はてなキーワード: 上前とは
グラフィックの人らはマウスで絵をかいていて、世間話で画面にペンで直接かけたらいいですね、みたいなことを言ったら、それだと手で画面が隠れて書きにくいだろとか頭ごなしに却下された。
ペンタブも、操作性がどうこう言ってマウスが一番いいんだ!みたいなことを力説するのな。
こっちは気軽に世間話してたつもりなのに、なぜか向こうは「ド素人が口をだすな」みたいな剣幕。
今はゲーム制作から離れたから、グラフィックの人らはどうしてるか知らんけど「思い切って高価な液タブ買った!」とかツイッターで言ってる絵師とか、「漫画家の〇〇先生にiPadでイラストを描いてもらいました」みたいな記事とか見るし、画面に直接書くって別に悪い案じゃなかったよな。
現在、JR東日本の電車内に人気アニメの劇場作品『劇場版新幹線変形ロボ シンカリオン 未来からきた神速のALFA-X』の中吊り広告が貼られている。
【中づり広告掲出中!】
現在、JR東日本の各路線で中づり広告が掲出中!
超進化研究所からのメッセージも込めました。JR東日本の電車に乗ったら、ぜひ探してみてください!(一部掲出していない路線もございます)#シンカリオン #好きなものは好きなもののままでいいんだよ pic.twitter.com/cq5vozC37L— 新幹線変形ロボ シンカリオン(公式) (@shinkalion) 2019年11月19日
主人公ハヤトの父・ホクトは、小さいころから新幹線が好きでした。
しかし、9歳の少年ホクトは「鉄道が好き」であることを同級生にからかわれ、
誰にも知られないようにしていました。
好きなことがある、その気持ちを大切にしてほしい。
誰かの“好き”を応援できる人になってほしい。
その後、ホクトは大学生になっても鉄道趣味を持ち続け、新幹線の運転士になり、歴女である妻・サクラの方針で彼らの間に生まれた2人の子供は「好きな事を思い切り好きなようにさせてあげるように」育てられ、結果的に長男・ハヤトは父譲りの自他共に認める新幹線バカに育ったのである。
確かに、ここ最近の十数年はオタク文化そのものも開放的になってきたが、20年以上前のオタク文化が閉鎖的だった頃の自分としては共感できる広告である。
ホクトと近い年代の昭和末期~平成初期に少年少女期を生きた世代なら、ファミコンなどのテレビゲームが世に出た頃であり、ドラゴンボールやセーラームーンが人気だった世代だっただろう。
それでも、それらに限らず人の「好きなもの」に偏見を持つ人もいると思う。
しかし、誰かの「好きなもの」を馬鹿にしたり排除しようとしても、された相手も傷付き、した相手も悪いし、
他人に嫌いに思われてもそれを「嫌いなんだね」と理解できたり、ショックを受けたり…と人によって反応は様々であるし、
自分の「好きなもの」でも全く嫌いな部分がないとは限らなかったりもする。
しかし、先述のように学校・会社の人や家族に「好きなもの」に偏見を持たれないようにずっと隠している人も少なくはない。
でも、人の「好きなもの」を、どうか悪く言わないで欲しいと思う。
自分の「好きなもの」は相手の偏見が含まれたものでもいい。
でも、誰かの「好きなもの」はその人の「好きなもののまま」でいいのだから。
(追記)
バンパイア・ガールズ!!それだ!!ありがとう!!さっそくポチりました。てかタイトル結構そのまんまだったね…。
探してくれたみんなに良いことがありますように!本当にありがとう!
