神からの反応はあってもなくても当時は楽しかった。自カプをちゃんと好きだった気がする。
相互となっても神は神だ。神の呟く自カプの話、神が書いた作品、どれも素敵だった。神はツイッターも作品のテイストも、自分がフォローした時から何一つスタンスは変えちゃいない。だからこれは、自分の勝手な心境の変化だった。
神のTLに自分がいることが烏滸がましいと思うようになった。少し経ってそれが恥ずかしいに変わった。もう少ししてからは、辱めのように思えてきた。神と自分では圧倒的に、偏差値が違っている。
分かりやすく言うと、自分の「推し(^ω^)ペロペロ」みたいな呟きと、神の「推しのここの発言は社会環境に起因するうんたらかんたら」みたいな呟きが一緒に流れているのだ。神は難しい単語や読めない漢字や意味不明なカタカナをよく使っている。この一文で自分の頭の悪さを分かってもらえると思うが、『頭が良い人間の文章』なのだ。
頭が良い人間が書いてるんだから神の作品は面白いに決まっているし、頭が良い人間の考察なんだから説得力がある。対して自分は「推し尊い(合掌)」くらいの中身のないツイートばかりだ。
ここまで来るともう無理で、でも自分なんかが神をブロック→解除するのすら申し訳なく、しばらくはミュートにしたり、神がミュートしてくれてると自分に言い聞かせたり、TLを見ないで壁打ちしたりしてた。でもなんか限界だった。
限界感情は責任転嫁というひどい着地点に行き着いた。なんでコイツ自分のことフォローしてんの?頭いいこと自慢したいの?と。そういった感情の時だった。自分には自カプ以外にもお気に入りのキャラが居たのだが、神がたまたま話の引き合いに出したそのキャラへの扱いが若干自分の地雷だったのものだからもう大変。この頃には自カプの、なんだろう、界隈の雰囲気?みたいなのがそもそも自分に合わない(壁打ちにばかりツイッターを使う自分と、空リプ合戦で既に強固な繋がりが出来上がってる界隈の人達)のもあって、結局自分が自カプから離れてジャンルから卒業した。
なんだこれで終わりか?って感じかな。
今自分は全然別のジャンルに居る。そこでは文字も書いてて、拙い自覚はあるけど頑張ってるつもりだ。あの神に比べたら少しだけど、自分には勿体無いくらいの反応もある。
自分のツイッターアカウントは鍵がかかっている。ある日、鍵のアカウントからフォロー申請が来ていたので気軽に承認し、自分も申請を出して、許可された。
そのアカウントのホームに行って愕然とした。神だった。名前もアイコンも何もかも違うけど、神だった。確信があった。いや本当はもしかしたら別人なのかもしれないが、自分には別人とは思えない。神からフォローされてしまった。
今また同じモヤモヤを抱えながら活動している。神はやはり頭が良くて、作品も素敵で、考察は鋭い。自分がウンウン唸りながらなんとか産み出した作品が幼稚でちっぽけでゴミみたいに見える。
自分が神だと思ってる方にフォローされると、嬉しさとか、喜びとか、優越感みたいなのって誰しも感じると思うんだけど、それだけじゃないんだな。自分は今、どうしていいか分かりません。なんで自分なんだろ…。良質な妄想を提供してくれる人なんて他にもいっぱいいるじゃん……。
ブロックすればいいのは分かってるんだけどさ。
物心ついた頃から、精神疾患の名前がつくもののいくつかに乗っ取られ、それを必死でひた隠しにし、自分を騙し、なんとか生き延びてきた。
病気はすべて私の妄想が産んだ被害者意識で、なんらかのメリットがあるから治らないのだと頭で分かっていても、今でも発作的に昔のトラウマが蘇り、みるみるうちに身体が支配されてしまう。
自分を理解できていないから、当然まわりのだれにも理解してもらえなかった。
傷つくことが怖すぎるから、
人との関わりが怖すぎて社会の中で生きられなかった。
誰も信じられないのに、承認欲求が暴れていた。
私は自分が嫌いだった。
そして他人も皆嫌いだった。
