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はてなキーワード: ソーシャルとは

2011-09-23

コンシューマゲームが好きなゲーマーは、

コンシューマゲーム業界が好きになる。

すると、コンシューマゲーム業界と対立する(ようにみえる)ソーシャルゲーム業界を憎むことになる。

なぜなら、ソーシャルコンシューマを衰退させているように見えるからだ。

ゲーマーにも、ゲームに詳しくない経済人にもそう見えるらしい。

任天堂はそれを否定しているけれど、ゲーマー経済人も任天堂の言うことは信じない。

ゲーマーと言うのは、任天堂以外のゲーム好きな人と同義だからだ。

経済人は市場規模の推移しか見ないからだ。

2011-09-18

ソーシャルゲーム予算規模を軽くまとめる

以前の続き:http://anond.hatelabo.jp/20121214003650

規模別まとめ


  • 中規模
    • 初期開発費:300万円~1000万円
    • スタッフ人数:2人~5人(外注グラフィッカー含む)
    • 開発期間:1ヶ月~2ヶ月
    • 運営費:月50万円~100万円(人件費
    • サーバー代:月3万円~100万円
    • 宣伝費:月10万円~100万円
    • 売上:月5万~5000万円
    • 概要:少しは真面目に作ったパターン。ほとんど失敗するが稀にヒット作が飛び出すこともあります。(201209追記)もうこのクラス絶滅寸前。もうこのクラスからヒット作が生まれることはない。







雑記







social

"ソーシャル"ゲーム自動的且つ単純な所に、ある種の危機感を覚える。

2011-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20110917112728

ゲームソーシャルを作ってるのが MMORPG

閉じたソーシャルのあるところに MMORPG のサブセットを持ってきてるのがソーシャルゲームって感じはする

ただ、Twitterスカイプが普及してから MMORPGソーシャル部分の垣根がものすごい勢いでなくなってきている

実際 MMO やるとわかるが、数年単位で色んな MMO を一緒にやる知り合いというか

複数のゲームをまたにかけてるギルド、みたいのがよくある

Twitterスカイプない頃も IRC で横のつながりはあったし

全てはリアルというソーシャルに内包されてんだけどさ

結局、MMORPG という仮想世界でも人間同士の付き合い、リアルから連続というのは変わらないか

Twitterスカイプといったツールでリアル規模で繋がってしまうとそのへんの境界がだんだん曖昧になるよな

MMORPGリアルのサブセットみたいになってく

昨日は居酒屋で集まったように、今日MMO で集まろうか、って感じだ

MMORPG が特別な世界で、そこだけである人間関係というのを作る方が難しい

そこがソーシャルゲーム場合リアルと密接のようでいてある意味閉じてる SNS という囲い込みの中で、仮想世界を思い込ませるのが上手いのかもしれない

そこに独特の嫌らしさを感じて苦手という人もいるだろう

http://anond.hatelabo.jp/20110916231259

ソーシャルゲームが儲かっていることにはちゃんとした理由がある。

MMORPGをやったことのある人間からすると、今GREEやらモバゲー手法として騒がれているのは、確かにMMORPGではかなり昔から行われていたこと。

俺自身、もうかなり長くMMORPGプレイしてきたから、それは分かる。

MMORPGプレイしてきた人ならなんとなく分かると思うが、ネットゲーム本質ってさ、まんまソーシャルなんだよね。

勿論、ゲームシステム面白いものもあるんだけど、プレイしている期間が長くなると、戦ったり、冒険する時間よりも、チャットしてる時間の方が長くなることがそんなに珍しくない。

それゆえにMMORPG欠点は、先ずゲームがあって、その後にコミュニティが出来る、ってことなんだよ。

昔はゲームを離れると、つまりコミュニティから離れるってことだった。

コミュニティを維持するには、揃って他のゲームに引っ越すか、個人的にメールアドレスを交換する必要があったが、話題は基本的にゲーム内で完結するので、話は限界がある。

それに人集めも難しい。ゲームを作った段階では、手持ちのコミュニティは(他のゲームが無い限り)ゼロからね。

コミュニティが主体なのに、コミュニティを維持するためにはゲームを続けないといけない。これがMMORPG欠点

勿論他にも、ポートの開放だったり、スペックの問題だったりと、色々とあるんだけど、メインはこれ。

ソーシャルゲームはその逆をやった。先ずコミュニティを作って、そこにゲームを落としたわけだ。それも、沢山ね。

可愛い衣装、格好良い衣装なんか、見せる相手が居ないと買っても無駄だし、強いアイテムも然り。そりゃ、売れるわな。

コミュニティの維持はSNSでやって、一つのゲームに飽きても、他のゲームに移ることが出来る。

基盤となるコミュニティがしっかりしてれば、何の問題もないわけよ。

2011-09-16

コンシューマは気に入った女をあの手この手自分を磨いて落とす感じ。

ソーシャルは、出会い系で手当たりしだいにコピペメール送って

やれる女を落とす感じ。

やれる数は確実に出会い系に軍配が上がるといった比喩を思いついて

心の奥底にあるソーシャルへの否定感の正体がわかった。

http://anond.hatelabo.jp/20110916101227

課金って何が問題なのかしら? つーか誰にとってかな。(お金を払いたくないユーザにとって問題っていうならわからんでもない)

