はてなキーワード: ピカチュウとは
まだ2話までしか見てないけど。
ブラックとシャドームーン、二人とも子供時代に改造されたことになってるのか……かわいそうに。
シャドームーン幼少時代役の子の二重あごのぽっちゃりぶりがかわいい(気の毒なシーンなのにそんなどうでもいい所に着目しててごめんね)
ルー大柴を久しぶりに見たが、ルー大柴だってエンディング見るまで気づかなかった。
日本のグレタちゃんみたいなあからさまなキャラってどうなの。ちなみに仮面ライダーとは関係ない話だが、自分はプロパガンダのために子供を矢面に立たしてワッショイすること自体を好かない(のでグレタちゃんのことも支持してない)
日本のグレタちゃんとスズメ系男子の住んでる界隈って実際にある街なの? それともセット? なんか『攻殻機動隊』の九龍城っぽい背景を思い出すけど、今となってはそういうネタは使い古されてしまい、駄々漏れる意識の高さと相まって若干痛々しい感じがするのだが……。
シャドームーンの人が鎖で繋がれてる場面を見て、私の脳内のハンジ・ゾエさん(CV朴璐美さん)が「エェェェルrrrrェェェェェン!!」って叫んだ。なにこのエレンみ。
日本のグレタちゃんの意識の高さがしんどい。この黒歴史の最中を歩いている感じ。
ホームレスっぽい人の借金踏み倒しに怒った光太郎さんがホームレスっぽい人に容赦ない暴行を加えて金をもぎ取るシーン、意識高ぇーと思った。お札のシワシワさ加減が特に。
ドヤ街っぽい所にある懐かしの煙草屋のような窓口の所でスパイ映画よろしく闇の仕事の斡旋が行われているところが、実に意識高い。そこのおばさんを演じてる人のしゃべり方が綺麗なのはちょっと気になった。
ホームレスをボコす光太郎さんまではギリ受け入れられる感じだったが、金のために意識高い女子中学生日本のグレタちゃんの暗殺を容易く請け負う光太郎さんというのは、ちょっと許容範囲を超えちゃったな。
シャドームーンの幽閉された場所の看守のような人が栄養ゼリーの残りをチューチューするというアクションを敢えて入れるところが意識高くてよかった。
力に目覚めて手枷を引きちぎり自由になったシャドームーンがふと上を見上げると、そこにはコンクリートによって四角く切り取られた青空があったのが意識高かった。ていうか屋根なかったんかい。
長らく幽閉されて見た目が仙人か尊師みたいになってしまった男が、汚い洗面台の前で身繕いを行い、実は案外年若い男好きのするタイプのイケメンであったことが判明するという過程を丁寧に描写するのが意識高い。特に塗りたくったシェービングクリームは水で流さずにグイッと手で拭うだけ、肌荒れなどに負けない俺様の意識高さたるや、気高くてよい。
ところでこの手の男好きのする顔面の男をイケメンと思ったことが私はあまりなかったのだが、最近は歳のせいでどうでもよ、もとい、許容範、もとい、守備範囲が広がったのかああイケメンですなと思えるようになった。いい傾向だ、たぶん。
埃の溜まった床から拾い上げた小さな四角い箱が懐かしのオレンジガムの箱でそこから回想シーン入るのが意識高い。
どう見ても猥褻画以外の何物でもない落書きを、猥褻かアートか女に判定させてアートだと言わせるのが意識高い。
70年代って私はよく知らないので、この時代の男の服装を見ると「木刀の竜だ!」って感想しか出てこない自分の見識の無さを反省したりなど。
反怪人の団体があからさま在○会でふふっとなった。そんな集団に日本のグレタちゃんを立ち向かわせるのが残念な意識の高さ。
仮面ライダーブラックさんが蜘蛛怪人の内臓を引摺り出し頭をちぎり取るシーンは実に意識が高い!! こんなグロいこと実写では滅多に出来るもんじゃないですな、うん。
そして暗殺するはずがうっかり救出してしまった体になるのが意識高いなと思った。
光太郎さんの一切の無駄口の叩かなさがまた意識とても高い。しかし当たり前だがいざ口を開くと名探偵ピカチュウの声が出るというギャップ萌えやよし。
