はてなキーワード: もしかしてとは
驚くかもしれないけど原資は同じところなんだよ
どういうことかって?
とても手厚く守ってくれてるわけだ
だって70万円もくれるわけでしょ?
でも本当は570万円貰えるところを500万円で買い叩かれてるんじゃないのかな
下手したら本当は600万円貰えてたのかも
原資が同じところっていうのはそういうこと
逆に何も考えないで生きてるの羨ましいかも
青山や銀座みたいに「華やかだけど範囲が局所的」だとか、越谷レイクタウンや幕張新都心みたい充分広いけど娯楽の幅が異様に狭いとかじゃなしに、
「みなとみらい-桜木町-関内-中華街」の一帯のように切れ目ないクソデカ規模で大発展していて(しかもお台場とかと違って全く衰退せず)、なおかつエンタメや観光の選択肢のバリエーションが異常に豊富なエリアをどうして作ることができたのか。
言っちゃ悪いが、都心からはるか遠く離れたあんな横浜南部の海っぺりだ。
「最後にして最初の人類」は現代の人類から数えて第18番目の人類の進化を描写する奇書で、巨大な脳みそだけの存在になったり、知性を退化させてトドかアザラシみたいになってしまったりと、何億年にも及ぶ人類の歴史が豊かな空想力で描かれる。プロットとキャラクターは極めて希薄で、現代の作家がこんな作品を書いて売れることは考えにくいのだけれど(ほぼ設定資料に近いかも)、個人的にはお気に入りと言うか性癖に近い魅力を感じる。
「スターメイカー」はそれをさらに発展させたもので、時間と空間を越えて精神が銀河を飛び回り、エキセントリックなエイリアンの生態の設定を惜しげもなく披露しつつ、それが銀河の歴史にどのような影響を与えたかを語る。そして、この宇宙を創造した存在の意図を探求する旅をする。光速の限界があるため、その旅やエイリアン同士の交流はテレパシーで行われるという設定はSFとしては苦しいが、宇宙創造の目的たる究極の歓喜の瞬間を目指すヴィジョンは美しい。残念ながら、その瞬間までには人類はとっくに滅亡していることが示唆されるんだけどね。冷えて寿命を迎えつつある宇宙で必死に命をつなごうとする生命の描写は壮絶。
「アッチェレランド」は指数関数的に発展するAIを10年ごとに描いた小説で、タイトル通り加速のスピードがとんでもない。最初の21世紀は現実世界と地続きなんだけど、21世紀半ばには進歩しすぎたAIが地球を解体してダイソン球を作り始め、その過程で地球のすべての化石だとか地質だとかをアーカイブ化しはじめる。人類は暴走するAIを止められなくて太陽系の辺境に追いやられていく。その途中でエイリアンともコンタクトを取る。
これはとある一族の三代にわたる因縁話でもある。最初の世代では夫がAI・特異点信奉主義者でコピーレフト大賛成、妻がガチガチの保守主義で著作権とかに厳しく、しかもSMプレイの女王様だ。2代目は妻が夫を無理やり犯すことで妊娠した子どもだという、ドロドロの設定。
「皆勤の徒」は遠い未来の地球で、地球外生命体に奴隷として使役されるコピー人間の苦悩を描いている。この短篇集は優れた言語感覚、日本語の漢字表記とルビの可能性を拡張した造語であふれており(というか酉島伝法の作品はだいたいそう)、異文化に触れたときの驚きや、似ているけれども少し違う文化に対する戸惑いが感じられる。ただし、かなり読解に力を要するので、場合によってはネタバレ覚悟で世界観を通常のSFの用語で説明した巻末の大森望の解説を先に読んでもいいのかもしれない。
「宿借りの星」はとある惑星で地球人類との宇宙戦争に勝利した昆虫型生命の弥次喜多道中記で、舞台や固有名詞こそ異質だがストーリーそのものは非常に読みやすくなっている。まったく異質なものを作り出すことにかけてはこの作家は他の追随を許していない。そして、滅ぼしたはずの人類がどこかに生き残っているのでは? という疑惑から物語は不穏になっていく。
天文部だった主人公が宇宙に出ていくという意味でもすごく夢がある。
まずは前述したH・G・ウエルズの「タイム・マシン」の遺族公認続編「タイム・シップ」が面白い。前作で行方不明になってしまったヒロインを救うために、再び未来に旅立ったはずが、なぜか前回とは似ても似つかない未来にたどり着いてしまう。