またとないチャンスだと思い、勇気を出して自分から抱きついてセックスした。
少しだけ、自分が好きになれた。
容姿端麗で、才能も資質も人とは違う、目を惹くものを持っていた。
光に虫が集まるように、彼のまわりにはいつも人が集まっていた。
女に囲まれるのは当たり前で、経験人数なんてとっくに数えることをやめていて、
しつこく聞いたら、ちゃんと答えてくれた。
ヤリチンは、まさに私が喉から手が出るほど欲しい「承認」を受け続けてきた人だった。
青春時代がすっぽり抜け落ち、恋愛もコミュニケーションも失敗し続けた私は、ダイレクトにコンプレックスを刺激され、嫉妬心がグラグラ煮えた。
これは彼の女性関係に対してではなく、彼自身に向けられた羨ましさだ。
「みんな君のことが好きだよ」と友達に言われていた、というエピソードを聞いた時、私は、劣等感からくる彼への憎しみで頭がおかしくなりそうになった。
こんな人生があったのか!と。出来れば知りたくなかったと思った。(今でもたまに思う。)
ただ驚いたのは、私たちは似ているところがあったということだ。
一際目立ったり好かれたりすることで、
たくさんのひとの、勝手な理想や期待を押し付けられてきたんだろうと思う。
たくさんの人が彼に恋愛感情を抱いていたとしても、彼自身を守り安心感をくれるものではなかったのではないだろうか。
そして彼も、誰も幸せにしてこなかったのだろうと思った。
ヤリチンは心を閉ざしていた。
自分の気持ちは伝わらないし、そんなことはどうでもいいと思って生きてきたようだった。
自分でない自分でいる状態を強いられ、求めるものと求められるものが食い違い続けるの状態は、とても不安定で、心が満たされないことだと思う。
それを不特定多数とのセックスで埋められるなら、私からしたらこの上なく羨ましいのだけれど、本当は欲しいものが手に入らない飢餓感が続くだけだし、彼自身も女性たちの気持ちを無碍にしたことを悔いており、幸せなことではないのだな、と自分を納得させるように考えた。
彼もまた、自分が嫌いだったのだろう。
私のように、他人を嫌う気持ちがあるのかはわからないけれど、人を信じることに恐怖心があるようには感じた。
真逆の人生を歩んできた私たちは、少しお互いのことが理解できたように思えた。
正確には、私は傷つくことを恐れすぎて、時間が経つほどに自分の劣等感を通してでしか彼を見られなくなり、彼の意図や感情を無視した。
彼はそのことを悲しんでいたのだろうけど、それも口に出さず、私に気を遣い、心を閉ざしたままだった。
私が弱さを振りかざしたせいで、自分だってつらい、という気持ちを我慢させてしまったことには後悔がある。
すごく感謝したし、大げさに言うと、彼に対しては生まれてきてくれてありがとう、という気持ちが生まれ、自然にそれを自分に対しても与えることができた。
損得勘定や条件のない関係性の中で、お互いが強く関心を持ち、認め受け入れられるという安心感は、
私が欲しいものだったし、今まで感じていた寂しさの正体を明確にした。
一緒にいるときは、お互いに影響を受けまくった。
私のようなタイプは人と自分の感覚と同一視しがちで、他人の思考に侵食されていく自覚はあったが、
意外にも、信念を貫いているように見える彼もまた、受け取りやすい体質だった。
皆、不安で揺らいでいるのだな、と思った。
愛があるとかないとかどうでもいい。
相手はヤリチンなんだから、私なんてただ流れては消えていく、女の一人で構わないと、今では思う。
人として、女として生きていてもいいと、自分を認めることができた。
勇気を出して、自分から抱きついてセックスしたことのご褒美だ。
物理的に離れることになり、会わなくなってようやく、自分がいかにセックスに溺れていたかに気づいた。
それが、承認されている感覚を助長させ、必要とされている実感を何割増しにもさせていたということも、それにしがみついていたということも。