ベータリリースで人が集まったら何が問題なんだろう。

アイテム課金ゲームバランスが崩れるからこそ課金が生きてくるようにも思えるし、供給過多になって収益性が落ちるなら、ゲームはより多様化するわけでこれはむしろ好ましいことだと思う。

課金が問題」ではなく「課金優遇が問題」だが。

課金優遇というのは、裏を返せば「課金しないとゲームが辛い」ということだ。辛いかゲームを止める。決して「勝つために課金しよう」なんてことは思わない、ただ黙ってやめて行く。

そして、ゲームに限らずこういうものの人数比ってのは大体8:2で成立するとか言われる。つまり人口比にして2割のユーザが売り上げにして8割を叩き出すということ。

結局、ユーザのおよそ8割にとって面白くないゲームができあがるということだ。

「残り2割でも売上が上がってるならいいんじゃね?」という考え方もあるだろう。しかしそれは違う。

課金ユーザ同士なら、基本的に「多く金を投じた方が勝つ」。ということは、ここでもまた8:2の法則が働くわけだ。残った2割の有料ユーザのうち、課金額が低い方のユーザから脱落してゆく。

ここで脱落するのは前述の売上8割を支えてきたユーザだ。つまり、どんどん売り上げが減る。

ついでに言えば、ソーシャルゲームなんてのは参加者が多いか楽しいわけで、過疎ったらもうゲームとしての価値がない。つまり、結局みんなやめる。

ゲームの運営にかかるコストというのは初期コストとしての開発費と継続コストとしての運営費の2種類に分かれる。初期コストは売上が出始める前にかかってくるコストで、最低限これを回収し切らないことには赤字になってしまう。

利益は初期コストが回収し終わってからしか出ない。ということは、初期コストを安く済ませられないのであれば運用を可能な限り長く続けていく必要がある。短命に終わったゲームコストを回収し切れないか、そうでなくても僅かな利益しか出さない。そして次回作の開発にまた少なからコストがかかってしまう。

つまるところ、課金優遇はゲームをつまらなくし(ユーザにとっての問題)、商品寿命を短かくし(メーカにとっての問題)、この手のゲームに対する不信感を増やす(業界全体にとっての問題)。

防ぐ方法はないでもない。

ひとつ宣伝。「どんどん脱落して寂れるのが問題なら、止めた分だけ新たに入れればいい」。ただ、一度騙された人間を再び騙すのはほとんど無理だから、この方法繋ぎ止められる人数には限りがある。あまり長いこと続けることはできない。

ひとつゲーム上の価値との切り離し。たとえば「能力に差はないけど課金で得たアイテムは見た目が違う」みたいにすると、コーディネイトにこだわって課金する人はするし、しなくてもゲーム上問題はないから人が減ったりしない。

いいことが一つもないはずなのに、なんで課金アイテムによる荒稼ぎビジネスモデルが続いてるのか、ちょっと不思議な気もするけど、多分これは「ゲーム会社感覚で作ってない」からなんだろうと思う。

ゲーム会社なら、ゲームバランス破壊してつまらなくするような商売はしない。そういうやり方が自分たちの評判を下げることもよく知っているし。

でも「儲かる仕組み」として新たな市場に目を付けた投機的な会社場合焼畑農法的に肥沃なうちだけ荒稼ぎして駄目になったらさっさと捨てればいいから、そういうことには無頓着なんじゃないだろうか。

実際、「プレイは決定ボタンクリックだけ」とか堂々とアピールしてるゲームすらあるし。それのどこがゲームなんだ。

2011-09-15

世界中「ありがとう」を集めるサービス作ってみた

THANKFUL WORLD - 世界を「ありがとう」でつなげよう -

似たようなサービスは既にあると思いますが、PHPプログラムの練習課題として作成してみました。

投稿から「ありがとう」にまつわる話を投稿してもらい、感謝の気持ちを伝えるサービスです

サービスを作った目的

この中で一番の目的だったのは3番目の最後までやり遂げるだったりします。

本当にどんなものでもよかったので、最後まで作り上げて公開するのを目標にやってきました。

システム環境

Apache+PHP+MySQLオーソドックスもの

Webサーバの構築課題も含めてなので、さくらVPSを一台契約しました。

インストールから設定まで行って初めて分かることも多くありました。

開発期間

1週間

思いついてから公開までの時間です

やって良かったこと

  • Webサーバについての知識が深まった
  • システムを構築するに当たっての手順や手法などを改めて考えさせられた
  • 次に向けての課題点が見つかったこと

次に自分が覚えることが見えたのは大きいです

今できることを高めることも重要ですが、自分に足りないものを吸収してより良い形で昇華することも必要。

反省すべき点

  • 思いつきで行動したため、行き当たりばったりで思っていたものとは異なる形となった
  • 最初設計時間をかけるべき

設計が全てだと思います

個人でサービスを作る以上、自分自身がクライアントなので途中で行う仕様変更改善や思いつきによる変更など)に対する文句のぶつけ場所もありません。

念入りに設計を行い、それに基づいて開発を行う。

当たり前のことですが当たり前に行うのが難しいです

何事も初めが肝心です

最後

ひと通り開発を行ってみて、自分の知識や能力についてもある程度把握できたように思えます

今できることもわかったので、次は今できないことをできるように知識を深め、

今できることと合わせて新たな段階に進めればと思います

長々とお読み頂きありがとうございました。

2011-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20110912231305

GREEが、って書いてないでしょ?

