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キャンセルカルチャーをキャンセルするには?――対抗戦略の具体的検討|青識亜論 @BlauerSeelowe #note https://note.com/dokuninjin7/n/nd5ab25632c6f
これを読んで思ったことを書く。
ここでは青識氏は、松戸市を拠点に活動するVtuber・戸定梨香氏が、同市の増田かおる市議率いる
全国フェミニスト議員連盟によって「キャンセル」された事件(以下「松戸市VTuber事件」)に対し、
表現の自由を重んじる側が対抗手段として署名活動を行ったことを取り上げている。
大田区議を筆頭とした有志連合の積極的な活動によって7万1千筆以上の署名が集まり、
これは、当事者であるVTuberの運営会社の板倉社長(これも女性だ)も署名活動に参加し、
女性対女性の構図に持ち込んだ事が今回のような状況に持ち込めた理由だと考える。
もし、板倉社長が私のような「キモいおじさん」だったとしたら、
今回のように、フェミニストへの疑問の声が7万1千筆も集まっただろうか?
答えは否だ、と私は思う。
結局、表現の自由でさえも、弱者を旗印に立てないと、有効な戦術を採る事は出来ない。
更に言えば、火付け人である全国フェミニスト議員連盟は、今もって沈黙を貫いている。
市民の一票を預かる代議士としてどうなんだ、という批判も当然あろうが、
7万1千筆の署名をもってしても、全国フェミニスト議員連盟からは質問状の撤回はおろか、
ステートメントの1つも引き出すことは出来なかった。
署名運動は確かに、「数」という明確な数値で、「空気」に抗いうる手段であっただろう。
しかし、今回のように、
①当事者が賛同しており②署名運動にかかわるキーパーソンがおり③明確かつ妥当な目的がある
これらの条件が奇跡的に揃った状況でさえ、フェミニスト議員連盟に対する「勝利」は得られなかったことを、
発起人である青識氏にはきちんと総括して欲しい。
これについては、青識氏の指摘は一部で的を得ているといえる。
『炎上の担い手であるフェミニストや左派は、必ずしもBL系コンテンツの消費者ではない』
これはその通りだ。極まったミサンドリストは、創作上であっても男性の登場を嫌う。
しかし、例えば社会学者・金田淳子氏の著作「『グラップラー刃牙』はBLではないかと1日30時間300日考えた乙女の記録ッッ」を
キャンセルできれば、一罰百戒、フェミニスト側の不正義を明らかにすることができるのではないだろうか。
只でさえ、社会学系論文は査読にさらされる機会も少なく、アクティビストの色を強く持つアカデミシャンであれば
あるほど、自著によってその論拠を置く事が多い。
ゆえに、正当な、学術的手段で彼ら/彼女らの権威を削ぐ事は極めて難しいを言わざるを得ない。
http://sociology.jugem.jp/?eid=277
ならば、BLではなく、その自著を1冊1冊炎上させることで、彼ら/彼女らの権威を削ぎ、
「社会学・何するものぞ」という機運を醸成していくことは可能だと考える。
(具体的にそれらをどうやって炎上させるのか、という方法論は検討する必要がある)
**【戦略3:キャンセルカルチャーを克服する「新しい文化」の創出】
「実際に消費することによって支援し、「プラス」を届ける戦略もまたありうるのだ」
「キャンセルで生じる損失の何倍もの経済的利益が生じ、何十倍もの暖かな言葉が届けられる」
私は、これこそが一番馬鹿げていると思う。
何故なら、私達オタクがいくらお金を注ぎ込もうとも、「キャンセル」の波は止められないからだ。
フェミニストたちは指先一つで生み出したツイートで経済的・社会的損害を与える事ができる。
確かに私も、碧志摩メグのクラウドファンディングに参加し、支援を行った。
しかし、彼女は今もって、当時のキャンセルによって剥奪された「公認」を取り戻してはいない。
「クラウドファンディングをやります!」
「買って応援!」
聞こえは良い。だが、フェミニストとオタクの間には、「キャンセル」と「支援」の間には、
絶望的なまでのリソース格差が存在することを忘れていないだろうか?