最近、身体の繋がりがなくなったことへの不安感が、ようやく抜けた。
同時に、自分と彼との間に境界線を引くことができるようになり、自分と比較せず彼の人生を俯瞰的に考えられるようになり、気持ちがとても楽だ。
そもそも多くの人が不快感を示す描写はやめよう、ってのがポリコレなので
同人二次創作の世界は、元々は商業では出来ないような表現でも自由に好き勝手に出来るニッチでアングラな世界扱いだったけど
メジャー化するにつれてそういった意識が薄い人も増えてるからね
勿論世の中の意識も大きく変わっているし
かつ出版社がある程度守ってくれる商業と違って同人は作家が一人で矢面に立たなければならないから
「他人から批判されるようなもんは最初から描かんでおこ」って人も増えるし
金ではなく承認要求満たすためにやってる人も多いから、他人から批判されまくるんじゃ承認要求満たされないどころか傷つくだけだわ、ともなる
先日、スペインのサンチェス首相に対する数万人規模のデモがマドリードで開かれ、前与党・人民党のカサード党首や右派政党市民党のリベラ党首、極右政党ボックスのアバスカル党首、さらにノーベル文学賞受賞者バルガス・リョサ(ペルー出身だがスペイン国籍も保有)やバルス元フランス首相(バルセロナ出身)が参加しました。デモ隊はスペインの統一を支持し、サンチェス首相がカタルーニャ州政府に妥協の姿勢を見せていることに反対しています。日本で喩えるなら、民主党政権時代に国会前で数万人規模の「沖縄に妥協するな」デモが開かれて自民党総裁や維新の会代表やカズオ・イシグロや李登輝が参加してるような状態です。
さて、どうしてこういう状況になったのでしょうか。住民投票に至る経緯は「5分でわかるカタルーニャの住民投票と独立問題」(anond:20170910082231)とその補足(anond:20170912060013)で説明したので、今回はそれらを踏まえて住民投票後のカタルーニャ情勢について簡単に説明してみたいと思います。なお一昨年の増田ではPartido Popularを「国民党」と書いていましたが、今回は「人民党」と表記します。
2017年10月1日、カタルーニャ自治州政府は独立の可否を問う国民投票を強行します。中央政府は警官隊を派遣し、投票箱の押収や投票所の封鎖、投票者の鎮圧などの手段によって阻止を試みました。
この投票で独立賛成は9割を超えましたが、独立反対派はボイコットしたため投票率は5割を切っており、州民の過半数が独立に賛成したとは必ずしも言えません。ただし州議会が制定した州法によれば、たとえ1票でも独立派が勝てば独立宣言するとしています(中央政府はその州法は違憲無効であると主張)。翌日には中央政府のカタラ法相(1961年生まれ)が憲法155条に基づく自治権停止措置を示唆し、3日には国王フェリペ6世(1968年生まれ)が独立派を「法律と民主主義の外に出てしまった」と非難しました。
18日にプッチダモン州首相が自治権を停止するなら独立宣言を強行すると表明、翌日には自治権の部分的停止が決定されます。国王と最大野党の社会労働党はラホイ首相を支持しましたが、カタルーニャ州側ではプッチダモン州首相だけでなく独立反対派のクラウ・バルセロナ市長(1974年生まれ)も自治権停止を非難しました。
27日にカタルーニャ州議会はカタルーニャ共和国の独立を宣言します。同日、スペイン上院は155条適用を承認しました。翌日、スペイン政府は州議会の解散総選挙と州首相解任、州政府幹部の更迭、カタルーニャの在外公館閉鎖などの措置を発表しますが、この日は土曜日のため、週明けの30日にカタルーニャ政府の建物を制圧し、同国検察はプッチダモン首相ら当時の州政府幹部を国家反逆罪や公金横領罪の容疑で捜査すると発表します。スペイン政府のサエンス・デ・サンタマリーア副首相(1971年生まれ)が自治州首相の職務を代行することとされました。