時間旅行のたびに歴史改編がなされ、パラレルワールドが生成されてしまうとしたら、主人公はどうやってヒロインと再会するのか? いっそ歴史を改変してしまってもいいのか? さまざまなジレンマに悩まされる冒険小説だ。
また、この著者は「時間的無限大」という作品も書いている。これは宇宙最強の種族ジーリーを扱った「ジーリークロニクル」の一編だ。作中世界では、人類はクワックスというエイリアンの支配を受けており、それに対抗する手段を知っているという「ウィグナーの友人」という、とある思考実験にちなんだ名前を持つ謎の団体が暗躍する。主人公は父親との(正確にはその再現人格との)屈折した関係に悩んでいる。作中に出てくるタイムマシンは、少なくとも現代の物理学とは矛盾しないらしい。ちょうど90年代の「ニュートン」で紹介されていた。
で、確かこの作品だったと思うんだけれど、人類もクワックスもジーリーという宇宙最古・最強の種族のテクノロジーのおこぼれで生活してるんだけど、そのジーリーでさえ恐れている存在がいる……というのがこのシリーズの基本設定。
なお、同一世界観の短編集が「プランク・ゼロ」「真空ダイヤグラム」にまとめられていることを最近知った。それに、長編も結構邦訳がある。未読だけど気になる。
短編集「ウロボロスの波動」は高校生時代に読んですごく好きだった。実際にかなりありそうな宇宙探査が描かれていたからだ。太陽系に侵入してきた小型ブラックホールを捕獲して天王星を周回する軌道に乗せるという設定と、作中の謎解きがすごく魅力的だった。
ただ、なぜかそれ以降の「ストリンガーの沈黙」「ファントマは哭く」が読めなかった。キャラクターの会話や背景となる政治の設定がかなり説明的で、ぎこちなく感じられたからだ。読むのに気合がいる本は、持っていてもあえて図書館で借りることで、期限を決めるという強硬策があるが、まだ試していない。
「オーラリーメイカー」「法治の獣」。とにかく事前情報なしで読んでほしい。日本のファーストコンタクトものの第一線に立っている。とにかく奇抜なエイリアンが出てくるし、どうやら知的生命体の連合らしきものが確立されていく歴史の一部らしいのだが、この「オーラリーメイカー」という宇宙人の種族の作り上げたシステムは、素晴らしく絵になる。
おなじみクトゥルフ神話の創始者の一人。前にも書いたけど、ラブクラフトの作品は知識欲に負けて禁断の知識に触れて発狂するか未知の存在に拉致されるかするオチばっかりなんだけれど、人類は宇宙の中では取るに足りない存在なんだという絶望感が僕は好き。
SFを紹介するのが趣旨なのでエイリアン(地球外の神々や人類以前の種族)の歴史の壮大さを感じさせてくれるのをピックアップすると、南極探検で発見した人類以前の知的種族を扱う「狂気の山脈にて」や、異種族の図書館に幽閉される「時間からの影」だ。侵略ものとしては「宇宙からの色」かな。ニコラス・ケイジがこれを原作した映画で主演を務めていたはず。
ダンセイニ風のファンタジー作品も好きだ。読みやすいとは言えないが、ラブクラフト全集を読んでほしい。というかアザトースの設定が好きすぎる。元ネタのマアナ・ユウド・スウシャイそのままだとしてもね。
「ブラインドサイト」についてはこちらに書いたので、「6600万年の革命」について。巨大小惑星の中で暮らす人類と、それを管理するAIの物語だ。彼らは銀河系にワームホールのネットワークを作る旅路に出ているのだが、もはや地球の文明が存続しているかどうかも定かではない。すでに正気を失いそうな時間が経過しているが、使命をひたすらこなしている。
管理AIは人間の知能を越えないようにギリギリ調整を受けている。そのことから「チンプ」つまりチンパンジーとあだ名がつけられている。とはいえ、地球時間で6600万年が経過していると、「もしかしてシンギュラリティ迎えたんじゃない?」みたいな出来事があり、人間がAIに対してレジスタンスというか隠蔽工作をする。バイタルを始め何から何まで知られている人類は、AIに対して何ができる?