(本文)
誰かこの本のことを知っている人がいたら教えてくれ
子供の頃に気に入っていた本で、ふと思い返したらまた読みたくなったんだ。本棚を見たけどどうやら捨てられてしまったらしい。最後に読んだのが10年以上前だから仕方ないけど…。
(概要)
・シリーズもので、自分が見た限りでは最低でも4巻くらい出ていた。
・表紙は黒。文字がピンクや黄緑で、巻ごとに違う。表紙には小さくイラストが載っていたけど、本文中に挿絵はなかったと思う。
・ヴァンパイアの話。ヴァンパイアは人間のことを「ウサギ」と呼ぶ。
・主人公の女の子はピンクやキラキラしたものが好き。人間。日焼けしてる。(以下ピンクの子と呼ぶ)
・サブ主人公(?)の女の子は黒や紫、ゴシック風なものが好き。ヴァンパイア。超色白。(以下吸血鬼の子と呼ぶ)
・この2人、実は双子。ピンクの子の転校初日(確か理科の実験中。口の中を綿棒で擦るやつをしてた。)にそれが判明する。赤ちゃんの頃に別々の親に引き取られた。
・たまに入れ替わったりケンカしたりしながらスクールライフを送る。
・ヴァンパイアだけがする謎の儀式がある。確かスーパーから会場に入る。
・ピンクの子の父親(養父)は会計士。ちょっとこれは自信ない。
・ヴァンパイア専用雑誌?に2人が特集される。吸血鬼の子の自宅で撮影をする。ピアノや鏡を使ってすごく大人っぽいオシャレな写真を撮る。
・トイレの前に清掃中看板を出して人払いをする。そのトイレの中で着替えやメイクをして入れ替わりの準備をする。日焼け肌と色白肌をごまかすためにスプレーか何かを塗りたくるのが定番。
(覚えているアイテム)
・ボウリングのピンの形をしたピアス、箸のかんざし(吸血鬼の子の持ち物。すごくオシャレだと褒められていた)
・血小板トマトジュースマシュマロのせ(トマトジュースじゃないかもしれない。とりあえず赤い飲み物。ヴァンパイア専用。)
こんだけ覚えてるのになんで題名は思い出せないんだろう…。ちなみに検索するとたくさん出てくるんだけど、「トワイライト」や「ヴァンパイア・ダイアリーズ」ではない…。
今から13年以上前、ライブドア事件が起きて関係者の野口氏が自殺した時、あまりに死に方が怪しかったから、当時流行っていたミクシィに「野口氏は重要な情報を持っていたので口封じに消された」と日記に書いた
そうしたら方々から「考えすぎ」「自殺でしょ」「頭おかしい」と揶揄された
実家は拡大方針を取らなかったので、作中の塾の発展とは異なりますが、
月としての教育インフラであった塾業界、そして受験ビジネス産業については
いろいろと父の話を思い出すこともありました。
そして私が学生だった20年以上前と比べて、塾の位置付けがこんなに変わっていること、
塾が悪いなんて言っている人みたことないと書いてあるブクマの意味がよくわかりました。
私自身が自分の経験のために、学生時代から塾のイメージをアップデートできていなかったのかもしれません。
いま、塾はこんなにポジティブに捉えられているのですね。
塾の子供たちのエピソードは昔を思い出しました。自分は蘭に一番似ていたと思います。
教師から目の敵にされていたのもあり、良い成績を取ってやるという気持ちもあり、
父親はそんなことを全然望んでいなかったと思いますが、自分は塾の広告塔だと思って、
良い成績を取って、生徒を集めて、家庭を助けたいとも思っていました。そんな大人びた子供でした。
逆に父は、生徒の進学結果などを公に公開することを反対で、良い中学・高校に進んだ学生は多いのに、
また、習熟度別クラスに反対で、同学年は成績に依らず一つの教室でした。それは父のポリシーだったと思います。
私は成績もよかったこともあり、たしかに学校の定期試験をなめていたこともありました。
歴史なんてただの暗記科目、子供の記憶力チェックをされているだけなので、
別にこれは日本の歴史じゃなくても、マイナーな外国の言葉のボキャブラリでもなんでも取り換え可能だ。
そのときは、明確に叱られました。歴史とは現在と地続きの人間の営みであって、
いまがどのようにつくられてきたのか、そして人間がこれまでどれほどの愚かなことをしてきたのか、
それを学ぶものだと。
私が、「いやいや、この似たような仏像の写真を並べて、名前を当てる問題なんて、ただの暗記&IQテストじゃん」
みたいなことを言った時に、いまはそう思えるかもしれないけど、いつかその違いを楽しめるようになる時が来る。
そういうのが教養なんだと教えてくれました。当時はただの屁理屈だと思いましたが、
今思えば、父の言葉は真実でした。橋本治のひらがな日本美術史は私の好きな本の一つです。
もちろん父を神格化していたわけではなく、はっきり言ってしまえば、
自分は普通の家の子どもに生まれたかったと反抗期には何度も言っていました。