(公金横領罪といっても、賄賂を取っていたとかそういうことではなく、違法な住民投票に公金を支出した容疑です)
11月3日、スペイン当局はジュンケラス副首相(1969年生まれ)を含む当時の州政府幹部8人の身柄を拘束し、ブリュッセルに逃亡したプッチダモン首相に欧州逮捕状を発行します。プッチダモン首相はブリュッセルで「これがあなたがたが作りたい欧州か」とEUを批判しました(EUは明白にスペイン側を支持)。スペイン憲法裁は独立宣言が無効であることを宣言し、州議会は解散され、選挙が行われることになります。
なぜスペイン側が自治権停止にこだわったか。それは州議会における独立派と反対派の勢力が拮抗しており、自治権を停止して解散総選挙に持ち込めば反対派が勝つだろうと踏んでいたからのようです(135議席中、独立宣言に賛成したのは70議席)。ところが12月21日に投開票された選挙では、独立派がギリギリで過半数(70議席)を維持してしまいました。ただし70人の当選者のうち7人が当局に拘束されているか国外滞在中であり、彼らが議会に出席できない限り過半数にはなりません。プッチダモン首相はSkypeを通して執務することを模索していましたが、ラホイ首相はプッチダモン首相が州首相に再任されるなら自治権停止を継続し再選挙も有り得ると警告します。州議会は独立派のトゥレン州議(1979年生まれ)を議長に選出し、プッチダモン首相の信任投票を試みますが、スペイン政府はカタルーニャ州議会を憲法裁に提訴し、結果として投票差し止め命令が出ました。
ちなみにこのとき、与党・人民党の政治家は「トゥレンには2人の子供がいる。(信任投票が行われると)どうなるか分かるだろう」と公言していました。州政府要人を何人も逮捕・拘禁している側がこれ言ってるんですよ。しかも同じ口で「カタルーニャの民主主義を守れ」とか言ってますからね。EUは流石に何か言うべきだったと思うんですが特に何も言いませんでした。まあ、人民党が加盟している欧州人民党はEUの与党ですからね、仕方ありませんね(EUの執行機関である欧州委員会の委員長は欧州議会選挙で勝利した会派から選ばれ、現在は欧州人民党のユンケル委員長[1954年生まれ]。ところで欧州理事会常任議長をEU大統領と呼ぶなら欧州委員会委員長もEU首相と呼べばスッキリすると思うんですがその辺どうでしょうかマスコミの皆様)。
最終的にプッチダモン首相は州首相就任を諦め、何人もの候補が模索されては消えていった結果、2018年5月14日に独立派のトーラ州首相(1962年生まれ)が選出されることになりました。スペイン語圏出身のカタルーニャ人に対してヘイトスピーチまがいの発言してた過去があり、また「本当の州首相はプッチダモンで自分は暫定的な州首相」と述べるなど物議を醸しましたが、ともかくも6月2日に新しい州政府が発足します。
これにより中央政府の直轄統治は終了したわけですが、今度は中央政府の方を危機が襲います。人民党幹部の汚職事件によりラホイ内閣に不信任案が提出されたのです。最大野党の社会労働党(84議席)は、極左政党ポデモス(67議席)だけでなくカタルーニャ独立派を含む各地の地域政党からも支持をかき集めました。2018年6月に350議席中180議席の賛成でラホイ首相は不信任、社労党のサンチェス書記長(1972年生まれ)が新首相に選出されます。
就任直後のサンチェス首相は自治権を拡大するための住民投票をやろうとトーラ州首相に持ちかけます。ところがトーラ州首相はあくまで独立を目指す姿勢を捨てず、提案を拒否しました。カタルーニャとの和解のためにバルセロナで閣議をやろう! と言い出して実際にバルセロナで閣議を開いたりもしたのですが、独立派による大規模な抗議デモで迎えられたりもしていました。まあそりゃ独立派にしてみれば彼らは占領者なわけですから、ケンカ売ってるようなもんですよね……。
