はてなキーワード: 地下鉄とは
小池百合子知事が麻布十番駅を核シェルターにするとぶち上げて話題になっているが、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/20979db65c4b2665d53884ea0247aa2eac51db19
実は都営地下鉄大江戸線の麻布十番駅は防災拠点として整備されていて、地下に巨大空間があるのだ。
地下鉄の線路は地下6階にあるのだが、駅コンコースは地下4階となっている。その上の空間が備蓄倉庫となっている。
更に鳥居坂のシンガポール大使館下に地下駐車場の入口があるのだが、
https://maps.app.goo.gl/T7BFm9ohKUEZT68J7
この下と道路の下が駐車場で、その下がまるまる防災倉庫+コンコースとして伽藍と開いているのだ。
大江戸線は2000年に開通したが、90年代の麻布十番は延々と工事中で、しかも巨大な縦穴を掘っているのが見て取れた。それは地下鉄だけじゃなくて備蓄倉庫の躯体も作っていたからなのだね。
土木に興味がある人なら、都市トンネルの作り方には上から掘り下げる開削工法と、地下を横に掘り進むシールド工法があるというのは知っている事と思う。
シールドというのは盾の事で、丸盾型の隔壁を全面に置いて開口部から工夫がショベルやツルハシで土を掘ってトロッコで後ろに残土(ズリ)を送る。シールドが前進すると同時に丸いトンネル形状を支える支保工を建てて、そこにコンクリートを流して丸いトンネルにする。トンネル掘削面を切羽というが、都市の地下だと切羽が崩れてくるのを防ぐ為にこういう風にした。150年前のロンドン地下鉄から使われている枯れた技術だ。
このシールド工法、今ではもっと進化して、シールドマシンという機械が自動で掘り進むようになっている。掘ったそばから円形トンネルの外壁を分割したセグメントを組み立てて行く。
http://www.yesemk.com/eng/business/tbm_small.html
が展示されていて、いかにもごつそうなドリルが付いているが、そういうのは山岳用である。
沖積平野地下で威力を発揮するのは実は泥水なのだ。泥水を吹き付けて土を崩し、そろばんみたいなカッターでグリグリやって出てきた残土は泥として後方に送る。
それには泥と水の分離機が必要になる。地下鉄工事や下水管(雨水管)工事の現場でこういうデカいタンクが置かれているのを見た事が無いだろうか?
https://www.futamoto.com/product/ftu-d/
これは泥と水の分離機で、丸い形状の場合もある。セットルタンクともいう。上に機械が載っている事も多いが、それは脱水機で、振動、或いは遠心力で泥から水を分離して、それをダンプに載せて残土として捨てに行く。
建築現場でも見る事が多い。これは杭基礎工事で潤滑剤として水を使い、杭打機の中の土の掻き出しにやはり泥水吸引を使うので、その泥を水と土に分離して捨てる為だ。
一方、シールド工事ではその残土、排水分離の他に泥を作るという役割があるってわけ。
水じゃなくて泥水である理由は、まずは比重の重さによる破壊力の増加。鉄砲水では橋や堤防は壊れなくても、土石流だと破壊されてしまう。これは泥水の方が比重が重いからだ。
また流動性が水より低い。この為に余計な場所に流れて行ったりしにくい。
また比重の高さにより、切羽が安定する。水だと掘ったそばから土は崩壊しようとするが、泥だと高圧状態が保てるので崩れにくい。
そして泥と別に水も送り、出てきた残土の泥を薄めて流動性を上げて後方の分離機に送るのである。
この為に残土のトロッコやベルコンベアも必要なくてホース数本だけでいい。人員も減るし労災も起こりにくい。
しかもこういう仕組みだとシールドマシンが小型化出来る。人が入れないような径のトンネルを掘る事も出来る。何しろホースと泥水分離機だけでいいのだから。