中の人なのでわかるのだが、GREEも多分理解していない。(というかGREEは数値化できるパラメータしか評価しないある意味正しい会社なので、面白さって評価軸はうまく扱えない)外部SAPは理解し始めている。

多分触りたくもないだろうし理解したくもないのだろうが、いろいろ触るとはっきり面白いゲームとつまらないゲームがあって、で、面白いゲームじゃないと人が残らないという至極当たり前の現実がわかるのよ。

一昨年にmixiOpenSocial解放してからソーシャルアプリ会社ってのは立ち上がったわけだけど、それから2年、「ゲーム面白くなくても友達づきあいをさせればいいんじゃねぇ?」とか「とにかく宣伝しまくって人一杯入れればゲーム面白さなんていらないよ!」ってところから、「やっぱり面白いゲームじゃないと金もうけしようとしても無理が出てくるんだね…」ってところにたどり着いたところ。

この人なんか良く理解してるよね。

http://anond.hatelabo.jp/20100925100810

しっかしソーシャルゲーム業界のことを敵としか思ってない人と話するのは疲れるなぁ…。

ザ・インタビューズかいうのちょっと気持ち悪過ぎないか…^^;


なんか、はてブの人気記事にあがってた「今話題の!」みたいな扱いで取り上げられてた記事を見て初めて知ったんだけど、これはさすがにちょっと気持ち悪過ぎない?

最近なんでもかんでも頭に『ソーシャル』って言葉つけて、人と人との繋がりを絡めたモノとかコトを作ったりするのが流行ってるみたいだけど、こんなソーシャル系のサービスは流石にちょっと、なんていうか、気持ち悪いと思うよ。すごく。


なにが気持ち悪いって、やっぱりあれだよあれ、他人と触れ合いたい人たちが集まって、「なんでもきいてくれていいよーこたえちゃうからー^^」とか「じゃあ質問させてくださいー^^」とかやって、「ぼくたちこんなに楽しいですー^^」とか「素敵な出会いが生まれちゃいましたー^^」とか得意げに見せびらかしちゃう、なんていうの、見てて心にクるムナシサ!哀愁


単純に「気持ち悪い」っていう感性しかいか言葉でなんとも言いにくいのだけど、「え?お前らそれで楽しいわけ?素敵なわけ?充実しちゃってるわけ?^^;」って感じなんだよね。


ほら、ネトゲーとかでレベル上げまくったり強い武器集めまくったりしてるの見ても「え?楽しいわけ?」ってなるけど、あれはなんか、吹っ切れてるじゃん。「俺らは俺らの楽しいことやってますから^^」って感じでてるじゃん。だから気持ち悪くないんだよね。「へー楽しいんだねー」程度なんだよ、ネトゲ廃人は。


でもなんていうの、ザ・インタビューズはなんかそういうのがない感じなんだよ。トップページからして「僕たち現実が充実している輝く素敵人間です^^」みたいな、なんていうの、薄っぺらーい変なキラキラを感じるんだよね。「え?お前らそれでリア充のつもりなの?^^;」って感じなんだよね。「え、あ・・・うん・・・充実してるんだね^^;」みたいな感じなんだよね。うん。


いやだってそもそも、インタビューって「してくださいね^^」とかやんなくない?

なにかしらに秀でている人に対して「インタビューさせていただけませんか?」じゃね?

