はてなキーワード: おんぶとは
ツイフェミを観察して大まかな生態が分かってきたので記したい。
https://anond.hatelabo.jp/20210223230157
上記を書いた増田だ。変な意味で反響を頂いたので続編を記したいと思う。
まずは前回ありきの内容なので上記をまだ読んでない人は先に読んで欲しい。
映画というフィルターを何十層もかかりまくったコンテンツに触れる事で海外を知ったような気分になり
そんな私は先進的だと錯覚してしまう生態がいる。それが洋画ツイフェミである。
この生態は海外が生みだしたコンテンツを妄信してしまう傾向が強いように思える。(洋ドラマと韓国の映画やドラマも含む)
ハリウッド映画はポリコレ的にもLGBT的にも配慮するようになってきたのは事実ではあるが(とはいえエンドゲームで女性ヒーローだけいきなり集まるシーンは不自然だったと個人的に思う)
それはあくまでも映画内の話であって現実ではまだまだ差別や偏見が強く蔓延っているのは海外ニュースを見ていれば痛感するはずだ。
それでも洋画だけ見てその現実を直視せず海外は先進的だと思い込み、このまま日本は遅れており家父長制だとかホモソだとかの批判を始めてしまう。
これは昔から海外に留学や滞在して「これだから日本は・・・」と帰国してから言い出す症候群のようなものでもはや伝統文化でもあるが
ずっと日本にいて海外に行った事ないのに洋画だけ見てコレダカラ日本ハ症候群を患ってしまうのはちょっと落ち着いて欲しいとは思う。
邦画も嗜む人もいるが基本的に邦画は女性を搾取する要素が多いと(そう思い込んでいて)見下しているのだが
こないだ「テネット」という映画が公開され、俺も観に行ったのだが下手に口するとネタバレになるので超大雑把に言うと悪党が家庭内DVを振るっている場面があった。
これに関して洋画ツイフェミはどう反応したのかというとスルーなのである。スルーした上でテネットの出演者の画像やgifをペタペタ張り付けて尊い…と言って終わりである。
映画好きな人はなんで画像はともかくgifを貼りたがるんだろう?と思いつつ、映画の中でも都合の悪い現実は見ないのだろうかと思い知らされた。
あと女性蔑視に対してはとても敏感なのに映画の中で男性が辛い目にあったり、男性ではならの苦悩に苛まれているシーンに対して「苦しんでいる姿が素敵…」とウットリするのは何とも謎である。
鍛えている男優は多いのでムキムキだと「雄っぱいありがたや…(合掌マーク)」と、もし男が女優のおっぱいありがたや…と言ったら叩くよねそれ?と先進的でありながら性欲に介しては後進的なのも謎である。
ハリウッド業界で活躍する俳優は実力主義の世界で勝ち取り、ルックスもキャリアも素晴らしく自立した人間として完璧でこれ以上のない理想像であるのは間違いない。
しかしその理想像はその俳優の頑張りであってあなたの頑張りではないのだ。それにおんぶ抱っこするのは俳優に対して失礼でもあり
自分を成長する機会も見失ってしまうので俳優の画像を張り付けて満足して終わらないようにしてみてはどうだろうか。
正直言うと難しいのである。どう難しいかと言うと彼女らは間違いなく性的に消費されている立場なのだが
事情が本当に一人一人違うので「わかっててその道を選んだよね?」なんて言葉は言えないのである。
自業自得な人もいれば本当に運がなくてこの道を選んでしまった人もいるからだ。
商売とはいえ客を選べないのが辛い所で様々な男性の嫌な面を見てきて男性嫌悪が悪化してしまうケースは少なくない。
そこは同情もするのだが男性嫌悪が行き過ぎて客からのLINEをTwitterで晒し上げたり客からのプレゼントをそのまま売ってレシートを公開するのは
ストレス発散として多少考慮する所はあるとはいえ、それをTwitter上で行えて特に批難されないというのは女性特権を行使しているともいえる。
客からの指定が来るまでは待機なのでその間にスマホ触る時間が多いからかTwitter上ではとにかく男性嫌悪やフェミニスト的なツイートをRTをしまくってるのだが
正直これもストレス発散であり、思想としてそこまで強い拘りがあるわけでもなくただ男性を叩くツイートをフリスクを食べる感覚でRTしているだけのように思える。