そういう訳で異常気象で多発してきた排水氾濫に対して雨水幹線を整備するのにも大活躍だ。下水管なら各戸の管を接続する為に露天掘りしか出来ないが、雨水管なら必要ないので小型シールドマシンが使えるのだ。
ってことで、シールドマシン下発進拠点であり工事の要である泥水分離機を稼働させ、残土を搬出する場所が必要なので大きな縦穴を掘る必要がある。この縦穴は最後にただ埋めてしまうと勿体ない。なので駅になる場所がシールド基地となる事が多い。
因みに雨水管シールド工事での基地の役割にはもう一つあって、それは「シールドマシンを押す事」だ。シールドマシンには推進力が無いので基地から油圧で押してやるのである。
で、トンネルが出来たらその上に駅コンコースの躯体を鉄筋コンクリートで作る。それが終わったら土で埋め戻して完成だ。
この辺の構造はみなとみらい線の元町中華街駅とかが判り易いかも。露天掘りで出来た駅コンコースからエスカレータを降りると、丸いトンネルの天辺に出る。この二つは別構造で作り方も別だったのだ。
都営麻布十番駅は地下6階で、コンコースは地下4階、その上はただ埋め戻しすると無駄だ。なので有効活用する為に備蓄倉庫とされる事になった。更にホーム自体は交差点からエネオスのガソスタのあたりまでなのだが鳥居坂の方まで延長されて地下駐車場と備蓄倉庫などになった。確か鳥居坂の方は地下鉄が開通しても工事が続いていた覚えがある。
また、石原都知事は地下鉄開業後に自衛隊部隊を市谷から大江戸線乗車で麻布十番に移動させる訓練を行った。自衛隊を指揮したい、六本木から市谷へ防衛省が移転したのでデモンストレーションしたいという動機もあったろうが、都営の防災倉庫落成のデモの意味もあったのだ。
このように元々防災備蓄倉庫として整備されていたものを核シェルター化するというのが今回の肝なのだが、どうもその辺の背景知識が参照されていないように思える。
更に小池知事はワンフレーズ政治家なもんで、ちゃんと継続して計画策定するのかっていうのが疑問なのだ。山手線2階建はどうなった?
就任当初に小池知事は廃校となった都立市ヶ谷商業高等学校跡地を韓国人学校に転用する取決めを反故にした。これは韓国人学校化を約した舛添前都知事の独断の疑いがある事の他に、当時議席もない右翼政治ゴロのような人物を秘書としていて音喜多ら都民ファ議員をパシリにしていて、その影響もあると思われる。
だがその言い訳がヤバかった。保育園にすると言ったのだ。当時「保育園落ちたの私だ」などで保育園待機児童問題が炎上しており、それに乗っかったのだが、こういう時は実地を見てみないとポジショントークになってしまう。
市ヶ谷商業高は新宿区矢来町にあり牛込柳町駅が最寄り駅だ。しかも結構な狭隘路の中にある。学校としての敷地はかなり小さい。だが保育園としては過大な建物だ。
車での送迎は狭隘路の為に不可能だ。また保育園というのは電車で通うものではない。電車で送迎した場合、坂の下にある柳町駅から急坂を登らねばならない。
都市計画法と建築基準法に用途地域というのがあり、地区ごとに建てられる建物の種類が決まっている。例えば商業地域には木造家屋は建てられず、住宅地に工場は建てられない。また工業地域には学校を建ててはならない。これは住環境や教育を保護するための規制だ。
だが保育園にはなんの規制も無いのだ。これは環境がどうこうよりも、保育園は働く人の為の施設でありオフィス労働者、工場労働者が居たら自動的に必須となるのである。
こういう属性を持つので、保育園は遠方に通うものではない。住居か職場に近い場所に開設されるものだ。
矢来町は大きなオフィス街ではない。だから大きな保育園が必要な場所ではない。
ならば住居の方はどうか?この周辺は人口空洞化が進む地域だ。因みに増田の母校はここから徒歩30分くらいの場所にあったが生徒数現象で廃校されてしまった。