同級生が自分の父親を知っている、同級生が自分の家にお金を払っている。
この居心地の悪さは、自営業の子にしかわからない感情かもしれません。
(塾は関係ないですが)
そういう感情もあり、作品中の一郎が教育業界と距離を置きたくなる気持ちがとてもわかります。
結果として、私は少なくとも現在は教育業界からは遠いところにいて、
(昔の)学校の教師が、塾の存在が、自分たちの仕事が不十分であると感じさせられるので敵視する一方、
作品中で吾郎が「塾の人間というものは、すべての子どもに等しく勉強を教えられていない現実に、
絶えずある種の鬱屈を抱いている、商売であることの限界が、喉に刺さった小骨のようにつきまとう」と語るように
大手を振って、すべての子どもたちに教育を無償で提供できる学校教員を、
ある意味で羨ましく思っていたところもあったのだろうなぁと思いました。
もう70になる父の語った賤業という自虐も、この辺りの感情が根っこにあるのではないかと思わされます。
最後の教育格差の問題へのアプローチも含めて、非常に良い作品でした。
二月の勝者も、作中で何度も匂わされているように、同じ問題意識があると思います。
父は、資源がない日本だからこそ、教育に力を入れるべきだと昔からずっと言っていました。
なんとも古臭い文言ですが、先進国トップの学力を誇った日本が、
いまや公教育がぐちゃぐちゃになり、そして富裕層・貧困層の教育格差が拡大し、
他の先進国から博士がいないとビジネスの場ですら、馬鹿にされている始末です。
教育の底上げもエリート層の教育もどちらもできていない現在の日本の教育ですが、
もうそれは嫌になるほど戦った。
「お前は〇×△の〇×□だ」と罵声を散々浴びせられた。
在日認定も500回ぐらいされた。
で、いま、ネットフェミと左翼を見てて、同じことやってんなーと思う。
男性特権を許さない市民の会というのがあればまさにあんな感じ。
ネット弁慶。
カルト化する。
嫌がらせ行為に走る。
十分な論証や検討を示さず、非科学的・非論理的なデマを利用する。
口ぎたないヘイトスピーチを行うが自分の発言はヘイトスピーチであると本当に理解できない。
他にもまだまだ思いつくだろうが、取り急ぎこれぐらいのことはすぐに出てくる。
そんで何が怖いかというと、当時、在特会と、一緒に戦ってた人たちが、コロッとネットフェミになってしまったこと。
お前らのことだぞ。
お前ら、お前ら、お前ら。
正直縁を切りたい。
本当にお前ら何もわかってなかったんだな。
そもそも私たちは「議論の余地がある」と思い込まされてないか?それ海外ではすでに決着ついてね?世界の潮流はどっちよ?って考えてみるのも大事よな。
英語を学ぶことは、権利を取り戻すこととほぼ同義だったな、私には。— 竹下郁子 (@i_tkst) 2019年11月17日
欧州や欧米に限っても黄色いペストやらナチス警戒令やらトランプやらとリベラルポリコレフェミへの反動まっしぐらなんですがそれは。
一般フェミならともかく、著名人や有識者、マスコミ関係者がこんな事を平然と言っちゃう辺り、フェミ界隈は先鋭化しすぎて、男性やオタクはおろか逆に主体層であった女性からも毛嫌いされ始めるのも必然と言うしかないよね。
しかしこの人達の世界=自分のお気持ちと言うのも10~20年以上前から変わっていないなと思う。
最近ではまーたPayPalやクレカ会社の規約使ってのポルノサイトや反対団体の資金源潰しとか覚えたみたいだけど、そんな陰湿な事ばかりしているから余計に世間から嫌われ出しているのをいい加減自覚した方が良いと思うよ。
つーか、フェミはいい加減権利や規制を押し付ける時に青少年の育成や子供の権利を盾にするのを止めろと思う。
こいつらのせいで子供の権利も本気でイメージ悪化し続けているからな。
今は左翼とくっついているけど、こいつらキリスト系や保守系とも関係あるし、当時は普通にこの手の団体をも利用してきた経緯も知っているからな。
吉良姓を受け継いだ吉良上野介の子孫はいない。(後に別家が吉良の名を継いだ形で、子孫の方は上杉家や畠山家等におられる)
三河地方に吉良の領地があったのは元禄16年(1703年)までで、それ以降は吉良と三河地方との関係は無い。
近年「実は吉良上野介は地元では名君」っていう話をよく聞くようになった。
「吉良上野介は名君」って言う説を知っている人も多いだろう。
で、その「吉良の地元ってどこだ?」って話になると
案外、知ってる人が少なかったり誤解している人が多かったりすると思う。
恥ずかしながら私もそうで、
三河地方っていうのは知っていたのだけれど
この辺には歴史的な経緯があるそうで、
その後、これら土地は、あちこちの藩やら寺社、旗本の領地なんかに吸収されて
(こういう状態で「吉良の地元」という意識が受け継がれてきたというのには少し無理があるような)