アシモフの例えば「銀河帝国の興亡」なんかはシリーズが進むと「鋼鉄都市」や「はだかの太陽」などの「ロボットシリーズ」とクロスオーバーして行って、確かにアシモフが発表順に読んだほうがわかりやすくなるんだけど、さすがに全部読む前提で書くのはちょっとしんどかった。個人的にはアシモフは「黒後家蜘蛛の会」というおっさん萌えの短編ミステリがおすすめ。英米の文学や地理に関する雑学が無いとわからないところもあるけど、口の悪い仲良しなおっさんの同士のじゃれあいを読んでなごんでください。
堀晃の「太陽系から3光日の距離に発見された、銀河面を垂直に貫く直径1200キロ、全長5380光年に及ぶレーザー光束」が出てくる「バビロニア・ウェーブ」はハードだなって思ったんだけど、どういう話か思い出せなかったので省いた。まずは「太陽風交点」かな?
あと、SFじゃないんだけど「マン・アフター・マン」あたりも未読だったのでリストに入れなかった。人類のグロテスクな進化という意味では、上記条件は満たしていたと思う。「フューチャー・イズ・ワイルド」は読んだ。
ダン・シモンズの「ハイペリオン」四部作はSF全部乗せだし、AIの反乱だとか人類が進化した宇宙の蛮族だとか愛が宇宙を救うとかとにかく壮大なんだけど、とある場所で増田では評判の悪い(?)「夏への扉」以上に男性主人公に都合のいい描写があるのが欠点。あと、それ以外の作品はもっと男性に都合がよくなっていて、保守的な僕もちょっと「おや?」って感じた。でも、「三体」にどっぷりハマった人だったら好きになると思う。「三体」よりも前の90年代SFだから時代背景を知ったうえで、加点法で楽しんでください。
あと、全然エイリアン・宇宙SFじゃないんだけど、今注目しているのは空木春宵で、この人は東京創元社の年間傑作選やGenesisですごくいい作品を描いてる。どれもいいんだけど、たとえば「地獄を縫い取る」は「アリスとの決別」や「allo, toi, toi」に並ぶロリコン・ペドフィリアを扱った名作に並ぶ。
エイリアンSFも出てくるけど、「世界の中心で愛を叫んだけもの」「ヒトラーの描いた薔薇」のハーラン・エリスンは人種差別を扱った作品も書いていて、これもいい。穏健派の黒人男性がテロリストに転身してしまう作品はつらい。とかくエリスンの絶望と怒りは若い人に読んでもらいたい。
自分が一番SFを読んでいた時期は、今と比べて女性作家が推されるずっと少なかったし、さらに自分は古典を好んで読んでいた。アジアの作家が紹介される機会も少なく、そういう意味では感受性のみずみずしい今の若い読者がうらやましい。
後は、女性作家で今回のテーマである宇宙を扱った作品は男性よりも少ない気がするのだが、よく考えてみればル・グインの「ハイニッシュ・ユニバース」があるし、ティプトリー・ジニアも「たった一つの冴えたやり方」で始まるシリーズがある。スペースオペラでは「叛逆航路」のアン・レッキーもいることだし、単純に探し方が悪いのかもしれない。
最近短編ばっかりで腰を据えて長編を読んでないな。銀河系で忌み嫌われた人類の唯一の生き残りが活躍する「最終人類」とか、面白そうなのがいっぱいあるので、そのうち読みたい。
というか、僕の選んだ作品の他にもっといい作品を知っている、勧めたいという方は、どんどんトラバやブクマで追記していってほしい。
気が向いたらまたなんか書きたいな。まだおすすめしたいSFもあるし、池澤夏樹の世界文学全集を9割読んだのでその感想も書きたいし、かなり疲れるから数ヶ月後にはなるだろうけど。
【翌朝追記あり】劉慈欣「三体」の好きなところと微妙なところについて
はみ出たのでこちらに。
出社すると気軽に鼻を噛めないからとても苦しい。