故にここに保育園というのはナンセンスなのだ。だがこの時は「場所的にナンセンス」と強く否定されなかった。
その後市ヶ谷商跡地はずっと遊休施設になり、最近に老人施設に一部転用という形になっている。保育園転用の可能性は検討さえされていない。
こういう感じの人なんで、核シェルター化は本気で継続する事業なのか?というのが非常に疑問なのだ。
更に現知事の問題はその問題性を感じさせない天賦のポピュリスト性にあって、市ヶ谷商高保育園転用の時もマスコミに半畳を入れられなかったし、今回も同様だ。なんか、テキトウ言っても通ってしまうという言論空間にいる。長期停電したら水没しますが、ガスタービン発電とその燃料備蓄はどのくらい?と言った具体性に繋がらないで、北朝鮮の核があるから、で通ってしまい、何も事業が進んでないまま皆忘れるというパターンに入ってるような気がしてならない。
コロナ初期のように「三密」「移動制限」みたいに全体の流れを言葉で決定付けるのは非常に高パフォーマンスを出すのだが、その後が続かない。ママチャリにクラリオンの高額なアンプ、スピーカー積んで街宣みたいな感じになるのがいつものパターンというか。
大江戸線清澄白河駅も麻布十番と同じくコンコース上の空間が防災倉庫になっている。だから清澄白河駅でも同じ核シェルター化が可能だ。ここの場合はホームが地下2階、コンコースが地下1階と深さが無いが、その代わりに隣接する清澄庭園にはみ出す形で地下構造物が築造されている(はず。見てない)。
あと、東京都の防災倉庫に指定されていないが、新宿中央公園地下も広い空間が広がっていてシェルター化出来そうである。中央公園の新宿方広場は昔階段や噴水が組み合わされた広場だったが、地下鉄大江戸線工事で巨大工事基地となっていた。
その後広場に何も置かない、噴水も置かないというのは何かの躯体が埋まっていると考えられるのだ。
だからこの二つでも核シェルター化は可能な筈だが、何分にも知事が何処まで本気なのか放言なのか判らないので…
江戸時代の古川改修工事で工区を区切り、○○N番、と書かれて居たのが由来。麻布は十番だったので麻布十番と。これは有名だね。因みに昭和初めまで森本町、山本町、永坂町という感じで麻布十番という地名は無かった。町の合併地名整理で古い呼び方を復活させたのだ。
エネオスのスタンドの斜向かいにマンシーズトウキョウというレストランがあるが、実はここがバブルなディスコのマハラジャ東京の跡地。因みに増田も行った事がある。んでその近くのファミマの隣のPCデポの隣がマハラジャWESTでここも増田は行ったこt
一の橋の交差点の五反田寄りに団地があってその裏の古川べりに広尾公園があるのだ。
これは、江戸時代の古川の改修工事の後にできた、川べりの土地を開墾して田んぼにして、そこを全部広尾と名付けたためだ。つまり、一の橋からずーっと遡り、広尾の天現寺橋までの両岸が広尾。また天現寺橋から北の方に今の外苑西通りに沿って笄川(こうがいがわ)というのが流れてて、その両岸も広尾だった。地名として無茶なのだが、どうもこれは広尾の人らが開拓に駆り出されたかららしい。
後にややこしいので川沿い広尾は近傍の地名に合体させられたのだが、一の橋付近だけはその地名変更前に公園名が付けられて残ったというわけ。
六本木交差点のアマンド横に坂道があり麻布十番まで繋がっているが、元はこの道は都電の線路だった。廃止されて道路になったもの。
で、ここを都電が走っていたので、その代替都バスもここを走る事になった。なので右折禁止の六本木交差点の真ん中で都バスが右折待ちしているのが見られた。路線は新宿駅東口~東京タワー。
で、都バスは昭和40年(1965年)に車掌乗務から、ワンマン均一料金に転換したんだが、車掌については本人の希望にした。それで殆どの車掌は退職するか配置転換されたのだが、十数人くらいは継続勤務を希望した。因みに狭隘路線などでは今でも補助的に車掌が乗務する路線はある。