「いやいやおめーに質問なんかないけど^^;」とか思っちゃう僕は冷酷な人なんですかね?オバマとか天皇とかにならものすごい勢いで質問させてほしいと思うけども。うん。


有害だとか不利益だとかは思わないけど、なんかやっぱ、気持ち悪いと思った。うん。

なんか最近、気持ち悪いの増えたよね。

最近特に技術系の優秀な人が凄い勢いでソーシャルゲーム会社転職してるけど

やってることは(合法)ドラッグの製造やサクラ満載の出会い系サイト運営と全く変わらないということについて

彼らはどう思ってるんだろうか

リアルじゃ絶対そんな話題出せない雰囲気だから本当のところが分からない

大方、その辺は見て見ぬ振りをして、最新技術に関われて給料が高ければ何でも良いというあたりが本音じゃないかと思うんだけど

優秀な親から受け継いだものとか、ふんだんに投入された税金とか、そういうものの結果やってることはこれかよみたいな

その辺に矛盾を感じて苦しんでたりしないのかな

外銀とかに行く人たちについても同じことが言われてるけど、彼らはもうあからさまに欲望丸出しだから分かりやすいんだよね

技術系の人の場合は、普段はそういう雰囲気は出さずに理想哲学を語ってたりする場合が多いから、一貫性がどうなってるのかよく分からない

ぶっちゃけソーシャルゲーなんて、JCJKとやれる可能性という要素が無くなるだけでも相当規模縮小しそうだし

今思ったけど、オープンスケベとムッツリスケベの差くらいなもんなのかな

2011-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20110911172053

ポケモンスマブラも(双方無料オンラインどうぶつの森課金制になるのかね、次は

関連業界にカネ落ちなくなるよなー、この商法だと

というか、ソーシャルにカネ落としてる人ってどうぶつの森じゃ満足しないのかな

http://anond.hatelabo.jp/20110910200956

お前の言い分がよくわからない。

コンシューマの売上が半分になった。ソーシャルの売上が伸びた。

この事実からソーシャルが儲からないとコンシューマが作れないという結論はどうやって導き出される?コンシューマが作れるかどうかは、コンシューマが採算取れるかどうかじゃないのか?

2011-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20110910164755

それってソーシャルで儲けてコンシューマ赤字で出すって事?本当にそんなことしてると思ってるの?

からなきゃ撤退するに決まってるよ、特にコナミなんて

2011-09-07

まったく合法な自炊書籍電子書籍化)サービスを考える。

http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1109/06/news064.html
 出版社からスキャン代行業者への質問状を全文公開、潮目は変わるか

こんなニュースが流れて、各方面ではテンプレート的な

  • ユーザーの方を向いてない
  • CDと同じ衰退する道を歩むのか
  • このRow_Gayが…

等々の反応が見られるわけだが、ここで合法的な自炊業者を作るにはどうしたらいいかと言う事を考えてみる。

なお

すでに自炊業者は「著作権者に許諾を取っているものしか扱っていない」という建前になっているので合法である

と言う意見は、権利者が「そんなもん許諾した覚えはねえ」と言えば終わりなのでその説はとらない。
 というか件の質問状「依頼者に私的使用目的であると申告させています。」と言う言質を取って非許諾リストを送りつける前段であろうから近々破綻するだろう。また日本著作権法オプトアウトは不可である事も考慮が必要である

合法的な自炊業者の条件

自炊業者が合法的になるには

  1. 著作権の私製複製を本人に限る条項を何とかしてクリアする
  2. 著作権者に許諾を取る

しか方法がない。とりあえず順番に考えて見る。

著作権の私製複製を本人に限る条項を何とかしてクリアする

これは、とりあえずいろいろな法律家が頭を悩ませたがどうやら判例から言っても揺るぎそうにない。なので、私製複製の範囲をなんとかして広げてやることを考える。唯一何とかなりそうなのが

五条の二

著作権法第三十条第一項第一号及び第百十九条第二項第二号の規定の適用については、当分の間、これらの規定に規定する自動複製機器には、専ら文書又は図画の複製に供するものを含まないものとする。

で、この著作権法第三十条第一項第一号及び第百十九条第二項第二号の規定と言うのは

第三十条 著作権目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。
 1.公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器(複製の機能を有し、これに関する装置の全部又は主要な部分が自動化されている機器をいう。)を用いて複製する場合

で、第百十九条第二項第二号はこの三十条の罰則規定になる。つまり、今のところ、図書については「公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器」でコピーする行為も私的複製の範囲に含まれるのである

ただこの条項、文化庁のページにこんなもんが乗ってるPDF注意)ように、書籍出版協会、雑誌協会は廃止したいみたいでロビー活動実施中なんで下手するとどっかのどさくさに紛れて廃止されてしまう可能性もあったりするがそれはとりあえず置いておく。

するとどういう方法論が考えられるか、だが…素直に考えると、たとえば書店新古書店店頭裁断機スキャナパソコンが用意してあって自分で読み込んで持って帰るのは合法だし、裁断済みを固定してレンタルしてるレンタルショップがあって、その店頭スキャン装置を置くと言うのも、まま合法であると言う考え方になる。内容は全然違うが、書店店頭コピー機があるのと一緒だからだ。

実際には、裁断済みの書籍を、装置にセットしないと外れないクリップで束ねて貸すような業態が考えられる。
 貸した書籍をばらばらにされると商売あがったりなので、クリップは特殊な構造にしておき、店頭に設置してあるスキャン装置に入れ、USBメモリなんぞを差し込んで書籍を挿入すると、後は装置自動的にクリップを外して読み込んでデータUSBメモリに書き込むと言う一連を商売にする。書籍は一冊数十円でレンタル装置使用料は一回100円のような形にすればいいのではないかコミックなんかは一冊数百円なので10回ほど回転すればいいとか考えれば全く楽な商売であるが、正直極悪、流行したら出版業界を根絶やしにするに近い事になり、出版社も対抗して儲けにならないぐらいまで価格を下げ、焦土作戦のような事を決行して日本出版業オワタ、結局最後焼け野原が広がり誰も幸せになりませんでしたと言う事は目に見えているので可能性としてはありだが実際にやる会社はなかなか出ないだろう。また始めた直後に訴訟を起こされて大変なのは目に見えているし、専用の装置の開発などある程度の初期投資が必要になるので、先駆になる企業はなかなか現れないだろうと思う。ただ一度合法になれば爆発的に増えるだろうが。