その後、昭和三十年に 横須賀村と吉田町が合併して吉良町が生まれる。
(余談だが吉良には雲母の意があったという)
歴史を知っている人でも、吉良上野介は大昔の隣の殿様という扱いで
古くからの西尾市の人に「吉良上野介の地元」と言われると変な顔をされたわけだ。
んで、もう少し突っ込んで話を聞いてみると、
西尾藩の領民が、吉良が作った堤防により水害が発生して苦しんでいたので
こういう逸話があるぐらいなんで旧西尾藩の地域の人にとっては、
「吉良上野介は地元では名君とされている」と言われるのに抵抗があるみたい。
吉良上野介を地域の名君として賞賛する教育を西尾市の全域で行っているとのこと。
それで地元とは言えない所の子供達にまで「地元の名君」と教えられているそうな。
(吉良の堤防による洪水で、エライ目に遭ってた所だったりしたら洒落にならんな)
調べてみると、
吉良上野介が黄金堤を作って地域の開発に役立ったのかからして怪しいという。
残された絵図面なんかをみると、この地域にあった鎧が淵の新田開発で
近年になって「吉良つながり」で、吉良上野介が担ぎ出されてきたっぽい。
でも、そういう都合で「新しい歴史」をつくっちゃて
堤防などの治水等で名代官と言われる鳥山牛之助(さきほどでた新田開発のトラブルの調停もしている)
なんかの話が、わりとしっかり記録や文献をたどれるのに殆ど注目されなくて、
「らしい」という話しかない吉良上野介だけが「地元の名君」って言われて教育現場で広められている状況は、
なんだかなぁって思ったりする。
吉良上野介が名君であったという話に「吉良の赤馬」という郷土玩具をセットにする人が多い。
「吉良上野介義央は治水事業に心を寄せ、領内の水害を防ぐため、黄金堤を築き、自ら愛馬赤馬に乗り巡視にあたりました。その姿は威風堂々とし、愛馬も大変立派であったので、領民はこれを称えいつしか赤馬と呼ぶようになりました。領内の村に住んでいた村人が江戸・天保年間に子どもの玩具として作ったのが始まりです」
とある。
いわゆる赤穂浪士の討ち入りが元禄15年末(1703年の1月)。
三河の領地を取り上げられる裁定が下ったのが元禄16年(1703年)になる。
「領内の村に住んでいた村人」と言っても、
その時には吉良領は跡形もなくなっている。
昔、吉良の領民だった人も既に死に絶えた後のはず。
実際の記録では吉良上野介が三河の領地を訪れたのは生涯一回だけだったらしい。
直に吉良上野介を見た村人が、後に玩具を作り出したとかいう話なら、
まだなんとなくわかる気がするのだけれど、
百年以上前に一回だけ訪れた殿様の馬を、
わざわざ玩具にしようというのいうのは変だよなぁ。
天保年間には別の殿様が治めている状況なのに。
調べると、さらに興味深い話が出てきて、
この時点では「白馬」なのね。
もし本当に赤馬と吉良上野介の話が元になっていたのなら、
突然、殿様に白馬ってのは出てこないよなぁ
「自ら愛馬赤馬に乗り巡視にあたった」という話自体が後から出た感じがする。
もちろん、こういうのは商品を開発したり売る人が、
色々面白おかしく「いわれ」を主張するのは別に良いと思うのだが、
このエントリーは「吉良上野介が地元では名君」という説が「ちょっと変」っていう話で、
だからといって、これだけでは「名君ではない」とまで言えない。
(西尾藩の領民に洪水被害を出した伝承とかは、ちょっとふれたが)
「名君だと言うならもその根拠資料を出せ」と言っている所もあるそうな。
「吉良上野介が名君だった」という人は、きちんとした資料を出してやれば良いと思うよ。
それを元にして、地域教育とかを書き直していく必要があるんじゃないのかな。
少なくとも教育委員会とか自治体が、根拠に疑問が持たれる話を持ち出して
へんな形で「地元の名君」を作り出そうとするような状態は良くないなぁと。
もっとも「実は、吉良が名君という話は怪しい」というのは、
中々メディアとかでは取り上げにくい話だと思う。
実は「正義の味方だった」と言うのは受けるだろうが
例えば「イメージ通りの悪い人でした」と言っても、
そこには話題性も何も無いわけだ。
この点は、なかなか興味深くて、
必ずしも同じように拡散するわけでは無くて、
このまま誰も異議を唱えないまま残ってしまうんじゃ無かろうか。
とか思ってたら、wikiとかにもわりと詳しく書いてあったわ。
初めてフレンドのチョコボに乗せてもらってクルザスの空を飛んだとき、流れていく景色と遠くに薄く見えていた山々が近づいてくるのを見てとても感動した。ニートでお金がなくて海外旅行なんて行く余裕がない私でも、パソコンの前に座るだけでこんなに簡単に知らない景色を見ることができるんだって思った。