この人達が最後まで残っていたのが新宿~東京タワー系統で、1990年近くまで居たそうである。
因みにこの路線は整理されて今では残っていない。
鳥居坂は急坂の下の方を大通りが通り、そこだけ水平なのでサンフランシスコのような光景になっている。なので勢いがありすぎるとジャンプする。というかした。バイクで急いで通ろうとしたらジャンプして転倒しそうになった。減速を心がけたい。
元麻布に登る坂の下にパティオ十番という広場があり、多分これは南部イタリアの街を模して作ったものだろうが、よくフリマが開かれている。麻布十番という下町+オサレな地域に相応しい出品が多くて雰囲気も良いし面白い。
都電廃止後に陸の孤島と化していた麻布十番に南北線と大江戸線が相次いで開通することが決定すると、沿道には「悲願達成!麻布十番に鉄道開通!」という横断幕が方々に掲げられ、まるで冬は雪に閉ざされ交通途絶される雪国のようで苦笑した事がある。
先ほどの飛地みたいな広尾公園から古川を渡ると、三田一丁目というかなり強烈な下町がある。この辺の人も麻布十番居住と言っているはずだから、麻布十番に一番安く住むには三田一丁目に住むのが一番と思われる。風呂が無い家も多いが、実は麻布十番には銭湯が残っているのである。しかもここは温泉が出ている。泉質は南関東ガス田の上なので黒湯である。
六本木のロアビルから曲がり鳥居坂に向かうと、周囲は東洋英和や古い教会などが立ち並ぶ雰囲気の良い地帯である。
ところがこの広大な一帯には再開発が掛かっている。なのでロアビルも廃業して廃墟となっている。ロアビルから鳥居坂まで全てである。
実はこの一帯はロアビルも含めて川崎財閥という財閥の所有地であった。GHQの財閥解体で解散させられたが六本木の不動産はそのまま所有し学校などへ売却されたり共同運営(ロアビル)されるなど管理されていたがその全部を再開発する事になった。デペロッパは当然森ビルである。港区にいる限り森ビルのブルドーザーから逃れられる者は居ないのである。核シェルターもいずれ森ビルのブルドーザーが…。
今日も荒れていたが、不要不急の外出は避けましょうレベルで明日こそもっと天気が荒れるらしい
と思ったが地下鉄は動いていてもそのあとの帰りの足がなくなりそうだから普通にやめた方がよさそうだ
でも人でぎゅうぎゅうの映画館本当に苦手なんだよな
オモコロの https://omocoro.jp/kiji/430490/ 「電車未経験者が電車に乗ってみる」がちょっと話題になった。
当該記事の筆者は大人になるまでまともに電車に乗ったことがなく、記事執筆のために今回電車に乗ることになったのだが、昭和並みの制限を課すことになった。「Google検索禁止」である。確かに昭和時代にGoogleはおろか、一般の人々が検索に使えるインターネットは存在しなかった。そういうことを考えれば、これは昭和当時の制限に見えるかもしれない。
しかし、彼女はもう1つ制限を課すのを忘れていたことで、非常に迷うことになってしまったのだ。課さなかった制限とは「ICカードで乗らず、必ずきっぷを買って電車に乗る」である。この行為も昭和を再現するには必須なのだ。
これを課しておけば、彼女は目的地へのきっぷを買うために路線図を見る羽目になっていた。きっぷの自販機の上にはほぼ確実に路線図がある。これを見れば、乗るはずの電車がどちら方向に行くかはそこまで迷わなかったはずだ。彼女の失敗は全てここに起因する。まあ、彼女がやりたかったのは「昭和を再現して電車に乗る」ではなく「電車に乗ったことのない人が電車に乗る」なので、そこに気が付かないのはある意味しょうがないのではあるが。そこは途中まで同行した父親が教えようよ。