最近の俳優さんってあまりそうは見えなくても結構体を鍛えていてすごいなって思う。あのスーツの下にこんな筋肉隠してるなんてすごいぜシロさん。急に『きのう何食べた』の話になっちゃってごめんやでー。
西島さんを見るとカッコいいと思う前に内村光良に似ている気がしてしまう。
口だけ威勢がいい感じの日本のグレタちゃんが意外と応急処置力と生活力を持っている設定なのが意識高い。別に大したものは作れませんけどーって感じで黄身がレアレアのレアな目玉焼きを作る器用さが非常に意識高い。
朝ごはん中に揉めてせっかくのご飯が無駄になるところが意識高い。
完全に絆されて日本のグレタちゃんをご両親との待ち合わせ場所まで連れていってあげる光太郎さん……ただのドクズじゃなくてよかった……というところが意識高い。
お花の怪人がいかにも頭がパーな感じで、難しいミッションを受けて成功させたらゴルゴムの女幹部のポジションが欲しいって言ったら、女幹部がキャットファイトを始めるかと思えば始めず、むしろ「いいよ」って若干百合ほのめかすところが意識高い。
スズメ系男子のスズメ化した頭がお花怪人のハイヒールで踏みしだかれて凹み、目玉が半ば飛び出しているところが非常に意識高い。こんな残酷な表現は意識がとても高くないと成し得ませんよね!
スズメ系男子、けっこう気に入ってるキャラだけど復活しない方が個人的にはよかったな。
お花怪人の腹をシャドームーンが咬み千切ってしまうシーンは意識が高かった。傷口から内臓の出ているところを実写のしかも仮面ライダーでするなんて、意識が高くないと出来ない所業だ!
あー、なんか書き疲れちゃったな。もっと沢山意識高いなと思うシーンはあったんだけど。なんかいつまで経ってもルー大柴が「藪からスティックに」って言ってくれないし、もう眠くなって来ちゃったから私は寝るね、お休み~。
あ、ついでにYouTubeで期間限定公開されている『仮面ライダーBLACK』も観たんだけど、光太郎が改造されるシーンは観る人にある種の癖(ヘキ)を植え付けるやつだね……私は幼稚園時代に癖、植え付けられ済みだよ……。
気持ち悪いですよね。
性欲異常者とその仲間たちが作った曲なんかでアイカツの世界が汚されるのなんて。
だからもう使わないんで欲しいんです。
アイカツの音楽に関わってたけどあの人のことは知りませんでしたはあり得ないと思うんですよ。
「ポケモンのイラストを依頼されたので描いただけでピカチュウもモンスターボールも見たことありません」みたいのはありえないですよね?
その時にスタッフの立場から関わったらきっとどこかで「実はあの人さ……まあ警察に捕まらないうちはこっちも変に動けないよね……」みたいな噂を耳にするはずです。
そこで勇気を出して「女の子笑顔にするためのアニメやゲーム作りながら、どこかで泣いてる女の子見捨てろっていうんですか!」と声を挙げられない人が作った曲なんですよ結局今までのアイカツの曲って。
ぶっちゃけアニメの監督やゲームの偉い人も知ってたんじゃないかな。
そう考えるともうアイカツでメインのスタッフをしてた人にはアイカツに関わって欲しくないですね。
声優やキャラデザの人も長く関わってるなら知ってて黙ってたと思いますし、もう全員変えて欲しい。
()内は出典だが間違っている可能性もあるので注意して
いくよ〜
・美少女アニメアイコン(90年代以前)→クソサブカル大学生かジジイ
・美少女アニメアイコン(10年代)→独身、関東(もしくは工場しかないクソ僻地)、一人暮らし、料理できない、理系院卒、もうアニメ見てない、一生同じ主題歌しか聞いてない、流行りのことはサブカルもメインカルチャーもわからない
・自分の幼少期(男)→ブス
・後ろ姿(サッカー)→おもんないけど、おもろいと勘違いしてる
・証明写真→斜に構えてる
・パートナー→きしょ
・子ども→まともだと思われたい
みんなはどうだったかな〜?
