はてなキーワード: 地下鉄とは
本当は、あの頃が恋しいけれど……。
でも、今はもう少しだけ知らないふりをします。
私の作るこの地下鉄も、きっといつか、誰かの青春を乗せるから。
でお馴染みのCMですが、
このCMで主人公が友人の『同窓会もう始まってるよ』という旨のチャットに対して
前述の事を返信していますが主人公は喧嘩を売っているのでしょうか?
友人の『同窓会もう始まってるよ』という旨のチャットからわかるように
明らかに同窓会が開催される事は前から決まっていたようなのですが
なぜ主人公は友人からの連絡が来るまで欠席する事を伝えなかったのでしょうか。
少なくとも1ヶ月前から決まっていなのではないでしょうか。
海外出張が決まったのが同窓会の前日だったとしても早く友人に欠席連絡をするべきではないでしょうか。
もしもこの同窓会を出席人数分予約してコースなど頼んでいたとしたら主人公分は誰が払ったのでしょうか。
主人公が出席だと知り、彼女との久々の再会に想いを馳せている友人もいたかもしれません。
そんな人たちの期待を彼女は裏切ったのです。
普通に考えたらそのくらい警戒してる女性はもう何らかの性被害に遭ったことがある・遭い続けてる人だと思うよ
経験ない人は増田と同じように考えてて自意識過剰乙w自分がかわいいと思ってるの?自慢?wとか言ってくるからね女でも(嬉しいわけないのちょっと考えたらわかりそうなのにね)
そして「お前が警戒しないのが悪い、お前に隙があったんだからお前が悪いんだよ、だから我慢しなさい」って最後に必ず言われてる何なら女親にも警察にも言われるし
何度も思い出してつらくて意を決して友達や親に相談したのに、それをしようと思えるくらい信頼してる人にそれを言われるのは結構絶望的な気持ちになるよ
本当にああいうのは逢ったことないうちはその存在も恐怖もわかんないんだよ私も増田みたいに思ってたし
性犯罪に無縁でそんなことするやつがそうそういるもんかと思う人には性犯罪者なんて本当に幻みたいなもんだからその被害者も同時にいないわけで、
まさかそういうただただ鼻につくような行動(に見える)をする女性が被害にすでに遭ってるなんて思わなくてもそんな不思議じゃないけどさ
味わった人はただもう二度と同じ目に遭いたくないしそれ以上に同じ言葉をかけられたくないから全身トゲトゲでひたすら警戒するんだろうね、皮肉にも人に言われたとおりにそうしてるだけなんだろうけど
私の場合は警察沙汰にまでなった被害に遭ったあとは警戒以前にバスにも地下鉄にもしばらく乗れなくて困ったよ ただ怖くて
私はだいぶ恐怖心は軽快したし男性一般を憎んだりもしてないけど今でも犯人に似たタイプの人見るとそのときのこと勝手に頭が思い出して一瞬固まっちゃうのはどうしようもない
増田が不快な目に遭ってるのはかわいそうだし不条理だって思うのは当然だと思うけどこの人もしかしてもう過去にひどい目に遭ってる人なのかもしれないなって考えるとだいぶ気持ちが和らぐかなと思う
犯罪の対象になるのに容姿は全然関係ないしね、私は人生で一番太ってて醜い時に盗撮被害に遭いました
あと私のいとこの男性も痴漢被害に遭ってるので女性だけが被害者ではないしね 加害者も男性だけじゃないし
しいて言うならただ反抗しなさそうな弱そうな狙いやすそうな人間を狙うんだよね、そういう卑劣な人間がやることなんだよねただただ
あともう依存みたいになってる人ね そういう人は自分の社会的立場なんてものは全然その最中は考えてないんだと思う
そこで被害者の属性をことさらに分析して皮肉ったりする必要ないかなあと思う
誰であれ憎むのはクソ性犯罪者だけでいいと思うんだよね
彼はホームの端っこまでいって、ホーム柵に手をかけて電車が地下トンネルの向こうからやってくるのを心待ちにしている。
電車が来るまで、まだあと5分くらいあって、その間中、彼はずっとそわそわしていた。
そして、いざ電車がくると、ちょっと怖くなったみたいで、2歩くらい後ろに下がって電車が通っていくのを見ていた。
到着した電車の最後尾が、見ているすぐ前で止まると、乗務員さんに向けて腕を大きく振っていた。
すごくうきうきした表情で乗り込み、ドア脇の手すりのポジションを確保した。
この間のホームにいる時、ずっと彼のすぐ後ろにおじいさんが立っていて、電車には一緒に乗り込んで、彼の脇に立っていた。
このおじいさんは、80代くらいだろう。
きっと彼のお父さんなんだと思う。
彼は電車の中ではすごくおとなしくて、手すりをしっかり持ったまま、車内の天井や窓やつり革など、電車の設備にまつわる部分を、それこそ目をきらきらと輝かせているかのような表情できょろきょろと見まわしていた。
停車駅では、ドアが開閉するたびにドアを触ろうとして、その都度、お父さんが彼の腕をひいたり背中を支えたりしていた。
そして、目的地なのであろう駅で降車するのだが、彼はすごく興奮した感じで電車から駆け出すように降りて、お父さんが急いでついていっていた。
私はこれよりも先の駅で降りる予定だったので、そこで二人を見送る格好となったのだが、乗車駅から降車駅までを見ていた記憶を振り返っていた。
彼のふるまいは、最初から最後まで、すごくほほえましいものであった。
彼は知的障害などの事由により、50歳前後になっても、幼児くらいの、しかしとてもおとなしめのふるまいをしていた。
目の前に広がる世界の、いろいろなものがすべて新鮮で楽しくてわくわくしたものとして毎日冒険のような気持ちだったような、そんな幸せな時間を、ずっと過ごしているのだとしたら、なんと素晴らしいことだろうか。一日中ずっとそうかは分からないけど、少なくとも電車に乗るたびに、あんなにうきうき、わくわくできるなんて、ものすごく幸せだと思う。
お父さんは、もちろん大変なこともたくさんあっただろうけど、ずっと可愛がれているんじゃないだろうか。
お父さんは、すごくやさしい眼差しで、彼に付き添っていた。
しかし、そのお父さんは、もう本当におじいさんっていう風貌で、あと20年、30年という単位では生きてはいないんじゃないだろうか。
そう遠くない時節に、お父さんは死んでしまうのだろう。
幼児のような素直さ純真さをもつ彼は、その時どう思うんだろう。
私はそうしたことに思いを巡らせていて、ものすごく切ない、悲しい、やるせない気持ちになってしまった。
さっき、お父さんに声をかけて、知り合いになっておけばよかった、とも思って後悔の念に駆られもした。
彼の電車に対するふるまいに、ほほえましさしか感じられなくて、友達になりたい気持ちも生まれていたのだ。
彼らが悲しい思いをしなくていいようにするために、私は何ができるんだろう。