男性を嫌悪しながらその男性を性的に奉仕するという矛盾は精神衛生上よろしくないのは間違いはないし本人の為にもならない。
金銭的に困っていなければ風俗を引退して一人の人間として見てくれる相手を探して欲しいのだが、結局ホストに走ってしまう。
エコーチェンバーについてはググって調べて欲しい。もし俺の口から説明したら矛盾するからだ。
俺が最初に出会ったツイフェミであり、俺がツイフェミを観察しようと思ったきっかけでもある。
そしてTwitterにいるツイフェミの大半はこれなんじゃないかと俺は思う。
恐らく最初は軽い気持ちでフェミニスト関係の人をフォローしたかRTしてきっかけを持ったに過ぎないと思う。
しかしその最初にフォローしたフェミニストが発信する情報の中に別のフェミニストがいてそれに関心を持ち始め、またフォローしていく。
そうして連鎖的に増えて行ってついにはフォローしているフェミニストの割合が3割超えた辺りから、その人はツイフェミと化してしまうのだ。
最初はフェミニストに関心もなかったし、趣味の事で話せたらと始めたはずのTwitterだったのに気が付けばツイフェミと変わり果ててしまった人は少なくはない。
実を言うとこれは他人事ではない。身内が陰謀論に目覚めたとか、反ワクチンやアメリカ大統領選挙の不正などを信仰してしまうように
ネットに触れる事で変わり果ててしまう人は昔から存在しており、今もなお増加しているのだ。
ここで勘違いして欲しくないのがフェミニズムを陰謀論と同じ扱いにしているのではない。情報が偏り過ぎてバイアスが起きてしまっていることに対して警鐘を鳴らしているのである。
ここからは個人的な話になるのだが上記の話は俺のフォロワーでもあった人の経過でもある。最初は趣味を通して知り合ったはずなのだが
気が付けば彼女はツイフェミに変わり果ててしまった。彼女はようやく本当の自分になれた気がしたと呟いたが、趣味を楽しんでいた時が一番貴方らしかったと思う。
趣味の呟き頻度は少なくなり毎日男性に対する攻撃ツイートにRTが続いていき、ついに俺はブロック解除してしまった。彼女は悪くはない。
そうして最初にリストにひっそりといれ、少しずつ増やしていったのが俺の観察の始まりだ。
ひとまずはこれで記すのは以上にしたいと思う。
リストの中でもツイフェミから離れて自分らしさを取り戻せた人はたまにいて
『「おんぶ」をせがむ小・中学生たち 生育環境で得られなかった「愛」を求めて』
https://news.yahoo.co.jp/articles/dea52ebc67a24556657f9ef4bf1c175d7c8ee8b1
こんな記事があったけど、これって正直かなり危ういと思うんだよね。
親とのスキンシップの機会がなかった子供が塾の講師の男子大生にスキンシップを求めてるんではないかって記事。
男子大生の方に変なつもりが無いとしても、大人が子供に触れる事は常に性的虐待の疑惑を呼ぶ。
女の子だけ禁止して男の子限定にすればマシなのかもしれないけれど、それだってかなり危うい。
ある男性が公園で34歳男性が10歳の女の子に挨拶をするという話を例に出してて
知らない大人が子供に声をかけるなんて有り得ない、許せない、と物凄く叩かれていたけれど、個人的にはそこまで問題か?って思った。
自分としては子供の頃に親戚のおじさん、近所のおじさんに普通に声をかけられたり接触したりしてたけど、特に嫌な思いをした記憶はない。
公園で遊んでいて知らないおじさんから声をかけられる程度の事だって普通にあったし、楽しく遊んだ事もあっておかしいとは思わなかった。
まあそれだって単に自分の運がよかっただけであって、ロリコン変質者の犠牲になった子供だって多くいたんだろう。
リスクを避けるためには子供に多少寂しい思いをさせてもしょうがないし、親以外の大人が子供と関わるのは一切禁止した方が合理的なんだとは思う。
仕事として子供に関わるとしても、スキンシップやプライベートな話は禁止した方がいい。
塾講師にしろ保育士にしろ小学校教師にしろただの仕事だ、仕事はあくまでビジネスとして行うべきであり、一線を越えるべきではない。