ほかにはある?
乗り物がおかしいとのご指摘ありがとうございます
撮り鉄やバイクなどが念頭にあるかと思われますが、やっかいなそれらのオタクはアニメアイコンかつ乗り物オタクである(bioに書いてあることが多い)ことが多いです。つまり、乗り物そのものをアイコンにしている方は大多数がまともと判断しこのような偏見になっていることを申し添えておきます
でも、やっぱバイクとトラックは年中アイドルのリプでセクハラしてるし、マナ悪の撮り鉄擁護してる電車アイコンもめちゃくちゃあったからダメだわ
先日、『ポケットピカチュウが欲しかったけど、ポケットハローキティがクリスマスに届いた』っていう話を書いたら思った以上に反響があった。正直驚いた。
私もだわという声もあって、一人じゃなかったんだなあと、心に刺さった棘がちょっと小さくなった。
https://anond.hatelabo.jp/20220818181739
»ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。
について掘り下げる。
どうしたらポケットピカチュウを手に入れることができたんだろう。
1. クリスマスまでに親を説き伏せてポケットピカチュウもらう
2. クリスマスにポケットハローキティを贈ったのは間違いだったと気づかせて、別のタイミングでポケットピカチュウをもらう
私の親は、ポケモンは暴力的なゲームで子どもに悪い影響がある かつ ちょっとした流行りものと認識していた。
2022年に「ポケモンは暴力的なので我が家では禁止しています」という親がどれくらいいるか分からないが、1999年にはどうやら一定層いたらしい。
子供の頃の記憶と、さっき5分くらい調べたGoogle検索の結果なので間違っているかも知れない。
ーーーーーもし、2022年の私が1999年の私に会えたら、何てアドバイスをすればいいか。
・友達を1人ずつ連れて行って、ほら、みんなポケットピカチュウを持っているでしょ。と、[エビデンス]を突きつけてみるのはどうだろう。
・もしくは、うちでポケットピカチュウ通信会を開催して、私だけ持ってないでしょ、と教えるのはどうだろう。
・・・と思いついた。
おそらく、当時の親は周りの子どものことが見えてなかった。見る習慣がなかった。
私は第一子だったので、幼稚園に通うまでは「子」と「お母さん」だけの【家】という最小コミュニティで成り立っていた。
それが、幼稚園に通うようになって、「子」と「お母さん」と「幼稚園の同級生」と「ママ友」という【地域】コミュニティに膨らむ。
子が成長するに従って、親はぶつぶつ言い始める。
『〇〇ちゃんはもうバイエルやってるんだって』とか『〇〇ちゃんは進学塾に通っているそうよ』とか『〇〇ちゃんは結婚したって』
と、否定されたことはないので、親にとっては「今日は晴れていたね」くらいの日常の会話、近所の近況報告だったかも知れない。
肯定的に捉えると、周りの子どもと比較するということは、周りの子どもを見る余裕ができたということだと思う。
私が幼稚園に通うくらいの頃は妹が生まれたばかりだった。親は心に余裕がなかったと思う。
自分を通してのママ友はあまりいないが、妹の友達のママ友はいまだに付き合いがあるくらい長い付き合いだ。
なので、公園の片隅で
「うちの子ポケモンなんかに興味を持つのよ。女の子なのに。やあねえ。」
「え、知らないの?ポケモンって今とってもはやってるのよ。女の子も男の子もみんな持ってるんだから。〇〇ちゃんも買わないと置いていかれちゃうわよ。」
なんて話している余裕は私が子どもの頃はなかったんだろう。
あの頃は、「私」と「妹」と「お母さん」だけの【家】で小さく暮らしていた。
私だけが幼稚園という広いコミュニテイに先に出てしまったのだ。
周りの子と自分を比べても、あまり良い説得材料にはならなさそうだ。
ピカチュウはちょっとした流行だと捉えていたことについては思うところがある。
当時ハローキティはキャラクターとしてはかなりの地位を得ていた。1974年にデビューしたそうなので、1999年に25周年を迎えていた。
対してピカチュウは1996年に誕生しており、1999年時点ではたった3周年だ。
2022年にはピカチュウが誕生してから26年になるが、未だに老若男女誰に聞いても「このキャラクターは何?」「ピカチュウ」と回答が返ってくると誰が想像しただろうか。
あなたが「どうせ、これもすぐ終わる流行でしょ?」と手を振り払ったそれは25年後常識になっているかもしれませんよ。
ーーーーサンタさんが良かれと思ってプレゼントしたものを開けた瞬間、子どもがしくしく泣き出したら?