社労党内部にもカタルーニャとの対話推進派とカタルーニャ絶許派がおり(http://shingokatoo.blogspot.com/2018/06/1811.html)、サンチェス首相自身は以前はカタルーニャを「ネーション」として認める案を支持していたようなのですが、現在は護憲派としてカタルーニャ自治州と対峙しています(http://shingokatoo.blogspot.com/2018/06/2017.html)。カタルーニャとの対話を訴えたポデモスがそのせいで支持を落としているようなので、あんまりカタルーニャに妥協することもできなさそうです。
スペインの主要政党がカタルーニャ独立問題に対して採っている態度は、概ね次のように分類できます(議席数は下院)。
- | 独立は憲法違反だしカタルーニャはネーションではないよ派 | 住民の意思を尊重すべきだしカタルーニャはネーションだよ派 |
---|---|---|
独立反対 | 人民党(134議席)、社労党(84議席)、市民党(32議席) | ポデモス(67議席) |
独立賛成 | - | カタルーニャ共和左派(9議席)、カタルーニャ欧州民主党(8議席) |
ちなみにスコットランドの独立を問う住民投票ではこんな感じでした。
独立には反対だけど住民の意思を尊重するよ派 | 独立賛成派 |
---|---|
保守党、労働党、自由民主党 | スコットランド国民党 |
スコットランド情勢が落ち着いててカタルーニャ情勢が荒れてる理由はだいたい上の表を見ればご理解いただけるのではないかと(こんな諷刺画もあるくらいです→https://www.eldiario.es/vinetas/mala-suerte_10_304919512.html)。
さて、人民党は下野後に党首選挙を行い、2018年7月、右派のカサード副事務局長(1981年生まれ)が新党首に選ばれました。カサード党首は、スペインの主権への攻撃に断固とした対処を取る、国民党は分離主義者と交渉しない、と主張し、分離主義に対抗して刑法改正を目指すとまで公言しています。中国共産党かな?
ところで、スペインの右派政党で最も国会での議席が多いのは人民党(134議席)ですが、右派政党である市民党(32議席)の人気も上昇しています。人民党は伝統的な保守政党ですが、市民党は経済的自由主義に立脚したスペイン・ナショナリズムを掲げる政党です(日本で言うところのみんなの党みたいな路線)。彼らは保守的価値観にはあまり興味を示しませんが、スペイン国家の一体性には強くこだわり、カタルーニャ独立に対する反対を表明しています。
もともと市民党はカタルーニャ・ナショナリズムに反対するカタルーニャ自治州の地域政党として2006年に誕生し、州内の行政や学校教育でのカタルーニャ語優先政策に反対、スペイン語使用の権利を訴えてきました。2006年のカタルーニャ州議会選挙で3議席を獲得後、2013年から他州にも拠点を築き、2014年には欧州議会、2015年にはスペイン下院に進出します。独立宣言後の州議会選挙ではアリマーダス州議(1981年生まれ)のもとで36議席を得て第一党になりました(選挙前は25議席で第二党)。ちなみにこの選挙では人民党が11議席から4議席に転落して惨敗しています。
そして2018年12月、アンダルシア州議会選挙で極右政党ボックスが議席を獲得します。ボックスは2013年の暮れに人民党右派が離党して結党された政党で、スペインの中央集権化とバスク・カタルーニャ独立への反対、反移民を唱えています。同選挙では
政党 | 議席 | 選挙前議席 |
---|---|---|
社会労働党 | 33議席 | 47議席 |
人民党 | 26議席 | 33議席 |
市民党 | 21議席 | 9議席 |
ポデモス・緑の党などの左派連合 | 17議席 | 20議席 |
ボックス | 12議席 | 0議席 |