そして現代日本においては親子関係であっても血縁至上主義で養子は度外視するような風潮が高まってきているから
実の親とのスキンシップに恵まれなかった子供は一生寂しい思いを抱えて生きろ、大人になったら有料のサービスでも受けて我慢しろ、そういうものだから仕方ないって事なんだろう。
特定防ぐために業種はぼかす。俺の職場にその道30年の大ベテランがいて、その人がいないと仕事が回らないのが今の職場の現状だ。他所の会社から転職してきた人が口を揃えて「この仕事は●●さん(大ベテラン)じゃないと回しきれない」と言う。未経験から働き出してから1年経った時に俺もそう確信した。職場の人間は俺含め全員、大ベテランにおんぶだっこの状態なのだ。もちろん俺がやった方が早かったり効率が良かったりすることは積極的にやっている。
大ベテランは親分肌なので面倒見はいいが、職人気質なため育成能力だけは秀でていない所がある。後継者として採用されてきた人たちは全員辞めていった。取引先も職場の人間もその大ベテラン便りなので、この人が定年退職を迎えた時に職場内が地獄になるのは火を見るよりも明らかだ。
そして大ベテランは今年定年退職の予定だ。引継ぎもまだなく、する宛もなく、ガンガン仕事に打ち込んでいる。俺は大ベテランから仕事を教わり、職場の中では相当面倒を見てもらった方なので、正直何も応える事が出来ずに大ベテランの退職に日和り仕事を辞めようと考えるのは不義理だと思ってる。思ってはいるが、大ベテランの退職後のことを考えると最近食事が喉を通らない。顔色も悪く表情が暗いと周りから言われるようになった。ボーっとすることが多くなった。
俺は今、去年から自分がやってみたいと思っている未経験の門戸が広い業界に転職したいと考えていて、そこの職業訓練に間に合うように退職しようと考えている。土日にはその業界の勉強もしていて、その勉強が正直いうと少し楽しい。が、本当は今の職場が地獄になる前に逃げたいだけなんじゃないか?とも思う。
今日、退職する旨を伝えようと思ったが、仕事始めの今日の朝出勤した時に、老体の大ベテランが笑顔で「いつもお前ばっかりいろいろ頼んで悪いな、今年も頼むぞ」と笑って声をかけてきた。俺は仕事を辞めるとしたら一番お世話になった大ベテランに先に伝えてから、直属の上司に伝えるつもりでいたが、この人の笑顔を見るとどうしても転職を考えてると言い出せなくなってしまう。
ガッカリさせてしまうと思う。いろいろお世話になったにもかかわらず他業界に転職するので辞めますとは、どうしても言い出せなかった。胸の途中で痞えて息が苦しくなった。上手く喋れる気がしない。
俺は三十路手前で、転職はラストチャンスなので、できる限り早めに退職を切り出し手続きを済ませ先に進みたいが、どうしてもその一歩が踏み出せないでいる。
水がめちゃちべたいわ!
この時期の風物詩!
注いだそばから液体の水が凍っちゃう超常現象実験映像あるじゃない。
うちの水道から水が出たらそばから固まってそんな状態になったから笑っちゃったわ。
ウソだけど。
ところで、
たまには真面目に仕事をするでお馴染みの私なんだけど、
不慣れな輸出のこと?
大袈裟にそれ輸出というのかも怪しく分かってないんだけど
そういった海外輸出のことを調べていたら
お手上げする前に上げる手もないぐらいややこしいのよね。
すでに、
テストに出る海外輸出のことについてのテキスト赤本を読みたいところだけど、
あんまりそう言うことやったことない不慣れなことはなかなか慣れないわね。
そのオンスとかポンドとかでいきなり詰まっちゃって詰んだーってもう終了したいところ。
おんぶに抱っこって似た節で言い方をしても解けないものは解けないわ。
やっぱりまたドキュメンツをちくちくと読み進めていく地道な作業となるのその辛い辛みに効く特効薬があったらいいわ。
でね、
海外発送でもなんか種類があってまた読み進めなくちゃいけないんだけど、
「海外発送」と「グローバルセリング」って言うもうまたここで分岐点が2つあって
2種類もあるとかよく分からないし、
ぐろーばるせりんぐ?って美味しいの?って平仮名で言っちゃうレヴェルよ
前途多難中の前途だわ!
今日の日替わり昼ランチは何かと尋ねてみたら今月の献立表の紙を昨日くれた給仕さんにも感謝!