サンタさんはさぞ慌てふためいたと思う。自分が良かれと思って変更したプレゼントは間違っていた、と気付くことができる。
本来であれば25日の朝のプレゼント開封でクライマックスを迎え、幸せなクリスマスになるはず。
ところが、25日の朝にポケットハローキティが出てくることで、家族史上最も気まずいクリスマスになる。
「何が違ったの?」「どうしてダメだったの?」「そんなにピカチュウが欲しかったの?」と聞いてくれたかも知れないし、
「ああ、この子が主張していたものを勝手に変えるのは良くないんだな」と気付いてくれたかも知れない。
人と人はぶつかり合ってお互いの理解を深めるというが、親と理解を深め合う最初のチャンスが5歳のクリスマスだったのかも知れない。
3000円のポケットピカチュウはお菓子のように気軽に買えるというほどではないが、
ちょっと食費を削ったり服を1枚我慢したりCDを1枚我慢すれば、手に入らない金額のものではない。
在庫薄だったかも知れないが、周りの子がみんな持っていたのを考えるに、郊外特有の、ちょっと大きいトイザらスが在庫を持っていたと想像する。
私が親だったら、しくしく泣き出してしまったクリスマスの悲しい思い出を払拭するために、ポケットピカチュウを手に入れようと頑張るだろう。
26日の朝に「あれー!サンタさん今日もプレゼントくれたみたい」と急いで挽回するか、元旦にお年玉の代わりに渡すか、数週間後にある誕生日のプレゼントにするか。
なんらかのタイミングでポケットピカチュウが私の手に入ってハッピーエンドだ。
アラサーになって、ビールを飲みながら、はてな匿名ダイアリーでちまちま記事を執筆することもない。
前回の記事で、ポケモンに触れずに大人になってしまった哀れな人と思われたかもしれないが、安心してほしい。
ポケットハローキティ事件の数ヶ月後に、ひょんなことからゲームボーイカラーとポケットモンスター銀を手に入れることになる。
前段+目次でお腹いっぱいになった野郎だがこんな長文いらんやろ。
単に「すでにおまえらの大好きなクリスタのフィルタにもAI彩色ついてるやろが」っていえばいいんちゃうかな。
その上で、絵師はvPixiv騒動とおなじ「悪意を許容するSNSおよびユーザー」の存在に怯えているだけってのを知ってくれ。
この元増田は絵師が「技術を」恐れていると思い込んでいるので完全にすれ違ってる。
絵師たちは(呪文によって言葉でなんとかお付き合いできそうな)ミッドジャーニーと(img2imgモードがあって複製容易だがインストールが複雑で無知には使いづらい)ステーブルディフュージョンにはモノ申してないけど、
mimic(ツイッターアカウントだけで利用でき、学習数が最低15枚と少ないのでmimicと公式の規約を無視する勇気さえあれば公式絵でもつっこめた)にはアレルギー反応でてるわけ。
mimicの規約は「自分のを素材につかってくれ」とお願いしており、さらに後付けで「目視パトロールもするかもね」くらいにかいてある。
けど申込ユーザー数が処理待ち出るほど並んでるのに、本当に目視チェックで侵害をシャットアウトできるとおもうか?