ユーザーが企画するイベントに参加するためにFF14用のツイッターアカウントを作った。#おはララとか#おはウラ とか綺麗に加工したゲーム内のスクショを投稿する文化があることを知って、タグをつけてとっておきの画像をたくさん投稿した。
なんの取り柄もない私が、その数百人に反応してもらえたことで無条件に認められた気がした。
ユーザーイベントにたくさん参加して、フレンドがたくさんできた。
ツイッターもフォロワーが増えて、なんてことない呟きにも誰かが反応してくれるから、かわいい写真をたくさん投稿できるようにがんばった。
少しでも反応が沢山もらえそうな映える写真を撮るために何時間もかけて、何枚も同じような写真を選んでスマホに入れて加工した。スマホのメディアはほとんどゲーム内のスクショで埋まっていて、たまにリアルの友達と食べに行ったごはんの写真。
こうなってくるとゲーム内での人間関係もすごく気にするようになった。
フレンド同士のちょっとしたいざこざで声をかけづらくなった人と出会わないように、3国にテレポするときは必ずフレンドリストから居る場所を確認してから移動する。フレンドがユーザーイベントを企画するときは、できるだけ参加する。
夜遅くまでスクショを撮るためにログインして、朝は通勤電車の中で映えツイート。フォロワーの投稿にいいねを押しまくって、昼休憩もごはん食べながらいいねとリプライ。
かわいい装備をゲットするために何回も同じダンジョンを周回して、そのスクショを撮ってツイート。いいねとリツイートが沢山もらえる。
それで、ある日ふっと「しんどい」って思って、ログインを辞めた。FF用のツイッターも見るのをやめた。
今思えば承認欲求の塊がSNS疲れになっただけの話なんだけど、あのときはいいねの数が全てだと思ってたし、フレンドからどう思われるかが生活の中で1番大事だった。他人から羨ましがられることだけに心を砕いてた。
オンラインゲームで時間をかけて着飾ったところで、リアルは風呂上がりの髪も十分に乾かさずにゲームやってる髪ボサボサの喪女でしかないんだけどね
今は仕事がすごく忙しくて、でも結構現実は楽しい。あとお風呂あがりに慌ててゲーム起動する必要がなくなったから髪の毛をきちんと乾かすようになった。
私の自業自得は極端な例だと思うけど、承認欲求に踊らされて、楽しいゲームをしんどい人間関係の場に変えてしまわないようにお気をつけて
良き週末を。
。o○。o○゚・*:.。. .。.:*・゜○o。○o。゚・*:.。. .。.:*・゜。o○。o○゚・*:.。.
。o○。o○゚・*:.。. .。.:*・゜○o。○o。゚・*:.。. .。.:*・゜。o○。o○゚・*:.。.
某社が話題になっているピヨね。
中学の時の通信添削。簡単すぎて、すぐに別のところに乗り換えてしまったピヨけどね。
「某社の件、今、騒動になってるピヨね」という話の流れで、
定期的に会ってる昔からの友人とその後輩と、その話になったピヨよ。
そこで聞いたピヨ。
後輩ちゃんの友人に、校正や編集をフリーでしている人がいるピヨ。
その人は英語は大学受験で縁が切れましたという人で、当時25歳くらい。
人材派遣に登録して、編集職として、半年単位で職場を転々として、
サッカー年鑑や料理本のようなものを作ってきたんだそうだピヨ。
その人がある日紹介されたお仕事が、
というお仕事だったんだそうだピヨ。
そのフリーの編集ちゃんは、英語ができない自分につとまるのか不安ではあれども、
「中学生向けだから大丈夫」、「大学受験で英語やってれば大丈夫」
などという説明だったので、そのお仕事を受けることを決意したんだそうだピヨ。
お仕事内容は、看板商品の講座の増刊号的な? 学期末のまとめ、的な? 要するに、
教科書のレッスン1からレッスン3の要点をまとめて解説したプリントみたいなものピヨね、きっと。
中間試験対策の総復習WORK BOOKみたいなのが通信添削では送られてくるから、それかもしれないピヨ。
それを、ある教科書に対応する1年生用から3年生用まで、担当することになったピヨ。
もちろん、フリーの編集ちゃんはずっと英語から遠ざかっていたので、
「原稿の内容が間違っていないかどうか」を確認する、なんて能力はないピヨ。
たとえ中学生向けでも、英語は英語だから、簡単ではないピヨね。
というストレスがとても大きくて、
最終的に責任を持つ立場の社員さんは英語が得意だったようだとはいうものの、
求人の段階で「中学生への英語の指導経験必須」という条件があったわけでもなく、
フリーの編集ちゃんのような人でもわかるくらいに、英語教材としてダメそうだったのだそうだピヨ。
その例文が、全部同じだったという話だピヨ。
「例文が全部同じって、どういうことよ?」と後輩ちゃんに聞いたら、
「全部同じパターンだった」ということだピヨよ。
例えば
look after ~:I look after him.