フェミニストは、クラウドファンディングで幾らお金が集まろうが、署名が集まろうが、
フェミニストは、「私達のおかげで知名度が上がり、アップデートできたね!」とまで嘯きながら、
最近は最大野党である立憲民主党も、フェミニストに取り込まれて、その勢力に親和的なツイートや、
政策の打ち出しを行っている。
それに対して我々はどうだろう?山田議員や藤末議員が積極的に動いていただいているものの、
青識氏の唱える「エンカレッジ・カルチャー」が根付くまでの間にも、
しかし、もし次に私の好きなコンテンツが焼かれたとして、その仇は誰も取ってくれないのである。
青識氏でさえも、「エンカレッジカルチャーが根付くまでの辛抱です」として、
達成条件のわからないゴールを呼びかけるのだ。
私は問いたい。
逃げられる状況なら逃げるべきなんだろうけど、満員電車だと逃げる為のスペースが無いって事もあるだろう
相手が素手だったら複数人でタックルかませばなんとかなりそうな気もするんだが、刃物を持ってる場合は何か武器が必要になりそうだ
しかし銃刀法に引っかかりそうな武器はアウト(持ち歩けない)だし、あまり強力な武器は奪われた時に危険だ
催涙スプレーの類もアウト
電車みたいな密室で巻いたら犯人もだが自分や他の乗客も目が見えなくなって被害を拡大させる恐れがある
パッと思いついたのはボーラ(紐の両端に重りが付いてて馬や人の脚に絡ませる武器、狩猟具)だが、あんなもん電車の中では振り回せないしなぁ
仮に車内が空いてたとしても、よほど訓練しないと手足を狙って当てるのは難しいだろう
とはいえ手足を拘束するというのは相手の行動力を奪う上で重要な訳で、荷造り紐の類でも使い方次第というところはあるのかもしれない
電車の中ならひっかけるところは結構あるから、一旦刃物を持ってる手に絡ませる事ができれば拘束するのに使えそう
背後からなら首に引っ掛けて締め上げるのも可能かもしれんが、それは犯人が死にそうだからアウトかな
過剰防衛になりかねんし、罪に問われなくとも殺したくもないのに人殺しになるのは俺は嫌だ
ネバネバした丈夫な紐とかあればいいのかもしれんが、悪用されそうな気もする
アメリカだとナイロンの投げ縄的な奴を発射する拘束器具みたいなのがあるらしいが、日本で導入するのは難しい(するとしても警察官限定かな)
電車の天井にスプリンクラーみたいな感じのトリモチ噴射機を付けるってのも考えたが、巻き添え食う人が出るし災害時の誤作動も怖い
刺股みたいなのを複数人で使うのはアリだと思うんだが、電車で刺股持ってる奴が居たらそっちの方が通報されるだろうし
答えになってないよね
同じ言葉を繰り返すのは駄目、だけど同じ内容を沢山投稿することは問題ない。これはどう白黒付けるの?自分は対抗手段としてやっているからいい、というなら他の人を規制する理由って何?