だいたい何でも感謝!
だいたい何にでも感謝!
と言うことで、
調べ物してたら
今日の日替わりのことすっかり忘れていたので、
すっかりSwitchずいちゃって冒険癖がついちゃったみたい。
よく分からないけど、
ゲーム遊びたいし
仕事もあるし、
日替わり定食も救いに行かなくちゃ行けないしで
私もハーレーダビッドソンにクリスマスサンタの格好して乗ってクリスマスの告知に走ろうかしら?
にしても
この時期、
ハーレーダビッドソンに乗ってる人は
クリスマスのサンタの衣裳を着てクリスマスの告知に精が出るわよね。
今時、
ハーレーダビッドソン達の人よね。
ハーレーダビッドソンに乗ってる人って、
クリスマス衣裳をこの時期着がちだし
みんなで集まってツーリングしがちでもあるわね。
彼らが街を走っているうちは
何でも無いようなことが
幸せだったと思う
トラブリューの第65536章の一節を引用して今日は締めたいと思うわ。
私は日替わり定食を救いに出る旅にでる!
ってオレは海賊王になる!ってルフィーの節の言い方で言ってみたら、
日替わり定食がまたより一層美味しく感じられちゃうから不思議よね。
今風に言うなら
日替わり定食の呼吸!っても言えるわね!
うふふ。
まぐれ美味しいかも知れないので、
今日も食べて確かめたみたら美味しかったのでリピまたしてみようと思いました。
さすがに寒くて寒い冷たい水飲んだら、
腰に響くわ!ってことで
ほうじ茶でホッとするわ!ホットだけにとかってベタなことは言わないからね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
東京での人の道でのすれ違う時の様子には時代の変化も感じます。
私は昭和の高度成長期育ちなのですけど、子供の頃は都内の狭い道を大人同士が交差する時に「すみませんな」、「ごめんなさいよ」、「どうもね」等と声を掛け合って体を捻じ曲げるようにしてでも衝突を避けている人が大勢いましたね。下町だったからまだ江戸期から明治、大正、戦前の昭和までの庶民文化の片鱗が残っていたのかも知れません。衝突率は酔っぱらい以外はほぼほぼゼロです。
まぁ、無愛想な人もいるので頭を気持ち下げて片手をちょっと上げて無言の「どうも」サインの人も沢山いたけれど。個人的には、この時期に東京は地方からの大量の集団就職とかで来た人々が暮らしていて、地方のなまりを聞かれるのが嫌で黙っている人が増えたのかなと感じていました。そして、この無言派の人々が増えたよね。結果、無言同士の「どうも」サイン交差がメジャーになってたな。まだ聞こえるか聞こえないか位の小さな声かけが残ってたけど。
平成の中頃になってから気がついたのは「おや?日本人(東京でだけど)は全く無言で交差するようになったなぁ」と言う変化。ベビー・ストーラー(ベビー・カー)を押して来るお母さんや松葉杖の人に道を100%譲っても、かなりの人は無言「どうも」サインもないんだなー。まぁ、感謝して欲しいから道を譲ってる訳でもないし、個人主義とやらの時代なんだろうが、知らない人同士のコミュニケーションや潤滑油は消えたと感じたかな。悪意で解釈するとそれが当然の権利だとか主張されてる感じ。善意で解釈すると、そこまでシャイで内向的な人が増えちゃったの?と言う感想。そんなんだと結婚生活やら家庭生活大変だろうなとか余計な事を思ったりする。さらに雨の日なんかには「傘かしげ」すらしない人も激増しているから、無言のぶつかり合いをよく見るようになった。私はそういうの嫌なんで速攻逃げてますが。。そのうち、出るんじゃないかな、「お前の傘で怪我したろ治療費払えよ」詐欺。