ask ~ for …:I ask him for help.
ask ~ to do …:I ask him to do this.
具体性が全然ない例文の羅列。
フリーの編集ちゃんレベルでも「これは役に立たない」と即決できるレベルの駄教材だったピヨ。
「さすがに、こんな教材が子供に送られてきたら、自分ならクレームの電話入れますよ」
とハイボールを飲み干しながら言っていたのだけれど、その通りだと思うピヨ。
実際に、そんな教材が最終的に顧客の手に渡ったとは考えにくいのは確かであるにピヨ、
某社は、そんな風に作られた教材を平気で売ってたんだピヨね~。
というより、そんな風に教材を作らせていたんだピヨ。
・・・と、どんよりしたところで、お店がラストオーダーになったのでお開きになったピヨ。
フィクション終わり
カッペ系リトルビジネスはお店のブランディングであったり、海外からの文化輸入であったり、
そういう点のこだわりがめんどくささを生み出してるんだと思うけど、
それとは別のもう少し庶民的めんどくさい店巡りが好きな先輩が大学時代にいたことを思い出した。
15年以上前の話だけど、夏休みには、イラクにいって、仲良くなった現地人と一緒にゲームセンター(プレステ置いてるだけ)で遊ぶという
豪快な先輩だった。
先輩は基本的には、オシャレ系ではなく、汚い系一見さんお断りっぽい常連だけの店によく乗り込んでは、
持前のコミュ力で、店主と仲良くなっていた。もちろんたまにブチギレられていたが、そこも含めて楽しんでいたようなので
新橋にあるポテトサラダだけが異常に美味いおばちゃんが一人でやってる店を発見して、常連のおっちゃんと仲良くなったり、
タワマンがまだ工事中だった古き良き時代の武蔵小杉で、オシャレを目指そうとするが、どうにも垢ぬけないバーで、カクテルを教えてもらったり、
平間にあるルールが厳格な焼き肉屋で、店主に気に入られて名刺をもらったり、
北千住の小料理屋でヤの人とトラブルになったり。そんな人だった。
彼の言葉で最も記憶に残っているのは、ある人気のあるショッピングモールも併設されている便利な新興住宅地に行ったときに、
有名な大手ディベロッパーが開発したショッピングモールの中には有名店の支店がずらりと並んでいる。
「あのなぁ、増田。そんな出てくる食事が想像できる店に行って何が面白いんだ。
このヤバい外観。なのに潰れていない店。客もそこそこいる。そういう店を発見して、
なんでこの店がつぶれずにやっていけているのかを食事を通して明らかにする。
たまに、ただの地主が道楽でやってるだけで、クソまずいものが出てくることもある。そういうのも含めて面白いんだろうが。」
学生だった当時は金もないし、せっかく外食に行くなら、雑誌やネットの有名店だったり、
いまでいうインスタ映えのするお店だったり、そういうところに行きたかったのに、
いつもよくわからない店に連れまわされて、なんだこりゃ、と思っていた。
でも、いまならわかる。彼は偉大だったと。
食べログやらミシュランやらGoogle mapsやら、いたるところで評価がなされていて、
美味い店を探すのも簡単になった時代。しかし、こんな時代でも、ネットに載らない情報があり、
そういう人たちの努力と尊い犠牲のもとで、われわれがこたつに足を突っ込んだまま、情報を貪れるようになっているということを。
よく攻略サイトを見ながらゲームをして何が楽しいの?という批判がある。私もそう思う。
食べログを捨てよ、町へ出よう