この塊を取るためには、舌を喉の奥に貼り付けてから、吸い上げるようなことをして口から鼻水の塊を出さないといけない。
謝罪して損害賠償してプラマイゼロ?んなわけないだろ。交通事故でも謝罪して賠償したらいいとか思ってるんじゃないだろうな。
反省しているというのなら、まず自分のおつむの悪さを自覚しろ。自分の加害性も自覚しろ。
普通はな、自分で判断できなかったら口をつぐむだよ。それをおつむの悪いあなたはなぜか色々言い訳して攻撃する。他人に迷惑かけるなって言われたことないんか。
もしかして自分のおつむがわるいとも思ってないんか。いやいや、あなたのその文におつむの悪さがにじみ出てるんだよ。
反省文のくせに「市長」「市議」「町長」「町議」何で混ざってるんだ?あなたがなにも理解してないし理解しようと思ってないか、おつむが悪いからだろ。
草津町への批判はな草津「町」だけじゃなくて勘違いしてるアホが全く関係ない草津「市」まで批判してるんだよ。で、あなたは何なん?謝罪とかいいながら誰にたいして謝罪してるのかも分かっていない、新聞を引用してるくせに草津町のことだとも認識してないただのおつむの悪い人じゃないか。本当に謝罪する気があるなら、謝罪する対象を間違えないだろ。
妻の仕事復帰に合わせて2週間だけ休みが取れた(ホントはもっと取りたかったが…)
休み中は離乳食を作り、掃除をして、子供と遊び、熱が出たので病院に連れて行くなど忙しかった。休み前に計画していたことの5割ぐらいしかできなかっただろう。
世の中の言説では子育てよりも仕事が楽だとか言われているし、妻もワンオペで大変だから早く帰ってこいとしょっちゅう連絡してきたから、子育てはとても大変な事だと思っていた。
医者だから大変でしょう・忙しいでしょうとよく言われるけど、仕事というものは大変なのが当たり前だから、別に医者だけが大変な仕事のわけではないと思っていた。
三連休で遊びに来たがなんだここ
ゴミ箱ないのに買い食いする店は多い
どこに捨てればいいんだよゴミ
自販機の横のは溢れてるし
AIに書いてもらった
↓
彼女は夢の中で、自分が勇敢な勇者になって、魔王を倒す冒険をしていた。
彼女は濡れた髪を振り乱しながら、目を開けた。
そこには、彼女のパーティーの仲間たちが、怒った顔で立っていた。
「おい、起きろよ!もうすぐクエストの締め切りだぞ!」と剣士の男が叫んだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい!ちょっと眠くて……」と女魔法使いは謝った。
「眠くて?お前は昨日の夜、何をしていたんだ?」と盗賊の女が聞いた。
実は、彼女は昨日の夜、ギルドのバーで飲み過ぎてしまって、記憶が曖昧だったのだ。
「もしかして、またあのイケメンの騎士と遊んでいたんじゃないか?」と僧侶の男がからかった。
「ふん、信じられないわ。お前は本当に無責任だな。せめて、魔法を覚えておけよ」と魔導士の女が言った。
「そうだよ。お前はどんな魔法を使えるんだ?」と剣士の男が聞いた。
実は、彼女は魔法を使うのが苦手で、基本的な火の玉くらいしか出せなかったのだ。
「もういいよ。お前はここで寝てろ。俺たちは先に行くから」と剣士の男が言って、仲間たちは彼女を置いて出かけてしまった。
「ひどいよ……私も冒険したかったのに……」と彼女はつぶやいた。
「よかった。私はこの魔法書の精霊です。あなたに伝えるべきことがあります」と光が言った。
「伝えるべきこと?何?」と彼女は聞いた。
「それは……」
あと数年したら小説は全部生成してもらえばいいようになるのかなあ。
今日公開される、すみっコの映画『ツギハギ工場のふしぎなコ』のチケットを予約してたからだ。
俺がすみっコの魅力にやられたのは、妻の影響。
1作目・2作目はアマプラで視聴し、その可愛さと感動のストーリーに悶絶した。