またこの形だと店頭に足を運ぶ必要がある。ではどうするか。

完全にオートメーションにしてしまって、自分自動複製装置操作して複製した、と言う建前にするのである

自分で専用の箱に組み込んで送ると、現地ではそれがラインに投入される。ラインの中では人の手を介さずに自動的に全てが処理され、データレシピ通りに本人の所に届く。トラブルがあった時は多少人間が関わってもいいだろう(装置メンテナンスをしていると見なせないか?)

ただこれも一つ無理があって、宅配業者がどうしても間に入ると言う事だ。たとえ宅配業者が投入した後ラインが自動的に処理するように作られていたとしても、宅配業者が自動複製装置への投入を代行したことになってしまうのではないかという事である。なかなか厳しい。

また多種多様な本、完全なんて無理にしても、多くを自動処理なんてできるのかといえば相当金をかけても難しいと思う。

と言うわけで、この抜け道だと宅配型のサービスは不可能である
また店頭型もやり方を誤るととんでもないしっぺ返しを食って大変なことになるだろう。

著作権者に許諾を取る

次に著作権者に許諾を取る方向を考えてみる。許諾さえとれればいくらやっても問題は無い。
まずは「そんなことが可能なのか」という話から入る。

今回の記事

http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1109/06/news064.html

にもう一度注目して欲しい。賛同しているひとがずらずらと並んでいる。しかし。これは出版社出版点数に対して、決して多くはないのではないかという印象を抱かないだろうか?

私は自炊という行為についても、きちんと紙の本を購入している限りであれば、賛同する出版社や者は多いのではないかと見ている。

そういった事を期待して、

許諾の形式を柔軟に

と言うのと

と言った形で段階を選べるようにしたり、多少たりとも権利者にバックがあるようにして、権利者は一度売った権利でまた金が得られるようにしておけば、かなり許諾はとれるのではないだろうか。

これは大変地味な作業だ。特に当初は大変である。ただ許諾を得たなら、それだけで大変な武器になるのは間違いない。まただんだん一般的になって行き「あの作家の本は自炊サービスを利用出来ない」と言った話が広まれば圧力になりらだんだん楽にはなるだろう。

また、必要であれば

http://www.bunka.go.jp/1tyosaku/c-l/index.html
著作権者不明等の場合裁定制度

もできる限り利用していく。はじめは行政の壁があってなかなか大変だろうが、大量に出していけば行政対応せざるを得ないだろう。少なくとも著作権法を改正させるよりはよほど現実的な対応だ。

従来は書籍名で管理すると、完全に真っ黒の商売なので変に突っ込まれることからそういった管理は限定的だったが、このようにデータベースにすれば、書籍ごとに(著作権者への権利支払い料金も含め)価格を設定することもできるかもしれない。

そしてデータベースWeb検索できるようにしておくほか、依頼があった物は一つずつ検査をして許諾有り無しを仕分ける。
 あるいはお客が領できる許諾判別サービスなどを利用して、そこでチェックしてリストを添付させるなどとすればいい。誰の家でもある日常の道具、バーコードリーダーがつながるようにしておけば照合作業も楽に出来るはずである。チェック漏れや許諾がない書籍については実費で返却と言う事にする。

価格は従来の非合法サービスよりも高くなるのは間違いない。しかし、許諾を受けて合法であると言う錦の御旗を掲げれば、利用者もなんのひきめを感じることなく堂々と利用出来るし、また、その効力でそれ以外は非合法と言い切る事ができる様になる訳である

なので商用ベースには十分乗ってくるのではないか

ユーザとしては、すべて丸投げすることはできなくても、これで多くの書籍が一度に片付けばかなり便利なのではないか。抜けた奴は自前でスキャンするか、スキャナレンタルサービス自炊スペースなどを利用する方法である程度カバーできる。

やはりサービスで一番難しいのはなんと言っても著作権者の許諾である。なので結局ぽっと出のベンチャーがやるのはよほどの後ろ盾がない限り難しいだろうなと思う。

またこのサービスをやると電子書籍ビジネスにもある程度競合してしまう事になる。だから問題は誰がやるか、と言う事だろう。

一番いいのは、大手印刷会社が取次と組んで、既存スキャン会社提携するなり買収するなりして始めるのがいいのだが…。

2011-09-06

仮名(pseudonym)に関する議論 by ジリアン・ヨーク

EFFのこの記事をざっくり訳した。訳の正確さはまったく保証しない。素人の雑な訳です。ちゃんと読みたいひとは原文参照すること。pseudonymはとりあえず「仮名」にした。