AI描画ソフトって時点で素材画像を自作できる人より他人絵使いたい人のほうが使用動機が強いにきまってるやろ。
それに加えて、著作権侵害裁判になったときにも(二次創作は創作性ありという判決がすでに出ている日本では)デッドコピー、コピペ物以外の侵害では依拠性証明という悪魔の証明が必要。そこにAIが善意の第三者として余計に悪魔を強めてしまう。もはややりたい放題ができるわけ。
つまりツイッターアカウントをつくってピカチュウ絵15枚(ピチューなどアレンジは除く)いれたらあたらしいどこにもないピカチュウができるよな?それはAIつかってオレが書きましたって名乗れるんだね?著作権法30条の4をみても合法みたいに書いてある。となれば、子供なら、あるいはコンピューター教育に熱心で夏休みの課題に困っている親なら、絶対「やる」よね。
ま、mimicくらい参入障壁が低ければ、そして著作権法30条の4を詳しく知らず全部合法とおもいこむやつがおおければ、悪意(無知も含む)の著作権侵害したいしたいマンを調子づかせるだけってのは事実だろうね。
ちなみにミッドジャーニー・ステーブルディフュージョンにも「深海誠風の」などと個人を素材に指定する呪文や、img2imgで他人の素材使うことは著作権的に禁呪にしたほうがよくね?ってユーザーの自己規制が広まりつつあるぞ。
ご参考までに。
ポケモン/ぽけもん/Pokémon/Pokemon/ポケットモンスター/ピカチュウ/イーブイ/コイキング/ミミッキュ/ヤドン/メタモン/ポケモンGO/Pokémon GO/アニポケ/ポケどこ/ポケモン映画/ポケカ/だいすきクラブ/ポケモンセンター/ポケモン ソード・シールド/剣盾/ポケモン剣盾/赤緑/GOTCHA/ポケモンカード/サトシ/ゴウ/ポケセン/ポケモンレジェンズ/ポッチャマ/ディアルガ/パルキア/アルセウス/ブリダイ/シャイパ/BDSP/ポケレジェ/ダイパ/シンオウ地方/ヒスイ地方/ポケモンSV/ポケモンスカーレット/ポケモンバイオレット
まあそれでも視聴者数が1万あるだけよくやっていると思う。
オレオレFCは18日、オレフィールドで非公開練習。名古屋戦で脳震盪と診断され、その影響で前節・神戸戦は欠場したGK村上は2試合ぶりにスタメン復帰が濃厚。この日に行われた練習でも強烈なシュートに素早く反応するなど、完調をアピール。リーグトップのセーブ率を誇る守護神がクラブワースト10試合未勝利のチームを救う。
約2時間、村上は額に流れる汗を拭いながらボールに向かって集中していた。GK練習では、強烈なシュートに素早く反応し、フルコートを使った攻撃練習では強弱をつけたパスを最終ラインで回し、隙を見て鋭いフィードを前方に送り、時折、大きな声でチームを鼓舞するなど、完調をアピールした。練習後、オンライン取材に応じ「いい練習はできていると思いますけど、あとはそれを結果に繋げなければ」と気を引き締める。
6日の名古屋グランパス戦の前半、CKで相手と交錯。脳震盪を起こし、僅か5分で負傷交代。チームも4失点して敗れた。「CKの判断は間違ってなかったが、自分が怪我した事で最終的にはチームに迷惑をかけたのは明らか」と悔やむ。幸い軽症だったため、11日には復帰したが、大事を取って前節13日の神戸戦は欠場した。チームは0ー2で敗れ、クラブワースト更新の10試合未勝利。村上は「あの場に立てず、2試合とも貢献出来なかった。申し訳無い思いが強い」と唇を噛む。
課題はリーグワースト45失点の守備。「先に失点しているので、それが苦しい状況を招いている。だけどDF陣だけではなく、僕のコーチングにも問題がある」と理解する。神戸戦はテレビで観戦し「(代わりにGKを努めた)杉本さんのコーチングだったり、(神戸GK)前川選手や両チームのプレーで自分だったらどうするか、自分に足りないのは何かを学ぶ機会になった」と話す。15日にはサポーターらと緊急会談を開き「サポーター側の声を聞けた事で、また新しい気持ちになった。試合がある以上、僕達は逃げない。駆けつけてくれるサポーターのためにも戦うつもりです」と意気込みを口にした。