このような議席分布となりました。過半数は55議席なので、右派連合は過半数を得るためにはボックスと手を結ぶ必要があります。2019年1月18日、人民党と市民党はボックスの支持を得て連立政権を発足させました。
このように、現在スペインではカタルーニャへの強硬姿勢を支持する3党の勢力が増しています。これが2019年2月10日にマドリードで開かれた大規模デモの背景です。もし今選挙が行われればこの3党が過半数を得る、と世論調査は予測しています。彼らはカタルーニャという共通の敵の存在と、それに対する政府の「弱腰」っぷりをアピールすることで政権交代を狙っているのです。
12日にはマドリードのスペイン最高裁でジュンケラス副首相らカタルーニャ政府要人の裁判が開廷されました。検察側はジュンケラス副首相に禁錮25年を求刑しています(弁護側は無罪を主張)。そして昨日、スペイン下院は2019年度予算案を否決しました。サンチェス首相が独立を問う住民投票の再実施を撥ねつけたため、カタルーニャ独立派が反対にまわり、過半数を確保できなかったのです。これによってサンチェス政権は解散総選挙の瀬戸際に立たされています。仮に総選挙になれば市民党やボックスが躍進し、きわめて反カタルーニャ的な政権が誕生する公算が高いでしょう。
ここまで来るとカタルーニャをネーションと認める方向で憲法改正した上で自治権を拡充するくらいしかカタルーニャの動きを鎮める方法はないだろうと思うのですが、人民党・市民党・社労党の一部は「カタルーニャはネーションじゃない!」で凝り固まっていて、カタルーニャもカタルーニャで急進的な独立派は「今更自治権拡充程度じゃ生ぬるい」となってるんで、なかなか難しいものがありますね……
焼きそば は 雇用契約上の問題からは擁護不可能だけど、blog にもあるように直にお客様を知る貴重な機会だから
「絶対、査定評価には入れない。あくまで任意。代休も用意する」とした上で、少し強めにプッシュするのは良いと思う
が、雇用契約には無いことさせるのに、追い出し部屋はやるとか、アカンやつですやんな
雇用契約にない事をやらせる=ゼネラリスト として育成し、可能な限り別ポジションを用意するってスタンスでなきゃ
どう言い訳することも出来ないはずだ
でもまぁそれよりも、個人的にはこっちのがキツイ、この会社で働くメリットとは・・・?
開発者はサーバのスペックも、何台で構成されているのかも、どのような場所に置かれているかも知ることができません。sshもできなければログも見れず、メトリクスのグラフを見ることすらできません。ちょっとしたバグの調査であるテーブルのレコード数を調べるのにも、発行するSQL文を添えた作業依頼書を承認リレーする必要がありました
そしたらプレミアム戻ったるわ、端金やし
IT層には嫌われとった
他にはこういうのもあった
引用元:http://hiroki-uemura.hateblo.jp/entry/2015/09/01/230611
さらに開発者はサーバのスペックも、何台で構成されているのかも、どのような場所に置かれているかも知ることができません。sshもできなければログも見れず、メトリクスのグラフを見ることすらできません。ちょっとしたバグの調査であるテーブルのレコード数を調べるのにも、発行するSQL文を添えた作業依頼書を承認リレーする必要がありました。
これらがなぜ必要なのか、いつからこうなのか、誰も知りません。聞いても誰も答えてくれません。しかしながらこのように決まっているのです。
(中略)
最後は総務部を追い出し部屋にしたことです。やめさせたい人間をグループウェアから登録解除し、総務部という名前を持った統合思念体に統一し、PCも共有で1台しか与えない。昨日までエンジニアをしていた人間がスーツを着て社内を歩いて備品の補充をする。そんなことが許されていました。
(中略)
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