A Case for Pseudonyms (Commentary by Jillian York)

https://www.eff.org/deeplinks/2011/07/case-pseudonyms

pseudonym (スードニム) 名詞:著者が身元を隠すために使用する架空名前ペンネーム

個人が生来名前とは別の名前を使いたいと考える理由は無数にあるだろう。生命や生活への脅威への配慮もあるだろうし、政治的、経済報復へのリスクがあるかもしれない。人種差別の防止を望んでいることもあるだろうし、生活文化圏で発音や記述のしやすい名前を使うこともあるだろう。

オンラインではさらに理由は増える。インターネットカルチャーでは、オフラインでの人格と結びついているかもしれないし結びついていないかもしれない「ハンドル」や「ユーザ名」を使うことが長い間推奨されてきた。古くからオンライン住人のなかには20年以上使っているハンドルを持つものもいるだろう。

仮名での発言は歴史的にも重要役割果たしてきた。ジョージ・エリオットマーク・トウェイン文学的偉業、ザ・フェデラリスト論文でのパブリアス政治的主張、18世紀ロンドンでのユニウスのパブリックアドバタイザー紙への寄稿。人々は仮名の下で公の論議に大きく寄与してきたし、今日に至るまでそれは続いている。

Google+の身元確認ポリシーからオンラインプラットフォームにおける仮名性に関する新たな議論が持ち上がってきた。Google+ユーザに「友人、家族、同僚が普段呼ぶ名前」を使うことを要求する。このポリシーは、Facebookの「本名と実情報提供せよ」という要求と似ている。Googleポリシーは、Google+の開始から数週間で同コミュニティーの内外両方から大きな注目を集め、ソーシャルプラットフォームアイデンティティに制限を加えるべきかどうかという議論に火をつけている。「Skud」という名前を使っていたことによりGoogle+から追い出された元Google社員、キリリー・“Skud”・ロバートの詳細な記録によれば、すでにかなりの人数のGoogle+ユーザがこのポリシーに基づくアカウント停止を受けている。

ソーシャルプラットフォームでの「実名」支持者は多くの論点を示している。実名ユーザの行動を改善し、より文化的な環境を生み出す。実名であれば攻撃者を追求することが容易になるのでストーキング嫌がらせを防ぐ助けになる。実名ポリシーがあることで、ユーザ監視のために当局がサービス内部に「侵入する」ことを防げる。実名によってユーザは行動に責任を持つようになる。

これらの論点にまったく意味がないわけではないが、問題を間違った方向から議論している。厳格な実名ポリシーの支持者は、実名使用を主張するポリシーに良い面が一つあることを示せばいいのではない。彼らはこれらの利点が、いくつかの非常に深刻な問題より重要であることを実証する義務がある。

例えば、数千人の人々が1月蜂起に参加するきっかけになったFacebookページ「We Are All Khaled Said」を作成した著名なエジプト人、ワエル・ゴニム氏のことを考えてみよう。ページが作成されたのはハリド・サイード警官によって殺害されてからすぐの2010年夏だったが、ページが本当に勢いを得たのはその年の後半だった。しかしその後も抗議運動の中で存在感を得るのは難しかった可能性もある。2010年11月管理者(今ではゴニム氏だと知られている)が仮名を使っているとの報告によってこのFacebookページは停止された。Facebookは「身元の明らかな」人物が介入することによる解決を提供することができたが、ゴニム氏はFacebookスタッフと連絡をとって解決することができたためこの件は非常に特殊な事例となった。誰もがこのようなコネクションを持っているわけではないし、アカウント停止に抗議する方法を知らないことでどれだけ多くの人々が無視されているか知るすべもない。ゴニム氏のケースでは実名を使うことは深刻な危険を伴っていた。仮名であれば安全という保証があるわけではないが、仮名は当局による活動家の追跡を大きく困難にする。

個人が本名以外の名前の方が安全に感じられる理由は無数にある。例えばLGBTコミュニティティーンエイジャーはオンラインでいつも嫌がらせを受けるので仮名を好むかもしれない。政府のために働く配偶者パートナーを持つ人や生活を隠したい有名人は、オンラインでは別の名前で行動するほうが安心だと感じるかもしれない。家庭内暴力から逃れている人は加害者から発見されないために、部分的または全面的な別名の使用を望むかもしれない。非主流派の政治見解をもつ人は仮名を使うことによって生活を危険にさらさずに済ますことを選択するかもしれない。

マッキンタイア対オハイオ選挙委員会裁判でジョン・ポールスティーブンス最高裁判事が提案したとおり、

匿名性は多数派による暴虐からの盾である。よって匿名性は権利章典、また特に米国憲法修正第一項の本来の目的不寛容社会において個人を報復から思想を抑圧から守ること、を体現している。匿名である権利詐欺行為に悪用されるかもしれない。政治発言はその性質上、時として不愉快な結末を迎えるが、一般的に我々の社会言論の自由の悪用による危険よりもその価値に重きを認める」

「本当の」名前を使うことと同様に、「本当の」名前の使用の強制も、考えを明らかにすることによる被害を恐れる人々によって対話から排除されるという、現実的な結果を招く可能性がある。実名が対話の「文化度」を上げるかもしれないことに価値を見出す人がいる一方で、それは間違いなく多様性を損なう