清水には6月のホーム戦は1ー3で敗戦。そこからチームは苦境が続く。村上は「元々、タレントは揃っているチーム。特に前線はサンタナ選手、乾選手、ヤゴ(ピカチュウ)選手と破壊力がある」と警戒しつつ「チームとしても、権田選手にも勝ちたい試合です」と残留争いから抜け出すためにも清水の強力攻撃陣を封じ、日本代表GK権田修一にも勝利する事を誓った。
正確にはゲームというより、ピカチュウが出てくる万歩計といった方が良いかもしれない。
万歩計の歩数に応じて、画面の中のピカチュウがさまざまな動きをする。
たまごっちと万歩計とピカチュウを足して3で割ったようなかんじだ。1998年に発売された。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pokepika/index.html
いまは東京のビル街で日々精神をすり減らす企業戦士となった私だが、1998年は幼稚園に通っていた。たしか年中だった。
おにいちゃん、おねえちゃんのいる子たちが幼稚園に持ち込んできたのが「ポケットモンスター」というゲーム(アニメ)だった。
それまではミッキー、くまのプーさん、ハローキティくらいのキャラクターに囲まれて生きてきた幼児たちにとっては刺激的な世界観だった。
当時は周りでゲーム(ポケモン 赤/緑)をやっている子は珍しく、アニメを見ては翌日感想を言い合ったり、出てきた新しいポケモンの真似をしたり、サトシ・カスミ・タケシごっこをして園庭を走り回って遊んでいた。
ーーーでもやっぱりゲームが欲しい。
残念ながら、4歳児が「ゲームボーイ買って!欲しい!」と言っても大体は親から一蹴される。
ある日、発売されたのがポケットピカチュウだった。
当時大流行していたたまごっちのスピリットを受け継ぎキャラクター(ピカチュウ)を育てられる(かつ、万歩計という健康的な側面ももつ)。
価格も2500円。ゲームボーイ+ソフトを購入するより断然安い。
流行らないはずがない。
スイミングスクールに行くバスの中で一番の仲良しだった子が宝物を見せるように、小さな手に包まれたそれを見せてくれた。
「えーいいな。ずるい」
あっというまにポケットピカチュウ所持人口が増え、街中の幼児が歩くたびカチカチ万歩計の針が進む音がするようになった。
ーーーー私はまだ買ってもらえない。
ポケットピカチュウをスイミングスクールのバスの子どもたちの半分くらいが持つようになった頃、事件が起こった。
ポケットピカチュウカラー 金・銀といっしょ!が発売されたのである。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pika_kg/index.html
ざっくり説明すると画面がカラーになったことに加え、なんと赤外線通信機能がついた。
スイミングスクールに行くバスの中で持っていない子は私一人になった。
私は母に相談した。
「ポケットピカチュウがほしい。みんなもってる。つうしんこうかんしてる」
「みんなが持っているからっていう理由で欲しいのはダメ」 (ーーー今に通じる母の精神だ)
「外の景色を見てたらすぐ着くでしょ」
想定通り蹴られた。
「サンタさんに頼んだらもらえるかもね」
手紙を書くために、一生懸命ひらがなとカタカナを書く練習をした。
クリスマスを、楽しみに、楽しみに、待った。
「サンタさんにポケットピカチュウたのんだから、もうすぐわたしもつうしんできるから!」
「たのしみだね」
「うん」
朝起きてクリスマスツリーの下に駆け寄ると、小さな包みを見つけた。