それなのに、妻からは「映画館で観るとまた格別やから」と聞かされた。
アマプラでさえこんなに可愛くて感動するんだから、映画館で観ちゃったらもう幸せすぎて宇宙まで飛んでいっちゃうんじゃないかな、と心配してた。
公開初日の今日、映画を見終わった妻と俺は、2人とも言葉を失っていた。
せっかくのすみっコの映画なのに、しかも69分しかない短い映画なのに、途中で「はよ終わらんかな・・・」とすら思ってしまっている自分にドン引きした。
個人的に、なぜ今回の映画がこんなに残念だったのかを考えてみた。
もちろん、本作を観て心から満足した方もいるだろうから、以下はあくまでも俺の主観。
Xの投稿を観る限りでは「感動した」「かわいかった」っていう声が大多数だから、俺の感覚が正しいとは思わない。
俺と同じように本作にモヤモヤしたっていう人にとっては、多少なりとも共感できる要素があるのではと思う。
すみっコに必然性を求めるなと思われるかもしれないが、そういうことじゃない。
1作目・2作目はファンタジー要素がありつつも、ストーリー全体として「なぜ物語が始まるのか」「なぜこんな展開になるのか」がはっきりしていた。
しろくまのもとに、ぺんぎん(本物)がぬいぐるみを持ってくるところから、話は始まる。
ぬいぐるみは、しろくまが実家で大切にしていたという設定になっている。
俺が記憶している限り、ぺんぎん(本物)がしろくまのもとにぬいぐるみを持ってきた動機がはっきりしない。
いや、まぁ「しろくまが大事にしていたぬいぐるみだからしろくまの元に届けてあげよう」と考えたんだろうとは思う。
ぺんぎん(本物)としろくまが親友のような関係であることは、にわかすみっコファンの俺にでもわかる。
けど、なんでぺんぎん(本物)がしろくまの実家に行ったのか、なんでしろくまの親御さんや兄弟からぬいぐるみを預けられたのかが、全然わからない。
このぬいぐるみは本作の中でけっこう大切なポジションなのに、そのへんの背景がわからないから、ストーリーにいまひとつ没入できなかった。
それから、工場でおもちゃ作りに励むことになったすみっコたちが、なぜ文句を言わずに働き続けるのかもわからない。
企画会議でも活発に意見を交換し、新商品の開発に積極的に取り組んでいた。
くま工場長から課せられるノルマは日々増え続けていき、持ち場を少しでも離れればロボットアームで定位置に強制連行される様は、お世辞にも楽しそうには見えなかった。
すみっコたちがおもちゃ作りを頑張る明確な理由は、なにひとつなかった。
一応、食べ放題の社員食堂があったり、豪華な寝室が用意されていたりと、福利厚生は充実していたように思う。
でも、別にすみっコたちって食いしん坊でもなければ、住処に困ってるわけでもないじゃないか。
(第一、工場のすみっこにあるソファでみんなで固まって寝てたから、寝室に関してはほぼ使ってないし)
たとえば、「すみっコらんどに帰れなくなっちゃった・・・!」的な理由があるなら、工場で頑張って働くのもまだわかる。
けど、そもそも徒歩でたどり着いた工場なんだから、帰りだって徒歩圏内のはずだ。
なんでくま工場長の言いなりになって働き続けているのか理解に苦しむ。
ひょっとしたら、「仕事が苦しくても辞められない日本人」的なところを投影しているのかもしれない。
でもそれなら、「苦しいけど、くま工場長に悪いから辞められないね・・・」的なすみっコたちの葛藤があってしかるべきだ。
そのへんが描かれていないので、すみっコたちがあたかも自分の意思なくただひたすら奴隷のように働いているように見えてしまった。
俺はすみっコの可愛い姿を見たいのであって、可哀想な姿を見たいわけではなかった。