因みに、米国とか雑多な民族が一緒に暮らしてる国だと、知らない人同志の声掛けやあいさつは常識レベル。日本で暮らし始めた米国人とかと目があうだけであいさつしてきたりする、あれ。あんな感じ。ビジネス街ではいちいち挨拶なんかしないけど、郊外の住宅街とかだと知らない人同士でも挨拶してた。日本ではバス待ちとかでは皆黙って静かに待ってるけど、米国(といってもワシントンDC近辺)では結構、知らない人同士でも会話する。ある時、赤ちゃんをだっこしたお母さんと私だけでバスを待ってたら、そのお母さんがいろいろ話しかけてくる。私もそういうのに慣れて返していると、途中で、そのお母さんとっても安心した表情になったんだよね。その時の雰囲気である事を悟った。あなたはヤバイ人じゃないよね、安全な普通の人だよね、私達親子に手出ししないでお互い何事もなくバス乗っていきましょうね、と確認してるんだなぁ、と。因みにこの国では通行で体がぶつかるなど絶対禁忌だからまず無い。もしそれが起こったらかなり面倒くさい。
米国から日本に帰ると、日本を良くも悪くも感じた。デパートのガラスドアの向こうに女性がやってくる。私が慣れたのは男性がドアを開けてあげて、女性をまず通してあげる文化。女性はニコッと微笑んで「ありがとう」と言ってくれる社会。日本でこれをやると女性が戸惑うか、極度に恐縮される。もしくは一部は過剰に喜ばれる。まぁ、早いもの勝ちで通ってく文化に、そう文句がある訳ではないけれど。
私は特に今の日本の悪口を言いたいわけでは無くて、その特徴や変化を述べたかっただけ。今の日本、暮らしやすくなったところもたくさんありますよ。例えば、昔は赤ちゃんを「おんぶひも」するのはお母さんの役割で、お父さんがこれをすると周りから奇異な目でみられて大変なプレッシャーがあった。我が家ではお母さんが疲れたら、赤ん坊のおんぶは犯罪ではないと社会の逆風に逆らってお父さんがおんぶしてたのですが、隣から物笑いの種にされたりでもう大変。今は普通にお父さんも「だっこひも」できる時代で良いよなーと感じます。
昔は良くも悪くも男尊女卑の時代。この時はみんなが喜んで暮らせる鍵は男にあって、男が周りを思いやって親切に努めるとかなりうまくいっていた。今は良くも悪くも女性の権利の時代。この時期にみんなが喜んで暮らせる鍵は女にあると思うな。女が周りを思いやって親切に努めると何が起こるだろうか。東京の通行で、実は女性がぶつかってくる時代の電子記録に、残しておきたい思いです。
出すなら出したらいいが、steamなんかみたいな表に出しやすいプラットフォームで表に出してフィードバックを受けたり、一度世間に出してみての考え直し修正のサイクルのほうがいいと思うけどな。
ただし、罵倒みたいなものもある。聞くべき意見と聞くべきではない意見を判断し、聞くべきではない意見は無視して忘れることも必要。
自分がすでに客を持っているのと、一から十まで企業におんぶで抱っこだったら自分の立ち位置は違う。後者の立ち位置は非常に弱い。
正直そのプランが何人取ろうとしてるのか知らんけど、いまは同人で表に出しやすくなってるから、steamや同人で鍛えたやつが賞をかっさらいそうな。
まあ、それが見えるから1000万みたいな高い値段で釣ってるのかもしれないが。
ネガティブなことを言ったけど、出すなら出してみたらいいんじゃない?ただ、自分になにもないけど、誰かが恵んでくれて助けてくれるなんてのは相当甘いとは思うよ。そういうやつは全部かっぱぎたいと思ってるやつもいるし。
何のジャンルかも分からない、同人小説作者に勝手に敗北した気分になった。
ということを書こうとして、初めてアカウントを作ったはいいが、人間失格とみなされてしばらく書き込み出来なかった。
そのおかげで少し頭が冷えた。
今日、アラフォーで小説同人誌を通販だけで出して初動60部、というエントリを読んだ。
私が同人誌を初めて出したのはアラフィフだ。コピー本の無配20部。厚意で委託を引き受けて下さった方のおかげで全て頒布できた。