「もとはといえばアンタが確信犯的にエヴァに溶けちゃったのが原因やないか!」と思ってたけど、旧劇の方はマッマがあれやってなかったら使徒が攻めてきた時に対抗手段がなくて人類滅亡不可避なのよね。エヴァに溶けてるマッマとそれを動かす実子がいないとエヴァ動かんし、唯一の例外であるレイはパッパがマッマ帰ってきてくれ計画やらないと造られないし。
でも新劇の方は「妻にベタ惚れで失ったら何やらかすかわからない亭主とまだ小さい息子がいるマッマがそんな事せんでも……」と思わなくもない。本体とパイロットが親子じゃなくても新劇のエヴァは動くみたいだし。
でもそういうシステムもマッマを失ってなくて満ち足りたパッパじゃ開発できないから仕方のない事だったのかなぁ。「ユイと一緒に死ぬなら本望だ(キリッ)」とか言って、使徒なんかほっといて普通に死んじゃいそうだもんなぁ。地球は滅亡するけどパッパ的にはその方が幸せだったのかなぁ。でもそんな亭主と息子(あと人類種も)に、マッマはどんなに苦しんでも生きていて欲しかったのかしら。
はてブにあがってきたので読んだけど、なるほどなぁと。
いや何がなるほどって、
id:RRD あーあ。後ろに向かって進化する、孫正義の頭髪みたいなフェミ論。こんな長文書いたところで、なーんも考えずにキャバクラで大騒ぎする家父長制引きずったjcみたいな衆にいいように利用され使い捨てられるのがオチ。
id:cinefuk 物わかりの良い女(男)を内面化するのは、ハラスメントへの対抗手段をなくすぞ。protestersへのバッシングは、多数派に受け入れてもらうテクニックとして有効なのは認める
これらのブコメは元増田(の上司)が言う女性社会資本を評価できてない上に、女性社会への評価を加えた新しく発展したフェミニズムの思考が出来ていないわけだよ。
つまり人間にとって価値があるものは男性社会にしか存在しないって無意識に刷り込まれていて、裏を返すと女性がこれまで女性社会で作ってきた価値を真っ向から否定して無価値だって純粋な心で思い込んじゃってるんだよ。
これがおそらくフェミニズムを真に受けすぎた弊害なんだろうな。
白人と黒人を区別することが公正であると信じられてきた時代が過去にはあったけれど、それと似たような感じで男性社会資本の価値を認めて女性社会資本の価値は無いって評価するのは公正だと誤認してしまってるんだ。
何ならこういうブコメを付けるブクマカは女性社会資本ってどういうものかすら理解できてないと思われる。こういう人にとって資本とは男性社会資本しか存在しないから。
月刊ドラゴンエイジ7月号(2021年)より始まった異世界転生者殺し-チートスレイヤー-(原作・河本ほむら、作画・山口アキ)という作品が炎上している。
有名な小説作品9作品の登場キャラクターをパロディしたと思われるキャラクターを悪役として登場させているからだ。
そしてそのうちの一人のキャラクターに残虐な行いをさせた。
その作品のファンは愚かアンチでさえ「そのキャラはそんなことしねーよ!」とブチギレるほどの雑なパロディであり、炎上するのは至極当然のように思えるし、この作品の大きな問題点と言えるだろう。
面白くない理由は多数あげられるが、読者が主人公の行動に納得できないことが主たる要因であるように見える。
以下にそのあたりについて解説を試みたい。
物語を動かすうえで重要なのが「主人公はなぜそういうことをするのか」という動機の部分だ。三幕構成の本などでは「欲求」と表されることが多い。
例えば「死にたくない」という欲求があるからキャラクターは死なないための行動をとろうとするのだ。
主人公は村を焼かれ幼馴染を転生者に屍姦され、自身も殺されかけるなど復讐を決意する動機は十分に見える。
しかし、主人公は憎いとは思ってはいるものの転生者には勝てるわけがないという理由でその思いを押し殺している。よりいうと諦めてしまっている。
さらによくわからなくさせるのが魔女の転生者なんて所詮陰キャなんだから殺せる、という主張だ。
いくら転生者がチートな強さを持ってても中身は並みの人間なのだからいくらでも付け入るスキはある、という意味合いならまだわからなくもない。