路線図。交通図とも言われるこの地図。小学校中学年では郷土の地理的社会を学ぶ時間があり、その題材としてうってつけなのだ。福岡に現在もその授業があるかどうかはわからないが、東京など特に鉄道が多い地域の小学校では当たり前のように授業に取り入れられている。それが回ってフィクションでもその描写がある。
「先生のつうしんぼ」が非常に有名な童話作家、宮川ひろの作品の中に、「四年三組のはた」という作品がある。この作品の主要なエピソードのきっかけとして、東京の交通図が登場するのだ。担任の先生が産休で休んでいる時に、クラスの児童たちは交通図を作る実習授業の際に日比谷線人形町駅のそばにある水天宮の存在を知り(当時半蔵門線は存在しなかった)、安産お守りを買いに学区外に出かけることになる。この作品は「先生のつうしんぼ」同様、日活が映画化している。
話がズレた。検索が使えない昭和の人々は、手帳に交通図を挟んで移動していた。そもそもまともな手帳には一番うしろの方のページに東京大阪運が良ければ名古屋の交通図が印刷されていた。平成初期に「好みのリフィルを挟んで自分オリジナルの手帳に出来る」という名目で流行ったシステム手帳にも、リフィルの1つとして交通図は売られていた。
結局、どこかに行きたい場合、昭和の人々は交通図を見てその方向を確認していたのだ。
交通図にはデフォルメが存在する。このせいで引っかかることがいくつもあった。子供時代、自分の住んでいる街を交通図で把握していた自分は、市と同じ名前の駅が丸いマークに囲まれて書いてあるので、自分の住んでいる市は丸いものだと思いこんでいた。これは前述の社会授業で覆されることになる。
自分だけでなく多くの人が交通図でひっかかり、さらに語り継がれているのが「大手町駅」の存在だ。地下鉄での乗り換えを考慮したとき、大手町は非常に便利な乗換駅に見える。実際には、大手町駅は乗り換えには非常に不便な駅なのにも関わらずだ。つい最近まで、受験のために上京する学生に対しての指導には「大手町で乗り換えることを考えないように」という一言が付け加えられていた。平成初期に、乗り換えの便利さ、不便さをわかりやすくしたデザインの路線図が作られ、メガネ拭きなどに印刷されて販売されたこともある。https://hakutsuru583.hatenablog.com/entry/2023/12/20/193000 その実物がこのエントリにあった。
最近自分が気がついたのが、埼玉の広さだ。交通図では、東京圏の交通図はせいぜい和光市、ちょっと豪華で所沢までが記載されていた。壁に貼るポスター程度まで大きくなると、八高線を含む飯能までが収録範囲になる。自分はそれを見て、最近まで「東京圏の端は飯能、つまり飯能市は埼玉の西端にあるのか」と思い込んでいた。まさか同じことを思っている人が多いとは思わないが、そう思っている人は改めてGoogle Mapsで飯能市を検索してみてほしい。飯能市は埼玉のけっこう中央にある。
なぜかわざわざ詳細な時間を伝えた上で全く間に合わない
例:「あと5分で着きます!」→15分は来ない
おそらく子どものサイズを基準に作られた地下鉄の7人掛け座席に体格のいいおじさんがぎゅうぎゅうに詰まっている。
ドアから離れるなと教育を受けている。入り口はぎゅうぎゅうでも中に入ればスカスカなので、騙されずに乗るといい。
具体的にはコク、旨味、出汁の概念が一切存在しない。味付けは胡椒、唐辛子、味噌のみ。
関東のコメダに慣れ親しんだ人間は名古屋のコメダに絶望し割高なパサパサデニッシュを舐めながら静かに涙を流す。
ゴミと小便を垂れ流す名古屋では道が汚すぎるので酔っ払いが寝ておらず治安がいい。
子どもを教育せずにひたすら増やすとどうなるか、名古屋にくれば全てがわかる。
どこにでもとにかくイオンかイオンに準ずるものを建てないと気が済まないのか、イオンがとにかく大量にある。イオンに脳が毒されて駅ビルすらイオンのような雰囲気を醸し出させてしまう。
最悪。
よく欧米は色々なことに寛容っていうやん?