ただ、そこから部数は下降する。敗因はいくつもある。魅力的な文章が書けない。ジャンル規模が小さい中でもどちらかといえばマイナーなCPで、しかも恋愛描写が苦手だ。
それでもCPで小説を書く理由は、その世界観の中での恋愛と恋愛じゃない紙一重の関係に惹かれているからである。
さらに経済的な問題もある。ワープアに限りなく近いシングルマザーで、コピー本しか出したことがない。イベントも出たことがなく、いつも親切な同ジャンル者にお世話になりっぱなしだった。
そんな中、色々都合がついて初めてイベントに出ることになった。本はまたコピー本だが手売りできることにワクワクしていた。
結論から言うとイベントには参加できなかった。去年の台風である。
とても悲しかったが、飛行機代その他のキャンセルでお金が若干浮いた。そこで初めて、コピー本として作った小説を印刷してみることにした。
判型が違うのでデータを修正し、表紙作成に悪戦苦闘しながらどうにか本が完成した。印刷所から納品された本はとても美しく、やっぱりコピー本とは違うなぁとしみじみ感動した。
その本は、今も納品時とほとんど変わらない状態でうちにある。売れていないのだ。
献本を除くと2部しか売れていない。もちろん、過去最低記録である。
つまり、私は委託を引き受けてくださっていた同ジャンル者に頒布の実務ばかりでなく「頒布実績」そのものもおんぶしていたことになる。芸人さんとかで言うところのバーターだ。
今後どうしよう、と思っているところにコロナが来た。幸い私の仕事には影響なかったが、県外で大学に通う子どもがあおりでバイトが激減し、家計が厳しくなった。
本を作るどころか、Wワークで働くことになりSSを書く時間すらままならない。
というような「理由」をもってジャンル撤退しようという思いと、まだこのジャンルで書ききっていないことがあるからという未練との間でどっちつかずのまま。気が付くと同人用として開設したツイッターのアカウントは、ただのRT用雑多アカウントになっている。この1年、創作活動といえば短いSSをいくつか流したくらいだ。
そんな折、例のエントリを読んだ。眩しいほどの実績と希望に満ちた文章。読みながら気分が沈んでいくのがわかる。
これがいわゆる「闇堕ち」というものなのかな、と思った。まったく知らない人相手に、勝手に敗北した気になって落ち込んでいる。
まともな思考ではない、ということは理屈では分かっているので、エントリの方への攻撃心は起きない。ただ、自分の状況が悲しかった。
そこで、エントリを知ったこの匿名ダイアリーにその悲しみを書き連ねてすっぱり撤退しようと思った……のだが、初めてアカウント作って認証クイズで足止めくらったあげく「混雑中で入れません」と言われ「人間失格 グッドバイ」と表示されてしまった。
このタイミングでこんな表示が出るなんて。
戒められた気分になった。
結局、私の中で見知らぬ相手に勝手に盛り上がった敗北気分は、人ですらない機械的な表示のおかげで勝手に収束した。
よそはよそ、うちはうちだ。
弟(生まれ月の関係で2学年下だが、実際はほとんど年子)が母のお腹に入っているときに母と一緒にスーパーに行った記憶がある。ただ、その時ちゃんと自力で歩いて母と手をつないで行った気がするんだよな。その程度の歳でいくら近所とはいえ自力で歩けるかなぁというのが自分でも謎。
あと、母に「△△(弟の名前)が産まれたばかりのときに○○(私)をお婆ちゃんに預けたんだけど覚えてる?」と聞かれたんだが微妙。自分だけ祖母の家に行ってお昼ごはんは出前とかとってもらって、祖母に連れられて児童館に行って絵本とか読んだ記憶があるんだけど、そんなに長期間祖母の家で暮らした記憶はない。
母に何かしら用事があって私を連れ歩けないから祖母に預けたんだと思うけど、やっぱり自力で歩いた記憶になってるし、絵本が読めるのは幼稚園児ぐらいではないだろうか。
ゴッ!ガチャンッ!