しかしその後主人公が転生者にキレて「後悔するぞ陰キャ野郎」と言ったら転生者がフリーズした。
「中身は陰キャなんだから付け入るスキはある」と言われて「陰キャと言えば転生者はフリーズする」とは普通は考えないだろう。
また魔女は転生者たちが陰キャでありゴミであることを強調し「殺せるんだよワクワクしないか」と言っている。
この言葉によって触発され主人公が動いたようにぱっと見では見えるので、村を焼いて皆殺しにして屍姦することよりも、前世が陰キャであることのほうがより許しがたい罪であるかのようにも見えてしまう。
こうして主人公が転生者を殺そうとする動機が、復讐だからなのか転生者が陰キャだからなのかよくわからなくなってしまっているのだ。
こうなると読者は主人公に共感できない。なぜ復讐するのかがよくわからないからだ。
納得できない動機から繰り出される行動を肯定することは、読者にはできないのである。
一話において、転生者の強さというのを感じるシーンがほとんどない。
主人公が正面から挑んでも100%倒される、とは言われてはいる。しかし、言われてるだけで、読者が実感できるようなシーンはない。
なぜなら、転生者がチートスキルを使って戦うシーンもなければ、主人公の強さがわかるシーンもないからだ。
転生者の身体能力の高さを示したのは主人公に瞬間的に近づいて首を絞めたシーンだけ。
これだけで「転生者相手に武力で挑んでも絶対に勝てない」と読者が認識するのはちょっと難しい。
そのため「魔女の助力を借りて復讐する」という行動を選ばなければならない妥当性が読者にはさっぱりわからないのだ。
読者がこの手段は適切なのか?と疑問をいだいたままだとその後の主人公の行動を肯定できなくなってしまう。
手段が正しいかどうかわからないのだから、その手段を用いた行動もまた正しいものとは見れなくなるのだ。
また、転生者には絶対勝てないからと主人公が復讐を諦めてることも、読者からすれば本当に不可能なほど実力差があるのかはわからないので、勝てないと勝手に決めつけて復讐をしようと思わないヘタレにしか見えないのも大きな問題だ。
主人公は魔女と問答しているときも復讐に対して消極的な態度に終始した。
主人公は復讐を積極的にやろうとしない理由を、転生者には勝てないからだとしていた。
つまり、主人公が復讐を決意するためには、このやらない理由を取り除いてやる必要がある。
すなわち、主人公が転生者に勝てるという確信、もしくは勝てるかもしれないと希望をいだけるようななにかがなければならない。
では一連のシークエンスで主人公はどういう経緯で復讐を決意するのか。
主人公は転生者に勝てるはずがないという前提で転生者の前に立ち、殺されそうになり、転生者との問答の結果「(転生者は)俺たちの命や尊厳なんてないと思ってる」と確信して、突然キレるのだ。
この過程をどう読んでも、主人公が転生者に勝てると確信をする、もしくは勝てる希望がほんの少しでも生まれる、と感じられるようなものではない。
これは読んでる方としては相当突飛に映る。
この一連のシークエンスで主人公の変化・成長について読者の納得がいかないと、敵を倒す次のシークエンスが茶番に見えてしまう。
そうなるとどんな手段で敵を倒そうと、読者がそれに盛り上がることはない。
興味のないボクサー同士の対戦を見ても何の興味もわかないし結果に一喜一憂することがないのと同じだ。
以上、三点について解説を試みた。
よく創作指南では「読者が共感するキャラクターにしなさい」と言われることが多い。
これは多くの場合「読者が主人公の行動に納得できるように、その行動をする根拠を提示しなさい」といいかえることができる。
例えば本作の場合、主人公のクラス村が焼かれ、皆殺しにされ、幼馴染が屍姦されることで、主人公に転生者への恨みを持たせようとしている。
転生者はチートがあって勝てないから、魔女という倒せる手段を登場させる。
それでも復讐を渋る主人公に、転生者が鬼畜であることを知らしめて決意させる。
しかし読者の印象として、この主人公はそれで復讐を決意するキャラクターとはなっていない。