これで、やっとみんなと遊べる。
ポケットピカチュウが発売されたのが1998年の3月で、ポケットピカチュウカラー 金・銀といっしょ!が発売されたのが1999年の11月だからざっくり1年半は待っている。
5年ちょっとの人生のうち1/3はポケットピカチュウを待ち焦がれて生きていた。
はやる気持ちを抑えて丁寧に包みを開ける。
出てきたのはーーーーーー
ピンクだった。
https://www.nintendo.co.jp/n09/pokekitty/index.html
でも、包みを開けた時の「あっ・・・」という気持ちは何十年経っても忘れられない。
「ピカチュウ」といかいう、一過性のキャラクターより、何十年も生きている「ハローキティ」の方が飽きずに使えるんじゃないか。
キャラクター同士が戦闘をするようなアニメ・ゲームは教育に良くないし、どうせすぐ流行も終わるだろう。だったら女の子らしくキティを持たせた方がいい。
私は2000年に小学生になったので、幼稚園のメンバーとスイミングスクールにバスで通っていたのは3ヶ月ほどか。
みんながポケットピカチュウで通信交換を楽しむ中、私は一人ポケットハローキティでキティを育成していた。当然、ポケットピカチュウとポケットハローキティでは通信はできない。
親は「みんなと同じカチカチ(万歩計)がもらえて良かったね。欲しかったもんね」と言う。
私は「うん、とってもうれしい」と嘘をつく。たぶん、親に嘘を初めてついた。
現実はそんなに甘くないんだなあと言うことを知った5歳の冬だった。
いま思うと、なぜポケットピカチュウが欲しいのか、の説明が不足していたのかな、なんて思ったりもする。
もっと説得力を持って論理的に話せていたらよかったのだろうか。
ーーーー上司からよく言われる「お前は説明が足りない」というのは、幼児期から私のダメなところだったのだろうか。
このお盆に実家を整理していたとき、たまたまポケットハローキティが出てきた。
親は今でも、子供のころ待ちに待って買ってもらって大事に遊んだおもちゃだと思って大切にしている。
ポケットピカチュウを手に入れていたら、今の私は何か違ったんだろうか。
*****
追記:
1人目は、間違いなく今の私だ。
20年以上前の幼少期の記憶を引き摺り、今の自分がうまく行っていないことのこじつけにしている。こじらせも良いところだ。もうすぐ30代なのに。
2人目は、当時の親(サンタさん)だ。
私はポケットハローキティがほしいとは一言も頼んでいない(むしろ包みを開けるまでポケットハローキティの存在を知らなかった)。お手紙の中にはポケットピカチュウ(カラー版)とピカチュウの絵を添えていた。
公園を飛び回っている子どもを観察すれば、カチカチ振り回しているモノがグレー(もしくは旧版であれば黄色)であることは一目瞭然だ。
あるいは、公園の片隅でママ友とお喋りしているときに「うちの子ポケットピカチュウなんかを欲しがるのよねえ」と呟けば、ピカチュウがどれだけ大流行していて、幼児の心を掴んでいたか周りのママ友から聞けたはずだ。
そういえば、我が家はポケモンのアニメはポケモン同士が戦い合うという暴力的であるため、赤ちゃん(4歳下の妹)には見せられないと言って禁止されていた。
アニメもダメなのでグッズも当然ダメといえばダメだったのかもしれない。
3人目は、当時の私だ。
包み紙を開けた時に泣き叫べは良かったのだ。「これじゃない!」と言えば良かったのだ。
親は自分の判断が正解だったと思っていたと思う。ピカチュウがハローキティになろうが大した問題ではない(むしろ大成功だ)と思ったはずだ。
私は自分の気持ちを押し殺してしまった。いい子であろうとしてしまった。
これは30歳を手前にした今もずっと同じだ。親に言われたら「そうかもなあ」と思ってしまう。