東京工業大学内の実験場所で、大小のダミー人形2体が床にぶつかる鈍い音と自転車が倒れる音がほぼ同時に響きました。
大きい人形は大人の女性サイズ。6カ月の赤ちゃんを想定した人形をおんぶひもで背負っています。
実験では、人形がまたがった自転車を、止まった状態から少し前に押し出すようにして横に倒しました。
実験をしたのは、NPO法人・Safe Kids Japan(SKJ)の小児科医や研究者ら。
今年5月、東京都国分寺市で赤ちゃんをおんぶして自転車に乗っていた女性が横断歩道のないところを渡った時に車と衝突し、
頭を強打した赤ちゃんが亡くなった事故をうけて、倒れたときの危険性を科学的に調べました。
街でみかける「おんぶ自転車」の赤ちゃんの多くは0歳児で、ヘルメットをかぶっていません。道路交通法は、
保護者は自転車に乗る幼児にヘルメットを着用させるように努めるべきとしています。
しかし、自転車の研究者などでつくる団体「自転車の安全利用促進委員会」によると、
一般的にヘルメットの多くは推奨年齢が1歳以上のため、0歳児の場合は頭を守る手段が限られてしまいます。
「自転車の安全利用促進委員会」のメンバーで、自転車ジャーナリストの遠藤まさ子さん(38)は、「おんぶ自転車」の悩みは、
「通っている保育園や幼稚園が車を使う送迎を禁止していたり、車を持っていなかったりする都市部の保護者に多いのでは」と指摘します。
3人の子どもがいる遠藤さんも以前は世田谷区に住み、おんぶ自転車を経験。自宅と保育園の直線距離は約3キロでしたが、
路線バスは遠回りで1時間かかる環境。車の登園は禁止で、坂道が多い住宅街を自転車で20分かけて通いました。
「出費は負担でしたが、安全には代えられなかった。やはりヘルメットを着用できない間は、おんぶはおすすめできない。
着用していても無理な運転はNGだし、住宅街の小さな交差点でも一時停止するなど細心の注意を払ってほしい」と話します。
バランスを崩したらもう終わり?
一度バランスを崩して傾き始めると、そのあまりの重さに、自力ではどうすることもできなくなって倒れてしまうという恐怖の事実なのでした……!
ママスタコミュニティにも同じことが起こったママがいらっしゃるようで……。
『雨の日に子ども乗せた状態で2回転倒した。転びやすいわけではないんだろうけど、普通の自転車と違ってバランス崩したら最後。
もう立て直すことは確実に不可能。本当、いかにゆっくり倒れるかだよね』
『雨上がりに何度か滑って転んだ。普通の自転車では大丈夫だけど、電動の重さだとバランスを崩すともう持ち直せない』
『倒れるって分かってるけどもうどうしようもないよね。通りかかった若い兄ちゃんが起こしてくれたよ』
子どもを乗せた状態の電動自転車が傾き始めると、もう自力で持ち直すことができないので、
あとはいかにゆっくりと倒れて、子どもへの衝撃を少なくするかのみ。
持てる力の全てを出して自転車を支えることになります。まるでスローモーションのように長く、絶望を感じる時間でした。
倒れたらSOS!お願い、誰か手伝って下さい!!
『転んだことあるけど、現場近くの家から人が飛び出てきて起こしてくれたよ』
『私も雨の日に黄色い点字ブロックにはまり、転びました。2回もあります。雨の日は慎重に運転してますが、
点字ブロックのまっすぐな溝って、すごく滑るんですよね。なるべく避けていますけど、絶対に通らなくちゃいけない場所は、
『1回ダイレクトにこけて、もう1回はなんとか耐えた。やはり雨の日。マンホール、鉄板、側溝の蓋は危険!』
『坂道を登ってたら車が脇道から急に出てきて、ブレーキをかけた拍子に転んだ。子どもも後ろに乗ってたけど、
チャイルドシート&ヘルメットのおかげで無傷。私はハンドルにぶつかって肋骨骨折……』
“雨の日”“マンホール”“点字ブロック”が、危険ポイントのようです。確かに、雨の日はただでさえ視界が狭まるうえに、
地面は滑りやすくなります。ましてやマンホールや点字ブロックは、雨水で濡れてツルツル。
ちなみに、筆者が転んだのも雨の日のマンホールの上でした。ドンピシャ……。
電動自転車で走行中に転倒し、抱っこしていた当時1歳4カ月の次男を死亡させたとして、神奈川県警は14日、
横浜市都筑区の保育士の母親(38)を過失致死の疑いで書類送検した。県警への取材でわかった。
専門家や業界団体は、乳幼児との同乗はバランスが不安定になりがちだとして注意を促している。
県警都筑署によると、母親は7月5日午前8時25分ごろ、同区の市道で、次男を抱っこひもで前に抱え、
左手首に傘を提げた状態で電動自転車を運転。過失によって転倒して次男の頭を強く打ち付け、死亡させた疑いがある。
雨が降っていて母親はかっぱを着ていたが、提げていた傘が自転車のフレームと前輪の泥よけの間に挟まったことで、
ハンドルが動かなくなり、転倒につながったと署はみている。
母親は前部の幼児用座席に事故当時2歳だった長男を乗せ、次男とともに保育園に送り届ける途中だった。