スケボーとかパルクールとかしてもヒューヒュー言うだけ、地下鉄のパフォーマンス見て拍手、日本じゃ絶対ないよな、とかね。
まぁああいうのって実際は観光地でやってて、拍手しているのは外部の人。人種の区別のつかない日本人が「欧米人はこういうパフォーマンスに寛容だね!素晴らしい」って言ってるに過ぎない。
実際はスケボーとかパルクールとか地下鉄のパフォーマンス、現地人はめっちゃ迷惑してるのよ。地元に住んでいる人のああいう人に対する不快感は日本を超える。
例えばスケボーいつもしている人が見えないところに、黒い鉄線つけたり、パルクールの所に透明なヒモかけたり、油塗ったりね。
でも同時に、確かに寛容だなって思うこともあるんだけど、あれって結局「帰属意識の薄さ」が原因だと思うんだよな。
アメリカとかイギリスとか、「故郷」を持ってる人が多いんだよ。アフリカ人だと、もう何世代もアメリカに住んでいても「故郷はガーナだ」って人が居たりね。
だから、今いるのは仮の住まい、仮の場所、本当の場所じゃないって人が多い。
そういう人は少しバットマナーの人が居ても、ゴミ捨てても、なんも思わないんだよな。
そして、そういうのを見てさらに「ここは俺の居る場所じゃないな」って思うわけだよ。
結局は欧米人も帰属意識が強い人はよそ者や人と違う言動には厳しいし、綺麗にする。
最寄りの電気量販店ではあまり取り扱いがないみたいだし、どうやら高い。
まだネット通販などがほぼなかったと言える時代で、足や電話で値段比較する世界。
PCの雑誌などを見ていると、なんといっても関西でPC周辺機器を買うならばココ、
電気店を何軒もまわったが、なるほど確かに欲しかった周辺機器も在庫がある店が多い。
しかし、わざわざここまでやってくるほど安くはない。
「これは値切りしなきゃいけない・・・」と思いながら、売り場をウロついたり
他の店に行ったり戻ったり、途中でゲーセンに行ったりと、とにかくマゴマゴしていた。
「これ、あの、安くなりますか?駄目ですか?」といった風な言葉を発することができた。
そして、「あーちょっとどうですかね」という店員の返答に対して食い気味に「くく、くださいこれください」と、値札そのままの価格で購入して帰路に着いた。
目的の物が手に入ったが、敗北感でいっぱいだった。
堂々と値切れないだけでこんなにミジメな気持ちになるなんて、大阪の前提が自分の性格に合わない、もう嫌だ。
と高校生は鼻をツーンとさせながら地下鉄の階段を降りていった。
改札をくぐり、トイレにより、小便をしている(個別に便器があったか、壁みたいな所にする方式だったかは忘れた)と、
奥に立っていた中年サラリーマンが笑顔でやさしく声をかけてきた。
「5000円でなめさせてよ。」
薄いコートでかくれていた下半身をこちらに向け、屹立した自身の通天閣をこすりながらにじり寄ってくる。
小便を途中で止め、荷物をまとめて、駅員のいる改札方面に走って逃げていった。
(でも気弱だったので、駅員には何も言わない)
トイレから出たサラリーマンはこちらを見つけたが、駅員がそばにいるからか、近寄らず、笑顔でこちらに手を振って去っていった。
しばらく膝が震えていたが、
家につくまでにPC店の袋が破れたので、製品の箱を直で持って帰った。
私はソファに走っていって、突っ伏して泣きまくったので、親は混乱したと思う。
書いているうちに封印していた五千円おじさんの記憶が蘇って記述が分厚くなってしまったが、
ライブというかクラブのノリに合わなくて侘びしかったけどこのアーティストのライブ行くの人生でやりたい事リストの1つだったからできてよかった
・毎回の事ながらアーティストが現実にいることにビビる リック・アンド・モーティや
・BGMがすこぶるいい ノリアキとミュージックラバーズカバーすこ プレイリスト作った
おまいらクラブで酒のんでピザ食ってだべるという時間の過ごし方が過ごせるなら最初からそう言ってくれや!!!