必然制の希薄さ、という点と少しかぶるが、とってつけたような展開が続いたことも、映画に没入できなかった理由のひとつだ。
途中、何度かアクシデントが発生した。
たとえば、とんかつが大量発生したり、おもちゃがすみっコらんどを席巻したり。
でも、各アクシデントが次の展開につながることはなかった。
アクシデントを解決して、ホッと一息ついたら、また次のアクシデント・・・という感じで、脈絡のない小話が延々と続いているような印象だった。
とんかつの増殖については、ロゴマークを消すとおもちゃが命を失う・・・という設定が明らかになる伏線になってはいるが、このロゴマーク設定もけっこう雑だった。
おもちゃ工場でロゴマークをつけると、おもちゃに命が吹き込まれ、自分の意思で動くようになる。
で、そのロゴマークをこすって消すと、動かなくなる。
この設定はけっこう大事な気がしたが、割とあっさり無視されていた。
たとえば、くま工場長が実はおもちゃだった・・・という衝撃の事実が判明するシーン。
くま工場長は動かなくなってしまっていたが、ロゴマークははっきりと印字されたままだった。
細かいところでは、しろくまが持っていたぬいぐるみにもロゴマークがはっきり印字されていたのに、なぜ動かなかったのかという謎も残る。
まぁしろくまのぬいぐるみに関しては、経年劣化で動かなくなったという見方もできるけど。
でもそれなら、ロゴマークが薄れてしまってるなどの工夫は必要なのではと思う。
おもちゃ作りを放棄したすみっコたちに激おこになり、工場が暴走する。
で、その暴走が実は苦い過去の思い出によるものだったと判明する。
そのとき、すみっコたちは「役に立たなくたって仲間だよ」と言い、工場を笑顔にする。
なんつーか、唐突な流れすぎて感動が追いつかなかった。
ありがちな感動展開でうまくまとめようとした感じが拭えない。
てか工場に対して仲間意識を持つなら、くま工場長への心配があってしかるべきだろと思うが、すみっコたちは全然くま工場長のことは忘れているようだった。
そのあたりのアンバランスさも、すげー気になった。
そして何より、すみっコたちが楽しくなさそうだった。
これは俺の主観かもしれないが、少なくとも俺はそう感じた。
本作のすみっコたちは、楽しそうじゃなかったのだ。
「自分たちがやりたいから、これをやる」っていう、前向きな雰囲気が感じられなかった。
もしかして、くま工場長からの褒め言葉に縛られているのでは・・・?と心配にすらなった。
くま工場長は、すみっコたちを工場にスカウトする際、みんなのことを一人ひとり褒めた。
だけど今思うと、すみっコたちを思い通りに働かせるために操作しようとしているようにしか思えない。
っていうネガティブな感情をもってるわけだが、映画館の来場者特典として「くま工場長のほめスクラッチカード」ってのがもらえる。
硬貨でこすると褒めのセリフが浮かび上がってくるという代物だ。
俺のカードは「だいじょうぶ!みんな、すごいから!」、妻のカードは「サクサク!」だった。
(サクサク!がなぜ褒め言葉になるのかは、映画を観た方ならお分かりになると思う)
いや、この話の流れで、このカードもらって喜ぶお客さんっているんだろうか。
このあたりの細部の手抜き加減も、すげー残念だった。
とまぁ、今回の映画は本当に心底残念だったわけだけど、俺がすみっコ好きなのは変わらない。
今のところ2年周期で映画が出ているから、また2年後、2025年に4作目のすみっコ映画が公開されたなら、俺は間違いなく公開初日に観に行くだろう。
人生に必要なものの99%くらいはお金では買えないが、増田はガチャに勝利し既にそれを持っている
これで終わる話なのである
いや、俺の親は経済的に太くねーし、一般的に責務と言われることをこなさないどころか俺に負担掛けますけど?かも知れないが、