村焼き皆殺し幼馴染屍姦レイプですら相手に復讐してやりたいとは主人公は思わなかったし、魔女の「陰キャだから殺せる」も現世でチート持ってることへの具体的な対抗手段ではないし、そのことに主人公が勇気づけられてもいない。
転生者に現地人を尊重するつもりがないというのも、村焼き皆殺し屍姦レイプしてる時点でそんなことは既に分かり切った話であって、改めてそれを主人公に知らせたところでそれは主人公も知ってることなので、復讐を決意させる動機としてはとても弱い。
にもかかわらず復讐を決意した主人公を見た読者側は、主人公の行動に理解ができず主人公への困惑、恐怖、嫌悪感を覚える。
こうなるともう読者は主人公のやることなすことすべてに否定的な見方しかできなくなってしまう。
「この話はつまらない」だ。
「今の若者はシルバー民主主義に対抗するためにどんどん外に出て「俺たちを重視しないと拡大させるぞ」とかやればいいのに当の若者たちがビビっちゃって情けない」ってTwitterで氷河期独身男性が呟いててまあまあ称賛を得ていたのを思い出した。
同じことをやったらいいんじゃないの。学費の高い私立小学生を○すとか、アニメーターを焼くとかじゃなくてさ。
弱者男性は金も社会資本も手に入らなくて嘆いてるわけでしょ、で金を手にすれば社会資本もある程度手に入ると思ってるわけでしょ。そうなってないのは「普通でいること」を許してくれない社会構造のせいだっていう話だったじゃん。じゃあその社会構造を創り出したヤツはたくさんの人を不幸にした奸臣でしょ。竹中とか進次郎の親父とかさ。
幕末志士みたいに「こんな社会にしたのはお前のせいだ!」っつって偉い人に天誅食らわせるっていう選択肢は青葉や加藤にはなかったんかね。
サムライソウルを取り戻せよ。男だろ。みたいな話、出てこないよね。
「今の私の人生がうまくいってないのは社会が悪いんです」「だから誰かなんとかするのが妥当でしょ、誰か早くなんとかしてください」
っていう言い分はフェミカスと表裏なんだけど、当事者以外誰もなんとかしないでしょ。これまでもこれからも。だからフェミカスはマ○コパワーで強者男性をうまく操縦する選択をとった。
歩行者天国の通行人を○すとか、罪のない小学生を○すとか、もういっそ自らロープ使って部屋の壁のシミになることを選ぶくらいなら、命を有効に使ってみたらいいのにって思いません?あくまでどうせ死ぬなら、の話だけど。
でもまあしないよね。人生に完全に見切りつけてはいないんだと思う。自らを「弱者男性」と揶揄する酷い逆境の中であっても、まだ逆転の目を捨て切れないのも人情かなとは思うけど。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4693910228248335426/comment/I_am
すごいねこいつ
「フェミニストはスター工作している」ことを認めつつ対抗手段として工作を提言している。理由は「見ていて面白いから」
過去のブコメを見るとミサンドリーこじらせ差別主義者っぽいけど、こういう思考の人間が対立構造を生んで喜んでるのかな
スター工作で承認欲求を満たす(あるいは観察して)面白いと思うって相当惨めな人生だろ。政権批判、過激な親フェミ発言、発達障害者差別もこういう人間がやっていると思うと納得
自分の人生がうまくいっていない鬱憤を叩きやすい存在に向けたり、はてなでヨシヨシされスター貰って喜んでる。フェミやはてサらしいクズだわ
僕らの人生はどこから始まったのかと言えば、当然二十年前であり三十年前であり四十年前なんだけど、僕らの祖先はどこからやって来たのか、という話をした時に、辿ることのできる歴史には果てがない。僕らは遺伝子のボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。
僕らの中にある遺伝子の声を聴く時に、そこには声にならない声がある。僕らはその声に耳を澄ませ、そしてある程度言語化された呻きを聴くことができる。僕らは、その微かな声を頼りに、歴史を辿ることができる。
人のルーツを辿る時、その歴史上最も古い霊長は(今のところ)七百万年前のサヘラントロプス・チャデンシスである。我々ホモ・サピエンスが分化したのは今から二~三十万年前とされており、我々はアフリカから世界の各地へと足を伸ばし、文明を伝えてきた。