・コール&レスポンスの完成度が高いアイドルライブだった
本当に200曲位出してるのに全曲歌詞+コールも完璧即レスなの強火精鋭集ってた
・前から2列目でみれた
・思ったより早く着いたから
予想より異世界転生感は少なめ
・地下鉄の元気な赤子
・Googleマップで北一番丁通りに牛たん屋さん沢山あるしみんな4つ星以上だから最寄りのお店に入ろうとしたら3件連続営業時間外で4件目でやっとありつけた 牛タン、美味しいけど塩がほしい 店員さんに言ったら「ないです」って言われてそんなこと無いやろ!と思ったけど言えなかった…
・チェーン店でなく観光客も地元の人も集う歴史のありそうな個人店って感じで雰囲気はよかったあと店員さんの人口密度が高い
自分が入ったあと列ができ始めてゆっくり食べるのが申し訳なくて忙しなかった
一回の食事でお腹に入る量が少ないから食道楽の才能が無い 自分の金払って注文した料理残すの嫌
観光の才能…無さすぎ…?!
追記→そうか…仙台で牛タンを初めて出した誉れ高き名店か…偶然巡り会えてラッキーやったわそりゃ名店で塩くれって言われたら…怒る…ヨネ…ゴメン…ネ
いやでもあの言い方は…いやでも…
・牛たん屋さん捜索中に商店街脇道で生演奏ジャズバーと中野ブロードウェイみたいなホビーショップがあって「良ッ」ってなった
しかし薄々気付いていたがジャズって人好きでないと合わない趣味だな‥?
あとでっかい5メートルくらいない?枝の分かれ方がオサレ 街並みもなんか上品に洗練されてる感じある
・正直一昨日見た別のアーティストのライブが良すぎて今日のライブを楽しめるか不安
先日の方は今日の前座位の気持ちだったんだけど理想の倍以上いいライブを見させて貰ったから尚更今日のが「わざわざ遠くから遠征したのにこれ?」ってなったら自分が辛い
漫画で言うならコミティアの同人誌とサンデーマガジンくらい違うから比べるもんではないと思ってたし「チケ取れたから両方行くか」のノリできたけど立て続けて見ると比べてしまう〜
あとこのアーティスト、好きだけどハマったのコロナ直前で今に至るまでの期間で曲の雰囲気とか変わったからそこも不安
あと「アーティストのファン、何だかんだ言って異性が多い説」が浮上したので「ギャグラップで女性ファン多いのって昔のニコ動の歌い手みたいでキッツいな」と思ってしまい行く前から仮想ファン層で若干沈んでる アラサーの男女半々であってくれ…!
あとシンプルに疲れてる時にアップテンポの曲だと自分で金払って見に来たのに「うるっせぇな」と思ってしまいそうで不安
でもライブハウスは「死ぬまでに一回こういう店に行ってみたい」って感じのオサレ小規模?ライブハウスなので確実に楽しみ
あとアーティストもコロナ後開催2回目ライブなので今回行かなかったらさらに時間が経ち曲調が好みから外れてかつての「この人のライブには絶対行きたい」という気持ちが遠ざかってくのが予想されるので直近の今の内に行くしかねえ! latestなのじゃ
・商店街にいる鳩が地元の個体よりみんな丸くて可愛い もちもちしとる
・次の日朝雪で東北って感じがしてよかった
らしんばんはある!
・寿司うまままままま
マグロが噛まなくても腔内で溶ける
脂が腔内の温度で溶けていく…
仙台来て良かった〜!と素直に思えた本当にありがとう 回らないお寿司初めて
脳が優しくパキるという初めての体験
将太の寿司ありがとう 待ち時間に読んでなかったらお寿司食べるという発想はなかった
・オタクショップは全国どこでも実家のような安心感を与えてくれる カ、カップリングがごちゃ混ぜじゃねーか!
・ずんだ餅、あんまり口に合わないかもと心配してたが美味しいHAPPY
・仙台→東京の時にBLUE GIANTのImpressions聞けてHAPPY 東京→仙台の時に我慢したかいありけり
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・仙台、ライブというよりクラブはノリに乗れなかったけど街路樹が並ぶ街頭に雪が降る様子とか異世界感あった+寿司・ずんだ餅とか食べ物美味しかったしお金かけて行ったかいがあった