世の中には、『親が既に死んでいて物理的に対話が不可』とか、『親が文字通りのガチ犯罪者でどうにもならない』とか、
『一般的な責務はすべて果たしているが微塵も子どものことを愛していない』とか、『子どもを文字通りの意味でペットか道具としか思っていない』とか、
ポンコツで、金なくて、ぶっちゃけ経済的成功の役に立つどころか足枷にしかならなくても、
無条件で自分のことを愛してくれて、その上まだ生きていて、ベストな形ではなくてもとりあえず対話が出来るのは、極めて幸運なことだ
あとこれもめちゃくちゃ共感するんですけど、
今思えばガキの頃に感謝するべき人たちがたくさんいた。水泳を辞めたときも、初めてのバイトを辞めたときも、高校を卒業したときも、俺程度の人間に色紙をくれた人たちがいた。
逆にいえば、誰にも親切にされたことがない人は、他人の善性を信じることが出来ない
他人の善性を信じることが出来ない人は素直になれないし、素直になれない人は他人から親切にされにくいという無限の悪循環なのである
増田は環境ガチャかキャラクターガチャで勝利したラッキーな人で終わる話である
それから、数値化できない財産についても触れておかなきゃいけない
頼りになる親類、友人、農業・狩猟技術、DIY技術、学歴 (税知識・法知識・マーケ知識・語学など)ほか、
所得としての数値には現れないが、あらゆるものの金銭の発生をゼロに、あるいは超低コストに抑えることができる人たち
彼・彼女らは選択的にその生活を送っており、なおかつなんら困窮しておらず、増田の所得水準であっても『貧困状態(弱者男性)では無い』と思います
別にそういう数値化できない財産いっさいないが?なら、もしかして増田は金銭の受け取りを無意識的に拒否しちゃってるかも知れない
数値化できない財産を持ってるわけでは無いのなら、無駄な贅沢はしなくていいけど、安全や快適を買える程度のお金はあった方がいいです
日本はお金に対する考え方がおかしいとか金持ちに対する偏見ガーとか言うけれど、『お金は汚い』と言う考え方は割と普遍的な考え方で
(サイコパスほど金持ちになりやすいと言う事実と、財産の引き継ぎにより強力な金持ちになり独占していくと言う現実があるのだから仕方がない)
アメリカには、Financial Psychology と書くが、投資心理ではなく、自身の不合理なお金の信念に気付き/手放し、お金との付き合い方を健全化しましょうという主旨のセラピストもいたりなんかする。
それらの創設に携わったブラッド・クロンツ博士の日本語でのざっくりとした紹介はこちら ↓
「金ですべて解決できる」なら億万長者に悩みはないはず?|大富豪ばかり相手にする心理学者の洞察|クーリエ・ジャポン
https://courrier.jp/news/archives/87220/?ate_cookie=1569731540
・お金の回避
(教育レベルが高い人/福祉系に人にありがち。十分な報酬を受け取らない。むしろ無意識的に拒否する)
・お金の崇拝
(そのまま。稼げば稼ぐほど幸せになると信じており、それと同時に自分は充分な額を稼げないと信じている。高額商品を購入したり買い物依存症だったりする傾向が強い)
・マネーステータス
(自己資本や年収と自己価値をイコールで結び付ける)
・ドケチまたは病的な貯蓄屋
(お金に対し異常な警戒心を持っている。いくら貯蓄しても永久に安心出来ない)
などがあるそうな
不正利用されたら支払え無い枠があるクレカ持ってまさかのドヤ顔したりしている。
(まぁ不景気だからクレヒスが良好ならグーレドも枠も年収関わらず上がるのが実際のところなんだけども、年収の証明として自己満足してる)追記:2023年の現在はデビットに切り替えなんとなくお金残せるようになりました