ギークフェミニズムブロガーたちは、実名ポリシーの被害にあっている人々Wikiにまとめることで、個人がなぜ本名以外の名前の使用を許されるべきなのか何百もの可能性ある理由を示している。このリストに示された多くの例が安全のために仮名を使用している危険に晒された人々を説明しているものの、他にも仮名を選択できるべき重要な理由がある。

Michael Anti氏の例を見てみよう。彼の本名Jing Zhaoで、中国人ジャーナリストだ。おそらくは何者かが生来名前を使っていないと報告したことによって、2011年1月に彼はFacebookから追い出された10年近くニューヨーク・タイムズ等で「Michael Anti」のペンネームを使っていたにも関わらず、Facebook実名ポリシーの厳格な強制を主張した。

Google+でも、誤判定があるとして、アカウントの即時停止ではなく、ユーザに警告を与え名前を変更する機会を与えるように処理手順を変更すべきだと促す動きがでている。

「本当の」名前を要求するポリシーを大規模に実施するのはほぼ不可能だし、多くの例が示すように強制は著名人や敵を持つ人々に対して不当に使われることが多く、またそれはコミュニティ監視機構の結果として生み出されやすい。

GoogleであれFacebookであれ、その他の企業であれサービスに適合していると思われるポリシー作成する権利がある。しかしこれらの企業多様性表現の自由犠牲にしておきながら、「実名ポリシーがより文化的な態度を生むと主張するのは浅はかだ。「本当の」名前を要求するポリシーへの移行はオンラインでの表現の自由を萎縮させるだろう。

2011-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20110830144753

ソーシャルメディアの難しい問題だよな。

まぁ、ソーシャルという言葉からすれば、結局オフライン社会と同じってことか。

コネとか人脈があれば人気者になれる。

でも良い記事を効率よく読みたいから、はてなで何とかしてくれないかなー。

2011-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20110828205638

ライター雇ってそれなりのサイト作ったらほったらかし、みたいなサイトはそのうち稼げなくなるんじゃないかな。

Google最近姿勢を見るとね。

Googleサイトオリジナリティ、信用度、ブランドパワーに重きを置き始めているからね。

SMOも難しいと思う。(SPAMに頼るなら別か?w)

Googleからソーシャルから一定アクセスが流れるサイトを作るなら、やっぱり自分で書かないと。

自分で書くことで、そのサイトオリジナリティ、信用が出来てくるんじゃない?

雇ってたライターが突然いなくなったらどうすんの?

代わりのライターを雇っても記事の文体は変わるだろうからサイト一貫性はなくなるし、信用度も下がるだろう。

それに、ライターが書いたコンテンツだらけのアフィサイトって、なんか「ウサンクサイ」臭いが出てる。

今は同業しか嗅ぎ分けられないのかもしれないけど。

記事を書いて貰ってアップすればいいという時代は終わるよ。

これからアフィリエイトはもっと厳しくなるだろう・・・

2011-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20110810114212

やってみなきゃ分からないのなんて昔(ゲームが売れてた頃)だって同じじゃん。

ソーシャルゲームゲーム自体はうんこ面白くもなんともないってみんなやる前から分かってるじゃん。

それでもやるのは、ソーシャル友達と繋がれるとか、JCJKとやれるとか、従来のゲームでは得られない利益(=面白さ)が得られるからじゃん。

結局従来のゲームはそういう新しい面白さを上回るような面白さを全然提供できてないってことだと思うけどね。

敷居の高さだけが問題なんだったら、DL販売で分割すれば売れるってことだよね。それで売れるのかっつーと売れないと思うけど。

2011-08-01

過激な人間がいると得する人ってたくさんいるよね

たとえば日の丸アイコンネトウヨとかサイコロアイコンはてサや、キチフェミや鬼女やゲハにしてもそうなんだけど、

自分より過激な主張や行動をする人を見て、自分を客観視するというか相対化するという節はあるよね。

反面教師とは違うんだよね。けして自分と対立しているわけではない。

なんていうのかな、超過激な藝術を見て感嘆するというか。

自分にはできないけど、誰かがそれをしてくれる感じ。

ソーシャルだよね。

2011-07-26

ソーシャルとアングリーバードの不可解

これからソーシャルゲームの時代、らしい。

俺は普通パッケージゲームも大好きだから、あっという間に無くなるとは思ってないが

一部の論証を見るとなんかあっという間に無くなりそうな勢いらしい(笑)