当然ながらその歴史は暴力と共にあった。恐らく、そこには絶えざる暴力の連鎖があった。
ここで言うところの「暴力」とは戦争や軍事力を媒介にした暴力の行使を指しているわけではない。
ごく身近に、あるいは、我々の中に存在している。
それは自明のことと言って差し支えなかろう。暴力が無ければ人間は生きて来れなかったからである。
例えば、鋭い牙と爪、そして圧倒的な膂力を持つ獣に襲われた時に、我々に最も必要なものとは暴力である。
例えば、そんな事態においては武器が必要になり、そして、獣を殺す為の殺意もまた必要になる。そこには、暴力を振るうための道具と、暴力を振るうための膂力と、暴力を振るうための意志が必要になる。
無論、我々に暴力を振るう可能性があったのは獣だけに限らない。例えば、同族である人間が暴力を振るってくることも大いにあったであろう。そのような人間に対して、暴力を振るわなければならない場面もあったであろう。
更には、そのような暴力が防衛や自衛のみを目的としていたと仮定することは恐らく不可能であろう。そこに積極的な暴力の行使の可能性があったことを、認めなければならない。
繰り返すように我々がホモサピエンスとして遺伝子を繋いできたのは今から三十万年程前からのこととなるのだけれど、例えば、我々の遺伝子のレースが百万年前に始まったと仮定して、そして、我々の世代の継承が十五年毎に行われていたと仮定する時、我々にはこれまで六万から七万の世代が存在したということになる。仮に、たった百万年前から我々にとっての遺伝子のレースが始まったと仮定してさえ、そこには膨大な数の関係者が存在することとなる。とにかく、我々は遺伝子のキャリアとして長い時間を旅してきた。
その膨大な関係者は、恐らく長い間暴力と共に遺伝子の旅を送ってきた。
そんな時、我々の振るってきたであろう暴力は――あるいは、我々が振るわれてきたであろう暴力は――どんな種類の暴力であろうか。
まず挙げられるのは、殺人。
強盗。
強姦。
傷害。
恐喝。
その他に何があるだろう? すぐには思いつけない。
何らかの種類の搾取があったかもしれない。詐取が存在していたかもしれない。
我々の祖先はそれを不断に行ってきただろう。恐らくそれを止めることはできなかったであろう。
それを止めることによって、周囲の遺伝子のキャリアに対する対抗手段を失ってはいけなかったからである。我々はそれを止めるわけにはいかなかったのである。それを止めた途端に、我々の遺伝子のキャリアは頓挫し、今日という日に辿り着くこともできなくなってしまうからである。
恐らく、ありとあらゆる種類の暴力の行使は、我々の遺伝子のレースにおいて切り離すことのできない要素だったであろう。
つまり、この文を通じて僕は何を言わんとするのか。
それはつまり、恐らくだけれど、貴方のかつての父親は、あるいは貴方のかつての母親は、誰かを殺したことがあるということである。
何かを盗んだことがあるということである。
その他の、無数の暴力を与え、そして、与えられてきたということである。
我々のかつての父は殺し、盗み、傷つけ、犯し、騙してきただろう。
我々のかつての母は殺し、盗み、傷つけ、犯し、騙してきただろう。
我々のかつての父は盗まれ、傷つけられ、犯され、騙されてきただろう。
我々のかつての母は盗まれ、傷つけられ、犯され、騙されてきただろう。
例えば、百万年前までの歴史を辿れば、我々一人につき六万から七万の世代が存在することになる。そして、当然そのような世代は必ずしも一人の人間が継承し続けてきたわけではなく、無数の兄弟や姉妹が存在していたことであろう。そのことも勘案すれば、我々にはおよそ無数の関係者が――無数の肉親が存在していたということになる。
我々には関係者があまりにも多すぎる。そう考えた時に、我々の関係者の内に、一人たりとも、百万年の歴史において暴力を振ったものなどいないと言い切ることのできる可能性は、どれほどあるだろうか。恐らくはその可能性は限りなくゼロに近い。我々は無数の暴力をはたらいてきたし、恐らくは無数の暴力に晒されてきただろう。
■対抗手段