で、パッケージに対しての反駁が「見ろ、アングリーバードはあんなに売れたではないか

ってのを所々で見た。

怪盗ロワイヤルソーシャルだ。それは認める。何しろ、物を取る相手ってのが同じユーザー

ある限りはそれが殺伐とした物であろうとも繋がりが発生するからだ。

なんとか牧場とかも、それが相手の作物をクリックするだけであろうとそれがフィードバック

されるのならばソーシャルには違いない。

だけどアングリーバードは、どうも見た限りでは自己完結の古き懐かしきFlashゲームしか見えない。

ハイスコアを競うったって、昔からハイスコア登録制度はあった。

ソーシャル面白いよと勧められた、ってのもメールパソコン通信とやらの時代、いやそれより

ずっとずっと前から存在してた口コミって至上最古のものと何か変わりがあるのか。

確かにアングリーバード成功したよ。それは間違いない。

だが、ソーシャルゲーム成功したってのがアングリーバード証明されたとは俺には

さっぱり思えんのよ。誰か説明してくれないだろうか。

2011-07-23

いや、2chのせいで他のSNSが恐ろしいサービスと化してるんだろ

2chにいる一部の祭り好きの連中が他のSNS監視して、揚げ足を取ってるからネット上でいろいろ炎上してるんだよ。


炎上してるケースのほとんどが

誰かがブログSNSに変なことを書く→2chスレが立つ→まとめブログが記事にする→それを見た他のネットユーザが更に盛り上げる→マス媒体が取り上げる(酷い場合

っていう負の流れじゃん。(もちろん間に違うものを介す場合もあるよ。togetterとかね)


ブログSNSで誰かが変なことを書いたとしても、普通はそれだけじゃ炎上なんてしない。というかそこまで注目されない。

mixitwitterの発言→いきなりマス媒体に取り上げられて叩かれるなんてケースはほとんど見たことない。

誰かが油を注いで、人を集めるからこそ炎上する(そして最悪の場合マス媒体に取り上げられる)わけで、

2chはちょうどその発火装置であり、且つハブみたいな役目を果たしている。


から、この「砂場としての2ちゃんねる」[ http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/1174 ]という記事にある

初心者に一番優しい2ちゃんねるが怖いところだと喧伝されて、本来はおっかないmixiFaceBook が、明るく楽しい場所みたいに紹介されるのは何か違う気がする。

という一文は間違ってると思う。

"本来は"2chも他のSNS別におっかなくないんだよ。

2chのせいで他のSNSがおっかなくなってるんだよ。


まぁ2chというサービス存在しているのを前提に、他のサービスを"本来は"おっかないと言ってるのかもしれないから、別にこの記事を責める気もないけど

でも、それでもソーシャルサービスは恐ろしい、2chは安全っていうのもねぇ・・

2011-07-17

現実の序列と仮想の序列

http://anond.hatelabo.jp/20110709123151

http://anond.hatelabo.jp/20110716093416

組織的なセルフブクマは、現実の序列を越えて、注目される存在になろうとする手段。

はてぶで、組織的なセルフブックマークを繰り返すとはてぶスパムになるし、インターネット全体で組織的なリンクの受け渡しをするのも微妙だよね。

はてぶを作ったときの想定としては、インターネットは一人ですもの友達の影響を受けるかもしれないけど、同じ感性共感できたか面白いので、ブクマとだれかの感性フィルターしたものとして、1ブクマだった。

仲良しグループ、有名になりたい会社などで、共感フィルターを通さずに継続的に一定数以上のブクマがされる状況って、はてぶの機能としての限界だったのかもしれない。

ソーシャルな流れで、自分感性のあったブックマーカーをさがすといいと言われている。その人ブックマークを参考にすれば、共感できていないものフィルターをすり抜けない。特定の人のブックマーク差し引く機能とかグルーピングランキング機能とかをはてなさんなら実装しそうな気もする。

統計的な路線から人を媒介とした路線に移ろうとしているのだろうけど、もともと、人為的サクラ行為を越えた、おもしろいものムーブメントを探すための統計技術だったはずだった。

けれども、そんなにおもしろいもの日常の中にはなかったのかもしれない。

10年以上前インターネットだったら、たとえば、「ニセ首相官邸」なんていうわかりやすいニセものパロディサイトがあったとしても、検索上位に存在できたけど、今となっては、Googleフィルタリングで、そもそもにせもの検索結果の最下位に甘んじるしかないのだろう。

当時は、Googleで、表示されなくてもYahooもあったし、Altavistaだの、東芝のFleshEye、NTTGoo、千里眼とかいろいろと検索サイトを選択する余地があったので、まだよかったのかもしれない。検索サイトごとにルール規約がちがっていて、別の序列が表示されたからだ。

現実社会とは別の序列が存在したころは、インターネットフロンティアだった。現実社会インターネットの序列が同じになったとき、わざわざインターネットでヒマをつぶそうと思うひとはなくなるのではないだろうか。

国産携帯向けSNSで、会社社長に会ったら、すっごいゴージャスなアバターベンツに乗って女の子たちにちやほやされてたとしたら、それでも平社員増田クンは、某国産携帯向けSNSに遊びにいくのか。

インターネット上で正体がわからないけどおもしろいもの存在できないようになってくると、組織的なセルフブックマークをしている個人も組織現実の序列の中に戻っていくしかなくるのかもしれない。そんな人や会社現実にもどってみると、普通地域情報紙だったり、しがないライターだったりするのかもしれない。組織的なセルフブクマは過渡的なもので、世界中情報がすべてインデックスされてしまときには、意味をなさないものになっているのかもしれない。

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